ムラサメさん家のイチバン=サン   作:星乃 望夢

47 / 94
第46話 貴方が張っていたとは、想定の範囲内です

 

【連邦総会第2日目・終了後/ティターンズ監察軍政官庁臨時本部《スードリ》艦内 指令室】

 

 ダカールの空には、夜の気配が濃く広がっていた。

 

 議場を包んだ昼間の喧騒も、陽炎のように消え失せ、スードリ艦内には無音の緊張が漂っていた。

 

 アイン・ムラサメは、ホログラムに映る警備シフトをじっと見つめていた。

 

 画面に浮かぶ点滅するライン。警備小隊の巡回ログと交代スケジュール。

 

 そのすべてが、淡々と機械的に整理されているはずだった。

 

 ──だが、違った。

 

「……ここだ」

 

 その目が捉えたのは、幾つかの“空白”だった。

 

 3分17秒。5分14秒。2分49秒。

 

 警備交代の合間、巡回の折り返し点、あるいは小隊長の報告送信タイム。

 

 ──偶然のように見せかけた、意図的な隙間。

 

 ほんの僅か。だが、それが規則的に配置されているのだ。

 

「……整いすぎている」

 

 独白のように、静かに呟く。

 

 この数値を「誤差」と言い切るのは容易い。

 

 だが、あらゆる情報が整いすぎているという事実こそが──“異常”だった。

 

 アインは唇を引き結んだ。

 

 ティターンズ監察軍政官庁の主力人員は、今やアルビオンと共に月へと発っている。

 

 ゼロも、ブライト艦長も、ブラン少佐もいない。

 

 このダカールに残されているのは、現地で編成された臨時の治安部隊と、いまだ忠誠がどこにあるとも分からぬ連邦官僚たち。

 

 つまり──今の自分の周囲に、“完全に信を置ける者”は、誰もいない。

 

 自分で調べるしかないか?

 

 否、それでは動きが遅い。

 

 ならば人を使うか?

 

 だが、それは──“敵に気づかれる”可能性がある。

 

 バスク・オムが本当に動いているとしたら、彼の息がかかった人員がどこに紛れていても不思議ではない。

 

「……ならば」

 

 アインは、小さく息を吐いた。

 

 動くならば、自ら。

 

 少なくとも、この違和感に対して“鈍感”でいてはならない。

 

 それが連邦総会の警備統括者としての責務であり、同時に──ジャミトフ・ハイマンの信を受け、秩序を掲げた人間としての覚悟だった。

 

 そして、もう一つ。

 

 この空白が“罠”であるなら──それに先んじて動き、破ることが出来なければ、今の自分は秩序の代弁者などではなく、ただの飾りに過ぎない。

 

「……やってみせる」

 

 アインは端末の画面を閉じた。

 

 次に必要なのは、行動だった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 監視映像は、異常なまでに整っていた。

 

 巡回ルート、交代時刻、入退室ログ──すべてが過剰なまでに“正常”である。

 

 だが、アイン・ムラサメの目は、逆にそこに“異常”を見ていた。

 

 ──これは「掴ませないための構造」だ。

 

 監視カメラの死角は限りなく排除されている。だが、問題はそこではない。

 

 “映らない何か”が、まるでそれを前提に動いている。

 

 たとえば、角度の制限。

 

 たとえば、光量の補正。

 

 たとえば、報告と記録の微細な乖離。

 

 どれも言い逃れの出来る“瑕疵”でしかない。だが、それが重なっている。

 

 「何もない」と言える構造が、むしろ「何かある」ことの証左となっている。

 

 アインは、静かに息を吐いた。

 

 ──見えていない。

 

 それが悔しかった。己の目で見てなお掴めぬ感触が、背筋を冷やす。

 

「……おそらく、狙いは一つだ」

 

 口に出したその言葉は、自らへの確認でもあった。

 

 バスク・オム。

 

 ジャミトフの声明、アインの会見、そしてスードリの展開──。

 

 ティターンズ内部で“自分たちの敗北”を認める者などいないと高を括っていたバスク派にとって、いまアインは許されざる“事実”の象徴となっている。

 

 ──ならば、狙いは明白。

 

 「抹消」だ。

 

 議会という、秩序と監視の眼が集う場を、逆手に取る。

 

 もしその“何か”が起きれば、すべては「混乱による事故」「エゥーゴの潜入」として処理できる。

 

 「誰も信じられない場所で、誰かを殺す」。

 

 それがバスクのやり口だ。

 

「だが……立証はできない。今は」

 

 日中、アインはジャミトフの供回りと議場全体の警備統括を兼任している。

 

 しかも今はアポロ作戦による政局の緊張の只中。

 

 自分の一挙手一投足に、報道も政治家もティターンズ内部ですら眼を光らせている。

 

 ──そんな中、供回りを外れればどう見えるか?

 

 「逃げた」「動いた」「狙っている」と、あらぬ憶測を呼ぶのは必定。

 

 ──ならば?

 

 アインは立ち上がった。

 

 艦内の気圧と静けさが、思考の音を包み込む。

 

 答えはひとつ。

 

「……向こうに“気づかせた”上で、囲ってしまえばいい」

 

 バスク派の仕込みがあるとすれば、標的はひとつ。

 

 ブレックス・フォーラ准将。

 

 エゥーゴの象徴であり、あの議場において最も政治的影響力を持つ“対話の柱”。

 

 そこへ──ティターンズ名義で、警備部隊の増援を申請する。

 

 もちろん、それは「彼の身を守るため」という名目で。

 

 だが、真の狙いは──異物を包囲することにある。

 

 息のかかっていない、新たな警備人員を増やす。

 

 それによって、内部の監視構造を“拡張”し、“可視化”する。

 

 仮に敵がそれに気づけば、対応を誤れば“動き”が露呈する。

 

 対応を慎重にすれば“停滞”が起き、逆に行動のリズムに乱れが出る。

 

 いずれにせよ──仕掛けた側が追い詰められる構図に変わりはない。

 

「さて……どう出る、バスク・オム」

 

 アインはモニターのスリープを解除した。

 

 連邦議会警備局、ティターンズ監察軍政官庁、エゥーゴ代表警護部隊──三者を巻き込む布石は、すでに打たれた。

 

 あとは、待つだけ。

 

 秩序は動かずして、敵を詰む。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 朝の光は、穏やかでありながらどこか緊張感を帯びていた。

 

 連邦議会会期二日目を終えた翌朝、ブレックス・フォーラ准将は珍しく早めに目を覚ました。

 

 窓辺に置かれた報道端末には、昨夜の議事堂上空を悠然と通過したスードリの映像が繰り返し流されている。

 

 ──見せつけるかのように。

 

 その象徴性の重みに、老練な軍人はただ静かに頷いた。

 

 そして、部屋のドアが二度、ノックされた。

 

「……入れ」

 

 扉の向こうから現れたのは、施設の防衛責任者と名乗る若い将校だった。

 

 ティターンズの腕章が制服に縫い付けられている。

 

「ブレックス准将、ご報告いたします。本日より、当施設の外周および内部警備に対し、ティターンズ監察軍政官庁より警備部隊の増援が派遣されました」

 

「増援……だと?」

 

「はい。名目としては“代表議員の安全確保を優先すべし”との通達に基づくものです」

 

 そこで将校は一瞬、言葉を濁した。

 

 が、ブレックスはその沈黙の意味を正確に読み取る。

 

「“名目としては”、か……。なるほど、ティターンズの若き狼が牙を剥いたか」

 

 将校が答える間もなく、ブレックスはすでに思考を終えていた。

 

 ──これは、“仕掛け”だ。

 

 単なる好意ではない。

 

 だが同時に、敵意でもない。

 

 おそらく、警備部隊の中には“アイン・ムラサメの私兵ではない”者たちが選ばれている。

 

 つまり、彼は警備体制を拡張しながら、自身の手の届かぬ場所に“新しい目”を加えようとしている。

 

「本気だな、アイン・ムラサメ……」

 

 呟いた声は、どこか皮肉めいていた。

 

 だがその目は、鋭く細く光っている。

 

 ──若い、だが、よく見えている。

 

 敵か味方かの境界線ではなく、「今、何が為されているか」を正しく掴んでいる。

 

 その上で“打てる手”を、正面から打ってきた。

 

 正直に言えば、予想以上だった。

 

 「……君には敵が多すぎる。だが、私はその中には含まれまい」

 

 ブレックスはソファから立ち上がり、制服の上着を肩に掛けた。

 

「よかろう。その目、借りよう。使えるものならな」

 

 このダカールで何が起きようとしているか──その全容を彼はまだ掴めてはいない。

 

 だが一つだけ、確信できることがあった。

 

 この都市の最も深い影で、アイン・ムラサメが“何か”を止めようとしているということ。

 

 それが自分の命であろうと、地球の未来であろうと──。

 

 構わない。いまは、その背を見極めよう。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 街路樹の陰に、金色の光が揺れていた。

 

 その中に立つ男の姿は、どこか異質だった。

 

 彼の動きには無駄がない。

 

 目線は常に遠くを見据え、しかし視界の端で周囲を逃さない。

 

 クワトロ・バジーナ。

 

 かつて「シャア・アズナブル」と呼ばれたその男は、ただ静かにホテルの玄関口を見上げていた。

 

 ──異様な数の警備兵。

 

 増員されたティターンズの部隊が、機械のように配置されている。

 

 彼らの所作に乱れはないが、それが逆に不自然だった。

 

 「……“練られている”な」

 

 クワトロの視線は、兵士の制服のわずかな着崩れから、靴の泥の付き方までを見抜いていく。

 

 そして、確信する。

 

 これは“誰か”の命令によって構成された部隊だ。

 

 バスクの私兵とも違う。

 

 だが、無垢でもない。

 

 ──つまりこれは、

 

「……“アイン・ムラサメ”の采配、か」

 

 あの若者が、また何かを読んだ。

 

 何かに気づき、その“証拠”を掴めぬまま、先手を打った。

 

 ──見えているのだ、戦場が。

 

 エゥーゴの一員として、クワトロはアインを敵と見なしてきた。

 

 だが、こうも見事に“敵意を伴わず先手を取られる”と──

 

「……むしろ、“読み合い”を挑まれている気分だな」

 

 警備の目は彼にも注がれていた。

 

 だが、それが敵意ではなく、“相互牽制”の線引きであることを、彼は正確に感じ取る。

 

「……やっかいな“少年”だ」

 

 だがその言葉には、苦々しさだけではなく、わずかな敬意と、そして“羨望”すら混じっていた。

 

 そのとき、ホテルの自動扉が静かに開く。

 

「待たせたな、クワトロ大尉」

 

「いえ。少々、見応えがありました。……このホテル、いつから“ティターンズの砦”になったのです?」

 

 クワトロの問いに、ブレックスはただ短く答える。

 

「つい今朝方から、だ」

 

「……やはり。アイン・ムラサメの差し金ですね?」

 

 ブレックスは答えない。

 

 ただ、苦笑ともため息ともつかぬ声を漏らした。

 

 だが、それだけで充分だった。

 

 ──今、この都市の空気を動かしているのは、ティターンズではない。

 

 アイン・ムラサメという、“ひとりの思考”だった。

 

 クワトロは、ブレックスの隣に並び歩きながら、ふと独白のように呟いた。

 

「シャア・アズナブルとして、あの少年に“遅れ”を取るわけにはいかない……な」

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 カーテン越しの薄明かりが、天井のモールディングにわずかな陰影を落としている。

 

 まだ朝食の気配もない時間。

 

 だが、ジャミトフ・ハイマンの部屋では、すでに資料端末が起動し、軍政官としての一日が始まりつつあった。

 

 そこへ、控えめなノックの音。

 

「──入れ」

 

 許可を受けて入ってきたアインは、無言で一礼し、テーブルに端末を置いた。 

 

 薄く表示されるのは、昨夜のダカール市内警備配置の再編記録。

 

 ジャミトフが静かに目を通す。

 

 やがて、読み取った彼が声を落とした。

 

「……ブレックスの宿舎周辺を増員したか。理由を聞こう」

 

 アインの返答は、淀みなかった。

 

「はい。極めて微細なものですが──警備交代の間隙に、いくつか“空白”が発生していました」

 

「空白?」

 

「──移動距離と休憩時間の調整で説明は付きます。ですが、その“辻褄の合い方”が逆に不自然でした。調べれば言い逃れが効くように仕組まれていたとすれば、それはもう“何かが為されている”という証左に等しいかと」

 

 ジャミトフは目を細める。

 

「……バスクか」

 

「おそらく、動いています。断定はできませんが、狙いは──“最悪の事態”を前提とした構えかと」

 

「暗殺か、破壊工作か……あるいは、責任の所在を曖昧にした“偶発”の演出か」

 

「はい。今このタイミングで僕が会場を離れることは、政治的にも戦略的にも避けるべきです。よって、警備の“壁”を増やす形で対抗しました。向こうに察知されるでしょうが……あえて“息のかかっていない部隊”を混ぜました。相互監視の網を広げる意図です」

 

 報告を終えたアインは、静かに一歩下がった。

 

 ジャミトフは数秒の沈黙ののち、言葉を発した。

 

「──貴様には、つくづく驚かされる」

 

 アインは視線を下げる。

 

「ありがとうございます。しかし、これは“警備統括”として当然の責務です」

 

「そうではない。……その“当然”を、貴様は一切の迷いなく実行した。危機に正面から手を伸ばす胆力、それに見合う知性──もはや、私の補佐ではなく、“同志”として認めるべき時かもしれんな」

 

 アインは、深く頭を垂れた。

 

「──身に余る言葉です、閣下」

 

 窓の外、朝陽がようやくダカールの街に差し始めていた。

 

 その淡い光の中で、ふたりは言葉を交わさず、静かに思案を深めていた。

 

 ──来るべき、三日目の総会と、バスク・オムの次の一手を迎えるために。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 天井の照明はまだすべて点灯しておらず、朝の議会準備のざわめきが、控室の外にかすかに聞こえていた。

 

 その一室。

 

 壁際には連邦議会のフラッグと地球連邦軍の紋章が並んでいるが──そこに今、公式な意味はない。

 

 ジャミトフ・ハイマン准将が入室すると、すでに控えていたブレックス・フォーラ准将がゆっくりと立ち上がった。

 

「……わざわざ、どうされたかな。ティターンズ総帥ともあろう方が、非公式の来訪とは」

 

 言葉は穏やかだったが、ブレックスの視線は鋭い。

 

 この男に「言葉だけの挨拶」が通用しないことを、ジャミトフはよく知っていた。

 

 しかし、それでも、彼は口元にかすかな笑みを浮かべる。

 

「非公式にして、非礼を承知で来た。……ゆえに、公式の話は何もせん」

 

 ブレックスは一歩踏み出す。

 

 そして、短く応じた。

 

「ならば、聞こう。お互い、“口外できぬ現実”を扱う役目に就いて久しい。……何が起きた?」

 

 ジャミトフは、懐から手帳サイズの軍用端末を取り出す。

 

 内容は封印されたままだったが、それをそっと机の上に置き、ブレックスの目を見る。

 

「この中身を見る必要はない。これは、“兆候”があるとだけ示すものだ」

 

「……兆候?」

 

「ああ。……ティターンズの中に、“かつてのジオン”と同じ“力だけの秩序”を再現しようとしている者がいる。その動きが、今この議会をも包囲しようとしている」

 

 ブレックスは、視線を逸らさなかった。

 

「その者の名を、私は問わない。“敵”が誰かを知ることが重要ではなく──“どう迎えるか”が、重要だからだ」

 

「まったくもって同意見だ」

 

 ジャミトフは静かに頷き、続ける。

 

「警備体制を若干強化した。もちろん表向きの理由は、貴殿の宿泊先周辺の騒音問題に対する“安全措置”だ。……だが、これは中佐の判断だ。彼が全責任を背負っている」

 

「アイン・ムラサメ中佐が?」

 

「そうだ。貴殿と彼は、少なからぬ因縁を持っていることは承知している。だが、あの少年は今──“政治の現場”に立ち、我々とは異なる新しい判断基準で世界を見ようとしている。……だからこそ、私は貴殿にも問うのだ」

 

 ジャミトフの声が、わずかに低くなる。

 

「仮に、今夜、“何か”が起きたとき──貴殿はそれを、戦争の導火線として扱うか? それとも、未来を守るための“戦略の誤爆”と見るか?」

 

 ブレックスは、その言葉に答えず、窓の外の空を見上げた。

 

 朝の蒼が、薄く広がっていた。

 

 やがて、振り返って静かに言った。

 

「……私は軍人だ。戦火を起こすより、止める方法を常に考えてきた。……だが、それでも必要な時には、“撃つ”。それが軍人の矜持だ」

 

「了解した」

 

 ジャミトフは、机の上の端末を回収し、懐に戻す。

 

「この言葉をもって──我々の“非公式の共通認識”としたい」

 

「了承する。……だが、ジャミトフ。君が“撃たずに済む未来”を本気で望むというのなら、あの少年の選んだやり方に──君自身が最後まで責任を持ってやってくれ」

 

 ジャミトフは一瞬、何かを飲み込むように目を閉じ──そして、静かに頷いた。

 

「当然だ。彼は“私を超える”と誓った。ならば、私は“それを見届ける”責務を果たす」

 

 二人の将官は、言葉少なに握手を交わした。

 

 政治と戦略が交錯する“最前線”において──これは、極めて静かな、だが確かな“軍人たちの合意”であった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 夜の空気は乾いていた。

 

 昼間の政治的熱気が嘘のように、議会都市ダカールの街は静寂に包まれている。

 

 だが、アイン・ムラサメの心には、冷たい汗のような感触があった。

 

(──やはり、動いている)

 

 予想は確信へと変わった。

 

 議会第2日目に強行した警備部隊の増員。

 

 その結果、ティターンズ監察軍政官庁本部──すなわちスードリ──が収集した警備ログを比較・解析すれば、明らかな“ズレ”が浮かび上がった。

 

 昨日、交代時に空白が発生していた3箇所に加え──。

 

 本日、新たに2箇所。

 

 合計5つの空白。

 

 それも、移動距離と休憩時間の「曖昧な境界」を悪用した“見えにくい死角”だ。

 

 兵員の名簿はあらかじめドゥーにまで頼んで洗い直した。

 

 名前こそ問題はないが、履歴と連絡系統に“違和感”がある。

 

 バスクの息がかかっていると見てまず間違いない。

 

(数を増やして──本命を隠すつもりか)

 

 だとすれば、その“本命”は、今夜──このタイミングで動く可能性が高い。

 

 最悪の事態を避けるために、アインはスードリから外套を羽織り、拳銃をホルスターに納め、ひとり闇夜に消えた。

 

 目指すは──ブレックス・フォーラ准将の宿泊する市街地の高級ホテル。

 

 警備は当然、厳重だ。

 

 突入でもしようものなら、たちまち逮捕者が出る。

 

 だが、アインは正面からなど入らない。

 

 裏口の警備員交代時間、廊下カメラの死角、通用口の電子認証の更新タイミング──。

 

 それらをすべて踏まえ、彼は夜のホテル外縁に潜み、警備員の配置と行動を慎重に観察していた。

 

 その瞬間だった。

 

 ──カチリ。

 

 冷えた金属の感触が、後頭部に触れた。

 

「……動くな」

 

 低く、殺気を秘めた声。

 

 躊躇のない銃口の感触に、アインは眉一つ動かさなかった。

 

「……銃を下ろしていただけますか、大尉」

 

 静かな声音。

 

 そして、アインはゆっくりと振り返る。

 

 そこには、黒いコートを羽織り、サングラスで顔を隠した男──。

 

 クワトロ・バジーナ大尉が立っていた。

 

 闇に紛れ、標的を仕留める暗殺者の構え。

 

 だが、アインの目は──驚きではなく、微かな確信に彩られていた。

 

「貴方が張っていたとは、想定の範囲内です。……貴方ほどの方なら、この不自然な“空白”に気づかないはずがない」

 

 クワトロの表情は読めない。

 

 だがその拳銃の構えは、僅かに──本当にわずかに緩んだ。

 

「……どうやってここまで来た?」

 

「任務です。警備統括として、状況確認の責任があります。……ただし、これを命令書にする時間はありませんでしたが」

 

「なるほど。強弁だな、ムラサメ中佐」

 

 クワトロは銃を下ろすことも、言葉を止めることもなかった。

 

 だがその一言は──アインの存在を、警戒すべき“侵入者”から、“対話可能な軍人”へと、静かに引き上げていた。

 

 互いに言葉少なに、だが確信とともに、ふたりはビルの裏手へと回り込む。

 

 このままでは、間に合わない。

 

 ブレックスの部屋の警備はティターンズとホテルの混成部隊だが、アインの分析では、ちょうどこの時間──“5つの空白”のうち1つがそのフロアに発生している。

 

「ブレックス准将は狙撃ではなく、室内で殺される予定でしょう。……就寝中、音を立てず、痕跡も残さず──」

 

「その手口は、兵の仕事ではないな。……民間か」

 

「はい。おそらく」

 

 ふたりは手分けし、非常階段から8階へと向かう。

 

 サイレンサー付きの拳銃、そしてフロアマップを片手に進む。

 

 やがて──。

 

 ブレックスの部屋の扉の前に、ひとりの男が立っていた。

 

 手には工具箱。

 

 作業員を装っていたが、その目には異様な緊張と焦りが浮かんでいる。

 

「そこまでだ」

 

 クワトロが一歩踏み出し、手榴弾大の閃光弾を床に投げる。

 

「っ──!」

 

 閃光と爆音。男は悲鳴を上げ、よろめいた。

 

 その隙を逃さず、アインが背後から飛び込み、男の手から銃を叩き落とす。

 

「ッ──!」

 

 短く叫ぶと、男は即座に脱兎のごとく走り出した。

 

「あっ──!」

 

 アインは追いかけようとするが、クワトロが止めた。

 

「……もういい」

 

 直後、廊下の向こう、エレベーター前の警備兵が銃を構え──一発の銃声が響いた。

 

 男は胸を撃ち抜かれ、仰向けに崩れた。

 

「……逃げたと思ったか。それとも、仕組まれていたのか」

 

 アインは静かに呟く。

 

 その男が金に困っていたダカール市民であることは、死後の身元照合によって明らかとなる。

 

 使い捨てられた民間人。

 

 それはバスク・オムの“やり口”であり、政治の名を借りた暴力の象徴でもあった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

【翌朝──ダカール市治安局・検死報告】

 

> 「遺体身元照合完了。氏名、年齢、照会一致。失業歴あり。家族は子供2人。直近数週間で不審な高額取引履歴あり……市民です。ダカールの住人でした」

 

 

 暗殺者の正体は、軍人でもスパイでもなかった。

 

 ──金に困った、ただの一般市民。

 

 バスクの手先に利用され、失敗すれば“捨て駒”として始末される──それだけの存在だった。

 

 ブレックスは守れた。

  

 しかし市民の犠牲を出してしまった。

 

「クソッ」

 

 アインには珍しく荒げた言葉だった。

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。