【グリプス2・ティターンズ司令部 中央作戦管制室】
──時刻 13:42、広報電文通達後。
グリプス本部、複層構造の高圧ガラスを背に、バスク・オムは通信管制官から受け取った端末を睨みつけていた。
画面に表示されたのはティターンズ広報部による正式な布告:
> 《ティターンズ調査局 特務室 室長 アイン・ムラサメ中佐 任命》
《ジャミトフ・ハイマン閣下 直属補佐官 兼務を命ず》
しばし無言だったバスクが、机上のカップを握り潰すようにして押し潰した。中のコーヒーが机を濡らす。
「……あのガキが、“特務室”だと?」
声は低く抑えられていたが、すでに周囲の幕僚たちは警戒を強めていた。
一瞬でも気を抜けば、あの狂犬は何を叩き壊すかわからない。
「補佐官? 直属……? あの男が、“ジャミトフ閣下のお気に入り”にまでなったというのか……!」
バスクの眉間が歪み、顔が凶相に変わっていく。
「なにが“調査局”……何を“特務”だ……お前が嗅ぎまわっているのは、我々の軍務だろうが!」
その言葉に誰も応じなかった。
否、誰もがわかっていた──これは、バスクの中に生じた明確な危機感の現れだった。
ジャミトフの右腕であるはずの自分を差し置いて、何処の馬の骨とも知れぬ若僧が、「直属の補佐官」として任官されるなど──。
「ほう……やはり“下準備”は終えていたか。艦隊をまとめ、ジャブローから囚人を引き上げ、そして今度は、“権限”まで持ち出して来た……」
バスクは静かに笑った。
だがその笑みは、決して愉快そうではなかった。
「舐めるなよ、アイン・ムラサメ。──貴様ひとりで、このティターンズを掌握できるなどと……思っているのならばな」
カツン、と床に響く音。
バスクはブーツの踵を鳴らして、執務卓の向こうに立ち上がる。
「《強化人間プロジェクト》も、《TR計画》も、《グリプス2》も……全ては“私の”統制の下にある。たかが“特務室”ごときが口を出せる領域ではないのだよ、アイン中佐」
その場にいた誰もが、それが宣戦布告であることを悟っていた。
ティターンズの内に、ついに裂け目が生まれた。
◇◇◇◇◇
薄闇のオフィス。無言のまま、バスク・オムは報告書に目を走らせていた。
件名は──
「RX-121改 試験運用報告/TR計画系列ギガンティック構成ユニット」
搭乗者:アイン・ムラサメ 少尉(当時)
報告書の記録は──3月末に遡る。
月の中立港アンマンにて行われた小規模な軍事衝突。
しかし、そこに現れた機体の写真は、バスクの額に静かな皺を刻ませた。
──ギガンティック形態。
TR-1ヘイズル改に、フルドド、さらにサイコガンダムの腕部・脚部を接続した異形の機体。
だが、それよりもバスクの目を引いたのは、技術仕様書の末尾に記された一文だった。
> 「本機に搭載されたサイコミュ・システムは、プロトタイプ・サイコガンダムの未使用予備ユニットを搭載したものであり──」
「……!」
ページをめくる手が止まる。
それはまだグリプス2の試験室でもデータが揃い切っていない、最新鋭の“実戦投入すら未定”のシステム。
──それを、あのムラサメの小僧が……!
「たかが少尉のくせに……!」
バスクは静かに呟いた。
ジャマイカンを退けたのは偶然か、機体の性能か、あるいはその両方か。
だが──事実として、アイン・ムラサメは自力で“動かした”。
あのギガンティック形態を、サイコミュを含めて“機能させてしまった”のだ。
しかも、当時の階級は少尉。
それが今や──
「ジャミトフ直属補佐官 中佐」
「ティターンズ調査局特務室 室長」
と並ぶ広報資料が、先ほど届いたばかりだ。
「……舐められたものだな」
低く、怒気を孕んだ声が空間に響く。
強化人間計画の廃棄サンプル。
だが優秀で、“逃げ出した”個体。
その名は──アイン・ムラサメ。
バスク自身が、破棄すべきと判断した過去の亡霊が、より研ぎ澄まされた刃となって、ティターンズの中枢へ返り咲いたのだ。
しかも、TR計画に関与すらせず、その技術を掻き集めて独自に怪物を仕立て上げた。
──まるで見せつけるように。
「強化人間が、“人間”に牙を剥くか……。ならば、制御するまでよ」
バスクは静かに書類を閉じ、冷たく唇を吊り上げた。
◇◇◇◇◇
広報を通じて、ティターンズ調査局特務室の設立とその室長に就任したアイン・ムラサメ中佐の名が世間へと発表されてから、わずか数日。
グリプスから届いた“形式上の協力”という名目の封書は、アインの元へと軍内便で届けられていた。
封を切ると、中から一枚の派遣通達と、三名の連絡要員リストが現れる。
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ティターンズ戦略司令部 軍務課通達:第29-α号
> 下記の三名を、ティターンズ調査局特務室所属の戦術情報連絡官として任命する。 目的は情報伝達の円滑化および対外調整。
・アルファ・A・ベイト(大尉)
・ベルナルド・モンシア(中尉)
・チャップ・アデル(中尉)
> ※所属任地:アルビオン、所属期間:無期限、監督責任:調査局室長アイン・ムラサメ中佐に帰属
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アインは眉を僅かに顰め、机にその書類を伏せた。
少し間を置いて、脇に立っていたゼロへ視線を向ける。
「ゼロ、彼らの顔ぶれを見て、どう思いますか?」
ゼロはファイルを覗き込み、ほんのわずかに口元を歪めた。
「アデル中尉は実直な方だと記憶している。特に問題はないだろう。だが……」
「ええ。ベイト大尉はともかく、モンシア中尉が……少々、心配です」
アインは指先で書類の縁をなぞると、静かに立ち上がった。
この名簿の意味するところが、よく分かっている。
——バスク・オムからの“眼”。
だが、それだけでは済まない。
元アルビオン所属の顔触れを、わざわざ選抜してきた背景には、単なる情報伝達以上の意図がある。
「彼らの行動に一定の自由があるなら、最悪、艦内の空気を乱しかねません。特にモンシア中尉は……少々疑念があります」
独り言のように呟きながら、アインはモニタ端末を操作し、特務局内部回線で一人の男に通話を繋げた。
◇◇◇◇◇
艦内訓練区画 休憩ラウンジ
『……コウ・ウラキ中尉、いらっしゃいますか?』
通信先は艦内ラウンジで休憩中のコウ・ウラキだった。アインの声に気付いた彼は、すぐに応答した。
「こちらウラキ。何か問題でも?」
『いえ、少々お時間を頂きたいのです。私の執務室まで来て頂けますか』
「了解。すぐに向かいます」
返事を返したコウは足早にアインの執務室へと向かうのだった。
◇◇◇◇◇
「……彼らとご一緒だった時期、ありましたよね」
アインは机上のファイルを示しつつ、資料をコウへと渡す。
「アルファ・ベイト大尉、モンシア中尉、アデル中尉。今回、正式な手続きを経て、私の下に“連絡要員”として派遣されることになりました」
「……なるほど」
ファイルを読んでいたコウの手が、一瞬だけ止まる。
明らかに“厄介な面子”だという顔だった。
「アデル中尉は真面目な人間です。ベイト大尉も……まあ、昔よりは随分マシになってるはず。責任感も出てきてますよ」
「モンシア中尉は?」
アインの問いに、コウは少し目を伏せる。
「……あの人は、“いじらせたら面白い”けど、“軍務では手綱が要る”タイプですね。元々、強い上官が居るか、制御役が居ないと空回りしやすいんです」
「そうですか……ありがとうございます。率直な意見が欲しかったのです」
アインは頷くと、椅子から立ち上がった。
「ならば……こちらからも対応を取る必要があるようですね」
◇◇◇◇◇
翌日・艦内回線/通話ログ開始
アイン・ムラサメ中佐 → オークランド研究所 宛
「こちらティターンズ調査局特務室室長、アイン・ムラサメ中佐。戦力管理および連絡官補佐役として、ブラン・ブルターク少佐の協力を要請します。機体はそのまま、アッシマーで構いません」
通信文面は即日、緊急優先便で発信された。
かつての制御不能なモンシア、慎重ながらも芯を持つベイト、実直なアデル──。
彼らの行動が調査局の足を引っ張る前に、アインは手を打った。
戦場は、敵よりも味方の方が厄介だ。
ならば、制御し得る“剣”は、今のうちに磨いておくべきである。
◇◇◇◇◇
オークランド研究所/技術試験管制室
制御室のガラス越しに見える格納庫で、変形中のアッシマーがゆっくりと腰を下ろしていく。
整備班がその周囲に散り、メンテナンスを開始している様子が見えた。
ブラン・ブルターク少佐は、細かい報告書に目を通す手を止め、机の端に置かれた通信端末に視線を向けた。
表示されている送信者名は──。
> ティターンズ調査局特務室 室長 アイン・ムラサメ中佐(ジャミトフ・ハイマン直轄)
「……へぇ、中佐だとよ。あの若いのが、出世したもんだ」
口元を歪めて笑ったが、その目には多少の驚きがあった。
アイン・ムラサメ──ムラサメ研究所製の強化人間、確かに過去にその名を記録の中で見た覚えがある。
だが、バスクではなくジャミトフ直轄……しかも、調査局室長。
「まるで狐が大臣にでもなったみたいだな。だが、悪くない選び方だ」
彼は即座に通達文を開いた。
丁寧かつ明瞭に記された要請には、こうあった。
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> 要請通達:アイン・ムラサメ中佐より
以下の状況に鑑み、貴官の実務能力・戦術的柔軟性・人格的統制力を高く評価し、
ティターンズ調査局特務室における「連絡将校補佐・部隊統制アドバイザー」としての
一時的派遣協力を正式に要請する。
・所属艦:アルビオン
・任務期間:未定(情勢による)
・機体:NRX-044 アッシマー携行を許可
・予想任務:戦術行動の補佐、連絡将校の監督、戦力の即応態勢整備
※任命権限は全て本特務室室長に帰属する。
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ブランは息をつき、苦笑した。
「はぁ……あいつら三バカの世話係、俺にやらせる気か……。モンシアとベイトがまともに機能すりゃいいがな」
半分冗談、半分は本音だった。
戦闘機乗りとしての腕は確かで、特にアデルは信頼できる。
だが、他二名──特にモンシアは暴走しかねない。
彼らを抑え込むには、自身が“堅物”である必要があることを、ブラン自身よく理解していた。
しばらく逡巡した後、彼は端末に手を伸ばした。
返答の文章を簡潔に、だが軍人としての誇りを持って打ち込む。
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軍務返信文(通達形式)
宛先:ティターンズ調査局特務室 室長 アイン・ムラサメ中佐
発信者:オークランド研究所 試作機動兵器実験隊/指揮官 ブラン・ブルターク少佐
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> 件名:派遣要請に対する受諾の旨
貴信拝読しました。 貴殿の意図と戦力配置に理解を示し、当方、任務遂行の意思をもってこれを受諾します。
ただし、部隊統制の観点から、連絡要員への指揮系統の明確化、および情報共有における優先順位を確認したく、到着次第に現地にて打ち合わせを希望します。
NRX-044 アッシマーは現在整備完了済み。発進準備に移行可能。出撃指令を確認し次第、即時アルビオンへ向かいます。
各員の統制と戦力の即応性向上に貢献することを誓います。
— 敬具 —
ブラン・ブルターク(少佐)
地球連邦軍 オークランド研究所所属
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送信キーを押した瞬間、ブランは椅子から立ち上がり、背中を伸ばす。
「さて……仕事だな。行くぞアッシマー、あの若造の艦に乗るのも、悪くない」
整備主任へ発進準備の確認を告げると、彼はコクピットへと向かった。
静かに、そして確かに。
“あの三人”を抑える手綱を片手に──。
そして、新たなティターンズの中枢で動く謎めいた若き室長を、その目で確かめるために。
◇◇◇◇◇
ペガサス級強襲揚陸艦《アルビオン》が静かにジャブローの上空でミノフスキー・クラフトによって滞空していた。
「こちらブラン・ブルターク少佐。アルビオンへ着艦許可を求む」
通信が即座に艦橋へ伝えられ、ブライトの指示で着艦誘導が開始される。
間もなく、大気圏内可変MS《アッシマー》が器用にホバリングしながら、アルビオンの格納庫に収まった。
この日、オークランドからはるばるやって来たブラン・ブルターク少佐にとって、アルビオンへの乗艦は初めてだった。
◇◇◇◇◇
【アルビオン艦内・会議室】
扉が開き、ブランがややぶっきらぼうに入室する。
すでに待っていたのは、艦長のブライト・ノアと、その傍らに控えるティターンズ調査局特務室室長──アイン・ムラサメ中佐だった。
「ようこそ、ブラン・ブルターク少佐。本艦へのお越しは初めてですね」
ブライトが柔らかい笑みで迎える。
「ええ。実は名前ばかり有名で、来るのは初めてです。……見上げた艦ですよ、こいつは」
ブランは冗談めかして答えながらも、視線はアインへと向ける。
「……さて、今回の招集。てっきり“あの大佐”──バスクの差し金かと思っていたんですが」
アインは丁寧に首を横に振った。
「いえ。今回の件、あの三名の派遣についてはバスク大佐からの正式通達ですが、少佐の招集に関しては、私の裁量です。連邦軍籍であり、信頼できる現場指揮官に制御をお願いするには、貴方しかいないと判断しました」
ブランは一瞬だけ眉を上げたが、すぐに腕を組みながら短く笑った。
「なるほど。お偉いさんの鶴の一声じゃなくて、自分の判断で動いてるってわけか」
アインはそれに答えず、淡々と資料をテーブルへと並べる。
「本日は、先んじてお伝えしていた“指揮系統の明確化”について、艦長とも確認を取りながらご説明差し上げます」
そう告げたアインは資料をブランへ手渡し、姿勢を正した。
「現場の統括指揮権は、本艦の艦長であるブライト・ノア大佐が有します。ただし、調査局特務室の業務においては、私が直接権限を行使します。その上で、連絡要員として派遣されたモンシア中尉、ベイト大尉、アデル中尉の監督責任を、ブラン少佐にお願いしたいのです」
アインの言葉に、ブライトも頷く。
「艦内の連携を円滑にするためにも、信頼できる橋渡し役が必要だ。私としても、貴官に協力してもらえるのは助かる」
ブランはしばし黙し、アインの言葉を反芻した後、やや砕けた調子で切り出した。
「三人の中じゃ、アデルは問題ない。ベイトは……まぁ、肩書があれば従うだろうが、モンシアは厄介だ」
アインはそれに応じ、資料の一枚を提示した。
「私もそれを懸念し、元同僚だったコウ・ウラキ中尉に状況を確認しました。もっとも、中尉とブラン少佐は面識がないと思われますが……」
「ふん、まあ当然だな。あの事件以降、あっちはほとんど表に出てこなかったらしいしな」
「そのウラキ中尉の証言によれば、“ベイト大尉はまだ制御可能、モンシア中尉は難しい”と。ですから、貴方のようなベテランの手綱が必要です」
アインはそう言って、別の書類を差し出した。
「“特務室付随任務顧問”として、少佐には連絡要員への行動監督権と再配置勧告権を持たせる案で調整しています」
ブランは紙面をしばし見つめたのち、口角をわずかに持ち上げた。
「ふ──、ただの“上の覚えで出世した強化人間”じゃないな、お前は」
アインは何も言わず、代わりに会議室の端に置かれた各種マニュアルに自分で注釈を加えた資料を指差した。
「私は、ただこの職務に相応しい振る舞いを選んでいるだけです。副官として、艦内ではブライト大佐の指揮下におります。……信頼されるには、それが一番早いと考えました」
それを聞いたブランは、やがて大きく頷いた。
「いいだろう。君のやり方、気に入った。……この任務、引き受けるとしよう」
「心強いです、ブラン少佐」
ブライトも口を開いた。
「本艦も貴官の支援を歓迎する、少佐。……では、あの三人の艦内配置について、詳細を詰めようか」
三者の間に、実戦を見据えた静かな共闘の空気が流れはじめていた。
ただの政治的な人事ではない──現場を知る者たちによる、信頼と責任の共有だった。