ムラサメさん家のイチバン=サン   作:星乃 望夢

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第65話 “理屈だけでは語れぬもの”を創ってしまったな

 

 風が、窓を通って柔らかに潮の香りを運んでくる。

 

 ゆるやかに昇った陽が、白いカーテンを透かして差し込んでいた。

 

 ここは、地球の南半球──正確な地名を言う必要など、彼女にとってはなかった。

 

 ただ、目の前にどこまでも広がる海と、遠くに佇む砂浜だけが、心を静かに撫でていた。

 

 ──セイラ・マス。

 

 彼女は木製の窓辺に設けられた椅子に腰掛け、胸元で指を組んだまま、壁に設置されたスクリーンを見つめていた。

 

 そこに映るのは、ダカール。ちょうど今、連邦議会の壇上ではブレックス准将がティターンズ監察軍政官庁との協調体制を発表したばかり。

 

 そして、切り替わる映像は──別棟からの中継だった。

 

 壇上に立つ《クワトロ・バジーナ》。

 

 彼女は、呼吸を止めてその姿を見た。

 

> 「……私は、かつて“シャア・アズナブル”と呼ばれた男だ。そして──ジオン・ダイクンの遺児……キャスバル・レム・ダイクンである!」

 

 セイラの眉がわずかに震えた。

 

 目を逸らさない。逃げない。

 

 それは彼女にとって、久しく聞かなかった“兄の声”だった。

 

 カップに注がれた紅茶はすっかり冷めていたが、彼女の心には別の熱が湧いていた。

 

「……名乗ったのね。ようやく……あなたの言葉で」

 

 南の海を背にして、セイラは立ち上がった。

 

 窓辺へ歩み寄り、白いカーテンをそっと片手で押しのける。

 

 海風が頬を撫でた。

 

 砂の匂い、潮の匂い、そして、兄の言葉──。

 

「アイン・ムラサメ……あなたが、その背中を押したのね」

 

 その名は、彼女の中に静かに刻まれていく。

 

 キャスバルの仮面を外させた男。

 

 復讐でも、虚飾でもなく、理性と秩序で“兄”を立たせた存在。

 

 スクリーンの中で語られる、キャスバルの宣言。

 

 それは過去の贖罪でも、父の遺志の継承でもない。

 

 未来に向けて、“キャスバル”という個人が自ら選んだ道だった。

 

 セイラはそっと目を閉じた。

 

 そして、微かに笑った。

 

「兄さん……やっと、本当のあなたになったのね」

 

 それは妹の言葉ではなく、一人の同じ人類としての理解だった。

 

 彼女の目は、やがて浜辺の先にある水平線へと向けられる。

 

 その先には、宇宙がある。

 

 そして、その宇宙に──兄の未来が、アイン・ムラサメの理想が、今まさに芽吹いている。

 

「私も……向き合わなければならないわ。もう“誰かの妹”のままでいられる時代じゃない」

 

 静かに、けれど確かに。

 

 歴史は、今、動いていた。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 アクシズ中枢制御塔。その最深部にある私室で、ハマーン・カーンは滅多に抱かない“恐怖”と名のつく感情を抱いていた。

 

 無言のまま、モニターに浮かぶ人物たちの動向を睨む。

 

 そこには、かつて忠義を口にしたはずの副官たち──グレミー・トトを筆頭にした若い軍人たちが、戦略演習を装って私兵的部隊を組織している証拠があった。

 

「──ギレン・ザビの亡霊を見ている気分だな。悍ましい……」

 

 低く絞り出すように呟いたその声には、かつての覇気はなかった。

 

 だが背後から、柔らかくも真っ直ぐな声が届く。

 

「だからこそ、あなたにしかできないのです。ミネバ様を“生きた人間”として未来へ導けるのは」

 

 マシュマー・セロ、軍服の胸に刻まれた騎士の徽章を誇りとし、ハマーン個人への忠誠を貫く男だ。

 

 ハマーンは静かに頷き、もう一つの視線へと顔を向けた。

 

「キャラ。準備は」

 

「とっくにできてます、ハマーン様」

 

 キャラ・スーンが軽口を返す。だがその眼差しは鋭く、覚悟に満ちていた。

 

 そして中央に座る、まだ幼い少女──ミネバ・ラオ・ザビは、不思議そうに言った。

 

「ハマーン……私たち、どこへ行くの?」

 

 その問いに、ハマーンは一瞬だけためらい、それでも柔らかく微笑んだ。

 

「…あなたの“父”のもとへ。ミネバ様の本当の未来を導ける、人のもとに」

 

 ──キャスバル・レム・ダイクン

 

 かつてのシャア・アズナブル。

 

 そして、今なお信じ難いことに、あのアイン・ムラサメと共に未来を創ろうとしている男。

 

 彼が何を見て、何を選んだのか。

 

 今なら、少しだけわかる気がする。

 

 だからこそ、全てを賭けるのだ──この亡霊のような砦から。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 艦影が、静かに軌道を滑っていた。

 

 それはアクシズ艦隊所属、巡洋艦《エンドラ》。

 

 だが本来この時間、この空域にその艦があるはずがなかった。

 

「トランスポンダー信号、正規パターンで間違いない」

 

 スードリ艦内ブリッジでゼロ・ムラサメが報告を上げる。

 

「しかし艦体コードは本物だ。《エンドラ》……アクシズ所属、第一巡航群旗艦」

 

 その名を聞いた瞬間、アイン・ムラサメの目が細められた。

 

 静かに呟く。

 

「……来ましたか、ハマーン・カーン」

 

 《エンドラ》の艦首には白布が掲げられていた。

 

 “投降”の意志を示す宇宙艦隊の古い符号。

 

 だが同時に──それは“旗艦”であることをも意味していた。

 

 この艦には、単なる亡命者ではない。

 

 政治を背負い、歴史を引きずり、血統と思想に呪われた者が乗っている。

 

 そして、未来を選び取ろうとする者が──。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

スードリ艦内・格納デッキ

 

 格納ハッチが開かれ、《エンドラ》から降り立った者たちが姿を現す。

 

 先頭は、紅い髪と濃紺の軍服を身にまとった女、アクシズ摂政──ハマーン・カーン。

 

 その後ろに並ぶのは、アクシズ騎士団の将、マシュマー・セロ、そしてキャラ・スーン。

 

 さらに、その中央で手を引かれたひときわ小さな存在──。

 

「……ミネバ・ラオ・ザビ……」

 

 アインの視線が、その名の重さに応えるように深く沈んだ。

 

 一瞬、艦内の空気が凍りついたかのようだった。

 

 だがハマーンは堂々と、しかしその双眸に僅かな陰を宿して、アインの前に進み出た。

 

 そして、驚くべきことに──跪いた。

 

「ここに至り、アクシズ摂政ハマーン・カーン、全責を以って申し上げます。我々は正統派ティターンズ、並びに連邦総会の下に庇護を求め、亡命を願います」

 

 アインが言葉を返すより早く、後ろから歩み寄る影が一つあった。

 

「よく来てくれたな……ハマーン」

 

 キャスバル・レム・ダイクン。

 

 仮面を捨て、素顔のまま現れたその男は、かつて“シャア・アズナブル”と呼ばれた存在だった。

 

「《エンドラ》で来たか……ということは、君はもはやアクシズに“戻る場所”を捨ててきたんだな」

 

 ハマーンは頷いた。

 

 静かに、だが確かな意志をこめて。

 

「グレミー・トトを担ぐギレン派が動き出している。…私では抑えきれない。だが、あの子──ミネバ様は、ただの象徴ではない。人としての未来を与えるべきだ」

 

 キャスバルがアインに視線を送る。

 

「聞いたな、アイン。…この艦にとって、これは過去の亡霊たちの漂着ではない。“未来”が、歩いてここへ来たのだ」

 

 アインは、ゆっくりと頷いた。

 

「歓迎します、《エンドラ》の皆さん。ミネバ・ラオ・ザビ。あなたの居場所は、ここにあります」

 

 ミネバは目を見開き、そしてハマーンの手を振りほどき、まっすぐアインの前へ歩み出ると、小さな手を差し出した。

 

「はじめまして。私は……ミネバ。ミネバ・ラオ・ザビ。……ここにいてもいいの?」

 

アインはその手を、ゆっくりと握り返した。

 

「はい。あなたは“ここ”に生きて、未来を選ぶのです」

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

「《エンドラ》をそのまま“和平の旗艦”に転用するのも一興だな。アクシズの過去と未来を、物理的に運んできた艦として」

 

 キャスバルの言葉に、アインはただ静かに頷いた。

 

「その艦がたどり着いた先が、地球であったということ。それはもう、それだけで意味があるのかもしれません」

 

「《エンドラ》……“終焉”の名を持ちながら、希望を運ぶ艦か……」

 

 キャスバルは呟くようにそう言い、月を見上げた。

 

「ならば我々はその“夜明け”の先に立つ者だ。そうだろう、同志よ」

 

「はい。キャスバルさん」

 

 その夜明けの空は、もはや一人きりではなかった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

《スードリ》艦内・応接室

 

 宵の静けさが照明の明滅にすら滲む、非公式の空間だった。

 

 制服のジャケットを脱いだアイン・ムラサメは、グラスに水を注ぎながら、慎重にその姿勢を保っていた。

 

 その向かいにいるのは──かつて恐れと敬意をもって語られた「アクシズの摂政」、ハマーン・カーン。

 

 だが今、彼女の表情にあの冷徹な威圧はない。

 

 鋼の仮面を脱いだ女として、ただ一人の若者──アインと対峙していた。

 

 そしてその中間の椅子に座して本を広げているのは、小さな少女。

 

 ミネバ・ラオ・ザビ。

 

 緋色の髪が額に流れ、金の飾緒を付けたドレスが少し大きく見える。

 

 その小さな手が、ときおりアインの袖を引いた。

 

「あのね、これ、アステロイド・ベルトなの?」

 

「うん、そうです。小惑星帯──“たくさんの小さな星の集まり”ですよ」

 

 アインは膝を折って視線を合わせ、小さく微笑む。

 

 ミネバは嬉しそうに頷くと、そのまま彼の手を握った。

 

「アインの手、あったかいね」

 

 ハマーンの目が細められる。

 

 それは敵意でも侮蔑でもない──母のような、複雑な静かな眼差しだった。

 

「……よく懐かれているな。あの子が、あんな顔を見せるのは何年ぶりか」

 

 アインは静かに頷いた。

 

「守ると決めた子どもには、安心して笑ってほしいだけです。……そのために、僕たちは権力や武力を使うのではなく、“未来”を差し出さなければならない」

 

「未来、か……」

 

 ハマーンはため息をついた。

 

「私には……母の顔など、望まれたことはなかった。摂政として、女王の影法師として──私に求められたのは、強さと規律、そして威圧だった」

 

 アインは何も言わず、ミネバの小さな手を包み込むように握りながら、ただ聞いていた。

 

「だが貴方は……まるで“父”のように、あの子に寄り添う。──違う。父というより……」

 

 言葉を探すように視線が揺れる。

 

「……太陽のようなものだ。敵にも味方にも、平等に熱を与える。それでいて、誰よりも遠く、誰にも近い」

 

 アインは小さく首を横に振った。

 

「僕はただ、無力な子どもに“選ばせたい”と思うだけです」

 

 その言葉に、ハマーンはようやく微笑んだ。

 

「やはり貴方は、恐ろしい男だ。キャスバルが“同志”と呼んだ理由が……今は少しだけ分かる気がする」

 

 ミネバがアインの手に額を預け、眠そうに瞬きをする。

 

「……もう少しだけ、ここにいてもいい?」

 

「もちろんです。貴女は、もう“庇護”されるだけの存在ではありませんから」

 

 アインの返答に、ミネバは嬉しそうに微笑み、瞼を閉じた。

 

 その姿に、ハマーンはふと立ち上がる。

 

「アイン・ムラサメ。もし私が、この子の“未来”を託すべき相手を選ばねばならない時が来たなら──その時は、貴方に全てを預けるかもしれない」

 

「……その覚悟は既にあります」

 

 静かな応答。

 

 その言葉に、ハマーンは数秒の沈黙を置いたあと、ようやく一礼する。

 

「今夜は、ただの女として……ありがとう。アイン」

 

「こちらこそ、母としての貴女と対話できたことを、誇りに思います」

 

 照明が少し落とされ、深い静寂が応接室を包み込んだ。

 

 その中心で、アインの膝に頭を預けるようにして眠るミネバの寝息だけが、微かに響いていた。

 

 未来は、まだ幼い。

 

 だが、その小さな手を握る者たちは、誰よりも強くあらねばならない。

 

 そして彼らは、既にその覚悟を分かち合っていた。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 ──ドアが静かに閉じられた。

 

 照明は抑えられ、壁面には地球と月を描いた古い星図が飾られている。

 

 それを背に、男がいた。

 

 赤のノーマルスーツではない。

 

 仮面も、軍服も──“役割”すら脱ぎ去った姿。

 

 ただの一人の男、キャスバル・レム・ダイクンとして、そこに立っていた。

 

 その前に、ハマーン・カーンが歩を進める。

 

 アクシズの摂政としての威光を帯びながらも、その視線には揺れるものがあった。

 

「……久しいな。キャスバル」

 

「名前で呼ぶのか、ハマーン?」

 

「クワトロ・バジーナでは、この場に相応しくないだろう?」

 

 キャスバルは、わずかに唇を歪める。

 

「それは皮肉か。私が名を脱ぎ捨てるまで、随分と時間がかかったからか?」

 

「そうだ」

 

 即答だった。

 

「私は、ずっと待っていた……あなたが“キャスバル・レム・ダイクン”として世界を見据える日を」

 

 静寂が落ちた。

 

 やがてキャスバルは、椅子に腰を下ろし、静かに言った。

 

「お前が“摂政”を演じ続けてきた理由も、今ならわかる。あの子を──ミネバを、ザビの呪縛から護ろうとしていたのだな」

 

「そうだ。そして私は、護りきれなかった。アクシズ内部は既に裂けていた。グレミーのようなギレンの残像を崇める者どもが蠢き、ミネバを玉座へと戻そうとする」

 

 キャスバルの目が細まる。

 

「その時、お前が頼ったのが──アイン・ムラサメか」

 

「……あの少年は、まるで“答え”のようだった」

 

「答え?」

 

「ああ」

 

 ハマーンの声に、わずかな熱がこもる。

 

「私も、あなたも──否、世界の全てが失い続けてきた“清冽な理念”を、彼は掲げている。言葉ではなく、行動で、思想で、人の命を尊ぶことで」

 

 キャスバルは、しばし黙っていた。

 

 やがて目を伏せるようにして、呟く。

 

「……ララァが、生きていたなら。あの少年に出会っていたら──私の何かも、変わっていたかもしれん」

 

 ハマーンの視線が揺れる。

 

 やがて、彼女も腰を下ろした。

 

「私も、あの子の前では“母”でいられる気がした。誤魔化しや威厳ではなく……女として、人として」

 

「……赦された気がしたのだな」

 

「……ああ」

 

 キャスバルは深く頷き、背凭れに身体を預けた。

 

「──世界は変わる。アインの“赦し”が、私の仮面を砕いたように」

 

「私もまた、“強さ”という仮面を脱げるかもしれない」

 

 視線が交錯する。

 

 “理想に敗れ、なお立ち上がろうとする者”同士の、再会だった。

 

「……ハマーン。お前は、これからどうする?」

 

「キャスバル。私は、あの子──ミネバの盾でありたい。そしてそのために、貴方と共に歩もうと思っている」

 

「ジオンの未来を見据えて?」

 

「否。地球と宇宙、全ての人類が向かう“その先”を見据えて、だ」

 

 キャスバルは、再び頷いた。

 

「私はまだ、お前のすべてを赦せる訳では無い。だがそれも乗り越えてこその、これからの時代というものだろう。私はもう、誰の影にもならない。父の名ではなく、“この私”として世界を語ろう」

 

「……遅すぎたな、貴方も。私も」

 

「そうだな…」

 

 そして二人は立ち上がる。

 

 かつて愛憎と権力に引き裂かれた二人の巨星が、ようやく一つの方向を向いて歩み出す。

 

 その夜──《スードリ》の最上層では、“過去に決別した者たち”が、“未来を選び取るための共闘”を誓い合ったのだった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 静まり返ったアルビオン艦内の第1MS格納庫に、機体冷却の蒸気音が微かに響いていた。

 

 艦内照明は薄く抑えられ、黄昏色のランプが、立ち尽くす2人の背を長く伸ばしている。

 

 鋼の巨影。

 

 その中心に鎮座する機体は、まだ完全な戦装を纏ってはいない。

 

 ドラグーン・プラットフォームは未装備、だが本体だけは完成していた。

 

 ──ドレッドノート。

 

 鋼鉄の勇者と謳われたその名を、彼らはあえて口に出さない。

 

「やはり“理屈だけでは語れぬもの”を創ってしまったな」

 

 シロッコが低く呟く。

 

 その声はどこか遠い過去を見ているようで、だが同時に、今の設計を肯定する響きがあった。

 

「……そうですね。言葉にすれば、これは《秩序の中の異端》。でも僕は、必要だと思ったんです。たとえ“歯車の形”が違っていても、全体を前に進ませるなら、組み込むべきだと」

 

 アイン・ムラサメの声は静かだったが、どこまでも凛としていた。

 

 ドレッドノートの胴体──フェイズシフト装甲をまとった純白の胸部には、ティターンズ監察軍政官庁の試験機マーキングが淡く輝いている。

 

「この機体にゼロを乗せるのは、やはり君の意志か?」

 

「ええ。……彼なら、この力を歪めない。制御系との親和性、反応速度、そして何より“勝つことだけを求めない意志”。僕がここまで構造を開いたのも、彼が乗ると決めていたからです」

 

「なるほど。君の言う“機体の心”というやつだな。……本来、技術者とはそう在るべきかもしれん」

 

 シロッコは脚を一歩前に出し、整備中のドレッドノートの足元に近づいた。

 

 その目は鋭く、同時に、どこか慈しむような視線だった。

 

「本来、この機体は“異端”と見做されてしかるべき存在だった。だが、君はそこに“正当性”を与えた。……ああ、アイン・ムラサメ。君はやはり、時代を建て替える“建築者”だな」

 

 アインは何も答えず、ただその場で静かに佇んだ。

 

 ドレッドノートの額部に取り付けられたセンサーアイが、点滅する。

 

 起動ではない。ただの電圧テストだと理解していても、まるで意思をもって二人を見返しているかのようだった。

 

「明日にはコクピットの慣性センサーを調整して、再度モーションチェックを行います。ゼロには午後から搭乗してもらう予定です」

 

「ふむ。ならば、私も久しぶりに“現場監督”らしく指揮台に座るとしよう」

 

 微かに笑い、シロッコはアインを振り返る。

 

 その視線の奥にあるものは、すでに信頼だった。自らの知識と技術を託すに足る器と認めた男──若き大将への、確かな敬意だった。

 

 アインもまた、その視線に応えるように、短く頷いた。

 

 天井クレーンが微かに動き、ドレッドノートの肩部に新たな外装が取り付けられていく。

 

 鋼鉄の心臓を持つ戦士が、ゆっくりとその“勇敢なる姿”を完成させつつあった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 その日、《スードリ》艦内の会議室には、今の地球圏を象徴する全ての勢力の長たちが、ついに一堂に会した。

 

 この場に集った者たちを、歴史はこう記録するだろう。

 

 

■ ティターンズ〈正統派〉側

 

アイン・ムラサメ大将(ティターンズ監察軍政官庁長官・連邦軍臨時大将)

 作戦全体の最高指揮官。

 若干19歳にして議会に信任され、地球圏秩序の象徴となった男。

 

ブライト・ノア大佐(アルビオン艦長)

 月軌道防衛戦の功労者。現在はアインの腹心の一人として艦隊運用を担当。

 

パプテマス・シロッコ大佐(技術顧問・現場監督)

 サイコミュ技術と兵器設計における天才であり、今はアインの思想に従う“建築監督”。

 

ブラン・ブルターク少佐(アルビオンMS部隊隊長)

 現場指揮・地上戦運用の責任者としてこの場に参加。

 

 

■ エゥーゴ・カラバ側

 

ブレックス・フォーラ准将(エゥーゴ代表・地球連邦議会議員)

 連邦総会にてティターンズ正統派との協力を正式表明。

 

クワトロ・バジーナ大尉(シャア・アズナブル/キャスバル・レム・ダイクン)

 すでに仮面を脱ぎ、ジオン・ダイクンの遺児として表舞台に登場。

 この会議では両勢力の仲介者・宇宙と地球の調停者として参加。

 

アムロ・レイ大尉(カラバ所属)

 最強のニュータイプ。現在はアインと信頼関係を築きつつある。

 

ハヤト・コバヤシ(カラバ代表)

 地上勢力カラバの総司令として、キリマンジャロ攻略に協力する。

 

 

■ アクシズ側(非公式)

 

摂政ハマーン・カーン(アクシズ暫定代表)

 急進派・ギレン派の内乱を嫌い、ミネバと共に離脱してきた。

 この場には“観察者”として参加。

 

マシュマー・セロ(ハマーン直属の忠臣)

 副官として同席。正式発言権はないが、アインに礼節を尽くす態度を取る。

 

ミネバ・ラオ・ザビ(ザビ家の血を引く少女)

 まだ幼いが、その存在だけでアクシズの正統性を保証する“象徴”。

 会議そのものには参加せず、別室で待機中。

 

 

 そして、この会議を統べる者が、ゆっくりと口を開いた。

 

「──地球圏の歴史は、今日を以て新たな分水嶺に立ちました」

 

 静かに、しかし確かに。アイン・ムラサメ大将の声が部屋を満たす。

 

「ここに集った皆様は、かつては互いに銃を向け合った者たちです。ですが今、我々は同じ未来を見つめようとしています。ならば、この機を逃す理由はありません」

 

 その目が、クワトロを捉えた。

 

「キャスバル・レム・ダイクン閣下──貴方が、ザビ家ではなく、ジオン・ダイクンでもなく、キャスバルとして歩み出してくれたことに、私は最大の敬意を捧げます」

 

 それは一切の皮肉を排した、真摯な言葉だった。

 

「そしてこの作戦──《キリマンジャロ攻略戦》は、破壊ではなく、“帰順”と“赦し”の道を模索する戦いとします」

 

 アムロが目を細め、ハヤトが静かに頷く。

 

 クワトロがわずかに口角を吊り上げた。

 

「……お前がそれを言える時代を、私は待っていたのかもしれない」

 

 ホロテーブルには包囲線が展開され、ブラン・ブルタークが地形図と兵站網を示す。

 

 ブライトが退路封鎖ラインを確認し、ハヤトとアムロが戦術図へ意見を加える。

 

 パプテマス・シロッコは背後で沈黙を保ったまま、全体の俯瞰図を睨み。

 

 ハマーン・カーンだけが、会議卓の奥でじっとアインの瞳を見つめていた。

 

「貴方が選ぶ“赦し”の戦場……それがどれだけ困難な道か、私も理解しているつもりだ。だが、それを貫けるかどうか──私は、見ている」

 

 それは脅しでも冷笑でもなかった。

 

 かつて血と恐怖で成り立った世界を渡った者だけが抱ける、静かな願いだった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

──ダカール・国際記者会見ホール

 

 深い緊張に包まれた会場は、異様な静寂に支配されていた。

 

 世界中の報道機関が詰めかける中、連邦旗とティターンズの双頭の鷲章、そしてエゥーゴの蒼白い盾の紋章が同じ壇上に並ぶという光景が、まるで歴史の目撃者たちに問いかけているようだった。

 

 まもなくして、左右の袖幕から二人の男が並んで現れた。

 

 一人は、青い制服に身を包んだ中年の男──ブレックス・フォーラ准将。

 

 もう一人は、漆黒と銀を基調とした軍服を纏い、青年とは思えぬ気迫を纏った人物──アイン・ムラサメ大将である。

 

 かつて敵対していた両陣営の代表が、互いに歩調を合わせ、並んで演壇に立った。

 

 ブレックスがマイクを向けられ、最初に口を開いた。

 

「本日、エゥーゴはティターンズのうち“正統派”とされる勢力と、協力体制を正式に結ぶことを宣言します」

 

 短くも力強いその宣言に、どよめきが走る。

 

「言うまでもなく、我々エゥーゴはティターンズの圧政と専横に対し、武を取って抗ってきた。だが、ここにいるアイン・ムラサメ大将が率いる勢力は、その暴力ではなく、理性と秩序によって再建を志す者たちである。彼は、私の命を救い、対話の扉を開いた」

 

 その言葉に、アインは僅かに頭を垂れた。

 

 続いてアインが一歩前に出て、視線を真正面に向けて言った。

 

「私はアイン・ムラサメ。連邦議会より任を受け、正統派ティターンズの再建と、地球圏秩序の確立に努める者です。我々はもはや、かつてのように争うための組織ではありません。今ここに、私は正統派ティターンズを代表し、地球連邦の理念を回復する同盟者として、エゥーゴとの全面的協力体制を宣言致します」

 

 言葉は凛と響き、静かに、しかし確実に世界へと放たれた。

 

「我々はすでに、かつての敵であるクワトロ・バジーナ──いや、キャスバル・レム・ダイクンとも対話を重ねています。彼もまた、復讐や武力ではなく、未来を築くための道を選び取ろうとしている」

 

 報道陣の間に衝撃が走った。

 

 クワトロ・バジーナの真実。キャスバルの名。

 

 そして今、その存在すらも肯定し、協調の名の下に語ったこの若き将官に、誰もが息を呑んだ。

 

 アインは続けた。

 

「我々が為すべきは、地球を休ませること、人類の未来に道を開くことです。そのために、正統派ティターンズは武を収め、エゥーゴと並び立ちます。ティターンズとはすなわち、人類の秩序を守るための責務であり、暴力の看板ではありません。私は、ここに明言致します──対話による秩序の再建を」

 

 ブレックスが一歩寄り、彼の肩に手を置いた。

 

「ならば我々も並び立とう。君のような若き将に、地球の未来を委ねられることを、私は誇りに思う」

 

 アインは一礼し、静かに言葉を返した。

 

「あなたのような大人たちが導いてくれたからです。私はまだ、その志の先にいるにすぎません」

 

 会場の記者たちは、すでに質問も忘れ、ただその歴史的瞬間を記録していた。

 

 これまで“敵”であったはずのふたりが並び立ち、かつての敵意を捨て去っていた。

 

 そしてこの背後には──キャスバルの告白と覚悟、そしてミネバ・ラオ・ザビの庇護と赦しすらも関わっている。

 

 ティターンズとエゥーゴ。

 

 秩序と改革。

 

 アースノイドとスペースノイド。

 

 いま、それらがひとつの舞台に揃い、ようやく「人類」という言葉に重みを取り戻しつつあった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

エンドラ艦・特別応接室──。

 

 人工照明に照らされた静謐な空間は、戦艦の艦内とは思えぬほど丁寧に整えられていた。

 

 その扉が静かに開くと、ひとりの少年──いや、すでに大人と呼ぶべき男が姿を見せる。

 

 アイン・ムラサメ。

 

 地球連邦臨時大将。

 

 そして、今や地球圏全域にその名を響かせる“新たな秩序”の使徒である。

 

「──失礼いたします。お招き、感謝します、ハマーン・カーン閣下」

 

 アインは丁寧な所作で挨拶し、室内を一瞥する。そしてその視線が、意外な人物に止まる。

 

「……キャスバルさん」

 

「来てくれると信じていた。私も、聞いておきたかったことがある」

 

 金髪の男は壁際から静かに立ち上がり、短く頷く。

 

 その目には驚きの色が浮かんでいた。

 

 アインの足元へ──小さな影が駆け寄る。

 

「アイン……!」

 

 紅いドレスの少女。ミネバ・ラオ・ザビ。

 

 無垢な瞳で見上げるその仕草は、アクシズの象徴でも、ジオンの血脈でもない。

 

 ただ、懐いた子供の、まっすぐな想いだった。

 

 アインはそれを受け止め、躊躇うことなく膝を折ってミネバの手を取り、そっと抱き上げた。

 

「来てくれていたんですね。ありがとう、ミネバ様……いえ、ミネバ」

 

 ミネバは嬉しそうに頷く。

 

 その様子に、キャスバルはわずかに目を見張る。

 

「……ずいぶんと……懐かれているな」

 

「アインには……そういう“陽だまり”のようなものがあるのです」

 

 ハマーンが静かに告げると、アインはミネバを抱いたままソファへ腰を下ろす。

 

 姿勢は少し不格好だが、ミネバが安らいだように体を預けている様子が、それで充分に正しかった。

 

「……それで、ハマーン閣下。お話とは?」

 

 アインの問いに、ハマーンは深く呼吸をひとつ置く。

 

「──アクシズの“今”についてだ」

 

 その声には、摂政の名に相応しい威厳と、しかしどこか“疲労”のような感情が滲んでいた。

 

「アクシズは……いま分裂の兆しにある」

 

 ハマーンの言葉に、アインの瞳が細くなる。

 

「……やはり、統制が……?」

 

「内政・軍政の両面で軋みが出てきている。もともと、アクシズは避難民と旧ジオン残党の集合体──支える思想が曖昧なまま拡大した組織だ。私の統治は“代行”であって、崇拝ではない。中には、地球への報復を叫ぶ過激派や、ザビ家の名で力を奮いたいだけの者もいる。それが一先ずは地球圏への帰還という大望のもとに纏まっていたに過ぎない」

 

 ハマーンはその真珠の様な瞳でアインを見据える。

 

「このままでは……第二のジオンを再演するか、あるいは地球へ牙を剥く存在になる。私が……どこまでそれを抑えられるか、自信がない」

 

 言い終えた後、彼女の目が一瞬、アインの膝で眠りそうなミネバに向けられる。

 

「──だからこそ、アイン。貴方と話し合いたい。アクシズを、“滅ぼすべき敵”ではなく、“歴史を終わらせるための主体”として、どう扱うかを──」

 

「……はい。そのために、僕はここへ来ました」

 

 アインの返答に、キャスバルもゆっくりと頷く。

 

「アイン。君に一つだけ問いたい。アクシズを“利用する”つもりは……本当にないのか?」

 

「ありません。僕は誰も“利用”しない。……協力を仰ぐだけです。どれだけ“危うい人々”がそこに居ても──ミネバ様が“居場所”を失わずに済む道があるなら……僕はその一縷の可能性に賭けます」

 

 その言葉に、ハマーンもキャスバルも沈黙する。

 

 ミネバがふと、手元の本を落としそうになり、アインがそれを拾いながら笑う。

 

「ごめんね、退屈だったかな」

 

「……ううん。アインの声、落ち着くから、眠くなっちゃって……」

 

「それなら、少しだけ寝てても大丈夫ですよ」

 

 アインは優しく微笑みながら、ミネバの髪を撫でる。

 

 その穏やかさが、戦艦の艦内とは思えぬほど、柔らかい空気を周囲に広げていた。

 

 ハマーンは、ソファに肘を置き、静かに口を開く。

 

「ミネバは……こうして育てられるべきだったのかもしれないな」

 

「貴女がそう思えるなら、まだ“終わり”ではありません。──再構築は、可能です」

 

 アインの返答に、キャスバルが静かに言葉を重ねる。

 

「アクシズに“新しい意志”を宿す。ミネバをその象徴にしない未来を築くために……だな?」

 

「はい。あの子に“名前”を背負わせるのではなく──“未来”を選ばせる。ザビでもジオンでもなく、“ミネバ”というひとりの子として」

 

 その言葉に、ハマーンは深く、息を吐いた。

 

「──その未来が、どれほど険しいか。貴方も理解しているのでしょう?」

 

「理解した上で、歩きます。だから、ハマーン閣下、キャスバルさん。どうか、もう一度アクシズの未来を、共に考えさせてください」 

 

 三人の間に、沈黙が流れる。

 

 だがそれは“拒絶”ではなく、“受容”のための静けさだった。

 

 そしてその中心で、小さな寝息を立てる少女──ミネバ・ラオ・ザビ。

 

 その微かな呼吸を、三人の指導者が聴いていた。

 

 未来とは、こうして眠る者のためにこそ、築かれるべきなのだと。

 

 やがてキャスバルが、静かに笑った。

 

「君は……本当に、恐ろしいほどの“思想家”だな、アイン・ムラサメ」

 

「僕はまだ未熟です。──でも、それでも、“誰かの人生を強要しない政治”を信じたい」

 

 三人の会話は、長く夜に続いた。

 

 外では戦火がまだ燻っていたとしても──この部屋の中にだけは、確かに“世界を変え得る静けさ”が存在していた。

 

 

 

 

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