ムラサメさん家のイチバン=サン   作:星乃 望夢

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第48話 いよいよ、“バスクの時代”が終わるな

 

 会期5日目。

 

 高天井からの自然光が降り注ぐ議事堂内は、まるで記念式典のように張り詰めていた。

 

 各国代表、軍属顧問、政党幹部たちが整然と腰を下ろし、ホログラム端末が点灯している。

 

 その中央、演壇の直下には、地球連邦軍ティターンズより提出された公式代表団の席が設けられていた。

 

 ジャミトフ・ハイマン准将──その厳格な横顔と正装軍服が、歴然たる権威を形づくる。

 

 その左に控えるのは、まだあどけなさを残す青年。

 

 だが、その軍帽の銀章と、全身から放たれる緊張の気配は、ただの供回りではなかった。

 

 アイン・ムラサメ中佐。

 

 昨日の記者会見を経て、彼は今日、はじめて“議場”にその姿を現した。

 

 やがて、議場中央に設置された議長席が点灯する。

 

「地球連邦議会、第88期通常総会──会期5日目を開会する」

 

 ゴップ議長が開会を告げると、場内の照明が一段階下がり、議決用端末が解放された。

 

「本日は当会期中、緊急動議として提出された案件が一点。

 ティターンズ組織再編に伴う指揮系統整理と、それに付随する軍政官庁の登録に関する件──」

 

 議場が、わずかにどよめく。

 

 すでに会見を経て下馬評では予想されていた動議だった。

 

 だが、このような短期間で正式提出に至るのは異例中の異例であり、緊張が走る。

 

 ゴップが軽く頷くと、議場中央に設けられた発言台に、副議長が立つ。

 

「提案内容は以下の通り──」

 

 その声が、明確に、力強く読み上げられる。

 

 

---

 

> 【緊急動議案件・要旨】

 

1. ジャミトフ・ハイマン准将を、ティターンズ正統派再編責任者として中将へ昇進。

 

 

2. 同人をもって、ティターンズ監察軍政官庁の上級監理官に任命。

 

 

3. 当庁を独立軍政監理機関として地球連邦議会に登録し、軍政上の監督権限を付与する。

 

 

4. 議場は本件に関する賛否を本日正午までに採決する。

 

 

---

 

 その場に居たすべての議員が、次の動きを待った。

 

 中将昇進は議会の承認を必要とする「緊急昇任措置」――

 そしてそれに伴う監察庁の制度化は、事実上「ティターンズの二重構造を公式に承認する」ことを意味していた。

 

 保守派の一部、ブレックス派、そして反ティターンズ勢力の目が鋭く光る。

 

 が──その沈黙を破ったのは、場内ではなく、映像だった。

 

 大画面のホログラムに再生されたのは、昨日のアインの記者会見映像。

 

 「……名もなき犠牲を、“統治の余白”として片付ける社会にはしません。それが、私の任務です」

 

 議員たちの目が、一斉に壇上の若き軍人へと注がれた。

 

 アイン・ムラサメは、じっと立ったまま、その視線を真正面に受け止めていた。

 

 語らない。だが、その存在が語っていた。

 

 数瞬の沈黙。

 

 そして、ゴップが再び口を開いた。

 

 「本件緊急動議に関する質疑は、午後の会期に委ねる。

 午前中は事前採決へ向けた各会派協議に充て、必要ならば本会議再招集も辞さぬ構えとする。

 本件が、国家の秩序と未来を左右するものである以上、賛否は“歴史に残る投票”となる」

 

 拍手はなかった。だが、空気が変わった。

 

 それは明確な緊張──変革前夜の静けさだった。

 

 ジャミトフは、片目だけを細めてアインを見る。

 

 アインは、ただまっすぐに前を見ていた。

 

 その視線の先には、民意と未来、そして“誠実”という重石があった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 採決が終わった瞬間、議場に静かなどよめきが広がった。

 

 スクリーンには、緊急動議の投票結果が表示されている。

 

> 賛成 291/反対 108/棄権 12

→ 本動議は、可決された。

 

 

 ざわつきの中で、誰かがわずかに息を飲む。 

 

 だが拍手も喝采もない──これは祝賀ではなく、決断であった。

 

 議長席のゴップが、ゆっくりと議事槌を叩く。

 

 「緊急動議案第七号──可決。

 本動議により、ジャミトフ・ハイマン准将は中将へ昇進。

 併せて、地球連邦議会は『ティターンズ監察軍政官庁』を、軍政監理機関として正式に登録・制度化する」

 

 会場の空気がわずかに変わった。

 

 それは、既に現場で運用されていた組織が、いま「制度として認められた」瞬間であった。

 

 監察軍政官庁──。 

 

 それは、二ヶ月前にジャミトフの布告によって組織された臨時の軍政機構だった。

 

 しかし今日この瞬間、その存在は地球連邦の制度に刻まれた。

 

 “ティターンズ正統派”という理念が、ついに議会によって肯定されたのだ。

 

 壇上に姿を見せたのは、礼装軍服に身を包んだひとりの男。

 

 ジャミトフ・ハイマン中将。

 

 昇進直後の初登壇にもかかわらず、その姿勢に揺るぎはなかった。

 

 演壇へ進み出たジャミトフは、書類ひとつ持たず、ただ視線を前方に向けて言葉を発した。

 

「地球連邦議会の諸氏よ、そしてこの時代を生きるすべての人々に告ぐ──」

 

 その口調は重く、だが恐怖を与えるものではなかった。

 

「我々は、暴力の時代を超えねばならない。

 秩序とは、ただ支配することではなく、未来を設計することだ」

 

 議場に静寂が走る。

 

「ティターンズという名が、これまで幾度も暴走を許し、信頼を損なってきた事実を、私は認める。

 ゆえに私は、その“名”をそのままにはせぬ。

 本日ここに、貴議会の承認をもって──新たな制度機関として『監察軍政官庁』を再構築し、法の監理下に正式登録することを宣言する」

 

 “再構築”──。

 

 すでに存在していた組織を、いま議会制度下に再登録する。

 

 それは、暴走の連鎖を断ち切り、“理性の秩序”として再生するという意志表明にほかならなかった。

 

 そして──ジャミトフは一歩、壇上の前へ出て言った。

 

「この再建を担う者として、私は一名を任命する」

 

 ざわつきが、広がる。

 

「アイン・ムラサメ中佐──前へ」

 

 その名を、いまや知らぬ者は議場にいない。

 

 昨日の記者会見によって、彼は“軍人の誠実”を象徴する存在となっていた。

 

 その青年が、今日も警備統括の任務をこなしながら議場を巡回していたことを──皆が知っていた。

 

 アインは、何も言わず立ち上がった。

 

 制服の裾を整え、軍帽を脱ぎ、姿勢を崩すことなく壇上へと歩を進める。

 

 その姿に、一部の保守派議員さえも、息を呑んだ。

 

 ──これが、恐怖や野心ではない“責任”を背負う者の歩き方だった。

 

 ジャミトフは振り返らずに言う。

 

「アイン・ムラサメを、監察軍政官庁 長官に任命する。

 あわせて、同人を本日付で大佐に昇進させる」

 

 ホログラムに表示される人事令状。

 

 ゴップ議長も頷き、議会は静かに拍手を送った。

 

 アインは礼を取り、軍帽を胸に掲げ、ジャミトフの前に進み出る。

 

 ジャミトフは小さく、しかし明瞭な声で言った。

 

「これは、始まりだ。お前の任務は、ここからだぞ」

 

 アインは頷く。

 

 何も語らぬまま、演壇に立った。

 

 その時、議場の照明がわずかに落ちた。

 

 新たなる指導官による、所信表明演説が──今、始まろうとしていた。

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 照明が落ち、壇上の一点に光が集まる。

 

 マイクの前に立つのは、軍帽を胸に抱えたままの若い軍人──アイン・ムラサメ、大佐。

 

 その肩章は今しがた授けられたばかり。 

 

 その立場もまた、つい先ほどまで「代理」だった。

 

 だが壇上に立つ彼の姿には、迷いも逡巡もなかった。

 

 会場が完全に静まり返るなか、アインは一歩前に出て、口を開いた。

 

「私、アイン・ムラサメは──本日をもって、ティターンズ監察軍政官庁の長官の任を拝命いたしました。

また、それに伴い、大佐への昇進を仰ぎましたこと、ここに報告いたします」

 

 言葉に過度な抑揚はない。

 

 それでも、その声は議場全体に静かに、確かに響いていた。

 

「本職は、元来より現場の軍政監理・秩序維持を主務としており、この任命に関しても、事前に通達を受けたものではありません。それゆえ、本席の登壇もまた──即応によるものであります」

 

 一瞬、会場の一角がざわついた。

 

 だがアインは構わず、語り続けた。

 

「しかし、私は恐れていません。

 この壇上に立つことを、命令として受け止めてはおりません。

 むしろ──この使命を、私自身の意志として受け取っています」

 

 言葉に、わずかな熱が混じる。

 

「本日、ここにお集まりの皆様。

 今この議会を取り巻く情勢は、不穏と混乱の中にあります。

 軍の信頼は損なわれ、市民の視線は、もはや国家の形そのものを問い始めている」

 

 その“市民”という言葉に、議場の何人かが小さく反応を示した。

 

 アインは、そこで一拍、声を低くして言った。

 

「私は──市民を守る、連邦軍の軍人です」

 

 議場が凍りついたように静まり返った。

 

「軍人とは、国家の暴力装置ではない。

 市民の暮らしを守り、秩序を築き、未来を整える者です。

 それが、私の考える“軍の本分”であり、

 このティターンズ監察軍政官庁という組織が果たすべき使命です」

 

 誰も声を発さない。

 

 ただ、ひとつの理念が──空気の中に確かに刻まれていた。

 

「私は、恐怖ではなく、理による秩序を掲げます。

 暴力ではなく、責任ある統治を構築します。

 そのためには、軍政の透明性を高め、すべての行動と記録を正当な機関と市民に開示します」

 

 そして、あの日の記者会見と同じ語調で、彼は言った。

 

「私は、忘れません。

 無名の市民の死も、過ちも、痛みも──。

 国家の“背景”に埋もれさせることは、決していたしません」

 

 その言葉は、明らかに昨夜の事件を指していた。

 

「最後に──」

 

 アインはわずかに息を整えると、はっきりと顔を上げ、前を見据えた。

 

「私は、過ちを赦すための組織を創ります。

 制裁を恐れさせるのではなく、責任を果たすための軍政制度を築きます」

 

 その言葉は、軍政の理念を超えて、未来の統治の在り方そのものに向けられていた。

 

「私が掲げるのは、国家ではなく“信義”です。

 命令ではなく“責任”です。

 そして──暴力ではなく、“誠実”です」

 

 静寂の中で、アインは一礼した。

 

 演説は終わった。

 

 拍手は、すぐには起きなかった。

 

 誰もが、今の言葉を反芻していたのだ。

 

 それは若い軍人の演説ではなかった。

 

 それは、この時代における“理性の旗”そのものであった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 控室のドアが、ゆっくりと音を立てて閉じた。

 

 窓越しには、議場の天井ドーム。

 

 先ほどまで無数の視線と言葉が交差していた壇上は、いま一時の沈黙に包まれている。

 

 エゥーゴ代表団の控室には、ブレックス准将とクワトロ・バジーナ大尉。

 

 二人の間に交わされたのは、沈黙──それだけだった。

 

 しばらくして、クワトロが窓の外を見たまま言った。

 

「……あれが、“ティターンズ”を名乗る者の演説とはな」

 

 口調は抑えられていたが、含まれるのは戸惑いと、そして驚嘆に近い感情。

 

 ブレックスはやや疲れた声音で答えた。

 

「もはや“名”ではない。ティターンズという枠組みすら、彼の中ではただの“出発点”に過ぎん」

 

 クワトロは眉をひそめ、振り返る。

 

「……あれが、戦場を渡ってきた十九の少年でしょうか?

 “軍政”だの“制度”だの、まるで政治家のようです」

 

「だからこそだ」

 

 ブレックスははっきりと言った。

 

「──だからこそ、希望がある」

 

 クワトロは沈黙した。

 

 外套の襟を握るその指に、わずかに力が入っていた。

 

「君も見ただろう。

 彼は階級の昇進にも、壇上にも、一切揺るがなかった。

 あの若さで、“責任を受け取る”という意味を知っている」

 

「……責任を言葉で語る者は多いが、受け取る覚悟を見せる者は少ない」

 

「だが彼はやってのけた」

 

 ブレックスの眼差しは鋭い。 

 

 それはもはや、軍人としての分析ではなく、“同時代の政敵にして盟友”を見るような眼差しだった。

 

「昨日の会見も、今日の演説も、“あえて己が矢面に立つ”行為だ。これは、ティターンズの誰にもできなかったことだよ、シャア」

 

 その名を呼ばれても、クワトロは否定しなかった。

 

 ただ小さく息を吐き、腕を組む。

 

「……本当に変わるつもりなのか、あの組織は。

 彼一人の理性で、あの巨大な“暴力装置”を止められると?」

 

 ブレックスは答えなかった。

 

 ただゆっくりと、窓の外のドームを見上げる。

 

 その天井には、議場の光が届かぬまま、蒼白く広がる雲の影が揺れていた。

 

「止めるために現れたのではない。

 創るために現れたのだ──あの少年は」

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 中継回線の音声が落ちると、ブリッジには静寂が戻った。

 

 スクリーンにはもう何も映っていない。

 

 ほんの数分前まで、そこには壇上に立つ若い軍人──。

 

 アイン・ムラサメの姿があった。

 

 アルビオン艦長席に座る男、ブライト・ノア大佐は、腕を組んだまま動かなかった。

 

 その瞳はわずかに伏せられ、映像の余韻を追うように微動だにしない。

 

 やがて、ブライトはゆっくりと息を吐いた。 

 

 肩が、ほんのわずかに落ちる。

 

「……言ってのけたか、アイン」

 

 その言葉は、自身に言い聞かせるように、低く静かだった。

 

 《私は市民を守る、連邦軍の軍人です》

 

 たった一文。

 

 だが、ブライトにはわかっていた。

 

 あの場でそれを言うことが、どれほどの“覚悟”を要するかを。

 

 それは、自らが軍人として幾度となく胸に抱き、だが言葉にすることを許されなかった信念だった。

 

 ──組織の論理、命令の重圧、現場の矛盾。

 

 かつての自分は、そのすべての中で「戦うしかなかった」。

 

 だが今、アイン・ムラサメは違う。

 

 戦わずして、言葉を掲げた。

 

 正面から、壇上で。

 

 あの世界のど真ん中で。

 

「……誇らしいよ」

 

 思わず漏れた言葉に、隣のゼロがわずかに顔を向けた。

 

 ブライトは続ける。

 

「同時に……怖くもある。あれを言ってしまった以上、もう“守られる側”には戻れない。責任を背負うというのは……そういうことだ」

 

 スクリーンにはもう何も映っていない。

 

 だが、ブライトの眼差しはその向こう、遥か地球へと伸びていた。

 

「……行け、アイン。その言葉が真実である限り、君はまだ倒れない」

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 薄暗い室内。人工照明は最低限しか灯されておらず、壁面のスクリーンにはアイン・ムラサメの演説の録画映像が繰り返し流れていた。

 

 整然と並ぶ言葉、節度ある態度、揺るがぬ眼差し──。

 

 そして何より、政治家のような演説でありながら、あくまで「軍人」としての本分を見失わなかった点。

 

 パプテマス・シロッコは、椅子にもたれかかるように座りながら、画面をじっと見つめていた。

 

 腕は組まれている。

 

 視線は真っ直ぐにディスプレイを射抜いていた。

 

 長い沈黙。

 

 やがて──笑った。

 

「……はは、見事だよ。アイン・ムラサメ」

 

 その声には、嫉妬も皮肉もなかった。

 

 ただ純粋に「してやられた」という、構造設計者としての賞賛。

 

「そう来るか。演説の中核を“統治制度の刷新”と“軍政の責任”に置き、かつ自らの大義を“市民を守る軍人”と位置付ける……」

 

 声に出すことで、戦略の構造を確認している。

 

 まるで建築図面を読み上げるかのように。

 

「市民・責任・透明性──この三点で信を取り、“若さ”ではなく“制度”を背負う。君は……本当に、あの壇上で、兵器ではなく言葉を撃っていたな」

 

 シロッコは立ち上がり、端末の再生ボタンを再度押す。 

 

 アインの演説がもう一度流れ出す。

 

《私は、市民を守る、連邦軍の軍人です》

 

 その一言で、彼は再び動きを止めた。

 

 言葉を、数秒、反芻する。

 

「……そこまで言ったか。君は、とうとう“泥に濡れた”な」

 

 静かに呟く。

 

 あの日、記者会見を見たときから、アインが泥をかぶる覚悟をしたとシロッコは見ていた。

 

 だが、その“泥”は、もっと軽いもの──形式的責任や方便の範囲に収まると想定していた。

 

 それがどうだ。

 

 今、アインは言葉で自らを深泥へ沈めた。

 

 逃げ場などない、真正面から“秩序”の本質へ踏み出してしまった。

 

 ──その瞬間、全てが変わる。

 

「私はまだ監督でいるべきか? それとも……この建築主に、忠誠を誓うべき時なのか」

 

 ふと笑いを漏らす。

 

 いや、もう答えは出ている。

 

 この“構造”が瓦解する未来は見えない。

 

 むしろ、次に必要なのは──“補強”と“仕上げ”だ。

 

「よろしい。現場監督としての仕事は、まだ残っているらしい。ならば、君が迷わぬ限り、私は“建て続けよう”」

 

 その目は、戦略家ではなく、技術者のそれになっていた。

 

 ──パプテマス・シロッコ。

 

 この瞬間、彼は完全に“理性の建築主”アイン・ムラサメのために動くことを自らに許した。

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 通信パネルに映るダカール議場。

 

 壇上の青年将校が、はっきりとこう口にした。

 

《私は、市民を守る、連邦軍の軍人です》

 

 その瞬間だった。

 

 ──バンッ!!

 

 分厚いデータバインダーが、会議卓の上に叩きつけられた。

 

「貴様ッ……!! 誰に向かって演説しているッ!!」

 

 怒声が鉄壁の作戦司令室に響き渡る。

 

 背広を着た幕僚たちが一斉に視線を逸らす。

 

 スクリーンには、長官の任命を受けたアイン・ムラサメ大佐が淡々と演説を続けていた。

 

 バスク・オムは、立ち上がっていた。

 

 その額には汗。

 

 だがそれは熱さでも緊張でもなく、怒りと敗北感がもたらした冷や汗だった。

 

「市民だと? 軍人のくせに……! “市民”などと口にするな……ッ!」

 

 拳が卓に再び叩きつけられる。

 

 参謀の一人が声をかけようとして──やめた。

 

 いま下手に言葉を挟めば、部屋ごと爆破されかねない。

 

 バスクの顔は紅潮し、目は血走っていた。

 

「ジャミトフめ……ッ、ここまでやるか……! “あのガキ”に……“ティターンズ”の名を語らせて……ッ!」

 

 それが“自分のティターンズ”ではないと、ようやく痛感した瞬間だった。

 

 ムラサメ研究所の廃棄予定だった人形風情が、今や議場で全議員を前に堂々と軍政を語り、「責任」を口にしている。

 

 ──では、自分はなんだ?

 

 自分こそが“統治”だと信じてきたこの暴力と権力の塊が、

 

 いつの間にか、人心の支持を失っていた。

 

「フン……いいだろう。そんなに綺麗事でまとめたければ、せいぜい“市民”に囲まれて朽ちるがいい……!」

 

 唇が歪む。

 

 だがそれは諦念ではなく、反撃の構想だった。

 

 バスク・オムは、まだ負けていない。

 

 いや──負けを認めない。

 

 そしてそれこそが、彼の危険性そのものだった。

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 議場がいったん休会に入った直後、主要閣僚と政府高官らがひそかに集められていた。

 

 場所は報道陣の目が届かぬ地下の会議室。

 

 円卓の中央には、すでに大気冷却式の水差しと冷たいコーヒーが用意されている。

 

 その中枢に座るのは──地球連邦議会議長ゴップ。

 

 太い指で資料をなぞり、眼鏡の奥からゆっくりと全員を見回した。

 

「……諸君、今の演説をどう見たかね?」

 

 静かな口調。だが、その裏には「これは見過ごせんぞ」という重みがあった。

 

 内務大臣が咳払いしつつ口を開く。

 

「……率直に申し上げて、あれほどの弁を……いや、“政治的な自己定義”を、あの年齢で、あの場で打ち出すとは……正直、驚嘆を禁じ得ませんな」

 

「正統派ティターンズの立ち上げに、これほどの正統性が与えられるとは、正直、読めなかった……」

 

 財務局長が呟く。

 

 参謀本部の代表も、軍制服の襟元を指で整えながら苦笑気味に言った。

 

「……演説の文面から察するに、事前草案もなく即興と見てよいでしょう。だが、内容は実に戦略的です。“市民を守る軍人”──あれは、軍政官ではなく、国家の“代理統治者”の宣言に等しい」

 

 会議室に沈黙が落ちた。

 

 ゴップは少し椅子にもたれ、組んだ手で顎を支えるようにしながら呟いた。

 

「……いよいよ、“バスクの時代”が終わるな」

 

 誰も返さなかった。

 

 返せなかった。

 

 その一言は、明確な政治的終焉の宣告だった。

 

 ゴップは立ち上がる。

 

 そして壁際の補佐官に目配せしながら、続けた。

 

「このままでは、ティターンズという組織が完全に二分される。だが……いっそ、切り離した方がいい。正統派として、ジャミトフとあの少年に統治を任せる。混乱の責任はあちらに預けてしまうのが得策だ」

 

 首相代理が苦笑交じりに返す。

 

「……議長、それは“泥を押し付ける”と?」

 

「違うな。彼は最初から泥に沈む覚悟をしていた」

 

 ゴップの目が鋭くなる。

 

「だからこそ、任せる価値がある。泥に沈んで、なお“秩序”という柱を掲げて立ち続けるなら──それは、もはや少年ではない。“支柱”だ」

 

 誰も反論しなかった。

 

 この日、議場の裏で、バスク・オムという“軍の亡霊”は静かに見限られ、アイン・ムラサメという新たな“軍政の象徴”が、公式にはまだ語られぬままに、政府首脳の間で認められつつあった。

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 カーテンの閉じられた控室には、静寂が漂っていた。

 

 つい先ほどまで数百名の前で演説を行っていたアイン・ムラサメ大佐は、重く沈んだ椅子の背もたれに、そっと体を預けていた。

 

 呼吸が浅く、だが落ち着いていた。

 

 軍服の襟元を指で緩めるでもなく、髪をかき上げるでもなく、ただ静かに、目を伏せたまま、ひとつ長い息を吐いた。

 

 それは──ようやくの、安堵だった。

 

 演説中に一切見せなかった“緊張”が、今になってようやく言葉の外へと零れ落ちてゆく。

 

 背中にはうっすらと汗が滲んでいた。

 

 掌の中には、震えを抑えるために握りしめていた自分の爪痕が、赤く残っていた。

 

 だが彼は、誰にもそれを見せなかった。

 

 ──あの壇上では、ただ一人の“軍人”として立っていた。

 

「……よくやった」

 

 その声が、部屋の隅から静かに響いた。

 

 アインが顔を上げる。

 

 視線の先には、ジャミトフ・ハイマンの姿があった。

 

 背筋を伸ばし、軍人としての威容を保ったまま、だがその眼差しは、厳しさではなく、深い理解と誇りに満ちていた。

 

 アインはすぐに起立しようとした。

 

「いえ、自分は──」

 

 だがジャミトフは手を挙げて制した。

 

「いい。座っていろ。……今だけはな」

 

 その言葉に、アインは一瞬だけ目を見開いた。

 

 そして、控えめに頷いて再び腰を下ろした。

 

 ジャミトフはそのまま、室内の片隅──カーテン越しの薄明かりを背に、壁際の椅子に腰を下ろした。

 

 ──沈黙。

 

 ふたりの間には、肩書きでも年齢でもなく、

 

 一つの演説と、その背後にある覚悟が静かに横たわっていた。

 

「君の言葉は、誰よりも重かった。あれは軍人の誓約であり、政治の宣言だ」

 

 低く、噛み締めるようにジャミトフは言った。

 

「市民を守る──と、言い切ったな。それは“暴力”の使い方を、君自身で制限したということだ。同時に、君の背中に、全ての“秩序の責任”が乗ったということでもある」

 

 アインは答えなかった。

 

 ただ、真正面から視線を受け止める。

 

 それが返答だった。

 

 ジャミトフは微かに目を細めた。

 

「……よろしい」

 

 その一言は、長官任命者としての認証であり、

 

 思想を託す者としての“承認”でもあった。

 

 部屋の外では再開を知らせる電子チャイムが鳴り始めていた。

 

 休会が終わる。

 

 アインは立ち上がった。

 

 制服の前を正し、礼を取ろうとしたとき──。

 

「アイン」

 

 ふいに、名で呼ばれた。

 

「はい」

 

「……君は、もう“代理”ではない。今後は、“長官”として、この組織を率いるがいい」

 

 アインの胸に、新たな重さが宿った。

 

 それは“任命”ではなく、“信任”だった。

 

 

 

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