ムラサメさん家のイチバン=サン   作:星乃 望夢

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第51話 奴が……奴がやりやがったか……!

 

 重たい扉が閉まると同時に、場の空気が変わった。

 

 議会本会議場が休会に入ったのを確認し、ゴップ議長は静かに椅子に腰を下ろした。

 

 既に部屋の中には、国防省、内務省、情報局、外務省の高官たちが顔を揃えており、それぞれが硬い表情を浮かべている。

  

 閣僚級の政府上層部が一堂に会する機会は、戦時を除けば稀だ。

 

 部屋の中央には大きな円卓。

 

 だがその形に反して、意見が自然と一点に収束していくのに時間はかからなかった。

 

「──議会の延長は、不可避と見てよいでしょうな」

 

 口火を切ったのは国防大臣だった。

 

 軍服の襟を正しながら、苦々しげに言う。

 

「ティターンズ総帥自らが謝罪したうえ、正統派としての再出発を宣言した。だが、それだけで幕を引けば、民意の反発は免れない」

 

「しかもアイン・ムラサメ大佐が読み上げた調査報告は、単なる軍規違反や暴走ではなく、歴史の修正そのものを意味する」

 

 続けたのは内務次官だった。

 

 記録映像の再生デバイスを片手に、アインの演説の要所を端末で確認している。

 

「事件の追及と、バスク・オムの処遇。どちらも未処理のまま閉会などすれば、国際世論は我々に牙を剥くでしょう」

 

 ゴップは頷き、口元に手を当てて考えを巡らせる。

 

 すぐに結論は出ていた。

 

 だが、それをどう整えて出すか。

 

 いかにも政治家らしい沈黙のあと、彼は眼鏡を外し、正面の壁に目を向けてから、低く言った。

 

「この場に居る君たちは──私が“議会の継続”を要求すれば、諸手を挙げて賛成してくれるものと思っている」

 

「当然ですとも、議長」

 

「異論はありません」

 

「総意と言って差し支えない」

 

 それぞれの省庁の意見が一斉に揃う。

 

 ゴップは眼鏡を掛け直し、今度はわずかに笑んだ。

 

 その笑みには、若き将校が踏み出した決意の重みを、きちんと受け止めようとする誠意が滲んでいた。

 

「ならば、私が草案を取りまとめよう。今この瞬間こそが、我々が『軍を正す』意思を形にする場だ」

 

「延長は三日間で?」

 

「その通り。21日を目途とする。議題は、ティターンズ再編成、バスク・オムの召還および責任追及、再発防止の法整備……それに」

 

 ゴップはアインの名を、まだ出さなかった。

 

 しかし、彼の内心には既にひとつの確信があった──あの若者に、未来を託すことはできると。

 

「その演説には……言葉ではなく、“責任”が宿っていた。あれが本物なら、我々もまた、答えなければならない」

 

 誰も、反論はしなかった。

 

 やがて、総会延長の緊急動議草案が作成されると、ゴップは秘書官を呼び戻し、一枚の文書を託した。

 

「本会議再開時に、正式に提出する。──この議会を、“未来に恥じぬもの”としよう」

 

 応接室の空気は重くも、凛とした緊張に包まれていた。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 重厚な議事槌が、壇上で静かに鳴らされた。

 

「──それでは、ただいまより連邦総会を再開いたします」

 

 議長席に立つのはゴップ。

 

 大きな体躯と年輪を重ねた声が、半円形の議場に反響する。

 

 議員席はざわついていた。

 

 だがそれは、動揺や混乱ではない。

 

 あの演説を受けた者たちの、確かな呼吸の揃いだった。

 

 ゴップは、前置きも修辞も避けた。

 

「本総会において、これまでに取り扱われた議案の数々は、ティターンズの統制、武力行使の適正化、さらには過去の汚点と正面から向き合う姿勢を問うものでした」

 

 議場の照明がゆっくりと落ち着き、各国代表たちの顔が薄明の中で浮かぶ。

 

「しかしながら、現在の議題進行に対しては、明確な“時間的制約”という問題が立ちはだかっております」

 

 小さく頷く者たち。すでに議会閉会予定の17日が目前に迫っている。

 

 にもかかわらず、いまだ答えを出していない問題が山積していた。

 

 ゴップはそこで、一枚の紙を壇上に掲げた。

 

「ゆえに私、議長ゴップは──ここに緊急動議を提出いたします」

 

 議場が静まり返る。

 

「本総会を三日間延長し、8月21日までの審議を認める動議であります」

 

 その言葉と同時に、議場に設置された端末に【緊急動議草案・総会延長提案】のタイトルが浮かび上がる。

 

 続けざまに、ゴップは要点を簡潔に読み上げた。

 

「延長審議の主題は以下の通り──。

 

 ・バスク・オム大佐の責任追及に関する議案

 ・ティターンズ内部の再編および統制機構の見直し

 ・30バンチ事件調査に関する真相報告の追加提示

 ・連邦軍法における再発防止規定の制定

 ・ジェガン型機等の次期主力MS計画およびジャブロー再稼働議案の継続審議──」

 

 いずれも重い。だが、避けて通ることなど許されぬ議題ばかりだ。

 

 ゴップは壇上で深く息をつくと、語気を静かに強めた。

 

「我々は今、過去の闇と未来の責任を、天秤にかけている。どちらか一方を選ぶのではなく、“両方に答える”べき時なのです」

 

 議員たちの視線が交錯する。国際世論、地球圏の民意、連邦軍の矜持──すべてが、彼らの手の中にある。

 

「動議に賛成の諸君は、挙手を──」

 

 それは、まるで波のように広がった。

 

 一拍の間の後、席に居並ぶ議員たちの手が、次々に掲げられていく。

 

 次いで──

 

「過半数を超過。緊急動議、可決と致します!」

 

 議事槌が再び、確かに鳴り響いた。

 

 議場がどよめく中、遠く議席の片隅では、軍服姿の青年──アイン・ムラサメ大佐が目を伏せながら、それを静かに受け止めていた。やがて拍手が巻き起こり、議場全体が一つの方向へと傾き始める。

 

 過去は暴かれ、未来への責任が問われる。

 

 だが、動き出したこの歯車はもう──誰にも止められない。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 総会延長の槌音が場内に響いてから、既に三十分が経過していた。

 

 だが、議場は冷えたように静かだった。

 

 新たに上程された議題は──。

 

 「連邦軍における軍政監察体制の再定義および秩序再建に関する特別法案」

 

 先程の30バンチ事件の衝撃冷めやらぬ中、議員たちは文言一つひとつに神経を尖らせていた。

 

「本法案は、ティターンズ監察軍政官庁を中核とし、軍組織内における統制と責任の所在を明文化するものです」

 

 登壇したのは地球連邦軍参謀本部付・軍法顧問官アントン・マクラウド准将。

 

 その穏やかな語り口が、火のついた政治的議題の温度を少しだけ和らげる。

 

「過去の教訓──とりわけ0085年の惨劇に鑑み、我々は“力の暴走”を看過しないという明確な意思を、法制度として示す必要があります」

 

「つまり“監察庁に箍を締める法”でなく、“軍に箍を嵌める法”ということか?」

 

 皮肉めいた口調で口火を切ったのはアフリカブロック選出、親バスク派の議員。

 

 椅子を軋ませ、立ち上がった彼の口調には明らかな敵意が含まれていた。

 

「そもそも、ティターンズという組織そのものが、政治に首を突っ込むこと自体が異常だ! 軍政監察庁など、どの法律にも明記されていない機関だろう!」

 

 議場にざわめきが走る。

 

「お答えいたします」

 

 即座に答弁席に立ったのは、ティターンズ監察軍政官庁長官・アイン・ムラサメ大佐。

 

 その若き指導者は、正面を真っ直ぐ見据え、淡々と語り始めた。

 

「本庁の存在は、現在、連邦総会にて承認された軍監察統制臨時布告第47号により設立されています」

 

「つまり臨時でしかないということだ!」

 

「だからこそ、臨時を恒常にするため、今ここで制度化の議論が求められているのです」

 

 言葉に棘はなかった。

 

 だが、それは確かに議場の空気を切り裂く“真っ当な論理”だった。

 

「我々は軍の秩序を維持する者として、同時に市民を守る義務を背負っております。力は必要です。ですが、力には明確な指揮系統と責任が伴わねばならない。それがなければ、それはただの暴力と同じです」

 

 沈黙が流れた。

 

 やがて、中央アジア圏代表議員がそっと手を挙げる。

 

「ムラサメ長官。……それが本当に機能するのなら、私も賛成に回る。だが、この再建案は本当に“連邦軍の膿”を抉ることができるのか?」

 

「やります。必ず。これは私の名で保証します」

 

 アインは一歩も退かずにそう言い放った。

 

 

---

 

◆法案骨子(抜粋)

 

1. 監察庁の恒常法制化

 - 軍令下の独立監察機関としての地位を明記。  - 各戦線における監察官の派遣を可能に。

 

 

2. 監察官の任命条件と権限

 - 軍属・士官出身者のほか、民間監察官の登用も認可。  - 現地指揮官に対する限定的勧告権・調査権・報告義務。

 

 

3. 指揮系統の明確化

 - ジャミトフ中将=最高責任者、アイン大佐=長官(実務統括)の二元体制。

 

 

4. 30バンチ事件のような“命令なき暴走”に対する再発防止規定

 - 任務記録の即時報告義務、情報開示制度の段階的導入。

 

 

 

 

 議論は長時間に及んだが、少なくともこの場にいた者たちは「始まってしまった」のだと理解していた。

 

 それは、過去の清算と未来への責任という、二つの山を越える長い道のりの一歩に過ぎなかった。

 

 だが、その一歩を、アイン・ムラサメという若き軍人が踏み出したこと──。

 

それ自体が、既に時代の象徴となりつつあった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 午後、議場には再び緊張が漂っていた。

 

 つい先ほど、「軍政監察・秩序再建法案」の採決が終わったばかり。

 

 一息つこうとした空気の中で──。

 

 一人の若き将校が、中央壇上へと歩み出る。

 

 ティターンズ監察軍政官庁・長官、アイン・ムラサメ大佐。

 

 19歳──。 

 

 その若さに似合わぬ礼儀と沈着さを備えた将校の姿は、もはや全議員にとって見慣れたものになっていた。

 

「ただいまより、緊急動議の提出を行います」

 

 静かながらも明確な意思をはらんだ声が、議場を切り裂く。

 

 予期せぬ展開にざわつく場内。

 

 一部の議員が立ち上がり、動議の手続きに異議を唱えようとするが──。

 

 議長席から、ゴップが軽く右手を掲げ、制止する。

 

「……ムラサメ大佐、続けたまえ」

 

 その言葉とともに場が落ち着きを取り戻す。

 

 アインは一礼し、手元の端末を開いた。

 

「本緊急動議は──

 宇宙世紀0083年11月13日に発生した『コロニー落下事故』、通称『星の屑作戦』に関する再調査、

 ならびに当時の事実に基づく歴史的再定義を目的とするものです」

 

 傍聴席がざわつき、記者たちが一斉にペンとレンズを向ける。

 

 アインは、凛とした声で続けた。

 

「この事件は、公式には“事故”とされています。

 しかし我々が調査した証拠、アルビオン所属クルーからの複数証言、記録映像、戦闘記録により──

 これは明確に、デラーズ・フリートによる計画的な“コロニー落とし”であると断定されました」

 

 議場が一段とざわつき始める。

 

 アインはそのざわめきに目もくれず、言葉を重ねた。

 

「更に問題なのは、この事実を隠蔽し、事故として記録を塗り替えた存在──

 それが、当時の第1機動艦隊司令官にして、現在ティターンズ正規派の指導的人物である、バスク・オム大佐であるという事実です」

 

「不敬だぞムラサメ!」

 

「名誉毀損も甚だしい!」

 

 一部のティターンズ系議員が立ち上がり、怒号を発する。

 

「証拠もなしに人を裁くつもりか!」

 

「子供の弁では済まんぞ!」

 

 アインは微動だにしない。

 

 ゴップが再び槌を打つ。

 

「静粛に。発言の途中である。妨害する者には退場を命ずる」

 

 場が再び鎮まる。

 

 アインはそのまま、さらに核心を突いた。

 

「当時、ジョン・コーウェン中将の独立権限の下で、コロニー落下阻止作戦に従事していた《アルビオン》とその艦長、エイパー・シナプス大佐は──

 任務中、バスク・オム大佐個人の名によって、連邦軍指揮系統を越えた命令を受けました。

 その命令とは、反地球連邦組織に身を投じていたシーマ・ガラハウ中佐と共に“ソーラ・システムⅡの防衛”を最優先とするよう、戦場で命じたという内容です」

 

 議場の空気が凍る。

 

 もはや誰もが、アインの言葉に耳を奪われていた。

 

「シナプス大佐は、命令の不当性を上申し、任務遂行を優先しました。

 しかし戦後──彼は“軍紀違反”を理由に軍法会議にかけられ、

 実質的に“粛清”される形で処刑されたのです」

 

 アインは、全議場を見渡すように一歩前へ出る。

 

「私は、本動議をもって──

 この歴史の歪曲を正し、

 責任者であるバスク・オム大佐の行為に対して、再調査および軍政監察の適用を求めるものであります」

 

 その静謐な声は、誰の耳にも刺さった。

 

 ……沈黙が流れる。

 

 やがてゴップが立ち上がり、宣言する。

 

「動議内容は重大かつ歴史的影響を持つと判断する。

 これより本緊急動議──“星の屑作戦における歴史的再調査と責任の所在に関する件”──を採決に付す」

 

 ──カン、カン。

 

 電子パネルが起動し、各議員の投票が始まった。

 

 最初のひとつ、またひとつと、賛成の光が並んでいく。

 

 反対派の幾名は腕組みをし、顔を背けながらも、票を投じなかった。

 

 そして──

 

「賛成多数により、緊急動議は可決とする」

 

 ゴップの口から発せられたその一言は、

 宇宙世紀という歴史に、またひとつ新たな楔を打ち込んだ。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 壇上での演説を、ジャミトフ・ハイマンは黙して見つめていた。

 

 重厚な黒地の制服。灰色が混じった髪。

 

 冷徹と評されるその顔に、今はただ静寂が宿っていた。

 

 前方、議場中央に立つのは、自らが長官に据えたアイン・ムラサメ大佐。

 

 若き将校が発する言葉は、もはや少年のそれではない。

 

 事実と理を以て、連邦の歴史を――いや、“正義”そのものを問い直す問いだった。

 

(……星の屑作戦、か)

 

 内心で、ジャミトフはひとつ、小さく息を呑んだ。

 

 まさかそこまで切り込むとは思わなかった。

 

 あの作戦、その顛末は、あくまで旧体制の瓦礫の中に封じられた記録のはずだった。

 

 それを暴くということは、ティターンズそのものの「成立過程」にまで手を伸ばす行為。

 

 そして、彼――バスク・オムを、過去の行動ごと政治の壇上に引き摺り出すことを意味する。

 

(確かに、私は奴を切るつもりではあった。だが──)

 

 その「切り札」を、ここで、出すか。

 

 ジャミトフは表情を変えずに、アインの語りを聞いていた。

 

 あの少年は、自分にとって“理性の代理人”であり、未来を賭ける選択肢でもある。

 

 感情や忠義ではない。政治的思考と秩序再建の可能性、それがアインの価値だった。

 

 だが──。

 

(私は、あの作戦には踏み込まないと信じていた。……それすらも、“利用価値がある”と見切ったか)

 

 その鋭さに、恐怖はなかった。

 

 あるのは、驚愕でも賞賛でもなく、静かな諦観に似た感情。

 

 もはやアインは、ジャミトフの意志を遂行する“手駒”ではない。

 

 彼は明確に、自らの意思で「秩序の体現者」として立っている。

 

 ジャミトフは、わずかに目を細めた。

 

 壇上で発せられた「粛清された軍人」「越権命令」「歴史の捏造」──。

 

 それらの単語は、まるで裁きの槌のように響く。

 

 議場はすでに、アインの言葉に飲み込まれていた。

 

(やはり──私は、君を選んだのだ)

 

 敗北ではない。掌からこぼれたとも違う。

 

 ただ、既に“託した”のだと、ジャミトフは悟っていた。

 

 若者は、かつての秩序を打ち破るに足る理性を持っていた。

 

 それを、この場で証明したにすぎない。

 

 やがて、議場に響くゴップの宣言。

 

 「動議は、可決とする」

 

 全てが終わったあとも、ジャミトフはただ黙っていた。

 

 微笑むことも、頷くこともせず、ただ静かに席に背を預ける。

 

 その瞳に映っていたのは──もはや“過去の連邦”ではなかった。

 

 彼がかつて構想し、今、アインが成しつつある──

「理による統治」という、秩序の未来だけだった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 鐘の音が議場に響き、緊急動議可決の直後、本会議は「協議のための一時休会」として打ち切られた。

 

 重々しい空気が残る議場を後にし、連邦政府上層部の数名が、議長執務棟の応接室へと集う。

 

 議長ゴップ、その隣に政務次官、軍政局長官、参謀本部戦略部付の情報官。

 

 皆、口を閉ざしたまま、ただ資料と壁時計を見つめていた。

 

「……驚いたな」

 

 最初に言葉を発したのは、政務次官だった。

 

 手元の紙にはアイン・ムラサメの演説要旨と動議文案。

 

「まさか“星の屑”をここで切ってくるとは思わなかった。  我々政府ですら、もはや手をつけぬことにしていたはずだ」

 

「いや、そういう若さだろう」

 

 低く応じたのは、ゴップその人だった。

 

 彼は椅子に深く腰掛け、指を組んで視線を宙に向けている。

 

「若さ、ですか?」

 

 と情報官が問い返す。

 

「ああ──」

 

 ゴップはゆっくりと頷く。

 

「“歳若い者ゆえの過ち”という言葉があるがな。あの男には“若さゆえの正義”というものがある。理屈では止められん、そういう確信だ。……しかも筋道が立っている」

 

「しかし、議長。あの発言はあまりに急進的です。バスク・オム大佐は今も地球連邦軍の一角を担う人物。あれを断罪することは、すなわち“連邦の自壊”を意味しかねません」

 

「──それを知ったうえで、あの少年は、やったのだ」

 

 静かに、重く。

 

 その言葉に、室内の空気が少し冷えた。

 

「“正統派ティターンズ”を掲げる以上、かつての歪みを抉る必要がある。だが、あれは誰にでもできることではない。……普通はやらん。やれん」

 

 ゴップはゆっくりと立ち上がる。

 

 窓の向こうには、ダカール市街の夕日が沈みかけていた。

 

「私はあの若者を、“暴発”ではなく“戦略”と見ている」

 

「戦略、ですか?」

 

「そうだ。彼は既に、監察庁を“動かす者”から“仕組み”へ変えようとしている。自分がいずれ居なくなっても、秩序が続くようにな」

 

 一同は言葉を失う。

 

「だが問題は──」

 

 ゴップは小さく目を細める。

 

「今があまりにも“アイン・ムラサメ”という個に依存しすぎているということだ。……あの屋根が崩れれば、誰が受け止められる?」

 

 軍政局長官が口を開く。

 

「……議長、我々は“止めるべき”でしょうか? それとも、彼に“任せる”べきでしょうか?」

 

 ゴップは少しだけ笑みを浮かべた。

 

「任せるというのはな……“責任を委ねる”ということだ。  だが彼は、既にその覚悟を済ませてきた。ならば我々にできるのは一つ。──“後始末”の用意だけだ」

 

「後始末……?」

 

「もし彼が失敗すれば、軍も議会も、そして我々の地位も総崩れになる。だが──」

 

 ゴップは窓の外に視線を投げた。

 

「もし、やり遂げるとすれば……それは“連邦そのものの再起”になる。30バンチの呪いも、星の屑の隠蔽も……全てに決着がつく日が来るかもしれん」

 

 それは、希望というにはあまりに重く、現実的すぎる賭けだった。

 

 だが、それでもなお。

 

 この“秩序の青年”を、止める理由はどこにもなかった。

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 窓の向こう、夜空に浮かぶスードリの航行灯が静かに瞬いている。

 

 議会の緊急動議採決から数時間──ブレックス・フォーラ准将はホテルの応接室で、一人沈思していた。

 

 その向かいのソファには、グラスを手にした男──クワトロ・バジーナ大尉が座っている。

 

 普段は寡黙なこの男も、今宵ばかりは言葉を選びあぐねていた。

 

「……クワトロ大尉。今日の“彼”の演説について、どう思う?」

 

 静かに問うたのはブレックス。

 

 クワトロは視線を窓外へ流したまま、わずかに間を置いてから応じる。

 

「……あれほど深く切り込むとは、思っておりませんでした。正直、私の想像を超えていたと言わざるを得ません」

 

「星の屑作戦にまで踏み込むとはな。あれは、連邦の最深部を暴くに等しい」

 

「はい。しかも、あれだけの内容を正攻法で──議会という公式の場に持ち込んだ。  議事法に従い、証言と記録を積み重ね、彼は“正しさ”という名の剣を掲げてみせました」

 

 クワトロの声は冷静だったが、その言葉には抑えた熱があった。

 

「若さゆえの激情ではない、理性の選択。──あの年齢で、あそこまで出来る人物が現れるとは、率直に申して驚いております」

 

 ブレックスは頷きながら、そっとグラスを置いた。

 

「まったく……。私のような年長者が、なすべきことを。それを、たった19の将校が実行してしまったとはな」

 

「敬意を表すべきです。……同時に、畏怖も感じております」

 

「ほう?」

 

「信念を持つ者ほど──その正義のためなら、味方すら斬る。かつての私がそうだったように、あの男もまた、迷いなき者です。理想の旗を掲げている間は美しい。──ですが、その先に何があるのか……」

 

 言葉を濁すように、クワトロはグラスを回した。

 

「それでも、私は信じてみたいのです。この腐敗した連邦に、初めて本気でメスを入れようとする存在ですから」

 

 ブレックスは、静かに息を吐いた。

 

「君が、そこまで言うとは思わなかったよ」

 

「──私では辿り着けなかった場所です。ですが、彼なら……あるいは、その先を照らしてくれるかもしれません」

 

 再び沈黙が降りる。

 

 窓外には、夜空に浮かぶ巨大な影。

 

 アイン・ムラサメという名の旗を掲げた、“理想”の象徴──スードリが、そこに在った。

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 分厚い装甲扉が外界の喧噪を遮断し、沈鬱な静寂が支配する地下司令室。

 

 その中心、作戦卓の前に立つ男──。

 

 バスク・オム大佐の巨躯は、まるで鉄塊のように微動だにせず、ただそこにあった。

 

 歯ぎしりの音が、無言の怒りを物語っている。

 

「……奴が……奴がやりやがったか……!」

 

 唸るような声が洩れる。

 

 ティターンズ監察軍政官庁長官、アイン・ムラサメ──。

 

 自らが「政治的に肥やしにできる若者」と一度は侮ったその男が、いまや己の喉元に刃を突きつけていた。

 

「星の屑まで暴くとは……!」

 

 金属製の卓に、無造作に叩きつけた掌が鈍く響く。

 

 が、怒りとは裏腹に、その動きには明確な“焦り”があった。

 

 目の前の複数の端末には、ダカールでの議会中継の映像と、ティターンズ内外の部隊通信がリアルタイムで流れている。

 

 そのすべてに共通するのは──「沈黙」と「空白」。

 

「命令系統が……動かん……!」

 

 ティターンズ正規派の通信網。

 

 自らが指揮するはずの各部隊、各中枢拠点──。

 

 だが、すでにダカール上空に展開された《スードリ》が監察軍政官庁として機能し始めた今、そのほとんどが“監視下”に置かれつつあった。

 

 バスクが送る命令は、各所で停滞し、応答を失い、あるいは無言の“拒否”によって黙殺されていた。

 

 部下たちは何も言わぬまま、ただ命令を「受け取らぬ」ことで、彼から徐々に距離を取り始めている。

 

 その構図は、まるで巨大な軍の心臓が自発的に“血流”を止めてゆくようだった。

 

 椅子へと腰を落としたバスクは、呻くように呟く。

 

「動かん……いや……動けんのか……?」

 

 怒りの熱は、冷たい現実の壁に打ち砕かれていた。

 

 アイン・ムラサメの記者会見。

 監察軍政官庁の急速な制度化。

 そして何より──「連邦議会の法的承認」。

 

 法の裏付けを持ち、連邦軍全体を監査対象とする“長官”が生まれた今、ティターンズ正規派の「力による統制」は、もはや機能しない。

 

 いや、仮に命令を出したとしても、逆に“暴発の証拠”として取り上げられるだけだ。

 

「……あの餓鬼一人に……ここまで、か……」

 

 静かな声。

 

 だが、その低さの中には、自らの立場の“終焉”を悟りつつある男の諦念が滲んでいた。

 

 ──何もできない。

 

 ──だが、それこそが最大の敗北。

 

 バスク・オム大佐は、怒り狂うことすらできぬまま、ただ黙して、崩れ落ちてゆく“帝国”の残響を聴いていた。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 静まり返った艦橋に、ただ一人、男の影があった。

 

 パプテマス・シロッコ。

 

 “木星帰りの男”として、数年ぶりに地球圏に帰還して以来──。

 

 その所在と動向は、意図的に世間から遠ざけられ、霧に包まれていた。

 

 だが今、彼の眼差しは、ダカールで行われた地球連邦総会のライブ中継に注がれている。

 

 モニターに映し出されたのは、ひとり壇上に立つ少年将校──アイン・ムラサメ大佐。

 

 星の屑作戦。

 0083年11月13日に起きた、あの忌まわしき「コロニー落下」。

 

 それを“事故”として塗り固め、プロパガンダとした連邦軍の、いや、バスク・オムの欺瞞と暴力構造の“基礎”を──彼は、自らその根底から掘り返した。

 

 モニターを前に、シロッコは腕を組んだまま、長く沈黙していた。

 

 やがて、その口元が、ゆっくりと動く。

 

「……基礎工事の前に、土壌を検査し、腐った地盤を自ら掘り返すとは……」

 

 目を細め、艦橋の薄暗い照明の中で、わずかに笑む。

 

 それは冷笑ではない。

 

 支配欲でもない。

 

 ただ、構造の真理を見極める建築家としての、静かな称賛だった。

 

「まるで自分で仕込んだ鉄筋を抜き取り、脆い場所にあえて力を加え、沈みかけた土台を壊してから──初めて“本物の柱”を打ち込む気か。……なるほど」

 

 薄く呟いたあと、彼は指を一本、顎に当てた。

 

「やはり君は、見える者だ。

 過去を礎とはせず、選別し、要らぬものは捨て、

 新しい秩序のために“恥”までも活用する──」

 

 嘲るのではない。

 

 彼自身が、長く“知りすぎる者”として傍観者であるしかなかったこの腐った地球圏。

 

 そこに生まれた、あまりに若すぎる“再構築者”。

 

 ──アイン・ムラサメ。

 

「私が設計を手伝っているのは、やはり正解だったようだな」

 

 独り言のように、だが確かな声音でそう結ぶと、シロッコはデータパッドを手に取り、新たに起こされるであろう“連邦法改正の骨子案”に目を通し始めた。

 

 無言のうちに、彼の中で「作業工程表」が書き換えられていく。

 

 彼の仕事は、“構造”を支えること。

 

 ならば──その礎が真に整うその時まで、己は現場監督として役割を果たすのみ。

 

 それが、かつて女帝を弄び、秩序を見下ろしてきた男が、

 唯一「従属」を選んだ理由。

 

 「君が己の思想を壊す瞬間にこそ、秩序は宿る……」

 

 再び、映像の中の少年の姿を見つめ、パプテマス・シロッコは深く、椅子にもたれかかった。

 

 

 

 

 

 

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