ムラサメさん家のイチバン=サン   作:星乃 望夢

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第47話 これは、潮目が変わるぞ

 

 空はまだ薄曇りで、朝陽は地平線の向こうで足踏みをしていた。

 

 その静かな空気を、短く無機質な電子音が破った。

 

 通信端末の着信。

 

 ジャミトフ・ハイマン准将は、執務机の上に置かれた画面に目を落とし、押し黙ったまま表示内容に目を通した。

 

 ──検死報告。

 

 殺害された実行犯の身元照合が完了したとの一報だった。

 

 民間人。ダカール市在住。失業中。

 

 妻と子がいる。直近の数週間で、高額の現金取引履歴あり。

 

 やがて、扉がノックされた。

 

「……入れ」

 

 その声に応じて入室したのは、アイン・ムラサメ中佐だった。

 

 制服は昨夜のまま。コートの裾にはわずかな土埃が残っていた。

 

 ジャミトフはその姿に、問いを投げることもなく、ただ静かに視線を向けた。

 

 アインが胸に手を当て、一礼する。

 

「──報告いたします。実行犯の身元が判明しました。ダカール市の一般市民、家族持ち。失職中で、生活に困窮していたようです」

 

「……金で買われたか」

 

「はい。高額な現金の受領履歴が残っています。ただし、それがどこからの金かは……今のところ“証拠”としては追えません。ですが──“構造”としては明白です」

 

「バスク・オムだな」

 

 ジャミトフの言葉は、事実の確認ではなく、もはや結論だった。

 

 アインは深く頷いた。

 

「──そして、犯人は口封じのため、逃走した体で撃たれました。命令を受けた兵と思われます」

 

「つまり、“実行犯”は“利用された駒”ということか」

 

「はい」

 

 静寂が落ちる。

 

 ふたりの軍人は、言葉もなく数秒を共有した。

 

 やがて、ジャミトフが立ち上がり、窓辺へと歩を進める。

 

 曇った空を、ただ眺める。

 

 背中越しに、低い声が響いた。

 

「……我々が掲げている“秩序”とは、果たしてこの市民にとって“救い”であったか?」

 

 アインはわずかに目を伏せた。

 

「……それは、僕自身にも問いかけています」

 

「バスク・オムは、戦場に秩序を持ち込まなかった。だが──お前は、戦場の中に秩序を創ろうとしている」

 

「……はい」

 

「その違いは、理解できる。だが、“市民の死”が出た以上……このやり方を、連邦政府全体が認める保証は、もはやないぞ」

 

 警告ではなかった。

 

 それは、“現実”としての提示だった。

 

 アインは一歩前に出た。

 

「……ですが閣下。僕が何もしなければ、ブレックス准将は殺されていた。何もかもが“混乱”として処理され、真実は塵の中に消えていた」

 

「わかっている。──だからこそ、私はお前を責めるつもりはない」

 

 ジャミトフが振り返った。

 

 その目には、疲労とも、哀しみともつかぬ色が灯っていた。

 

「……だが、今この時点で、我々は“ひとりの民間人を犠牲にして”秩序を維持した存在として、記録される」

 

「記録されるのであれば、それでいい。……僕は“その記録”に、自分の名前を載せる覚悟で行動しました」

 

 アインの声には、静かな怒りが滲んでいた。

 

「彼は、名前もなく、使い捨てにされた。……僕が背負うのは、閣下に命じられた秩序ではなく、“誰も名を覚えない死”を、もう増やさないという意思です」

 

 数秒の沈黙。

 

 やがて、ジャミトフの口元がわずかに動く。

 

 それは、笑みとも、痛みとも、諦めとも取れない表情だった。

 

「……ならば、貴様の秩序を、私は“見届ける”ことにしよう」

 

 アインは、静かに頭を垂れた。

 

 この日、ダカールに降る朝の光は、曇天の向こうで、まだ届かぬままだった。

 

 だが、その足元には──確かに、新しい影が歩みを刻んでいた。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 天井の照明は必要最低限しか点けられていなかった。

 

 ティターンズ監察軍政官庁臨時本部《スードリ》艦内、ブリーフィングルーム。

 

 艦内最大の記者会見場にして、地球圏全域へ即時中継が可能な光通信設備を備えた空間。

 

 だがその空気は、眩しさとは無縁だった。

 

 揺れる政治、黙する議会、憶測と暴力が錯綜する中──そこに一人、少年のような影が立った。

 

 アイン・ムラサメ、ティターンズ監察軍政官庁・代理長官、階級、中佐。

 

 僅か十九歳の青年は制服の上着を静かに直し、壇上へと歩を進めた。 

 

 報道陣の視線が一斉に彼へと注がれる。

 

 その中には、敵意も、好奇も、無言の侮蔑も含まれていた。

 

 だが、アインはそれを受け止めながら、まっすぐに立ち止まり、深く一礼した。

 

「本日はお集まりいただき、ありがとうございます」

 

 その声は驚くほどに静かだった。

 

 響かせようとも、装おうともせず、ただそこにあった。 

 

「私、アイン・ムラサメ中佐は、ティターンズ監察軍政官庁において、現在、代理長官の任を拝命しております。

本会見は、昨日深夜にダカール市内で発生した一件──

連邦議会代表・ブレックス准将に対する未遂事件──に関する、警備統括責任者としての報告と謝罪を目的とするものです」

 

 数十台の記録カメラが、無言で記録を続ける。

 

 アインは視線を正面に保ち、言葉を継いだ。

 

「事件は昨夜、議会代表団が宿泊する施設内にて発生しました。

 不審人物一名が作業員を装って内部に侵入。

 ティターンズの警備網によって直前に察知され、逃走──

 その後、現地警備兵によって射殺されました」

 

 簡潔に、だが明瞭に語られる。

 

 事実だけを取り出すような口調。

 

 報道席の一部がどよめくのを、アインは黙って受け流した。

 

「死後照合により、実行犯がダカール市の一般市民であったことが判明しております。

 失職歴あり。

 生活に困窮し、近時に多額の現金の受領履歴がございます。

 現在、斡旋した第三者──および政治的背景を持った関与者の存在が強く疑われております」

 

 正確な用語。

 

 語尾の濁し。

 

 だが、その一言一言には、言い逃れではない“重さ”があった。

 

「私が本件を報告するのは、犯人を糾弾するためではありません」

 

 アインはそこで一拍、言葉を止めた。

 

 会見場の空気が変わる。

 

「責任は、私にあります」

 

 その言葉は、静かに、鋼のように空間に響いた。

 

「私はティターンズの名を掲げ、秩序を託された者として、この街の平穏を守る任務にありました。

 しかし、結果としてひとりの命が失われ、ひとつの未遂が発生し、それが“見えない暴力の構造”を露呈させた」

 

 眼差しは揺れていなかった。

 

「私はこの事実を、記録として、報告として、そして何より“人間の責任”として開示します。

 

 隠蔽は行いません。

 

 この報告は、ティターンズ監察軍政官庁の名において作成・提出され、報道機関を通じて一般にも開示されます」

 

 ざわめきが、波紋のように広がっていく。

 

 アインはそれを遮ることなく、言葉を続けた。

 

「亡くなった市民の名は、伏せられます。

 それは遺族と、未来に向けた配慮によるものです。

 しかし、その“死”は伏されるべきではありません」

 

 アインはそこで初めて、わずかに目を伏せた。

 

 そして──語調を変えずに、こう言った。 

 

「私は、この死を忘れません。

 名もなき犠牲を、

“統治の余白”として片付ける社会にはしません。

 それが、私の任務です」

 

  言い終えて、アインは一歩、身を引いた。

 

 司会もいない。拍手もない。

 

 だが、静かだった空間が、それでも確かに震えていた。

 

 数秒後、アインは一礼をして退室する。

 

 その背に、報道カメラのライトが追いかける。

 

 その光は眩しくなかった。

 

 けれど──そこには確かに“誠実”という名の照明が灯っていた。 

 

 この日、U.C.0087年8月14日。

 

 ダカールにてティターンズは初めて、真実を語った。

 

 そしてその語り手の名は、アイン・ムラサメ。

 

 十九歳の、ひとりの軍人だった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 スクリーンの中で、アイン・ムラサメ中佐が深く一礼した。

 

 静寂の中、カメラは無音のまま切り替わり、ダカールの空へと画面が移る。

 

 それが記者会見の終わりを意味していた。

 

 アルビオンの艦橋にも、その沈黙が伝播していた。

 

 通信士官、操舵士、情報解析担当──誰もが言葉を飲み込んだまま、端末から目を離せずにいた。

 

 その中央で、艦長席に座るブライト・ノアは、静かに背筋を伸ばしていた。

 

 目はスクリーンを見たまま、何も言わなかった。

 

 ──あれが、君の選んだやり方か。

 

 胸の奥に、何かが鋭く刺さる。

 

 それは安堵でも、失望でもない。

 

 ただ、ひとつの“重み”だった。

 

「……まったく」

 

 小さく、誰にも聞こえないほどの声で呟いた。

 

「とんでもない奴だ。あんなものを、一人で背負い込んで……」

 

 艦橋の誰もが動かないまま、ブライトは椅子から立ち上がった。

 

 視線はなお、スクリーンの残光を追っていた。

 

 アイン・ムラサメ──十九歳の軍人。

 

 今や、ティターンズの“代理長官”。

 

 地球の地表において、秩序を語る者。

 

 その肩に乗ったものの重さを、ブライトは誰よりも知っている。

 

 ──そうだ、知っている。

 

 ホワイトベースで、子供たちにコクピットを与えてしまったあの日々を。

 

 責任という言葉が、どれほど人間の内側を削るのかを。

 

 アムロ、カイ、ハヤト、セイラ、ミライ……。

 

 そのどれもが、若すぎた。

 

 そして、それでも戦わなければならなかった。

 

 だから──だからこそ。

 

「……誇らしいなんて、思いたくなかったさ」

 

 言葉にして、はじめて実感が伴う。

 

 アインの記者会見は見事だった。

 

 軍人として、官僚として、何より“誠実な人間”として、あれ以上はなかった。

 

 だが、それを「誇りだ」と思う自分自身に、ブライトはどこかで嫌悪していた。

 

 十九の青年が、自分の意志であそこまで行った。

 

 それを止められなかった。支えきれなかった。

 

 ──本当なら、止めるべきだったんだ。

 

 あんなところまで行く前に、誰かが。

 

 スクリーンの余白に、アインの姿はもうない。

 

 だが、その背中だけが、今もそこに焼きついて離れなかった。

 

「……君は、もう俺たちの背中なんか必要としないんだな」

 

 静かに息を吐き、艦橋を一望する。

 

 ここもまた、戦場だ。

 

 このアルビオンもまた、戦う者たちの船だ。

 

 そして今、アイン・ムラサメという名の若者が地球で秩序を築こうとしているのなら──。

 

 自分たちはその“宇宙の裏側”で、彼の背中を守らねばならない。

 

 その責任だけは、まだ譲るわけにはいかない。

 

「艦内連絡。ミネルバ採掘群への進出準備に入れ。ジャマイカンの行動履歴はすべて洗い直せ」

 

「了解、航行準備フェイズBに移行します!」

 

 艦橋が再び動き出す。

 

 命令が回り、端末が点灯し、船が未来へ向けて微かに震え始める。

 

 ブライトはもう一度、消えたスクリーンの余白を見た。

 

 そこに、確かに在ったものを忘れまいとするかのように。

 

「……君の秩序に、俺の責任を重ねさせてもらうよ、アイン」 

 

 それは誰にも聞こえない、艦長だけの独白だった。

 

 だがそれは、戦場という名の現実に立つ者だけが交わすことのできる、無言の約束でもあった。

 

 この戦争は、もう若者だけに背負わせるものではない。

 

 ──それだけは、過去を知る者の義務として。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 木星帰りの艦の中に、地球の熱気は届かない。

 

 しかし、今この瞬間、ジュピトリスの私室には確かに“熱”があった。

 

 

 暗がりの部屋に、ひとつだけ灯されたホロスクリーン。

 

 そこには、終わったばかりの記者会見の映像が静止していた。

 

 ──ダカール、ティターンズ監察軍政官庁臨時本部《スードリ》。

 

 画面の中央には、深く頭を下げる若き将校の姿。

 

 アイン・ムラサメ。

 

 パプテマス・シロッコは、ただその姿を見つめていた。

 

 あの会見のどこを切り取っても、過剰な演出はなかった。

 

 感情の爆発も、煽動の技巧も。

 

 あるのは、沈黙と、論理と、そして一滴の誠実。

 

  彼の指が静かに空中をなぞる。

 

 まるで、そこに図面でも浮かんでいるかのように。

 

「……成程な」

 

 低く呟く。

 

 それは納得の音ではなかった。

 

 理解と、感情と、わずかな敗北感が混じった声音だった。

 

 シロッコは椅子から立ち上がり、スクリーンの前に歩み寄る。

 

 まるで、画面の向こうに本人がいるかのように──。

 

「語ったか。いや、語ったのではない。──“晒した”のだな、自分という構造体を」

 

 言葉を選ぶように、慎重に発したその声は、部屋の静けさと混ざり合いながら沈み込んでいった。

 

 誰も、何も答えない。

 

 それが許されるのは、この艦の中では彼だけだ。

 

 再び視線を画面に向けたシロッコは、口元をわずかに動かした。

 

「……面白い」

 

 口元の笑みは薄く、しかし決して冷笑ではなかった。

 

 あの会見の中で彼が見たのは、政治でも軍略でもない。

 

 もっと原始的で、もっと崇高な──“理性の骨格”だった。 

 

 彼は背筋を伸ばし、画面に映るアインの残像に語りかけるように独白を続けた。

 

「わざわざ“無能に見えるリスク”を受け入れ、市民の死を語ったか。……そんなことは、政争に勝ちたければやらなくていい。やってはいけない、さえ言える」

 

 言い終えてから、ふ、と吐息を漏らす。

 

 冷たい空気が口から出るような錯覚に襲われる。

 

 しかし、それは感情を冷やすためのものではなかった。

 

 むしろ逆だ。

 

 押し込めていた何かが、ここで熱を持ち始めた。

 

「──だが、やった」

 

 この“沈黙の一拍”こそが、最も雄弁だった。

 

 その言葉が、まるで壁を崩すように、静かに響いた。

 

 シロッコは天井を見上げ、そこに地球の空は映らないことを思い出す。

 

 彼のいる場所は、どこまでいっても木星の冷たい船室だった。

 

 だが、その目は地球にあった。

 

「構造を知り、秩序を読み、未来の因果を見据えた者が……あえて、“人間であること”を選んだ」

 

 その“選択”が、彼にとって衝撃だった。

 

 知性の果てを自称する者が、それでも人間であろうとしたこと。

 

 理性の限界に立ってなお、“感情を捨てなかった”という事実。

 

 シロッコは、思考の熱が額から零れるのを感じていた。

 

 脳が焼かれるような感覚。

 

「その判断に、私は理性の限界を見た──いや、“理性の極限”を見せられた」

 

 その瞬間。

 

 彼の中の“支配者”としての矜持が、何か別のものに置き換わった。

 

 それは服従ではない。

 

 だが、“服するに値する構造”がそこに存在していた。

 

 そして、そこに“自分が加わる余地”があることに──喜びを覚えていた。

 

 ふと、端末に向き直る。

 

 指先が、卓上の操作盤に踊る。

 

「諜報部門、記者会見の全文書き起こしを分析対象に。全対話パターン、論理構成、語彙選択、呼吸回数、沈黙の間を数値化しろ」

 

 指令は淡々と下される。

 

 だがその実、シロッコの中ではもう、未来の地形図が描かれはじめていた。

 

『了解。解析フェーズ開始。対象:アイン・ムラサメ中佐』

 

 AIの無機質な応答音が、部屋の隅で点滅する。

 

 それを見て、彼は一つ、静かに頷いた。

 

「……そして、“次”を考えろ。あの会見は始まりにすぎん」

 

 彼にとって、全ては“前哨”だった。

 

 バスク・オムは動くだろう。

 

 そしてアインが秩序を名乗った以上、その標的は確実に彼に向けられる。

 

「バスク・オムは必ず動く。あの少年の秩序が本物なら──奴は耐えられない」

 

 地球の重力に堪えきれない破裂のような怒り。

 

 支配者の中の支配者が、理性によって否定されることへの拒絶。

 

 それが今まさに、アインの秩序に牙を剥くであろうことを──彼は、確信していた。

 

「だが、奴を追い詰めれば、それは“戦火”になる」

 

 自明の帰結。

 

 理想と暴力の臨界点。

 

 だがそれは、かつてのシロッコが望んだ“混乱”ではない。

 

 今の彼にとって、それは防ぐべき“施工ミス”だった。

 

 そこで、わずかに間を置いた。

 

 呼吸のテンポを調整するように。

 

「さて、ムラサメ中佐。君はあの会見で、自らに“導火線の引き金”を括りつけたようなものだ」

 

 導火線の距離は短い。

 

 風が吹けばすぐに火が走る。

 

 だからこそ──彼の出番がある。

 

「ならば私の役目は、“爆風の方向”を調整することだな」

 

 それが、木星帰りの男の“責任”となった瞬間だった。

 

 最後にもう一度、スクリーンに目をやる。

 

 そこにはもう何も映っていない。

 

 ただ、“秩序”という言葉の残響だけが、まだこの艦内に漂っていた。

 

「──君が創る世界が、私の脳を焼いた以上。私はもう、それを支える以外に手がないのだよ」

 

 その声に熱はなかった。

 

 だが、そこには火の粉のように揺れる、確かな“信”があった。

 

 ジュピトリスの艦内は再び静寂に包まれた。

 

 だがその静けさは、嵐のように静かな決意の気配を帯びていた。

 

 ──木星帰りの“現場監督”は、ついに心を決めたのだった。

 

 支配者ではなく、支える者として。

 

 破壊ではなく、構築のために。

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 バスク・オム大佐は、分厚い装甲扉で隔てられた地下の作戦司令室にいた。

 

 壁面のスクリーンには、ダカールからの記者会見中継が映し出されている。

 

 部屋の照明は落とされ、代わりにアイン・ムラサメ中佐の小さな背中が、静かに光の中で語っていた。

 

 バスクは腕を組んだまま、じっと無言でそれを見ていた。

 

 その顔には、得体の知れぬ沈黙が張り付いている。

 

 ──本来であれば、ダカールでの“事故”は、計画通り“混乱”として処理されるはずだった。

 

 殺すべきは一人の政治家、ブレックス。

 

 使い捨ての駒として雇ったダカールの男に、汚れ仕事をやらせ、失敗すれば口を封じる。

 

 犯人は死に、証拠は残らず、真実は霧の中。

 

 ティターンズの名は守られ、アイン・ムラサメという“理性の看板”も──汚れに沈むはずだった。

 

 「ようやく、泥を被らせた……」

 

 数時間前まで、バスクはそう思っていた。

 

 綺麗事ばかり並べる少年将校など、戦場では通用しない。

 

 現実の泥に引きずり込めば、いずれその口も閉ざされる。

 

 口を閉ざせば、信も支持も失われ、あとはただの操り人形となる──。

 

 そう確信していた。

 

 そのはずだった。

 

 ──だが、今。

 

 画面の中のアインは、泥を洗い流そうとすらしていなかった。

 

 むしろその手で、自らの顔にその泥を塗ったまま、真っ直ぐに語っていた。

 

 

 

> 「私は、この死を忘れません。

 名もなき犠牲を、“統治の余白”として片付ける社会にはしません」

 

 

 

 バスクの額がぴくりと動いた。

 

 唇が歯を噛むように歪んだ。

 

 

 ──ふざけたマネを。

 

 

 まともな軍人なら、あの場で責任逃れに走るか、徹底して黙殺するのが“正解”だ。

 

 それを、“語った”。

 

 しかも、感情論ではなく、冷静な構造として。

 

 秩序の一環として、“誠実”を選んだ。

 

 そのことが──バスクには、耐え難かった。

 

「冷水を……ぶっかけやがって……!」

 

 呻くように声が漏れた。

 

 指先に力が入りすぎ、握ったコップがかすかに軋んだ。

 

 せっかくの仕込みだった。

 

 せっかく、あの“餓鬼”を泥に引きずり込んだというのに。

 

 その泥の上に、自分から秩序の旗を立てるなどと──。

 

「……なめるなよ、アイン・ムラサメ……! 貴様ごとき若僧が……っ!」

 

 顔の筋肉が歪み、声が低く唸る。

 

 ティターンズは俺のものだ。

 

 俺の秩序で、俺の力で支配するものだ。

 

 ジャミトフも、連邦議会も、好き勝手にやらせはしない。

 

 その全てに、アイン・ムラサメという“名前のない正しさ”が、亀裂を入れていた。

 

 ──やり方を変えるしかない。

 

 次は、顔の見える戦争だ。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 控室に流れる空気が、数分前とはまるで別物になっていた。

 

 ホロモニターに映し出されていた会見映像が静かに消えると、そこに残ったのは、ただ静寂――あるいは、沈思の音だけだった。

 

「……なんという男だ」

 

 低く漏らした声は、ブレックス准将のものだった。

 

 着崩した軍服の上着を直しながら、彼は重い眼差しでホロパネルの余白を睨んでいる。

 

 自分を殺すために放たれた刃。

 

 それを読み切り、潰し、なお“犠牲の重み”を政治の道具ではなく、「責任」として背負う。

 

 若き将校、アイン・ムラサメ。

 

 十九歳のその肩には、あまりに重い影が差していた。

 

「言葉にするのは簡単だ。しかし……あの沈黙は、言葉より重かった」

 

 ブレックスの横顔には、深い疲労と、どこか眩しさすら含むような苦笑が浮かんでいた。

 

 それは、戦いに身を置く者が、思いがけず未来を見せられたときにだけ漏らす“敗北に似た敬意”だった。

 

「命令されたことを遂行するだけの兵士ならば、あのような言葉は口にできない。だが……あの少年は違う」

 

 ブレックスはふと立ち上がり、窓の外、霞む議事堂の中庭を眺めた。

 

 そこには、今まさに総会に向かう議員たちがちらほらと姿を見せ始めていた。

 

「この戦争に、“彼”のような若者が現れたこと……果たして我々は、どう受け止めるべきか」

 

 問いは宙に放たれたまま、応える者はなかった。

 

 しかし、その傍らに立つ男――クワトロ・バジーナは、静かに視線を逸らさず、答えの代わりに小さく息を吐いた。

 

「彼の理想は……時として暴力よりも、深く心を打つ」

 

 クワトロの口調は抑制されていた。

 

 それは、感情を抑えていたからではない。

 

 むしろ、あまりにも胸に刺さるものがありすぎて、口にすれば崩れてしまいそうだったからだ。

 

「アイン・ムラサメ。理性の仮面を被った、静かな焰だ」

 

 彼はそう評した。

 

 派手な弁舌も、権威の後ろ盾もなく、ただ“理屈”と“誠意”だけで会見の場に立った少年将校。

 

 その姿を見て、クワトロは思わず「シャア・アズナブル」という名を、過去のものとして胸の奥に沈め直したくなった。

 

「民衆の前に立つということは、必ず誰かの希望か、誰かの仇になるということだ」

 

 クワトロの声には、一抹の諦観と、それを超える敬意が混じっていた。

 

 その敬意は、アインの若さや立場にではない。

 

 彼が、“どれだけ孤独な場所に立っているか”を知っている者だけが抱く、“理解の眼差し”だった。

 

「彼は、敵を殺すためにではなく、“死者を忘れないために戦う”と言った」

 

「軍人が、軍人として語るには、あまりにも純粋すぎる。だが、あの言葉を信じたいと思わせる強度がある……」

 

 ブレックスが、やや苦々しく口を閉ざすと、クワトロは小さく肩をすくめた。

 

「ジャミトフの理想に共鳴したと思っていたが……」

 

 そこで、クワトロの言葉が一拍止まる。

 

 思案。いや、戸惑い。

 

 その瞳に映るのは、もはや“敵か味方か”という単純な色ではなかった。

 

「果たして、あの青年の“先”は、ジャミトフ・ハイマンの先にあるのか──それとも、全く別の道を見ているのか」

 

 その問いには、誰も答えられなかった。

 

 外では鐘の音が鳴っていた。

 

 次の議事が始まる合図だ。

 

 扉の向こうから、議員のざわめきと足音が押し寄せてくる。

 

 ブレックスは服の裾を正し、ゆっくりと歩き出した。

 

 「クワトロ大尉……我々も、時代に責任を持たねばなるまいな」

 

 そう言って控室を出ていく准将の背を見送りながら、クワトロは誰にともなく呟いた。

 

「責任、か……。ならば、その背中が潰れぬよう、せめて支える者でいよう」

 

 その声に、若干の熱が宿っていた。

 

 仮面を被り、名を偽り、理想を夢見た彼にとって──。

 

 アイン・ムラサメという存在は、ある種の“再起の鏡”でもあったのだ。

 

 ──たとえそれが、やがてすれ違う運命だとしても。

 

 ダカールの陽光が差し込む廊下を、二人の軍人が歩いてゆく。

 

 背筋を伸ばし、けれどどこか重さを帯びた歩みで。

 

 その先に待つのが、激動の総会であっても――彼らは、少年の語った理想を、もう忘れることはできなかった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 ホログラムが音もなく暗転する。

 

 アイン・ムラサメ中佐の記者会見が幕を閉じた。

 

 地球連邦議長、ゴップは、その全てを黙って見届けていた。

 

「……すさまじいものだな」

 

 そう呟いた声は、老獪な政治家という仮面を突き抜けて、どこか少年のような驚きを帯びていた。

 

 部屋の片隅、控えていた秘書官が一瞬だけ眉をひそめる。

 

「何も隠さず、真正面から民衆に向き合う軍人など──」

 

 その言葉を途中で切り、ゴップはソファに背を預けた。

 

 頭の中で、アインの言葉が何度も反響している。

 

> 「私は、この死を忘れません。

名もなき犠牲を、“統治の余白”として片付ける社会にはしません。

それが、私の任務です」

 

 

 十九歳。

 

 未成年とも言える若者が、己の失敗を国際放送で語り、責任を引き受けた。

 

 それも“ティターンズ”の名の下に。

 

 ──ティターンズ、あの暴走組織。

 

 だが、そのイメージを、たったひとつの会見が塗り替えようとしている。

 

 アイン・ムラサメという存在が、「正統派」という新たなティターンズの象徴として定着するならば──

 

 ゴップは机に身を乗り出し、端末を開いた。

 

 そして素早く打鍵を始める。

 

 

---

 

> 【緊急動議草案・起草】

 

提出予定日:U.C.0087年8月15日(第5会期 午前)

 

議案名:ティターンズ再編に伴う指揮系統整備および軍紀回復措置

 

提出者:地球連邦政府 議長 ゴップ

 

概要:

U.C.0087年8月14日、ティターンズ監察軍政官庁より行われた公開会見(発言者:アイン・ムラサメ中佐)において、軍政における透明性と責任意識の確立が確認された。

 

本議案は、かかる責任体制の明確化および民意安定を目的とし、以下の人事および組織整備を緊急動議として提出する。

 

1. ジャミトフ・ハイマン准将を中将に昇進させ、ティターンズ「正統派」指揮系統の最高責任者とする。

 

 

2. 監察軍政官庁を“独立特別軍政監理機関”として議会登録し、同機関の長官任命権を中将ハイマンに委任する。

 

 

3. 当該会見において名指しされた「責任統括者」の任務遂行を支持し、引き続きの治安維持に全幅の協力を行うことを議会意思として明示する。

 

 

 

備考:当議案は、ティターンズ全体の刷新を意図するものではなく、指導部の公的認証と再編を目的とするものである。

 

 

 

 

---

 

 最後の文言を打ち終えたあと、ゴップは深く座りなおした。

 

 重苦しい空気が、室内に沈む。

 

「……これで“バスク”を切らねば、誰も納得せんだろうよ」

 

 吐き捨てるように、だがどこかに“諦念”にも似た声。

 

 彼が誰よりも知っている。

 

 この地球連邦は、責任を隠すことで延命してきた。

 

 だが、今──その文化が、ひとりの若者の言葉によって突き崩された。

 

「……これは、潮目が変わるぞ」

 

 ゴップはペンを置き、静かに窓の外を見た。

 

 港湾に着陸しその巨艦を晒すスードリ。

 

 あれが飛び立つ時、ティターンズは本当に生まれ変わるのかもしれない。

 

 

 

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