ANPAN   作:空きれい

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第11話:絶望の連鎖

バイキン・タワー最上階。

ドキンが持ち帰った「新型アンパン」のコアユニットを手に取り、バイキンは恍惚の表情を浮かべていた。その手の中で、コアはまるで生き物のように、かすかな温もりと光を発している。それは、論理と数式で構築された彼女の世界には存在しない、不確定で、非効率な、生命そのものの光だった。

「素晴らしい……なんと美しいテクノロジー……。人間の祈りなどという、非論理的で不確定なものをエネルギーに変換するなど、私の哲学とは対極にある、実に“不完全”で、愚かしい発想ね」

彼女は、その温もりを汚物のように嫌悪しながらも、その未知の原理に科学者としての純粋な好奇心を刺激されていた。ドキンが、しょくぱんまんへの歪んだ執着からこのコアを奪ったことなど、バイキンは全てお見通しだった。だが、そんな愚かな嫉妬心など、彼女の壮大な計画の前では些細な問題でしかなかった。むしろ、利用価値のある駒が自らの役目を果たしたに過ぎない。

「だが、おかげで最後のピースが埋まったわ。この不完全な光を、私の完璧な闇で塗りつぶすための、ね」

バイキンは、奪ったコアを解析装置にかける。彼女の天才的な頭脳は、瞬時にその複雑なエネルギー構造と、感情の波を物理的な力に変換する原理を理解した。そして、それを無力化する最も効率的な対抗兵器を、即座に設計、完成させてみせる。それは、希望という概念そのものを否定する、化学的な解答だった。

「これこそ、私の“完璧”な科学の勝利。名を『カビ・ミスト』としましょう。希望という名のカビを、根こそぎ除去するための霧よ」

それは、アンパンの抗体ナノマシンの活動のみを、ピンポイントで選択的に阻害し、無力化する特殊なガスだった。希望の光を、化学的に分解する死の霧。

準備は整った。

バイキンは、タワーの頂点からスラム全域に向けて、巨大なホログラム映像を投影する。鉛色の雲をスクリーンとして、彼女の純白の姿が、まるで救世主のように荘厳に映し出された。その完璧すぎる美しさは、スラムの汚れた風景とはあまりにも不釣り合いで、神々しくも冒涜的だった。

『スラムに生きる不完全な子羊たちに告げます』

その声は、増幅され、スラムの隅々にまで響き渡る。絶望の淵で、かすかな歌声に希望を見出しかけていた人々の耳に、無慈悲に届く。

『あなたたちが希望と崇めた偽りの救世主は、自らの不ื่อยさゆえに、たった今敗れました。感情という名の病に侵された、欠陥品だったのです』

『今こそ、不完全な生命を淘汰し、私の完璧な理想郷を完成させる時です! 苦しみから解放してあげましょう!』

バイキンの高らかな勝利宣言。それは、スラムに残された、最後の、そして最も脆い希望の灯を、無慈悲に吹き消すには、十分すぎる宣告だった。

「……嘘だろ……アンパンが……」

バイキンの放送を見ていたスラムの住人が、力なく膝から崩れ落ちる。彼の手から、アンパンを真似て作った歪なパンが、泥水の中へと転がり落ちた。

アンパンが敗れた。

そのニュースは、瞬く間にスラム全域に絶望の伝染病を撒き散らした。さっきまで「アンパンの歌」を口ずさんでいた人々は、その唇を固く結び、その瞳から光を失った。

希望を失った人々は、暴徒と化した。希望が大きかった分、その反動としての絶望は、より深く、より暴力的だった。

略奪、破壊、暴力。

昨日までの隣人が、獣のように牙を剥き合う。「アンパンがダメだったのなら、もうどうなってもいい」「奪えるうちに奪うしかない」。そんな諦めと刹那的な欲望が、人々を支配する。

スラムは、統率の取れない、無秩序な破壊に飲み込まれていった。

その混沌を、地下水道のアジトで、カレーパンマンは冷ややかに見つめていた。

「……やはり、偽物だったか」

彼は、アンパンという存在に、ほんのわずかな、自分とは違う強さの可能性を感じていたのかもしれない。だが、それも潰えた。その事実は、彼に安堵と、そして最後の諦めをもたらした。やはり、この世界は破壊によってしか救われないのだと。

「好機だ。これより、我々の“浄化”を始める。連中が内側から腐り落ちている今こそ、外側から全てを焼き尽くす好機だ」

カレーパンマンは、集まった信奉者たちに命令を下す。その声には、もはや何の迷いもなかった。

「目標は、パナ・コープの壁そのものだ。偽りの秩序も、腐った希望も、全て焼き尽くし、この世界を一度、無に還す! 我ら自身も、その炎の中で灰となるのだ!」

彼の虚無的な正義が、最後の暴走を始める。スラムの地下深くで、旧文明の化学燃料を転用した巨大な爆弾の設置が、着々と進められていた。

壁の内側《カミサリー》。

しょくぱんまんは、自室でひとり、自らの震える手を見つめていた。

あの時、なぜ照準をずらしたのか。アンパンが瓦礫の下の子供を庇った、あの光景が、脳裏から焼き付いて離れない。彼の心の中で、「ルール」と「正義」が、もはや同義ではなくなっていた。

彼の「完璧な正義」は、すでに内側から静かに崩壊を始めていた。

その時、役員専用の秘匿回線から、着信が入る。相手は、パナ・コープの頂点に立つ、CEOその人だった。

『しょくぱんまん君。最終命令だ』

モニターに映し出されたCEOの顔は、能面のように無表情だった。その瞳には、これから行われる大量虐殺に対する罪悪感など、微塵も浮かんでいない。

『バイキンが、例のガス――“カビ・ミスト”を散布する。その後、生存者ごとスラムを浄化(じょうか)したまえ』

「浄化……ですと? それは……絨毯爆撃を行え、ということですか」

『言葉通りだよ。これは、害虫駆除だと思いたまえ。壁の外の不安定要素は、全て根絶やしにする。市民の安全と、我々の秩序を守るために、必要な措置だ』

しょくぱんまんは、言葉を失った。

無抵抗の人間を、女子供も関係なく、皆殺しにしろという命令。それは、彼の信じる正義とは、あまりにもかけ離れていた。彼が守るべき「市民」に、壁の外の人間は含まれていないのだと、冷酷に突きつけられた瞬間だった。

非情な命令。

アンパンが見せた自己犠牲の姿。

そして、自らが犯した「反逆」。

彼の心の中で、張り詰めていた何かが、完全に引き裂かれた。

しょくぱんまんは、データとして送られてきた命令書を、強く握りしめる。そこには、爆撃ルート、使用兵器、そして「予想される浄化率99.8%」という、狂気の数字が記されていた。

部屋のガラスに映るのは、完璧なヒーローの軍服を着た、自分自身の姿。

だが、その顔は、見たこともないほどに、苦悩と絶望に歪んでいた。仮面は、もう彼の顔を覆い隠してはいなかった。

彼は、秩序のための怪物になるか、正義のための反逆者になるか、その選択を迫られていた。

 




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