ムラサメさん家のイチバン=サン   作:星乃 望夢

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第41話 お忘れですか、閣下

 

アルビオン艦内・艦長会議室──ダカール港停泊中

 

 港に浮かぶペガサス級強襲揚陸艦・アルビオン。 

 

 その艦橋下の会議室にて、地球連邦の重鎮ジャミトフ・ハイマンと、若きティターンズ監察軍政官庁長官アイン・ムラサメが、ふたりだけで向かい合っていた。

 

 窓の外では、夕刻のダカールの赤い陽が海面を染め、無風の港に揺らめく水面が、まるで未来の天秤のように静かに揺れていた。

 

 長い沈黙のあと、ジャミトフが重たく切り出す。

 

「──神輿になる気はあるか?」

 

 声は低く、感情を抑えた語調だった。

 

 それは命令ではなかった。

 

 問いでもなかった。

 

 ただ、ひとつの“可能性”を示したに過ぎない。

 

 しかし、その言葉の持つ意味は重い。

 

 否、それ以上に、“覚悟”を問うものだった。

 

 アインは答えず、ただ目を伏せた。

 

 薄く瞼を閉じ、胸の内にある何かをゆっくりと噛み砕くように、静かに、静かに数秒を過ごす。

 

 やがて、彼は再び目を開け、正面のジャミトフを真っ直ぐに見据えた。

 

「……お忘れですか、閣下。自分は──“春と秋”を取り戻したいと、そう申し上げました」

 

 その声音には、迷いも虚勢もなかった。

 

 ただ、己の信じるものを掴み取ろうとする者の、確かな意志があった。

 

 ジャミトフはほんのわずかに目を細め、鼻から短く息を抜いた。

 

 それは嘲笑でも、軽蔑でもない。

 

 静かな驚きと、ある種の安堵に似た吐息だった。

 

「……そうだったな。君は、そう言った」

 

 懐かしむような口調だった。

 

 だが、その内奥には、政の世界に身を置く者として、たったひとつの“問い”にようやく答えてくれた部下への、深い信任があった。

 

 ジャミトフは椅子の背に体を預け、手元のグラスを指先で回す。

 

「“武”にバスクがあるなら、“理”には君がいる。……それでいい」

 

 陽の落ちかけた会議室に、再び沈黙が満ちる。

 

 だがその沈黙は、先ほどのそれとは違っていた。

 

 もはや“確認”は終わった。

 

 ティターンズという巨像に、もう一対の足が据えられたのだ。

 

 その日、夕陽を受けて紅く染まったアルビオンの艦影は、港に集う多くの連邦兵や政治家たちの視線を集めていた。

 

 それが、新たな時代の幕開けであることを、誰もまだ知る由もなかった──。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

ダカール──地球連邦議事堂 議員棟 ロビー

 

 地球連邦総会──全地球規模で統治権を持つ議員たちが一堂に会し、地球圏の未来を左右する数々の議案が審議される政治の中枢。

 

 その議事堂には、式典を前に到着した政治家たちとその随行者、護衛を務める連邦軍将兵たちが集い、喧騒と緊張とが微妙なバランスで入り混じっていた。

 

 その空間に、ひときわ静かな“異物”が歩を進めていた。

 

 ティターンズ総帥ジャミトフ・ハイマン。

 

 そしてその傍らに寄り添うようにして歩く──金髪碧眼の、あまりにも若い士官。

 

 艶のある金髪は後ろで軽く束ねられ、制服の着こなしは完璧。凛とした眼差しと背筋の通った所作、どこを切り取っても隙はない。

 

 だが、その顔立ちにはまだ幼さが残り、年端もいかない少年に見えてもおかしくなかった。

 

 誰もが最初、彼をただの“お付きの小姓”と見なした。

 

 ──そのときまでは。

 

「警備動線、南棟Eラインに流れが集中しています。オブライエン議員は早めに第4控室へ誘導を。民間通信社の入館処理、10分前倒しで通してください」

 

 青年が歩きながら手短に告げた指示に、周囲のMPや将兵たちが即座に頷き、迅速に散っていく。

 

 次いで、議員の一人が顔をしかめながら声をかけた。

 

「……あの、君、警備関係者かな? いや、まさか指揮を執っているわけじゃあるまい?」

 

 青年──アイン・ムラサメ中佐は、振り返りすらせず、端的に答えた。

 

「監察軍政官庁、長官代理です。現場指揮権限、正式に承認されています」

 

 その言葉に、その場の空気が一瞬固まった。

 

「──長官、だと……?」

 

 周囲の視線が一斉に集中する。

 

 昨年の総会には姿すらなかったその名は、政治の世界ではあまりに唐突だった。

 

 それどころか、つい数カ月前まで“ティターンズ調査局特務室”という、内々の監査機関の一室にいた存在だ。

 

 にもかかわらず──。

 

 今や“ティターンズ監察軍政官庁”の長官として、堂々と連邦総会の警備体制の要に立ち、あのジャミトフの直近に控えている。

 

 「冗談では……」「あの年齢で?」「あれがティターンズの軍政の指揮者?」

 

 懐疑、困惑、そして侮蔑といった色合いの混じった視線を、アインは真正面から受け止めた。

 

 しかし、いざ言葉を交わすと──様相は一変した。

 

 応対は簡潔、だが礼を失さず、いかなる問いにも即座に答え、己の職掌を一言も迷わずに説明してみせる。

 

 それはただの叩き上げでもなければ、名ばかりの象徴でもない。

 

 実務と知性を携え、政治的言語を理解した“理性の人間”。

 

 その才覚と器量の深さに、言葉を失う者が続出した。

 

(……これは、ただの若造ではない)

 

(いったい、どこでこんな人材を……?)

 

 中には、そんな才覚に接して早くも“蜜”を求める議員も現れ始めた。

 

「ムラサメ中佐、よければ総会後に一席……」

 

「申し訳ありません、総会後は次の軍務日程が詰まっておりまして」

 

 アインは、そうした“誘い”をことごとく軍務と儀礼で丁重に退けた。

 

 決して乱暴に拒絶せず、しかし決して首を縦には振らない。

 

 ──距離を取る技術に、すでに老練さすら漂っていた。

 

 そんな様子を、少し後ろから見守っていたジャミトフ・ハイマンは、面白げに目を細めていた。

 

 口は挟まない。介入もしない。

 

 ただ、黙って“試されている若き政治士官”の働きを観察していた。

 

 その姿は、彼をよく知る者にしてみれば──異様だった。

 

(……あの妖怪ジャミトフが、まるで孫を見守るように)

 

 震えるような戦慄が一部の議員を走る。

 

 軍政という荒海に咲いた、異様な白百合。

 

 それは、単なるジャミトフの“寵愛”などではない。

 

 政軍の世界において明確な“後継”を告げる、重大な兆候だった。

 

 やがて、控室の廊下を歩く中──ジャミトフは静かに呟いた。

 

「見えるか、アイン。……これが“政治屋”というものだ」

 

 アインは歩みを止めず、ただ短く頷いた。

 

「はい」

 

 その声には、恐れも、媚も、怒りもなかった。

 

 ただ、事実を受け止めた者だけが発する、静かな呼吸のような肯定。

 

 それは、地球連邦政府の中心に、確かに“ティターンズの理”が根を張りつつあることを示していた──。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

【U.C.0087年7月上旬 ダカール連邦議事堂前 式典会場】

 

 アフリカの陽光が、議事堂前の白亜の広場を照らしていた。

 

 この日、ティターンズ監察軍政官庁──旧・調査局特務室──主催の式典において、新型モビルスーツの公開展示が行われるという報が走ると、政界、軍部、マスコミ関係者を含めた多数の招待者が会場を埋め尽くしていた。

 

 特に注目されたのは、従来の軍備披露と異なり、ジャミトフ・ハイマン自らが「軍政転換期の象徴」と称して出席を明言していたことだった。

 

 ──そして、セレモニーは静かに幕を開ける。

 

 まず展示されたのは、一体の試作型モビルスーツ。

 

 その機体色は落ち着いたグレーと深緑のツートン、現場運用を見据えたミリタリーカラー。

 

 見た目は一見地味だが、鋭いラインと洗練された装甲形状から、観客の目は否応なく引き寄せられる。

 

 機体の名は《ジェダ》。

 

 その場で発表された公式資料では、「ジム系列の操作性を受け継ぎつつも、戦後MS設計の合理化を追求した新世代機」であることが強調された。コクピットは開かれておらず、機体は無人での静態展示となっていた。

 

「このジェダが無人展示である理由について、皆さまの疑問はごもっともでしょう」

 

 司会を務めたのはティターンズ監察軍政官庁技術監理局の軍務官。その口から語られたのは、意外な情報だった。

 

「本日ここに展示されたジェダのコア・メインフレームは、現在飛行中の試作機──アンクシャ2号機として使用されています」

 

 会場がざわつく間もなく、その上空から轟音が鳴り響いた。

 

「──来たぞ!」

 

 誰かが叫ぶのと同時に、青空を切り裂いて降下してきたのは、MA形態の2機の機体だった。

 

 その流麗な機体は、鋭角的なノーズ、低く抑えられた翼、そして艶やかな濃緑の塗装を特徴とし──。

 

 

 《アンクシャ》

 

 

 観客の多くが初めてその名を耳にする瞬間だった。

 

 まるで戦闘機のように突入してきた2機のアンクシャは、高度を保ったまま、そのまま機体形状を流れるように変形させた。

 

 MA形態からMS形態への可変──これだけでも拍手喝采が起こるには充分だったが、演出はそれで終わらなかった。 

 

 一度MS形態となって高度を維持した後──。

 

「宙返り、だと……!?」

 

 アンクシャ1号機──ブラン・ブルターク少佐機が宙を舞うように背面飛行に転じ、重力をものともせず再度MA形態へと変形。

 

 推進噴射と共にその姿を青空へと吸い込まれるように引き上げた。

 

 続けて、2号機も同様の機動──こちらはチャック・キース少尉の操縦によるものだ。

 

 MAからMSへ、そしてMSから再びMAへと、宙返りを挟んでの一連の流れは、まるで“重力下におけるダンス”であった。

 

 その空力バランス、推進制御、フレーム構造の強度、そしてパイロットの操縦技能。

 

 全てが精密な調律の下に演出されていた。 

 

 着陸後、通信回線を通じてブラン少佐から無線が入る。 

 

『──派手な芸をやらせやがって。だが、お見事だったぞ、キース。お前じゃなきゃできねぇってのは確かだ』

 

『は、はっ……ちょっとは見せられたみたいで、安心しました、少佐……!』

 

 やや息の上がったキースの声に、式典司会者のトーンもひときわ高まる。

 

「本日、披露されたジェダおよびアンクシャ──その開発設計を統括されたのは、現ティターンズ監察軍政官庁長官アイン・ムラサメ中佐であります」

 

  ──この瞬間、会場の空気が変わった。

 

 それまで“ただの若い指揮官”程度に見ていた者たちが、眉をひそめて視線を送る。

 

 まさか──この兵器群を、あの少年のような青年が手掛けたというのか。

 

 追い討ちをかけるかのように、スクリーンに一機の機体の完成想像図が映し出された。

 

 

 《次期主力機・ジェガン》

 

 

 洗練されたフォルムと、徹底的に規格化された兵站設計。

 

 それはジェダ、アンクシャと共通の設計言語を有し、同じ開発系譜にあることを明確に示していた。

 

 まさに“量産のための量産機”──宇宙世紀を担う新たなMS像。

 

 その映像を見上げながら、静かに壇上に立つアイン・ムラサメの姿。

 

 その少年の面差しに、もはや“偶然の産物”という言葉を重ねる者は誰一人いなかった。

 

 それは、意志と技術と信念が積み重なって成された成果であり、

 

 そして──未来の象徴だった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 式典が幕を閉じ、ジェダとアンクシャの見事な演出飛行が各国要人や連邦高官、報道陣の目に焼きついた直後──。

 

 報道陣の列は、壇上脇の特設通路へと殺到していた。

 

 狙いはただ一人。

 

 突如としてティターンズの前面に姿を現し、新型MS群の設計統括を担ったと発表された青年──。

 

 アイン・ムラサメ中佐。

 

 まだ若く、どこか少年の面影を残す顔立ちのその軍人は、だが制服の胸に輝く中佐の階級章と、目の奥に宿した光によって、ただの若造ではないことを物語っていた。

 

「中佐! 中佐、お話を──!」

 

「新型MSの開発は本当にあなたが?」

 

「ジェガンの詳細は? アンクシャの可変機構について教えてください!」

 

 各社の記者が一斉に声を上げ、マイクを突きつける。

 

 アインは足を止め、背筋を伸ばしたまま、静かにひと呼吸置いてから応じた。

 

「……新型MS群──ジェダ、アンクシャ、そしてジェガンの開発は、監察軍政官庁特務局の管轄下にて、複数チームの協力を得て進められました」

 

「では、あなたはその統括責任者として?」

 

「統括、というよりも。私はそれらの設計を“結びつけ”、構造を一本に繋げる役割を担いました。個人の功績ではなく、組織の成果として評価していただきたい」

 

 誇張も否定もせず、ただ淡々と事実を述べるその姿に、記者たちのトーンが徐々に変わっていく。マイクの動きが落ち着き、質問も次第に核心へと踏み込んでいく。

 

「ジェガンとアンクシャは設計規格を共有しているとのことですが、それは兵站を意識した設計ということでしょうか?」

 

「はい。現場の整備効率、補給体制、そして部品共有化によるコスト削減は、実戦投入を前提とした兵器開発における前提です。我々は“現場で役立つ兵器”を創るべきであると考えています」

 

 うなずきながら記録を取る記者の中に、少し毛色の違う質問が投げられる。

 

「では、アイン中佐。失礼ながら、あなたは昨年のこの総会には名も姿もありませんでした。それが今、あのジャミトフ閣下の隣に立つ存在となっている……いったい、ティターンズは何を目指して変わろうとしているのですか?」

 

 一瞬、周囲が静まる。

 

 その問いには、軍事だけでなく政治的な背景が含まれていた。

 

 だがアインは、微かに目を細めただけで、静かに言葉を返した。

 

「……私は、市民を守る、連邦軍の軍人です」

 

 その一言に、記者の手が止まる。

 

「いかなる政治的思惑があろうとも、ティターンズは本来、連邦軍の一部であり、“守るための力”であるべきです。私はその理念を曲げずにいられるよう、粉骨砕身──務めさせていただく所存であります」

 

 言葉は少なく、しかし一点の曇りもなく響いた。

 

 まだ中佐。 

 

 まだ青年の面差し。

 

 だが、そこにあったのは軍政官庁の長たるに足る“誠実と理知”であった。

 

 ──拍手は起きなかった。

 

 だが、その場にいた記者の多くが、記憶に刻み込むようにその名を反芻していた。

 

 アイン・ムラサメ中佐。

 

 誰も知らなかった“ジャミトフの切り札”の名は、静かに世に広まり始めていた。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 式典が終わり、議事堂の応接室の一室では、各方面から集まった議員たちが顔を寄せ合い、冷たいシャンパングラスを片手に談笑──という名の情報交換を交わしていた。

 

 だが話題はもっぱら、先ほど壇上に現れた若き中佐──。

 

 アイン・ムラサメという名の男に集中していた。

 

「……それにしても、あの若さで中佐とはね。ジャミトフ閣下もずいぶん思い切ったことをする」

 

「いや、それどころかあの“監察軍政官庁”とかいう新部署の長官職にあるそうじゃないか。正気か? あんな若造に組織を丸ごと預けて大丈夫なのかね」

 

「ふん……貴様ら、何も知らんようだな」

 

 老獪な表情を浮かべた一人の老人議員が、鼻で笑ってグラスを置く。

 

「あの男、“ムラサメ研究所”出身だ。強化人間──人工的な戦闘適性を与えられた軍用実験体だよ」

 

「……なんだと?」

 

「信じられん。あの落ち着きと弁舌、まるで軍政官か外交官のようだったぞ?」

 

「いや、それが“成果”ってやつさ。だが……」

 

 グラスを揺らしながら別の男が低く呟いた。

 

「強化人間? 何をどう強化したら、ああなる? まるで、恐ろしくも聡明な怪物だ」

 

「なるほど……それで納得がいった。だがその怪物を、よくまあ塩漬けにして放っておいたバカが居たもんだな。あれほどの切り札を、どうやって今まで隠していた?」

 

「ジャミトフ閣下の……お手付きかもしれんぞ?」

 

「おいおい、それは冗談だろう?」

 

「……冗談で済むかどうかは、これからだな。だが、まだ若い。若すぎる。何より、政治的な動きには慣れていないように見えた。利用する余地はある」

 

「ふむ……金か女か。案外、そういう手合いには簡単に靡くものだ」

 

「おいおい、迂闊に仕掛ければ逆に喰われるぞ? あの目を見ただろ。中身が中佐どころか、閣僚クラスの覚悟を決めてるように見えた」

 

「でも──」

 

 やや軽薄そうな若手議員が身を乗り出す。

 

「それでも、現実には彼はまだ“子供”だ。

 我々が真に恐れるべきは、ああいう“正義を疑っていない子供”だよ。

 理想に殉じる者ほど、現実の政治には脆い。手を貸せば、いずれ傀儡にできる」

 

「……傀儡にできるか、“主”になるか。それを見極められぬ奴から、先に落ちる」

 

 古参の一人がそう言って、目を伏せる。

 

「だが少なくとも一つ言えることがある──あの青年は“答えられる”者だった。問いかけにも、賛辞にも、疑念にも、恐れにも。あれを前にして言葉を飲み込んだ記者が、いったい何人居たことか」

 

「……確かに」

 

「本当に“怪物”かもしれんな。ジャミトフが孫のように可愛がるだけのことはある」

 

「可愛いがってる? ……あの妖怪が? 怖気が走るわ……」

 

 誰ともなくそう呟き、応接室には静かに緊張が戻っていく。

 

 ──アイン・ムラサメ。

 

 その名は、政争の世界においても既に、見えざる盤面に置かれた“最重要駒”として刻まれていた。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 鉄骨とコンクリートに囲まれた灰色の空間に、冷たく無機質な振動音が響いていた。

 

 軍用回線専用の通信モニターには、ダカール式典の中継映像が映し出されている。

 

 青空の下で無人展示されたMS《ジェダ》と、それに続く二機の可変機《アンクシャ》が大空を切り裂くように出現。

 

 変形、宙返り、そして再変形という一連の“演舞”を終えて式場の空を離脱するまでの一部始終が、静謐な解説音声と共に再生されていた。

 

 その様子を、苦虫を噛み潰したような表情で見つめる男がひとり──。

 

 バスク・オム大佐。

 

 かつてのジャブロー地下制圧作戦では強行突破を成功させ、以後、ティターンズ実戦部隊の主導を担ってきた“武”の象徴とも言える軍人である。

 

 

「……何を、見せつけている」

 

 バスクは唸るように言い、眼鏡越しの目を細める。

 

 次の瞬間、画面が切り替わり、記者団の前に立つアイン・ムラサメ中佐の姿が映る。

 

 金髪碧眼──まだ青年と言っても差し支えない若さでありながら、落ち着き払った口調と所作で、ジャーナリストたちの質問にひとつひとつ丁寧に答えている。

 

 ──「ティターンズはどう変わるのか?」

 

 その問いに対する答えが、バスクの耳に入った。

 

『私は市民を守る連邦軍の軍人です。ティターンズがその責務を果たせる様、私は粉骨砕身務めさせて頂く所存であります』

 

 ……その瞬間だった。

 

 バスクの額に血管が浮かび、机に置かれた端末が拳によって跳ね上がった。

 

「笑わせるな……っ!」

 

 重々しい怒声が、分厚い扉の向こうまで響き渡る。

 

 オフィスの隅に控えていた副官が顔色を変えるが、口を開く暇もない。

 

「市民を守る連邦軍の軍人だと!? 誰の許可でそんな寝言を口にした!!」

 

 バスクの瞳は怒気に染まり、画面のアインを睨みつける。

 

「ティターンズとは、地球圏の秩序を力を以て維持する、正義の軍隊であるはずだ……! 市民だの人権だの、そんな幻想に縋って秩序が保てるものか!」

 

 鋼鉄の重ブーツが床を踏み鳴らす音が響く。

 

「強化人間の青二才が、玩具を作って偉く出たものだ……!戯けが、“兵器”をもてあそぶな……!!」

 

 彼の怒りは、個人的な嫌悪と政治的焦燥がないまぜになったものだった。

 

 ──ジャブローの戦果が曖昧になり、ジャミトフの寵愛が未知の中佐へと移り変わった現実。

 

 ──ティターンズ本流からは見えにくい場所で着実に成果を上げ、今や“正統”を語るに足る戦略と開発実績を重ねたアイン。

 

「力なき理想が、秩序を生むと思うなよ……!」

 

 吐き捨てるように呟いたその時、バスクの中に一つの衝動が芽生えていた。

 

 ──このままでは、“あの少年”がティターンズの中心に立つ。

 

 その未来が現実のものとなれば、自分たちの“流儀”はやがて否定され、追い詰められていく。

 

「いいだろう。ならば、見せてやる。どちらのティターンズが“真の力”を持つのかをな……!」

 

 モニターの中、穏やかな表情で記者たちに一礼するアインの姿に、バスクの眼光は鋭く突き刺さっていた。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

ラビアンローズ エゥーゴ戦略会議室

 

 艦橋ではなく、静かな会議室の一角に設けられた小規模なホロ投影室。

 

 今まさに、ダカールにて開催中の連邦式典が中継され、ホログラム映像として展開されていた。

 

 無人展示されたジェダの威容。

 

 そして、空を裂いて飛来したアンクシャ2機の、あまりに洗練されたMA⇔MS変形飛行。

 

 最後に、あの少年将校──アイン・ムラサメ中佐の端正な顔立ちと、淡々と語る姿。

 

『……私は市民を守る連邦軍の軍人です。ティターンズがその責務を果たせる様、私は粉骨砕身務めさせて頂く所存であります』

 

 その台詞が終わると、投影装置は自動でシャットダウンした。

 

 室内に残されたのは、ブレックスとクワトロの二人だけである。

 

 ブレックスは長い沈黙のあと、息を吐いた。

 

「……さて、我々は“軍靴の暴走”を止めるために集った。だが──」

 

「ええ」

 

 クワトロが静かに応じた。

 

「あれが“理性ある軍靴”であれば、話は変わります」

 

 ブレックスは頷きながら、卓上の記録端末を手に取る。

 

「アイン・ムラサメ中佐。ジャブローでの偽装作戦。MS設計に関する一連の功績。そして今回の式典──ここまで洗練された政治演出を、あの若さでこなすか」

 

「若い。だが、侮れない。軍政家としての統制力も、設計思想も、並の幕僚クラスでは到底届きません」

 

「まるで……いや、シャア、君なら理解できるはずだ。あの少年は、“何か”を取り戻すために戦っている目をしていた」

 

 クワトロは目を伏せ、短く答えた。

 

「……はい。あれは“喪失”を知っている者の目です。人を導くに足る苦痛を、背負っている者の目とみました」

 

 ブレックスは軽く目を細めた。

 

「ジャミトフが彼を前面に押し出したのも、頷ける。もしティターンズが彼を“軍政の顔”に据えるのならば、エゥーゴの存在意義すら問われかねない」

 

「……だとしても。こちらにも“未来を託せる者たち”はいます」

 

 ブレックスはクワトロを見つめた。

 

「そうだな。君もその一人だよ、シャア・アズナブル。……いや、クワトロ・バジーナ大尉」

 

「……責任の重さなら、よく知っているつもりです。ですが」 

 

 そこまで言いかけて、クワトロはわずかに目を伏せ、呟いた。

 

「……あれほど真っ直ぐな目で、“市民”と“責任”を語れる若者が、よりによってティターンズに居るとは……皮肉なものです」

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

ジュピトリス艦内・戦術管制室隣接の観測スペース

 

 パプテマス・シロッコは、精巧なワイングラスを手に、無言でスクリーンを見つめていた。

 

 投影されていたのは、ダカールにて行われたティターンズの新型MS披露式典の模様と、それに続くアイン・ムラサメ中佐のインタビュー映像である。

 

 ジェダ、変形を繰り返すアンクシャの華麗な空中演舞。

 

 そして、その背後に控えながら、清冽な言葉で「市民を守る連邦軍の軍人である」と宣言する少年──。

 

 その表情に、虚勢も傲慢もない。

 

 あくまでまっすぐに、自分の立ち位置と使命を語る眼差しがあった。

 

「……あれが、“新しい顔”か」

 

 吐き出すように呟くと、手元のワイングラスを傾ける。

 

 静かにワインが揺れ、深紅の液面に少年の映像が映った。

 

「ティターンズ。いや、ジャミトフ閣下もまた──ここに来て“軍人の貌”を仕立ててきた、というわけだな」

 

 しばし沈黙。

 

 傍らに立っていた補佐官が、口を開く。

 

「……閣下。補給線の件、再度グラナダ側からの提案を──」

 

「いい。放っておけ」

 

「はっ……」

 

 シロッコは視線を画面に戻す。

 

 その眼は、どこか冷ややかで、同時にわずかに楽しげだった。

 

「なるほど。“粉骨砕身”……か」

 

「御意見を伺っても?」

 

「いや。ただの独り言さ」

 

 シロッコはゆっくりと立ち上がる。

 

「結構なことじゃないか。ジュピトリスがあるから予算と補給は充分──つまり、私は後方でおとなしくしていろと?」

 

「……」

 

「構わん。だが、興味深い。あれほどのパフォーマンスを支えながら、少年は一度たりとも自分を誇示しようとしなかった」

 

「確かに……演出は完璧でしたが、あくまで“ティターンズの軍人”として語っていました」

 

「そう、“個”ではない。“公”に殉じる軍人。──だがな、それは一歩間違えばただの道化だ」

 

「は?」

 

「あの少年がどこまで理解しているのかは知らんが、“真の器”とは、他者に抱かれる幻想を己の外郭に変えられる者のことを言う」

 

 シロッコは唇の端をわずかに持ち上げる。

 

「まあ、せいぜい踊って見せてくれ。ジャミトフの操り人形なのか、それとも──あの男を食う“怪物”に育つのか、見物だ」

 

 ワイングラスを置くと、背後に控えていた幕僚へと向き直る。

 

「さて、こちらも“地ならし”を始めようか。月と木星圏は、このまま誰かの庭にされるには広すぎる」

 

「……かしこまりました」

 

「ムラサメ中佐……いや、アイン・ムラサメか。ならば君には、ジュピトリスの本気を、いずれ知ってもらおう」

 

 シロッコは観測スペースを静かに後にした。

 

 その背中からは、やわらかな微笑と、氷のような冷徹が同時に漂っていた。

 

  ──《風はまだ吹いている。誰の帆を満たすかは、まだ分からん》。

 

 

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