ムラサメさん家のイチバン=サン   作:星乃 望夢

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第58話 ふざけるなよ。簡単に、赦すと思うなよ

 

 中枢制御室の軌道修正操作を終え、未だ警戒態勢の続く防衛モニターを見ながら、アイン・ムラサメ大佐は静かにヘルメットを外した。

 

 背後には、完全に再編された元バスク派歩兵部隊──今や彼の名の下に再任用された陸戦隊の面々が、規律正しく整列している。

 

 一人ひとりに、もはや敵意はない。

 

 あるのは、疲労と希望。

 

 アインは腰の通信端末に指を添え、リンクを開いた。

 

「──アルビオン、こちらティターンズ監察軍政官庁、ムラサメ大佐。聞こえるか?」

 

 その声に、即座に応答が返ってくる。

 

『こちらアルビオン、ブライトだ。無事か、アイン』

 

 アインは一拍、安堵を込めて小さく微笑した。

 

「はい。こちらは無血開城に成功し、コロニーの軌道修正も完了。制御中枢も確保済みです。ただ……」

 

 通信の向こうで、ブライトの眉がわずかに動いた。

 

『ただ、どうした?』

 

「突入部隊に投降者が多数発生しました。現在、ティターンズ監察軍政官庁陸戦隊として再編成中ですが……人数が多すぎて、我々が乗ってきた突入艇では全員を収容できません」

 

『……!』

 

 少し沈黙が流れる。だがすぐに、ブライトは目を細め、静かに頷いた。

 

『了解した。アルビオンを反転接近させる。格納庫と第2ブロックを開放し、収容準備に入る。後方のアンクシャ隊とジムⅢ隊には警戒を継続させるが、収容支援のため一部隊を派遣しよう』

 

 アインはわずかに目を伏せる。

 

「ありがとうございます、大佐……ご迷惑をおかけします」

 

 その一言に、ブライトは苦笑すら浮かべた。

 

『君が出したのは「迷惑」ではない。戦争の終わりのための“結果”だ。大いに誇れ、アイン・ムラサメ』

 

 アインは目を見開き、それからゆっくりと頷いた。

 

「──はい、了解しました。ティターンズ監察軍政官庁、陸戦隊再編部隊、これより帰還準備に入ります」

 

 背後のゲネン大尉が無言で敬礼する。

 

 再編された歩兵たちも、それに倣った。

 

 アルビオンに戻る彼らの道筋は、もはや“敵”のものではなかった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 気圧調整が終わり、艦内へのエアロックが開く。

 

 静かな空気が、外から戻ってきたアインの顔を優しく撫でた。

 

 コロニー落とし阻止作戦が成功した今、アルビオン艦内は一時的な安堵と、整理されつつある報告と対応で静かなざわめきに包まれていた。

 

 アインは言葉もなく、ゆっくりと廊下を進んでいた。

 

 軍靴の音が薄く響く。

 

 歩兵たちの整列、シロッコの分析、クワトロの部隊再編……あらゆる任務を完遂したはずなのに、肩の奥に残る冷たい緊張だけが、まだ抜けきらなかった。

 

 自分とドゥーで使っていた私室の前に立ち、扉を開く。

 

「──おかえり」

 

 柔らかく、少し眠たげな声。

 

 先に部屋へ戻っていたドゥーが、着替えもせずにベッドの縁に腰掛けていた。

 

 アインを見上げるその瞳は、なにも責めず、なにも急かさず、ただ彼の無事を歓迎していた。

 

 アインはその姿を見るなり、何も言わず、ふらりとドゥーに歩み寄った。

 

 次の瞬間──その細い身体を、強く、そっと抱き締めた。

 

 ドゥーは驚いたように瞬きをし、少し頬を赤らめながらも、腕をゆっくりとアインの背へ回す。

 

「……アイン?」

 

 その問いかけに、しばらく沈黙が続いた。

 

 やがて、アインの口から低く小さな声が漏れる。

 

「……本当は、すごく怖かった」

 

「え……」

 

「撃たれるんじゃないかって……殺されるんじゃないかって、ずっと思ってた」

 

 その声には、任務中の冷徹さも、演説時の威厳もなかった。

 

 ただ、19歳の青年が心の底にしまい込んでいた感情を、ほんの少しだけ外に出すように、震えながら絞り出していた。

 

「でも……ドゥーを見たら……なんだかホッとして……」

 

 その声に、ドゥーの指先がきゅっと強くなった。

 

 小さく、でも確かに微笑みながら、ドゥーはそっとアインの背中を撫でるようにして、今度は自分から抱き締め返した。

 

「アインはすごいよ。でも、ボクの前では、ずっとそのままでいいんだよ?」

 

 その言葉に、アインは黙って頷いた。

 

 コロニーを救い、戦争を止め、それでもなお残る恐怖と不安。

 

 それは誰にも見せられない傷だった。

 

 けれど──この部屋にだけは、たったひとつの安らぎがある。

 

 ふたりの静かな呼吸が、時間と共に重なり合い、部屋にはようやく戦いの終わりが訪れた。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 アイン・ムラサメ大佐による全域通信が終わった直後──。

 

 

 ダカールの連邦議会議長応接室には、国防・内務・情報・外務・政務の高官たちが静かに集い、誰もが深い沈黙に沈んでいた。

 

 通信の余韻はなお空気を震わせ、誰一人、軽々しい言葉を口にしなかった。

 

「……完遂、か」

 

 国防大臣が口火を切る。

 

 老将の声には驚愕と、かすかな畏敬が滲んでいた。

 

「この歳になって、自分の軍人としての価値観を根底から揺さぶられるとはな……。19歳の大佐が、言葉で戦争を止めた」

 

「“私は市民を守る連邦軍の軍人だ”……あの一言は、記録に残るだろう」

 

 情報局長が続ける。

 

「戦術として完璧だ。だがそれ以上に、あれは“信念の演説”だった。兵士にも、敵にも、市民にも通じる言葉だった」

 

「……怖いのは、彼が“まだ何も語っていない”ことだ」

 

 内務大臣が鋭く言った。

 

「ジャミトフからの信任、ティターンズの実質的指揮、連邦内外の支持……すべて手にしておきながら、本人の“政治的な理念”は、あくまで断片的にしか提示していない」

 

「だが、ジャミトフには語っている」

 

 外務大臣が低く続ける。

 

「本人以外には伏せたまま、ジャミトフには語り、彼を退かせるに至った。……それが何か、我々には分からない」

 

「──だが、それでも人は従う。自ら投降した兵すら、“アインの軍政”に参加していく始末だ」

 

「これは“支配”ではなく、“信任”だ。おそらく、本人が一番それを望んでいないにも関わらず、だ」

 

 その言葉に重く頷きながら、ゴップ議長が口を開いた。

 

「……彼は軍人だ。本人もそう言っている。そして私は、それが偽りでないと信じている」

 

 一同が静かに注視する中、議長は続ける。

 

「だが、だからといって我々が“無策”で良いわけではない」

 

「──つまり?」

 

「議席枠を用意しておくのだ」

 

 空気が一瞬動いた。

 

「彼がそれを望むとは限らん。むしろ受け取らない可能性が高い。だが、だからこそ、我々から“道”は示しておくべきだ。選択肢の提示は、信任の形でもある」

 

 政務官の一人が頷いた。

 

「既に彼は、幾つもの議案を提出し、軍政と民政の橋渡しを担っている。それを評価しない手はない。“議席”が必要だと本人が思ったとき、すぐに受け取れるようにすべきだ」

 

「ただし、強要してはならない。あくまで任意だ。軍政に専念するならそれで良い。“枠”だけは確保しておく」

 

 ゴップはゆっくりと頷いた。

 

「そうだ。アイン・ムラサメの本当の意志が明らかになるのは、まだ先だ。──だがその時、我々は、“最初に信じた者”でなければならん」

 

 沈黙が一度だけ、重く会議を覆い、そのあとで誰もが無言で同意を示した。

 

 その日──連邦上層部はひとつの決断を下した。

 

 アイン・ムラサメ大佐に対し、臨時議席をひとつ、即応で付与可能な特別措置として設けておくこと。

 

 それは強制でも、懐柔でもなく、“信任”の証として提示されるものであった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 南半球の陽光を遮断するよう、会議室の厚い遮光カーテンが閉ざされると同時に、重たい沈黙が満ちる。

 

 円卓を囲むのは、ゴップ議長を筆頭とした地球連邦政府上層部──国防省、外務省、内務省、情報局、戦略局、議会事務総局。

 

 それぞれが国家の根幹を担う実力者たちだった。

 

 そしてその一角に、軍服の襟を正したまま直立する若者の姿がある。

 

 アイン・ムラサメ大佐。

 

 ──ティターンズ監察軍政官庁長官にして、コロニー落下阻止作戦を成功させた張本人。

 

 その手に持たれていたのは、濃紺の封筒だった。

 

 議長席に届けられたそれには、こう記されている。

 

> 極秘軍政報告書

「月面グラナダ宛コロニー落下阻止作戦に関する報告」

提出者:ティターンズ監察軍政官庁長官 アイン・ムラサメ大佐

 

 

 

 封筒の中には、ジャマイカン・ダニンガン少佐の供述調書と、押収されたバスク・オム大佐の直筆命令書が収められていた。

 

 ──グラナダ宛のコロニー落下計画、それがティターンズ正規派によって進められていたことの“動かぬ証拠”だった。

 

「……以上が、本作戦に関する我が軍政官庁の総括となります」

 

 そう述べて一礼するアイン。議場にわずかにざわめきが走った。

 

「……ふむ」

 

 封筒の中身に目を通した後、ゴップ議長が静かに言葉を紡ぐ。

 

「君は──今後も、この国家の秩序を守るために戦うつもりかね、大佐」

 

 アインは短く頷いた。

 

「はい。いかなる形であれ、市民を守る軍人であり続ける覚悟に変わりはございません」

 

「……ならば、尋ねよう」

 

 ゴップの目が、会議室全体を一望する。各閣僚が息を飲んだ。

 

「アイン・ムラサメ大佐。君に、軍籍を保ったまま議席を与えることを、我々は検討している。──受ける意思はあるか?」

 

 一瞬、場が静まり返る。

 

 その静寂を破ったのは、即答だった。

 

「──お受けいたします」

 

 場内がざわついた。

 

 国防大臣が思わず身を乗り出し、内務長官は驚愕の表情を隠さない。

 

 情報局長に至っては眼鏡を外して無言で拭っていた。

 

 しかし、アインの表情は微動だにしない。

 

 やがて、自らの言葉で静かに続けた。

 

「議席を持つことは、軍が政に干渉することではなく──市民の未来に対して、責任を共に担うという意思表示にございます」

 

「……責任を共に?」

 

「はい。これまで軍政とは、常に“管理”の文脈で語られてまいりました。ですが今後は、市民の声を汲み上げる“対話の構造”が必要と考えます」

 

 アインは一歩、前へ進んだ。

 

「議席を得ることで、私は政策の是非に軍政の立場から意見を述べることができるようになります。──これは、治安維持や徴兵制度、さらには防災計画、食糧配給、宇宙港の安全対策にまで関わる、極めて現実的な問題です」

 

 その目に、嘘はない。誰もがそれを感じていた。

 

「民と軍、双方向の統制によって秩序を築く社会こそ──今の地球連邦には必要かと、愚考いたします」

 

 沈黙。だが、それは拒絶のものではなかった。

 

 やがて、ゴップ議長が静かに椅子から立ち上がり、深く息を吐いた。

 

「……あの時、君が記者会見で言ったな。“私は市民を守る、連邦軍の軍人です”と」

 

 ゴップの声に、どこか安堵が混じる。

 

「ならば、その言葉に我々が応える番だ。アイン・ムラサメ大佐──いや、新たなる時代の軍政代表よ。連邦政府は君に、軍政参議枠を正式に設ける」

 

 再びどよめきが起きるが、誰一人反対はしない。

 

「……その議席が、ティターンズの復権や専横に使われぬことを、我々は願っている」

 

「お約束いたします」

 

 アインは深く頭を下げた。

 

「私はただ、民に寄り添い、秩序の礎となる軍を創りたい。──それだけです」

 

 その言葉に、誰も異を唱える者はいなかった。

 

 こうして、“アイン・ムラサメ大佐”は軍政官であると同時に、地球連邦議会の軍政参議としての立場を得ることになる。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 壁掛け時計が、深夜の零時を回ったところだった。

 

 議員宿泊施設の一室──地味な調度に囲まれたこの部屋には、今、二人しかいない。

 

 一人は、ティターンズ監察軍政官庁長官、アイン・ムラサメ大佐。

 

 そしてもう一人は、ティターンズ創設者にして現在の総帥、ジャミトフ・ハイマン中将。

 

 部屋の照明は控えめで、天井灯ではなく、サイドランプが柔らかい陰影を落としていた。

 

 二人の間には、濃いコーヒーとグラスに注がれたミネラルウォーターだけが置かれている。

 

 口を開いたのは、アインだった。

 

「……本日、私は議会の承認を得て、連邦政府における“軍政参議議席”を拝命しました」

 

 その声は穏やかで、しかし内心の熱を殺さない意志が込められていた。

 

 対するジャミトフは、ゆるやかに頷いた。

 

「そうか。……君の意志を、連邦政府が理解したのだな」

 

「ええ。ただの軍人としてではなく、市民の秩序を守る者としての一歩を踏み出したつもりです。──軍政が市民社会に関与し、政策の是非に直接手を差し伸べる。今この時代には、“軍民が相互に統制を保つ秩序”が必要です。それを、議席という立場から支えられるなら……僕は進むべきだと考えました」

 

 ジャミトフは、その言葉に小さく目を閉じた。

 

 静かに、グラスの水に手を伸ばし、口元を濡らす。

 

 そして、視線をアインに向けた。

 

「……その覚悟があるならば、なおさら私は、君に託さねばならない」

 

「……?」

 

 アインの目がわずかに動いた。

 

 ジャミトフは、軽く息を吐き、椅子の背にもたれた。

 

「私は、軍を退く。次の議会にて、正式に辞任を表明する」

 

「な……」

 

 アインの瞳に驚きが走る。

 

「まだ、戦いは終わっていません。キリマンジャロのバスクやエゥーゴとの交渉も……」

 

「だからこそだ」

 

 ジャミトフは断言した。

 

「もう、私のような老人の“思想”では世界は動かせぬ。人は理想に酔い、戦争に殉じる。……だが、君は“生きる”選択をした。市民と共に、秩序を築くという選択を」

 

 その言葉に、アインは反論できなかった。

 

「責任逃れだと、誹られるだろう。准将から中将に上がって、即日辞任など、馬鹿げていると笑われるかもしれん。  だが構わん。私は既に、自分の理想を君に託した。そして君は、それに応えた。もはや私の出番はない。私の最後の軍務として──」

 

 ジャミトフはまっすぐにアインを見つめる。

 

「アイン・ムラサメ大佐。君を、ティターンズ正統派の“総帥”として任命する」

 

 空気が止まった。

 

 夜の室内に、時計の針の音だけが響いていた。

 

 やがて、アインは椅子から立ち上がる。

 

 そして深く、まっすぐに礼を取った。

 

「お受けいたします。……僕はまだ未熟です。しかし、託された責任を放り出すつもりはありません。秩序の担い手として、必ず……未来を築いてみせます」

 

 ジャミトフは静かに、笑った。

 

 それは初めて、師ではなく父のような顔だった。

 

「……ならば、私は安心して去れる。私の“ティターンズ”は、ここに終わる。そして君の“ティターンズ”が、ここに始まる」

 

 ふたりだけの静謐な夜は、世代の交代という歴史の節目を、誰にも知られることなく包み込んでいった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 厚いカーテンが陽を遮る巨大な議場。

 

 この日、予定されていた予算案審議は一時中断され、急遽「特別案件審議」が設定された。

 

 開会と同時に議長席へ歩み出たのは、ジャミトフ・ハイマン中将──ティターンズの創設者にして、長年にわたってその軍政と思想を担ってきた男である。

 

 だが、その顔にあるのは威圧ではない。

 

 老いた者の誇りでもない。

 

 むしろ、やり遂げた者の静かな諦観と決意だった。

 

 議場の空気が変わる。

 

「──私は、ここにて正式に、地球連邦軍所属・中将ジャミトフ・ハイマンとしての軍務を辞することを宣言する」

 

 その一言に、議場がどよめいた。

 

 後方に控える官僚席や軍部側もざわつく。

 

「……辞任の理由は、ひとつだ」

 

 ジャミトフは演台に両手を置いた。

 

「地球と宇宙を結ぶ秩序、その理念を担う者は、もはや老人ではなく、若き者であるべきだと私は信じている」

 

 誰もが息を呑む。

 

「そして、その資格を示した者がいる。──アイン・ムラサメ大佐。ティターンズ監察軍政官庁の長官代理として、グラナダ宛コロニー落下の阻止、そして投降兵の再編を成し遂げた若き軍人である」

 

 傍聴席の報道陣がペンを走らせる音だけが、静寂を切る。

 

「私は、この者にティターンズ正統派の全指揮権を委ねる。  ここに、私の最後の命令として、アイン・ムラサメ大佐を──ティターンズ正統派総帥に任命する」

 

 議場のざわめきが波のように広がった。

 

 ゴップ議長が、静かに立ち上がり、手を挙げる。

 

「──本件に関連し、緊急動議を発議する。地球連邦議会として、ティターンズ正統派総帥アイン・ムラサメ大佐を、地球連邦軍中将へと任命する議決を要請する」

 

 採決は速やかだった。

 

 圧倒的多数が、手を挙げた。

 

 議長団の一人が起立して高らかに宣言する。

 

「全会一致にて可決──アイン・ムラサメ大佐を地球連邦軍中将に昇進させ、ティターンズ正統派総帥の任を正式に承認する!」

 

 瞬間、議場が大きく沸いた。

 

 それは歓声ではない。

 

 驚きと、期待と、そして恐るべき現実を前にした、政治の場特有のざわめき──。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 陽光を受ける壇上に、黒の軍政礼装に身を包んだ青年が立つ。

 

 ティターンズ監察軍政官庁長官、アイン・ムラサメ──齢わずか十九歳。

 

 だが、その声音には、一国の命運を預かる者の威厳があった。

 

 壇上のマイクを前に、一歩前へ進み出ると、彼は議場をゆっくりと見渡し、深く一礼してから静かに言葉を紡ぎ始めた。

 

「本日をもちまして、私はティターンズ監察軍政官庁の長官としての責を引き続き果たすとともに──正統派ティターンズ総帥の任を拝命いたしました、アイン・ムラサメ中将であります」

 

 その声は澄んでいた。若さ故の未熟さは微塵もなく、軍務の重責と、これから担う政治的責任のすべてを自らの中に刻み込むような声音だった。

 

「本会議に先立ち、私は一つの調査報告書を提出いたしました──」

 

 彼の目が一瞬、手元の資料へと落ちる。

 

 それは、過去へと向き合う覚悟の印だった。

 

「『宇宙世紀0080年・サイド3グローブ宙域における、地球連邦軍駐留部隊による民間人蹂躙・虐殺事件』──いわゆる、“グローブ事件”であります」

 

 会場に微かなざわめきが走る。久しく口にされることのなかった、その忌まわしい名。

 

 多くの者にとって、それは忘れられたはずの、あるいは忘れ去ろうとされたはずの過去だった。

 

「この事件は、一年戦争終結後、地球連邦軍の一部駐留部隊が民間人に対し、組織的かつ暴力的な行為を働いた人道に対する罪です。非武装の市民──とくに女性や子どもたちが無抵抗のまま殺され、凌辱され、人生を破壊されました」

 

 言葉は淡々と綴られていたが、そこに込められた感情は、議場の隅々にまで届いていた。

 

 それは若き将校の怒りであり、哀しみであり、何より──償おうとする意志だった。

 

「人類が生み出した軍が、本来守るべき市民に牙を剥いた……その最たる証左です」

 

 わずかに、ゴップ議長の眉が動いた。

 

「だがこの事件は、当時の連邦軍上層部により“暴徒鎮圧”と偽られ、真実は隠蔽されました。証言者は封殺され、記録は歪められ、責任を問われた者は一人もいなかった」

 

 議席に並ぶ者たちの多くが息を呑む。

 

 その中には、かつてその情報に触れながらも沈黙を選んだ者もいたのだろう。

 

「私は、軍に属する者として、決してこのまま見過ごすわけにはまいりません」

 

 そう語るその瞳には恐れではなく、ただまっすぐな覚悟が宿っていた。

 

「今回、私が議席を受けたのは──軍政と市政の橋渡し役として、こうした過去の傷に正面から向き合う義務を果たすためでもあります」

 

 壇上で言葉を紡ぐ彼の姿は、もはや一介の軍人ではなかった。

 

 それは“秩序を担う者”としての、明確な意志の表明だった。

 

「よって、私は本日、本議会に対し『グローブ事件調査特別委員会』の設置を提案し、また軍政長官として、すべての機密記録の閲覧・調査を許可する所存です」

 

 抑揚のない発言ではあったが、その内容は議会を震撼させるには十分だった。

 

「軍とは、人々の命と尊厳を守るために存在すべきものです。秩序の名を語り、虐げる道具となってはなりません」

 

 その一言に、かつてのティターンズの影を思い出した者もいただろう。

 

 ジャミトフが掲げた理想と、バスク・オムが実行した現実──その落差を。

 

「私たちが未来へ進むのであれば、その歩みは過去への誠実な謝罪と清算の上に築かれなければならないと、私は信じております」

 

 場内が静まり返る。

 

 反論はない。

 

 だが、それ以上に、誰もがその“責任”の重さを受け止めていた。

 

「──そして、その責を担うことこそ、今回の“総帥”という任命に対する、私なりの覚悟です」

 

 アインは一歩下がると、改めて議場全体を見渡した。

 

「私たちが掲げるべきは、力による支配ではなく、責任による秩序です。私は今後、軍政の名に恥じぬよう、市民のための防衛機構として、ティターンズを改めていくことをここに誓います」

 

 最後の言葉とともに、彼は深く、長く頭を下げた。

 

 沈黙。

 

 まるで時が止まったかのような数秒間。

 

 だがその直後、誰ともなく小さな拍手が響いた。

 

 それは、何かが“正された”瞬間に対する、慎ましくも力強い反応だった。

 

 拍手は少しずつ広がり、やがて議場全体を包んでいく。

 

 それは承認だけではなかった──。

 

 忘れかけていた希望への、再びの信託であった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 かつて燃え上がったグローブ・コロニーの記憶を前に、今も多くの者が言葉を持たぬままでいる。

 

 ──だが今、スピーカーから流れる若い声が、その沈黙を切り裂いていた。

 

> 「……私は本日、本議会に対し『グローブ事件調査特別委員会』の設置を提案し、また軍政長官として、すべての機密記録の閲覧・調査を許可する所存です」

 

 

 深く息を吸い、スベロア・ジンネマンは煙草に火をつけた。

 

 だが、指先はわずかに震えていた。

 

 火は紙を焦がしながら、いつになくゆっくりと燃えていく。

 

> 「軍とは、人々の命と尊厳を守るために存在すべきものです。秩序の名を語り、虐げる道具となってはなりません」

 

 

 ラジオは雑音混じりに、確かにその声を伝えていた。

 

 まだ若い。

 

 だが、その言葉は地の底から響いてくるようだった。

 

 ジンネマンは無言のまま、窓外の虚空に目を向ける。

 

 そこにあるのは、グローブのあった場所──かつての“地獄”だ。

 

 街が燃えたあの日。

 

 家族を失い、理不尽を知り、怒りと憎しみだけを抱えて生きてきた。

 

 その記憶は今も、夜毎にジンネマンの夢を焼く。

 

> 「……私たちが未来へ進むのであれば、その歩みは過去への誠実な謝罪と清算の上に築かれなければならないと、私は信じております」

 

 

 煙が目に染みたのか、それとも何かが胸に刺さったのか、ジンネマンはわずかに顔をしかめ、視線を落とした。

 

「──どこの坊やだ、こんな放送を」

 

 だがその声に、怒気も皮肉もなかった。

 

 ただ静かで、遠い過去をなぞるような呟き。

 

「……名前を、言え」

 

 手元の操作パネルを叩き、ラジオ局の表示を呼び出す。

 

《地球連邦議会本会議 中継放送:アイン・ムラサメ中将 就任演説》──

 

「ムラサメ……?」

 

 聞き覚えのない名だった。

 

 だがその名は、いずれ彼の胸に深く刻まれることになる。

 

 その男は、責任を語った。

 

 誰も語ろうとしなかったことを、真正面から見据えて。

 

 若造に過ぎないはずの軍人が──あの日の地獄を「記録」にし、「責任」として背負う覚悟を見せた。

 

「……ふざけるなよ。簡単に、赦すと思うなよ」

 

 ジンネマンの目に、かつての炎がよぎる。

 

 だが、それでも。

 

「──それでも……」

 

 言葉にならぬ声が、喉の奥で途切れる。

 

 その指は震えていた。

 

 涙ではなく、かつて失った“人間”の名残に突き動かされて。

 

 少年の声はまだ続いていた。

 

 軍人として。政治家として。

 

 そして──人として。

 

 それを聴きながら、ジンネマンは初めて、自らの中にあった“終わらせ方”というものを考えた。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 演説が終わり、本会議場の照明が静かに落とされる。

 

「総帥就任及び議席登録の挨拶、並びに軍政官庁報告終了をもって、本会議は30分の休会に入る──」

 

 議場書記官の声とともに、重たい扉が再び閉じられた。

 

 控室に入ったゴップ議長は、ゆっくりと椅子に腰を下ろした。

 

 居並ぶ閣僚たちも誰からともなく席に着くが、その顔には言葉を選ぶための沈黙が漂っていた。

 

 ──最年少の軍中将、軍政機構の再建、議席取得、そしてティターンズ総帥としての布告。

 

 それだけでも驚天動地であるのに、まさか「グローブ事件」に言及するとは。

 

「……恐ろしい若者だ」

 

 先に沈黙を破ったのは、内務大臣だった。

 

 掌の上に置かれた水のグラスを見つめたまま、声は震えていた。

 

「本来、どれか一つでも生涯の仕事になる内容だ。たった一つの演説で、あれをすべてやった」

 

「それも“軍政の総帥”として、ですな」

 

 国防大臣が唸るように言う。

 

 「軍」ではない。「ティターンズ」でもない。「監察軍政官庁の長官」として。

 

「……私はあの男を評価している」

 

 情報局長が静かに言った。

 

「だが、怖くもある。正論が通る世界は、時に理想家を食い殺す。我々のような“現実屋”にとって、あれは鋭利すぎる」

 

「だが、見たまえ。議場の反応を」

 

 外務大臣がモニターを指差す。

 

 興奮、称賛、そしてざわめき。

 

 連邦議員たちの間で、“アイン・ムラサメ”の名はすでに波紋となって広がっていた。

 

「もはや軍人にしておくには、もったいないかもしれませんな」

 

 内務次官が苦笑しながら言う。

 

「かといって、政治家一本に転向させるのも惜しい」

 

 国防大臣が応じる。

 

「彼の指揮能力と統率力は、軍の宝だ」

 

「折衷案だな」

 

 ゴップ議長が静かに口を開いた。

 

「あの男には……“二足の草鞋”を履かせる覚悟が必要かもしれん。軍政と議政、その両輪を引かせる」

 

「……やってのけるでしょうか、彼に?」

 

「やるだろうな」

 

 ゴップはそう言い切った。

 

「なぜなら、彼は“引き受ける人間”だからだ。自分で選んだ責務を、決して途中で手放しはしない。……まったく、あれが十九歳だったとはな」

 

 一同、再び静まり返る。

 

 アイン・ムラサメ──その名が、もはや単なる一軍人ではなく、「地球連邦という構造を再設計する者」として議論される時代が来たのだ。

 

「……それにしても」

 

 情報局長がぽつりと呟く。

 

「あの“グローブ事件”を、軍政長官として公式に取り上げた意味……分かっているのか?」

 

「分かっているさ」

 

 ゴップは頷く。

 

「彼は自分の声が、今この時代にとって“何を切り裂くか”を、誰よりも理解している。だが、それでも語った。だから我々は、彼の背を預かるべきだ」

 

「……ならば、次の本会議での議題は決まりですね」

 

 外務大臣が言った。

 

「グローブ事件調査特別委員会の設置。そして、ティターンズの再定義と再登録だ」

 

 ゴップは立ち上がる。

 

 その表情には、老獪ながらもどこか誇らしげな光があった。

 

「──若い芽が育つとは、こういうことか。いや、育てたというより、育っていたのだな。私たちが気づかぬうちに」

 

 

 

 

 

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