ムラサメさん家のイチバン=サン   作:星乃 望夢

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第69話 君が、この戦乱の中で生きていたことが、せめてもの救いだったよ

 

 部屋の空調は完全に管理され、温度も湿度も一定に保たれている。

 

 それでも、誰一人として「快適」などとは思っていなかった。

 

 長机の上に設置された大型ホロモニター。

 

 その先に映し出されているのは、キリマンジャロ基地の正面ゲート──サイコデウスガンダムは、相変わらず動かない。

 

 その胸部に立ち尽くすパイロットスーツの青年も、まるで彫像のようだった。

 

「……まだ立ってるのか。雪が降ってるぞ、あれ……」

 

 背中を丸めてモニターを見ていた局長の一人が、呆れとも感嘆ともつかぬ声を漏らした。

 

「風邪どころか……死人が出るぞ、普通なら」

 

 その隣でカップを傾けた技術統括官が苦笑しながら言う。だが、誰も返さなかった。

 

 部屋の最奥、議長席。

 

 ゴップは椅子の肘掛けに肘を置いたまま、腕を組み、画面から一瞬たりとも目を離していない。

 

 その額には、年齢なりの皺ではなく、この数日で刻まれたような深い“悩み”が刻まれていた。

 

「……無茶苦茶な男だよ。いや、人間じゃないかもしれん。どこかが壊れてる」

 

 ぼそりと呟いたゴップの言葉に、誰も反論できない。

 

「ああして動かず、喋らず、食わず、ただ“見せている”だけだ。何も命じていないのに、あの若造の周囲の兵士はどんどん降伏してくる。……こんな戦い方が、あるか?」

 

「……ありません」

 

 軍事顧問の一人が、重々しく答えた。

 

「あれは……思想を、いや“倫理”を叩きつけている。軍人とは何か。人間とは何か。それを黙って見せているんです、我々全員に」

 

 誰かが思わず口走る。

 

「このまま死ぬ気なんじゃないか……?」

 

 一瞬、沈黙が流れる。だが、ゴップは呟くように言った。

 

「死にたければ……キリマンジャロで戦ってるはずだ。サイコデウスを使って、基地ごと焼き払っても誰も文句は言えんかった」

 

「……ですが、彼は、殺していない」

 

「殺すことを、選ばなかったんだ。初めから一貫して、な」

 

 ふと、背後の参謀官がひとつのデータを出す。

 

「投降者の集計です。現時点でキリマンジャロからの投降者は、実に3600を超えました。残るのは400を切っています」

 

 重い空気の中に、確かな戦果が示される。

 

 それでも、誰も手放しには喜ばなかった。

 

 ゴップは、ようやく椅子にもたれかかる。

 

「……4日も見せられていると、わからなくなってくるな。戦争ってなんだ? 秩序ってなんだ? 勝利って、何だったんだ……とね」

 

 誰もが言葉を失う中、ゴップの視線はなおも画面に釘付けだった。

 

 画面の中、氷雪の中に立ち尽くすアイン・ムラサメの姿は、夕陽に照らされて赤く染まっていた。

 

 その姿は、もはや──。

 

「まるで……地球の正義そのものだな。いや、人類そのものか……」

 

 そう呟いた議長の声は、誰にも否定されなかった。

 

 中継モニターが突如として警告を発した。

 

「……これは、何だ? 新手か?」

 

 緊急信号が画面上に重なり、映像が一瞬乱れた。

 

 だが、すぐにキリマンジャロの映像が再接続される。

 

 ──そこには、サイコガンダムMk-Ⅱがあった。

 

 黒紫の巨影が、サイコデウスの上に立つ青年──アイン・ムラサメへと向けて、躊躇なくその巨腕を振るった瞬間。

 

「やめろッ! 撃たせるなッ!!」

 

 思わず叫ぶ軍務局長の声も、あまりに遅すぎた。

 

 巨大な掌がサイコデウスに覆いかぶさり、衝突する。

 

 轟音が響き、地鳴りがモニター越しにも伝わる。

 

「……くっ、ダメか……」

 

 だがそのときだった。

 

 モニターの輝度が、まばゆい蒼に染まった。

 

 サイコデウスが蒼い光を放ち、機体が、サイコガンダムMk-Ⅱと組み合っていた。

 

 ──その動きは、人の手によるものではなかった。

 

「これは……まさか、無人で?」

 

「サイコミュが機体と……リンクしてるのか!?」

 

「そんなことが……!」

 

 困惑する局員たちの中で、ただ一人ゴップだけが、静かに息を呑むように画面を見つめていた。

 

「……彼は、“乗っていない”のか?」

 

「いえ……“心”が乗っているのです。機体と共鳴して、意志で動いている……!」

 

 砲撃音、衝撃、そして接近戦の斬撃。

 

 サイコガンダムMk-Ⅱの砲が、斉射される──が、それすらも青く輝く光の障壁が受け止めた。

 

「Iフィールドじゃない……!? これは何だ!?」

 

 光に包まれ、敵機を殴り飛ばすサイコデウス。

 

 その姿は、もはや神か、あるいは──。

 

「……“ガンダム”だ」

 

 誰かが呟いた。恐れにも似た声で。

 

 その瞬間、警報が再び鳴り響く。

 

> 「未登録の上昇体確認。軌道シャトル、識別コード確認──バスク・オム」

 

 

「バスクが……逃げた……!?」

 

 誰もが息を飲んだ。

 

 バスク・オム。

 

 ティターンズの創設者の1人にして、最大の軍閥を率いた男。

 

 その男が、逃げた。

 

「すべての責任から背を向けたのか……!」

 

「奴は、軍人ではなかったのか……!」

 

 怒号が飛ぶ。

 

 だが、ゴップはただ、口を閉ざしてモニターを見ていた。

 

 その時だった。

 

 第三の影が飛来する。

 

 光と爆炎を纏いながら、狂乱のようにサイコガンダムMk-Ⅱへと突進する機体。

 

 ウーンドウォート・フルアーマークインリィ。

 

 サイコガンダムMk-Ⅱへ突っ込むその機体。

 

 ドゥー・ムラサメ少尉──鬼神と化した彼女は、怒りに任せて敵機を破壊していった。

 

 巨体の脚を砕き、腕を引き千切り、胸の装甲を打ち抜く。

 

 拡散メガ粒子砲が起動すれば、その発射口へ拳を叩き込み破壊する。

 

「止まらんぞ……!」

 

「まるで、怒りそのものが機体を動かしている……」

 

 最期には、頭部ユニットごと引き抜き、潰そうとする。

 

 そのとき──突如、狂乱は止まった。

 

 フルアーマークインリィはサイコガンダムMk-Ⅱの頭部を地面に降ろし、静かにアインの元へ戻る。

 

 やがて機体から降り立ったドゥーは、アインに抱きついて泣き出した。

 

 その様子を映す中継の前で、誰もが言葉を失っていた。

 

 そのとき、ゴップが小さく言った。

 

「……逃げたのは、バスクだ。そして残ったのは、アイン・ムラサメだった」

 

 沈黙が落ちる。

 

 確かに戦闘はあった。だが、それを“戦”と呼ぶにはあまりに一方的だった。

 

 そこには、一人の軍人の意思があった。

 

 彼を守ろうとする仲間の怒りがあった。

 

 その映像を、地球連邦政府の全上層部が、そして、地球と宇宙すべての人々が見ていた。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 壁一面に据えられた大型パネルからは、相変わらずの“静寂”が映し出されていた。

 

 サイコデウスの胸の上に立ち、吹き荒ぶ風と雪に晒されながらも、ただじっと沈黙するアイン・ムラサメの姿。

 

 その姿を、ジャミトフ・ハイマンは黙して見つめ続けていた。

 

 隣室の扉がノックもなく開いた。

 

「まだ……見ておられたのですか、ジャミトフ中将」

 

 現れたのは、ブレックス・フォーラ准将。

 

 軍服の上着を脱ぎ、手には熱いミルクを載せたトレイ。

 

「この四日間で、貴官はいつ眠った?」

 

「私よりも先に寝た者からその問いを受けるとは。皮肉だな」

 

 ジャミトフは微かに笑みを浮かべ、手元のカップに口をつけた。

 

 砂糖もミルクも入っていない、真っ黒なコーヒーだった。

 

「彼は動かない……か。いや、“動けない”のだろうな。もう限界を超えている」

 

「……それでも倒れぬのは、意地か、誇りか。それとも……他の何かか」

 

「“責任”だろうな」

 

 ジャミトフの声は、はっきりとした断言だった。

 

「己の命すら擲って、その場所に立ち続ける意味。それを言葉にすれば、軍人の責任。だが、私にはもう一つ、見えるものがある」

 

「何か?」

 

「彼は、我々の“未来”を背負ってしまった。彼自身が選んだのではない。だが、結果的にそうなった」

 

 ブレックスはゆっくりと頷いた。

 

「そうだな。私が思うに……今の彼は、我々が言葉で届かぬ領域に、すでに踏み込んでいる。彼があのまま凍死すれば、それは“軍の失策”ではなく、“時代の失策”となる」

 

「……だからこそ、止められない。これはもう、命令で終わる戦いではない」

 

 中継画面に、雪が舞った。

 

 サイコデウスの肩、アインの肩、その背に白いものが積もっていく。

 

 そしてサイコガンダムMk-Ⅱが現れ、無人で動いたサイコデウスガンダムに驚く暇もなくサイコガンダムMk-Ⅱを“解体”したフルアーマークインリィと、宇宙へと昇るシャトル。

 

「……終わった、か」

 

 スクリーンの前。

 

 深い椅子に腰を預けたジャミトフは、姿勢を崩すことなく、そのまま目を細めた。

 

 雪の中で静かに寄り添う、アインと少女──ドゥーの姿が、画面の中央に映っている。

 

 白い雪と黒き巨影。

 

 そして人が、人を抱きしめている。

 

 ──勝利の記号ではなかった。

 

 ──降伏の儀礼でもなかった。

 

 ただ、「命がそこにある」ことを証明する光景だった。

 

「……なんてことだ」

 

 隣で、ブレックスが初めて深いため息をついた。

 

「この4日間、何人もの若者たちが命を賭けて動いた。言葉を捨てず、信念を保ち、誰も殺さずにここまで来た……」

 

「そうだな」

 

 ジャミトフは小さく頷いた。

 

 その頷きは、どこか「感嘆」にも似ていた。

 

「……あれは、“理屈”で動いていない」

 

「いや、“理屈”を超えるだけの“理性”で立っていた」

 

 ブレックスが補う。

 

 二人はもう言葉を競ってはいなかった。

 

 画面では、フルアーマー・クインリィがゆっくりとサイコデウスの隣に膝をついている。

 

 サイコガンダムMk-Ⅱは、谷へと叩き込まれ、頭部を失い、無力な鉄塊となっていた。

 

 その間を埋めるように、凍てつく風が吹き荒び、雪が二人の若者に静かに降りかかっている。

 

「──バスクは逃げたか」

 

 ブレックスが呟くように言った。

 

「うむ。あの場に踏みとどまる意志など、最初から持ち合わせてはおらんよ。奴にとって“正義”とは、権威の座にあってこその看板だったのだろう」

 

「君は、それでも彼を使った」

 

 ブレックスは、ちらりと横目で見やった。

 

「必要だった。暴走に見せかけた“現実の破壊”がなければ、改革の正当性を歴史に刻むことはできん」

 

「……彼は、その“代償”にならなかったのか?」

 

「むしろ、全てを背負いながら、唯一人“代償にならなかった者”だ」

 

 ジャミトフの目がわずかに細められる。

 

「だからこそ、私は“委ねた”のだ。ティターンズという失敗を超えるために」

 

 モニターの中。

 

 少女が泣き崩れ、アインがその肩にそっと手を添える。

 

 そこには指揮官も、兵士も、軍もなかった。

 

 ただ、“守る”ことにすべてを捧げた若者の姿だけがあった。

 

「……この中継が残す影響は、計り知れんな」

 

 ブレックスが口元に手を当てる。

 

「ティターンズの終焉か。あるいは……再定義か」

 

 その言葉に、ジャミトフは頷く。

 

「再定義──それが必要なのだ、今、この瞬間に。暴力ではなく理性による支配。恐怖ではなく誇りによる統率。アイン・ムラサメは、明確にその旗を掲げた」

 

「……だが、若すぎる」

 

「年齢で人を測るほど、私は耄碌してはいないよ」

 

 静かに笑ったジャミトフの声には、重みがあった。

 

「大義も、誇りも、血も涙も──あの場にすべてあった。あの少年に、世界の半分を委ねても、私は構わん」

 

 ブレックスはしばらく無言で映像を見つめていた。

 

 寄り添う二人の姿。

 

 立ち尽くす兵たち。揺れる黒い軍服と白い吹雪。

 

 やがて、小さく呟く。

 

「……ああ。あれが『希望』というものか」

 

「……その通りだ、ブレックス准将。我々が失って久しい、それを今、あの青年が地上に蘇らせた」

 

 外では、雨のように雪が降っている。

 

 中継はまだ終わらない。

 

 この一幕を、歴史が刻むまで。

 

 ──その部屋に居たのは、二人の男。

 

 老いた政治家と、理想を託した指揮官だけだった。

 

 だがこの日、彼らは確かに見ていた。

 

 「終わり」の先にある、はじまりを。

 

 ジャミトフはコートを羽織り、扉の外へと歩き出す。

 

「どこへ?」

 

「演説原稿を書き直す。この男に一行でも届く文を、私はようやく……書ける気がしてな」

 

 去ってゆく背に、ブレックスはしばし黙し──やがて、自らも椅子を引いて中継の前に座ると、そっと口元に呟いた。

 

「……死ぬなよ、アイン君。君のその意地と責任が、この腐りきった地球を、まだ照らしているのだから」

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 窓の外には、夕陽を受けて朱に染まる港の景色。

 

 しかしその一室に灯るモニターは、地球の遥か南、キリマンジャロの山麓を映し続けていた。

 

 そこには、雪に覆われた静寂の戦場と──その中心に、黒き機体の胸部に立つ青年の姿。

 

「……まだ、立っているのですね」

 

 ミネバ・ラオ・ザビは、低く息を吐くように言った。

 

 隣には、無言で腕を組み、画面を見つめるハマーン・カーンが座していた。

 

 ふたりは、四日間この映像を見続けている。

 

 アイン・ムラサメという男の在り方を、ただ見つめ、受け止めている。

 

「彼は……壊さなかった。武器も、敵意も向けずに、“見せた”のですね。世界に、力以外の戦いがあると──」

 

 その言葉は、もはや“幼き姫”のものではない。

 

 あの“共鳴”を経て、ミネバの言葉には確かな重さが宿っていた。

 

 ふと、映像の中で動きがあった。

 

 ──兵たちが、武器を捨ててアインの前に膝をつく。

 

 投降。

 

 降伏。

 

 だが、彼は銃を向けない。

 

 沈黙のまま、彼らを迎え入れる。

 

 そして──。

 

「ッ!」

 

 突如としてモニターが警告音を発し、雪煙を切り裂いて現れた巨影。

 

 黒紫の怪物、《サイコガンダムMk-Ⅱ》。

 

 アインへと、巨腕を振りかざすその姿に、ミネバは思わず身を乗り出した。

 

 そして──。

 

「ガンダァァァアアアアアムッ!!!!」

 

 アインの絶叫と同時に、サイコデウスが動く。

 

 無人のはずの機体が、まるで魂を宿したように、敵の攻撃を受け止める。

 

 サイコフレームの輝きが視界を覆い──その瞬間だった。

 

「……っ!」

 

 ミネバの瞳に、白銀の機影が重なった。

 

 ユニコーンガンダム。

 

 そして、その隣に立つ青年、バナージ・リンクス。

 

 ──未来の光景。

 

 彼女の胸に、あの“記憶”が瞬間的に蘇る。

 

 ラプラスの箱。

 

 人類の可能性。

 

 そして、それを託す者と託された者──。

 

「バナージ…!」

 

 だが──。

 

「……ちがう」

 

 その幻影を振り払う様に首を振るった。

 

「今ここにいるのは……アイン・ムラサメです」

 

 声に出して言ったその瞬間、幻影は霧散した。

 

 そして視界には、ただひとり、雪の中に立ち、機体に叫びを届けた青年の姿だけがあった。

 

「ミネバ……」

 

 ハマーンが小さく呼ぶ。

 

 その声は、もはや導く者のものではなかった。

 

 どこか敬意と、そして──誇りの滲む響き。

 

 画面の中、ビームが閃く。

 

 サイコガンダムMk-Ⅱの猛攻。

 

 だが、サイコデウスは退かない。

 

 サイコフィールドが光の波を防ぎ、青く煌めく。

 

 そして──空を割って突撃する影。

 

 フルアーマークインリィ。

 

 ドゥー・ムラサメの猛攻が、サイコガンダムMk-Ⅱを襲う。

 

 脚を砕き、腕をもぎ、装甲を叩き潰し、頭部へ手を伸ばす。

 

 鬼神の如き破壊衝動。

 

 だが──その時、

 

『……ドゥー』

 

 アインの一言が、全てを止めた。

 

 ぴたりと沈黙したクインリィは戻り、ドゥーがアインの胸に飛び込む。

 

 泣きじゃくり、叫びながら、彼に縋る少女。

 

 それを、ただ、静かに抱きしめるアイン。

 

「……人を、赦す力。その重さを、彼は知っている」

 

 ミネバがそう呟いたその時、その声はまるで──遥か先の未来、議場に立ち世界に呼びかけたあの“女王”の声に、確かに似ていた。

 

 ハマーンは、静かに目を閉じた。

 

「……あの共鳴が、私たちを変えた。ミネバ様、あなたも、私も。……アイン・ムラサメが導いた道を、私たちは、もう見失ってはならない」

 

 港に、夜の帳が落ち始めていた。

 

 だがその部屋に灯る光は、確かに未来の輪郭を照らしていた。

 

 ──“築くための力”とは何か。

 

 ふたりの“女王”は、アインを通して、それを見出そうとしていた。

 

 そしてこの夜の中で、それぞれに心の中で──。

 

 決して言葉にはならぬ誓いを、静かに結び直していたのだった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 キリマンジャロ山麓に、未だ白雪は残っていた。

 

 だが、そこに立ち尽くす“それ”は、すでに神話のようだった。

 

 ──サイコデウスガンダム。

 

 搭乗者たるアイン・ムラサメ大将は、すでに戦後の混乱と疲弊の果てに、

 

 ダカールの《スードリ》艦内・医務室にて静かに眠っている。

 

 最期の投降兵を迎え入れた直後、限界を越えた身体がついに膝を折ったのだ。

 

 誰もがそれを見ていた。

 

 その場にいた元バスク派の兵たちも。

 

 中継を通じて参加した全将兵も。

 

 ──だからこそ、信じられなかった。

 

 あの黒き巨神が、今もなお動き続けているということを。

 

 サイコデウスは、誰も乗っていないまま歩を進める。

 

 静かに、だが確実に、キリマンジャロ基地の中枢部へと。

 

 周囲の兵たちへ、肩部投影ユニットから光信号が送られる。

 

 戦時暗号──意味は明瞭だ。

 

 《調査続行》《証拠確保》《戦後処理命令発出中》

 

 そして頭部センサーのモールス信号。

 

 

 >「バスク・オムによる軍政犯罪の証拠、すべてを掘り起こせ」

 

 >「この地に、未来を築く土台を遺すこと」

 

 >──アイン・ムラサメ、大将命令

 

 

 兵たちは最初、戸惑いを隠せなかった。

 

 目の前で倒れた大将が、なぜ今も命令を発しているのか。

 

 しかし、やがてその理解は形を変えた。

 

 これは“残響”ではない。

 

 アイン・ムラサメという人間が、意識を超えてなお“意志”を放ち続けている証だと。

 

「……やらなきゃ、あの人が……」

 

「……早く終わらせて、アイン大将を……休ませてやらなきゃ、おい! ジープ持ってこい……! 最深部まで走るんだよ!!」

 

 かつて命令でしか動かなかった兵たちが、いまや自ら考え、動き出していた。

 

 キリマンジャロ基地の隅々にまで調査団が送り込まれ、バスク・オムの私兵化部隊、拉致施設、軍政情報隠蔽区画などが次々と暴かれてゆく。

 

 それを、サイコデウスはじっと見守っていた。

 

 誰も乗っていないはずのその巨体が、まるで大将の眼差しのように、一つひとつの行動を、黙って肯定し、導くように。

 

 ──そして三日後。

 

 アイン・ムラサメ大将が静かに目を覚ました時、彼の元には、完成したばかりの《調査報告書》が届けられた。

 

 それは兵たちが、己の意志と手で成し遂げた最初の成果だった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 薄く差し込む陽光が、白い天井に反射していた。

 

 寝台の上で静かに横たわっていた青年のまぶたが、ゆっくりと揺れる。

 

 ──目を覚ました。

 

「アイン!」

 

 一番に駆け寄ったのは、ドゥー・ムラサメだった。

 

 その顔には、涙のあとがまだ残っていたが、今は笑っている。

 

「もう……心配かけて……! 動くなって言ったのに……!」

 

 続いて、ベッドの傍に立っていた少女が一歩前へ出る。

 

 アクシズの姫、ミネバ・ラオ・ザビ。

 

 その瞳は、凛として、どこか“大人びて”いた。

 

「……無人で、サイコデウスを動かしたのですね」

 

 アインは、一瞬だけ視線を逸らした。

 

 だが、ミネバは一切目を逸らさない。

 

 その態度は、まさしく「問い質す」者のそれだった。

 

「魂が……サイコフレームに呑まれてしまったのではないかと、私は……本当に怖かったのです」

 

 声は震えていなかったが、その言葉の奥には、明確な“不安”と“恐れ”があった。

 

 ──ラプラスの箱を知る者の記憶。

 

 ──ユニコーンと融合したバナージ・リンクスの姿。

 

 共鳴によって垣間見た未来。

 

 そのなかでミネバは、魂のすべてを機体に預けたひとりの少年の運命を見てしまっていた。

 

 だからこそ、アインの目が開いたとき──彼女はほんの僅か、幼い少女らしく、安堵の息を漏らした。

 

「……でも、戻ってきてくれてよかった」

 

 その一言は、命令でも告発でもない。

 

 ただの、少女の“祈り”だった。

 

「……すみません。寝惚けてサイコデウスが動いたなんて、まさか僕にも……」

 

 アインはやや顔を伏せ、軽くすっとぼけて見せる。

 

 だが、その心の奥では別のものがあった。

 

(──魂ごと引き込まれかねない。あれは、あまりにも“応えすぎる”)

 

 パイロットの意志を無制限に汲み取るサイコフレーム。

 

 あのときの共鳴は、意識の介在すら必要とせず、“叫び”だけで機体を動かした。

 

 自分という存在そのものが“デバイス”となっていたのだ。

 

 そんなアインの胸中に入り込むように、ふいに──重い視線を感じた。

 

 気づけば、部屋の隅で腕を組んだまま無言を貫いていた男が、ひとり。

 

 ゼロ・ムラサメ。

 

 兄のように、補佐官として、そしてアインが全幅の信頼を置く男。

 

 目は怒っていない。言葉もない。

 

 だが、表情からは明らかだった。

 

 ──お前、限界超えてまで動くなよ。

 

 ──お前が動かなくても、もう「組織」は動くんだ。

 

 そう語っているかのような、重く静かな“叱責”の圧。

 

「……ゼロ。ありがとう」

 

 アインがそう声をかけると、ゼロは無言で封筒を差し出す。

 

 《キリマンジャロ攻略戦 後処理:最終調査報告書》

 

 そこには、彼が倒れている間に──サイコデウスと兵たちが成し遂げたすべての記録があった。

 

 今、戦場の意志はアインひとりのものではない。

 

 ──だからこそ、背負うべき“責任”が、またひとつ重くなる。

 

 ドゥーが、そっと毛布を整える。

 

「ボク、アインを失うのはイヤだから……ほんとに、休んでよね」

 

 ミネバも、小さく息をついた。

 

「……この先に、きっと困難が待ち受けています。でも、あなたなら“築ける”。私はそう、信じています」

 

 アイン・ムラサメは、静かに頷いた。

 

 その瞳には、再び進むべき道が映っていた。

 

 ──そして戦後の時間が、再び静かに流れ始める。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

U.C.0087年9月14日 午後

 

 ──正統派ティターンズ、カラバ、エゥーゴ、元バスク派、それぞれの艦がダカール港に揃った日。

 

 地球連邦の象徴たる白亜の議事堂。

 

 その一室に、戦後処理と報告のための報告会が開かれていた。

 

 席に着くのは、ゴップ議長をはじめとした政府高官、各局の長官たち。

 

 そして、長い沈黙を破って中央に立ったのは、ティターンズ監察軍政官庁長官アイン・ムラサメ大将。

 

 彼の姿には、まだ療養中であることの影があった。

 

 だが、その瞳だけは、静かにすべてを見据えていた。

 

 アインは、静かに一礼すると、淡々と報告書を掲げて口を開いた。

 

「本日付にて、キリマンジャロ基地の制圧および、旧ティターンズ極東機構の機能停止を確認しました。合わせて、接収された基地資料、バスク・オム元大佐の軍政運用記録、及び極秘兵器開発ログを分析し……」

 

 周囲の官僚たちがざわついたのは、次の言葉だった。

 

「……それらの全てが、旧ティターンズにおける“武力による秩序の捏造”を目的とした軍閥化の動かぬ証拠であると認定されます」

 

 言い切ったその声に、数人が顔をしかめた。

 

 だがアインは動じなかった。続けて提出された報告には、以下の艦艇・部隊の詳細が記されていた:

 

 

 

 参戦艦隊報告・概要(抜粋):

 

ティターンズ監察軍政官庁

 → 旗艦《アルビオン》、政務艦《スードリ》、随伴艦多数

 → 指揮官:アイン・ムラサメ臨時大将

 → 地球上キリマンジャロ戦域における主戦指揮、および降伏受諾・調査監督

 

カラバ地上軍

 → 輸送艦《アウドムラ》を基点に、ダカール側連絡および支援任務を遂行

 → 地球連邦政府との停戦協定草案策定に関与

 

エゥーゴ(宇宙側協力)

 → 《アウドムラ》を通じた連絡網支援

 → 正統派ティターンズとの共同声明により停戦確認へ

 

元バスク派投降兵部隊

 → 脱出艦《メロゥド》により戦線合流、同艦を前線指揮管制艦として再運用

 → 指揮官不在のまま合流し、アイン大将の指揮下にて基地制圧を遂行

 → 現在は正式にティターンズ監察軍政官庁傘下へ編入予定

 

アクシズ側観察艦《エンドラ》

 → 現在ダカール沖に停泊中

 → ミネバ・ラオ・ザビ嬢、およびハマーン・カーン摂政が中継にて戦況を視聴

 

 

 アインは報告の最後に、深く一礼した。

 

「この戦いは、単に軍事的な勝利ではありません。秩序とは、押し付けるものでなく、信じられる構造の上に築くべきです。私は今後、監察軍政官庁の長官として──この地球連邦が、戦争ではなく理性によって統治される未来を目指し、尽力することをここに誓います」

 

 静寂が広がった。

 

 やがて、ゴップ議長がゆっくりと立ち上がり、ひとことだけ呟くように言った。

 

「……君が、この戦乱の中で生きていたことが、せめてもの救いだったよ」

 

 それが、承認の印だった。

 

 ダカールは、再び動き出そうとしていた。

 

 そして、その中核に立つのは──ティターンズという名の、もう一つの“秩序”だった。

 

 

 

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