U.C.0087年8月29日ダカール連邦総会本会議場。
朝靄の残る外気を遮断し、重厚な会議室に注ぐ人工照明のもと、アイン・ムラサメ中将は壇上へと静かに歩み出た。背筋は一分の緩みもなく、顔に疲労の色はない。だが、その瞳にだけは一晩で千年を歩んだ者の光が宿っていた。
彼の後方には、銀髪を撫でつけた一人の男が続く。
技術顧問・パプテマス・シロッコ大佐。
かつて“木星帰りの男”と呼ばれた異端の天才であり、今やアインの右腕たる“現場監督”である。
アインはマイクの前で立ち止まり、一礼した。
「連邦総会各位。本日、我々が提出する議題は、次世代航宙艦『ヱクセリヲン』の構想についてであります」
議場が一瞬、ざわついた。
ヱクセリヲン──初めて聞く名に、意図を量りかねた者たちが思わず顔を見合わせる。
「本艦は単なる軍用艦ではなく、将来的な銀河進出を見据えた“宇宙航宙母艦”であり、同時に一万人規模のテスト市民を乗せた航宙型コロニー船の先駆けとなる計画です」
アインの声は澄み渡っていた。
議場を見渡すその眼差しは、議員たちに語りかけていたのではない。
人類そのものに、呼びかけていた。
「これまで、我々は宇宙移民という言葉を“地球の重荷を減らす手段”とみなしてきました。しかし今ここに、我々はその次の段階へ進むべきです。地球を守るために宇宙へ行くのではなく、人類の意思をもって銀河を目指す。そのための“第一歩”として、ヱクセリヲンは設計されています」
一拍置き、彼は後方のシロッコに視線を送る。
「設計については、技術顧問であるシロッコ大佐より説明させていただきます」
静かに壇上へ上がったシロッコは、懐からタブレット端末を取り出し、ホログラムで艦体の構造図を浮かび上がらせた。
「ご覧いただいているのがヱクセリヲンの基本骨格です。全長約7,200メートル。乗組員25,000名。搭載されるモビルスーツ数は約1,000機、戦闘機は800機規模を想定し、搭載工廠では機体の整備・開発・生産のすべてが可能です」
議員たちがざわつく中、シロッコは平然と語り続ける。
「艦内は恒常的な生活維持を可能とする閉鎖循環型都市を構成し、1万人のテスト市民を収容。居住、教育、医療、行政を含め、すべての社会機能を艦内で完結させる設計です。
これは単なる“移動要塞”ではない。“宇宙生活圏の原型”であり、銀河移民の第一歩となるべき“社会そのもの”なのです」
会場の空気が変わった。
理解が追いついた者と、まだ追いつかない者──だが、いずれにせよ、アインとシロッコの言葉は確かに“未来”を指していた。
「この計画には、既に技術者の選抜と訓練枠を盛り込んだ予備予算が提出済みです。また、先日の木星開拓予算再構成も、縮退炉理論と恒星間航行の実証試験のために組まれております」
最後にアインが口を開いた。
「今、人類は選択の岐路に立っています。足元の戦争に呑まれるか、それとも未来へ手を伸ばすか。我々は、銀河を目指すべきだと考えます。その先頭に立つ責務を、僕は──ティターンズ監察軍政官庁として、果たす所存です」
議場には、沈黙と共鳴があった。
この日、ダカールに集った連邦政府と地球圏の代表者たちは、初めて“宇宙”ではなく“銀河”という言葉の意味を、本当の意味で理解し始めた。
◇◇◇◇◇
地球連邦議会議事堂、その東棟最上層に設けられた政府要人控室に、十数名の閣僚と軍高官が揃っていた。
その中心に座すのは、地球連邦議会議長──ゴップ。
「……“地球を休ませる”などと、よく言ったものだ」
そう呟いたのは老齢の国務次官だった。
声には、半ばあきれと、半ば感嘆の響きがあった。
「移民政策の拡大も、木星開拓の増額も、そして今朝の“ヱクセリヲン”構想も──まるで、銀河そのものを国家予算に加えるつもりかのようだ」
「連邦が追いつけぬ速さで、あの青年は“宇宙”へ行ってしまう……まったく、我々はどこまで時代に置いていかれるのか」
誰かが嘆くように言った。
だが、ゴップはただ黙していた。
以前、アインは彼に言ったのだ。
──「私は、この地球という惑星を、休ませてあげたいのです」
──「私は、日本という小さな島国に──もう一度、春と秋を取り戻したい。そのためには、地球に住まう人々を宇宙へと導き、そして宇宙に移り住んだ人々を、銀河系という新たなフロンティアへと旅立たせねばなりません」
そして、自らの中将昇進を報告したその席で、「これが……私を中将へと推してくださった議長閣下への、私なりの答礼であります」とまで口にした。
その若さにして、ここまでの責任を引き受ける覚悟と、地球への愛情を語るとは。
(──怪物か。いや、もはやこれは、“業”かもしれん)
ゴップは思う。
このアイン・ムラサメという若者は、理性を剣に、理想を帆にしながら、なお人類を銀河の海へと送り出す“艦長”になろうとしているのだ。
誰もが地球にしがみつこうとするこの時代にあって──“地球を休ませる”という言葉を口にした青年。
その言葉が、重く、遠く、未来へと響いたことを、ゴップは昨夜確かに感じていた。
「……人はな、ムラサメ君。結局のところ“大地で死にたい”のだよ」
そう言った自分に、アインは静かに応じた。
「それでも、私は、新たな星を開拓し、その新たな土壌に花を植え続けます。
そうすれば──たとえ宇宙に居ようとも、人は花と大地を、心の中に携え、身近に感じられるものと信じております」
その言葉が胸を離れなかった。
「……議長。あなたはそれでも、ムラサメ中将を“怪物”とご覧になりますか?」
官房長官が尋ねた。
ゴップは静かに微笑んだ。
「──ああ、怪物だよ。だが……人を喰らう化け物ではない。“未来を咲かせる怪物”だ」
誰もが静かになった。
そしてそのとき、ゴップは初めて椅子から立ち上がり、窓辺に歩み寄った。
外は静かに陽が傾きつつあり、ダカールの港湾部には《スードリ》の巨大な影が、都市と大地を包んでいた。
「……人は、結局、帰る場所が必要だ。だがな──ムラサメ君は、“人が帰りたいと思える場所”を、宇宙に創ろうとしている。ならば……私は、行かせるよ。“彼”に」
その声は、老政治家としての責務でも、地球の守人としての誇りでもあった。
──そして、この日。アイン・ムラサメが提示したヱクセリヲン構想は、議会の誰もが否応なく“未来”を意識させられる契機となった。
“時代の歯車”は、確かにこの瞬間、静かに──、だが確実に回り始めたのだった。
◇◇◇◇◇
U.C.0087年9月8日 ダカール・連邦議会議長府 地下応接室
地下深くに設けられた防音応接室は、連邦政庁の中でも限られた者しか入ることを許されぬ空間だった。
長方形の重厚なテーブルを囲むのは、わずか六人。
中央には地球連邦議会議長・ゴップ。
その傍らには安全保障局長官、軍参謀総長、内務次官、情報庁長官──そして、ティターンズ監察軍政官庁長官、アイン・ムラサメ中将。
静寂を破ったのは、若き軍政官の一言だった。
「本日未明、ジャブローにて──TR-6[ウーンドウォート]およびフルアーマー・クインリィの完成を確認いたしました。これをもって、我々の手は“最後の抑止力”を手にしたと判断しております」
テーブル中央に置かれたホログラム装置が起動し、ウーンドウォートの高密度なシルエットが立体映像で浮かび上がる。全周囲モニタと複合型火器、加えてクインリィユニットの追加による戦略兵器仕様──。
「……バスク・オムの“最後の賭け”が実行に移された場合でも、これで最低限の封殺が可能、というわけだな?」
ゴップが口を開いた。だが、その声音は重かった。
「抑止力は時に、最も扱いを誤る」
アインは静かに頷く。
「承知しております。だからこそ、私は本日この場において“この兵器を使わずに済む道”を模索すべく、意見を賜りたく参上しました」
「ほう。では、君の判断では“使用すべきでない”と?」
「可能であれば、です」
アインの言葉は決して揺らがない。
「バスク・オム大佐は、かつて星の屑作戦の情報操作を行い、ティターンズを武力集団へと転落させた責任者です。その責は、法と議会において問われるべきものであり、兵力ではなく正義によって裁かれるべきです」
「しかしその“正義”を恐れて逃げているのが、あの男だ」
参謀総長が吐き捨てるように言った。
「軍務を理由に召還命令すら拒否し続け、未だ査問にも応じず、部隊を掌握したまま潜伏している。まるで反乱前夜ではないか」
「……それでも、私は“法の手続き”を外すことはできません」
アインの言葉は冷静でありながらも、その眼差しには理性を燃やす鋼の意志があった。
「私の作った兵器が、私の手で私欲のために使われる──そんな歴史を、私は二度と繰り返させたくない」
静寂が場を包む。
やがて、ゴップは静かに立ち上がり、テーブルをゆっくりと一周しながら語り出した。
「……正義とは、時に遅すぎる。だが、遅すぎる正義にも価値はある」
立ち止まり、アインに視線を向ける。
「バスクが動いたらどうする?」
「その時は、私が出ます」
その言葉は、どこか静謐な響きを帯びていた。
「私は彼に兵を向けるのではありません。私という“存在”を向けるのです」
政府高官たちが驚愕と戸惑いの色を浮かべた。
だが、ゴップだけは──静かに、深く頷いた。
「ならば、任せよう。ムラサメ中将」
「……ありがとうございます、閣下」
「ただし一つ、約束しろ。勝っても驕るな。殺しても奢るな。戦っても憎むな。それが君の掲げる“秩序”だ」
アインは胸に手を置き、深く一礼した。
「肝に銘じます」
この瞬間、ウーンドウォートは“抑止の牙”として完成しただけでなく、“使われざるための矛”として、アインの意志を背負ったのだった。
──会議は終わり、静かに扉が閉じられた。
だが、それは決して“平穏”を意味しない。
寧ろこれより始まるのは、バスク・オムという災厄に対し、「理性という矛」が振るわれる戦いの始まりである。
◇◇◇◇◇
U.C.0087年9月10日 ダカール連邦総会 第二会期三日目・午後本会議場
その日、午後の本会議場には、異様な緊張感が漂っていた。
ダカールの空には、秋の気配を孕んだ風が吹き抜け、ティターンズの旗艦《スードリ》は依然として港湾に聳え立っていた。
壇上に姿を現したのは、ティターンズ監察軍政官庁長官──アイン・ムラサメ中将。
黒と銀を基調とした儀礼服に身を包んだ青年指揮官は、幾千の視線を一身に受けながら、静かに議場中央の演壇に立った。
「本日は、ひとつの決断をお願い申し上げたく、登壇させていただきました」
その声は低く、よく通る。
「かつて、星の屑作戦においてコロニー落下が引き起こされた際、連邦軍第一機動艦隊司令であったバスク・オム大佐が、その実行に関与していた可能性があることは、すでに以前の議案にて提示いたしました」
場内がざわめく。抑えられた声での議員同士の会話、メモを取る補佐官、記録官──緊張が場を包む。
「その後も、彼は複数回にわたって召還命令および査問出頭命令を拒否し、“軍務多忙”を理由にダカールへの赴任を拒み続けております」
アインは一呼吸置くと、言葉に力を込めた。
「……これは、連邦の正統な議会と司法権に対する、明確な抵抗であると、私は判断します」
演壇後方の議長席に座するゴップが、ゆっくりと手を上げた。
「発言を許可する。続けたまえ、ムラサメ中将」
「ありがとうございます。──よって、私はこの場において、バスク・オム大佐に対する正式な『査問命令』の発令を動議として提出いたします」
全議員に配布されたデータパッドに、動議文が即時送信された。
---
地球連邦政府議会動議:査問命令案
提出者:アイン・ムラサメ(中将)
動議内容:
対象人物:地球連邦軍所属・バスク・オム大佐
理由:星の屑作戦における違法行動への関与疑義、ならびに複数回の召還命令拒否
措置:本日以降、司法査問に応じることを命じ、連邦議会査問部会への出頭を義務づける
拒否または潜伏が確認された場合、反逆罪未遂・軍紀違反に基づく拘束命令へ移行する可能性を含む
---
数十秒の沈黙ののち、議会内にどよめきが起こる。
「ついにやるのか……」
「査問部会を通す気か」
「あのバスクを……?」
それを制するように、ゴップ議長が木槌を打った。
「静粛に。──これより、査問命令発令決議を議場に諮る。各会派、起立による賛否を示されたし」
ゆっくりと、列ごとに起立する議員たち。まずは中央中道派、続いて改革主義派。数秒の間を置いて、保守本流の一部が立ち上がる。
最終的に、総議員の68%が賛成により、動議は可決された。
「査問命令案、過半数を以て承認。これを以って、バスク・オム大佐への司法査問命令を正式発令とする」
木槌が打ち鳴らされた。
演壇を降りるアインの背中に、ゴップの視線が静かに注がれていた。
それは、「理性の矛」がいよいよ抜かれたことを見届ける者の眼差しだった。
◇◇◇◇◇
一度休会を挟んだ午後の議場に、再び緊張が立ち込めた。
中央演壇には、ティターンズ監察軍政官庁長官──アイン・ムラサメ中将の姿があった。
その若さと静謐な佇まいは、戦後最大の混迷期を前にした国家の中心に、まるで異物のように、しかし確かな確信を伴って立っていた。
「諸閣下、議員諸氏──私は今ここに、《キリマンジャロ攻略戦》の発令を提案いたします」
開口一番、その言葉が放たれた瞬間、議場の空気が一変する。
「バスク・オム大佐、および彼の派閥に連なる残存勢力は、既に国家による査問命令を拒否し、正当なる指揮系統を逸脱しております。その行動は、もはや軍事的暴走であり、国家権力の拒絶であります」
沈黙と同時に、空気が凍った。
「この戦いは、ティターンズとエゥーゴの戦争ではありません。思想や派閥の問題でもありません。──これは、人類の歴史そのものに対して、正義と秩序の名のもとに是非を問う行為であります」
議場に身を乗り出す者もいた。
「よって、私はティターンズ監察軍政官庁の職権に基づき──地球連邦軍全軍に対し、
キリマンジャロ攻略戦の実行を、今ここに宣言致します──しかし、誤解なきよう申し上げます」
アインはゆっくりと、議場中央を見渡した。
「我々の目的は、あくまでバスク・オム個人の拘束と、秩序への復帰の拒絶を選ぶ者への排除であり──全員を敵と見做すものではありません」
そこで一枚の布告文が掲げられた。
「私は《ムラサメ布告》により、秩序へ帰順を望む者、正義に立ち返る者に対し、寛容なる投降と再雇用の道を保障いたします。それは、以前の《コロニー落下阻止戦》においても実行された政策であり、今回もまた例外ではありません──よって、本会議において私は、以下の三点を正式に提案いたします」
彼の声が、空間を切り裂くように明瞭に響いた。
「一つ、《キリマンジャロ攻略戦》の発令」
「一つ、《エゥーゴ》および《カラバ》に対する、連邦軍将兵としての支援要請」
「一つ、《ムラサメ布告》に基づく、投降受け入れ通達と最後通告の発令」
そして。
「──最後に申し上げます」
彼の瞳は、キリマンジャロの空を見つめるかのように遠くを見据えていた。
「これ以上、血を流す必要はない。
それでも、なお武器を取り、抗うことを選ぶなら──
我々は全力をもってこれを制圧する
──だが、願わくば言わせてほしい。
……無駄死にはするな」
その言葉は、敵味方を超えた“同胞”への呼びかけとして、場内の空気を深く震わせた。
そして──
議長席から、ゆっくりとゴップが立ち上がる。
老政治家の声音は、誰よりも重く、しかし確かな確信に満ちていた。
「──諸君。本件は、地球連邦軍の矜持に関わるものである。以上の提案をもって、私は本議場において《キリマンジャロ攻略戦》発令の是非を問う
同時に、この極めて重大な軍事行動の指揮権を、一元的に掌握させる必要があると考える
よって──本政府より、アイン・ムラサメ中将を《地球連邦軍大将》に任命する議案を、ここに提出する」
静寂が走った。
誰もが、来るものの重大さを理解していた。
「この二項目──すなわち《攻略戦発令》および《大将任命》について、挙手多数決による採決を取る」
議事官が起立し、号令を放つ。
「──投票を開始せよ!」
一斉に手が挙がる。
躊躇う者もいたが、その多くは──すでに、少年の背に“責任と希望”を見出していた。
「……過半数、賛成を確認。よって、《キリマンジャロ攻略戦》は正式発令とする。また、アイン・ムラサメ中将を《地球連邦軍大将》に任命する議案も、可決された」
瞬間、場内に熱気の波が走った。
歓声ではない。
それは時代が動いた音だった。
アインは、ただ一礼した。
その眼差しには、祝福でも高揚でもなく、これから背負うべき戦火の重さと、未来への覚悟だけが灯っていた。