ムラサメさん家のイチバン=サン   作:星乃 望夢

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第45話 美しいぞ、アイン・ムラサメ

 

【地球連邦議事堂・議長執務室/早朝】

 

 空が光を孕む前──まだダカールの港に朝の湿気が立ち込める時刻。

 

 その影は、海の彼方からゆっくりと現れた。

 

 ガルダ級超大型輸送機スードリ。

 

 その艦影を、地球連邦の最高位にある老政治家、ゴップ議長はただ静かに、窓から見つめていた。

 

 巨艦は議事堂の真上を掠めるようにして、音もなく進む。

 その機体には、もはや見慣れた【TITANS】の文字──だが、塗装が一部塗り替えられている。

 

 “TITANS INSPECTION ADMINISTRATION BUREAU”

 

 新たな記章。

 

 それは明確な「軍事組織」ではなく、“政治的な行政機関”を標榜する意思を、はっきりと世に示していた。

 

 やがてスードリは、港湾沿いの滑走路へと静かに降下し、巨体を横たえる。

 

 そのすべてを見届け、ゴップは一度だけ短く息を吐いた。

 

「……名を変え、姿を変え、秩序の名で“臨在”を示したか。あの少年……」

 

 窓の向こうには、すでに朝焼けが溶け始めていた。

 

 彼は一歩、窓辺に寄る。

 

 議事堂の古いカーテンがわずかに風に揺れた。

 

 ──ティターンズ監察軍政官庁。

 

 名を変え、体を整え、旧来のティターンズの「武威」から距離を取り、だがその力の根幹を“より精緻な形”で残してみせたのだ。

 

「“改革”ではない。“再定義”だな。……彼のやることは、いつもそうだ」

 

 ゴップの声には、もはや驚きも警戒もなかった。

 

 あるのは、冷静な観察と、長く政局を歩いた者だけが持つ諦観に近い洞察。

 

「……ティターンズ調査局の時点で既に“軍隊ではない”ことを示していた。それが今、“監察庁”という名で正式に行政として昇華されつつある……」

 

 彼は、掌を一度開き、そしてゆっくりと握る。

 

「民衆は、やがて……ティターンズの名を、“恐怖”ではなく“秩序”として記憶するかもしれん」

 

 苦笑すら漏らさない。

 

 それほどまでに、この展開は“静かに仕組まれていた”のだ。

 

「そして……その秩序の顔は、ジャミトフではない」

 

 言葉を区切る。

 

「──アイン・ムラサメ。十九歳の監察軍政官長官。……歴史に残る名だよ、これは」

 

 スードリが停泊を終える。

 

 報道ヘリが遠巻きに旋回を始める。

 

 ゴップは椅子に戻り、議会開始のブザーが鳴るのを待つ前に──静かに、つぶやいた。

 

「だが……《象徴》を掲げた者は、いずれ《審判》も受けねばならんぞ。少年よ。

 お前が“市民の秩序”を名乗るならば、その秩序は──いつか《市民自身》によって試される」

 

 そして、再び沈黙。

 

 その顔は、政治の舞台に立ち続ける“最後の老将”としての厳しさを取り戻していた。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

【地球連邦議事堂・南側中庭/開会一時間前】

 

 朝の空に、影が差した。

 

 会期二日目を控え、登庁前の各国議員や軍関係者が散在する中庭──。

 

 その中心に佇んでいたブレックス・フォーラ准将は、誰よりも早くその機影に気付いた。

 

 見上げる。

 

 青空を裂くようにして、巨大な艦影が滑空してくる。

 

 ガルダ級超大型輸送機スードリ。

 

 その姿は、まぎれもなく──連邦軍が誇る空中の象徴であり、戦場で幾多の部隊を運び、幾多の戦火の上を越えていく巨鳥。

 

 だが今、その表面に描かれた標章は、ブレックスの眉を明らかに動かした。

 

 ──「TITANS INSPECTION ADMINISTRATION BUREAU」──

 

 軍艦ではない。

 

 監察機関として再定義されたその名は、軍事行動ではなく、“秩序の名による臨在”を意味していた。

 

 ブレックスは、わずかに口を引き結んだ。

 

「……やられたな、ジャミトフ。そして……アイン・ムラサメ」

 

 その言葉は、悔しさでも憎悪でもない。

 

 むしろ、幾度となく政軍を渡り歩いた者だからこそ理解できる“打ち手”への、静かな評価だった。

 

 情報は掴んでいた。

 

 スードリは、かつてエゥーゴが一時鹵獲し、放棄した機体。

 

 それをティターンズ調査局──すなわちアイン・ムラサメが密かにジャブローで保全していた。

 

 そして今。

 

 “ティターンズの名を変え”、

 “武装を秘し”、

 “理性を名乗り”、

 “地上に旗を打ち立てた”。

 

「……あの少年、“見せ方”を知っている。いや……《民意の重み》を理解しているというべきか」

 

 やがてスードリは、音もなく港湾へ降下し、議会を睥睨するかのように停泊した。

 

 周囲の議員たちはざわめき、報道陣は一斉にカメラを向けた。

 

 そのすべての喧噪の中にあって、ブレックスだけは静かに立ち尽くしていた。

 

 視線はなお空に向けたまま。

 

 その背中には、戦士としての鋭さではなく、政治家としての沈黙が漂っている。

 

「──これは、“ティターンズの軍靴”ではない。

 ……“ティターンズの行政”という、より狡猾な形だ」

 

 誰に語るでもなく呟くその声は、まるで未来の戦争が形を変えて始まったと察する者のそれだった。

 

 それでも。

 

 ブレックスの瞳には、わずかな光があった。

 

 怯えではない。

 

 “政治が再び動き出した”ことを感じ取る者の、わずかな期待。

 

「ならば……エゥーゴもまた、“武器”だけではなく、“言葉”を磨かねばならんということか」

 

 彼は踵を返す。

 

 すでに議会の鐘が遠くから聞こえ始めていた。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 ジュピターの名を冠した巨大艦の奥、厚い隔壁と重力調整フィールドの裏にある一室。

 

 電子燐光に照らされた薄青の空間の中、パプテマス・シロッコは深く沈み込んだソファの上で、映像端末を静かに眺めていた。

 

 表示されているのは、地球連邦議事堂を背景にした連邦放送局のニュース速報──。

 

> 「昨日正午、ティターンズ監察軍政官庁本部機であるペガサス級強襲揚陸艦《アルビオン》が、月面フロント・フォン・ブラウンへと向けて発進いたしました」

 

 

> 「これは先日、連邦議会へ提出された“アポロ作戦概要書”との関連性が指摘されており──」

 

 

> 「また、同庁は本日午前6時、ダカール現地に《ガルダ級超大型輸送機スードリ》を本部機として臨時展開。市民および議員の安全確保に資するものと発表しています──」

 

 

 シロッコは、ゆっくりと目を細めた。

 

 ──動く。

 

 あの少年は、常に“同時”に、複数の盤面を見ている。

 

 ジャミトフ・ハイマンの緊急声明と、アイン・ムラサメの記者会見。

 

 あれはただの幕開けに過ぎなかった。

 

 議場の空を翔けるスードリは“理性の旗”。

 

 その旗を、誰よりも速く、誰よりも美しく掲げた。

 

「……政治が、こんなにも綺麗に機能することがあるとはな」

 

 己の掌を、ゆるく握ってみる。

 

 震えている。

 

 自らの中枢──精神の設計図とも言うべき意識の深層に、灼けるような熱が走っていた。

 

 それは羨望か。

 怒りか。

 或いは──

 

「……美しいぞ、アイン・ムラサメ」

 

 囁きに似たその声は、誰にも届かぬ密室に、熱を孕んで滴った。

 

 いかなる詭弁も、いかなる権威も、そしていかなる“女性”でさえも──

 

 シロッコの精神機構を焼き付かせるまでには至らなかった。

 

 だが。

 

 あの少年は、やってのけた。

 

 “歴史という盤面に、己を配置する術”を。

 “言葉によって民意を掴む洗練”を。

 “構造そのものを書き換える設計力”を。

 

 そのすべてを、わずか19歳で披露して見せた。

 

 そして──それを誰にも気取らせず、誰からも恨まれず、

 正義の顔で押し切ってみせた。

 

「お前は……“王”ではないな。だが、“王を生み出す建築家”だ」

 

 そのことが、シロッコを焦燥させた。

 

 ──彼が選んだ器が、ジャミトフ・ハイマンであろうと。

 ──彼が掲げた旗が、ティターンズであろうと。

 

 もはや、どうでもいい。

 

 問題は──。

 

 この“炎”を見た者が、誰一人として無傷では済まぬということだ。

 

 目を閉じる。

 

 思考が焼かれる。

 

 戦略が、思想が、秩序の構築が、“その顔”と“声”と“動き”によって塗り替えられていく。

 

 ──最初は反吐が出た。

 

 だが、いまは違う。

 

 その存在は、毒であり、麻薬であり、奇跡だった。

 

「……アイン・ムラサメ。貴様は、私を“動かす”資格を得たかもしれんぞ」

 

 艦内の灯が、静かに瞬いた。

 

 パプテマス・シロッコ。

 

 女帝の設計者たる彼が──初めて、男の名を呟いて震える。

 

 そして同時に、自らの中に走る“興奮”の正体を認めるのだった。

 

 ──これは、恋慕ではない。

 

 ──これは、嫉妬ではない。

 

 構築者が構築者を愛する感情だ。

 設計者が設計者に屈する悦びだ。

 生きた建築物としての魂が、共鳴を始めているのだ。

 

 ふと、端末に映るスードリが、太陽を背に黒く輝いた。

 

 まるで“神殿”のように。

 

 シロッコの笑みが、初めて歪む。

 

「ならば私は──その神殿に、真の柱を立ててやるまでだ。アイン」

 

 目が、爛々と輝いた。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 格納区画の再構築作業が終わり、艦内にティターンズ監察軍政官庁の臨時本部機能が移植されていく。

 

 通信、衛星中継、戦術統制端末、報道対応ライン、そして何より「政」の座標軸。

 

 巨大な機体が、まさに今、“空飛ぶ政治機関”へと変貌しつつあった。

 

 その調整の合間を縫うように──アイン・ムラサメは私室扱いとなった艦橋後方の副室に姿を見せた。

 

 薄く張られたパーソナル・シールドが外界の喧噪を遮断する。

 

 備え付けの簡素なホロパネル。その一点に、彼は静かに手を置いた。

 

「──ジュピトリス、パプテマス・シロッコ閣下と通信を。……コード:θ-Zeta-13、ムラサメ個人回線」

 

 すぐさま返答が入った。

 音ではない。映像でもない。

 

 ──ただ、静寂の“許可”が、確かに開かれた。

 

 ホロパネルが淡く揺れ、そこに現れたのは──

 

 艦橋らしき背景と共に立つ、ひとりの長身の男。

 髪を風のように靡かせ、どこか神殿建築を思わせる容貌のその男は、アインを一瞥し、口角をわずかに上げる。

 

『ようやくお呼びがかかったか。これは、礼節の証と見てよいかな?』

 

 その問いに、アイン・ムラサメは深く頷いた。

 

「はい。……今朝のスードリ展開、並びにフォン・ブラウン宛《アルビオン》出発命令──どちらも、昨日頂戴した“アポロ作戦概要書”の迅速な裏取りがあってこそです」

 

『謙虚だな。私なら、すべて自分の功績にしていただろう』

 

 シロッコの声音は、からかいとも称賛とも取れた。

 

 だがアインの視線は、わずかも揺れない。

 

「貴方が“私の敵”であったとしても、恩を仇で返すような真似はしません」

 

『ふむ……』

 

 シロッコは、顎に手を当て、僅かに目を細めた。

 

『まったく、恐ろしい子だ。ここまで“本質”を見て会話を組めるのは──私以外には、ジャミトフ・ハイマンくらいのものかと思っていたが……』

 

 アインは返さなかった。ただ、背筋を正し、告げる。

 

「本来であれば、直接お会いして礼を申し上げたいところですが──現在スードリ本部移設中につき、せめてもの礼節として、通信面会を希望しました」

 

『通信で十分だ。礼儀は受け取ろう。……君の動きはすでに歴史を変えている。私は、ただの観測者だよ』

 

「いえ。貴方は“立会人”です。構築者であり、技術思想の担い手。……ならば、必ずどこかで我々は重なるはずだと思っていました」

 

 沈黙が訪れる。

 

 だがその沈黙は、拒絶の間ではなかった。

 

 互いの知性と理性が、今この瞬間、交感するための沈黙。

 

 そこに言葉はいらない。思想と思想は、言葉以上に“速く”、接続する。

 

『貴様は──』

 

 シロッコが口を開いた。

 

『──“王を作れる器”だ。だが、自らは王になろうとしない。なぜだ?』

 

 アインはしばらく黙したあと、ゆっくりと答えた。

 

「王が治める世界より、王がいなくとも成り立つ世界を作りたいだけです」

 

 シロッコの目が、大きく見開かれた。

 

 それは恐らく、彼の長い人生で初めての──“概念に殴られた”ような感覚だった。

 

 それを表情には出さず、彼は声を低く、どこか愉悦を帯びて囁く。

 

『……私の中にある、まだ形になっていない“新しい建築”が、今、音を立てて揺れている』

 

「ならば、共に設計しましょう。貴方がその価値を認めるならば」

 

『フッ──良かろう。だが忘れるな。私は美をこそ尊ぶ。貴様の秩序が醜くなれば──容赦はしないぞ?』

 

 それにアインは、僅かに目を伏せて──口元だけ、笑んだ。

 

「ええ。……醜くならないよう、最大限に努めます」

 

 通信は切れた。

 

 だがその瞬間、艦橋にいるアインと、ジュピトリスの奥で一人立つシロッコの間には、まだ誰も知らない“同盟”の火種が灯っていた。

 

 理性と理性。

 構築と構築。

 思想と思想。

 

 歴史は今、ふたりの“設計者”によって、静かに動き始めていた。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 通信が切れた後、シロッコは数秒間、動けなかった。

 

 静寂。

 深宇宙のように濁りも熱もない、完全無音の空間。

 電子音すら今は、遠くに思える。

 

 眼前のホログラムはもう消えている。

 

 だがその残像が──いや、“脳裏に焼きついた”という表現のほうが正しいかもしれない──シロッコの内側で、何度も何度も繰り返されていた。

 

 アイン・ムラサメ。

 

 あの少年の言葉は、論理でも情熱でもなかった。

 

 

 それは構造だった。

 

 世界をかたち作る“意志の骨組み”だった。

 

 「王が治める世界より、王がいなくとも成り立つ世界を作りたいだけです」──。

 

 その一言が、シロッコの中にあった何かを、確かに叩いた。

 

(……そうだ。“思想”ではない。あれは“構築”だ)

 

 支配でも統治でもない。

 

 己が掲げる“女帝創出”の幻想とも異なる。

 

 自らが君臨する意図すら持たずに、ただ“王が不要になる世界”を作る。

 

 その矛盾を抱えた無欲な構築こそ──むしろ、シロッコの中で最も美しかった。

 

(愚かとも言える。だが、それでなお貫き通せるのなら──)

 

 脳が焼ける。

 

 陶酔にも近い微熱が、背筋から後頭部にかけて這い上がってくる。

 

 「自らは王とならずに王を設計する者」

 「構築された秩序に、己も従属する意志」

 

 そんな理念は、それこそ歴史上の設計者──プラトンの理想国家論か、あるいはマキャヴェリズムの対極か。

 

 しかしアインの語るそれは、思索ではなく現実の運用手段として語られていた。

 

 シロッコは、気がつくと自らの指が軽く震えているのを感じた。

 

 これは何だ?

 苛立ちか?

 嫉妬か?

 

 あるいは、かつて一度も味わったことのない感情か?

 

 彼は椅子にもたれかかり、長く息を吐いた。

 

「……あれが“器”か。まだ、十九歳の少年の」

 

 美しい、と感じてしまった。

 

 しかもそれは、衝動的な美ではなく──観念の美、体系の美、秩序の構築美として、自分の内に焼き付いている。

 

 嫉妬はない。

 

 屈辱もない。

 

 ただ一つあるのは、

 

 「理解」と「共鳴」だった。

 

(ならば、私はこの建築に“立ち会う”ことを選ぼう)

 

 今、自分ができるのは、それしかない。

 

 ただ“王の椅子”に座る者を作るのではなく、

 

“王がいなくとも運用される秩序の回路”を作る少年の傍らに立ち──、

 

 その美の完成を見届ける。

 

 それが、己の存在の意味になるのかもしれない──。

 

 ふと、シロッコは口元にわずかな笑みを浮かべた。

 

 ジュピトリスの艦橋に、静かな振動が戻ってくる。

 

 背後のオペレーターたちは、誰もこの一瞬の変化に気づかない。

 

 だが、この瞬間、パプテマス・シロッコという構築者の視線は、完全にアイン・ムラサメという“未完の設計図”に向けられた。

 

 それは、武力でも謀略でもない。

 

 構築者が認めた、もう一人の構築者への、

 

 純粋な探究と観測の眼差しだった。

 

 

 

 

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