『U.C.0087年9月10日 キリマンジャロ地球連邦軍基地・地下作戦司令部』
──静寂。
だが、それは絶望の前に訪れる、張り詰めた無音だった。
バスク・オムは、司令室中央のモニターを見据えていた。
そこには、ダカールの議場で読み上げられる決議文と──それを発した少年将官、アイン・ムラサメ大将の映像が映っていた。
「……ムラサメ布告、か」
低く、搾り出すような声だった。
通信士官たちは誰一人として口を利けない。
バスクの背に、無言の重圧が渦巻いているのを感じていた。
「投降者には再雇用の道を示す、だと……?」
その言葉に、彼はゆっくりと拳を握る。
「貴様ら……私の兵を“懐柔”するつもりかッ!」
怒声が作戦司令室を震わせる。だが、その怒りの裏には、確かな危機感と焦燥があった。
バスクはわかっていた。
この布告は、もはや単なる心理戦ではない。
“正義”を掲げた者が、堂々と軍を率い、ここに迫ってくる。しかも連邦議会の正式承認をもって。
そして──その布告に応じた者が、既に動き出している。
「……メロゥドが、出るぞ」
部下の一人が呟いた。
司令室の一角で確認されたのは、ガルダ級大型輸送機《メロゥド》の発進準備。
それも、“バスク派”に名を連ねていた中堅将校たちのグループが指揮を執っていた。
投降者だ。
彼らは、「まだ間に合う」と言わんばかりに、基地を離れようとしている。
「……裏切り者めが」
バスクの顔が歪む。
だが、それは怒りというより──時代に置き去られた者の、焦燥の色に近かった。
《メロゥド》は離陸許可を出すこともなく、強行発進態勢を取っていた。
搭乗口には、武装を解除した将兵たちが列をなし、警戒するように背後を振り返っている。
その目に映るのは、いつ反撃を受けてもおかしくない、キリマンジャロという沈みかけた艦。
「貴様ら……!どこへ行く!」
出撃ブリーフィングルームで怒号が響く。
だが、銃を向ける者は一人もいなかった。
むしろ、どこかで彼らもまた──理解していたのだ。
この拠点が、既に“正義”の名の下に包囲されつつあることを。
「……ムラサメ大将が言った。『無駄死にはするな』と。俺たちは、まだ軍人でいられる……それだけで充分だ」
そう言って振り返った青年士官の目に、敵意はなかった。
バスク派という泥舟から脱し、秩序ある軍人としての“帰還”を選ぶ者の表情だった。
メロゥドが、唸りを上げて地上を滑走する。
誰も、それを止められなかった。
バスク・オムは、その様をただ睨みつけながら、重く息を吐いた。
彼の背後には、未だ従う者──ゲーツ・キャパやロザミア・バダムを含む、狂気と忠誠の狭間に揺れる強化兵たち、そしてバスク個人に忠誠を誓う少数の将兵が残されていた。
だがそれでも、失われたのは──兵力ではなく、“正義”という旗印だった。
「……ならば、我々は最後まで抗ってやる。正義を名乗る貴様らの“欺瞞”を、血で塗り潰してやる……!」
そう呟いたバスクの顔は、もはや“勝利”ではなく、“報復”のためのそれだった。
──キリマンジャロは静かに沈んでゆく。
誰にも止められぬまま、“正義”に包囲されてゆく。
そして、最後の決戦の幕は、静かに──それでいて確実に、落とされつつあった。
◇◇◇◇◇
『U.C.0087年9月10日ガルダ級アウドムラ ブリッジ』
夕刻の大気に、重力圏を滑る機影がひとつ。
ガルダ級輸送機《アウドムラ》は、北欧の上空を静かに航行していた。
ブリッジの大型モニターに映し出されているのは、ダカールから届いたばかりの通信映像──連邦総会の本会議、ティターンズ監察軍政官庁長官アイン・ムラサメ中将現大将による《キリマンジャロ攻略戦》の発令だった。
やがて映像が途切れ、室内にはしばし沈黙が降りる。
その空気を破ったのは、座長席に立つ男──カラバ司令官、ハヤト・コバヤシだった。
「……まいったな。あの歳でここまで決断できるのか」
呆れにも近い口調に、含まれていたのは畏敬だった。
傍らの通信席で腕を組んでいたアムロ・レイが、わずかに眉をひそめながら返す。
「ティターンズの中に、あんな人間が残っていたとは思わなかった。いや──生まれていた、か」
「いや、アムロ。あれは……“生まれてしまった”のかもしれんぞ」
ハヤトの言葉は、戦友としての直感に満ちていた。
「地球を休ませるために銀河を目指すなんて……戦場じゃ誰もそんなこと言わない。けどあの少年は、まっすぐに言ってのけた。コロニー落としを阻止して、次は過去の清算ときた。理屈じゃない、“何か”を持ってる」
アムロは静かに頷く。
「ああ……あの目を見た。あれはもう、戦う理由じゃない。“導く”者の目だ」
「アイン・ムラサメ……あいつは、連邦という大義そのものを問い直そうとしてるんだな。ブレックス准将が一目置くわけだ」
ハヤトが、椅子に深く背を預け、天井を仰ぐ。
「本当に皮肉だよ。エゥーゴもカラバも、もとは連邦の一部だった。 それが今、正統派を名乗る“ティターンズ”の一派に支援を求められてる。それも、連邦の議場から正式に」
アムロは前を見据えたまま、小さく息を吐いた。
「……俺たちは、どうする?」
「決まってるさ。あの少年は俺たちに、“人としての選択”を求めてきたんだ」
ハヤトは座席の端末に手を伸ばすと、カラバ本部へ連絡を入れる。
「こちらアウドムラ。全カラバ部隊に通達──」
「ティターンズ監察軍政官庁およびエゥーゴとの共同作戦として、キリマンジャロ攻略戦に参加する。作戦準備に入れ!」
命令を下したハヤトの声には、かつてのホワイトベースの少年が持っていた“正しさ”の残響があった。
アムロは黙ってそれを聞き、ブリッジの窓の向こう──遠くに霞むキリマンジャロの影を見つめた。
「……戦争じゃない。これは、過去と未来に向き合う“答え合わせ”だな」
その言葉は、誰に向けたものでもなく、しかし《アイン・ムラサメ》という名の少年へと、確かに届いていた。
◇◇◇◇◇
『U.C.0087年9月10日 ダカール連邦議事堂 控室』
壁に掛けられた古い連邦の紋章、その下に置かれたソファに、男は静かに腰を下ろしていた。
エゥーゴ代表──ブレックス・フォーラ准将。
深く息を吐く。
老練な軍人の目元には、かすかな疲労と……そして、ある種の驚きが滲んでいた。
「……まさか、ここまでやってのけるとはな。あの少年が」
ソファの背にもたれながら、それでも常に戦場を見据えるような目線を保っていたのは、彼の副官にして、エゥーゴ最強の戦士──クワトロ・バジーナ大尉。
サングラス越しにブレックスを一瞥し、クワトロは言った。
「驚かれましたか?」
「驚くさ。あれが“19歳”だとは、とても思えん」
「……年齢など、もはやこの場において意味を成さない。今日、アイン・ムラサメは“歴史の証人”から、“歴史の編纂者”へと立場を変えた」
ブレックスは静かに頷いた。
「議場に響いた“無駄死にはするな”の一言……あれは、軍人の言葉ではない。政治家としての“責任”を、その若さで背負う覚悟だ」
しばし沈黙。
控室に流れる空気は、静かで、しかし凍てつくほどに鋭い。
やがてブレックスが言葉を続けた。
「シャア……いや、クワトロ大尉」
「……なんです?」
「君は、“あの少年”をどう見る?」
問われたクワトロは、一度だけ視線を逸らし、そして天井を見上げるように答えた。
「私のように、すべてを過去に置いてしまった者には、あの光は──眩しすぎる」
「……そうか」
「だが、だからこそ私たちは、あの“光”の前に立ち、道を拓かねばならない。我々のような過去の業を知る者が、それを支えることで、ようやく“新しい人類”が始まる」
ブレックスは小さく目を伏せ、眼鏡をかけ直した。
「バスクも、ジャミトフも……連邦の内部から正すという理想は、本来、我々がやらねばならなかった。だがそれをやり遂げたのは──“彼”だった」
そして静かに告げる。
「クワトロ大尉。我々は、彼の言葉に応えねばならん。“地球を休ませる”というその理想に──エゥーゴの名で、応えねばな」
「了解しました。アウドムラは既に発進準備に入っています。ハヤト司令の判断も速かった。カラバも、すぐに追いつくはずです」
「それでこそ……」
ブレックスはかすかに笑んだ。
「……それでこそ、“地球連邦軍”だ」
クワトロもまた、微かに口元を緩め、続けた。
「一度失われた信義を取り戻すには、力だけでは足りない。だが、“誇り”があれば、それは可能だ」
「うむ。アイン・ムラサメは、我々の失った誇りを取り戻そうとしている。……その責任は、あの少年だけに負わせるべきではない」
控室の扉が、誰に告げるでもなく自動で開いた。
ブレックスとクワトロは、ゆっくりと立ち上がる。
戦争ではない──歴史の選別が、いま始まろうとしていた。
◇◇◇◇◇
『宇宙世紀0087年9月10日 午後 ダカール港湾区・監察軍政官庁臨時基地前』
午後の陽光が傾きかけるなか、重低音を響かせながら巨大な影が上空を横切った。
それは、かつてバスク・オムの配下であったティターンズ強硬派の主力輸送艦──ガルダ級《メロゥド》である。
船体側面に黒く描かれた「TITANS」の標章は半ば消され、航行灯も緊急信号色の点滅を繰り返していた。
「こちら《メロゥド》、繰り返す。ダカール港湾基地管制へ。投降を希望する。……当艦に搭乗する将兵1238名、戦闘の意思なし。現在、武装はすべて解除済み」
その通信を受けたダカール管制は即座に判断を中央に委ねる。そして、すぐに一つの命令が下された。
「許可を出せ」と。
モニターの前に立つ、漆黒の軍服を纏った青年──アイン・ムラサメ大将は、迷いなく頷いた。
「着陸を許可します。……迎えの部隊を出してください。全員、銃器は下げたまま。礼をもって接してくれ」
その指示に、周囲の将兵たちも異論なく頷く。
港湾施設の一角に、《メロゥド》の巨大な脚が音を立てて降りる。
ハッチがゆっくりと開かれ、制服の階級章を外し、両手を見せたまま降りてくる兵士たち。
その最前にいたのは、まだ若いが軍人然とした目の男だった。
真っすぐにアインの前へと歩み出る。
そして、地に膝をつき、頭を垂れた。
「……我々は、正しき地球連邦軍に帰順します。バスク・オムの命令には、もはや従えません」
静寂のなかで、彼の声だけが港に響いた。
アインは歩み寄ると、その男に手を差し伸べた。
「……名を、教えてください」
「──ガース・トレーガ少佐。第22機械化旅団所属。元ティターンズ第九方面派遣隊です」
その答えに、アインは穏やかに頷き、彼の肩に手を置いた。
「少佐。貴官は今日、軍人として最も勇気ある決断をされた」
「……っ、我々は……私たちは、本当に……連邦軍として許されるのでしょうか……?」
わずかに震える声。
その問いに、アインは一瞬だけ目を閉じ、次のように告げる。
「許されるか否かを決めるのは、私でも貴官でもありません。ただ一つ──」
アインの声が、静かに力を帯びる。
「正しい秩序に帰順し、地球を守り、人類の未来のために生きようとする意志があるならば──その者を、私は“同胞”と呼びます。投降は敗北ではない。未来への、選択です」
ガース少佐は拳を握り、顔を上げた。
その瞳には、かつて失ったものを取り戻そうとする決意の光が灯っていた。
アインはその手を強く握り返し、静かに言った。
「ようこそ帰還されました、ガース・トレーガ少佐。これより、貴官とその部隊は《監察軍政官庁前線本部》に配属され、再任務を割り当てられます」
その背後、次々に投降兵たちが《メロゥド》から降りてくる。
武器を置き、降伏の姿勢を見せる者。
あるいは、戸惑いながらも新たな任務を求める者。
その一人ひとりを、アインは真正面から見つめた。
──それは、無言の赦しであり、宣言でもあった。
「人は変われる」、そして「秩序に帰る意思のある者を、我々は拒まない」。
その思想は、すでにティターンズの枠を超えていた。
そしてこの日、かつて敵対していた将兵たちが、「正統派ティターンズ」の旗のもとで、再び同じ軍服を着ることとなる。
彼らの艦、《メロゥド》もまた──新たな連邦軍前線基地として、生まれ変わろうとしていた。
◇◇◇◇◇
『宇宙世紀0087年9月11日 ダカール・スードリ艦内 第2応接室』
正午を少し過ぎた頃──。
ティターンズ監察軍政官庁臨時本部ガルダ級《スードリ》艦内、第2応接室に、淡い緊張が満ちていた。
テーブルを挟み、正装のアイン・ムラサメ大将の前に立つのは、先ほどダカールに降下した《メロゥド》から降り立った男──元ティターンズ所属、ガース・トレーガ少佐。
トレーガ少佐は敬礼をしたのち、軍服の襟を正し、静かに語り始めた。
「……我が隊はキリマンジャロ基地第17防衛中隊。バスク・オム大佐の命によりコロニー落とし阻止後も基地に留まり、要塞防衛任務に従事しておりました」
「現在、基地にはおおよそ4000名強の兵力が残存しており、そのうち戦闘可能なモビルスーツはおよそ70機、主にマラサイ、ガルバルディβ、ハイザックやジムⅡです。さらに、強化人間部隊として《ロザミア・バダム少尉》《ゲーツ・キャパ中尉》の2名が現地に残留しています」
アインは黙って頷き、補佐官ゼロが記録端末にデータを入力していく。
「投降者は私の中隊を中心に1200名余。ほとんどは、バスク派の方針に疑念を持ち続けていた者たちです」
アインは口を開いた。
「脱出の際に追撃は?」
「……ありませんでした。ただ、基地側の通信は封鎖状態にあります。おそらくバスク大佐は、脱走兵を“処理する手間”よりも、《何か別の計画》に集中している可能性があります」
「──別の計画?」
アインの瞳が鋭く光る。
トレーガ少佐は、一瞬迷ったように唇を噛み、それでも決意を込めて言った。
「《グリプス》です。バスク大佐は、ゼダンの門方面へ“脱出ルート”と称して特別シャトルの打ち上げ準備を命じていたことがあります。ごく限られた技術兵とロザミア少尉を帯同させるような命令でした」
「……つまり彼は、地球を捨てるつもりだった」
アインの声は低かったが、部屋の空気を震わせた。
そして、立ち上がり──。
「ありがとうございます、トレーガ少佐。貴官の勇気と決断を、私は正しく評価します。 以後は《監察軍政官庁再任部隊》として処遇します」
トレーガは、驚きと安堵の表情で、再び深く敬礼した。
◇◇◇◇◇
ダカール・港湾区画/《スードリ》臨時前線本部前
──U.C.0087年9月中旬
ティターンズ所属の巨大輸送機《メロゥド》が聳え立つその傍ら、ティターンズ監察軍政官庁・再任部隊のハルド・ゲネン特務大尉が静かに立つ。
彼は階級こそ“大尉”に昇進しているが、ついこの前まで現場一筋の軍曹だった男だ。
その眼差しは、これから降り立つ兵たちが持つであろう“迷い”や“誇りの所在”を、すでに知っている者のそれだった。
機体後方から、やがて重い足取りで現れたのは、キリマンジャロから投降してきた部隊の長──ガース・トレーガ少佐。
「……あんたが、ゲネン特務大尉か。グラナダで投降したって話、聞いてた」
「ええ。まぁ、あの時は……部下を一人でも生かすには、もう他の道が無かった。軍歴はそこそこ長いつもりでしたが、あれだけは、軍人としてってより、“年寄りの分別”みたいなもんでね」
「……現場上がりの言葉だな」
「大尉だの特務だの言われても、未だに階級章が落ち着きませんよ。軍曹上がりの癖は抜けません。けど……あの日、あのムラサメ中将が“それでも来い”と言ってくれた。なら、やるべきことははっきりしてる」
「……あんたの話、士官たちの間でも噂になってた。“コロニーの中で最初に武装を捨てた軍人がいた”ってな。それを見た者はいないが、信じるに足る話だった。今、確かに思ったよ」
「投降ってのは、恥じゃありません。ただ、自分の中の“軍人”を捨てるってのが怖いだけだ。でも、あの人──ムラサメ中将は違った。“軍人でいたまま降りてこい”って言ってくれたんです。……あれで、救われた」
「……なら俺たちも、それに倣うさ。地に足をつけ直す覚悟はある。任せてもいいか?」
「もちろんです。俺たち、元投降兵だけの部隊ですけどね……“一度でも踏み外した”って自覚のある連中です。だからこそ、命令には真っ直ぐ従うし、仲間の死にも鈍感にならない。指揮下に入ってくれるなら、歓迎します」
「……ありがたい。じゃあ、今日からお世話になる。“先輩大尉”殿」
「はいはい、少佐殿。じゃあ先ずは──再任部隊流の“敬礼の仕方”から始めましょうか」