ムラサメさん家のイチバン=サン   作:星乃 望夢

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第57話 彼は“人を導く言葉”を持っている

 

宇宙世紀0087年8月、月軌道宙域某所・降下予定コロニー内

 

 黄土色のコロニー内部には、しんとした緊張が漂っていた。

 

 無人のように見える通路や展望広場に、確かな気配が漂っている。

 

 ──地雷、狙撃、迎撃、あらゆる手段が講じられていると察せられた。

 

 降下口から現れた小型艇から、三人の男が姿を現す。 

 

 いずれもMSを伴わぬ、生身の突入──すなわち歩兵戦闘である。

 

 その後方には陸戦部隊と特殊工作班が展開を開始していた。

 

 先頭の青年が歩みを進め、装備したヘッドセットを開く。

 

 その声はコロニー全体に向けて、暗く、厳かに響き渡った。

 

 

「こちら、地球連邦軍・ティターンズ監察軍政官庁長官、アイン・ムラサメ大佐である」

 

 一瞬、その場に張り詰めていた緊張の空気が、ひび割れた。

 

「貴官らは己の上官の命に従い、この宙域コロニーを守備している。その行動が、命令に基づくものであり、軍人としての誠実であることは、私は否定しない」

 

 ──静寂。

 

 だがその中に、わずかに動く視線、交錯する息遣い。

 

 数多の銃口の向こうで、誰かが「聞いている」。

 

「だが今、この作戦は、人類そのものへの背信である。戦争を終わらせるどころか、地球に、コロニーに、新たな破滅をもたらす暴挙だ」

 

 アインの目が、通路の奥の影を真っ直ぐ見据える。

 

 そこには、バスク派の機動隊員が構えていた。

 

「私の名において、然るべき手続きと待遇、再任用の道を約束する。──今、この場で武装を解除し、投降せよ。これは命令ではなく、選択の勧告だ」

 

 その言葉は、単なる理屈ではなかった。

 

 声に、目に、呼吸に、その「覚悟」が滲んでいた。

 

 ──最初に銃を下ろしたのは、年配の軍曹だった。

 

「……俺はもう、家族を失いたくねえ……」

 

 手にしていたライフルをそっと地面に置き、両手を掲げる。

 

 それに釣られるように、続々と兵士たちが銃を下ろしていった。

 

 一部の部隊は整列して降伏、通信回線を通じて後続の分隊へも投降を呼びかけ始める。

 

 ──その時。

 

「裏切り者がァッ!」

 

 バスク派の下士官が突如、降伏中の兵を背後から殴打、奪った銃を振り回して撃ちかけた。

 

「止めろ!撃つな!!」

「ぐあっ──!」

 

 混乱に乗じて、数名のバスク忠誠派が発砲、再び銃撃が走る。

 

 ──だが、もはや空気は変わっていた。

 

「やめろッ!お前らこそが裏切りだ!!」

「もうバスクは来ねえ、俺たちは連邦の軍人だ!!」

「やめろって言ってんだろうがァアアアア!」

 

 先に投降していた部隊が、その銃を奪い、元・味方だった強硬派を次々に制圧していく。

 

 発砲される前に後ろから羽交い締めにし、蹴り飛ばし、銃口を叩き落とす。

 

 一人、また一人と、銃を落とした兵が、泣きながら膝を突いた。

 

 背後でそれを見ていた、金髪の男がゆっくりと口を開く。

 

「……見事なものだな。アイン・ムラサメ。“軍”を知り尽くしていなければ、ああは振る舞えん」

 

 ──クワトロ・バジーナ。

 

 その声には、一軍人として、指揮官として、そして“シャア・アズナブル”としての重みがあった。

 

「彼に従う者が現れるのも、無理はない。私が同じ立場でも……ああ言われたら、信じてしまうだろうな」

 

 その隣で、紫紺の髪を揺らした男が、薄く笑みを浮かべた。

 

「やはり、私は“創る者”で、君は“導く者”だな」

 

 ──パプテマス・シロッコ。

 

 その目は、かつて人を見下していた男とは思えぬほど、柔らかだった。

 

 いや、今はそれを“支える者”として、自分の役目に悦びを感じているかのようだった。

 

「……友の活躍は、何度見ても胸が躍る。さあ、我々も動くぞ。まだコロニーの中枢には、決着を恐れる“亡霊”どもが残っている」

 

 コロニーの天井には、太陽光が揺らぎ始めていた。

 

 その下で、“裏切られた秩序”を、若き一人の軍人が、確かな手で取り戻していく──。

 

 沈黙の後──戦いは、終わったわけではない。

 

 だが、風向きは確実に変わっていた。

 

 瓦礫の中、両手を挙げて膝をついていた年配の軍曹に、アイン・ムラサメはゆっくりと歩み寄る。

 

 敵として銃口を向けていた男。

 

 しかし今、その顔には、疲労と苦悩、そして安堵の色があった。

 

「君が、最初に投降の意思を示してくれたな」

 

 そう言って、アインは軍曹の前に膝をつき、真正面から目を見据える。

 

「……名を教えてくれ。私はアイン・ムラサメ。ティターンズ監察軍政官庁長官だ」

 

 軍曹は驚きに目を見開き、それから、ゆっくりと敬礼の姿勢を取る。

 

「──ハルド・ゲネン軍曹です、大佐殿……いや、長官殿。

 この老兵に、まだ軍人としての誇りを語らせてくださったこと、感謝します」

 

 アインは短く頷くと、立ち上がり、腰のホルスターから簡易的な階級章を取り出す。

 

 そして、ゲネンの胸元にそれをはめた。

 

「ハルド・ゲネン──君を、特務大尉として任命する。

 以後、この作戦区域における“投降者部隊”の再編と統括を、君に一任したい。

 君の言葉には、私と同等の権限が与えられる。今ここに、それを布告する」

 

 ──周囲がざわめいた。

 

 投降した兵たちが顔を見合わせ、かつての上官であるゲネンへと視線を集める。

 

 だがアインの目に、一片の迷いもなかった。

 

 「軍人として誇りを守った者」による再建こそ、真の統治であると彼は信じている。

 

「今は混乱しているだろう。しかし、秩序を築くためには、君のような男が必要なんだ」

 

「……了解しました、大佐」

 

 年老いた軍曹は、まるで若き日に戻ったような力強い眼差しで、再び敬礼を捧げた。

 

 そのやり取りを後方で見届けていた男──パプテマス・シロッコは、静かに通信端末にアクセスを始めていた。

 

「こちら、技術部隊シグナス。コロニー内のインフラマップを再送してくれ。ああ、排熱溝の閉鎖処理とガスダクトの圧力調整が必要だ。崩落防止の溶接班も同時展開。……急げ」

 

 彼は感情を挟まず、滑らかな指示を淡々と下す。

 

 だがその横顔は、どこか誇らしげだった。

 

 アインが築いた秩序を、技術者として支えるという矜持が、シロッコの中に根を張っている。

 

 隣を歩いていた部下が彼に訊ねる。

 

「シロッコ大佐、我々はどこまで介入するので?」

 

「“創造”の限りを尽くす。アイン・ムラサメの秩序を“構造”として形にするのが、私の役目だ」

 

 そう言って、シロッコはヘルメットを深くかぶり直した。

 

 そして、その二人を後方から見ていたのは──クワトロ・バジーナだった。

 

 目を細め、言葉もなく佇むその姿は、彼の中にある“過去”と“理想”の間で静かに揺れていた。

 

 ──シャア・アズナブル。

 

 ジオン・ダイクンの遺志を継ぐ者として、理想を掲げ、人の導きを信じた男。

 

 その彼の前に、今──若きアイン・ムラサメが、実際に人を動かし、秩序を編み直し、“希望”を形にしようとしている。

 

「……これが、お前の導き方か、アイン」

 

 その瞳には、微かな驚きと、認めざるを得ない敬意が滲んでいた。

 

 “名を捨てた男”が見出した、未来を託すべき後続。

 

 シャア・アズナブルが一度諦めかけた“変革”の形が、今、目の前で確かに築かれていく。

 

「やれやれ……こちらは“脱ぐタイミング”を失いそうだな」

 

 わずかに皮肉交じりに笑ったクワトロは、陸戦部隊の指揮班に向かって歩き出す。

 

 そこにはまだ、幾つもの交戦ポイントが残っている──。

 

 だが彼の足取りは、どこか晴れやかだった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 崩れた通路の向こう、仮設の照明がかろうじて灯る広場に、投降を選んだ者たちが集められていた。

 

 彼らの制服は泥と煤に汚れ、表情も疲弊していた。

 

 だがそれ以上に、心の中で揺れているのは──“自分たちが何者なのか”という問いだった。

 

 ティターンズに忠誠を誓い、命令に従い、戦ってきた。

 

 だがその命令が、人類全体への背信行為と知った今、なお自分たちは軍人と名乗っていいのか?

 

 その場に立つゲネン大尉は、そんな彼らの迷いを、誰よりもよく知っていた。

 

 だからこそ、ゆっくりと歩き出し、声を張った。

 

「──貴様ら、まだ軍人でいたいと思っているか?」

 

 ざわめきが走る。

 

 突然の言葉に驚いたのか、それとも、その問いに即答できなかったのか──。

 

「俺は、ずっと“軍曹”だった。上には逆らえねぇ、部下は守らなきゃならねぇ。そんな俺が今日、“特務大尉”を拝命した。ティターンズ監察軍政官庁の、アイン・ムラサメ長官直々にな」

 

 背筋を正し、ゲネンは続ける。

 

「だがな、それは“ご褒美”じゃねぇ。これは“責任”だ。俺たちがやらかした、いや──俺たちが知らぬ間に担がされたこの“咎”を、軍人として片づけるための任務なんだよ」

 

 誰かが、唾を飲み込む音がした。

 

「今ここで、投げ出すことは簡単だ。戦いを放棄して、軍人を辞めて民間人になるのも一つの生き方だろう。だが俺は──アイン大佐の言葉を聞いて、ようやく軍人に戻れた気がしてる」

 

 ゲネンは、泥にまみれた手袋を外し、正面を睨む。

 

「お前らに問う。まだ命令を信じたい奴はいるか? このコロニーを落とせと命じた奴の正義を、まだ信じるか?」

 

 ……誰も、答えなかった。

 

「ならば、もう一度“秩序”を作る側に回ろう。俺たちは敗残兵じゃねぇ。今からだって軍人に戻れる。“正義”ってもんを、俺たちの手で立て直すんだ」

 

 ゲネンの声が震える。怒りではない。

 

 後悔でもなく、今ようやく見えた進む道への、感情の昂ぶりだった。

 

 すると、一人の若い兵士が立ち上がった。

 

「……俺、ゲネン軍曹には何度も助けられた。あんたがやるなら、俺も行く」

 

「俺も、っす……クソみてぇな命令で仲間死なせた分、今度は守る側に回りたい!」

 

 次々と、兵士たちが立ち上がる。

 

 その場で再編成された部隊は、即席ではあれど、規律と命令系統を取り戻していった。

 

 ゲネンはその様子を見届けながら、小声で呟いた。

 

「……アイン大佐、お前さんの見込み、間違っちゃいなかったぜ」

 

 その場に、アインの姿はなかった。

 

 だが再び戦列に立った彼らの背後には、“信任された責任”が確かにあった。

 

 ──戦うためではなく、終わらせるために。

 

 コロニー落下を止めるという、人類全体のための作戦。

 

 それはもはや、ティターンズかエゥーゴかではなく──“人類の意志”を名乗る者たちの共同戦線として形を成していく。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 アインは遮蔽壁の崩れた通路を一歩進んだ。

 

 宇宙空間の無重力でも、そこにはまるで重力を発する様な重さにも似た静謐さがあった。

 

「──再度、伝える。私はティターンズ監察軍政官庁、長官アイン・ムラサメである」

 

 声に迷いはない。

 

 マイクを通さず、直に響いたその声は、通路奥に待ち構える兵たちの耳へも、正確に届いた。

 

「この作戦は人類に対する背信行為であり、バスク・オム大佐による暴走である。貴官らが軍人であるのならば──今、武器を置き、秩序へと帰還することを私は歓迎する。三分だけ猶予を与える。それを超えたのなら、貴官らは“敵”として対処する。以上だ」

 

 沈黙。

 

 風もない。だが、空気がわずかに揺れていた。

 

 コロニーの中心部へ向けて、赤い制服に身を包んだ男が歩み寄る。

 

 クワトロ・バジーナ大尉はその背に、降下展開中の陸戦隊を控えていた。

 

「……派手に出たな。強気なものだ」

 

 隣で、紫紺の髪を束ねたパプテマス・シロッコが肩を揺らした。

 

「強気というより、静かな焦燥。だが──私には見えるよ。あの男の中で“何か”が進んでいる」

 

 シロッコはゆるく笑みを浮かべる。

 

「まったく、私のような者を“友人”などと呼ぶとは。面白い男だ」

 

「……面白がっているのか?」

 

 クワトロは警戒を隠さぬ目で問う。

 

「君は気づいていないのか? この三分の間に、いくつの心が動くかを」

 

 シロッコはコロニーの天井を見上げる。

 

「これは実験だよ。アイン・ムラサメという“思想”が、どこまで軍人たちの心を解きほぐすのかというね」

 

 その言葉を証明するかのように──ひとり、またひとりと武器を置いた兵士たちが、通路の奥から歩み出てきた。

 

「……ティターンズ監察軍政官庁、長官閣下!」

 

 年配の軍曹が敬礼しながら、アインの前へ出た。

 

「我々は……命令に従ったに過ぎません。ですが──今は貴官の命令に従う覚悟です」

 

 アインは小さく頷いた。

 

「ゲネン大尉の部隊と合流し、指示を受けよ。あなたが率いる者たちは、責任ある任務に復帰する」

 

 軍曹はうなずき、背後の兵たちに視線を送る。

 

 通路からは次々と兵士たちが現れ、武器を置き、手を挙げて名乗り出る。

 

 その数は、すでにクワトロの陸戦隊を上回っていた。

 

「──ゲネン大尉、再編成完了しました」

 

 報告が入る。既に部隊編成が完了し、制式番号すら割り振られていた。

 

 アインは静かに頷き、振り返ることなく命じた。

 

「我々は中枢部へ進む。行軍を開始せよ」

 

 再編された“投降部隊”を率いて歩むアインの姿は、まるでかつての英雄のように整然としていた。

 

 その背を追うように、クワトロはやや険しい顔つきで隣のシロッコに訊ねる。

 

「シロッコ。君は何が“面白い”と言ったんだ?」

 

 紫紺の瞳が横目で彼を見た。

 

「戦争は、思想を試す試練でもある。だが通常は、思想など役に立たない。ところが……あの男の言葉には、戦略と理性と、たぶん希望すら混じっている」

 

 シロッコは肩をすくめた。

 

「たった三分で百人を超える兵士の心を解かせる。こんな指揮官を見たことがあるか?」

 

「……いや」

 

 クワトロはわずかに黙し、「あいつは本物かもしれん」とぽつりと呟いた。

 

 アインの背は遠く、しかし揺らぎなく真っ直ぐだった。

 

 それを見ながら、二人の男は共に歩き出す。

 

 ──次なる戦場、中枢部へと。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 空調ファンの回る低い音だけが、静まり返った廊下に鳴り響いていた。

 

 銃声も悲鳴もない。

 

 そこに広がるのは、ただ、緊張と沈黙。

 

 アイン・ムラサメ大佐は、一歩前に出る。

 

 その眼前には、分厚い強化チタン合金製のセキュリティゲート。

 

 バスク派中枢司令部が立て篭もる最後の扉。

 

 既に周囲は包囲済み。

  

 クワトロ率いる陸戦隊、ゲネン大尉指揮下の元投降兵ら、再編歩兵部隊が静かに呼吸を整えている。

 

 背後では、シロッコの工作班が強制開錠の準備を進めていた。

 

 だが──アインは、右手を挙げて制止した。

 

「……まだ、“声”が届くうちは、撃たせるな」

 

 その声は、しんとした空気に吸い込まれるように、滑らかに響いた。

 

 そして彼は、扉の前に立ち、胸から軍制式のIDを提示するように掲げた。

 

「こちらは、地球連邦軍・ティターンズ監察軍政官庁長官──アイン・ムラサメ大佐である」

 

 その声は、隠しマイクを通じて中枢内部に確実に届いた。

 

 数秒の静寂。

 

 通信機から、短く、だが苛立ったような無音の“呼吸”が漏れる。

 

 だが、応答はない。

 

 アインは一拍置き、静かに続けた。

 

「貴官らがバスク・オム大佐の命令系統に忠実であること、それ自体は咎めるものではない。──軍人として当然の姿である

 だが今、貴官らが行っているのは“軍の任務”ではない。これは、“人類への背信”だ

 このコロニーを月に落とすという暴挙は、すべての理性と秩序に対する裏切りである

 ──開けたまえ

 貴官らが軍人であるならば、無辜の市民を守る意志を持っているならば、投降しなさい

 然るべき処遇は、ティターンズ監察軍政官庁の名において、私が責任をもって保証する」

 

 アインは一度言葉を区切った。

 

「……だが」

 

 ここで声が低くなる。

 

 しかし震えは一切ない。

 

「それができないというのなら、こちらも軍政権限に基づき、貴官らを“敵対勢力”として排除する」

 

 そう言い切り、だがそこでは終わらず一呼吸置いた。 

 

「──無駄死にはするな」

 

 最後の一言だけが、まるで祈るように、重く、そして温かかった。

 

 静寂。

 

 その沈黙は30秒以上も続いた。

 

 やがて──。

 

 ガチャン。

 

 重いロックが一つずつ外れていく音。

 

 空気の流れる微かな気配が広がる。

 

 扉の向こうから現れたのは、戦闘服を着た士官数名と、武装解除した兵たち。

 

 その先頭に立っていたのは、顔に浅い傷跡を残した壮年の中佐だった。

 

 彼はゆっくりとアインに歩み寄り、敬礼した。

 

「……軍政長官殿。貴官の言葉、確かに胸に届きました。我々は武を捨て、命令を放棄し、軍人として貴官の下に帰属します」

 

 アインは頷くと、すぐさま部隊再編をゲネン大尉に一任し、クワトロに合図を送った。

 

 クワトロは息を吐き、呆れたように言った。

 

「……信じられん。生身で乗り込んで、敵の司令部を丸ごと降伏させるとはな」

 

 シロッコが隣で、やや得意げに微笑した。

 

「フフ……あれが、“言葉で秩序を築く”ということだ、大尉。私も、ああはなれない」

 

「言うな。……だが確かに、見事だ。あの若さで、あの胆力だ」

 

「彼は“人を導く言葉”を持っている。そしてそれは、力よりも遥かに尊い」

 

 クワトロは黙ったまま、扉の奥に歩いてゆくアインの背中を見つめる。

 

 そこには、勝者の驕りも、征服者の気配もなかった。

 

 ただ、淡々と任務を完遂する者の背。

 

「……地球圏は、少しだけ未来に近づいたかもな」

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

【中枢制御室:グローバル通信回線】

 

──U.C.0087年8月24日、23時51分

 

 アイン・ムラサメ大佐は制御端末の通信チャンネルを開き、衛星ネットワーク経由で戦域全体に向けた全域通信を発信した。

 

 背後にはクワトロ、シロッコ、そして再編成された部隊が静かに立ち並んでいる。

 

 その声は、戦場を駆け巡った。

 

「地球連邦軍全戦闘員に告ぐ。

 私は、ティターンズ監察軍政官庁長官、アイン・ムラサメ大佐である。

 今をもって、月宙域におけるコロニー落下阻止作戦は完了した。

 コロニーの軌道は修正され、月への衝突は完全に回避された。

 これにより、本宙域での全戦闘行動を即時停止せよ。

 再度告ぐ──戦闘を停止し、投降する者は、軍政長官の名のもと、然るべき措置を受けることを約束する。

 だが、それを認めぬ者もあろう。

 ならば、己の信ずる旗の下に去るがいい。

 ──ただし、もはや、間違った秩序のために血を流す時代は終わった。

 エゥーゴの諸兵にも告ぐ。

 願わくば、これ以上の流血を止めよ。

 私は市民を守る連邦軍の軍人だ。

 この放送が、その証明となることを願う」

 

 通信が切れた直後。

 

 アレキサンドリアを始め、次々と白旗信号とI.F.F.の投降コードが送られてきた。

 

 エゥーゴのアーガマ艦橋でも、ヘンケン艦長が頭を掻きながら笑った。

 

「大したもんだよ、あの若造……いや、あの大佐は」

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 通信が切れると同時に、艦橋の空気が変わった。

 

「……ふざけるな!」

 

 ジャマイカン・ダニンガン少佐が、憤怒に満ちた声を張り上げる。

 

「ムラサメめ、若僧のくせに上から目線で──何が監察軍政官庁長官だ! 勝手に全軍を束ねたつもりか!? 本部の承認は得ていないはずだッ!」

 

 艦内には不穏な沈黙が広がっていた。

 

 モニターに映るのは、主砲を封じられ突破され、後方を取られ、さらにはアーガマとラーディッシュに挟撃されてなお戦意を失っていない敵ではなく、自軍のMSが続々と投降信号を送る姿だった。

 

 部下たちは誰も声を上げない。

 

 士官たちの視線が、ひとりの男に集まる。

 

 艦長席──ガディ・キンゼー少佐。

 

 短く目を伏せていたガディ艦長は、静かに立ち上がると、重く沈んだ声で言った。

 

「……少佐。申し訳ありませんが、この命令は、受けかねます」

 

「……なに?」

 

「もはや我が艦隊は包囲され、上官である大佐の命令によって全域に戦闘停止が発布された。これ以上の武力行使は、連邦軍内部に対する反逆行為と看做されます」

 

 ジャマイカンは目を見開いた。

 

「貴様、何を言って──!」

 

「ジャマイカン少佐」

 

 ガディ艦長は、軍人としての最後の礼節をもって帽子を取った。

 

「艦長権限において、貴官を艦内指揮権剥奪および軍紀違反の容疑で拘束する。副官、該当通達を発行し、警備兵に引き渡せ」

 

「なっ──やめろッ、貴様ら……私はティターンズの──!」

 

 ジャマイカンの肩に軍警の手がかかる。彼の叫びが遠ざかるように、扉が閉じた。

 

 艦橋に、しばしの沈黙が落ちる。

 

 それを破ったのは、ガディ艦長の指令だった。

 

「全艦に通達。これより戦闘を停止し、監察軍政官庁の指揮下に入る。主砲封鎖、エンジン全停止、通信を開け──」

 

 視線の先、宙域にはなおも戦闘中の僚艦が映っていた。

 

 しかしその輪郭は、アイン・ムラサメの放送とともに、次第に変化しつつあった。

 

 それは、秩序の回復を告げる兆候だった。

 

 

 

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