ムラサメさん家のイチバン=サン   作:星乃 望夢

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第19話 選別の時期が来ているのかもしれんな

 

 クワトロとの短くも重い対話を終えたカミーユ・ビダンは、胸の奥に渦巻く感情を持て余していた。

 

 怒り、困惑、そして言いようのない不安。

 

 そのすべてをひとつの言葉にまとめる術もないまま、彼はふらりとアーガマのハッチを抜けて、外気の漂うドックの通路へと出ていた。

 

 深く息を吸い込む。

 

 月面都市アンマンの空気には無機質な冷たさがあったが、それでも艦内よりはずっとましだった。

 

 重く湿った思考を薄めようと、カミーユは歩を進める。

 

 だがその時──彼の視界に、見慣れた背中が映った。

 

「……ファ?」

 

 彼女は混雑する入管前のカウンターで、明らかに困った様子で立ち尽くしていた。

 

 周囲の人々に押され、何かを説明しようとしているが、職員に遮られている様子が窺える。

 

 思わず駆け寄ったカミーユは、彼女の名を呼んだ。

 

「ファ! どうしたんだ、何か困ってる様に見えたけど」

 

 ファ・ユイリィは一瞬きょとんとしたが、カミーユの顔を認めると、すぐにその表情は涙に歪んだ。

 

「それが、あたしだけじゃ難民申請が通らないって」

 

「なんだよそれ、おかしいだろ」

 

 怒鳴りつけたい相手はここにいない。

 

 だが、それでもカミーユは入管の職員に向かって詰め寄った。

 

「この子は避難民だ! 両親がいないからって、何で受付が通らないんだ!」

 

 職員は淡々とした口調で応じる。

 

「未成年者の単独申請には保護者の同伴が必要です。現在、申請者はティターンズによる……」

 

 言葉の途中、割って入ったのは、静かな、それでいて通る声だった。

 

「──もしよろしければ、私が間に入りましょうか?」

 

 カミーユが振り向くと、そこには整った顔立ちの青年が立っていた。

 

 薄い色の金髪に、どこか異国の香りすら感じさせるその姿。

 

 だが、その瞳には不思議な優しさと洞察が宿っていた。

 

「アイン・ムラサメと申します。アルビオン副長です」

 

 青年──アインは名乗ると、手にしていた端末を操作し始めた。

 

 淡々と手順を踏むその様子に、入管職員も口を挟めず黙って見守る。

 

 やがて彼は画面を指し示して言った。

 

「……案の定、彼女に対してティターンズ本部から捜索届が出されています。理由は“親族による反政府活動の疑い”。つまり、このまま入管を通せば彼女の身柄は軍に引き渡されることになります」

 

「──!」

 

 カミーユは息を呑み、ファは肩を震わせた。

 

「それじゃ、ファも……」

 

 「……ですが」とアインは言葉を続ける。

 

「現在、彼女は独立艦隊である我々アルビオンの輸送対象としてここに到達しました。その法的立場において、我々の保護下にあると言っても差し支えありません」

 

「……つまり?」

 

「申請の代替手段として、アルビオン、またはエゥーゴ所属の艦──アーガマへの一時的な乗艦措置が可能です。ティターンズからの身柄要請があっても、その間は“軍保護下にある”として処理できる」

 

「なんだそれ……結局、軍のどっちかに匿われるってことじゃないか!」

 

 カミーユは思わず声を荒げた。どこへ逃げても軍、軍、軍。

 

 それが連邦であれティターンズであれ、結局人の生死を握るのは“立場”だった。

 

「でも、少なくともティターンズに正式に引き渡されるよりは、よほど安全です。彼らが“尋問”と称して、どういったことをするかは──カミーユさん、あなたが一番ご存知では?」

 

 その言葉に、カミーユの中で何かが凍った。

 

 ──母の死。尋問。高圧的なMP。自分を無力と知ったあの瞬間。

 

 彼の心を灼いた記憶の炎が、再び立ち昇る。

 

「……なんでだよ……!」

 

 絞り出すように吐いた声には、怒りと悲しみと、どうしようもないやるせなさが滲んでいた。

 

「なんで……最初から、こんな部隊があったなら……!」

 

 その叫びに、アインは静かに視線を落とした。言葉を選びながら、それでも凛とした声で応じた。

 

「──僕にも、分かりません。ただ、誰かが“必要だ”と気づいたときには、既に手遅れなこともある。……でも、今ならまだ、間に合うかもしれません」

 

 それはどこか、祈るような響きだった。

 

 カミーユはファの肩をそっと抱き寄せる。彼女の身体は小さく震えていた。

 

 この手の中にある、たったひとつの命。それを守るために、自分は何を選べばいいのか。

 

 アインは、小さく息を吐いた。

 

 自身の端末に目を落としながら、淡々と、それでいてどこか優しさを滲ませる口調で言葉を継いだ。

 

「……選択肢は、そう多くありません」

 

 その場に漂っていた緊張の気配を和らげるように、彼は視線をカミーユとファへと向ける。

 

「現時点でファ・ユイリィさんが正式に難民申請を通すのは困難です。ティターンズの捜索要請が通っている限り、それは不可能に近い。だとすれば、軍の保護下に置く以外に彼女を守る手段はありません」

 

 言いながら、アインは静かに肩を竦めてみせた。

 

「……選んでいただく必要があります。アルビオン、もしくはアーガマ。どちらかの艦に身を寄せるという選択を」

 

 ファは一瞬、迷うようにカミーユの顔を見上げた。

 

 そして──カミーユの左腕が、自分の肩に添えられていることをようやく実感として受け止めた。

 

 その手は、震えていなかった。

 

 けれど、彼の瞳の奥には不安と焦燥、そして何よりも真剣な祈りのような何かがあった。

 

 その視線に、ファは気づいた。

 

 気づいて、微笑んだ。

 

「……私、カミーユと一緒に居たい」

 

 短い、けれど決して迷いのない言葉だった。

 

 カミーユは、それを聞いた瞬間──内心を静かに突き刺されるような感覚に包まれた。

 

 あの時、自分がガンダムMk-Ⅱに手を出さなければ。

 

 あの時、もう少しだけ理性が働いていれば。

 

 ファの両親は、こんな目に遭うことはなかった。

 

 優しかった彼女の父も、笑顔の絶えなかった母も、きっと今頃はティターンズのどこかに連れ去られ、まともな扱いなどされていないだろう。いや、最悪──すでに……。

 

 想像を振り払うように、カミーユは唇を噛みしめた。

 

 自分のせいで、彼女は、たった一夜にして家族も居場所もすべてを失った。

 

 ──それでもなお、カミーユの腕の中で、「一緒に居たい」と言ってくれる彼女が居る。

 

 その現実に、彼の胸は苦しみと同時に、何か熱いものに包まれていた。

 

「……オレが、守るよ」

 

 低く、震えるような声で、カミーユは言った。

 

「ファを……オレが守る。もう二度と、誰にも傷つけさせない」

 

 震えていたのは、きっと自分のほうだった。

 

 けれどその言葉に、ファは小さく微笑んで頷いた。

 

 アインはその様子を静かに見届けると、再び視線を端末へと移した。

 

「……了解しました。ではファ・ユイリィさんは、アルビオンとアーガマの協定に基づく一時避難措置の下、カミーユ・ビダン少尉の監督下においてアーガマへ一時的に身を寄せる、ということで手配を進めます」

 

 その口調は冷静だが、どこか「助けになれて良かった」と言いたげな含みがあった。

 

「ティターンズからの問合せについては、アルビオンとアーガマの間に設定された中立地帯での保護措置として正当化できます。エゥーゴ側への政治的負担も最小限になるでしょう」

 

 すらすらと手続きを進めるアインの姿に、カミーユはふと、奇妙な感情を抱いた。

 

 この人は、ティターンズの人間じゃないのか?

 

 こんなにも理性的で、思いやりがあって、何より人の痛みに寄り添ってくれる人が、どうして“あのティターンズ”にいるのか。

 

「──アインさん」

 

 気づけば、カミーユは問いかけていた。

 

「……なんで、そんなに親切なんだ? あんた、ティターンズの副長なんだろ?」

 

 問い詰めるような口調ではなかった。純粋な疑問だった。

 

 アインは微笑んだ。

 

 どこか寂しそうで、けれど確信に満ちた、覚悟の滲む笑みだった。

 

「……僕は、ティターンズに属してはいますが、“ティターンズになりたい”と思ったことは、一度もありませんよ」

 

 それだけを言うと、アインは端末を折り畳み、二人に向かって軽く頭を下げた。

 

「しばらくは、軍の手続きに従って艦の中で過ごしていただきます。安全のため、ファさんにはIDカードと認証バンドを用意しますので、随行者としての登録もあわせて」

 

 カミーユはしっかりと頷いた。ファも、ぎこちなくではあるが、目に涙を浮かべたままうなずいた。

 

 これが、正しいことなのかどうか、誰にも分からない。

 

 けれど、今できる最善を選び、守るべき人を守る。

 

 それだけは、きっと間違いじゃない。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 アーガマ艦内、レクリエーションルーム。

 

 その空間に、アーガマ艦長ヘンケン・ベッケナーを始め、エゥーゴの指導者ブレックス・フォーラ、そしてクワトロ・バジーナ──いや、シャア・アズナブルと呼ばれる男が顔を揃えていた。

 

 そこに足を踏み入れた少年の姿に、室内の空気が一瞬、緊張に包まれた。

 

 アイン・ムラサメ。

 

 ティターンズの制服に身を包みながらも、そこに居合わせた誰もが、その存在感の異質さに気づいていた。

 

 年若い。見た目はまだ十八歳にも満たないほどの少年である。

 

 だが──。

 

「ムラサメ試験部隊、アイン・ムラサメ少尉です。ファ・ユイリィ嬢の身柄保護に関する協定履行のため、関連書類および照会データをお持ちしました。お時間を頂き、ありがとうございます」

 

 淀みのない挨拶。丁寧でありながら、どこか軍人としての芯を感じさせる口調。

 

 そして何より、その場に居並ぶ歴戦の軍人たちを前にして、臆する素振りは一切なかった。

 

「……君が、アインか」

 

 クワトロが、ゆっくりと立ち上がる。

 

 彼の視線はまっすぐにアインへと注がれていた。

 

 グリプス潜入時、確かに感じた。あのモビルスーツの中にあった、思想と信念。まだ形になりきらぬ、青く、脆く、けれどひどく真摯な――何か。

 

「初めて顔を合わせるが、あの時、共鳴したのは……間違いではなかったらしいな」

 

「その節は、ご無礼を。状況が状況とはいえ、交戦に至ったこと、お詫び申し上げます」

 

 そう言って頭を下げるアインに、クワトロは目を細めた。

 

 やはり只者ではない。丁寧語の裏に、確固とした自我と意志がある。軍の権威に縋らず、自らを律し、動こうとする意志の強さだ。

 

 そんなアインの肩越しに、続いて入ってきた女性の姿に、エゥーゴ側の面々は小さく反応した。

 

「エマ・シーン中尉?」

 

 驚きを隠さず声を漏らしたのは、ヘンケンだった。ブレックスも、その存在を予期していた様子はない。

 

「ええ。今回の同行は、私の申し出です」

 

 そう答えたエマは、視線をブレックスへと向けた。

 

「アイン・ムラサメ少尉は、ティターンズ所属ではありますが、いわゆる主流派とは一線を画す存在です。Mk-Ⅱ返却交渉時の私の護衛、またグリーンノア1到着時の初対面、その後の諸々……この目で見て、彼の真意を信じるに足ると判断しました」

 

 ブレックスは頷きながら、改めてアインを見据えた。

 

「君の名は、聞いていた。ファ・ユイリィ嬢の保護についても、エマ中尉からの報告があった。しかし、ティターンズの制服を着た若者が、こうして我々と話をするとは……」

 

 重ねられた年輪の深みを感じさせる声。

 

 アインは、その言葉に一礼して答える。

 

「私は、ジャミトフ・ハイマン閣下直属の独立試験部隊の責任者です。部隊の目的は、戦術評価と機体開発、ならびに実戦配備における人的要因の統制。直接の上司はジャミトフ閣下のみとなります」

 

 言葉の端々に、傲りはなかった。けれど、その宣言はブレックスにとっても決して小さくはない衝撃だった。

 

 ──若い。あまりにも若い。

 

 その彼が、ジャミトフ・ハイマンと直接連絡を取れる立場にある。

 

 単なる偶然ではない。政治家としての直感がそう囁いていた。

 

「……ジャミトフは、君に何を見たのだろうね?」

 

 思わず、そんな言葉が口をついた。

 

 アインはしばし沈黙した後、静かに──だが、力強く答えた。

 

「……ティターンズの在り方です。いま、組織の内部では暴力と抑圧が常態化し、思想が形骸化しています。人間を圧迫し、支配し、それで得られる平和など、長くは続きません。私は、今のティターンズが目指す“正義”に是非を問い、可能であれば、是正したいと考えています」

 

 年若い少年の口から発せられるには、あまりにも真っ直ぐで、青く、そして理想的な言葉。

 

 しかし、その瞳には確かな火があった。

 

 理屈ではなく、経験でもなく──彼自身が見て、感じ、傷ついて、得た思想。

 

 それを受けたブレックスは、ただ静かに思った。

 

(……まさか、ジャミトフが“この理想”に何かを賭けてきているのか?)

 

 ティターンズという絶対権力を掌握し、いまや連邦軍の中枢すらも手中に収めつつある男が、なぜこのような“危うい光”を保つ少年を傍に置くのか。

 

 あるいは、それこそが──

 

「アイン・ムラサメ少尉」

 

 ブレックスは、改めて真っ直ぐな声で呼びかけた。

 

「君の信じる道が、本当に正しいと証明される日が来ることを、私は願おう。そして、今回の件に関してエゥーゴは深く感謝する。我々の理念に反しない、スペースノイドへの人道支援を受け入れてくれたことを」

 

「恐縮です。これも、私個人の判断に基づく行動です。ジャミトフ閣下がどう判断するかは……今後の私の言動にかかっていると存じます」

 

 まっすぐに返す少年の姿に、ヘンケンもまた息を吐いて笑った。

 

「大したもんだよ、おい。うちの若い連中なんて、まだ青臭さだけが先走ってるのに」

 

「……そうだな。だが、“青さ”こそ、時に最も強い信念になる」

 

 クワトロの呟きに、アインの瞳がわずかに細められる。

 

 その金色の仮面の奥にある素顔を──彼は、知っている。

 

 彼の掲げた“理想”の断片が、今もそこに確かに存在しているのを、アインも、そしてクワトロも、知る由もなかった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

宇宙世紀0087年、月面都市アンマン港内 アルビオン艦内・独立試験部隊司令官私室

 

 アイン・ムラサメは艦内端末の前に座っていた。

 

 小型のホログラムディスプレイには、報告書の最終確認項目が淡々と流れていく。

 

 眉一つ動かさず、その全てに目を通し、誤りがないことを確認すると、彼は静かに送信キーに指を添えた。

 

 報告送信先:ティターンズ本部/ジャミトフ・ハイマン閣下私設直通回線

 

 件名:月面アンマン宙域入港および人道支援事案の報告

 

 送信者:独立試験部隊司令官 アイン・ムラサメ

 

 

---

 

報告書本文抜粋/ティターンズ私設ルート通達文書

 

> 閣下。

 

以下、現時点における「アルビオン」運用および周辺状況に関する報告を上奏いたします。

 

当部隊は、閣下より下命されていた再編・再配備後の航宙試験と人員再調整を兼ね、アレキサンドリアが停泊中のグラナダ港の利用を当初予定しておりました。

 

しかしながら、ジャマイカン・ダニンガン少佐より「当区域は現在ティターンズ正規戦力運用に用いられており、再整備に名を借りた独立部隊の出入りは混乱を招く」との意向が通達され、当部隊は別途入港地を選定せざるを得なくなりました。

 

その結果、現在の中立宙域に近い月面都市アンマンへの寄港を決定。

 

本入港時、「反地球連邦組織:エゥーゴ」所属の巡洋艦アーガマが既に同港内へ停泊していたことが確認されました。

 

敵対可能性を警戒しつつ、即時に通信回線を開き、現地責任者と接触── こちらの意図が戦闘目的でない旨を伝達したところ、同艦側からも人道支援上の便宜を申し出る提案があり、現場判断によりこれを受諾いたしました。

 

本件は、偶発的遭遇であったアーガマとの艦隊接近を、一時的な「非戦中立地域」として再定義する形となりました。これは、同宙域にてグリーンノアから避難してきた多数の民間人の下船処理と、その後の月面入管通過のための一時的措置です。

 

該当処置はエゥーゴ側高官ブレックス・フォーラ准将と協議のうえ実施。無用な誤解や敵対行為を回避し、民間人保護を優先するとの一致を得ました。

 

また本宙域において、ティターンズ本部より通達されていた「反政府運動加担の疑いで捜索対象となった民間人」に関し、その一名──ファ・ユイリィ──が避難民の中に含まれていることを確認。

 

該当人物は未成年であり、同時に逮捕理由に明確な根拠がない(推測される容疑は、MS強奪容疑者の隣人であったという点のみ)ため、当部隊の判断としては、即時のティターンズ本部送還は「問題の火種となりかねない」との結論に至りました。

 

代替措置として、彼女の身柄を艦外出入りが制限されたアーガマ艦内へ一時的に移送し、エゥーゴ側に人的管理を委任。あくまで人道支援措置としての扱いであり、政治的判断による引渡しではない旨、強調して報告いたします。

 

この件に関連して、エゥーゴ指導者ブレックス准将との対面にて、当部隊の指揮体系──すなわち、ジャミトフ閣下直轄であること──を明確に開示。

 

同准将は、本件の一連の行動および部隊の性質に深い関心を示しつつ、現在のティターンズに対する評価、及び貴殿の示す意図を探るような眼差しを向けておりました。

 

また、元ティターンズ所属であり現在アーガマ勤務のエマ・シーン中尉が、当部隊と旧知の関係にあり、今回の協定締結においても重要な緩衝役を担っております。

 

最後に、現状において当部隊の行動がティターンズ正規戦力の意図と一線を画すものであることは、いかなる情報網を通じても明白な事実と見なされることが予測されます。

 

これをもって、我が部隊が「暴力と抑圧による威圧型平和」に対して、是正の道筋を模索しうる内的機関たり得るのか。あるいは、ジャミトフ閣下のご判断に従い、いずれの道をも許容しうる武装試験部隊として運用されるのか──今後の展望を賜れれば幸いです。

 

敬具。

 

アイン・ムラサメ

独立試験部隊/アルビオン艦長代理

 

 

 

 

---

 

 送信完了の表示と共に、ディスプレイが静かに光を落とす。

 

 アインはしばらくそのまま動かなかった。

 

 ティターンズの正規戦力に属しながら、エゥーゴと一時協調し、民間人を守り、政治的矛盾の火種を抱える。

 

 自分が行った判断が、果たして正しかったのか──いや、そもそも正解など存在しないのか。

 

 ただ、目の前で泣いた少女のために、行動を選んだ。

 

 それだけは、偽ることのない、確かな事実だった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 ローテーブルの上に、薄い紙束が静かに置かれた。

 

 ティターンズ特務諜報部を経由した独立試験部隊の定時報告。

 

 だが、それがジャミトフ・ハイマンの手元に直送されているという事実そのものが、これが単なる事務報告ではないことを物語っていた。

 

 報告書は、アイン・ムラサメの手で直接まとめられたものだ。

 

 文面は丁寧かつ正確で、冗長さも省かれている。

 

 各判断には論拠が添えられ、主観と客観が明確に分離され、最終的な行動とその動機までもが冷静に記されていた。

 

 ──グラナダへの入港をジャマイカンに拒まれ、避難民を抱えたままアンマンへ寄港。

 

 ──アーガマとの通信と接触、下船協力の要請、ブレックス准将と面会。

 

 ──民間人保護における手続きと、それに伴う一時的中立地帯の形成。

 

 ──そして、カミーユ・ビダンという民間人の関与が巻き起こした波紋と、その仲介。

 

 読み終えたジャミトフは、報告書を軽く伏せ、背凭れに体を預けた。

 

 ──ジャマイカンめ。

 

 口には出さない。だがその名を思い出した瞬間、眉根がわずかに寄った。

 

 「グラナダを使うな」

 

 その命令が文脈から読み取れた時点で、ジャミトフはすべてを理解していた。

 

 私情と猜疑心に基づいた愚策。

 

 ジャマイカン・ダニンガン。

 

 忠誠心は高いが、過去の遺産に囚われた旧態依然の軍人。

 自らを“ティターンズの正統”と信じて疑わず、後進を育てる素養にも欠ける。

 

 およそ異端や革新の芽を認めず、統制による支配だけを善とする思考は──もはや「死に体」に等しい。

 

 次に脳裏をよぎったのは、バスク・オム。

 

 ──獣だ。

 

 あれは戦争のための存在。

 

 政治や理念を解さぬ。

 

 強大な武力を揮うための“最終兵器”であり、むしろ「檻の中で鎖に繋いでおくべき男」だった。

 

 だが今や、その獣には牙を剥く自由さえ与えてしまった。

 

 それを制御できるのは、今や自分しかいない。

 

 ……そして、アイン・ムラサメ。

 

 ジャミトフは報告書の一文を思い返した。

 

 >「私は軍人として、人命を預かった以上、責任を全うする義務があります」

 

 >「その中でティターンズが、現在のような暴力的手段を常とするのであれば、

 

 > 私はそれに対して、軍人として是非を問い、正したいと考えています」

 

 ──青い。

 

 まだ十八、十九にも満たぬ少年にしては、あまりにも「真面目」すぎる言葉だった。

 

 だがそれは、虚飾ではない。建前でもなかった。

 

 ジャミトフは、アインの本質が「理想に忠実な現実主義者」であることを知っていた。

 

 戦術においては無駄を嫌い、政治の駆け引きも冷静に見据える目を持つ。

 

 それでいて、民間人の命を預かれば責任を背負うという覚悟を持って行動する。

 

 その姿勢は、バスクやジャマイカンには決して持ち得ないものだった。

 

 ──バスクは動かせぬ剣。

 ──ジャマイカンは鈍った盾。

 ──そして、アインは──変化を促す小さな火種だ。

 

 燃やすにはまだ頼りない。

 

 だが、この腐敗しきった軍機構に、真っ直ぐ火を点けるには、これ以上の器はない。

 

 静かな執務室。

 

 合金と革張りの重厚な椅子に背を預け、ジャミトフは報告書の文面を再読した。

 

画面には、〈独立試験部隊アイン・ムラサメ少尉〉から提出された詳細な行動報告が表示されている。

 

 ──グラナダ入港の回避、アンマン進路変更。

 

 ──アーガマとの偶発的な遭遇と非戦的接触。

 

 ──中立地帯の一時的形成。

 

 ──ティターンズ本部による民間人の捜索通達。

 

 ──捜索対象の保護措置と身柄の手続き。

 

 ──ブレックス准将との接触、その応対内容。

 

 そのどれもが、政治的には綱渡りの連続であり、軍紀に照らしても脆いバランスの上に成り立っていた。

 

 しかし──その文体は理路整然としており、動機の説明に歪みがない。

 

 ジャミトフは無言のまま、報告を最後まで目で追った。

 

 静寂が支配する。

 

 背後に従者も秘書も置かない、帝王の孤独な空間だ。

 

 ──バスク・オム。

 

 一つの名が、彼の脳裏を過った。

 

 制御は不可能ではないが、限界がある。

 

 彼の苛烈さは時に必要だが、制御できぬ力は国家をも腐らせる。

 

 そして──

 

 ──ジャマイカン・ダニンガン。

 

 模倣の器。

 

 命令に忠実すぎるがゆえに、事の本質を読み違える。

 

 民間人を抱えたアルビオンをグラナダに入れず、アーガマの前に突き出す愚──。

 

 その一手が何をもたらすかを、あの男は考えない。

 

 その結果が、今この報告書にある。

 

「……やはり、あの少年は本物か」

 

 口に出すことなく、眉間に深く刻まれた皺の奥で思考が絡み合う。

 

 アイン・ムラサメ。

 

 まだ十八、軍人としては駆け出しの年齢。

 

 しかし──その行動の一つ一つは、バスクにも、ジャマイカンにも、そして凡百の士官にも決してできない。

 

 なにより彼は、自ら“正しいこと”を選び、その“正しさ”に責任を持って動いた。

 

 暴力で敵を封じるでもなく、陰謀で敵を貶めるでもない。

 

 ──理念で、理性で、行動した。

 

 まるで昔日の“地球連邦軍人”の姿をなぞるかのように。

 

「青臭い理想だ」と片付けるには、あまりにも冷静で、狡猾さすら感じさせる判断だった。

 

 あの少年は、ブレックスの思惑すら見透かした上で、ティターンズ内部に存在し得る“第三の答え”として自らを置いている。

 

 まだ若い。だが、若いからこそ怖い。

 

 時間は彼に味方する。

 

腐った上層部の中で、彼のような芽が静かに根を張っていくならば──。

 

 

 

「……選別の時期が来ているのかもしれんな」

 

 椅子の肘掛に添えた手が、小さく鳴った。

 

 それはバスクでも、ジャマイカンでもない。

 

 “軍を正す力”として、自らが育てるに値する人物。

 

 ジャミトフは画面を閉じた。

 

 バスクへの連絡はしない。

 

 ジャマイカンへの叱責もない。

 

 沈黙こそが、裁きである。

 

 そして沈黙の裏で、彼は既に次の布石を検討し始めていた。

 

「……アイン、お前は“答え”を見せることができるのか」

 

 無音の空間に、思考だけが反響する。

 

 今、ティターンズの中に、一つの異物が混じった。

 

 だがその異物こそが、ジャミトフが望んだ“軍の再定義”を具現化するものになるかもしれない。

 

 だからこそ、あえて何もせず──見守る。

 

 それが、ジャミトフ・ハイマンという男の選択だった。

 

 

 

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