ブリッジに入ったアインの姿に、視線がわずかに動く。
その制服に変化はない。
だが、その立ち姿に、何かしらの“変化”を感じた者もいただろう。
ゼロは既にブリッジにおり、静かに沈黙していた。
その沈黙を壊したのは、艦長席に座るブライト・ノアだった。
「──通信は、終わったか?」
いつもの調子だった。
だが、明らかに探るような色がこもっていた。
アインは、静かに一礼した。
「はい、艦長。通信は、ジャミトフ准将閣下からでした」
「……ふむ、内容は?」
アインは、目を逸らさず真っ直ぐに応じる。
「本日付で、ゼロ・ムラサメ中尉と共に──私、アイン・ムラサメも大尉へと昇進を申し渡されました」
ざわめきこそ起きなかったものの、数名の士官が動揺を隠せずにちらりと視線を向けた。
だが、アインは続けた。
「そして私個人については、ジャブロー本部における特命任務の執行責任者として、暫定的に“少佐”に任命されております」
明確に口にした“少佐”という語に、今度は艦内の空気が一段階、確実に張り詰めた。
「特命任務、というのは……?」
ブライトが表情を崩さぬまま問う。
アインは頷いた。
「はい。ジャミトフ閣下より命じられた内容は──ジャブロー本部における一部機関の不穏な動向の調査です。私とゼロ・ムラサメ大尉がその任にあたり、任務達成をもって、少佐昇進が正式に発令されるとのことでした」
静かだったゼロが、その肩越しにアインへ視線を送る。
それは「それ以上は言わなくていい」とでも言いたげな眼差しだったが──アインは続けた。
「アルビオンの現在の任務に変更はありません。ソロモンで補給後、そのまま南米ジャブローへ降下し、調査任務に入ります」
ブライトは、しばし沈黙した。
だが、その瞳はアインを見つめ続けていた。
やがて、低く短く息を吐いたあとで、ようやく口を開く。
「……短期間で、随分と駆け上がったな。ムラサメ少尉」
皮肉ではない。
むしろその言い回しには、言葉にできない想いが混じっていた。
アインは、その言葉を受け止めながら、はっきりと応じた。
「“ムラサメ少尉”と呼ばれる時期が、そう長く続かないことは、覚悟しておりました」
それは、自身の立場と、運命と、生存戦略と──。
そのすべてを内包した、決意の言葉だった。
その静けさが、ブリッジに響いた。
ブライトは椅子の肘掛けに手を置き、静かに頷いた。
「……分かった。君が軍人である限り、この艦は君の任務を阻むことはない」
「感謝いたします。艦長」
アインの瞳には、少しだけ熱が宿っていた。
それは“軍人”としての誇りでもあり、“市民を守る者”としての覚悟でもあった。
◇◇◇◇◇
ペガサス級強襲揚陸艦アルビオンはソロモン宙域へと到着した。
艦橋にて通信士モーリス少尉が通達を受け取る。
「こちらソロモン第七補給管理局。アルビオン、入港を許可する。指定バースは27番、軌道ベルト北西側だ」
ブライト・ノア大佐の指示の下、操舵士パサロフ大尉、航法士ハリダ中尉が艦を軌道に乗せ、補給バースへと向かう。
【ソロモン補給バース 27番ドック】
接舷アームとの連結が完了し、整備班と補給部隊が艦外に展開を開始。
迎えに現れたのは、連邦軍制服を着た補給部管理官クレス・ナーヴ中佐だった。
「ブライト大佐、例の特命試験部隊ですね?」
彼はジャミトフの直達命令書とティターンズ協力証明書を確認すると、余剰分となっていたTR計画系列の装備をアルビオンに提供することを快諾した。
「ムラサメ研究所の三人組、彼らがそうですか」
整備デッキでは、アイン・ムラサメが整備指示を出し、ゼロ・ムラサメが補佐、ドゥー・ムラサメがコンテナ搬入を手伝っていた。
ナーヴ中佐はそんな様子を見て口にする。
「奇抜だが真っ当な連中……今のティターンズには珍しい」
【補給デッキ・第六リフト】
TR-1系列を中心としたパーツ群が整然と並ぶ補給デッキ。ドゥーが目を輝かせる。
「……これ、まじで使っていいの?」
「正式に許可は出ていますが、使い方には気をつけてください」
アインがそう返し、搬入される各種パーツ群を振り分けを依頼。
端末入力によりモーラたち整備班へ指示が転送された。
分解されたギガンティック形態に使われた2機のフルドドの整備が始められた。
頑丈とはいえミサイルを防御したギガンティック・アームの装甲も整備・交換対象として次々と剥がされて行った。
◇◇◇◇◇
曳航支援用アームを装着したアドバンスド・ヘイズルが、慎重にコンテナを抱えてソロモン宙域の補給ポートへと向かう。
かつて「ソロモン」と呼ばれ、今は「コンペイトウ」として再利用されているこの要塞には、補給艦と強襲揚陸艦が交錯し、船渠内には膨大な物資と兵員がひしめいていた。
その外縁を移動していた一機のモビルスーツ。
その操縦席に座る男の瞳には、ただ任務に集中する冷静さの裏に、微かな記憶の波が揺れていた。
──コウ・ウラキ中尉。
「……まさか、またここに来ることになるとはな」
ヘルメット越しの呟きは、コックピットの静けさの中に虚ろに消える。
視界の先には、いまだ消えず漂い続ける無数の金属片がある。
ソロモン攻略戦──チェンバロ作戦による一年戦争にて連邦軍がこの巨大な拠点を強襲した際の、無数の艦艇とMSが散った残骸たち。
大半は整理され、再利用も進められているが、それでもこの宙域には、あのときの戦火の爪痕が確かに残されていた。
そして、自身の過去。
あの忌まわしき【星の屑作戦】を忘れることなど、できようはずもない。
アナベル・ガトー──ジオン残党軍「デラーズ・フリート」のエース。
その男が強奪したガンダム試作2号機によって、コンペイトウで開催されていた観艦式が核攻撃を受け、連邦軍の象徴とされた多くの艦が一瞬で消し飛んだ。
自分はあのとき、ガンダム試作1号機フルバーニアンに乗ってガトーと対峙し、命を削るような死闘を繰り広げた。
勝ったのか、負けたのか──それすらも曖昧だ。
ただ、誰も救えなかった。
「……まだ、あのときの男たちの魂が、この宙域には眠ってるんだな」
視界の端をゆっくりと流れていく焦げた残骸の影が、誰かの墓標のように思えた。
だが、今の自分はもう試作機のパイロットではない。
戦争の象徴として作られたMSのテストパイロットでもない。
今、彼が駆るのはティターンズが導入したアドバンスド・ヘイズル。
そして任務は、ただの補給支援作業──命のやりとりではない、平穏な任務だ。
それが、どれほどありがたいことか、今のコウには分かる。
「俺は……まだここで、生きてるんだな」
コウは微かに笑みを浮かべると、視線を正面に戻し、そっとスロットルを押し込んだ。
モビルスーツはコンテナを静かに搬入路へと運び入れていく。
その背後には、過去の亡霊たちが、どこか懐かしげに彼を見送っているかのようだった。
◇◇◇◇◇
ソロモンでの補給を無事に終えたアルビオンは、艦内に微細な振動を残しつつ、ゆるやかに軌道を離脱し始めていた。
目指すは地球、南米ジャブロー──地球連邦軍の本部である。
宇宙を見上げるブリッジでは、ブライト・ノア艦長の下、各部署が降下態勢へと移行しつつあった。
一方、艦内の通路を並んで歩く二人の影。
その一人、金糸のような髪を揺らすアイン・ムラサメは、落ち着いた足取りで先を見据えながらも、隣を歩くゼロに声をかけた。
「ゼロ、いよいよですね……。おそらく、今回の任務の真意はジャブローで明かされるはずです」
ゼロ・ムラサメは相変わらず無言で、しかし歩調だけはきっちりとアインと揃っていた。
沈黙のままでも聞いているという意思は伝わってくる。
と、その二人の前に小さな影が飛び出した。
「アイン、ゼロ! ボクも一緒に行く!」
白髪の少女、ドゥー・ムラサメが拗ねたような声で叫ぶ。
華奢な体で腕を広げ、二人の進路を塞ぐように立ちはだかった。
アインは一歩足を止め、静かに微笑む。
「ドゥー……今回は、僕たち二人だけの任務です。申し訳ありませんが、艦に残って待っていてください」
「やだっ! またアインとゼロだけ行くんでしょ? ボク、置いてかれるのイヤだもん!」
駄々をこねるように声を荒げるドゥーに、アインは少し困ったような、それでもどこか微笑ましげな表情で答えた。
「任務の詳細はまだ明かされていません。でも、今回は少し政治的な意味合いが強いようです。……ドゥーが嫌いな、堅苦しい話ですよ?」
「うぐ……そ、それは……でもボクだってムラサメの一員なんだよ!」
ぷいと顔を背けながらも、涙目で詰め寄るドゥーに、今度はゼロがふっと小さくため息をついた。
「ドゥー。待て」
たったそれだけの一言だったが、それがゼロなりの信頼の証でもあった。
アインもそれに続くように、静かに言葉を重ねる。
「僕たちが何を知り、何を命じられるのか──それが分かったら、すぐに戻って話します。……だから、留守は任せましたよ」
「……わかった。ボク、ちゃんと待ってる」
しぶしぶながらも納得したドゥーは、小さく手を振って二人を見送った。
艦の気密扉が開き、外の光が差し込む。
その向こうには、重苦しい密林と、膨大な地下要塞が眠る地──ジャブロー。
アインはまだ知らない。
自分の人生を大きく変える“役職”が、この地で待ち受けていることを。
◇◇◇◇◇
静寂な空気が満ちる、ジャブロー本部最深部区画。
幾重もの警備と隔壁を抜け、アイン・ムラサメとゼロ・ムラサメの二人は、ようやく一つの重厚な扉の前に立っていた。
扉には階級章と共に、「ティターンズ総司令官室」と記された真鍮のプレートが取り付けられている。
アインが立ち止まり、ゼロと視線を交わす。
無言のまま、アインが一歩前に出てインターホンを押した。
「アイン・ムラサメ大尉、ゼロ・ムラサメ大尉、面会に参りました」
数秒の沈黙の後、電子ロックが静かに解除される。
重厚な扉が音もなく開き、その奥には、鋭利な眼差しと厳格な空気をまとう一人の男──ジャミトフ・ハイマン大将が、背後の南米の密林を望む大窓を背に、執務机の前に立っていた。
「来たか、ムラサメたち。入れ」
その低く響く声に導かれ、アインとゼロは無言で敬礼し、部屋へと歩を進めた。
ジャミトフは二人に椅子を勧めることもせず、視線だけで促すように言葉を続ける。
「まず本題に入ろう。今回、君たちにジャブローへ降下してもらったのは、現地で不穏な動きを見せている連中の調査のためだ」
アインは微かに頷いた。
察してはいた。
だが、ジャミトフの口からその言葉を聞くことには、重大な意味があった。
「……不穏な動き、というのは、具体的にはどのような?」
問いかけたアインに、ジャミトフはデスクに指を置いたまま、まっすぐに答える。
「バスク・オム大佐の周囲に集まりつつある、一部ティターンズ将校たちの独断的な動きだ。正規の命令系統を通さぬ部隊移動や、物資の偏った配給要求が確認されている。そして……地下の極秘区域への出入り記録の改竄」
ゼロが微かに目を細めた。
アインも口を引き結び、小さく呟く。
「……情報部からの監視は?」
「当然、手は打っている。だが……“見えざる力”を働かせている者たちを、既存の監視系統だけで全て見抜くのは難しい。加えて、軍本部内の動きも把握しきれていない」
そして、ジャミトフは静かに腰を下ろした。
手元のファイルを一枚、机の上に滑らせる。
「そこで、私は新たな部門を立ち上げることにした。君たちのために、だ」
アインの眉が、微かに動く。
ジャミトフは構わず言葉を継いだ。
「名称は──《ティターンズ調査局特務室》。ジャブローを拠点とし、全ティターンズ部隊の行動監査と独立調査権限を付与する。通常の情報部とも、軍法務部とも異なる特別な監察組織だ。場合によっては関与している連邦軍部隊へも調査に入ってもらう」
その響きに、アインの表情が静かに引き締まる。
ジャブローでの動きを見極めるための調査任務と聞いていたが──それは単なる現地視察などではなかった。
「……つまり、ティターンズ内部の“浄化”を?」
「その通りだ。私が構想していた正統派ティターンズにとって、不正や暴走は最大の敵だ。……そして、その監査と裁定の責任を担うのが、君という訳だ、アイン・ムラサメ中佐」
その場で、アインの階級が口頭にて「少佐」から「中佐」へと昇格した。
今までと変わらぬ冷静な声音で告げられたが、それはティターンズという軍内部であまりにも異例の昇進である。
「……中佐、ですか」
「形式上は暫定措置となるが、昇格の理由は二つ。ひとつは、この調査局特務室室長の任を君に託すこと。そしてもうひとつは──」
ジャミトフの視線が一瞬だけ鋭くなる。
「──君を、私の直属補佐官とすることだ」
空気が張り詰める。
ゼロも無言のままだが、軽く顎を引いた。
もはやアインは、軍の単なる情報調査員ではない。
ティターンズを統括するジャミトフ・ハイマン自身の「目」と「声」として、政軍両面に介入する存在へと変貌したのだ。
「ゼロ・ムラサメ大尉には、引き続き君の補佐を任せたい。ムラサメ研究所からの出向という形は変わらぬが、このチームは私の全責任において動かす」
アインは一呼吸、深く息を吸い──静かに頭を下げた。
「了解いたしました、ジャミトフ准将。……私、アイン・ムラサメは、全身全霊をもってこの任に当たります」
その背後で、ゼロもまた一言も発せぬまま、かすかに頷いた。
こうして、ティターンズ内部の“闇”に切り込むための新たな刃が、今、ジャブローの地に誕生した。
◇◇◇◇◇
ジャミトフ准将の執務室を辞したアイン・ムラサメは、ゼロとともに無言のまま静かな通路を歩いていた。
地球連邦軍本部ジャブロー。
その地下通路は冷たく、コンクリートの壁がやけに重く感じられる。
──来るところまで、来てしまったか。
思考の奥底で、そう呟いた。
ティターンズ調査局特務室、初代室長。
中佐への昇進。
そして、ジャミトフ・ハイマン准将直属の補佐官。
かつては一介の少尉だった自分が、半年も経たずして手にした役割は、あまりに重い。
だが、それ以上に──あの人の口から「正統派」という言葉が飛び出したことが、何より衝撃だった。
正統派──。
つまりそれは、バスク・オムを切り捨て、ティターンズそのものを是正し、立て直すという覚悟の表明。
エゥーゴを相手にするだけでなく、まずは内から腐敗を取り除くという明確な意思。
そのために必要な監査部隊としての調査局特務室。
その先鋒となる室長。
そして、直属補佐官──それが自分なのだ。
──ならば、もう退けない。
一蓮托生。
いや、ジャミトフと心の内を語った時、最早、他の選択肢はなかった。
生存戦略。
それは過去から導き出された、生き残るための知と手段。
しかし今は、ただ生き残るだけではない。
正しい道を選び、それを貫く。
バスクの不正を正し、エゥーゴとの対話の余地を模索し、アクシズという未知の脅威に備える。
──問題は山積みだ。
それでも、僕には分かっている。
やるべきことを、やるだけだ。
「……アルビオンへ戻りましょう。いろいろと、やらなければなりません」
やや遅れて、隣を歩いていたゼロが小さく頷く。
「ああ」
その一言だけを返す声は、寡黙で、だが確かな意志がこもっていた。
互いに多くを語る必要はない。進むべき道は、もう決まっている。
アイン・ムラサメは中佐として、ジャブローを背に、アルビオンへと向かった。
──新たな戦場へ。
己の責務を果たすために。