ムラサメさん家のイチバン=サン   作:星乃 望夢

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第52話 “政治”という建築には……何本の柱が必要だったかな

 

 ──U.C.0087年8月17日・深夜

 

「……まさか、パプテマス様が自ら地球へ?」

 

 副官が思わず漏らした声は、空調の静かな唸りの中に吸い込まれていった。

 

 小型の連絡艇《カッシーニ》は、静かに地球軌道降下経路に乗りつつあった。

 

 予告もなければ命令もない。

 

 だが、彼の“意志”がすべてを動かす。

 

 艦内最上段、天蓋付きの特別席に座る男──。

 

 木星帰りの観察者、パプテマス・シロッコは、その副官の問いに応えなかった。

 

 ただ、薄く笑う。

 

 冷笑でも、余裕でもない。

 

 それは、ようやく「地上に降りるべき舞台装置が整った」ことへの満足の笑みだった。

 

「基礎が動いた。土台が掘り返され、地ならしが始まった。……ならば、施工監督として現場に顔を出すのも自然なことだ」

 

 端末に映るのは、アイン・ムラサメ大佐の演説記録。

 

 歴史を覆し、秩序を問うその言葉は、もはや戯言ではなかった。

 

 政を成す意志があり、法を組み替える構想があり、そして何より「命を懸ける覚悟」がある。

 

 ──ならば自分は。

 

「“理想の建築主”が、まだ鉄骨を組む前に腐土をすべて掘り返すというのなら──その礎を、実際に測りに降りてやるのも……悪くない」

 

 降下軌道はティターンズの再配備したエリアを通る。

 

 地上、アフリカ方面にあるティターンズ監察軍政官庁本部《スードリ》──そこに「彼」はいる。

 

 パプテマス・シロッコが向かう先は、唯一つ。

 

 ──アイン・ムラサメの隣。

 

「さて、“政治”という建築には……何本の柱が必要だったかな?」

 

 独り言のように呟くと、彼は立ち上がった。

 

 地球の重力が近づいてくる感覚に、かつてない“実在感”が彼を包む。

 

 この腐った星に、ついに己の足で立つ時が来た。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 通信管制からの報告に、アイン・ムラサメ大佐はほんの一瞬、視線を止めた。

 

「……降りてきた、だと?」

 

 確認の言葉は、半ば独白のようでありながら、確かな衝撃が混じっていた。

 

 ティターンズ監察軍政官庁臨時本部《スードリ》。

 

 その格納ベイに、先ほど入港を果たした小型連絡艇の識別信号──。

 

 《カッシーニ》。

 

 木星帰りの男、パプテマス・シロッコの便である。

 

 思わず「まさか」と呟きそうになる自分を抑え、アインは呼吸を整えた。

 

 しかし、すぐに別の思考が脳裏をよぎる。

 

 ──いや、動くはずだ。あの男が。

 

 もし、彼が“本気”ならば。

 

 もし、自分の掲げた構想が“それだけの価値”を有していたならば。

 

 世界が揺れ動くほどの圧を持つその人物が、自ら地球に降り立つことに、何の不自然があるだろうか。

 

 これは、自分の理念が「地に届いた」証左だ。

 

「──出迎えましょう」

 

 即座に言い放つと、アインは司令区画を離れ、格納ベイへと向かった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 降り立った男の姿は、かつて見た映像と寸分違わぬ端正さを保っていた。

 

 濃紺のコートを翻し、光の加減で紫とも銀ともつかぬ髪が揺れる。

 

 パプテマス・シロッコ。

 

 ついに、地球の重力下で、アイン・ムラサメと対面する瞬間が訪れた。

 

 ――生身で、初めての出会いであった。

 

「……よく来てくれました、パプテマス・シロッコ。歓迎します」

 

 アインの声は澄み、揺るぎない。

 

 若き指揮官は、礼をもってその来訪を受け入れた。

 

 差し出された右手に、わずかの間を置いて、シロッコが応じる。

 

 二人の指が、しっかりと握られた。

 

 それは儀礼ではない。思想と構造が、共に“現実”を築こうとする者たちの契約のようであった。

 

 執務区画に通されるなり、シロッコは一枚のホログラムを投影した。

 

「この問題の根は深い。だが基礎構造を押さえてしまえば、修正は可能だ。私がここ数日で仕上げた“是正案”──見たまえ」

 

 提示された施工計画は、驚異的な完成度だった。

 

 軍政改革、ティターンズの再構築、経済支援ラインの再整備、アフリカから始まる食糧流通の再稼働に至るまで、論理と数字で緻密に構成されている。

 

 他の余人が見ればそれは“完璧”に見えた。

 

 しかし。

 

「──この第12節、連邦中央予算の特別会計枠が不安定です。同時に、ここを民間予備経済基金で補填する提案は──結果的に地方自治体の信用格付けを下げ、最終的には連邦債の利回りを損ねることになります」

 

 アインが淡々と指摘した。

 

 一瞬、空気が止まる。

 

 ……だが、次に響いたのは、シロッコの微かな笑み声だった。

 

「やはり、そう来るか。……いい眼をしている」

 

 アインは言葉を返さず、ただ視線をまっすぐ返す。

 

 その若さにして、この構造全体を読み、なお矛盾を看破する洞察。

 

 建築監督としての勘が、警鐘ではなく拍手を鳴らしていた。

 

「よかろう。──ならば、私は君の設計を補助しよう。この地に、誤魔化しなき秩序を建てるというのなら……私の力は、惜しくない」

 

 その言葉に、アインはゆっくりと頷いた。

 

「……ようやく、信頼できる監督が来てくれました」

 

 “誰よりも世界を俯瞰する建築者”と

 

 “誰よりも責任を負う秩序の創設者”が

 

 今、同じ地平に立った。

 

 それはただの政治的協力ではない。

 

 後の歴史が、ここを「構造が始まった場所」と記すことになる。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

地球連邦総会・本会議場(U.C.0087年8月18日午前)

 

 総会第9日目。

 

 昨日までに歴史の闇が暴かれ、連邦議会は今や軍政の是正と再定義という、未曾有の地平に足を踏み入れつつあった。

 

 本日は、より未来を見据えた議題が審議される日である。

 

 議題は二つ──。

 

 一つ、南米アマゾン流域・旧ジャブロー基地の段階的再稼働に関する連邦政府の承認案。

 

 一つ、ティターンズ監察軍政官庁より提出された「次世代型MS統合開発計画」の国家戦略指定に関する認証議題。

 

 議長席に着くゴップは、静かな眼差しで場を見渡した。

 

「これより第九日目の本会議を開会する。まずは南米・ジャブロー再稼働に関する案件より始める──」

 

 議場に映し出されたのは、現地の地形修復状況と再構築予定図面。

 

 破壊された地下区画はすでに調査と復旧作業が進行しており、一定の安全性が確保されているという。

 

「当該案件は、軍政監察の中枢を地上にも再配置し、秩序維持の物理的象徴とするものであります」

 

 発言したのは、ティターンズ監察軍政官庁・地上区画設営本部から派遣された担当官であった。

 

「軍政庁よりの計画案では、ジャブロー第3軍政区画を改装し、軍紀監察局・戦略政策局・民間諮問会議所を併設のうえ段階的に再始動。宇宙世紀0090年代初頭までに完全な“地球圏監察ネットワーク”を地上側にも構築するものです」

 

 続いて、議場中央に姿を現したのは、アイン・ムラサメ大佐。

 

 背筋を正し、整然と演壇に立つ。

 

「加えて、監察軍政官庁としては、このジャブロー再稼働を単なる軍施設復元とは見做しておりません。これはむしろ、連邦地上行政と宇宙行政との監査体系を対等に整備し、二元化した監察体制を確立する布石と考えます」

 

 場内が静まる。

 

「現時点で既に、ジャブロー地下空間には連邦正規軍のデータバンクおよび戦略管制端末の一部移設が完了しています。 これは軍紀の監視と民間政治との接続を担保する“双方向監察”の試みです」

 

 拍手が上がる一方、保守派の議員が反論に立つ。

 

「だが、ジャブローは一度その象徴性を失った。今さら拠点に再興して何になるというのかね! それこそ、過去への郷愁ではないのか?」

 

 アインは微笑を浮かべると、静かに言葉を返した。

 

「ならば──破壊された象徴を、理性によって再建し直すことこそ、我々の世代の責務です。過去の呪縛から逃げるのではなく、正しくその傷跡を示し、治癒する場とするのです」

 

 その言葉に、誰も再反論できなかった。

 

 続いて次なる議題。

 

 「次世代型MS統合開発計画(プロジェクト・レガリア)」。

 

 提出者は、ティターンズ監察軍政官庁・戦略政策局。

 正式名称は「U.C.0090年代を見据えた宇宙地上両用型汎用機構群開発案」。

 ジャブロー再稼働にともない、開発拠点を同地に設置し、初期試作機の運用計画を含む国家戦略認定を求めるものだった。

 

 中央演壇には、再びアインが立つ。

 

「この計画では、以下の二機種を初期開発対象といたします──」

 

 大型スクリーンに映し出されたのは、鋭利な輪郭を持つMSの設計図。

 

 一機は、既に技術発表された地球重力下対応型高機動量産MS──グスタフ・カール。

 

 一機は、それと同時に公開され、可変機構を廃しつつも極限まで洗練された宇宙汎用試作MS──リゼル(Refined Zeta Escort Leader)。

 

「本計画においては、重力下運用の歩兵的機能を担うグスタフ・カールと、宇宙戦における制空支配を担うリゼルを並行投入することで、ポスト・ゼータ世代の標準化と、過剰兵器依存からの脱却を図ります」

 

 数人の軍事顧問がうなずいた。

 

 議員の一人が手を挙げる。

 

「開発コストは? また、それは対エゥーゴ、あるいはジオン残党を想定してのものか?」

 

 アインは首を振った。

 

「いいえ。これは、あくまで“次世代の秩序維持機構”です。敵国に対抗するためではなく、軍が社会と共にある未来のために必要な兵力構造。 すなわち、過剰な性能よりも信頼性と統一性を重視した、公共機構の一部としてのMS開発です」

 

 この明確なビジョンに、再び議場は沈黙する。

 

 やがてゴップが椅子から立ち上がった。

 

「両議題について、採決を行う──」

 

 数分の投票の後、画面に結果が表示される。

 

──ジャブロー再稼働計画:可決。

──次世代型MS統合開発計画:可決。

 

 総会に深い拍手が響き渡った。

 

 こうして、過去から未来へと続く秩序の土台が、一歩ずつ構築されていく。

 

 その中心に、アイン・ムラサメという若き監察軍政官庁長官の姿が、確かに刻まれつつあった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 議場の空気は重い。

 

 これまでに星の屑作戦、秩序再建法案、ジャブロー再稼働と続いた一連の動議により、議員たちの精神はすでに摩耗しかけていた。だが、この日最後の議題は、誰にとっても無視できぬ「忌まわしき過去」の審判であった。

 

 ──30バンチ事件。

 

 宇宙世紀0085年7月31日、30バンチ・コロニーで発生したG3ガス散布による住民大量死事件は、長年「反乱鎮圧中の事故」として扱われてきた。

 

 しかし、その“真相”は今、アイン・ムラサメ大佐によって再び議場へと叩きつけられる。

 

「議長、ならびに諸賢。ここに──30バンチ事件に関する最終動議を提出いたします」

 

 アイン・ムラサメ大佐が立ち上がった瞬間、場が静まり返った。

 

「本動議は、0085年7月31日、グリプス宙域の30バンチ・コロニーにおける大量民間人死傷事件──通称“30バンチ事件”について、軍政監察庁および複数の医療機関、環境調査団の調査結果に基づき、事件の再定義および責任所在の審議を求めるものであります」

 

 背後の大型スクリーンに、コロニー内の気象解析データと、散布されたG3ガスの成分変化を示す軌道解析が投影される。

 

 アインの声が淡々と続く。

 

「当時、G3ガスは“反地球主義勢力の武装蜂起に対する即時制圧手段”として使用されました。しかし、最新の分析によって、実際には非戦闘員を含む市民多数が避難経路を封鎖された状態でガス散布を受け、組織的な退避誘導もなされていなかったことが明らかとなっております。これは……軍による“制圧”の域を超えた、“計画的処理”ではないのかという疑義を生じさせます」

 

 一部の議員席がざわめく。なかには、苦悶に顔をしかめる者もいた。

 

「我々は法の下に軍を束ねる存在です。  その軍が法を超えて暴走し、“秩序”の名の下に市民の命を奪ったならば──それを是正せぬ限り、この国家に未来はありません」

 

 アインは一拍置き、深く頭を下げた。

 

「よって本動議は──

 

1. 30バンチ事件を“事故”ではなく、“軍内部の命令体系異常による不法行動”として再定義すること。

 

 

2. 当該事件に関わった当時の指揮官・バスク・オム大佐を中心とする関係者の責任調査を、監察軍政官庁の管轄において継続すること。

 

 

3. 被害者遺族への国家補償と、追悼・記録保存を含む真相究明の国際的公開プロジェクトを設置すること。

 

 

 

……以上三項目において、採決を願うものであります」

 

 場内は凍りついたような静寂に包まれた。

 

 だが──数秒後、その沈黙を破ったのは、議長席からの静かな一声だった。

 

「本動議、議題として受理。採決に入る」

 

 カン、カン──

 

 議長槌の音とともに、電子投票のランプが点灯する。

 

 一つ、また一つ……。

 

 重々しい沈黙の中で、投票は進み──

 

 ──ついに、議長が宣言する。

 

「賛成、過半数を超過──。

 よって、本動議『30バンチ事件再定義および責任所在確認に関する件』は、可決とする!」

 

 この決議により、アイン・ムラサメは“地球連邦軍の最も深い闇”にメスを入れた男として、完全に歴史にその名を刻んだ。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 重厚な艦内照明の下、壁一面に拡げられたホロスクリーンには、アンクシャのフレーム構造とジャブロー暫定工廠のライン進捗が投影されていた。

 

「アンクシャの量産工程ですが、予定より三日ほど早く安定軌道に入りました。ブラン少佐が現地にて監督に就いておりますので、今後は品質面も問題ないかと存じます」

 

 アイン・ムラサメ大佐は静かに報告をまとめ、スクリーンを閉じた。

 

「そうか、あの男なら信頼できる」

 

 副席から応じたのは、地球に降下して日も浅い男──パプテマス・シロッコである。

 

 かつて“木星帰り”と渾名された彼は、今や“監督”としてスードリに滞在し、アインの構想を支える技術顧問として振る舞っていた。

 

 その彼が、封筒型の電子図面ケースを取り出すと、無造作に卓上へ滑らせた。

 

「さて、次はこちらだ。リゼルの最終設計図だよ」

 

 アインは軽く目を見開いた。

 

 まだ検討段階と思っていた機体が、すでに実機前提で仕上げられている。

 

「もう完成していたのですか……?」

 

 驚きを滲ませる声に、シロッコは薄く笑みを浮かべた。

 

「君が基礎を引いてくれていたからな。私も、それに応えるつもりで手を入れさせてもらった。張り切ってしまったよ」

 

 アインは図面データを読み取り、ホロ投影に展開する。

 

 その精密さと合理性、兵站的な負荷と配備スピード、すべてが許容範囲に収まっていた。

 

「……素晴らしい完成度です。ですが、この腰部フレームの負荷分散に関しては、実戦を考慮するともう少しだけ強度が必要かと考えます。特に、連続変形を伴う運用を想定した場合──」

 

 アインの指摘に、シロッコはすぐさま手元のデバイスを操作し、別案を表示させる。

 

「その点は把握済みだ。こちらの案を検討中だったが、君の意見を優先しよう。君が満足できなければ、私の図面も未完成だ」

 

 その言葉に、アインは微かに頷いた。

 

「恐縮です。ですが、貴方の設計思想には感服しております。正直、私が踏み込めなかった領域まで見据えておられる」

 

 シロッコは、その“謙虚な褒め言葉”にわずかに目を細めた。

 

「やはり君は、私が“監督”であっても、構築の主は君自身であることを忘れていないのだな」

 

 二人は立ち上がり、自然と手を差し出し──握手を交わした。

 

 静かだが、確かな信頼がそこにあった。 

 

 今、この瞬間、ダカールの片隅で──未来の地球と宇宙を構築する礎が、確かに築かれていた。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

U.C.0087年8月19日 地球連邦総会・議場

 

 壇上に静かに立つゴップ議長の姿は、前日から続く重たい政治の流れを象徴していた。

 

 「星の屑作戦」の歴史的再調査が可決された今、次に問われるべきはただ一つ──。

 

 “その責任者を、議場に立たせるか否か”

 

 その是非を問う、歴史的決議であった。

 

「諸君、昨日の動議により、星の屑作戦が再審対象とされたことは記録に残された。だが、その実行下にあった軍上層部、特に当時の第1機動艦隊司令・バスク・オム大佐の証言と関与がなければ、事実認定は進まぬ」

 

 議長の声は低く、だが確信に満ちていた。

 

「よって本日、我々は──

 当該軍事指揮官・バスク・オム大佐を議会招集の上、証人喚問に応じさせるべきか否かを、採決にて決定する」

 

 場内に緊張が走る。

 

 ティターンズ正規派を擁護する一部の議員からは即座に反発の声が上がる。

 

「軍務中の将官を政治の場に引きずり出すのか!?」

 

「戦時にあって、その職務を妨害する気か!」

 

 だが、その反論に立ち向かったのは、連邦政府内務省代表の一人だった。

 

「……ならば問おう。軍が国民に対して嘘をついた過去を、いつまで黙認するのだ?

 彼は軍人である前に、国家公務員である。法に則った招集に異を唱える根拠はあるまい」

 

 静寂が落ちる。

 そして、決定の時が訪れた。

 

「──では、採決に入る」

 

 議題:当該将官・バスク・オム大佐に対する議会招集および証人喚問の承認可否

 

 投票システムが作動し、ランプが点灯していく。

 

 賛成──反対──保留──

 

 沈黙の中、集計が進む。

 

 やがて──

 

 賛成:58%、反対:36%、保留:6%

 

 ゴップ議長が、槌を打ち鳴らす。

 

「当議題、賛成多数により可決──

 よって地球連邦政府は、ティターンズ所属・バスク・オム大佐を証人として召喚し、本議会にて証言を求める」

 

 ──議場内にざわめきが広がった。

 

 歴史の大河がまた一つ、転がり始めた音がした。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 総会中継が終わったあと、静まり返った司令室に、重く低い吐息が落ちた。

 

 バスク・オム大佐は、しばし沈黙したのち、にやりと口の端を歪める。

 

「フン……総会に出頭しろ、だと。笑わせる……!」

 

 唇を噛んで怒鳴ることはしない。ただ冷ややかな目でスクリーンを見やる。

 

「……あの場に立てば、何が待っているかなど──あのガキの狙いくらい、分かりきっている」

 

 彼はすぐに部下の方へ向き直る。

 

「書状の返答を準備しろ。理由は明確だ──“キリマンジャロ防衛戦備の継続指揮、並びに周辺治安維持任務により出頭困難”──とでもしておけ」

 

「はっ、しかしそれでは──」

 

「構わん! 向こうが“合法”を掲げるなら、こちらも“合法”で返す」

 

 バスクは背もたれに身体を預け、両手を組んだ。

 

「……出頭を拒めば、奴らはきっと“逃げた”と喧伝する。だがな、総会など“舞台”に過ぎん」

 

 眼光が鋭く光る。

 

「──私はここで“軍”を持っている。“舞台”に出る役者の足元を、どう崩すか考えておけ」

 

 その声音には、敗北を認めぬ者の、あくまでも強硬な決意があった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 天井の照明は最小限に絞られ、静謐な空気が部屋全体を包んでいた。

 

 円卓の周囲には、地球連邦政府の主要閣僚たちが沈黙のまま座している。

 

 国防大臣、内務大臣、情報局長官、外務省高官──。

 

 そして議長席には、ゴップ本人が重たげに腰を下ろしていた。

 

 時刻はすでに21時を回っている。だが、この会合はその“夜”にこそ開かれねばならなかった。

 

 扉が静かに開く。

 

「アイン・ムラサメ大佐、ただ今到着いたしました」

 

「お通ししろ」

 

 静かなゴップの声に、アインが歩み入る。

 

 きっちりと軍服を着こなし、姿勢は正しく、表情は一切の疲労を感じさせない。

 

「夜分に恐れ入ります。お招きに預かり、恐縮です」

 

 アインが一礼し着座すると、情報局長官が小さく咳払いしながら封筒を差し出す。

 

「本日19時40分。キリマンジャロ基地より、本議会招集に対する“辞退文”が正式に通達された。バスク・オム大佐より、直筆の署名入りだ」

 

 アインは受け取った文書を開き、目を通す。文面は事務的で、挑発もなければ謝罪もない。

 

 だが、明らかに“拒絶”の意志が通底していた。

 

 ──“防衛指揮と地域安定任務の責務を理由に、総会出頭は困難である”──

 

「このまま黙認すれば、議会招集は事実上、無力化される」

 

 国防大臣が言い放つ。

 

 軍服の袖を軽く整えながら、その眼差しは沈痛だった。

 

「とはいえ、無理に拘束すれば武力衝突を誘発しかねん。ティターンズ残余の信任を未だに集めているのも事実だ。対応を誤れば、軍の亀裂は深まる」

 

「……ムラサメ大佐」

 

 沈黙を破ったのは、ゴップ議長だった。

 

 その老練な目が、真っ直ぐにアインを射抜いている。

 

「貴官はこのバスク・オム大佐に、どう向き合うおつもりか」

 

 問いは重かった。

 

 それは単なる軍人としての立場ではなく、連邦の秩序を再建する旗手としての覚悟を問う言葉だった。

 

 アインは一瞬だけ目を伏せ、そして静かに答えた。

 

「──正面から戦うことは、もはや本意ではありません。  我々はこの議会と、貴官らの信託により、秩序の側に立っております。  バスク・オム大佐がそれを否定し、なお軍政の名を騙るのならば……我々は、彼を“秩序を破壊する者”として認定せざるを得ません」

 

 室内に静寂が走る。

 

「軍事力による拘束は、最後の手段です。しかし、いかなる正義も、命令なき暴力に屈することは許されません」

 

 アインは机の上の文書をそっと閉じた。

 

「本官の責務において、キリマンジャロ基地への監査査問を要請いたします。

 ティターンズ監察軍政官庁の名のもとに、正式な査問状を提出し、出頭拒否を“職務上の違反”として記録すべきと考えます」

 

 情報局長官が低く唸るように呟く。

 

「……形式を整えて、包囲を固める。  実力行使ではなく、まずは法と命令の枠内で“包囲”するわけだな」

 

「はい。ゴップ議長、皆様──この戦いは、秩序を信じる者の戦いです。武を以て威を制するのではなく、法と理をもって威を上回るべきと、私は信じております」

 

 しばしの沈黙の後、ゴップはゆっくりと頷いた。

 

「……よろしい。議会名義での“監察査問”を認めよう。書類は明朝、総会にて手配する」

 

 椅子を軋ませ、ゴップが立ち上がった。

 

「──それにしても、ムラサメ大佐。  君が居なければ、この政はどこまで泥に沈んでいたことか……」

 

 その言葉にアインは答えず、ただ深く頭を下げた。

 

 

 

 

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