ムラサメさん家のイチバン=サン   作:星乃 望夢

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第25話 お前が“後継”だ。私の、理念の核を担う者だ

 

 隣に控えていたゼロが通信室を退出し、扉が静かに閉じる。

 

 画面の向こうで、ジャミトフはわずかに姿勢を崩すと、椅子の背もたれに体を預けた。

 

「今のティターンズを、君はどう見ている?」

 

 唐突にも思える問いかけだった。

 

 だが、それは試すようでもあり、測るようでもあり──あるいは、ただ誰かに語らせたかった問いなのかもしれなかった。

 

 アインは迷わなかった。

 

 その問いに答える言葉は、既に彼の中で形を成していた。

 

「……ティターンズは、“力”です。ですがその力は、暴力や威圧といった一方的な支配の手段ではなく、秩序を守り、理不尽に晒された人々を守るための“力”であるべきです」

 

「ふむ」

 

 ジャミトフは小さく相槌を打つ。

 

「ティターンズもまた、連邦軍の一部である以上、市民に銃を向ける存在であってはならない。力を示すことはあっても、恐怖で従わせるのは敵のやることです。我々の力が向くべきは……この混沌と腐敗に満ちた“構造”そのものです」

 

 そしてアインは、言葉を選ぶように付け加えた。

 

「私はティターンズという名の下に、“振るう力”よりも“背負う力”を体現したいのです」

 

 通信の向こう、ジャミトフの顔がわずかにほころんだ。

 

 それは笑みではなく、深い静けさを孕んだ満足の表情だった。

 

「……そう。君のような者を、私はずっと探していた」

 

 低く抑えられた声で、ジャミトフは続ける。

 

「バスク・オム。あれは力を誇示する猛獣だ。自らの牙と腕力だけで道を切り開く。

ジャマイカン・ダニンガン──旧態の亡霊に縋り、進むべき道を見失った盾だ。

だが君は……ムラサメ、君は“新しい時代の息吹”だ」

 

 その言葉に、アインの視線が僅かに揺れた。

 

「……光栄です」

 

「恐れるな。疑うな。これからのティターンズを支える柱の一つとして、君にはもう一つの任を与える」

 

 ジャミトフは、少しだけ身を乗り出して言った。

 

「君がジャブローに降りる頃、連邦内の腐敗と蠢きはさらに露骨になる。……君の役目は、ジャブローの“真実”を見極め、必要ならば“手を打つ”ことだ」

 

 その言葉には、強い意志と明確な裁量の委任があった。

 

「そして、もしそれを果たした時──君の階級は“少佐”となる。ゼロ・ムラサメ大尉共々、……君たち二人は、次代のティターンズの“礎”となる」

 

「──了解しました。全身全霊をもって、任務にあたります」

 

 静かに、しかし決然とアインは応えた。

 

 ジャミトフは、彼の答えに満足げに頷くと、再び椅子に深く座り直した。

 

「……それでこそだ、アイン・ムラサメ。君のような男がいれば、ティターンズも変わる」

 

 このやりとりが、ティターンズの“未来の姿”を定める、ひとつの分岐点となることを──その場にいた二人だけが、確かに感じていた。

 

「──ムラサメ大尉」

 

 画面越しに、ジャミトフが声を落とす。

 

「君の理想、そして力への考え方は十分に理解した。では、もう一つだけ聞こう。……今の地球圏を、君はどう見ている?」

 

 重くも、静かに。

 

 そして、深く探るような口調だった。

 

 アインは、少し目を伏せてから、ゆっくりと視線を戻す。

 

 その瞳は、研ぎ澄まされた理知ではなく、僅かに憂いを帯びていた。

 

「……地球圏は、今、幾重にも膿を溜めております」

 

「……というと?」

 

「ジオンの残党が未だ各地で蠢き、ゲリラ化し、今もなお市民の命と日常を脅かしています。それは確かに脅威です。排除されねばなりません」

 

 言葉に迷いはない。

 

「しかし──その背景を見れば、彼らの憎しみや絶望が、

どこから来たのかは明白です」

 

 アインは一呼吸置くと、さらに口調を落とした。

 

「それは、宇宙に生きる者たちを顧みず、地球に固執し続けた連邦政府の“スペースノイド軽視政策”が引き起こしたものです。そして──今また、ティターンズの過剰な武威の下で、『エゥーゴ』という新たな反発の火が育ってしまった」

 

 静かに、しかし言葉を選びながら紡がれていくその声に、ジャミトフは眉一つ動かさず、耳を傾けていた。

 

「ジオンも、エゥーゴも……結局は、この“歪な地球中心主義”の果てに生まれた“叫び”なのです。私たちティターンズは、本来その歪みを矯正するためにあるはずでした。今、それを忘れ、同じ過ちを繰り返しつつあるように思えてなりません」

 

 その瞬間、通信室の照明がわずかに揺らいだ。

 

 アインは、それに構うことなく、さらに続ける。

 

 ふと視線を落とし、そして静かに語り始めた。

 

「私は、地球を“守る”とは、地球に居座り続けることではないと思っています。この惑星は、もう限界まで疲れてしまった。……人を宇宙へと上げ、地球を静かに“休ませる”。そのことでしか、もうこの星の未来は保てないと、私は考えています」

 

 そこでふと、彼の瞳に遠くの景色を映すような光が宿った。

 

「──ご存じですか、ジャミトフ閣下」

 

「……何だ?」

 

「今の日本には、もう“春”と“秋”がありません。長い夏と、長すぎる冬しか残っていない。桜の季節も、秋の紅葉も、ほんの数日で過ぎ去ってしまう。雨が、風が、木々が、まるで“生き急いで”いるようなのです」

 

 そこで、アインは力強く言った。

 

「私は、あの島国にもう一度“春と秋”を取り戻したいのです。桜が咲き誇り、秋風に葉が舞う静けさのある──そんな“当たり前の自然の豊かさ”を、この地球に取り戻したいのです」

 

 言葉には、軍人の冷静さではなく、人としての切実な願いがあった。

 

 そして、沈黙。

 

 ジャミトフは、一言も返さず長く沈黙を守ったまま、画面越しに、まるで何かを見透かすようにアインを見つめていた。

 

 そして──低く、だが確かな声音で言葉を返す。

 

「……ムラサメ大尉」

 

「はい」

 

「私は、かつて地球を愛していた。──いや、今もそうだ」

 

 かすかに語調を緩め、しかしすぐに厳格な響きを取り戻す。

 

「この星にはかつて、“時間”が流れていた。季節がめぐり、人が歳を取り、命が生まれ、還っていく──だが今や政治は腐り、空は霞み、海は濁った。都市は鉄とコンクリートの死に体となり、人々は自然の音すら聞こえぬほどの喧噪に埋もれている」

 

 画面越しのその眼差しは、まるで“かつての理想”を見ていた。

 

「……ならば。再び“時間”と“自然”を取り戻すことこそが、我々の使命なのかもしれんな」

 

 その言葉には、“かつてのジャミトフ”の顔が滲んでいた。

 

「君は、良くも悪くも“純粋”だ。それゆえに、危うい。だが、だからこそ……この時代に必要な男だ」

 

 そして静かに、わずかに口元に浮かぶものがある。

 

 それは笑みではない。

 

 だが確かに、認める者の表情だった。

 

「君が、ジャブローに降りる日を待っている。“我々”の本当の戦いは──そこから始まる」

 

 その声は、初めてわずかに熱を帯びていた。

 

 通信が、静かにフェードアウトする。

 

 ──アルビオン艦内、無音の通信室に残ったアインは、ただ一人、再び宇宙に目を向け、深く息を吐いた。

 

 その胸には、確かに新たな決意の火が灯っていた。

 

 通信の終わりを告げる電子音が、静かに途切れた。

 

 しかしジャミトフは、その場で接続を切らず、しばし無言を保った。

 

 アインもまた、それを追うように言葉を継がなかった。通信越しの空気には、確かな信頼と、そして何かを待つ余韻があった。

 

 その沈黙を、アインが破る。

 

「──准将」

 

 音声が僅かに掠れた。口元を引き結び、次の言葉を選ぶように。

 

「……本来は報告書に記すべき内容ではありますが、一点、非公式のまま留めていた事案がございます」

 

 ジャミトフの表情は変わらなかった。

 

「聞こう」

 

「アンマン港にて、避難民下船手続き後──旧型の有線回線を通じ、アーガマの艦橋へ非公式通話を行いました。相手は、エゥーゴ創設者・ブレックス・フォーラ准将です」

 

 声に一切の揺らぎはなかった。己の非を恐れた告白ではなく、責任ある報告としての口調だった。

 

「敵と通じたという事実そのものは、処罰対象となることは承知しております。しかし、通信内容は三分弱──お互いの立場を確認するためだけの、非公式な対話です。記録も暗号化もありません。……ただ、彼には一つ、理解させることができました」

 

「……ほう?」

 

 ジャミトフの反応は、意外なほど柔らかだった。

 

 アインは続けた。

 

「──『連邦軍の内部にも、信念を持つ軍人がまだ残っている』と」

 

 言葉を選ぶように、アインは少しだけ間を置いてから続ける。

 

「私はティターンズの名も、所属も明かしておりません。あくまで“地球連邦軍の軍人”として、“民間人を守る者”としての立場を告げました。……それが、私の本懐です。彼はそれを理解し、私が信念を折らない限り、向こうから銃を向けることはないと、そう言ってくれました」

 

「なるほど」

 

 ジャミトフはゆっくりと、椅子に背を預ける。

 

 仄暗い照明の中、その顔に刻まれる皺の一本一本が、何かを噛みしめるように深くなった。

 

「敵と対話したことを咎める者もいるだろう。だが──私は違う」

 

 その声に、重みが宿る。

 

「君は、敵を抱き込もうとはしなかった。ただ、己の立場を貫いた。“軍人”として、連邦の名のもとに、己がなすべき責務を告げた。……それは、いかなる交渉術よりも誠実で、誇り高い行為だ」

 

 通信越しのアインの背筋が、さらに一線引き締まった。

 

「……この件、私の裁量で留めておこう。上層部には報告不要だ。むしろ──」

 

 ジャミトフの目が細まる。その奥に、明確な意志が光った。

 

「君は、“新たなティターンズ”の外交窓口になれる。いや……そうでなければならない。君のような者が、この混沌の時代に希望を繋ぐ“回線”なのだ」

 

「はっ……ご裁可、痛み入ります」

 

「──アイン・ムラサメ少佐。今後、あらゆる場面で敵と相対することになるだろう。その時、君の“言葉”は銃よりも価値を持つ。忘れるな。その言葉は、君の“生き様”の重みでこそ通じるのだ」

 

「心得ております」

 

 通信は、ようやく、切れた。

 

 静寂の戻った艦内に、アインは深く息を吐いた。

 

 ブレックスの言葉も、ジャミトフの言葉も、どちらも記録には残らない。

 

 ──だが、その言葉は、確かに彼の中に残った。

 

 この先に待つ数多の選択の中で、それが剣となり、盾となることを、アインは自らに誓った。

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 照明を落とした執務室に、静かに書類が置かれた。

 

 アインとの通信の直後、ジャミトフは一人、重厚な革張りの椅子にもたれかかったまま、しばらく沈黙を保っていた。

 

 ──あの男は、報告すら躊躇いを覚えたのだ。

 

 エゥーゴのブレックスとの“非公式接触”を。

 

 むろん、私の耳に入れたという時点で、彼の信義は揺らいでいない。

 

 報告書に記すには早すぎる。

 

 だが、黙っていてはならない。

 

 ──その絶妙な距離感、判断、言葉の重さ。

 

 ジャミトフは、ゆっくりと瞼を閉じた。

 

(……確かに、彼は理想を語った。だが、その実、あれは理想ではない。“記憶”だ。彼がかつて見た、あるいは信じていた世界の記憶。地球にあった季節、桜の花、秋風、そして──市民の暮らし)

 

 それは“政治家”では思い出せない世界。

 

 “軍人”としてすら、とうに忘れ去った光景。

 

 だが、アイン・ムラサメは違った。

 

 彼は、今の地球を知ったうえで、それでもなお地球を“愛している”と言った。

 

 しかも──「休ませなければならない」とすら言ったのだ。

 

(ジオンは地球を“奪おう”とした。エゥーゴは地球を“捨てよう”としている。だが彼は、地球を“癒そう”としている)

 

 何という──優しさだ。

 

 いや、違う。

 

 あれは“優しさ”などという、甘ったれた感傷ではない。

 

 絶望を知った者が、それでも手を伸ばそうとする者の眼差しだった。

 

 報われぬと知りながら、それでも未来に責任を取ろうとする者の姿。

 

 ──ギレン・ザビとは、決定的に違う。

 

(ギレンは“人類の進化”に地球を捧げた。デギンは“秩序”に縋った。レビルは“善意”を信じ、ティアンムは“力”を掲げた。だが、誰も“市民の生活”を守れなかった)

 

 だからこそ、私はティターンズを創設した。

 

 だが、それは今──暴走を始めている。

 

 バスクは憎悪に飲まれ、ジャマイカンは権勢に溺れた。

 

 “恐怖による秩序”は、脆く、壊れやすい。

 

 そこに──アイン・ムラサメが現れたのだ。

 

「市民を守る、連邦軍の軍人」

 

 その言葉は、あまりにも純粋すぎて、笑われるようなものかもしれない。

 

 だが、それを嘲笑することは、我々自身の歴史を否定することだ。

 

(……アイン。お前は己が強化人間であることを恥じず、誇らず、ただ受け入れている。それを背負いながら、己の“使命”を創った)

 

 人間が“道具”に堕ちるとき、自我は死ぬ。

 

 だが、お前は──道具と見做されたがゆえに、自我を守り抜いた。

 

 その芯の強さ、その愚直なまでの誠実さ。

 

 それを“武器”に変えようとはせず、“支柱”とした。

 

 ──ティターンズの支柱に、なれるかもしれぬ。

 

 ジャミトフは静かに立ち上がった。

 

 私が築き損ねた理想。

 

 私が守り損ねた“未来”。

 

 その全てを継げる男が、今ここに生まれた。

 

「アイン・ムラサメ。……お前が“後継”だ。私の、理念の核を担う者だ」

 

 誰にも聞かれないその言葉を、ジャミトフは初めて口にした。

 

 それは──“ティターンズ正統派”の、胎動であった。

 

 

 

 

 

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