ムラサメさん家のイチバン=サン   作:星乃 望夢

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第55話 肩を貸してやるくらいは、してやるさ

 

宇宙世紀0087年8月21日午後

 

月面・フォン・ブラウンシティ《アナハイム・エレクトロニクス本社ビル・第8戦略会議室》

 

 半透明の防熱カーテン越しに、遠く月の地平線が淡く光っていた。

 

 その内側にある円形会議室では、アナハイム・エレクトロニクスの経営中枢が刻一刻と変化する政治地図に対し、静かにそして熾烈に舵取りを試みていた。

 

 長机の奥、社主家出身の重鎮メラミン・メイスンが、椅子にもたれながら低く呟いた。

 

「……連邦議会、補正予算案、可決。ティターンズ監察軍政官庁に予算正式配分。ドレッドノート構想、正式議題登録……か。いよいよ、とんでもないことになってきたな」

 

 その言葉に応じたのは、情報部門を統括するシャディア・ハーシェル専務だった。

 

「議会中継の分析によれば、世論は連邦本国の地球居住者層を除き、宇宙市民層の大半が“アイン支持”もしくは“エゥーゴ支持”に傾いています。特にラサ連絡港経由での放送が強く影響を与えているようですね」

 

「……というより、“バスク不信”が限界を超えたってところか」

 

 別の役員が唸る。

 

「30バンチ事件と星の屑の告発、やりやがったな……」

 

 月面側ではフォン・ブラウン、グラナダ両都市で「アイン大佐の秩序構想を支持する連帯声明」まで提出され始め、コロニーではラビアンローズ経由でエゥーゴの正統性支持が急速に広がっていた。

 

「要するに、“エゥーゴに乗るか、監察庁の理性に乗るか”──どっちにしても、“ティターンズ(旧)”はもう政治的に死に体、ということですな」

 

 ハーシェルの冷淡な評価に、会議室が静まる。

 

 そして、もうひとつの大問題。

 

「ジオン共和国は表向き、“地球連邦政府の主権を認める”声明を再確認しました。ですが……」

 

「裏では、“アイン・ムラサメとならば連携の余地がある”と、水面下で外交接触を模索している。そうだな?」

 

「その通りです」

 

 ジオン共和国首脳部は、バスク旧ティターンズへの敵愾心を抱きつつ、一方でアイン・ムラサメの行動には、“地球の再生と宇宙民の融和”を掲げる中立的旗印として期待を寄せ始めている。

 

 これまで決して連邦と“連携”など持ち出さなかった共和国が、「理性による軍政官庁」には一目置き始めているのだ。

 

「……だが、一番驚いたのは、やはり“あれ”だ」

 

 役員のひとりが手元の資料を机に置いた。

 

 《機密特報:量子通信試験仕様概略》──。

 

 ドレッドノート構想と共に発表された、あまりにも異質な兵器概念。

 

「“量子もつれ”による即時通信……距離ゼロ・干渉不可・傍受不能。理論上は、光速制限をも超える通信網の中核。しかも、それをモビルスーツ間戦術に応用する?」

 

「……正気じゃない。だが、成立してしまった。しかも、あの若さで」

 

「アイン・ムラサメ大佐……彼は、単なる官僚や軍人ではない」

 

 メイスンは苦く笑う。

 

「政治、軍政、技術、理想──そのすべてを“政策”という名で組み上げる。あれはもう、“構想の怪物”だよ。しかも……支えているのがあの“木星帰りのシロッコ”ときた」

 

 会議室が一瞬、静寂に包まれる。

 

「……エゥーゴと監察軍政官庁。どちらに付くかではない。“どちらにも付かず、どちらにも貢献する”。それが我々の立ち位置だ」

 

「量子通信開発には部分協力を継続。コロニー側の治安供与ではエゥーゴとも連携する。問題は──どちらが“人類の未来”を描けるか、だ」

 

 それは、アナハイムが過去にギレン・ザビにも、レビルにも、デラーズにも等しく供与してきた“等距離外交”の極致だった。

 

「──だが、アイン・ムラサメという男の出現は、我々が“技術供与する側”だという思い上がりを、確実に打ち砕いた」

 

 ハーシェルは、資料を閉じる。

 

「……あれは、“自分で描いて、自分で完成させる”側の人間です」

 

「だったら──その“完成品”が、“我々”の想定内である保証は、どこにもないということか」

 

 誰かがつぶやいたその言葉に、会議室の空調音だけが響いていた。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 宇宙に咲く、もうひとつの王朝。

 

 月より遠く、小惑星アクシズは今や「もう一つの地球圏政府」として胎動を始めていた。

 

 その中心部、摂政府直属の戦略会議室には、モニタ越しに各艦隊司令と政治委員、補佐官たちが集まりつつあった。

 

 大時計の針は、地球標準時で13時を指している。

 

「──閣下、地球圏の連邦総会が補正予算を通過しました。ティターンズ内の分裂は確定的かと」

 

「星の屑作戦、ならびに30バンチ事件の責任が明文化されれば、地球圏の正統性そのものが揺らぐ。エゥーゴやサイド間の再編は加速するでしょう」

 

 静かに交わされる報告。

 

 その最奥に、ひときわ静謐な気配を纏った人物が座していた。

 

 摂政、ハマーン・カーン。

 

 冷たい真珠のような瞳が、報告を遮ることなくすべてを受け止めている。

 

「……連邦が動いたな。だが“連邦”とはいずれ名ばかりになる」

 

 誰に問うでもなく漏らした声。

 

 それを察知した補佐官が慎重に問いかけた。

 

「我らアクシズとしては、地球圏への公式接近を10月と定めております。時期尚早では──」

 

 その言葉を、ハマーンは左手の軽い仕草で制した。

 

「時期を決めるのは情勢ではない。“我らが志”だ」

 

 すっと立ち上がると、政務卓のスクリーンに地球圏全図を映し出す。

 

 ティターンズ、エゥーゴ、サイド3、スペースノイド各自治圏──そしてアクシズ。

 

 その構図の中央を指し示し、ハマーンは言った。

 

「ジオンの再興とは、過去を取り戻すことではない。理念と構造、その両方において“人類の在り方”を問い直すことに他ならん。今、地球圏はその転機にある。アイン・ムラサメ──あの若者は、理想の言葉を掲げ、兵を動かし、敵を裁き、そして秩序を創りかけている。侮るべきではない」

 

 誰かが「ティターンズの人間を認めるのか」と小声で言ったが、ハマーンは聞こえぬふりをした。

 

 いや──聞こえていた。だが、あえて受け止めたうえで、こう言い放つ。

 

「だからこそ、我々が動くのだ。今、アクシズは選べる立場にある。沈黙か、宣言か──」

 

 その声には威厳と、ある種の美しさすらあった。

 

「その時までに備えよ。兵を整え、言葉を研ぎ、名乗る名を用意せよ。アクシズが“何を成す者か”を、地球圏全体に知らしめねばならぬ」

 

 誰もが息を飲んだ。

 

 それは、ジオン公国の亡霊が生み落とした少女ではなく──未来を選び取る“支配者”ハマーン・カーンの声音だった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 静かに打たれた議場の鐘が、再開の合図を告げた。

 

 午後の本会議──。

 

 午前中に補正予算案および量子通信開発計画の承認を終えた議場は、わずかな休憩を挟んだとは思えぬほどの緊張感に包まれていた。

 

 議場中央、議長席に立つゴップが、ゆっくりと視線を巡らせる。

 

「──それでは、本日午後の議題に入ります。まず、議会運営に関する動議として、連邦政府より提出された“議会延長動議”について、審議を行います」

 

 議場がざわめいた。

 

 すでに予定されていた「連邦総会の閉会日」は本日21日。だが現実には、バスク・オム大佐による査問拒否、及び関連する軍紀・軍政問題の追及は、まだ始まったばかりだった。

 

 ゴップの右手、政府席の中で内務大臣が静かに立ち上がる。

 

「議長、ならびに諸君。……我々政府側は、本日を以て閉会とするにはあまりに懸案が多すぎると判断しました。バスク・オム大佐に対する査問拒否の正式回答を受けた以上、臨時議会を設け、継続審議の場を整えるべきだと考えます」

 

「議会会期を延長し、軍事行政・査問制度・監察庁の設置および武装に関する審査を継続すべき、という趣旨であります」

 

 議場のあちこちで頷きと反対の視線が交錯する。

 

 前列、各政党を代表する議員たちが一人ずつ端末を操作し、持ち時間内で意見を述べた。

 

「この動議は“事実上のティターンズ査問会”であり、軍事機密の開示を含む危険な提案だ!」

 

「いや、もはや政府自身が軍紀違反を確認し、査問の正当性を認めたのだ。議会はそれを黙認できるのか?」

 

「スードリを空に浮かべた青年が、ここまで状況を動かした。ならば、その正当性は議会が裏付けねばなるまい」

 

 論戦が数十分続いたのち、再びゴップが槌を打った。

 

「……よろしい。これより採決に入ります」

 

 静寂。

 

「本動議、すなわち──

 『本連邦総会の閉会を延期し、臨時会の形でバスク・オム大佐に関する軍政監査および継続審議の場を新たに設置する』──

 本動議に賛成の方は、起立をお願いします」

 

 議場の一角から、立ち上がる影がいくつも浮かび上がる。

 

 まず立ったのは、与党第一会派の軍政改革派。その後ろから、中道右派、中道左派、さらにスペースノイド議員団の多数も静かに立ち上がった。

 

 反対票を投じる一部ティターンズ寄り議員の視線が交錯する中、ゴップが結果を確認する。

 

「賛成多数──よって、本動議は可決されました」

 

 再び議場がざわめいた。

 

 これにより、バスク・オム査問を含む継続的な議会監査が正式に認可された。

 

 もはやティターンズ大佐であろうと、議会の前では聖域ではないという宣告である。

 

 その最前列、正装のまま立ち尽くすアイン・ムラサメ大佐の姿が、静かな拍手の中で注目を集めていた。

 

 若き監察庁長官。

 

 その背には、もはや“ジャミトフの影”ではなく、“秩序の象徴”としての重みが見え始めていた。

 

 ──この議会は、まだ終わらない。

 

 ──誰もが、その続きを見届けようとしていた。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

U.C.0087年8月21日 午後

 

 壁面いっぱいに拡げられたホロディスプレイには、重厚なガンダリウム合金の構造図が回転し、随所に注釈が浮かんでいた。

 

 《サイコデウスガンダム》

 

 それは、あのプロトサイコガンダムを原型に、量産型サイコガンダムの設計思想とドレッドノート開発で得られたフィードバックを融合させた、極限的な火力・機動・制御を統合した「新たなる巨神」の設計草案である。

 

 シロッコはその図面を黙して見つめていた。

 

 背筋はまっすぐ、腕を組み、わずかに片眉を上げている。

 

「……まさか、ここまで整理されているとはな。ふむ……整合性もある。各火器の配置と冷却系統のバランスも考慮されている。熱容量と反応炉の推移、すでに計算済みか?」

 

 端末に指を滑らせながら、シロッコはいつもの静謐な声で尋ねた。

 

 その背後、アイン・ムラサメは軽く頷きながら答える。

 

「はい。お見せしたいのは、この先の領域です。僕がこの“巨神”を制御するために選んだもの──バイオセンサーです」

 

 画面が切り替わる。

 

 そこに現れたのは、脳波感応型の補助インターフェースの構想。

 

 準サイコミュの一種であり、パイロットの感情や意志の波長を読み取り、システム挙動に変換する「生体同調型サブリンク」。

 

 いわゆる“簡易型サイコシステム”、すなわちバイオセンサーである。

 

 その瞬間、シロッコの目に一瞬だけ光が宿った。

 

 だが、すぐにその感情は理性の仮面に包まれる。

 

「……なるほど。感応波の位相差を吸収し、制御系の予備入力とするか。単なる補助ではない……これは“呼吸”だな。機体とパイロットが互いに“生きて”同調する」

 

 彼の声は静かだったが、その内心ではかつてないほどの興奮が波紋のように広がっていた。

 

 ──バイオセンサー。

 

 それは、まだZガンダムだけに備わる“パイロットと機体が共鳴する兵器”という夢の構造。

 

 そして目の前の少年は、それを“巨神の制御手段”として位置づけようとしている。

 

「アイン・ムラサメ……君という人間は、どこまで行く気だ?」

 

 それは独白に近い呟きだった。

 

 若き理性の体現者が、静かに視線を返す。

 

「僕は……行けるところまで行きます。ただ、その先に何があるかを、あなたと共に見てみたい」

 

 その瞬間、シロッコの胸中に確かな変化が走った。

 

 これは政治ではない。

 

 権力でもない。

 

 思想と技術が交差する“建築の現場”そのものだ。

 

 自らが女帝を作り上げようとした過去すら、もはや遠い影に思えた。

 

 今、目の前にあるのは──“創造の設計図”と、“それを託せる男”だった。

 

「いいだろう。私が、君の《サイコデウス》の“現場監督”となろう」

 

 ゆっくりと椅子に腰を下ろし、ホロ端末を操作するシロッコの手は、まるで彫刻家のように迷いがなかった。

 

「まずは中枢神経系統の応答遅延をゼロに近づける。そのためには量子リンク予測演算を並列処理化せねばならん。次に……」

 

 静かなる構築が、今始まった。

 

 それは──“暴力の象徴”でしかなかったサイコガンダムが、“理性の巨神”として生まれ変わる瞬間であった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 重々しい扉が軋む音とともに閉じられた。

 

 ゴップ議長を中心に、国防大臣、内務次官、情報局長官、外務次官ら地球連邦の要人たちが、議事堂地下の会議室に再集結していた。

 

 三日前にも同様の構図があったが、今回は空気が違う。

 

「──確認は?」

 

 ゴップ議長の声に、情報局長官が硬く頷いた。

 

「偵察衛星および宙域監視網の再解析により、L4宙域サイド4・27バンチコロニーが、重力制御圏外より明らかに軌道変更の兆候を示しています。方向は……月面、グラナダ都市圏直下と見られます」

 

 場が凍りついた。

 

「ついにバスク・オムが、やりやがったか──!」

 

 国防大臣が椅子を打った。

 

 会議卓上のタブレットには、スラスター稼働を示す熱源パターンが微かに記録されている。

 

 現段階ではまだ決定的ではないものの、「兆候」としては十分すぎた。

 

「このままでは……グラナダが吹き飛ぶ」

 

 誰ともなく呟いたその一言に、沈黙が落ちる。

 

 そして。

 

「呼ばれてまいりました。アイン・ムラサメ大佐、参上いたしました」

 

 静かに入室したアイン・ムラサメは、その若すぎる肩にジャミトフ直轄の監察軍政官庁の責任を背負いながら、迷いなく直立していた。

 

「アイン大佐……どう見ている?」

 

 ゴップの問いに、アインは迷いなく答えた。

 

「現時点での兆候は、明確に“落下に向けた軌道変更”と断じるに足ります。これが本決行であるならば、遅くとも22日深夜には月重力圏へ入り、以後の誘導・阻止は困難を極めます」

 

「どうすれば防げる?」

 

「至急、アルビオン艦を月方面へ先行させ、実働部隊を展開。迎撃か、最悪でも進路変更・分解を実施するしかありません。そのためには──」

 

 アインの眼差しが、会議卓を貫いた。

 

「──エゥーゴとの共同戦線が、不可欠です」

 

 一瞬、室内の空気が揺れる。だが、反対する者はいなかった。

 

 もはや敵味方を選ぶ余裕など、地球にも月にもない。

 

「私は連絡官として、クワトロ・バジーナ大尉に連絡を取ります。彼であれば、現場をまとめられるはずです」

 

 その名に、何人かが顔を曇らせた。だが、今は感情を差し挟むときではない。

 

「自ら出る気か?」

 

「はい。アルビオンを先行させ、私はスードリを成層圏上まで上昇させたのち、シャトルにて月へ直行します。先遣指揮を現地にて直接執る所存です」

 

 若き将校の瞳に、一切の迷いはなかった。

 

「……その覚悟、よくぞ示した」

 

 ゴップが頷いた。

 

「成層圏上昇の許可はここで承認しよう。スードリをダカールから上げるのは政治的にはリスクもあるが──今は非常事態だ。やれ」

 

 アインは、深く一礼した。

 

「感謝いたします。アルビオンには既に緊急戦闘態勢を通達済みです。明朝には発艦、最短で月周へ到達させます」

 

「間に合うか?」

 

 国防大臣が問う。

 

 アインは言った。

 

「──必ず、止めてみせます」

 

 誰よりも確信に満ちたその一言に、室内が静まり返った。

 

 まるでその言葉だけが、まだ残された「正気の道」であるかのように。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

U.C.0087年8月21日 地球時間23時40分

 

ダカール市内・連邦議員宿舎 ブレックス准将私室

 

「……こんな夜分に、あなたが来るとは思いませんでしたよ、ムラサメ大佐」

 

 応接ソファでウイスキーグラスを置いたブレックス准将は、訪れたアインを見据えた。

 

「申し訳ありません。ですが──この件だけは、急がねばならないのです」

 

 夜の闇に包まれた部屋の中で、アイン・ムラサメは真っ直ぐにブレックスと向き合っていた。

 

 その表情に、躊躇はない。

 

「サイド4・27バンチの無人コロニーが動き出しました。現時点での航跡は、グラナダへ向けられています。──バスク・オムによる、コロニー落としの実行です」

 

「……!」

 

 ブレックスは目を細めた。

 

 部屋の奥の影から、クワトロ・バジーナが無言で立ち上がる。

 

「確認は?」

 

「監視網による熱源解析と、観測衛星からの再帰通信です。今の段階で止めねば……もう、間に合いません」

 

「そのためにここへ来たというのか」

 

「はい。私はティターンズ監察軍政官庁長官として、地球連邦の名において──エゥーゴとの共同戦線を正式に提案いたします」

 

 一拍。

 

「指揮統合の要となる連絡官として、私はエゥーゴのクワトロ・バジーナ大尉を指名したい」

 

 静寂が訪れる。

 

 それは、「ティターンズ正統派とエゥーゴの二人の指揮官が、肩を並べて宇宙に上がる」という事実を──この場に持ち込んだ宣言だった。

 

「……無茶を言う」

 

 沈黙を破ったのはクワトロだった。

 

「お前が、それをジャミトフの名で言うなら、なおさら事態は複雑になるぞ」

 

「ジャミトフ中将は、今夜私に全権を預けました。政治ではなく、軍政官庁の裁量として、この申し入れを行っています」

 

 アインは一歩も引かぬ視線で、クワトロを見返す。

 

「共に上がってください。シャア・アズナブル大佐」

 

 その名に、ブレックスが息を呑む。

 

 だがクワトロは──睨むようにアインを見た後、ふっと目を閉じ、椅子の背に身を預けた。

 

「名を、使ったな」

 

「はい。ですが、使わねばならない時だと判断しました」

 

「……」

 

 ブレックスが、ややうつむいたまま静かに語り始めた。

 

「私は、貴殿に一つの借りがある。あの夜、命を救ってくれた礼を公的に述べる機会はまだだが……こうして私邸に君が来るという事実は、私個人の判断を要請しているのだろう」

 

 アインは無言で頷く。

 

「ならば私は、それに応えねばならない」

 

 ゆっくりと、立ち上がるブレックス。

 

「エゥーゴは、共同戦線を承認する。グラナダを守ることは、もはや地球と宇宙の双方にとって、過去の憎悪以上に重い──」

 

「感謝いたします、准将」

 

 アインが深く頭を下げる。

 

 その横で、クワトロ・バジーナが呟いた。

 

「……お前は本当に、何を背負い続けるつもりなんだ、アイン・ムラサメ」

 

「理想と、責任と、結果です。全てを両肩に背負ってなお、壊れないようにするのが……今の僕の立場ですから」

 

「ふざけた若造だ。だが……」

 

 クワトロはコートの裾を翻し、部屋を出る支度を始めた。

 

「──肩を貸してやるくらいは、してやるさ。共に行こう、ムラサメ大佐」

 

 その背を見送りながら、ブレックスは静かに天を仰いだ。

 

 夜はまだ明けない。

 

 だが、すでに戦いは始まっている。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 静まり返った船内に、エンジンの低い唸りと、時折軋む振動音が響いていた。

 

 スードリより打ち上げられた特殊仕様シャトルは、成層圏を突破し、月軌道へと向かっていた。

 

 重力の束縛が薄れゆく空間で、三人の男たちが対面していた。

 

 アイン・ムラサメ大佐、クワトロ・バジーナ大尉、そしてパプテマス・シロッコ大佐。

 

 それぞれが、政治と軍事と技術の要として、この事態に対峙していた。

 

 壁面モニタに投影されたのは、27バンチ無人コロニーの軌道予測図。

 

 赤い軌跡が──無慈悲に、グラナダ都市圏上空へと弧を描いている。

 

「……シロッコ大佐。技術的に見て、今からこれを止める最適解はあるだろうか?」

 

 アインの問いは静かだった。

 

 しかしその奥にある切迫は、誰よりも鋭く伝わっていた。

 

 シロッコは背を伸ばし、指先で空中に指示を描くように、表示ホログラムをいくつか切り替えた。

 

「……推進ユニットの機構は旧式とはいえ、稼働トルクはフルブースト。おそらくは外部からの牽引か、内部スラスターの再配置だ。方向制御はまだ可能と見ていい。だが問題は“質量”だ」

 

 指先で弾くようにして、コロニーの構造断面図が浮かぶ。

 

「全長32km、直径6.3km、内部重量およそ3400万トン。たとえ破壊できたとしても、破片の大半は地表へ落ちる」

 

 クワトロが眉をひそめる。

 

「……つまり破壊は不適切だと?」

 

「正確には、“一撃で蒸発させられない限り”はな」

 

 淡々と、だが鋭く返すシロッコ。

 

「では、回避軌道に乗せるしかない」

 

 アインが呟く。

 

 だがその声には既に「その先」があった。

 

「コロニーへの接触はどうか?」

 

「高熱源による推力偏向なら──大型ビームによる側面照射で、軌道角を少しずつずらすしかない」

 

 シロッコの瞳が、わずかに揺れた。

 

「もしくは……接触チームを編成し、コロニー内部に突入。姿勢制御炉を直接乗っ取り、逆噴射をかける」

 

「自殺行為だな」

 

 クワトロの低い声。

 

 だが、その表情は既に“可能性”を測っている者のものだった。

 

 アインは、拳を軽く握った。

 

「僕が指揮を執ります。アルビオンの戦力を前面に展開しつつ、接触用MSを数機──内部突入チームとして用意する」

 

「……私も同行しよう。現地での制御班の一員としてなら動ける。少なくとも、連邦とエゥーゴの共同作戦だと内外に示すには必要だろう」

 

 クワトロはすでに覚悟を決めていた。

 

 沈黙。

 

 その中で、シロッコが口を開いた。

 

「私も手を貸そう。あくまで“現場監督”としてだが──この程度の瓦礫、なんとかしてやる」

 

 いつもの皮肉めいた口調ではなかった。

 

 それは、合理と理性の端に立つ者だけが放つ、“実務”の声だった。

 

 アインは静かに頷き、端末へ作戦コードを打ち込んだ。

 

「作戦名──《ノア・セイバー》。コロニー落下阻止作戦、始動します」

 

 人類史の闇が、またひとつ、宇宙の静寂に打ち立てられようとしていた。

 

 それを食い止めるための、理性と決断の作戦が今、三人の手で形を成し始めていた──。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 モニタ越しに映る男の顔には、揺るがぬ眼差しと、戦場に慣れた者の静かな覚悟があった。

 

 アルビオン艦長、ブライト・ノア。

 

 長年にわたって連邦の現場に立ち続けてきた彼は、静かにアインの声を待っていた。

 

 画面の前、正装姿のままブリーフィングを終えたアイン・ムラサメが、軽く敬礼した。

 

「アルビオン、ブライト艦長。現在地球軌道を離脱中。予定通り、合流ポイントD-13にてランデブーを実施したく存じます」

 

『了解した。アルビオンは現在、アドバンスド・ヘイズルおよびヘイズル改の出撃整備に入っている』

 

 ブライトの言葉に、アインはわずかに目を細めた。

 

「……申し上げるまでもありませんが、今回は“特火戦力”の出動が必要となります。現状のままでは質量干渉を打破できない。両機ともギガンティック形態への換装をお願いします」

 

 返ってきたのは、ごく静かな応答だった。

 

『既に換装指示は出してある。ヘイズル改は昨日中にギガンティック・アーム・ユニットの試験を終えている。アドバンスドの方も、予備を装着している』

 

 アインの眉が一瞬、動いた。だが口元にはうっすらと笑みが滲んだ。

 

「さすがです、艦長……」

 

『まだあるぞ』

 

 ブライトはわずかに背筋を正し、モニタの向こうから語った。

 

『アンクシャ2機──ブラン少佐機とキース少尉機については、既にスラスターを熱核ジェットからロケットモードに換装済みだ。自力で月軌道まで移動可能な推進力を持たせてある』

 

「……つまり、最初から“この時”を想定されていた」

 

 アインの声が静かに落ちた。

 

『いいや。私は君の“読み”に懸けていた』

 

 それは、戦場を渡ってきた艦長から、未来を担う者への信頼の言葉だった。

 

 しばしの沈黙の後、アインは一歩前に出て応じた。

 

「ならば、その信頼に応えるのが僕の責務です。合流後は、即時戦力展開に移行します」

 

『了解した。敵の狙いが“破壊”ならば、我々は“構築”で応じるしかない。月で会おう、ムラサメ大佐』

 

「はい。必ず」

 

 通信が切れた。

 

 アインはモニタが消えた後も数秒、その場に立ち尽くしていた。

 

 そして呟く。

 

「……ブライト・ノア。やはりあなたは、この時代に不可欠な“常識”の守り人だ」

 

 

 

 

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