グリーンノア1・司令部ブリーフィングルーム
静謐な空気に包まれたブリーフィングルーム。その最奥に、再整備を終えたペガサス級強襲揚陸艦7番艦アルビオンのホロパネルが表示されていた。
この艦はデラーズ紛争──「星の屑作戦」という凄絶な戦いをくぐり抜けてきた。
あの戦いの中で幾人もの仲間が失われ、志が砕け、血が宇宙に散った。
それでも、生き残った者たちは再びこの艦へと集ったのだ。
司令部には、かつてアルビオンに乗艦していたベテランのクルーたちの姿があった。
イワン・パサロフ大尉(操舵士)
アクラム・ハリダ中尉(航法士)
ウィリアム・モーリス少尉(通信士)
ジャクリーヌ・シモン軍曹(左舷側担当オペレーター)
ピーター・スコット軍曹(右舷側担当オペレーター)
アリスタイド・ヒューズ大尉(砲術長)
モーラ・バシット中尉(整備主任)
アロイス・モズリー大尉(医務室主任)
そして、新たに加わった若きテストパイロットたち。
コウ・ウラキ中尉とチャック・キース少尉は列の一角に整列し、一方でテスト部隊の責任者である三名――。
ゼロ・ムラサメ中尉
アイン・ムラサメ少尉
ドゥー・ムラサメ少尉
は、ブライトのすぐ隣に立っていた。
ゼロは表情を崩さぬまま凛として佇み、ドゥーは退屈げな顔で足を少し投げ出し気味に構え、アインだけが礼儀正しく背筋を伸ばしていた。
そんな場を静かに見渡しながら、ブライト・ノア大佐が前に出る。
その表情に笑みはなく、だが柔らかく包み込むような語り口で、声を発した。
「……アルビオンは、帰ってきた。いや、呼び戻されたと言うべきかもしれない。あのデラーズ紛争で、諸君はこの艦と共に“絶望”を見た。だが今、ここに立っている者は、その絶望を超えた者たちだ」
ざわつく空気が、少しだけ張り詰めたものに変わる。
「私は、艦長という職を任された者として、何度も死地を乗り越えてきた。だがそれは決して、私一人の力ではない。常に艦があり、仲間がいたからこそ乗り越えられたのだ」
視線を、列の隅々へと移す。
「今、ここに揃ったクルーは、戦場の中でもっとも信じ合える仲間たちだ。新たな仲間たちも含め、私は諸君を信じている」
そこで一拍置くと、より力のこもった声が響いた。
「テスト部隊であろうと、後方部隊であろうと、“アルビオン”という艦は戦場に出る艦だ。誇りを持て。背筋を伸ばせ。諸君は軍人である前に、人としての“矜持”を持つ者であれ」
低くもよく通るその声に、場の空気が一段と引き締まる。
「──以上だ。各員、任務に励んでくれ」
控えていたアインが静かに一礼し、ブライトと交代するように前へ進み出た。
「……ムラサメ研究所テストチーム、責任者、アイン・ムラサメ少尉であります」
その声に、整列したクルーの間からざわめきが上がる。
若い、だが、その立ち居振る舞いに不思議な威厳があった。
「このような若輩者の言葉に耳を傾けてくださること、心より感謝申し上げます。アルビオンを母艦とする本部隊は、形式上はティターンズ所属のテスト部隊ということになっています。しかし、それだけが我々の任務ではありません」
空気が変わる。
「我々は、いずれこの艦と共に連邦軍の在り方を問う存在となるでしょう。どれほど腐敗が進んでも、どれほど欺瞞がはびこっても、軍人として守るべきものがあるはずです。それは、人命です。スペースノイドであろうと、アースノイドであろうと関係ない。人としての命です」
クルーたちが、思わず息を飲む。
「我々はティターンズに所属しています。だが、その前に──連邦軍の、そして“人間”の正義を信じる者であることを、どうか忘れないでください」
深く頭を下げるアイン。どこか、舞台の上の劇中人物のように映ったかもしれない。
だがそれは“演技”ではなく、“信念”だった。
静寂を破るように、一拍置いてウィリアム・モーリス少尉が掌を打ち鳴らす。
それが連なり、全体に拍手の波が広がっていった。
ドゥー・ムラサメが、横目でちらりとアインを見て笑う。
「ねえ、アインってさ、思ってたよりずっと“リーダー”してるよね」
アインは目を伏せ、小さく咳払いした。
その頬が、ほんのりと赤く染まっていたのを、ゼロ・ムラサメは何も言わず、静かに眺めていた。
かくして、アルビオンは再び宇宙へと旅立つ。
その艦橋には、かつての英雄たちの影と、これから始まる問いと希望が確かに灯っていた。
◇◇◇◇◇
アルビオン艦内・モビルスーツ整備区画
──整備の音が響く中、ふたりの鼓動もまた、静かに再起動していた。
「そっちはまだかいッ! ケーブル巻き込みそうになってるよッ! 自爆装置付きの配線引き直すほど、こっちは暇じゃないんだからね!」
艦内に張りのある声が響いた。
まるで戦場そのものを仕切るようなその語気は、整備班の誰もが一目置く存在──モーラ・バシット中尉。
がっしりした肩と長身をツナギで覆い、袖をまくり上げた姿は、他の整備員と並べばひときわ目を引く。
端末と工具を片手に、次々と指示を飛ばしながら、整備ラインを縦横に歩き回っていた。
そんな彼女の姿を遠目に捉え、チャック・キース少尉はモビルスーツの脚部に腰を下ろしたまま、どこか複雑な面持ちで眉を寄せる。
「……相変わらずだな。姉御っつーか、戦艦ひとつ担いでるような迫力だ」
デラーズ紛争の頃、アルビオンに乗り込んでいた時とは違う。
任務が終われば、あれほど近くにいたのに、言葉を交わすタイミングはついに訪れなかった。
そして今日まで、ろくに連絡も取れずじまい。
不器用な自分が悪い。
それは分かっている。分かっているのだが──。
「……何をブツブツ言ってんだい、チャック・キース少尉」
不意に背後から聞こえた声。
振り返れば、工具片手にモーラが立っていた。
「へ、へへ……久しぶり、だな、モーラ中尉」
「ったく、どの口が言ってるんだか。こっちはずっと整備やりながら、あんたの機体に不具合出てないかって報告見てたんだよ。全然、顔出さないもんだから、てっきりまた撃墜でもされたかと思ったじゃないか」
腕組みしながら、ため息混じりに吐き捨てる。だが、その目元にはどこか柔らかい温度が宿っていた。
キースは帽子のつばを下げ、少しだけ照れくさそうに笑う。
「……あの時、モーラが居てくれたから、俺、生きてたようなもんだ。だけど……なんつーか、終わったら、急に怖くなっちまってさ」
「なに、恋人気取りして逃げたって? あんた、ほんっと可愛いとこあるよね」
「お、おい……言い方ってもんが……」
「ふふん。こう見えて、あたしはね、姉さん女房なんだ。待つのは慣れてる。でも、そろそろ迎えに来るくらいしてくれたって、罰は当たらないと思ってたんだけど?」
にやりと笑うモーラに、キースは苦笑いを浮かべたまま、何も言えなかった。
ふと、彼女の手がキースの肩にぽんと置かれた。ごつくて、温かいその掌。
「……まあ、今日ここにいるってことは、少なくとも、その気はあるってことだよね?」
「……ああ。今度は、ちゃんと向き合うよ。整備班長殿」
「なら、さっさとそのMS片付けてこい。機体の命預けるんだ、整備士を待たせるなんて、連邦軍じゃ一番やっちゃいけないことなんだからさ」
モーラはそう言って、笑いながら背を向けた。
その背中を見送るキースの表情に、もう迷いはなかった。
ふたりの間にあった空白の時間が、ほんの少しだけ埋まった気がした──それも、整備の油と火薬の匂いが混じる、戦場の艦で。
モーラとキースのやり取りを少し離れた整備区画の一角から眺めていたコウ・ウラキは、肩の力を少しだけ抜いて、小さく呟いた。
「……良かったな、キース」
誰に聞かせるでもなく、整備音にかき消されるような声だった。
彼の視線の先には、互いにどこか照れくさそうに笑みを交わすふたりの姿がある。
互いに時間の経過とともに沈黙の間に落ちていたはずの距離が、ゆっくりと、それでも確かに縮まっていく――そんな雰囲気だった。
その様子を見て、コウの胸にひとつの思いが去来する。
(……ニナは、やっぱり居ないか)
それはどこか安堵のようであり、同時に、ほんのわずかな──本当に、微かな残念さでもあった。
驚いたのは、その自分自身の感情だった。
コウにとって、ニナはかつての同僚であり、恋人であり、そして──自分に銃を向けた存在だった。
デラーズ紛争の終盤、落下するコロニーの制御室において、ニナはコウの前に立ちはだかり、アナベル・ガトーを庇った。
信じられなかった。理解したくなかった。
たとえ、彼女がかつてガトーと交際していたとニナ本人から告げられたことであったとしても。
「好きだったんだ。……本当に」
ぽつりと、また誰にも届かない声を零した。
交際もしていた。信頼していた。
何より、戦場のど真ん中で唯一、支えになってくれた存在だと、信じていた。
けれども、それでも──敵を庇い、自分に銃口を向けたその瞬間を、コウは心のどこかでずっと許せていなかった。
紛争の後、再配属された地球圏の基地で、ニナとは何度か顔を合わせた。
互いにどこかよそよそしく、言葉を交わすのもどこかぎこちなかった。
その後、ニナはアナハイム本社のある月へと異動となり、自然と連絡も途絶えた。
明確な別れの言葉があったわけではない。
誰が悪いという話でもない。
ただ、どちらともなく、関係は霧のように消えていった。
「……それで、よかったんだろうな」
静かにコウは目を伏せる。
新たに戻ってきたアルビオン。
そのクルーたちは、当時の雰囲気をよく知る者が慎重に選ばれていた。
あの頃を思い出させすぎないように、誰かが息苦しくならないように。
きっと、配慮がなされていたのだろう。
例外的に呼ばれなかったのは、サウス・バニング大尉の部下だったモンシアやベイトの存在である。
キースとは違い、彼らは時に規律を逸脱し、態度も荒々しい。
あのふたりをアデルだけで抑えるのは難しいだろう。
(バニング大尉が居れば、彼らをまとめられたかもしれない)
だが、もうその姿はない。
その役目を自分が担えるかと問われれば、コウは胸の中で唇を噛むような沈黙を返すしかなかった。
かつて、自分を支えてくれた上官のように、自分が他人を導けるとは──まだ、とても思えなかった。
だが、異動命令を受け取り、新たな任務と向き合う中で、コウはある文書に目を留めた。
艦名:アルビオン
前任艦長:エイパー・シナプス大佐
新任艦長:ブライト・ノア大佐
そこに記されていた文字は、明確に過去を否定するものではなかった。
むしろ──アルビオンが歩んできた戦歴を正しく受け継ごうとする意思が、そこにあった。
この艦は、デラーズ紛争という激戦を潜り抜けた艦であり、かつての艦長、乗員たちの記憶を積んでいた。
新たにその歴史に名を刻もうとするブライト・ノアも、そしてムラサメチームの責任者――アイン・ムラサメも、それを無視していない。
あのアインが、名ばかりのティターンズとしてではなく、自らの意志と信念で、この艦とクルーを導こうとしている姿を、コウは確かに目にしていた。
(……だからこそ、信じられる)
遠く、整備ドックの向こう。
テスト機の整備を視察しているアインの姿が見える。
キースのように、モーラのように。
あるいはかつてのバニング大尉のように。
──ならば、俺もまた。
そう思った時、ほんの少しだけ、かつて胸に沈めた過去が、重力を失って宙に舞い上がったような気がした。