ANPAN   作:空きれい

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第9話:空からの断罪と最初の亀裂

地下シェルターを出た後も、三人の間には奇妙なほどぎこちない沈黙が続いていた。

温かいパンがもたらした心の交流は、言葉にすれば指の間からこぼれ落ちて消えてしまいそうな、あまりにも脆い砂の城のように思えた。誰も、先ほどの出来事には触れない。触れてしまえば、このつかの間の平穏が壊れてしまうことを、皆どこかで理解していたからだ。ただ、前へ進む。それだけが、今の三人を繋ぐ唯一の目的だった。アンパンは、子供たちにパンを与えたことで、ほんのわずかに過去の呪いが和らいだような感覚と同時に、「また誰かを危険に晒すかもしれない」という新たな恐怖に苛まれていた。バタコは、アンパンの中に芽生えた人間らしさに安堵しつつも、その強大すぎる力の危険性への警戒を解いてはいない。クリームパンダは、自らの心の内に芽生えた「非合理的」な感情の揺らぎに戸惑い、それを隠すかのように、ひたすらデータパッドの数字とコードの世界に没頭していた。

だが、彼らの頭上に広がる鉛色の空は、そんな未熟な関係性が成熟する時間すら与えてはくれなかった。

キィィィン―――

大気を切り裂く、甲高い飛行音。それは、スラムに響くあらゆる雑音とは異質な、洗練され尽くした機械音だった。

見上げた空の向こうから、一機の純白の戦闘攻撃機が、分厚い雲を突き破って、まるで天からの使者のように姿を現した。

パナ・コープが誇る最新鋭ステルス機「ホワイトリリィ」。その機体は、無駄な装飾を一切排した流線形で、白磁のように滑らかな装甲は、汚染されたスラムの光を鈍く反射している。美しさと、無慈悲なまでの機能性が同居した、究極の兵器。

そして、その翼に刻まれた紋章は、この世界の誰もが知る「正義」の象徴。

「しょくぱんまん……!」

バタコが、憎々しげに呟く。壁の中の偽りの平和を享受し、外の惨状から目を背ける、欺瞞のシンボル。

機体から発せられるスピーカー音声は、完璧な音響調整が施され、ノイズひとつなく澄みきって、しかし氷のように冷たく響き渡った。

『スラムの不穏分子を確認。規則を乱す暴力は、それ自体が悪だ。これより、お前を排除する』

それは、カミサリーの公式ヒーロー、しょくぱんまんからの、冷徹な断罪宣言だった。彼の声には、怒りも憎しみも、何の感情も含まれていない。ただ、プログラムされたタスクを読み上げるような、無機質な響きだけがあった。

「来るぞ!」

アンパンの警告と同時に、「ホワイトリリィ」の機体各所から無数のレーザーが、光の雨となって放たれる。

地面が、コンクリートが、爆ぜて蒸発し、砕け散る。一瞬にして、三人が立っていた場所は灼熱のクレーターへと変わった。

壮絶な空中からの掃射が始まった。

「うわっ! こっちだ!」

三人は、廃墟ビル群の迷路へと飛び込んだ。

空からの精密な攻撃を、遮蔽物を利用して必死にかわす。壮絶な鬼ごっこの始まりだった。

「くそっ、空からじゃやりたい放題だ!」

銃で応戦しようとするバタコだが、ステルス機の圧倒的な機動力と防御フィールドの前には、子供の水鉄砲に等しい。弾丸は機体に届く前に弾かれ、虚しく火花を散らすだけだった。

「アンパン! 左だ、次は右! 敵機、反転してくるぞ!」

クリームパンダが、データパッドを駆使して敵機の攻撃予測パターンを読み上げ、必死にナビゲートする。彼の指が、猛烈な勢いでホログラム・キーボードを叩いた。しょくぱんまんの操縦は完璧だ。だが、完璧すぎるがゆえに、その動きはデータに基づいた予測が可能だった。

「面白いもの、見せてあげますよ! 僕のステージへようこそ!」

彼がエンターキーを叩いた瞬間、周囲の廃墟ビルに、旧文明のホログラム広告が一斉に点灯した。意味不明な文字列と、けばけばしい色彩の洪水が、しょくぱんまんの高性能センサーを暴力的にかく乱する。ターゲット認識システムに、膨大な量のジャンクデータが流れ込んだのだ。

「やるじゃないか、小僧!」

「僕にかかればこんなもんですよ!」

クリームパンダのハッキングが、一時的にアンパンたちに活路を開く。

アンパンは、その好機を逃さない。垂直の壁を駆け上がり、ビルからビルへと、まるで重力を無視したかのように飛び移り、しょくぱんまんの精密な攻撃を紙一重でかわし続ける。

空と地上で繰り広げられる、壮絶なチェイス。

戦いの最中、しょくぱんまんの完璧な表情に、わずかな焦りが浮かんでいた。

(なぜだ……なぜ、私の攻撃を読める……? こちらの思考パターンが漏れているとでもいうのか?)

だが、彼の動揺は、次の瞬間に驚愕へと変わる。

しょくぱんまんが放った追尾ミサイルが、アンパンの逃げ込んだビルに着弾した。

轟音と共に、ビルの一部が崩れ落ちる。

その瓦礫の真下に、先ほどの戦闘から逃げ遅れたのだろう、一人の子供の姿があった。恐怖に竦み、動けなくなっている。

「危ない!」

アンパンは、自らの進路を迷わず変えた。頭で考えるよりも早く、彼の身体は動いていた。

そして、迫りくる瓦礫の雨から子供を守るように、その小さな身体に覆いかぶさった。背中に叩きつけられるコンクリートの塊に、彼の装甲が軋む音が響く。

その光景を、しょくぱんまんの高性能センサーは、明確に捉えていた。アンパンの表情、子供の怯えた瞳、その全てが、高解像度のデータとして彼の脳に焼き付けられる。

(……身を、挺して……庇った……? 規則を乱すだけの、ただの暴力ではないというのか……?)

それは、彼の「ルールこそが絶対」という信念を、根底から揺さぶる光景だった。

上官の「スラムの連中は害虫だ。駆除だと思え」という冷酷な言葉が、脳裏をよぎる。

アンパンの行動は、ただの暴力ではない。自己犠牲。それは、かつて自分が持っていたはずの、ヒーローの原点。いつの間にか、自分はルールを守ること自体が目的となり、何のためにルールがあるのかを忘れてしまっていた。

(私は……一体、何を、している……?)

一瞬の、ためらい。

だが、その心の揺らぎを、彼が操る冷徹な戦闘システムは見逃さない。

『ターゲット、ロック。撃墜推奨』

無慈悲な電子音声が、決断を迫る。

しょくぱんまんの指が、発射トリガーにかかる。

これが、正しいことだ。これが、カミサリーの秩序を守るということだ。そう、自分に言い聞かせる。

だが。

彼の指は、震えていた。

コクピットのキャノピーに映る、完璧なヒーローの仮面を被った自分の顔が、ひどく歪んで、醜く見えた。

「……っ!」

彼は、人生で初めて、自らの意志でシステムと、そして組織の「ルール」に逆らった。

発射の瞬間、マニュアル操作で、わずかに照準をずらす。それは、システムログに「パイロットエラー」として記録されるであろう、ほんの数ミリの、しかし決定的な操作だった。

放たれたミサイルは、アンパンたちから数メートル離れた別のビルに吸い込まれ、虚しい爆発音を響かせた。

それは、誰にも気づかれない、完璧なヒーローの、最初の小さな反逆だった。

「ホワイトリリィ」は、機首を翻し、空の彼方へと飛び去っていく。

『システム異常発生。これより帰投する』という、言い訳のような無機質な通信を残して。

残されたアンパンたちは、なぜ最後の攻撃が外れたのか、訝しむことしかできなかった。

一人、コクピットの中で。

しょくぱんまんは、自らの震える右手を、ただじっと見つめていた。

彼の完璧な正義に、最初の、そして決して修復不可能な亀裂が入った瞬間だった。

 




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