ANPAN   作:空きれい

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第10話:悲劇の暗殺者

しょくぱんまんの不可解な撤退から数時間。

三人は、ついに目的地であるバイキン・タワーの威容を間近に捉えていた。

天を突くようにそびえ立つ、純白の塔。

それは、錆と腐敗に満ちたこの瓦礫の街においてあまりにも異質で、周囲の光さえも吸収して自ら輝いているかのような、見る者を威圧する狂気のモニュメントだった。まるで巨大な墓標のように、あるいは天にまします神への冒涜のように、それは静かに、しかし絶対的な存在感を持ってそびえ立っていた。

「ここが、バイキンの巣……」

バタコが、緊張に声を固くする。塔の周囲には、おびただしい数の機械化部隊が、寸分の隙間なく配備されている。その動きは個ではなく、一つの巨大な生命体のように連動しており、正面からの突破は不可能だと一目でわかった。

「裏口は僕が見つけてあります。こっちですよ。警備ドローンの巡回ルートの、ほんの数秒の死角です」

クリームパンダが、自信ありげに手招きする。彼のハッキングによって、三人は警備網のわずかな隙間を突き、巨大な排熱ダクトに偽装されたメンテナンス用の搬入口へとたどり着いた。

「よし、開けるぞ。30秒で終わらせます」

クリームパンダがデータパッドをハッチのコンソールに直接接続し、猛烈な勢いでコードを打ち込んでいく。彼の指先から、青い光の粒子がほとばしる。

やがて、重厚なハッチが、圧縮された空気を吐き出すかすかな音を立てて、内側へと開いた。

内部は、塔の外観と同じく、全てが純白で統一されていた。

無機質で、清潔すぎるほどの空間。隅々まで消毒液の匂いが満ちており、呼吸をするたびに肺が浄化されていくような錯覚に陥る。床も壁も天井も、継ぎ目一つない滑らかな素材でできており、方向感覚を失わせる。

三人は、息を潜めてタワーへの潜入に成功した。

目指すは、ウイルスの発生源である最上階のラボだ。

「エレベーターは使えない。トラップだらけだろうさ。緊急用の階段で行くぞ」

バタコの先導で、三人は純白の回廊を駆け抜ける。自分たちの足音だけが、不気味なほど大きく響き渡る。張り詰めた緊張が、彼らの肌を針のように刺した。

そして、最上階へと続く最後の通路。そこだけが、なぜか礼拝堂のように広々とした空間になっていた。

その純白の空間の真ん中に、一人の人影が、まるで最初からそこに置かれていた彫像のように、音もなく立っていた。

それは、少女だった。

夕暮れ時の若草のような、鮮やかな緑色の髪をなびかせ、レースで飾られた可憐なドレスに身を包んでいる。

だが、その手には、不気味なほどの輝きを放つ二本のレイピアが、まるで身体の一部であるかのように握られていた。

そして、その硝子玉のような瞳には、一切の感情が浮かんでいなかった。ただただ空虚で、どこまでも深い闇をたたえている。

「……何者だ、お前は」

アンパンが、警戒して問いかける。

しかし、少女からの返事はない。ただ、その空虚な瞳が、アンパンを物体として認識するように、じっと捉えているだけだ。

少女は、まるで操り人形のように、静かにレイピアを構えた。その動きには、一切の無駄も、ためらいも、生命の息遣いさえも感じられない。

機械的な、洗練され尽くした暗殺者の動きだった。

「来るぞ!」

アンパンが叫んだ瞬間、少女の姿が掻き消えた。床を蹴る音さえなかった。

速い!

アンパンは、かろうじてレイピアの切っ先を腕の装甲で受け止める。甲高い金属音が響き、火花が散った。

だが、少女の猛攻は止まらない。流れるような剣技が、まるで終わりなき舞踏のように、アンパンに反撃の隙を与えなかった。一撃が重いわけではない。だが、その剣筋はあまりにも正確で、アンパンの装甲のわずかな隙間、関節の駆動部を執拗に狙ってくる。

(こいつ……ただの暗殺者じゃない……! この動き、人間の反射速度を超えている。それに、この剣筋には、憎しみも、怒りもない。ただ、目的を遂行するための、純粋な……悲しみがある……?)

戦いの最中、アンパンは見てしまった。

少女の機械的な動きの中に、その空虚な瞳の奥深くに宿る、拭いきれない深い悲しみの色を。

それは、何かを守りたい、誰かを救いたいと、必死に願う者の瞳だった。かつての自分と、同じ色をしていた。

「お前も……誰かを……守りたかっただけなのか」

アンパンの口から、無意識に言葉が漏れる。

その一瞬。

彼の動きが、ほんのわずかに、ためらった。彼女を、壊すべき敵としてではなく、救うべき誰かとして認識してしまったのだ。

その致命的な隙を、少女は見逃さなかった。いや、その隙が生まれることさえも、プログラムされていたかのように。

シュッ!

少女が放った最後の攻撃。それはレイピアではない。

手首に隠された射出機から、ほとんど音もなく放たれた、一本のダーツだった。

ダーツは、アンパンの防御をすり抜け、首筋の、装甲と生身の境目に深く突き刺さる。

「ぐっ……!?」

アンパンの身体から、急激に力が抜けていく。視界が歪み、平衡感覚が失われ、世界がぐにゃりと溶け始める。

神経回路に直接作用し、記憶と感情を攪拌する、特殊な神経毒。

ザアァァッ―――

過去の悪夢が、鮮明な幻覚となって彼に襲いかかる。

全滅した仲間たちが、血まみれの顔で彼を取り囲み、責め立てる。その声は、かつてないほど明瞭に、彼の罪悪感を抉った。

『お前のせいだ』

『お前のせいで、俺たちは苦しんで死んだんだ』

『助かるかもしれないなんて希望を見せやがって!偽善者が!』

「う……あああああああっ!」

アンパンは、その場に膝から崩れ落ち、身動きが取れなくなった。魂が、その器から引き剥がされていくような感覚に襲われる。

「アンパン!」

バタコとクリームパンダが駆け寄ろうとする。

だが、その時、通路の奥から、芝居がかった甲高い笑い声が響き渡った。

「計算通りだわ! よくやったわね、メロンパンナ! あんたは最高の操り人形よ!」

コツ、コツ、とヒールの音を響かせて現れたのは、バイキンの側近、ドキンだった。

彼女の目的は、アンパンの無力化。そして、その先にある、彼女だけの歪んだ理想。

彼女は、混乱に乗じてアンパンに駆け寄ると、その胸部装甲をバールのようなものでこじ開けた。

そして、抗体の核であり、希望そのものである「新型アンパン」のコアユニットを、まるで熟した果実をもぎ取るように、乱暴に引きずり出した。

「これで、しょくぱんまん様は私のもの……あの潔癖症で頭の固いオバサン(バイキン)も、もういらないわ! 私だけのヒーローを手に入れるのよ!」

ドキンは、しょくぱんまんへの歪んだ所有欲を満たすため、仕えていた主すらも裏切ったのだ。

コアユニットを失ったアンパンの身体から、光が消える。

彼の瞳から、力が失われていく。

そして、意識は、冷たい、どこまでも深い闇の底へと、ゆっくりと沈んでいった。

 




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