ムラサメさん家のイチバン=サン   作:星乃 望夢

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第49話 終わるな、私の時代も

 

 執務日程が終わったというのに、応接室の奥ではまだ資料を捌く気配があった。

 

 連邦政府議長、ゴップ。

 

 議場での審議を取り仕切ったとは思えぬほど静かな手付きで、彼は筆頭官房補佐官から報告資料を受け取っている。

 

「──議長。ムラサメ大佐がお見えです」

 

 控えの者が声を掛けると、ゴップは手元の書類から視線を上げた。

 

 眉間に皺を寄せるでもなく、わずかに笑む。

 

 その目は、すでに何かを察していた。

 

「入れ。今日は君にこそ会うべき夜だ」

 

 ゆっくりと扉が開き、アイン・ムラサメ大佐が現れる。

 

 制服の胸元には、本日付で授けられたばかりの“大佐”の階級章が輝いていた。

 

 だが本人はそれに誇りを乗せている様子はない。

 

 彼の手にあったのは、分厚い報告書のバインダーだった。

 

「夜分に失礼します、ゴップ議長。本日は……ひとつ、お目通しいただきたい草案があり、伺いました」

 

 アインの声は凛としていた。

 

 だがその背筋には、どこか若者らしい“重さ”があった。

 

 自らの言葉に、自らの責任で未来を背負おうとする人間の、誠実な緊張だった。

 

「……ジャミトフ中将は、この件をご存じかね?」

 

 ゴップは、微笑を含んだ口調で問いかける。

 

 だがその裏にあるのは、“君の自発性か、それとも命令か”という確認である。

 

 アインは、即座に応じた。

 

「──いえ。本件は、私自身の判断によるものです。新任長官としての最初の責務と位置付け、草案はすべて私個人でまとめました。内容に、いかなる政治的干渉も含まれておりません」

 

「ふむ……」

 

 ゴップは眼鏡の縁をわずかに押し上げ、アインの表情を見つめる。

 

 老獪な政治家の目が、若き軍人の覚悟を測っていた。

 

「君が“まだ若い”という事実は、どうにも拭えんな、ムラサメ大佐。……だが、“若いからこそ見えるもの”というのも、確かにある」

 

 言葉のトーンに変化はなかったが、その手は静かに差し出された。

 

 アインは頷き、バインダーをゴップの前へ置いた。

 

「ご査収いただければ幸いです。

 提案名──『地球連邦軍次期主力MS生産拠点整備計画』。

 通称、“ジャブロー再稼働構想”となります」

 

 ゴップは、重たげなページを一枚ずつ捲った。

 

 内容は技術的にも財政的にも緻密だった。

 

 予算編成における分配基準、機体パーツの共通化によるコスト圧縮、旧施設の再利用によるインフラ負担の軽減──。

 

 そして何より、“戦争ではなく秩序のための武力”という思想が通底していた。

 

「……なるほど。ジャブローを、ただの軍事拠点ではなく、“再編と再建の象徴”にするというのか」

 

 アインは短く頷く。

 

「はい。それが私の初仕事です。この施設は、まだ使える。ならば、ただ兵を蓄えるだけの場ではなく、秩序を支える“標準”を生む工場にすべきだと、私は考えています」

 

 しばし沈黙が流れた。

 

 ゴップは何も言わず、アインの言葉だけを反芻するように口を閉ざした。

 

 ──この若者は、命令されて動く者ではない。

 

 ──理想を盾にせず、だが手放しもせず、己の責任で未来を組み立てようとしている。

 

 その目が、嘘をついていない。

 

 やがて、議長は静かに言った。

 

「よろしい。君の言葉に値打ちがあるかどうか──それを見せる機会は、まだこの総会中にある。私は、検討を命じよう。……この草案に、明日から正式に着手する」

 

 アインは姿勢を正し、深く一礼した。

 

「感謝します、ゴップ議長。必ず、“結果”としてお応えいたします」

 

 老議長は、もう一度だけ眼鏡の奥で目を細めた。

 

「……君のような若者が、戦争ではなく秩序を語る。悪くない兆候だよ。地球も、まだ救えるかもしれん」

 

 その言葉には、どこか遠く、諦めかけた時代を思うような響きがあった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 空はまだ薄曇りで、朝陽は地平線の向こうで足踏みをしていた。

 

 その静かな空気を、短く無機質な電子音が破った。

 

 通信端末の着信。

 

 ジャミトフ・ハイマン中将は、執務机の上に置かれた画面に目を落とし、押し黙ったまま表示内容に目を通した。

 

 ──報告書、標題:「地球連邦軍次期主力MS生産拠点整備計画草案」。

 起案者:ティターンズ監察軍政官庁長官 代理 アイン・ムラサメ 大佐。

 提出先:ゴップ議長官邸(8月15日夜)。

 

 数秒の沈黙。

 ジャミトフは、ひとつだけ深く息を吐いた。

 

「……そうか。やったか、アイン」

 

 手元の端末には、アインからの報告はまだない。

 

 つまり、事後報告すらせず、自身の判断で草案を練り、議長へと提出した──。

 

 それは、命令ではなく、思想から出た“政治的行動”だった。

 

 椅子の背にもたれ、彼は瞼を閉じる。

 

 かつて、ティターンズとはただの強権装置でしかなかった。

 

 バスクがその体現者ならば、ジャミトフはそれを「戦略」として選んだ。

 

 だが今──アイン・ムラサメという一人の若者が、暴力ではなく制度を、支配ではなく秩序を選び、“行動”としてそれを示した。

 

 そしてその行動は、ジャミトフの許可すら必要としなかった。

 

「……良いだろう。むしろ、それでこそだ」

 

 ジャミトフは、冷えたカップに手を伸ばし、残りの紅茶を口に含んだ。

 

 もはや温度など、意味はなかった。

 

「私を超えるか、アイン。ならば、お前に委ねる価値もある」

 

 呟きは、室内に吸い込まれた。

 

 ジャミトフ・ハイマン──。

 

 地球の再生と人類の秩序を夢見た一人の政治軍人は、その信を託した青年が「自らの旗」を掲げ始めたことに、初めて微笑を浮かべていた。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 夜のダカールは静まり返っていた。

 

 だが《スードリ》艦内、特務回線室の一角には緊張の気配がまだ息づいている。

 

 回線は接続された。

 

 瞬時に、画面が切り替わる。

 

 ジュピトリス──木星船団、パプテマス・シロッコ。

 

 無機質な青白い光に照らされ、シロッコは仄暗いブリッジの中央に立っていた。

 

 通信でありながら、画面越しに感じる圧はまるで直に会っているかのようだった。

 

「──よくもまぁ、このタイミングで。忙しい男だな、君は」

 

 嘲るでもなく、称えるでもない声音。

 

 それは鋭利な観察者の響きを持っていた。

 

 しかし、アイン・ムラサメは僅かにも動じず、姿勢を正した。

 

「失礼を承知でお願いがあります。

 ──パプテマス・シロッコ。あなたにしかできない協力を、要請させていただきます」

 

 言葉に偽りはなかった。 

 

 傲慢ではない。

 

 だが、必要とする者を、正しく“必要だ”と言える強さが、そこにはあった。

 

「ふむ……“協力”? 私はもう、君に『焼かれた脳』を献上したつもりなのだが」

 

 シロッコは静かに言いながら、目を細めた。

 

 ──アインの端末に、機密文書が送信される。

 

 リゼル、グスタフ・カール。

 

 次世代主力機構想の設計草案。

 

 どちらも高次元の可変・機動性を備え、かつ量産性を視野に入れた構成だった。

 

「……ほう。こいつは──良い」

 

 初めて、シロッコの声に“熱”が宿った。

 

 手元のホログラムに投影された設計構造を、彼は指先でなぞる。

 

 目は鋭く、しかしどこか満足そうでさえある。

 

「リゼル──機動性と構造の洗練。

 グスタフ・カール──パーツ構成比率の大胆な統合。

 これを同時に走らせるとは……若さの無謀か、それとも本気の改革か」

 

 アインは一歩、画面に近づいた。

 

 その瞳はまっすぐにシロッコを見据えている。

 

「これは“並べる”だけの兵器ではありません。

 私たちは“構築する”のです。

 兵器を揃えることが、力ではない。

 思想と戦略を貫く秩序こそが、力となる──。

 だからこそ、このふたつを同時に進める必要がある」

 

 沈黙が落ちる。

 

 シロッコは目を閉じ、数秒だけ考えた。

 

 そして、ゆっくりと目を開き──言った。

 

「いいだろう、ムラサメ大佐。

 君の言葉は誠実で、君の望みは正気だ。

 ならば私は“建築家”としてその現場に参加しよう」

 

 そこにはもはや皮肉も芝居もなかった。

 

 ただ、認め合った者同士の、契約の声があった。

 

「ただし、私は現場監督だ。手抜きの設計は許さない。

 このふたつが“理想”ではなく“実利”として完成するまで──君も、妥協はできんぞ?」

 

 アインは、胸元で手を軽く当て、敬意を込めた一礼を示した。

 

「もちろんです。

 私は市民を守る、連邦軍の軍人です。

 そしてあなたは、戦士ではなく“創造者”だと、私は理解しています」

 

 言葉を失ったのは、シロッコのほうだった。

 

 その静かな目に、ひとしずく、笑みが生まれる。

 

「──ふふ。ああ、やれやれ。これは本当に、“正しい炎”に出会ってしまったかもしれん」

 

 通信は切れた。

 

 だが、それは終わりではない。

 

 この瞬間、木星と地球の距離を超えて、二人の“構築者”の契約が静かに成立したのだった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 通信が切れる。

 

 巨艦ジュピトリスの中、ブリッジには再び静寂が戻った。

 

 だが、それは決して“元の静けさ”ではなかった。

 

 パプテマス・シロッコは、何も言わずにモニターを見つめていた。

 

 表情は読めない。

 

 その蒼い眼差しの奥で、数多の思考が目まぐるしく交差し、溶け合い、再構成されているのがわかる。

 

 ゆっくりと右手を伸ばす。

 

 ホログラムに投影されたグスタフ・カールとリゼルの設計図面を再び呼び出す。

 

 ──合理的だ。

 

 ──大胆だ。

 

 ──だが、それ以上に、思想がある。

 

「ふ……ふふ……」

 

 微かに、口元が笑った。

 

 嘲笑ではない。

 

 興味と、戸惑いと、ある種の高揚──。

 

 その感情は、彼自身にとっても未知だった。

 

(まさかこの私が──“依頼”を受けた、だと?)

 

 彼はかつて、地球圏の全てを見下ろしていた。

 

 人類の愚鈍、女たちの支配欲、そして男たちの鈍重な力信仰。

 

 そこに愛想を尽かし、全てを「自らの手」で設計し直すために帰ってきた。

 

 そのための木星帰還。

 そのためのMS技術。

 そのための、ジュピトリス。

 

 だが。

 

(……命令ではないのだな、アイン・ムラサメ)

 

 脳裏に浮かぶのは、静謐な目をしたあの青年。

 

 尊大でもない、卑屈でもない。

 

 理想を掲げながら、現実に足を着けている軍人。

 

 それがなおさら、脳髄を焼いた。

 

 ──自らが「必要」だと見抜き、名指しし、信頼を向けてくる。

 

 それは支配ではない。懇願でもない。

 

 シロッコが他者から決して享受してこなかった、“尊厳に基づく協力の申し出”だった。

 

(焼けるのも当然か)

 

 乾いた息が漏れた。

 

 自身が軽蔑してきた“地球”という場所。

 

 その中心で、暴力でも暴走でもなく、言葉と構想と秩序で改革を仕掛ける少年がいる。

 

 ──そして、彼はこう言った。

 

「私は市民を守る、連邦軍の軍人です」

 

 その言葉が、耳を離れなかった。

 

 嘘ではなかった。

 

 演技でもない。

 

 まるで“兵器”そのものが、人のために生きようとしているような違和感と整合性。

 

 矛盾したまま、調和している。

 

「……それが、お前の“秩序”か。面白い……!」

 

 シロッコは立ち上がった。

 

 艦橋のクルーたちは誰も口を開かない。

 

 いや、彼の中で何かが決壊しかけているのを直感的に感じていた。

 

 かつて、全てを自らの理想で染め上げようとしていた男が、今──理想を託される立場に立った。

 

(私は……今この瞬間、“自分の中の王”を降りようとしているのか?)

 

 戦慄に近い震えが、彼の背を走る。

 

 それは敗北ではなかった。

 

 ましてや屈服などではない。

 

 ──それは、初めて手にした“納得”。

 

「アイン・ムラサメ……貴様は、私に“構築の意義”を与えた……!」

 

 自らを突き動かす動力が、かつての支配欲でも征服衝動でもないことに、彼は気づいていた。

 

 それはただ、完成された未来を創りたいという純粋な願望。

 

 そう、“建築現場監督”として。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 前夜までの熱気が残る議事堂は、朝の陽光の下にあってもなお、沈黙の余熱を帯びていた。

 

 ジャミトフ・ハイマン中将昇進、アイン・ムラサメ大佐の長官任命。

 

 そして──秩序を語る若き軍人の所信表明。

 

 その一連の“出来事”は、地球連邦政府という老いた獣の背骨に、新たな棘を突き刺した。

 

 その空気を読みながら、ゴップ議長は着座した。

 

 彼の表情はいつも通り──柔和にして、読めない。

 

 だがその眼だけは、昨日とはわずかに異なる光を帯びていた。

 

「次に、本日付けで議長室へ提出された、ティターンズ監察軍政官庁・長官ムラサメ大佐による草案について、議題上程を行います」

 

 議場がわずかにざわつく。

 

 ──議題名。

 

 【地球連邦軍・次期主力量産機生産拠点の再定義と南米ジャブロー軍政区画再稼働計画草案】

 

「……ジャブロー?」

 

 老議員の一人が呟いた。

 

 かつての地球連邦の象徴。

 

 地下要塞の粋を極めた地球直轄の軍政本部。

 

 いまや“失われた中枢”であり、過去の亡霊とまで言われたその地名が、議場に響く。

 

 だが、続く議長の発言が、空気を変えた。

 

「提出者は、本草案を『現代技術と秩序再構築に基づく現実的生産戦略』と定義。

 計画書においては、各種新型MSのパーツ互換性──リゼル、アンクシャ、グスタフ・カール、およびジェガンを含めた生産体制における統合設計を前提としております。

 併せて、南米地域の民間復興計画との連動も想定し、再定義されたジャブローの“平和的転用”を示しています」

 

 傍聴席が少しざわめく。

 

 政治部門の記者たちが、手元の資料を繰る音が混じる。

 

 議長席の後方、上段の政府席に並ぶ要人たち。

 

 その中に、アイン・ムラサメ大佐の姿もあった。

 

 彼は整えた制服に身を包み、口を固く結んだまま、ただ前を見ていた。

 

 ──この草案は、彼の「初仕事」だった。

 

 ──誰にも命じられず、誰にも頼らず、ただ“必要”だと感じて動いた、ひとつの仕事。

 

 ジャミトフも何も言わなかった。

 

 それを「報告」として知った時、彼はただ一言「……そうか」と呟いたのみだった。

 

「本草案、上程を許可します。討議項目に追加──」

 

 ゴップの木槌が鳴る。

 

 その音は、まるで時代の蓋が、静かに開かれた音のように響いた。

 

 議会のスクリーンに、ジャブロー地下軍政区画の再開発想定図が映し出される。

 

 簡素で、だが未来的な設計。

 

 工廠施設、研究ブロック、輸送ターミナル、地下の核防護層を利用した住居区域──。

 

 そして、並ぶ4つの名前。

 

 リゼル。

 ジェガン。

 アンクシャ。

 グスタフ・カール。

 

 その名称が、“ティターンズの象徴”ではなく、“連邦軍の再編”として掲げられたことで、議員たちは理解した。

 

 ──これは、ただの軍事増強案ではない。

 

 ──秩序の再編であり、“ティターンズを越えた”提案であると。

 

「……まったく、あの少年。どこまで読む気だ」

 

 ある議員が呟いた。

 

「いや、“読んで”いるのではなく、“創って”いるのかもしれんな」

 

 別の老将が応じる。

 

 傍聴席の端、ブレックス准将が小さく頷いた。

 

 その横では、クワトロ・バジーナが黙して映像を見つめている。

 

 その青い瞳に、一言だけが浮かんでいた。

 

 ──“これはもう、ただの駒ではない”

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

「では、草案第38-α案──『地球連邦軍次期主力MS生産拠点としてのジャブロー再稼働計画』に関する討議を開始いたします」

 

 ゴップ議長の声が議事堂内に静かに響く。

 電子パネルに映し出された草案の要点と図面。

 そのすぐ脇に、アイン・ムラサメ大佐の名前が明記されていた。

 

 壇上に立つのは軍政技術審査委員会の筆頭官僚。

 

 だが実質的に、今日の主役は背後席に控えるティターンズ監察軍政官庁──すなわちアインだった。

 

 中央ブロックから立ち上がったのは、保守派議員の重鎮、ロドリゲス議員。

 

「まず第一に申し上げたい。我々は、ティターンズという組織の軍政運用に対し、厳しい目を向けてきた。

 サイド1・30バンチの事件は未だ記録が封鎖され、真相も明らかにされていない中で、なぜティターンズの主導によって再びジャブローが“稼働”されねばならないのか」

 

 ざわめきが広がる。

 

 その核心を突くような言葉に、誰かが息を呑んだ。

 

「ティターンズは、その行動理念を一貫して市民の上位に置き、秩序の名のもとに暴力を行使してきた。

 その象徴が、かつてのジャブローだ。その場を再び動かすということは、まさしく過去への逆行ではないのか!」

 

「反対!」

 

「もっともだ!」

 

 保守・左派陣営から散発的な拍手と賛同の声が上がる。

 

 だが、それに反応するように立ち上がったのは、経済再建派のコロン議員だった。

 

「反論させていただきます。今回の草案にあるのは、“再稼働”ではなく、“再定義”です。

 ジャブローという施設の物理的資産を、有効に、かつ民間連携で転用する提案です。

 加えて、機体開発において高水準のパーツ共通化を実現し、地球圏全体の補給網にも恩恵が出る」

 

「しかしその草案提出者はティターンズだ!」

 

「……提出者は、アイン・ムラサメ大佐。現在のティターンズ監察軍政官庁、すなわち内部監査機構の長官であり、先日の演説で“市民を守る軍人”を宣言した男です!」

 

 会場が静まる。

 

 名指しされたアインは、無言のまま席に座っていた。

 

 だが、僅かに背筋が伸びた。

 

 ブレックス准将はその様子を目の端で見つめながら、小さく呟いた。

 

「彼がこうして“議場”にいることそのものが、もはやティターンズの構造を超えた証明だな……」

 

 クワトロ・バジーナは黙したまま、壇上を見ている。

 

 今度は、地球圏外交通委員会からの発言。

 

「本草案の中における“新型機体”についてですが、リゼル、アンクシャ、ジェガン、グスタフ・カール──

 これらは全て、パーツ互換性が高く、かつ汎用性を持ち、宇宙・地上双方に展開可能な設計思想で統一されております。

 既存の型落ち機体を補完し、段階的更新を進めるに相応しいと、我々は評価します」

 

 討議は熱を帯びる。

 

 支持の声、懐疑の声、私怨混じりの発言、拍手、罵声。

 

 だが、それらすべてが議事の中で次第に“議題としての重量”へと昇華していくのがわかる。

 

 そして、議長席でそれを見守っていたゴップは、ゆっくりと立ち上がった。

 

「諸君。私たちはこの数日で、あまりにも多くの“変化”を目の当たりにしてきました。

 今、私たちに求められているのは、“かつての恐れ”ではなく、“今の構想”を測る目であると信じます」

 

 そして静かに、木槌を持ち上げた。

 

「……これより、本議題に関して採決を行います。

 『地球連邦軍・次期主力MS生産拠点としてのジャブロー再稼働計画草案』、賛成の方はご起立を──」

 

 静寂。

 

 数秒の間。

 

 ──そして。

 

 最初に立ち上がったのは、宇宙経済振興派のラインハルト議員。

 

 続いて中央右派の軍制再編派。

 

 さらに、都市インフラ再興を掲げる民間議員が、次々と起立する。

 

 その波は一瞬の静寂ののち、拍手と歓声へと変わっていく。

 

 壇上で黙っていたジャミトフが、ふっと目を伏せた。

 

 隣のアインは、微動だにせず、その光景を見つめていた。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 議場の喧騒は、分厚いドア一枚で嘘のように静まり返っていた。

 

 控室に戻ったアイン・ムラサメは、深く息を吐くと、後ろを歩いていたジャミトフに振り向いた。

 

「……ジャミトフ准将。いえ、中将閣下」

 

 冗談めいたような敬称の訂正に、ジャミトフは目を細めた。

 

「議案は通った。よくやった。君の言葉が民意を動かした」

 

「ありがとうございます。しかし──それだけでは終われません」

 

 アインの表情は笑っていなかった。

 

 その視線には、明らかな決意の色があった。

 

「次に取りかかるべきは……“30バンチ事件”です」

 

 沈黙が落ちる。

 

「先ほどの討議で、議員たちは明言こそ避けていましたが──あの忌まわしい事件の真相が未だ封鎖されていることに対する不信感は、明白でした」

 

 アインはゆっくりと、懐からデータパッドを取り出す。

 

 画面には、かつてティターンズが非公式に残していた作戦記録の断片が浮かび上がっていた。

 

「事件の実行部隊は、バスク・オム直属。

 現地での治安維持名目でG3ガスを散布した時点で、反政府集会には正式な通達が下りていた──。

 つまり、そこに集まっていた人々は、“許可された市民”であり、“反乱”ではありませんでした」

 

 アインの声は静かだった。だが、冷気のような緊張を孕んでいた。

 

「私たち“正統派ティターンズ”が、真に民意の信頼を得たいのであれば──この事件に対し、真実を語らなければなりません。隠蔽と情報操作による秩序ではなく、責任と説明による信義をもって、軍を律するべきです」

 

 ジャミトフは、無言のままアインを見つめていた。

 

 あの事件の後──。

 

 自らが情報局に命じて記録の隠蔽を指示し、火種の沈静化を図ったことを、アインは何一つ聞いていないはずだった。

 

 それでも、ここに至ってなお、彼はすべてを言い当てている。

 

 まるで、歴史を追体験したかのように、真相を摘み取ってきた。

 

「……あれは、バスクの暴走だった。私の統制が届かなかった、最悪の例だ」

 

 ジャミトフの声は低かった。

 

「そして、私もまた……あの時、黙ってその罪を“記録から排除”した」

 

 数秒の沈黙。

 

 アインはただ、静かに頭を下げた。

 

「それも含めて、公表すべきです」

 

「……自分の上官をも裁くというのか?」

 

「いえ」

 

 アインは穏やかに首を振った。

 

「私は、あなたの“時代”を否定するつもりはありません。

 ですが、私たちが掲げる“次の旗”に、嘘は許されないのです」

 

 その一言に、ジャミトフはわずかに目を伏せた。

 

 そして、低く呟いた。

 

「──終わるな、私の時代も」

 

 重く、しかしどこか満ち足りた声音だった。

 

 彼はそのまま椅子に腰を落とすと、アインの顔を見上げた。

 

「やるのだな?」

 

「はい。責任を取る覚悟はできています」

 

「……ならば、私もその責任を共に負おう。正統派を名乗る以上、私もまた、君に預けた秩序の中で裁かれるべき存在だ」

 

 ジャミトフ・ハイマン。

 

 地球圏の混乱と腐敗を目にしてきた老将は、静かにそれを言い切った。

 

 アインは深く頭を下げた。

 

「ありがとうございます。必ず、この秩序を未来へ繋げます」

 

 二人の間に、もはや命令も、階級もなかった。

 

 ただ、ひとつの“思想”と、それを引き継ぐ覚悟が、そこにあった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 西の空が朱に染まる頃、ガルダ級《スードリ》の司令室には張り詰めた空気が漂っていた。

 

 アイン・ムラサメ大佐──いまや正式に任命されたティターンズ監察軍政官庁長官──は、深く息を吐き、目の前のコンソールに指をかける。

 

「フォン・ブラウン、アルビオン宛。通信チャンネル開け。直通で」

 

 部下の操作により、即座に回線が繋がる。数秒のラグの後、スクリーンに見慣れた艦橋が映し出された。

 

 ペガサス級強襲揚陸艦《アルビオン》。艦橋中央に立つ男──ブライト・ノア大佐が応じる。

 

『こちらアルビオン、ブライト・ノアだ。スードリ、映像受信している』

 

「こちらスードリ、アイン・ムラサメ大佐。ティターンズ監察軍政官庁、長官として発言する」

 

 アインは姿勢を正し、静かに言葉を継いだ。

 

「ただいまをもって、連邦総会ならびに本庁の承認の下、最優先事項としての第1号命令を発します。

 任務対象艦:ペガサス級強襲揚陸艦《アルビオン》。指揮権限は艦長ブライト・ノア大佐に委任。現場補佐官として、ゼロ大尉が同行中」

 

 ブライトは表情を変えず、画面の奥で静かに頷いた。

 

『命令を聞こう』

 

「命令内容は以下の通り──。

 『サイド1宙域30バンチにおける旧コロニー残骸への潜入調査および記録物回収』。

 目的は、かつて同宙域で発生した非合法作戦の真相究明と、連邦議会への報告資料作成。

 本件は監察軍政官庁の直轄案件として位置づけられ、現地における調査権限・アクセス権・武装展開権を正式に付与する」

 

 アインは、スードリ司令室に立ち込める沈黙を断ち切るように言葉を続けた。

 

「必要に応じて、現地映像・通信制御ログ・残留物質サンプルの全てを採取し、スードリ本部へ報告せよ。

 なお、調査中においてエゥーゴ所属の調査資料への協力要請が可能。必要であれば、正式にこちらで手配する」

 

 スクリーンの向こう。ブライトは一瞬目を伏せると、短く呟いた。

 

『……あの宙域を、調べ直すのか』

 

「ええ」と、アインは応じる。

 

「過去に何が起きたのかを、見なければならない。それは政治の責任であり、同時に、軍の責任でもあります」

 

 ブライトの顔に、戦士としての静かな決意が浮かんだ。

 

『──了解した。アルビオンはすぐに補給を終え、最短航路・最大戦速にて30バンチへ向かう。

 調査にはゼロ大尉も参加中。全記録は逐次、スードリおよび総会に報告する』

 

「頼みます、艦長。あなたの手に委ねます」

 

『任せろ、アイン。……“正統派”の名に恥じぬ調査をしてみせる』

 

 通信が切れた。

 

 アインはしばし沈黙し、席へ戻ると、小さく呟いた。

 

「僕たちはもう、“正義”だけを語るわけにはいかない……」

 

 その視線の先には、地球が静かに回っていた。

 

 

 

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