宇宙世紀0087年4月某日 グリプス宙域・ティターンズ本部 ジャミトフ・ハイマン准将執務室
分厚いバインダーが、静かに机上へ置かれる。
開かれた書類の左上には「ティターンズ調査局特務室 報告書」の文字。
差出人:アイン・ムラサメ中佐 宛先:ティターンズ総司令 ジャミトフ・ハイマン准将(直轄)
内容:ジャブロー地下区画調査報告および付帯軍規違反案件処理報告
──まったく、期待以上だ。
ジャミトフは目を通すたびに、静かに頷いた。
この調査は、もともと彼自身がバスクの派閥将校たちの動向に「違和感」を抱いたことから始まっていた。
グリプス戦線の最前線にあるはずの幹部候補たちが、なぜか度々ジャブローの地下施設へ出入りしている。
しかも、その出入りは記録に残っていない。
ジャミトフは情報操作の臭いを感じ取り、信頼できる“目”としてアイン・ムラサメを任命したのだった。
そして、今──報告は成果を伴って戻ってきた。
報告書には、以下の不正・逸脱行為が詳細にまとめられていた:
・ティターンズ内部での物資横流しと補給品の簒奪行為 ・同上兵士による民間人への脅迫・暴力 ・一部正規軍との共謀による補給資金の使途不明 ・ジャブロー市街在住の民間女性に対する複数の婦女暴行事件(※ティターンズおよび一部正規軍兵士による) ・スパイ容疑で拘留されたレコア・ロンド少尉に対する違法拘禁と不当尋問──※身体的暴行を含む ・地下施設第17区画における“遮蔽構造”および“用途不明装置”の複数存在
それぞれ、現地での証言・記録・物証に基づいており、調査局が設立間もないとは思えぬほどの丁寧な裏付けがある。
そして、ジャミトフの視線は添付された“覚書”へと移った。
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【極秘添付文書:第17区画補遺覚書】 作成者:ティターンズ調査局特務室 室長 アイン・ムラサメ中佐
> 報告書に記載の通り、当該地下施設第17区画には高度な鉛遮蔽構造および中性子反射対策と思しき施工が確認された。 内部には詳細不明の装置群が存在しており、出入りする将校の所属はすべてバスク・オム大佐の指揮下にある者に集中している。
> 本状況は、仮に当該施設が“核兵器に関連する試験もしくは保管設備”である場合、指揮系統から逸脱した“非合法な運用”の準備段階と見なすべきである。
> 現状では証拠不十分のため断定は避けるが、将来的なリスクに備えた記録としてここに記す。
> ※調査中、該当将校らが現場資料の一部を無断で持ち出し、調査局調査員を排除しようとした事例あり。 今後の現場管理および再調査には、総司令の裁可を得て“指揮権の明確化”を推奨する。
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ジャミトフは書類の一部に指を置いたまま、目を伏せて考える。
暴露でも内部告発でもなく、「冷静に事実を積み重ねる」ことで、組織全体に“何かがおかしい”という警鐘を静かに鳴らしている。
その筆致に感情はないが、逆にそこに込められた危機感が痛いほど伝わってくる。
「……アイン、お前は我々が目を背けてきたものを正確に見ている」
彼は端末へと指を走らせる。
調査局特務室:権限階級C → Bへの昇格検討開始
アイン・ムラサメ中佐:ジャブロー滞在継続および情報活動自由裁量権 暫定付与
グリプス防衛本部:該当地下区画の衛星観測優先度“極”へ変更
「バスク、お前が見ていない所で、ティターンズは既に変わり始めている」
彼は静かに書類を伏せ、満足げに目を細めた。
ティターンズという軍靴の下に、“新しい意志”が芽生えていることを、確かに感じ取っていた。
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【宇宙世紀0087年4月中旬/地球連邦軍 ジャブロー基地 地下施設・調査局特務室報告】
ジャブロー地下施設への立ち入り制限が解除されたのは、ティターンズ調査局特務室長アイン・ムラサメ中佐による「指揮権の再解釈」によるものだった。
ジャミトフ准将が個人的に発した内密の命令──地下に潜伏し出入りするバスク派将校たちを調査せよという指示──は、名実ともに彼に“自由捜査権”を与えていた。
その日、アイン率いる少数の調査官と技術スタッフは、武装を最低限に抑えながらも、地下の最深部へと足を踏み入れた。
掘削施設を偽装したエリア、搬入記録の改竄が繰り返されていた資材群、そして奥へと続く封鎖扉。
その先に存在していたのは、かつての指令区画を模したような作戦室であり──。
そこにあったのはエゥーゴの地球降下作戦(ジャブロー強襲)の完全な予測情報だった。
内部スパイか、あるいは情報解析による先読みか、詳細は不明。
しかしそこには驚くべき“反撃作戦”が添えられていた。
ジャブローを意図的に空き家にし、エゥーゴの降下を誘導する。
ティターンズ地上司令部機能をキリマンジャロへ移設する。
エゥーゴ制圧部隊が地下施設へ進入した瞬間、地下深度500mに仕掛けた戦略核を起爆し、敵味方もろとも殲滅する。
作戦名:“フルフォール・シナリオ”
発案者:バスク・オム大佐 指揮予定:不明(空白) 爆弾設置記録:あり(防衛線下層区画)
その凄惨な内容は、軍事的に見れば“効率的”かつ“決定的”だった。
だが──人道的、環境的に見れば、それはあまりにも非道であった。
核の炸裂点は、地下水脈と直結したアマゾン流域の複数のプレート交点上。
爆発の衝撃はただ敵を殲滅するだけに留まらず、地質活動を連鎖させるおそれすらある。
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【ティターンズ調査局特務室・局長覚書(抄)】
> ……ジャブロー地下施設にて確認された“フルフォール・シナリオ”は、確かに軍事的には高い成功率を見込める一撃です。 ですが、本作戦の実行においては以下の懸念が発生します。
1. 地球生態系の重大な破壊──特にアマゾン河上流域への放射能拡散。
2. エゥーゴの殲滅に伴う“殉職者”の正当性喪失──特に軍属人員が巻き込まれた場合、連邦法に照らし作戦の正当性は問われます。
3. 地球連邦軍本来の使命の逸脱──地球を守るために核を使うという矛盾は、我々の存在意義そのものを損ねます。
本報告を以って、調査局特務室は本作戦の存在を記録しつつも、“是非を問うこと”を後日の審問事項として提起します。
我々はティターンズであると同時に、地球連邦軍人でもあります。 地球という母体を守る者として、いかなる論理も“破壊”の正当化には値しません。
報告者:ティターンズ調査局特務室 室長 アイン・ムラサメ中佐
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ジャミトフ・ハイマン准将は静かに報告書の束を読み終えた。
その顔に感情は見えない。
薄暗い執務室、彼の眼差しは遥か先の戦局と“地球”そのものを見据えていた。
「……バスク。お前は、いつからそこまで腐った」
絞り出すように呟いたその声には、怒りではなく、深い絶望が滲んでいた。
──いや、違う。
絶望だけではない。そこには、どこか安堵すら含まれていた。
「アイン・ムラサメ……君は、私が送り込んだ“目”であると同時に……もう一人の“自分”だ」
ジャミトフは椅子にもたれ、目を閉じた。
想い出すのは、まだ准将ではなかった頃の自分。政治の汚泥に沈む前の軍人としての理想。
だがバスクは、力を選び、暴力を武器とした。
ジャミトフは、法と構造の力で“新しい秩序”を作ろうとした。
「“地球を焼いてでも勝て”などと、誰が命じた……!」
老練な軍人の拳が、机を打った。 だがすぐにその手は震えを帯びる。
彼にとって“アマゾンの密林”は、単なる戦術目標ではない。
地球という惑星が持つ、最後の良心のようなものだった。
「君に委ねよう。アイン……君には、まだ“揺らぎ”がある。私にはもうない」
ジャミトフ・ハイマン准将は、報告書を再度手に取り、封をした。
そして──。
彼は静かに命じた。
「“フルフォール・シナリオ”……全計画の凍結を、草案段階に遡って命ずる」
報告書の最後の頁を閉じたジャミトフは、静かに眼鏡を外した。
頁の文字列はもはや目に入っていなかった。
彼の脳裏には、地下施設における「作戦概要図」と、アイン・ムラサメ中佐の冷徹な添付覚書、その文体の奥にわずかに見え隠れした激情が、交錯していた。
「……あれほどの判断を、まだ“中佐”の若者が書くとはな」
自ら呟いたその言葉は、アインへの賛辞であると同時に、嘆息だった。
だが、彼の顔から感情はすぐに消える。
瞳の奥には、計算と政治の炎が宿る。
怒りはある。あった。
──バスク・オム。
軍制改革を行った彼の存在がなければ、ティターンズという組織の成立はなかった。
だが今や、彼は自らの暴力を正義と誤認し、核を以て秩序を打ち立てようとしている。
あまつさえ地球を“焼き払う”ことで。
許容できる話ではない。
だが、だからといって処断はしない。
「私は──あくまで、制度と秩序の側に立つ。怒りを以て裁く者に、正統性などない」
ゆっくりと椅子に身を預けたジャミトフは、既に結論に至っていた。
「バスクには、地上戦の掌握を委ねよう。キリマンジャロ……彼が作りたがっていた新たな地上本部に異動させればいい」
そう、バスクの“主戦派”としての存在価値は今なお高い。
だからこそ、彼を隔離する。
グリプスから、そして政軍中枢から。
彼の手から、“核”という手段だけを取り上げ、彼の“暴力”を地上戦線に閉じ込める。
「そして私は、グリプスに上がる」
重々しい言葉だった。
「政治的正統性の保持、ティターンズ再編、人事異動による選別──正統派を育てる時が来た」
アイン・ムラサメのような人物を核として。
バスクのような“暴力を選ぶ者”と線引きし、ティターンズという名の中に“秩序”を築く。
それは軍ではない。
組織でもない。
──体制だ。
世界を再定義するための、秩序の象徴。
そのためには、バスクという“爆弾”の扱い方もまた、秩序として正しく設計しなくてはならない。
「バスク。お前を切り捨てれば、私まで“過激派”に堕ちる」
静かに彼は電話端末に指を伸ばした。ラインの先は参謀本部──だが発令される命令は、あくまで形式的な異動通達である。
「彼を処罰する必要はない。彼の役割を……ただ、変えるだけだ」
“秩序”の名のもとに。
それが、ジャミトフ・ハイマンの選んだ答えだった。
静謐な空気を裂くように、報告書が新たに届けられた。
それはティターンズ調査局特務室──アイン・ムラサメ中佐より、先ほどの機密報告とは別便で届いた分であった。
形式は同一、だがその提出ルートは異なる。
内容を確認する前に、ジャミトフの中には一つの確信が生まれていた。
「……この若者、やはり只者ではないな」
本来ならば同封、あるいは続報の形で連ねるべき内容を、あえて「別口」として報告させた。
つまりこれは、“先の報告の漏れ”という体裁を装い、第三者の監視下にあるルートでは察知されず、なおかつ届くべき者の手には必ず届くように仕組まれた報告である。
稚拙な小細工ではない。
大胆かつ冷静、そして目的志向の合理性をもった戦略的構成。
それを受け取った時点で、既にアインが望む“意図”はジャミトフの中に明確に伝わっていた。
ジャミトフは報告書の文面に目を通す。
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【ティターンズ調査局特務室報告書 別便】
報告者:ティターンズ調査局特務室 室長 兼 ジャミトフ・ハイマン直属補佐官 中佐 アイン・ムラサメ
> 件名:地球連邦軍ジャブロー地下施設内 核爆弾関連装備の暫定管理措置について
内容:本日時点において、当方ティターンズ調査局特務室は現地強制調査の結果、ジャブロー地下施設内にて核爆弾本体および周辺起爆機構の存在を確認。
状況証拠より、当該兵器は地球連邦軍中央司令部の公的記録に存在せず、極めて秘匿性の高い管理系統下にあったと判断。
現時点で起爆キー1式を押収・封印、同時に本部へ移送し、ティターンズ調査局特務室室長権限により暫定的な保管措置を実施中。
ついては、今後の核装備に関する管理・保守・処分方針の確定および指示を請う。
また、エゥーゴによるジャブロー降下作戦の可能性が極めて高いとの予測より、当該地域における当方の対抗・迎撃態勢に関する戦略的指針をご提示願いたく、文末をもって申請とする。
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読み終えたジャミトフは、報告書を閉じることなく、眼前の文面を再び静かに睨んだ。
「“暫定保管”……か」
言葉には出さないが、その含意は明白だった。
バスク・オムが裏で進めていた“核による自爆作戦”──その引き金を、アイン・ムラサメは既に確保している。
そしてそれを、彼は決して暴露することなく、破壊することもなく、ただ「保管」した。
それは己の手中に収めることで、暴走の芽を摘みつつ、保険としても活用できる状態を意味していた。
更には、ジャミトフにだけ届くこの「別便」によって、“この一件を知っているのは自分たちだけ”という構図を作り出した。
まさに──情報の一極集中と制御の完成だった。
「……中佐ではもったいない」
本心からそう思った。
戦術的・戦略的判断に優れ、しかも自身の立場や政治的影響力を冷静に理解している。
アイン・ムラサメ。
彼は“使える”のではない。理想の後継者として“任せられる”人材であると、今確信に変わった。
そしてもう一つ、彼が記したもう一つの主題──エゥーゴのジャブロー降下作戦と、それに対する迎撃方針。
「本来なら、バスクの担当領域……だが」
既に答えは決まっていた。
バスクのキリマンジャロ異動命令は、今まさに通達中である。
ジャブローの防衛責任者は空席になる。
つまり、そこに新たな枠を設ける必要がある。
ならば──。
「ティターンズ調査局特務室を、臨時防衛部局として任命。中佐にはその権限を与える」
彼の指先は、すでに命令書式を叩き始めていた。
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【宇宙世紀0087年4月某日 グリプス内ティターンズ中枢司令室 バスク・オム執務室】
バスク・オムは封書形式の伝達を開き、そこに記された異動命令の文字列を見た刹那、室内の空気が凍りつく。
> 【地球連邦軍総司令部発令】
「バスク・オム大佐、ティターンズ総本部参謀付よりキリマンジャロ新地上本部司令官へ転任。
付随して同地域におけるティターンズ再編計画を主導することとする」
──異動、か。
バスクの脳裏には瞬時に数通りの分析が走った。
表向きには、キリマンジャロ新本部という“戦略拠点の司令官”であり、異動理由にも再編計画主導という責務が明記されている。
だが実際には、現在グリプスで進行中の計画、ならびに対エゥーゴ主導作戦の中枢からの除外を意味していた。
口元がひきつる。
「……フッ、やってくれるな……准将」
声は低く、噛み殺した怒気を含んでいた。
グリプス──ティターンズの象徴たる宇宙拠点。
その実権から切り離されたという事実は、軍内における権勢の低下を意味する。
ジャミトフ・ハイマンは決して感情を露わにしない。
だがこの通達が、あの若造──アイン・ムラサメ中佐の動きに呼応したものだと、確信していた。
あの男が、ジャブローで何を掴んだのか。
あの男が、どこまで嗅ぎ回っていたのか。
何がしかの“確証”を、確実にジャミトフの手元へ届けたに違いない。
「ふざけるな……。俺が、誰のためにここまで動いてきたと思ってやがる」
皮肉にも、ティターンズの急進主義を体現した存在であるはずの自分が、いまや“政治的に扱いづらい男”へと成り下がったということだ。
だが──まだ終わりではない。
キリマンジャロは“地上におけるティターンズ再編拠点”という名目を持っている。
人員、物資、機密……軍の裏側に触れるだけのカードは、なお手元に残されていた。
「ならばいい。地上を、俺の牙城にしてやる……!」
血管の浮いた手で命令書を握りしめる。
──ジャミトフ、俺を追いやったつもりか?
だがな、お前の“正統派ティターンズ”とやらがどこまで続くか、見せてもらおうじゃないか。
“無慈悲な牙”を持たぬ正義など、所詮理念に過ぎん。
バスク・オムの目は、なお猛り狂う獣のごとき光を宿していた。
えー、毎度のことながら執筆速度を落とさず感想へのお返事が難しくなってまいりまして申し訳ありません。
それでも全ての感想を読ませていただいて励みにさせていただいております。
引き続きこの作品をよろしくお願いします