月面都市アンマン・アルビオン艦内ブリッジ。
艦内に警報は鳴っていない。
だが、張り詰めた空気は、戦場寸前の空気そのものだった。
「敵艦隊、こちらの監視圏内に進入。アレキサンドリア級、サラミス改ボスニア、サチワヌと確認されました」
冷静な通信士官の声に、ブリッジの面々が一斉に緊張を帯びる。
艦首をこちらへと向け、じりじりと迫る艦影──ティターンズ主力艦隊が、明らかに“こちら”を意識した布陣を取っていた。
「来ますね。……ブライト艦長」
指揮席の傍ら、作戦責任者として立っていたアイン・ムラサメが静かに言った。
肩章は未だ「少尉」のまま。
それでもこの艦隊では、彼が指揮系統の上に立っていた。
扉が開く。
やや慌ただしく入ってきた男──ブライト・ノアが、状況モニターに目を走らせた。
「ティターンズ艦隊……“そろってお出まし”か。見事な布陣だ」
「ええ、完全にこちらをロックしています。威嚇ではない。“構える姿勢”です」
アインの言葉に、ブライトは眉をひそめた。
「……本当に、ティターンズ本隊と事を構えるつもりなのか? 少尉」
その問いに、アインはほんのわずかに視線を落とした。
(──少尉、か。やはりこの階級で艦を預かるのは異様か)
だが、すぐに顔を上げて答える。
「向こうが撃ってくるのなら、自衛程度の対応は当然です。こちらから手を出す意志はありません」
その声には年齢も階級も感じさせない、鋼の意志がこもっていた。
そして、ふと目を細める。
「ですが……アンマンはあくまで中立の港湾都市。ここで交戦が起これば、被害を被るのは市民です」
とある記憶が脳裏をかすめる。
──港が攻撃され、出航できなくなる。
だが、彼はそれを口にしない。ただ静かに続ける。
「私は連邦軍の軍人として、スペースノイドであれアースノイドであれ、市民の生命と財産を守る義務があると考えています」
「……“市民を守る”か」
ブライトは目を細めた。
その言葉が、自分がかつて守ろうとした少年たちの顔を呼び起こす。
アムロ、カイ、ハヤト──。
皆、何かを守るために銃を持った。
大人に振り回されながらも。
「……それでこそ、軍人だな」
「ありがとうございます」
「だが……君は、少尉だぞ」
ブライトはようやく、率直な疑問を口にした。
「いくらジャミトフの直轄とはいえ、本来であれば、ここに立つべき責任は少尉の肩には重すぎる」
「分かっています」
アインは真っ直ぐに答える。
「しかし私は、それでも“背負ってしまった”以上、最後まで責任を果たしたい。それが軍人としての自覚だと……自分なりに思っています」
しばしの沈黙。
そして、ブライトは頷いた。
「分かった。……ならば艦長として言っておく。君の判断に従おう。ただし、艦とクルーの命、それに見合うだけの覚悟はあるか?」
アインは、ためらいなく答えた。
「──はい」
言い切ったその言葉に、若さも階級も意味を持たなかった。
そこにはただ、“軍人としての矜持”があった。
モニターの向こうで、アレキサンドリアの艦首がこちらへと回頭していく。
それは明確な敵意の証明──戦端が開かれようとしていた。
◇◇◇◇◇
「……通信を開け。宛先は地球連邦軍所属ペガサス改級強襲巡洋艦《アルビオン》、艦長ブライト・ノア大佐」
命令とともにジャマイカンは背筋を正し、凍てつくような声色で続ける。
「発令内容はティターンズ名義で、私が伝える」
ティターンズの艦であるアレキサンドリアは、すでに中立港アンマン近傍に浮かび、距離を保ちつつも射程圏に入っていた。
間もなく、アルビオン艦橋モニターにブライト・ノア大佐の姿が映る。
後方には、例によって無言のまま控えるムラサメ少尉の影。
(やはり……主導しているのはあの若造だな)
ジャマイカンの口角がわずかに歪む。
「ブライト大佐。ティターンズ所属、アレキサンドリア艦指揮官──ジャマイカン・ダニンガン少佐である」
自分が「少佐」でありながら、対外的には“ティターンズ命令”として階級以上の権限を振るえる構図。
それを最大限に利用する意図が透けていた。
だが相手は、正規の連邦軍大佐であるブライト・ノア。
ティターンズの越権が、ここでは通用しない。
「このたび、我々ティターンズは、貴艦《アルビオン》の行動と、搭載機体の保有状況について、極めて遺憾な報告を受けている。……艦内にて運用されているMS《ガンダムMk-Ⅱ》についても含めて、である」
「確認ですが、ジャマイカン少佐」
ブライトの声は落ち着いていた。
「当艦に搭載されているMk-IIは、開発試験機のナンバー4。貴部隊のマークが施された1号機から3号機とは明確に異なる、予備パーツを基に組まれた試験用機体です。貴隊の管理対象ではないはずですが?」
「ふん……詭弁だ」
ジャマイカンは吐き捨てるように言った。
「型式が同一である以上、現場では即応戦力としての資産だ。ティターンズが保有権限を主張することに何の不都合がある」
その瞬間、ブライトの背後でアインが小さく舌を打った。
思考が浅い。
自分の艦隊にあった1号、そしてグリーンノアで奪われた2号機と3号機の苛立ちを、今この場で正当化しようとしているだけだ。
ジャマイカンは言葉を継いだ。
「さらに言えば──貴艦が、現在反連邦組織《エゥーゴ》所属艦《アーガマ》と同一港に並列で停泊し、補給ルートを事実上共有しているという点において、当方としては貴艦の中立性に強く疑義を抱いている」
「それはこちらの台詞だ」
ブライトが視線を鋭くし、口を開いた。
「当艦《アルビオン》は、ティターンズ命令に基づいてムラサメ研究所の試験部隊を乗せ、現在はそのテストと避難民救助任務を兼ねてアンマン港へ入港している。中立港湾における補給は、あくまで港湾管理局を通じての正規手続きによるものだ」
「反論は聞いていない、大佐。──命令を伝える」
ジャマイカンは背筋を伸ばし、モニター越しに言い放つ。
「《アルビオン》はティターンズの監視下に入り、72時間以内に当該港から出港、グラナダのティターンズ基地へ移動せよ。それまでに命令に従わない場合、我々は《反政府活動に加担している部隊》として扱う」
モニターの向こうで、アインが一歩進みかけたのを、ブライトが手で制した。
「確認します。アンマン宇宙港は中立地帯であり、港湾設備に民間人が多数存在します。……少佐、そちらはその点を把握した上での行動ですか?」
「それがどうした。軍の秩序を維持することこそが優先される」
「ならば私は、連邦軍の大佐として、民間人の財産と命を守る義務を優先する。……命令には従えない」
ジャマイカンの顔が強張った。
「……その言葉、しかと記録しておく。艦長の君だけではない。背後で操っている、ムラサメ少尉ともどもな」
通信が切れる。
静寂。
ブライトが振り返った。
「……あの男、本気だ。どうやらこちらが何を言おうが、撃ってくるぞ」
「港を破壊するなら、民間施設ごと吹き飛ばすつもりでしょう」
アインが低く答える。
「……原則的には、それは連邦軍軍人としてあるまじき行為です。市民を危険に晒す行為は、たとえ反政府組織を叩くためであっても、我々の本分から外れる」
ブライトはしばしアインを見つめたのち、頷く。
「言いたいことは分かった。少尉」
そして艦橋全体へ声を飛ばす。
「総員第一警戒態勢。モビルスーツ隊は即時出撃可能状態に移行。迎撃準備はするが……こちらからは、最後まで撃つな」
「了解」
アインが力強く応じた。
──戦いは、始まろうとしていた。
だがそれは、ただの戦火ではない。
軍人としての信義と理想、それを賭けた火蓋だった。
◇◇◇◇◇
「──命令には従えない」
ブライト・ノアの明確な拒否とともに、通信は終わった。
アーガマ艦橋に設置されたサブモニターでは、ブライトとジャマイカンのやり取りを副回線越しに傍受・録画していた。
港湾管理局を介した正式な防衛協定の一環として、両艦の通信は互いに監視下に置かれている。
もちろん、意図的にそれを見せた可能性もある。
誰よりも早く反応したのは、ヘンケン・ベッケナー艦長だった。
「……おいおい、あのブライト艦長が、真正面からティターンズに楯突いたぜ。いや、"連邦の大佐"としての筋を通したってのが正しいか?」
半ば驚嘆、半ば感嘆の混じったような声だった。
「奴さん、見た目よりもずっと骨があるようだな。そりゃあ、ペガサスからの生え抜きか。伊達じゃないってことか」
ヘンケンはモニター越しのアインの姿をちらりと見て、目を細めた。
「……それにしても、あの少尉。ブライト艦長を盾にしつつも、ちゃっかり後ろから釘を刺してやがる。たいした度胸だ」
背後から足音が響く。
「感情ではなく、理念を通したな」
クワトロ・バジーナ大尉が、ゆっくりと艦長席脇へ歩み寄ってきた。
赤い制服、金色の髪とサングラスの奥に、沈着した鋭さが宿る。
「ティターンズを正面から否定することなく、あくまで“市民を守る連邦軍の軍人”として対応した。あれは……こちらの旗印に似ているが、我々とは違う立場から同じものを見ている」
「味方にできれば頼もしい存在だが、そう簡単にはいかんだろうな」
ヘンケンが腕を組んで言った。
「ジャマイカンが仕掛けてくるとなれば、こっちも港の防衛を強化しなきゃならん。……准将、どうします?」
問われて、艦長席の後ろに控えていたブレックス・フォーラ准将が、深く静かに息を吐いた。
「アイン・ムラサメ少尉……」
彼は小さく名を呟いたあと、補佐官に視線を送る。
「記録を副本として保存。今の交信内容、および少尉の発言を、グラナダ本部にも転送しておけ。アンマン港湾局へは、非戦闘民保護のための臨時対策として防衛協力の意思を通達する」
補佐官が頷き、手元の端末に操作を始める。
「……我々エゥーゴは、スペースノイドの自由を求めて立ち上がった。だが、それは同時に、市民の生命と生活を守るという一点において、あの少尉の掲げた理念と矛盾しない」
「准将。出方によってはティターンズと正面衝突になりますぜ?」
「避けられぬ時が来れば……それもまた、我らの覚悟の一つだ」
静かな声のなかに、確かな決意があった。
「だが今はまだ、その時ではない。──エゥーゴは、先に武器を取るべきではない。あくまでも民間人と港湾施設を守るという姿勢を堅持しろ。挑発に乗るな」
「了解」
ヘンケンとクワトロが声を揃える。
「クワトロ大尉。カミーユたちMS部隊には、即応待機命令を。……必要なら、アルビオンと共同作戦も視野に入れてくれ。港湾内に入ってこられた場合の対抗措置も念頭に置いておいてほしい」
「了解しました。……准将。お言葉ですが」
クワトロが一歩前に出て、やや声を低くする。
「アイン少尉の考え方──あれは連邦軍人の理想として、非常に正しい。だが、その“正しさ”が、現体制にとって最も危険であることも、お忘れなきよう」
「……分かっているとも。だからこそ、目を逸らすわけにはいかんのだよ、クワトロ大尉」
ブレックスは立ち上がった。
「我々と異なる道を歩んでなお、正義を志す者がいる。ならばそれを“理想主義者の独り善がり”で切って捨てるのは、ティターンズと何も変わらぬ」
「……正しいだけでは生き残れない世界です」
クワトロが静かに呟く。
「だが、正しい者がいなければ──その世界は間違い続ける」
ブレックスはそれだけを言い残し、艦橋を後にした。
残されたヘンケンは、ふぅと煙草を吸い込んでから、ぼそりと呟いた。
「……正しさで、火薬は消せねぇがな。やれやれ、厄介な時代だぜ」
宇宙港アンマン。
穏やかに浮かぶ艦隊の間で、火種は静かに、その輪郭を顕にしつつあった。
◇◇◇◇◇
港湾局との通信映像は、静かな広間を映していた。
清潔で、白を基調としたオフィス空間。
中年の港湾局代表とその補佐官たちが、互いに目配せしながら、正装でモニターの向こうに姿を現す。
『──今回の状況を踏まえ、当局としては港の安全を第一に考え、貴艦アルビオンとアーガマの両艦による共同防衛協定を提案させていただきたい』
言葉は穏やかだった。だがその裏には、明確な「責任転嫁」の意志が潜んでいた。
それを、アインは見逃さなかった。
彼はオブザーバーシートから立ち上がり、制服の襟を正す。画面の向こうに映る港湾局職員たちに対し、感情を見せぬ冷ややかな声で返答する。
「申し訳ありませんが──その提案は受けかねます」
『ほう……理由を伺っても?』
港湾局の代表は、やや驚いた表情を浮かべた。
アインは頷いた。
「本件は、あくまで我々ティターンズ内部の指揮系統の齟齬に端を発する問題です。現在アレキサンドリア艦は、我がアルビオン艦隊に対し明確な敵意を示していますが、これは“内部問題”であり、そこにエゥーゴの旗艦アーガマを正式に巻き込めば、事実上──反政府勢力との連邦軍内部衝突を全世界に示すことになります」
室内が、わずかに緊張に包まれた。
「……それが何を意味するか、お分かりでしょう?」
アインの声は、先ほどよりも低くなっていた。
「地球圏全体を巻き込む戦火の火種となりかねません。中立港である貴局が、そこに加担したと取られれば、港湾局の名誉にも関わるでしょう」
補佐官が、慌てて代表に耳打ちする。
画面越しでも、その空気は伝わった。
『では、防衛が破られた場合──我々はどうすれば……』
「自衛は許可されています」
アインはそれを断言した。
「アーガマには、いかなる場合でも“自衛以外の戦闘行為を禁じる”旨、既に通達済みです。そちらも、彼らが無闇に戦闘行為に加担することを懸念しておられるのでしょう?」
『……それは』
「共同防衛という名目で“火中の栗”を我々に拾わせるのであれば、はっきりさせておきましょう」
アインの言葉に、空気が一段と重くなる。
「この協定を結ぶのであれば──貴局は、地球圏に住まう百億人の命と運命を背負うことになります。それが港湾局としての決断であるのなら、我々はそれを尊重します。……ただし、歴史は、それを記録するでしょう」
重く、明確な“問い”だった。
港湾局の代表は唇を噛み、やがてうつむいた。
『……この件は、いったん本部に持ち帰り、協議させていただきます』
それを最後に、通信は切断された。
重苦しい空気の残る艦内通信室。
アインが背筋を伸ばしたまま無言で座席に戻ると、後方から控えていたブライト・ノアが、疲れたように肩をすくめた。
「……ずいぶん、強く出たな」
「脅し過ぎだったでしょうか?」
アインは表情を変えずに返す。
ブライトは口元をひくつかせた。
「まあ……港湾局が尻込みしたのは事実だが……それじゃあまるで、俺たちが大義のために戦ってるみたいじゃないか。こんな泥仕合の中でな」
アインは、ようやく視線を合わせた。
その目には、曇りのない硬質な意志があった。
「……なし崩しに“正義の盾”にされては堪りません。放っておけば、あの港湾局は“我々がエゥーゴを巻き込んだ”という既成事実に乗っかる気でした」
「……港が被害に遭えば、黙っていても責任を押し付けられる、か」
「ええ」
アインは頷く。
「ですから今のうちに釘を刺しておかないと、“防衛失敗は軍の無能”と報道されるか、“アーガマと癒着して内紛を起こした反逆者”と非難される。どちらも、避けねばなりません」
ブライトは、鼻で息をついた。
「……理屈は分かる。分かるがな……その覚悟、少尉の歳で背負うには、重すぎないか?」
「覚悟とは、背負わねば意味がないものですから」
アインは即答した。
「……それに、この件は港湾局も他人事では済まない。“巻き込まれる側”から、“責任を伴う関係者”へと引きずり出す必要がありました」
「強いな……いや、鋭い」
ブライトはわずかに感心したように呟く。
「だが、見誤るなよ。強い正論ほど、敵を作る。正しいからこそ、孤立する」
「その通りです。ですが──市民を守るために必要ならば、嫌われても構いません」
アインは静かに言った。
その横顔に、わずかに苦味を宿した決意が刻まれていた。
──自衛の名を借りた侵略に、口を閉ざすことは罪である。
──正義を騙る策謀に、道を譲ることは偽善である。
この港は、ただの補給地点ではない。
ここで行われる判断は、やがて宇宙世紀の“次”を決める導火線にもなりうるのだ。
ブライトはそれを見ていた。
「……俺もまた、連邦軍の軍人だからな」
ぽつりと呟き、艦長席に腰を据えた。
重く沈黙するブリッジで、アインもオブザーバーシートに座り、小さく息を吐いた。
◇◇◇◇◇
「──つまり、共同防衛を拒否した上で、こちらには“自衛以外の関与をするな”と?」
ブレックス・フォーラ准将は、通信記録の再生を終えると、眉間に深い皺を刻んだまま椅子に背を預けた。
「ふむ……冷静だな。若いが、地に足がついている」
艦長席に座るヘンケン・ベッケナーは、腕を組んでブレックスを見た。
「俺が相手だったら、ちょっとムッときますね。あれじゃ港湾局は完全に釘を刺された格好ですよ」
「ムッと来るのは、連邦の上層も同じだろうな。……だが、アイン少尉の言っていることは理に適っている」
そう呟いたのはクワトロ・バジーナ。
艦橋のモニターの隅で腕を組み、目を細めていた。
「本来、中立港に停泊する軍艦が、その中で交戦するなど言語道断だ。だが──現実にはジャマイカン少佐が、その禁を破る構えを見せている」
「なら、少尉の判断は正しいと?」
「合理的にはな」
ヘンケンへ返しながらクワトロは目を閉じた。
「彼は“政治的な爆発”を避けた。それに……あの物言いは、自分たちが矢面に立つ覚悟があるからこそ言えることだ。ブライト大佐と揃って、背中を見せない姿勢を取っている」
「まるで……本来の連邦軍らしいと言いたいのか?」
ブレックスの問いに、クワトロはかすかに苦笑した。
「皮肉ですよ、准将。今、この地球圏において“正規の軍人らしい振る舞い”をしているのが、あの若者と、かつて不遇に沈んだブライト・ノアだというのが」
「……まったくだな。連邦軍の象徴たる者たちが、今や理念を忘れ、権力に溺れ、ジャマイカンのように暴走を始めているというのに」
ブレックスは腕を組み直した。
その視線は、モニターに表示されたアルビオンの外観図に向けられていた。
「だが同時に、こうも思う。あの少尉──アイン・ムラサメという男の言葉に、我々が甘えてもいけないとな」
「……?」
「本来であれば、エゥーゴこそが“この事態”に明確な態度を取るべきなのだ。今、彼が釘を刺したのは“お前たちは巻き込まれるな”ではない。“お前たちは、下手に口を出せば泥を塗るぞ”という警告だ」
ヘンケンが首を傾げる中、クワトロがゆっくりと頷いた。
「確かに……私が逆の立場でも、同じ警戒をするでしょう。ティターンズ内の内紛に、我々反連邦勢力が手を貸すなどという構図は、あまりに不味すぎます」
「だが──その上でなお、アーガマが被害を受けた時、我々はどう動く?」
ブレックスの問いに、ヘンケンが答えた。
「それは、向こうが撃ってきた時に限る。少尉と約束した通り、“自衛”に限定するしかありませんね」
「問題は──ジャマイカンが、“それを守る相手”だと思っていないことでしょう」
クワトロは静かに呟いた。
「彼は、こちらが黙っていれば“癒着”と見なす。反撃すれば“挑発”だと喧伝する。……その手のやり口には、心当たりがある」
ブレックスは重々しく頷いた。
「ならば……我々に必要なのは、挑発に乗らず、民間人の盾を守り、なおかつ戦闘回避を最優先にする──“節度ある対応”だけだ」
そして、ブレックスは静かに口を結んだ。
「……それが“政治”という泥の中で、我々が誇りを守る唯一の術だ。彼が我々に“誇りを失うな”と暗に示したのなら──我々もまた、それに応えねばならん」
艦橋に、緊張と沈静の入り混じった空気が流れた。
静かに、しかし確かに、アーガマは次なる嵐に備えて動き始めていた。
◇◇◇◇◇
艦橋に流れる空気は、無音ではない。
艦の制御系統やレーダー更新のピッという電子音が時折、穏やかに耳を打つ。
その中で、アインはそっと肘掛け下の受話器を上げた。
コード端子が刺さった、内線回線端末。
アンマン地下通信網を介した直結回線──港湾局職員が「古いものだが、まだ使える」と冗談めかして笑っていたものだった。
今、それはアーガマの艦橋副通信端末と繋がっている。
暗号化もない。ただの回線。
その代わり、記録にも通信ログにも何一つ残らない。
受話器を上げると、短く、低い呼び出し音。
一回、二回──。
『……こちらアーガマ、ブレックスだ』
ブレックス・フォーラ准将の声は、年輪を感じさせる低さと柔らかさを持っていた。
アインは艦橋内を一瞥する。通信を耳にできる距離にいるのは、艦長席に座るブライトのみ。
他のクルーたちは、暗黙の了解で耳を貸さないふりをしている。
「こちらアルビオン、アイン・ムラサメ少尉。……非公式通信、感謝します」
「むしろ、こちらが感謝する立場だ。あれほどまでに港湾局へ釘を刺すとは。君があれを言わねば、港は我々に丸投げして傍観を決め込んでいただろう」
「戦場で傍観者の善意など、死体の上にしか生まれませんから」
即答したアインに、ブレックスは静かに笑った。
「それを“若さの衝動”と笑う幕僚もいるだろうな。だが私は、君のような軍人こそが必要だと思っている。……ティターンズの内情を、多少なりとも知る我々にとっては特に」
「准将。誤解なきよう申し上げますが──私はエゥーゴのために動いているわけではありません。あなた方が目指すものが、結果として私の理想と交差しているに過ぎません」
「……君が目指すもの。それはなんだ?」
アインはわずかに目を閉じた。
艦橋の天井に刻まれたラインを視線で辿りながら、ゆっくり言葉を継ぐ。
「“私は市民を守る、連邦軍の軍人です”。──それが私の軍人としての信条です。アースノイドでもスペースノイドでもない、“民間人”を守る。そのための軍。……それが地球連邦の軍人であるべきだと、私は思っています」
「……君は、自分を“守る側”に置くか」
ブレックスの声は穏やかだった。
「かつて我々がいた連邦軍にも、君のような若者はいた。だが、今の地球連邦軍は……いや、ティターンズは、その理想を“口にすること”すら躊躇させる風土になっている」
「だからこそ、私はそれを言い続けます。言葉が嘲笑されるなら、行動で。“軍人”がなんのために存在するのか──それを示す責務があると、私は思うのです」
ブリッジの空気が、やや張り詰めた。
隣席のブライトがわずかに視線を向けたが、何も言わずにアインの言葉を聞いていた。
「ブライト大佐のような方が艦長であることが、私の救いです。……連邦軍の腐敗に呑まれず、それでも連邦に留まり続ける軍人たち。彼らがこれからの時代にこそ必要な存在です」
「……それは、彼が君を信じているからだろう。……彼のような者が、もう少し早く“声”を持てていたら、この宇宙は違っていたかもしれないな」
一瞬の沈黙を挟み、ブレックスは続けた。
「私は、君の立ち位置を理解した。だが、これだけは聞かせて欲しい。──その信念、今のティターンズ内部で貫くには、あまりにも困難ではないか?」
「はい。ですが、壊して終わるのなら、誰が未来を創るのでしょうか。変えるのではなく、戻す。それが出来る者がいるなら、私はそのための礎になっても構いません」
アインの声は、ブレックスが今まで聞いたどんな将官の演説よりも、静かで、重かった。
「……わかった。私は君を信じよう。そして、君がその信念を折らない限り──こちらも、そちらに“銃口”を向けることはない」
「感謝します。……互いに、民間人の命を背負って動いていることだけは、忘れずにいたい」
「当然だ。こちらからの通信は、これで終わりにしよう。……ブリッジの空気も張り詰めているだろう?」
アインは口元にだけ笑みを浮かべた。
「こちらアルビオン、了解。……またどこかで」
「アーガマより、了解」
有線回線が静かに切れる。
アインが受話器を置くと、何も言わずに受話器を戻した
傍らのブライトが、腕を組んだままぽつりと呟く。
「──今の話、艦長として聞いた方がよかったのか、聞かない方がよかったのか……」
「黙っていていただければ、それで充分です。今ここにいるブリッジクルーは皆、信じていますから。……何も言わなくても、動いてくれる人たちです」
その言葉に、ブライトは小さく頷いた。
「……なら、私はその“信頼”を守ろう。君の方も……頼んだぞ、アイン少尉」
「はい、大佐」
艦橋に静かな時間が戻る。
だが、その底には、既に“共闘”という名の強固な意志が芽吹き始めていた──。