ムラサメさん家のイチバン=サン   作:星乃 望夢

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第67話 それでも、僕は…行くよ

 

 薄く霞んだ空の向こうで、何かが“きらめいた”。

 

 それはただの光じゃなかった。

 

 銃火でも、ミノフスキー粒子の反射でもない。

 

 それはもっと、深くて、温かくて──やさしい光。

 

「……キラキラ……してる」

 

 ドゥーは、フルアーマークインリィのコックピットの中で、ゆっくりと目を閉じていた。

 

 サイコミュを通して拡がっていく。

 

 心が、機体と共鳴して、世界の声に触れていく。

 

 戦場のざわめき、誰かの呼吸、遠くの嘆き。

 

 それらすべてを越えて──その中心に、“彼”の声があった。

 

 アイン──。

 

 キリマンジャロの大地に佇む、サイコデウスガンダムの中。

 

 そこにいる彼の心が、どこまでも広がっていた。

 

 見えた。

 

 蒼と虹の光の中、重なるようにして“それ”が立っていた。

 

 ──ユニコーンガンダム。

 

 幻のように揺らめきながらも、確かにそこに存在する神秘の機体。

 

 けれど、そこに宿る心は、決して穏やかではなかった。

 

 ──泣いていた。

 

 アインが、泣いていた。

 

 あの完璧な、冷静で、理知的な彼が──。

 

 心の底で、誰にも届かない場所で、声を押し殺して、泣いていた。

 

「……くるしい……の?」

 

 優しい光に包まれながらも、その奥に沈む魂の叫びが、ドゥーの心を突き刺す。

 

《僕だけが、全部、背負えばよかったんだッ──!》

 

 その声が──砲撃よりも強く、雷鳴よりも激しく、ドゥーの胸の奥に叩きつけられた。

 

 痛かった。

 

 悲しかった。

 

 でも、一番強く感じたのは──彼の、孤独だった。

 

「……アイン……」

 

 ぽたり、と。

 

 涙が、瞳から零れ落ちた。

 

「泣いてるの……、ボク?」

 

 自分のための涙じゃない。

 

 彼が泣いているから、胸が張り裂けそうになったから──

 

 だから、気づいたら、泣いていた。

 

「アイン……ボク、ここにいるよ……」

 

 サイコデウスの気配に、そっと寄り添うように。

 

 フルアーマークインリィが、静かにその姿勢を変えた。

 

 守りたかった。

 

 支えたかった。

 

 あの孤独に凍える心に、ただ“寄り添いたかった”。

 

 けれど──今はまだ届かない。

 

 ドゥーは、そのことも知っていた。

 

 それでも彼女は願う。

 

 たとえ、ほんの少しでも。

 

 あの涙の温度を、誰かが拭ってくれますようにと。

 

 コックピットの中、一筋の光が胸に灯った。

 

 それは、アインの魂の痛みと、ドゥーの願いが交差して生まれた、小さな祈りのかけらだった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 キリマンジャロを望む大地。

 

 その頂を見下ろすかのように、サイコデウスガンダムは蒼く輝いていた。

 

 微細な粒子が機体から放たれ、風のように空間を撫でる。

 

 それは粒子ではない。思念の波、魂の残響──人の心が物質を介して、空間に触れ始めていた。

 

 この時、量子通信を搭載するMS《ドレッドノート》の中継機構、Ζガンダムに備わったバイオセンサー、サイコデウスガンダムのサイコフレームとが奇跡的な共鳴を起こしていた。

 

 そして、その中心には、アイン・ムラサメの「想い」があった。

 

 その光は、遠く離れた場所にまで届いていた。

 

 

 

◇◇◇◇◇ 

 

 

 

 ダカールに停泊する巡洋艦《エンドラ》の一室。

 

 深く重い静寂のなか、少女は独り、座っていた。

 

 部屋のモニターでは、数分前に流れた“あの声”の再送映像が繰り返されていた。

 

 けれど彼女は、その映像を「見て」いたわけではない。

 

 目の前にあるのはただの記録媒体。

 

 ミネバの心が捉えていたのは、もっと深く、もっと遠くの、あの人の“想い”そのものだった。

 

 

 ──優しい声だった。

 

 ──でも、どこか悲しかった。

 

 ──ずっと、遠くにいるのに、すぐそばにいるように感じた。

 

 

 ミネバの意識が、“何か”に包まれていく。

 

 それは、アインという人の心。

 

 ただ一人、戦場の最前線に立ち、誰よりも人を信じようとし、誰よりも痛みを知っている男の魂だった。

 

 ──なんて優しい人なの。

 

 少女の心が、涙に濡れていく。

 

 胸の奥にある感情の泉が、静かに湧き上がる。

 

「アイン……」

 

 微かに呼んだ声は、部屋の空気すら震わせるようだった。

 

 その瞬間だった。

 

 少女の胸に、もうひとつの波が届く。

 

 ──同じ痛みを、同じ想いを抱く、もう一人の心。

 

 ドゥー・ムラサメ。

 

 その存在が、ミネバの心に“触れた”。

 

 フルアーマークインリィのコックピットの中で、ドゥーは目を閉じていた。

 

 通信もない。映像も届かない。

 

 けれど、彼女は“それ”を感じていた。

 

 それは、粒子でも電波でもない。

 

 “心”だった。

 

 温かくて、優しくて、切なくて、触れた瞬間、胸の奥がちりちりと疼くような──そんな感覚だった。

 

「……キラキラしてるのに……」

 

 ドゥーがぽつりと呟いた。

 

 ユニコーンの幻影が、サイコデウスの肩にそっと重なるように現れていた。

 

 銀白の光を湛えた姿は、神々しいほどに美しかった。

 

 でも──その中で、泣いているアインの姿が見えた。

 

 肩を震わせて、声もなく泣く青年。

 

 その胸の奥からほとばしる、叫びにも似た魂の声が、ドゥーの魂に、鋭く叩き込まれた。

 

「アイン……」

 

 ドゥーの両目から、ぽろぽろと涙が零れ落ちた。

 

 それは同情ではない。

 

 哀れみでも、憐憫でもない。

 

 “ただ、アインの痛みに心が震えた”──それだけだった。

 

 そしてその瞬間、二人の少女の意識が“繋がった”。

 

 ミネバとドゥー。

 

 それは意図したものではなかった。

 

 だが、互いの“想い”が、偶然にも同じ人物を中心にしていた。

 

 アイン・ムラサメ。

 

 彼の痛みに触れた魂たちが、共振したのだ。

 

 

 ──私は、この人のことを、もっと知りたい。

 

 ──この人を、もっと支えたい。

 

 ──この人と、生きていきたい。

 

 

 言葉にならない想いが、心から心へ、流れていく。

 

 ミネバの胸が、熱くなる。

 

 ただの感応ではなかった。

 

 これは、初めて誰かを“好きだ”と思った、少女の初恋の痛みだった。

 

 一方のドゥーは、涙で曇った視界の中、コックピットをぎゅっと抱きしめた。

 

 彼女にとってアインは、「唯一の理解者」ではない。

 

 「唯一、怖くない世界」だった。

 

 その優しさを思い出すたびに、胸が苦しくなる。

 

 そして、二人の魂は、やがて一つの願いにたどり着いた。

 

 

 ──アインを、守りたい。

 

 ──アインを、独りにしたくない。

 

 

 幼き魂たちの、その祈りだった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 その声は、風ではなかった。

 

 その光は、太陽でもなかった。

 

 それでも、世界は一瞬──震えた。

 

 キリマンジャロの大地を見下ろす漆黒の巨影──サイコデウスガンダム。

 

 その中枢にいるアイン・ムラサメは、まるで世界の全てを拒むかのように目を閉じていた。

 

 その瞼の裏には、未来という名の地獄が焼きついていた。

 

 それを知られてしまった事実が、静かに、しかし確実に──彼の心を壊していった。

 

 サイコフレームの粒子が蒼い燐光を発し、機体の骨格を震わせながら微細な波動を放ち始める。

 

 その波動は、単なる機械の反応ではなかった。

 

 それは魂の悲鳴、存在の震えだった。

 

 バイオセンサーが共振し、アインの心の奥底に沈められていた“叫び”を、解き放つ。

 

 そして、溢れたのは──慟哭。

 

 誰にも届かないはずだった痛み。

 

 知られたくなかった絶望。

 

 自らも気づかぬうちに、アインは心の中で封じていた想いを解き放っていた。

 

 それは計算されたメッセージではなかった。

 

 それは戦術でも、政治でも、思想ですらない。

 

 それはただ、少年の“本音”だった。

 

『僕だけが──全部、背負えばよかったんだッ……!』

 

 その声は、誰かに届くことを望んではいなかった。

 

 むしろ、誰にも届いてはならないと、彼は思っていた。

 

 だが、それでも。

 

 その祈りのような呟きは、広がっていった。

 

 誰かが傷つくなら、自分が代わりに傷つけばいい。

 

 誰かが絶望するなら、自分が代わりに泣けばいい。

 

 誰かが負うべき罪があるなら、それを肩代わりすればいい。

 

 それが、アイン・ムラサメという存在が選んだ“道”だった。

 

 優しさではない、覚悟だった。

 

 孤独ではない、使命だった。

 

 だが、その慟哭は、サイコフレームを通して増幅され、宇宙へと放たれたとき──共鳴を超えた、“真の共鳴”へと変質していた。

 

 それは思念ではない、それは声でもない。

 

 それは、“震え”だった。

 

 魂が魂に触れ、想いが想いを突き刺した。

 

 それは、ニュータイプたちの意識を、眠りから呼び覚ます鐘の音のように響いた。

 

──そして、世界は、震えた。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

「っ……苦しい……っ!」

 

 息が詰まるような痛みが、胸を貫いた。

 

 Zガンダムの操縦席に座るカミーユは、突如として心に流れ込んだ感情の奔流に、咄嗟の抵抗すらできなかった。

 

 それは痛み、悲しみ、絶望。

 

 そして、慟哭。

 

 だが、それだけではなかった。

 

 その奥にあったのは、誰よりも優しく、誰よりも脆い、ひとつの祈りのかたちだった。

 

 カミーユの意識に、過去の自分が浮かぶ。

 

 ジ・Oに体当たりし、命の火を投げ出したあの瞬間。

 

 そのあとに残った、壊れた心。

 

 だが今、彼の目に映ったのは、違う未来だった。

 

 ファと寄り添い、静かに笑い合う平穏な時間。

 

 手を伸ばせば届く距離にあったはずの希望。

 

 そこに、アイン・ムラサメの声が重なった。

 

 叫び、泣きながらも、“それでも”と前へ進もうとする少年の姿が、魂に焼きつく。

 

「……俺は、壊れることしか選べなかった……でも、君はそれでも、と……!」

 

 頬を伝う涙。

 

 それは、過去を悔やむ涙ではなかった。

 

 自分では見られなかった未来を、誰かが見ていてくれたことへの、感謝の涙だった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 視界の端に、アクシズが浮かぶ。

 

 νガンダムで押し返した光景が、今なお鮮明に蘇る。

 

 そして今、彼の心に届いたのは、それを"見ていた"誰かの視線だった。

 

「君は、それを……あの先を、ずっと見ていたんだな」

 

 アインの慟哭。

 

 それは、未来を“知ってしまった”少年の痛みだった。

 

 希望だけではなかった。

 

 失敗も、裏切りも、破滅も、すべてを知ったうえで、それでも誰かのために進もうとした覚悟。

 

「刻が見えるというのは、こんなにも……苦しいことなのか、ララァ」

 

 静かに、手が震える。 それでも、目を逸らさない。

 

「……これも、繰り返される宇宙のひとつなのか? 君が作った世界の一つなのか? その業を、たったひとりの少年に背負わせたのか、ララァ。……なら、俺たちは……どうすればいい。教えてくれ、ララァ」

 

 問いの先に、答えはなかった。

 

 だが、アインの言葉が、それを照らしていた。

 

『それでも──』

 

「そうだな──それでも、前へ行こう」

 

 アムロに届いた声は、誰のものでもなかった。

 

 だが確かに、宇宙に届いた。

 

 それは、次の世代への“バトン”だった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 赤く染まる宇宙、アクシズの落下。

 

 サザビーの中で、憎しみに取り憑かれた自分。

 

 その記憶は、キャスバルの胸に深く突き刺さっていた。

 

 だが、そこに差し込んだのは、ひとつの微かな光だった。

 

 アインの慟哭。

 

 自罰的な祈り。

 

 それは、かつて自らが捨てた“希望”の残響だった。

 

「私は……間違えていたのか」

 

 その問いに答える声はない。

 

 だが、胸の奥で何かが軋む。

 

 壊れかけた信念の隙間に、アインの叫びが染み込んでいく。

 

 そしてあれは彼と出逢えなかった私だと、別の私を哀れに想う。

 

 彼に出逢えて赦された。

 

 アムロとも、過去を乗り越えられた。

 

 ただ、もう一度歩き直したい。

 

 希望を信じていた少年の後ろ姿に、もう一度、自分も立ちたい。

 

「ならば……私も、もう一度……!」

 

 その決意は、過去への後悔ではなかった。 未来への責任だった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 白きユニコーン、可能性の獣、希望の象徴。

 

 ラプラスの箱。

 

 そして、バナージ・リンクス。

 

 少女の胸に広がったのは、まだ見ぬ“未来の記憶”だった。

 

 その光景の中に、アインの慟哭が重なる。

 

 彼は独りで、それを抱えていたのだ。

 

 絶望と希望の狭間で、誰にも言えぬ痛みを抱えながら、静かに未来を背負っていた。

 

「アイン……あなたは……私たちの未来を、独りで見てくれていたのね……」

 

 ミネバの瞳に、涙が浮かぶ。

 

 それは哀れみではなかった。

 

 同じ時代を生き、同じ未来を見つめようとする“同志”としての涙だった。

 

「もう……あなたを、独りにはしない」

 

 その言葉は、王の誓いではない。

 

 ひとりの少女としての、祈りに近い約束だった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 ジュドー・アーシタ。

 

 その少年との邂逅、敗北、そして微笑。

 

 一瞬、屈辱と感じた記憶が、今では不思議と温かく胸に灯っていた。

 

 アインの慟哭。

 

 それが教えてくれた。

 

 終わりは、必ずしも敗北ではない。

 

「私の魂は、もう君に託されているのかもしれないな、アイン・ムラサメ」

 

 その言葉に、驚きも戸惑いもなかった。

 

 自然に、静かに、そう思えた。

 

 あの少年は、誰よりも深く未来を知り、誰よりも優しく絶望を受け入れていた。

 

 だからこそ、彼の後ろに続くことは、屈辱ではない。

 

 それは、“希望”の継承だった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 スードリのブリッジにて、シロッコは目を閉じていた。

 

 だが、理性では捉えきれぬ衝動が、胸の奥を焼くように揺らしていた。

 

「……これは、“涙”か?」

 

 バイオリズムでは測れない波動。

 

 魂の奥底から突き上げる感情。

 

 それを“情”と呼ぶのなら、自分は人間として未熟なのだろう。

 

 だが、アインの慟哭は理屈を超えて、確かに胸を撃った。

 

「君の慟哭は、宇宙を超える……」

 

 シロッコは知った。

 

 それが、論理でも、計画でも、理性でも辿り着けない“真理”であることを。

 

「ならば、私の知もまた、君に託そう」

 

 これは、ただの設計者ではない。 ただの傍観者ではない。

 

 彼もまた、未来の創造に命を賭ける“同志”となった。

 

 ──そして再び、キリマンジャロの麓。

 

 漆黒のサイコデウスガンダムの胸部にて、アイン・ムラサメはなお、目を閉じていた。

 

 彼は、まだ知らない。

 

 その慟哭が、いくつもの魂を震わせたことを。

 

 いくつもの未来を照らしたことを。

 

 それでも。

 

「……それでも、僕は…行くよ」

 

 その声は、静かに、だが確かに、宇宙を震わせていた。

 

 そして、共鳴した者たちの瞳に、“光”が宿る。

 

 ──彼らは歩き出す。

 

 アインの見た未来を、現実の物にしない為にも。

 

 それでも、と共に。

 

 

 

 

 

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