ムラサメさん家のイチバン=サン   作:星乃 望夢

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第54話 これは──創る者にとっての祝福だ

 

宇宙世紀0087年8月20日夜

 

ダカール連邦議会議事堂・臨時戦略会議室

 

 重厚な議事堂の一室。

 

 時刻は既に二十一時を回っていたが、部屋の空気は昼間以上に緊張と重圧を孕んでいた。

 

 中央の円卓には、ゴップ議長を筆頭に、国防大臣、内務大臣、外務大臣、情報局長官、財務大臣、さらに連邦軍参謀本部の代表が居並ぶ。

 

 その末席に、一人だけ黒い制服を纏った若者──ティターンズ監察軍政官庁長官、アイン・ムラサメ大佐が静かに座していた。

 

「……バスク・オム大佐からの回答が届いた。二度目の査問辞退だ」

 

 会議の開口一番、ゴップの声音には抑制された怒気が滲んでいた。

 

「『軍務多忙につき応じられず』──だとさ。これはもう事実上の拒絶、いや宣戦布告に近いな」

 

 情報局長官が低くうなり、国防大臣が机を叩く。

 

「正規軍人が議会命令を二度も無視するなど、軍紀も何もあったものではない!」

 

 各官僚の怒りと焦燥が渦巻く中、アインはその全てを静かに見つめていた。

 

 彼の纏う気配は冷徹な沈黙そのもので、だが眼光は鋭く、すでに次なる局面を見据えている。

 

「……ですが、現時点で対話の余地が完全に消えたとは申しません」

 

 若き大佐の声が会議室を貫いた。澄んだ声だが、揺るぎなき意志を帯びていた。

 

「ただし──彼の背後には、強化人間調整によって戦術兵器化されたサイコガンダム級MSが控えています。仮に我々が武装解除を正式に勧告したとして、それを拒否された場合の“次の一手”が準備されていなければ、抑止にも交渉にもならない」

 

「つまり、武力行使も視野に入れて準備せよ、ということか?」

 

 財務大臣の言葉に、アインは首を横に振った。

 

「いいえ、私の提案は“抑止力の提示”です。それを行うには、あと数日だけ猶予をいただきたいのです」

 

 アインは卓上端末を操作した。

 

 次の瞬間、室内のホロプロジェクターに映し出されたのは、鋭利なシルエットを持つ新型モビルスーツだった。

 

 《RX-124 ウーンドウォート》

 

 細身でありながら高出力、空間・地上問わず運用可能な多目的可変機であり、さらに強化人間との親和性をもつ特殊OSを搭載可能な設計。

 

 まさに「戦略と制御のための機体」であった。

 

「──こちらが現在、ジャブロー暫定工廠にて建造中の新型MS《ウーンドウォート》です。バスク派が有するサイコガンダム級兵器に対し、単独で“抑止力”を示すために設計されたティターンズ正統派の特火戦力です」

 

 国防大臣が目を細めた。

 

「TR系列……あの忌まわしい試作群の流れか?」

 

「はい、ただし本機はバスク・オムの系譜とは断絶しています。技術顧問のパプテマス・シロッコ大佐と共に再設計され、過剰性能は限定しつつも、高度な換装性と対サイコミュ兵器への即応能力を有します。必要なのは、対話を支える“背後の覚悟”です」

 

「完成の見通しは?」

 

「五日以内に試作機が完成します。現地にはブラン・ブルターク少佐およびゼロ・ムラサメ大尉が赴任中です」

 

 ホロ映像が切り替わる。次に映し出されたのは、圧倒的な威容を放つ戦術兵装形態──

 

 《ウーンドウォート[フルアーマー・クインリィ]形態》

 

 サイコガンダムMk-Ⅱの四肢フレームを参考にした大型パーツを接続、さらにクラフト・ダイダロス・ユニットによる浮遊推進機構、頭部ハイメガキャノン、両腕コンポジット・ブースター、腹部レールバインダーを搭載する“秩序の巨兵”だった。

 

「これは……戦艦ではないか?」

 

 外務大臣が呆気に取られたように漏らす。

 

 アインは頷く。

 

「“単騎で戦艦に匹敵する出力を持ち、だが艦隊運用には従う”──それがこの機体の思想です。クインリィ形態は、最悪の状況下で交渉を成立させる“見せ札”に過ぎません。使用の優先順位は常に対話が上位にあります」

 

「誰がこれを管理する?」

 

「監察軍政官庁直轄です。本機はティターンズ所属を排除し、運用にも議会承認を義務化した“封印兵器”として扱います」

 

「核兵器のような……管理か」

 

 ゴップが小さく頷く。室内の空気が静まり返った。

 

「よかろう。アイン大佐、この計画──ウーンドウォート、およびその拡張形態フルアーマー・クインリィ──その全責任は、君にある」

 

「光栄に存じます。議長」

 

 ホロ投影された“巨兵”の姿を背に、アイン・ムラサメは静かに頭を下げた。

 

 その眼差しには、軍政官庁の名にふさわしい冷静と責任が宿っていた。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 巨大なスードリの艦内通路の奥、気密扉を越えた先にあるのは、監察軍政官庁が誇る試作戦術開発室──別名「設計局」。

 

 照明に浮かび上がる無数の設計ホロと試作計画書の山が、無言のうちにその知的濃度を物語っていた。

 

 中央に立つ男の背中は、静かに燃えていた。

 

 その名は、パプテマス・シロッコ大佐──。

 

 ティターンズ監察軍政官庁・技術顧問。

 

 そして、アイン・ムラサメという“理性の革命児”に脳を焼かれた、かつての独裁者。

 

 その彼の前に、静かに一冊のファイルが差し出された。

 

 ラフスケッチ、手描きの覚え書き、各部位に走る注釈と概略性能の記述。

 

 しかし、それは一目で理解できる。──これは、“本気”の設計だ。

 

「……《ウーンドウォート・フルアーマー・クインリィ形態》。まだ仮称に過ぎませんが、僕なりに“最終兵装”の意図をかたちにしてみました」

 

 アイン・ムラサメ大佐の指先が、肩部のビームキャノン、腰部のクラフトユニット、胸部のハイメガ構造へと移る。

 

「戦術的優位性を確保しつつも、政治的制御が可能な“巨兵”。本機はバスク・オム大佐が有するサイコガンダムへの対抗策となる可能性を──持っています」

 

 シロッコの指がゆっくりとそのページを繰っていく。

 

 ハッチ部のジョイント、ビット格納レール、換装機構、推進システム……そして、脚注には丁寧な字体でこう記されていた。

 

> 「本機構想は、戦術兵器ではなく、対話を成立させる“理性の後ろ盾”として機能させることを目的とする」

 

 

 沈黙。だがその気配に、かつて木星の深淵を見た男の鼓動がふつふつと高鳴っていた。

 

「……見事だよ、大佐」

 

 低い、だが確かな声音で、パプテマス・シロッコ大佐が言った。

 

 彼の口から「大佐」という呼称が自然と返るのは、立場ではなく、心からの敬意ゆえだった。

 

「これは、戦術論でも工学論でもない。“政治的象徴”を建造する覚悟そのものだ。君の思想が──そのまま機体構造に刻まれている」

 

 アインは静かに目を伏せると、一つ、言葉を置いた。

 

「……申し訳ありません。現在、量子通信とドラグーンの研究は中断していただきたい。おそらく、バスク大佐が交戦の構えを見せる以上、この《クインリィ》が先に戦場に立つことになります」

 

 ほんの一瞬、シロッコの視線がわずかに遠のく。

 

 だが、次の瞬間にはもう、彼の目には炎が宿っていた。

 

「問題ない。むしろ、ありがたい調整だ。いずれドラグーンは“理性の延長”として使う。それまでに、この“巨兵”を完成させることこそ優先事項だ」

 

 パプテマス・シロッコ大佐は手に持った設計ファイルを、まるで聖典でも扱うかのように丁寧に抱えた。

 

「やらせてもらおう、大佐。君の思想を、今度はこの手で具現化する。これは──創る者にとっての祝福だ」

 

 言葉に偽りはなかった。

 

 それは従属でも、命令でもない。

 

 ただ純粋に、「思想と理性に共鳴した者」が、同じ未来を目指すということだった。

 

 そしてこの瞬間、ダカールの片隅で《フルアーマー・クインリィ》の製造計画は、本格的に動き出したのだった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

宇宙世紀0087年8月21日──ジャブロー地下第3軍政区画・模擬戦シミュレーター室

 

 冷たい金属の空気が流れる、再建中のジャブロー工廠地下。

 

 その最奥に設置された模擬戦演算室では、二基のシミュレーターポッドが可動音を立てて稼働していた。

 

「ゼロ、両者とも起動確認完了した。テストフェーズ1に移行する」

 

 ブラン・ブルターク少佐が指揮卓に立ち、静かに操作盤へと手を伸ばす。

 

 その傍らに、寡黙な男──ゼロ・ムラサメ大尉が立っていた。

 

 腕を組んだまま、じっと2つのスクリーンに映る模擬戦の映像を見据えている。

 

「こっちは良好。ガンキャノン2部隊の照準もテスト仕様に調整済みだ。いつでも実弾データに切り替えられる」

 

「……了解。ウーンドウォート本体の挙動と、クインリィ形態でのフィードバック量の差、見ておきたい」

 

 短く、ぶっきらぼうな声音。

 

 だが、その眼差しには一分の曇りもなかった。

 

 ゼロはアイン・ムラサメ大佐の腹心として、現地での監督任務を一手に担っていた。

 

 職務には完璧を期す彼にとって、今日のテストは単なる性能試験ではない──バスクのサイコガンダムに対抗しうる"理性の武器"の出発点だった。

 

『──ゼロ、おっけーだよ! ボク、いまクインリィ形態でサイコガンダムMk-IIと同じ挙動再現してるから!』

 

 軽やかで、少し子供っぽい声が通信機から響いた。

 

 ドゥー・ムラサメ少尉。

 

 プロトサイコガンダムの元パイロットで、今回のテストにおいてはクインリィ形態との“生理的同期率”を測定するための最適候補だった。

 

『変形ユニットのタイミング、前よりズレなくなってきたかも~! これ、ほんとにあのボクのサイコガンダムの腕だよね? ゼロが運んできてくれたやつ~?』

 

 ゼロは口を開かず、ただ手元の表示に目を通す。

 

 数秒の後、淡々と答えた。

 

「──ああ。お前が一番慣れてるパーツだ。活かせ」

 

『へへっ、ありがと! アインにもちゃんと伝えてね、ボク、ちゃんと役に立ててるって!』

 

 ゼロの瞳がわずかに細められた。それは微かな笑みか、あるいは肯定だった。

 

 一方、もう一機のシミュレーターでは──コウ・ウラキ中尉が、真剣な面持ちでコンソールと格闘していた。

 

『火器管制システム、第二フェーズ以降に最適化されたパルス送信量……このタイミングか……!』

 

 彼はかつて、試作MA《GP03デンドロビウム》のパイロットを務めた兵士であり、今回のウーンドウォート火器制御系統における適応性検証のための選出だった。

 

『クインリィ形態に換装された瞬間、機体応答が0.2秒遅延……いや、これは連結部のエネルギーフィードバックか?』

 

 その集中力には、ブランが思わず感嘆の息を漏らすほどだった。

 

「……すげぇな、あの男。やっぱり一度化け物みたいな機体を扱った経験は違うか」

 

「……“人間が制御できるかどうか”。あいつはそれを本能で掴んでる」

 

 ゼロの低い声には、珍しく敬意が滲んでいた。

 

 スクリーンに映るクインリィ形態のウーンドウォートが、空中機動しながら模擬ビームを回避──。

 

 脚部メガ粒子砲を火線へと向ける挙動は、まさしく“サイコガンダムの意志”と“MSの可変機構”を併せ持つ、ハイブリッドの完成形だった。

 

 ドゥーの声が再び響く。

 

『ゼロ~! あのさ、このクインリィって……ゼロも乗れるの? ゼロが操縦したら、どんな動きするのかな~って!』

 

 ゼロは通信を一瞥し、すぐに目線を端末へ戻す。

 

 答えは短く──。

 

「──無理だ」

 

『えー!? なんでぇ~!? ゼロなら絶対いけると思ったのにぃ!」

 

 ブランが苦笑しつつ、シミュレーションの記録を開始する。

 

「ま、あいつの代わりに乗れる奴なんて、他にゃいねぇよ。今んとこは、な」

 

 ゼロはただ、画面の奥──“あの男”がこのテストの意味を、どこか遠くから見守っているかのように、黙して見つめていた。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 窓の外には朝霧に煙る港湾が広がり、遠くに停泊するスードリの巨影が、未だ薄明の街並みに沈黙していた。

 

 静謐な空気の中、控室の中央で佇んでいた青年が、資料の束を一枚ずつ丁寧に揃えながら、ふと視線を上げた。

 

「……今日の議題は、量子通信システムと、それを中核とするドレッドノートの開発許可です」

 

 アイン・ムラサメ大佐。

 

 19歳の若き指導者は、正面に立つ技術顧問──パプテマス・シロッコ大佐の双眸を、真っ直ぐに見つめた。

 

「本来であれば、私自身が壇上に立ち、技術的説明を行うべきなのでしょう。しかし……」

 

 資料を載せたままの両手が、ゆっくりと重なる。

 

「この分野において、貴方の理解と表現力に勝る者はいません。お願いです、シロッコ大佐。今日の総会における技術説明──その全てを、貴方にお任せしたいのです」

 

 短く、しかし真摯な一礼。

 

 静寂が数秒支配した後、シロッコは口元をわずかに緩め、瞼を伏せた。

 

「……やはり、君はそう言うと思っていたよ」

 

 その声には、皮肉ではなく、微かな確信と満足が滲んでいる。

 

 ゆっくりと背を伸ばし、立ち上がった彼は、手にしていたペンを資料の上に置いた。

 

「私は技術者だ。壇上で演説するより、図面の前に座っていた方が性に合う……だが」

 

 青白い朝の光を背にして、彼はアインのほうを振り向いた。

 

「“この時代に言葉を与える者”が、君ならば──その言葉に力を貸すのが、私の役目だろう」

 

 右手を胸元に当てて軽く一礼する仕草は、軍人というより舞台の俳優めいて見えた。

 

「任せておけ、アイン。私が語るのは技術ではなく、君の信じる未来だ」

 

 そう言って歩み出すシロッコの背に、アインは深く、そして確かな敬意をこめて頷いた。

 

「ありがとうございます、大佐……心より、信頼しております」

 

 青年と“現場監督”が交わす、無言の握手。

 

 そのわずかな時間の中に、未来への設計図が静かに重なった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 朝陽が差し込む中、書類の山に囲まれたデスクで、パプテマス・シロッコは静かに手を動かしていた。

 

 薄型端末には《量子通信リンク構造図》、その脇には《ドラグーン制御アルゴリズム初期案》。

 

 並んで表示された幾何的な配置図や干渉強度曲線を確認しつつ、彼はペンを走らせていた。

 

 ──プレゼン用資料。

 

 それは単なる技術説明ではない。軍事的、政治的、そして哲学的な含意を孕む「布石」にして「答辞」でもある。

 

 彼の脳裏には、つい先ほどまでのアイン・ムラサメの姿が浮かんでいた。

 

 ──信頼しております。

 

 あの若者の言葉には、疑念も媚びもなかった。

 

 ただ純粋な信任と、背負う覚悟だけがあった。

 

 「……まったく。これだから、君という男には“歯車を渡したく”なってしまうのだよ」

 

 誰に向けるでもなく、シロッコは呟いた。

 

 かつて彼は、自らを支配者として在ろうとした。

 

 操縦桿を握り、女神のような器たちを駒に使い、宇宙を構築しようとした。

 

 だが今、その両手は、“別の理性”のために働いている。

 

 アイン・ムラサメという若者──己を超えるかもしれない「建築者」の設計図に、自分の知を積み重ねる日が来るとは。

 

「──これは、私自身の夢でもあったはずだ」

 

 彼は図面に手を伸ばす。プレゼン用に仕上げた《ドレッドノート試作仕様一覧表》に、修正指示を書き込む。

 

 【搭載予定】量子通信アンテナ・ノード群/機体間リアルタイム同調制御モジュール/情報遮断耐性アルゴリズム

 

 指先が滑らかに動く。無駄な言葉を削ぎ、しかし要点を逃さず、官僚たちにも通じる「物語」として技術を語る準備をしていく。

 

 ──単なる演説ではない。

 

 “未来”そのものを言語化する行為。

 

 それが自分に託されたと理解した瞬間、彼の表情からは僅かな笑みが消え、目元に鋭い光が宿った。

 

「……ならば、“完成度”で応えねばなるまい」

 

 ペンが走る。

 

 量子通信がもたらす運用優位性、ドラグーンの応用展望、そしてドレッドノートが持つ「構造としての象徴性」──。

 

 彼は既に気づいていた。

 

 ドレッドノートとは、単なる新型MSではない。

 

 ティターンズ正統派という“新体制”の意思表明であり、情報と秩序が暴力を制することの象徴でもある。

 

 ──これは「抑止力」だ。だが、それだけではない。

 

「“軍事を構築する理性”を、君が体現するというなら──」

 

 私はその基礎構造を支える梁になろう。

 

 やがて一枚のスライドが完成する。

 

 《通信遅延曲線/非同期補正シミュレーション結果》と銘打たれたその図面は、複雑な数式に彩られながらも、異様なまでに視覚的に整理されていた。

 

 あとはこれを総会用端末に登録するだけだ。

 

 シロッコは椅子を押し出すように立ち上がり、制服の襟元を正した。

 

「──では、“舞台”に上がるとしよう。今度こそ、本当に演じるべき物語のために」

 

 朝陽が完全に部屋を満たすころ、彼は静かに部屋を後にした。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

宇宙世紀0087年8月21日午前

 

ダカール連邦議会議事堂・本会議場

 

 朝のダカールにまだ薄雲が残る中、連邦議会議事堂はひときわ静かな緊張に包まれていた。

 

 本日は、延長された地球連邦総会の実質的最終日──。

 

 その議題に掲げられていたのは、連邦政府より提出された第21号補正予算案である。

 

 いつものような派閥争いも、持論のぶつけ合いもない。

 

 代わりに、議場に漂うのは「この国を秩序の側に保てるか」という、無言の問いかけだった。

 

 その中心に立つのは、一人の若き士官──ティターンズ監察軍政官庁長官、アイン・ムラサメ大佐。

 

 彼は軍服の襟を正し、壇上に立つと、真っ直ぐに議員席を見渡し、静かに言葉を紡ぎ始めた。

 

「諸閣下、ならびに議員諸氏。本日ここに、連邦政府から提出された補正予算案に関し、監察軍政官庁を代表しご説明申し上げます」

 

 その口調は丁寧ながら、どこまでも真摯で、研ぎ澄まされていた。

 

「この予算案は、現在進行中の“軍紀統制不全”──とりわけ、バスク・オム大佐による査問状の二度にわたる拒否という前例なき事態に対応するための、限定的かつ抑制的な措置を目的としています」

 

 議場内に配置された複数のモニターには、計上項目の概要と構成が表示される。

 

 そこに記されたのは、

 

「秩序維持機構による現地展開用装備開発予算」

 

「通信及び戦術指揮系統の強化に向けた技術開発支出」

 

「限定兵装運用テスト及び警備部門連携試験への予備費振替」

 

 

 ──そのどれもが、具体的な兵器名や開発機体の型式までは示されていなかった。

 

 しかし、わかる者にはわかる。

 

 これが“少年将校の切り札”──。

 

 だが決して、軽々しく口にしてはならない抑止の象徴であることも、同時に。

 

 アインは続けた。

 

「本案で要求される予算は、対話と政治的解決を成立させるために必要な、“構え”としての備えにすぎません。武力行使を目的とするものでは断じてなく、我々は常に『対話による秩序の回復』を最優先としています」

 

 その言葉に、いくつかの議員が静かにうなずき、一方で眉をひそめる者もあった。

 

 だが、次に立ち上がったゴップ議長の一言が、場を決定的に動かす。

 

「──議会命令を無視する軍人が現れた今、我々は一つの判断を迫られている。“秩序を護る理”を、この場で行使できるかどうか、だ」

 

 その低くも重い声は、議場に深く染み込むように響いた。

 

「本案に示された“限定的な防衛力の整備”は、あくまで理性の範囲に留まっている。問題は、それを受け止める我々の側に理性があるか──その一点に尽きよう」

 

 電子投票が始まる。

 

 わずかな指の動きと、押し黙った空気だけが流れる数分間。

 

 やがて結果がスクリーンに投影された。

 

> 【第二一号補正予算案 ──可決】

賛成:158 / 反対:43 / 棄権:19

 

 

 拍手も歓声もない。

 

 ただ、議場のどこかで誰かが長く吐いた息の音だけが、やけに大きく聞こえた。

 

 アインはわずかに頭を垂れた。

 

 それは勝利の身振りではなく、責任の証としての礼だった。

 

「ご理解に感謝します。これをもって私は、秩序の守護者として、その責を果たしてまいります」

 

 その姿に、誰も言葉を重ねなかった。

 

 ──この場において、言葉を継ぐ資格のある者は、もはや他にいなかったからだ。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 静まり返っていた議場に、次なる議題が告げられる。

 

 補正予算案が可決された直後の空気には、妙な緊張と期待が入り混じっていた。

 

 だがそれも当然だった。議場に集う者たちは、次の議題がただの軍事技術開発ではないことを、どこかで直感していたからだ。

 

 ゴップ議長が口を開く。

 

「次に、ティターンズ監察軍政官庁より提出された技術開発計画──“量子通信インフラ整備および次世代型高機動MS《ドレッドノート》の開発計画案”について、提案者による説明を求める」

 

 その言葉とともに、議場の左手から一人の男が登壇する。

 

 長身痩躯、紫紺の髪を後ろで結び、軍服ではなく技術者の礼装を着こなしたその人物──。

 

 パプテマス・シロッコ大佐。

 

 監察軍政官庁における技術顧問にして、かつて“木星帰りの男”と揶揄された謎多き存在。

 

 彼は壇上で静かに一礼し、言葉を発した。

 

「失礼します。私は本計画の設計責任者として、地球圏全域の戦術情報網と指揮系統の根幹を再定義する“量子通信構想”、そしてそれを前提に設計された新型MS《ドレッドノート》の開発について説明申し上げます」

 

 瞬間、議場のモニターに一連の資料が映し出される。

 

 最初に提示されたのは、従来のミノフスキー粒子散布下における通信困難領域の図──。

 

 そして、それをすべて突破する形で構築される、“非同期化量子鍵共有通信網”の概念図だった。

 

 技術用語が並ぶ中、シロッコはあくまで平易な語り口で続ける。

 

「この技術は、既存の通信網を通さず、同位相量子対を用いた瞬時伝送を可能とするものであり、ミノフスキー粒子散布下でも遅延ゼロでのデータ共有・指揮命令伝達が行えるという利点があります。

 戦争の形を変えるのではなく、戦争の根本的な暴走──誤認・誤爆・誤報を防ぐための、抑止装置として設計されています」

 

 会場内にどよめきが走る。技術に詳しい者ほど、その意味が分かる。

 

 これは単なる兵器開発ではない。戦争の誤作動を抑える制御システムの提案だった。

 

 シロッコは続けて、ドレッドノートのコンセプトを提示する。

 

 モニターには、全体像をぼかしたままのシルエットが表示される。

 

「この機体は、量子通信によるリンク制御を標準搭載した最初の機体であり、従来の指揮系統に縛られない“分散型作戦行動”を可能とします。加えて、遠隔操作型ユニット──“ドラグーン・システム”との連携運用も視野に入れており、これは技術的にはまだ試験段階ですが、理論上、従来のサイコミュ兵器とは一線を画します」

 

 議場の一部に緊張が走る。

 

 「ドラグーン」という言葉に、ある種の忌避反応を示す者もいた。

 

 だが、彼はそれを見越したように言った。

 

「もちろん、この技術はニュータイプ専用機ではありません。人工演算型統合OSとの組み合わせにより、一般兵士への適用も検討されています。特定の適性者に依存しない、公共財としての防衛技術。──それが本構想の最終目標です」

 

 長く深い沈黙のあと、ゴップが静かに頷いた。

 

「……議場に諮る。提案された量子通信技術の地球圏戦略基盤化、ならびにそれを応用した新型高機動MS《ドレッドノート》の開発案について、票決を行う。準備を」

 

 電子投票のカウントが始まる。

 

 先ほどの補正予算よりも、わずかに慎重な空気が漂っていた。

 

 だがそれは、“無知から来る拒否”ではなく、“理解した上での熟慮”だった。

 

 そして──数分後、投票結果が掲示された。

 

> 量子通信およびドレッドノート開発計画案──可決

賛成:147 / 反対:51 / 棄権:22

 

 

 拍手は、またも起こらなかった。

 

 だが、それは“賛成しきれぬ抵抗”ではない。

 

 むしろ──その技術がもたらす“未来”への重みが、言葉や喝采を許さなかったのだ。

 

 壇上で一礼したシロッコは、静かに席へ戻る。

 

 その後ろ姿を、議場の中央でアイン・ムラサメ大佐が目を細めて見つめていた。

 

 “これが、理性による秩序だ”と、どこか誇らしげに。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 議場の扉が閉まり、連邦総会は正午までの一時休会に入った。

 

 その瞬間、それまで抑え込まれていた政界の“熱”が、一気に噴き出すように動き出す。

 

 

「ムラサメ大佐、少しよろしいか」

「貴官の提案にいくつか確認したい点が──」

「いや、それより先にこちらの質問を通してもらおう」

 

 

 控室の一角。アイン・ムラサメ大佐のもとへ、次々と政府要人たちが詰めかけていた。

 

 国防省、内務省、情報局、そして財務官僚──一癖も二癖もある、通称“地球連邦の妖怪”と揶揄される重鎮たちである。

 

 その顔ぶれが、いまは驚くほど真剣に、若き軍政官庁長官の言葉に耳を傾けている。

 

 

「ドレッドノートの遠隔管制領域は、サイド6にも及ぶのか?」

「もし可能なら、それは我々の外交戦略に計り知れぬ重みをもたらす」

「だが、量子鍵管理における中央規格は軍主導のままで良いのかね?」

 

 

 次々と飛び交う質疑に、アインは決して声を荒げず、丁寧に、しかし的確に返していく。

 

 たとえ話す相手がゴップであれ、国防相であれ、その対応には一切の怯みも媚びもない。

 

 

「技術的には可能です。ただし、戦略通信基盤としての整備には時間と信頼構築が不可欠です」

「本件は“軍のための技術”ではなく、“政府の統治を補完する公共的装置”として機能させることが必要だと考えております」

「中央鍵は監察軍政官庁が責任を持ちますが、通信網そのものの所有権は政府との協議によって定めたい」

 

 

 その姿に、“妖怪”たちは一瞬だけ黙った。

 

 若い──。

 

 だが、それだけではない。

 

 若いのに、恐ろしく完成されている。

 

 その場の空気すら支配するような、静かな重力を持っている。

 

 思えば、かつてここにいた若者たちは皆、どこかで激情や過剰な理想に呑まれていった。

 

 だが、この少年は違う。

 

 理性の刃の上を、平然と歩いている。

 

 廊下の奥──。

 

 窓際に立ち、その光景をじっと眺めている男がいた。

 

 ジャミトフ・ハイマン中将。

 

 地球連邦軍の将として、ティターンズを生み出した男にして、政治家の表舞台からは常に一歩退いたところに身を置いてきた男。

 

 その視線は、妖怪たちに囲まれても平然と話し続けるアインの背に、深い色を落としていた。

 

(……気づけば、あの子はもう“僕のため”に動いてはいないな)

 

 その事実に、驚きはなかった。

 

 いや──むしろ、それを望んでいた。

 

 この世界で、自分の理念が“言葉”ではなく“構造”として根づくこと。

 

 そのためには、誰かが“自分を超えて”行かなければならなかった。

 

(軍の中でもなく、政の中でもなく、“秩序そのもの”の名を持って、そこに立てる者が必要だった)

 

 アイン・ムラサメ、十九歳。

 

 だが、その振る舞いはもはや、いかなる年齢や階級にも回収され得ない領域に踏み込みつつある。

 

 

 ……ゴップがアインに歩み寄り、肩を叩く。

 

 ……情報局長官がメモを差し出し、個別会談を申し込む。

 

 

(もはや誰にも止められん。私の手から、完全に離れてしまった──)

 

 だが、そこに不安はない。

 

 なぜなら、この光景こそが、

 

 ジャミトフ・ハイマンという政治家が、そのすべてを費やして追い求めた“結実”だったからだ。

 

(頼むぞ、アイン。お前が示した“理性の剣”が──この地球を、宇宙を、必ず救うと信じている)

 

 軍人の仮面を外し、ひとりの老人として微かに目を細めながら、ジャミトフは静かに踵を返し、控室を後にした。

 

 彼の役目は、もはや終わりつつあった。

 

 

 

 

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