ムラサメさん家のイチバン=サン   作:星乃 望夢

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第66話 僕だけが、全部背負えばよかったんだッ……!

 

 宇宙世紀0087年9月20日──。

 

 地球、アフリカ大陸中央高地。

 

 旧地球連邦軍現ティターンズバスク派の大要塞「キリマンジャロ」を眼下に、歴史がいま動こうとしていた。

 

 かつてのジオン公国による強襲、そしてグリプス戦役におけるティターンズの中枢拠点化。

 

 幾度もの血が流されたこの地に、いま再び、地球圏の未来を左右する“決断”が下されようとしていた。

 

 だが今回は、異なる。

 

 これは「侵攻」ではない。

 

 これは「対話」のための「包囲」である。

 

 高空を、四隻の母艦が扇状に展開していた。

 

 北西──カラバ所属、《アウドムラ》

 南西──連邦軍所属、《メロゥド》

 南東──監察軍政官庁旗艦、《アルビオン》

 

 そしてその遥か後方、空中に静止する巨影──。

 

 ティターンズ監察軍政官庁本部艦、《スードリ》。

 

 その配備は、まるで鉄の花弁がつぼみを囲むような陣形だった。

 

 標的はただひとつ──キリマンジャロ要塞。

 

 地上では、カラバの地上部隊が展開していた。

 

 主力はネモ部隊。

 

 その指揮を執るのは、地球へと帰還したエース、アムロ・レイ大尉。

 

 搭乗機は、監察軍政官庁より貸与されたガンダムMk-Ⅱ 4号機。

 

 白を基調とした機体色に、ティターンズの紋章は消され、代わりに小さく“監察軍”の印が刻まれていた。

 

 アムロの眼差しは冷静でありながらも、どこか遠くを見つめていた。

 

 この戦いが「撃ち合い」ではなく「譲り合い」で終わることを、誰よりも強く願っていた。

 

 その後方、背に並ぶのはジェガン部隊──。

 

 量産体制に入ったばかりの初期ロットである。

 

 その中でも、一際目立つ三機があった。

 

 それぞれのコクピットには、

 

 ベルナルド・モンシア中尉

 

 アルファ・A・ベイト大尉

 

 チャップ・アデル中尉

 

 と、かつて不死身の第四小隊として名を馳せた猛者たちが搭乗していた。

 

「……こいつぁ、派手な陣形だな。派手すぎて逆に撃てねぇってのが笑えるがよ」

 

「黙ってろモンシア、威圧感で押すのが任務だ。引き金を引かずに勝つ……そういう任務もある」

 

「ベイト……最前線で静止しながら一言も喋るなってのは無理な話だぜ。見ろよ、空にゃリゼルとアンクシャが跳ねてるぞ」

 

 彼らの会話は無線越しに交錯しながらも、部隊は静かに整列していた。

 

 空には、新鋭の可変MS部隊が展開していた。

 

 リゼル──高高度巡航を可能とした全領域対応量産型可変MS。

 

 アンクシャ──可変型の支援MSとして監察軍政官庁が実用化した空戦MS。

 

 その護衛に配されたのは、往年の可変機──アッシマーである。

 

 上空を旋回し、いつでも即応できる体制が整えられていた。

 

 メロゥド方面からは、周辺基地から掻き集めたジムⅢ部隊が広く展開。

 

 歴戦のパイロットたちが搭乗し、古強者としての誇りを持って臨んでいた。 

 

 エゥーゴ陣営は南西側斜面に展開していた。

 

 先頭にはΖガンダム、カミーユ・ビダン。

 

 その傍らには、

 

 エマ・シーン中尉のロングダガー・フォルテストラ

 

 アポリー中尉とロベルト中尉のロングダガー部隊

 

 量産向けに調整されたデュエルダガー

 

 準量産機として配備されるストライクダガー

 

 そして、その最前列に立つ金の機体──百式。

 

 搭乗者は、エゥーゴの象徴にして今や地球圏の「同志」──クワトロ・バジーナ、その実名をキャスバル・レム・ダイクン。

 

「──まるで、地球圏そのものを代表する陣容だな……アイン。君は、本気で“戦わずして勝つ”つもりか」

 

 キャスバルが遠方に浮かぶ《スードリ》を見やり、呟いた。

 

 そして、その《スードリ》の艦前空域──。

 

 まるで“御旗”のようにその姿をさらした機体こそ、今回の戦略指揮を担う中心。

 

 アイン・ムラサメ大将のサイコデウスガンダム

 

 ゼロ・ムラサメ大尉のドレッドノートガンダム

 

 ドゥー・ムラサメ少尉のウーンドウォート・フルアーマークインリィ

 

 コウ・ウラキ中尉のウーンドウォート・ギガンティック形態

 

 そして空を遊弋する、ブラン・ブルターク少佐とチャック・キース少尉のアンクシャ

 

 

 戦力比だけを見れば、圧倒的。

 

 だが、その刃は未だ鞘に収まっている。

 

 それは、アインの掲げた基本方針──「対話による投降の促し」、即ち、「兵糧攻めによる無血開城」が未だ放棄されていない証だった。

 

 今、キリマンジャロは包囲されている。

 

 だが、それは“抑圧”ではなく、“問いかけ”である。

 

 ──まだ、君たちに選ぶ余地はあるのだと。

 

 撃たれるべき最初の一発が、未だ空に走らない奇跡の中。

 

 地球圏の意志が、一つの山を包囲し、静かにその時を待っていた。

 

 この戦いは、ただの陣取り合戦ではない。

 

 思想と、秩序と、未来の価値を懸けた──“対話の最終戦”なのだ。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 キリマンジャロ基地──地下制御ブロック・司令司令室。

 

 通信卓のスクリーンがいくつも点滅し、各所の観測情報を赤と黄色のインジケーターが埋め尽くしていた。

 

 熱源反応、機体識別タグ、推進熱、着陸痕──そのすべてが“包囲”を意味している。

 

「……おい、いま確認した数は……?」

 

「……モビルスーツ、180機を超えています。うち、エゥーゴ系40、カラバが60、残りが……監察軍政官庁旗……」

 

「くそぉ……アイン・ムラサメめが……っ!」

 

 バスク・オム大佐の手が、作戦卓を叩きつけるように殴った。

 

 眉間に深く刻まれた皺。

 

 額に浮かぶ汗。

 

 だが、それ以上に彼の目を見開かせたのは──そのスクリーンの中央に映る、一機の異形のMSだった。

 

 白と黒の融合、妖しく曲がった四肢、制御ユニットのように浮かぶ支援ブロック。

 

 そしてその背に増設されたサイコミュ干渉兵装、複合多重スラスター構造にミノフスキー・クラフト。

 

 ──フルアーマー・ウーンドウォート・クインリィ。

 

「なぜだ……ッ! あの機体は……! 何故あれがあそこにあるッ!」

 

 バスクの怒声が作戦卓を越えて反響する。

 

「図面段階で止まっていたはずだッ! 私が最後に確認したのは……二週間前! モックアップさえ、未完だったはず……!」

 

 傍らに控えていた参謀将校が、小声で震えながら告げる。

 

「……恐れながら大佐。開発が完了していた可能性が……特火戦力として、監察軍政官庁が……」

 

「──黙れ!!」

 

 怒号が飛ぶ。

 

 参謀の肩が震える。

 

 バスクは足を踏み鳴らし、もう一つの映像を睨んだ。

 

 そこには、サイコデウスガンダムを筆頭に、ウーンドウォートの系譜、ドレッドノート、アンクシャ、そしてジェガンとリゼルまでが編成された連合軍の姿があった。

 

「……馬鹿な……! 何が、正統派だ……! あれは反逆だ! 軍事クーデターに等しい……!」

 

 作戦幕僚の一人が、しかし恐る恐る指摘する。

 

「……しかし、アイン・ムラサメは、既に連邦議会で“大将”に任命されています。監察軍政官庁も、ジャミトフ准将の名で布告され……」

 

「貴様、あの若造に寝返る気かッ!? この私を差し置いて、“連邦の顔”に選ばれた男を認めるとでも言うのか!!」

 

 その瞬間、バスクの眼光が、かつてのティターンズを支配していた頃の“獣”のそれに戻った。

 

 しかし、その怒りは同時に、“恐怖”から来るものであることを誰の目にも隠せなかった。

 

 ──兵器開発の主導権を奪われた。

 

 ──人材の流出を止められなかった。

 

 ──そして、自らの存在意義を代替されつつある。

 

「……フルアーマー・クインリィ……私の、切り札だった……! サイコミュ戦術の象徴、連邦に恐怖を刻む“力の印”だった……! それが、奴の側にあるなどと……ッ!」

 

 司令室の空気が沈黙で覆われる。

 

 バスクは机に手をつき、荒い呼吸を繰り返した。

 

「……ならば、交渉の余地はない。奴らは正義を名乗って、この基地を奪いに来た。ならば……全戦力をもって迎撃する!」

 

 幕僚たちは互いに視線を交わした。

 

 だが、彼らの目にも迷いがあった。

 

 ──外は、あまりに静かすぎる。

 

 ──包囲は、撃つためのものではない。

 

 ──そう理解できるほどの布陣だった。

 

 だが、バスク・オムには通じない。

 

「奴らは、“正義”の名を借りて、力による支配を完成させようとしている……! その手先が、アイン・ムラサメというわけか!」

 

 拳が震え、視線がスクリーンの中央──

 

 アイン・ムラサメのサイコデウスガンダムに向けられた。

 

「──この私が、貴様に敗けるわけがない……ッ! 連邦も、地球も、私を必要としているんだ……!」

 

 その声に応じる者は、最早いなかった。

 

 沈黙の中、ただオペレーターの指が震えながら入力を続ける。

 

 キリマンジャロ──沈黙の要塞。

 

 その内部では、暴力の過去にしがみつく男の末路が、いま静かに動き始めていた。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 朝靄の残るキリマンジャロの裾野に、巨大なモビルスーツが佇んでいた。

 

 サイコデウスガンダム。

 

 その黒く重厚な機体からは、熱も衝動も感じられない。

 

 ただ、そこに存在しているという“意志”だけが、冷ややかに大気を震わせる。

 

 その中枢で、アイン・ムラサメは目を閉じていた。

 

 ……バイオセンサーが共鳴する。

 

 呼吸の波長と同期するように、機体が静かに応える。

 

 彼の指先は操縦桿に添えられたまま動かず、発信系統に視線を落とす。

 

 全通信回線、全地球圏帯域、軍民問わず──全領域へ開放。

 

「……こちらは地球連邦軍・大将、アイン・ムラサメである」

 

 その声は、反響せず、だが確実に拡がった。

 

 地球全土に、そしてキリマンジャロの全ての構造体に、隅々まで染み渡るように。

 

「今、我々は戦端を開こうとしている。しかし、それは血を求めるものではない」

 

 視線の先には、未だ動かぬキリマンジャロ基地。

 

 その防衛ラインに並ぶ兵たちを、アインは見据えた。

 

「我々の目的は、“制圧”ではない。“報復”でもない。──ただ、未来のために、この基地を取り戻す。それだけだ」

 

 沈黙が走る。

 

 スピーカーから流れるその静謐な声は、やがて言葉を変えた。

 

「キリマンジャロ基地の全将兵に告ぐ」

 

 声色が、僅かに重くなる。

 

「……貴殿らに銃を向けることを、私は望まない。無益な抵抗は、誰の未来にも繋がらない。──この戦場に、無駄死にを刻むな」

 

 ひと呼吸。

 

「私たちは、投降を受け入れる。武装を解除し、降伏の意思を明確に示せば、貴殿らの命は保障される」

 

 その言葉は、バイオセンサーを通して、機体全体からまるで祈りのように放たれていた。

 

「命令によって動く者であるならば、ここで自らの意志を持て。仲間を失いたくないと願う者ならば、ここで立ち止まれ」

 

 一度言葉を区切り、息を呑む。

 

「──今ここに、私は呼びかける」

 

 アイン・ムラサメは、両目を静かに開いた。

 

「無駄死には、するな」

 

 通達が終わった瞬間、広域通信は遮断された。

 

 音が消えたキリマンジャロには、ただ遠く、風に揺れる草の音と、戦場とは思えぬ静寂が横たわっていた。

 

 空では、アンクシャとリゼルが旋回を続けている。

 

 その下で、ネモとジェガンがじっと動かずに待機し、百式とガンダムMk-II、Z、ウーンドウォートが全てを見守っていた。

 

 これは、戦争ではない。

 

 これは、未来の選別だ。

 

 武器を取るか、希望を取るか。

 

 その選択肢を、彼は“誰にでも”開いた。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 アイン・ムラサメの“声”が──空気の震えそのもののように、戦場全域へ降り注いだ。

 

 それは命令でもなければ、怒号でもなかった。ただ、静かで、熱を秘めた「言葉」だった。

 

「……っ」

 

 通信が切れたあと、ヘルメット越しにカミーユは唇を噛みしめていた。

 

 ──こんな呼びかけを、ティターンズの“中枢”がしている。

 

 怒りではなく、哀しみと理性が言葉に乗っていた。

 

 そしてその声には、どこか“痛み”さえ滲んでいた。

 

(……どうして、あんな声が……あの人から……)

 

 これまでカミーユが知ってきたティターンズは、傲慢で、暴力的で、力を誇示し、民を押し潰す存在だった。

 

 ──だが今、サイコデウスの中から聞こえた声は、それとは違っていた。

 

 カミーユの心に残ったのは、最後の言葉だった。

 

 「無駄死には、するな」

 

 心が揺れる。

 

 それは、戦う理由を喪失した者にとって、許しのようであり、それでも戦う者にとって、重荷のようでもあった。

 

「……あなたは……どこまで見えてるんだよ、アイン・ムラサメ……」

 

 自分と違う未来を、確かに背負っている存在が、そこに居る。

 

 アムロは音が止んだ空に、しばし視線を巡らせていた。

 

 その瞳は、戦争を何度も生き延びた者の、研ぎ澄まされた眼光だった。

 

 ──だが、その中に一筋、ほのかに何かが残っていた。

 

(……これが、19歳の“声”か)

 

 その若さとは裏腹に、アイン・ムラサメの言葉には“重さ”があった。

 

 まるで、何十年も軍政と戦争の中を歩いてきた者が辿り着いた“終着点”のような──

 

「……言葉が戦争を止めることなんて、普通はない。けどな……お前のそれは、本気なんだな」

 

 アムロは、かすかに笑みを漏らした。

 

「ならば俺は──その背中を見させてもらうさ」

 

 彼はまだ戦士だった。

 

 だがその戦士は、かつての少年の姿に、どこか未来を見ていた。

 

 沈黙が流れる中、クワトロは目を閉じていた。

 

 アインの声、それは“政治の言葉”であったと同時に、“戦場の言葉”でもあった。

 

(……アイン。お前は本当に、言葉でこの世界を変えるつもりなのか)

 

 彼は理解していた。

 

 アインが今、敵味方の境を溶かすような言葉を放った意味を──。

 

 それは、戦いを否定するのではない。

 

 戦わざるを得ない者たちに対して「逃げ道」を示す言葉だった。

 

「…本当に、母の様な優しさだな。兄として、嬉しくもあり、誇らしくもある」

 

 クワトロは静かにモニターを見つめた。

 

 そこには、サイコデウスガンダムのシルエットが、朝日に逆光となって立っている。

 

 その姿は、かつて自分がなろうとした“革命の象徴”とは違っていた。

 

 ──だが確かに、そこに“変革の炎”があった。

 

 そして三人は、それぞれの戦場で、微かに呼吸を整える。

 

 武器は構えぬまま。

 

 だが、心はもう準備を終えていた。

 

 これは、殺し合いではない。

 

 これは、「言葉」が通じるかどうかを試す最後の戦いなのだ。

 

 そして──沈黙を破る者が、果たしてどちらであるかは、まだ誰にも分からなかった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 ──その声は、空から降ってきたのではなかった。

 

 しかし、ただの音声ではなかった。

 

 エンドラのモニターには、巨大なモビルスーツの姿と、その通信が映されている。

 

 だが──

 

「……違う……」

 

 ミネバ・ラオ・ザビの小さな唇から、そう漏れた。

 

 椅子に座ったままのハマーンは、その囁きを聞いてわずかに眉をひそめた。

 

「ミネバ様?」

 

 だがミネバは答えなかった。

 

 いや、答えられなかった。

 

 その“声”は、確かに聞こえていた。けれど、耳ではない。モニターからでもない。

 

 胸の奥が震えるような、肌を撫でる風のような、それでいて何よりも温かな“なにか”が──自分の中に、直接流れ込んできていた。

 

 

 ──投降せよ。

 

 ──君たちは、生きて帰ってよい。

 

 ──無駄死には、するな。

 

 

 言葉の一つひとつが、刃ではなかった。

 

 それはただ、相手を壊すための戦いの道具ではなく、心を揺らし、救おうとするような……とても静かで、優しくて、強い意志だった。

 

 ミネバの指先が、膝の上の制服の布をきゅっと掴んだ。

 

 ──アイン。

 

 彼女は知っていた。その声の主を。

 

 あの静かな笑顔を、淡い瞳を、時折冗談のように小さく笑うあの人を。

 

 遠くからでも、顔が見えなくても、間違えるはずがない。

 

 彼の“声”が、彼そのものが、今、呼びかけていた。

 

「ハマーン……アインが……」

 

 ようやく絞り出したその声に、ハマーン・カーンは静かに視線を向ける。

 

 その瞳は、今もなお画面の中のガンダムを捉えていた。

 

「見えているのか。いや……感じ取っているのか、ミネバ」

 

 わずかに、そう呟く。

 

 ミネバの身体は、震えていた。怖いわけじゃない。悲しいわけでもない。

 

 ただ──“繋がっている”と、確かに思えた。

 

 誰かと繋がれること。自分の中の何かが“誰か”に届くこと。

 

 そんな経験は、これまでなかった。

 

 ──もっと、繋がりたい。

 

 ミネバはそう思っていた。無意識のままに。

 

 もっとアインと繋がりたい。

 

 ただ見ているだけじゃない、言葉で、気持ちで、心で──。

 

 それがどういう意味を持つか、まだ彼女は言葉にできない。

 

 けれど、その願いは──確かにあった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 その瞬間、サイコデウスガンダムのコクピットで、アイン・ムラサメはふと胸に何かを感じていた。

 

 ほんの一瞬、心臓の奥が、ふっと水面に落ちた雫のように、波紋を描いた気がした。

 

「……?」

 

 何もない。

 

 感覚の錯覚か。

 

 いや──違う。

 

 彼は気づいていなかった。

 

 だが、繋がってしまっていた。

 

 “彼女”の想いと、“彼”の想いとが、バイオセンサーを通じて、微かな“共振”を始めていた。

 

 静かに、しかし確実に、運命の波紋は広がっていた。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 風が止んだ。

 

 共鳴の波が過ぎ去った大地に、静寂だけが残された。

 

 南アフリカ高地、キリマンジャロを望む広大な台地の上。

 

 巨躯の機体、サイコデウスガンダムが、ただひとり佇んでいた。

 

 そのコックピット内部、沈黙の中に浮かぶのは、アイン・ムラサメ──その姿であった。

 

 静かだった。

 

 けれど、その沈黙は「穏やかさ」とは程遠い。

 

 彼の指先が、震えていた。

 

 何もしていない。なのに、指が勝手に動き、汗が額から流れ落ちる。

 

 ──知られてしまった。

 

 心が、さざ波を立てる。

 

 あの“未来”が──あの呪いが──あの絶望が──。

 

 他人の心に触れてしまった。

 

「……やめろ……やめてくれ……僕の中だけに、あればよかった……!」

 

 かすれた声が、密閉されたコックピットの中に割れ落ちた。

 

 誰に届くわけでもない。だが、止められなかった。

 

「あんな光景……! こんな未来なんて……!」

 

 怒声は吐き捨てにも似ていた。

 

 涙のように滲んだ視界の先、モニターにはまだキリマンジャロの基地が映っている。

 

 だが、その現実の景色さえ、彼には幻のように見えていた。

 

 ──アクシズに向かって放たれた光。

 

 ──重力を越えた“それでも”という意志。

 

 ──それが、誰かの心を救った。

 

 だが、それを「知っている」というだけで、彼は傲慢になる。

 

 それを「見た」というだけで、他人に“演技”ができてしまう。

 

 だから、アインは何よりそれを恐れていた。

 

「僕は、ずるい人間なんだ……!」

 

「誰かの気持ちが、わかったふりができる。未来を知ってるから、答えを与える側になってしまう。そんなのは……ずるい……!」

 

 震える息。

 

 コックピットの中で両手が無意識に頭を抱え込む。

 

「そんなのは……! 優しさじゃないッ……!」

 

 だが――それでもなお、共鳴は止まない。

 

 彼の意識は敏感すぎるほど研ぎ澄まされていた。

 

 バイオセンサーとプロトタイプのサイコフレームが、彼の内面を拡張し、共鳴を引き寄せてしまう。

 

 ──受信者。

 

 ニュータイプ。

 

 それを“受け取れる者”は限られていた。

 

 ミネバ、ハマーン、シロッコ、カミーユ、アムロ、キャスバル……。

 

 ニュータイプとして心が開かれた者たちだけが、この“狂乱の絶叫”を受け取ってしまっていた。

 

 だが、そのことすら、アインにはわからない。

 

 彼は孤独のまま、自らの中に膝を抱えて、声を絞り出すように呟いた。

 

「……こんな未来、皆に見せたくなんかなかった……僕だけが、全部背負えばよかったんだッ……!」

 

 風が、音もなく通り過ぎる。

 

 サイコデウスガンダムの機体が、その風にすこしだけ軋んだ。

 

 そのとき、モニターに点灯が走る。

 

 キリマンジャロ基地、第三司令塔からの小さな、けれど確かな“降伏信号”だった。

 

 それがどれほどの決断を要したのか。

 

 今のアインには、それを計る余裕もなかった。

 

 ただ──受け止めるしかなかった。

 

「……無駄死には、するなよ……」

 

 そう、誰に向けてでもなく、ただつぶやいた。

 

 だがその言葉の底には、誰よりも強い願いと、誰よりも深い後悔が滲んでいた。

 

 ニュータイプたちは、その“願い”を知っている。

 

 だが、アインだけが──まだ、それを知らない。

 

 だからこそ、彼は狂いながら、祈りをやめない。

 

 『それでも──』

 

「それでも……!」

 

 未来は、まだ変えられるのか?

 

 この呪いの連鎖は、誰かの手で、断ち切れるのか?

 

 答えは、まだ遠い。

 

 だが、アイン・ムラサメは今日もまた、孤独に立っている。

 

 未来を知り、未来に抗う者として。

 

 

 

 

 

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