戦後処理が一段落したスードリ艦内、その特別会議室に集まったのは、たった七名。
アイン・ムラサメ
アムロ・レイ
キャスバル・レム・ダイクン
カミーユ・ビダン
パプテマス・シロッコ
ハマーン・カーン
ミネバ・ラオ・ザビ
戦後の混乱を収め、連邦議会の支持を得た直後。
その場所において、全員が無言で席に着いたのは、誰もが“理由”を理解していたからだった。
──あの共鳴を経て、「未来」を見てしまった者たち。
サイコフレームの揺らぎと、魂を貫いた慟哭によって結ばれた者たち。
アインは、彼らの視線をすべて受け止めながら、会議机の前で、ただ一言も発さず、深々と──膝を折った。
土下座だった。
その動作に、誰もが一瞬だけ息を呑んだ。
言葉が出なかったのは、彼の行動に“言葉以上の意味”が宿っていたからだ。
だがアインは、伏せたまま、静かに語り出す。
「……僕は、最初から、すべてを知っていた人間です」
その声には怒りも涙もなかった。ただ、沈黙を抱いた真実だけがあった。
「だからこそ、皆さんに“望む言葉”を与えられる。あなた方が何を恐れ、何に傷ついているか……僕には、あまりにも見えすぎるんです。僕が政治をできたのも、戦略を立てられたのも、すべては“知っていたから”で──」
そこまで言って、一呼吸。
彼は言葉を振り絞るように、続けた。
「──だから、これは“正義”でも“理想”でもない。
ただのエゴです。太陽系の崩壊と、地球の終焉を見て……そこから逃げる道筋を、銀河へと導こうとしただけの──」
拳が、床を叩いた。
「僕は、悍ましいんです。皆の心に土足で踏み込み、未来を弄び、望む答えを与えて。そんな人間が“秩序”の名を語るなど、本来許されていいはずがない……!」
それでも、声は震えていなかった。
逆に、どこまでも透き通るようだった。
「だから──もう、いいんです。人はもう、銀河に旅立てる。あとは、ここにいる皆さんがいれば、この宇宙世紀は救える……僕のような存在は、もう必要ない」
顔を上げることなく、告げた。
「煮るなり焼くなり……好きにしてください」
沈黙。
誰も、すぐには言葉を返せなかった。
ただ、その中で最初に動いたのは──カミーユ・ビダンだった。
椅子を立ち、ゆっくりとアインの前に歩み寄る。
「……ふざけるなよ」
その声は震えていた。
怒りとも、悲しみともつかない、魂から噴き出したような声だった。
「だったらなんで、あの時……あんなにも、泣いたんだよ……!」
アインの肩を掴む。
涙を滲ませた目で、睨みつけるように叫ぶ。
「知っていた? 未来が見えてた? だからなんだっていうんだよ……!それでも、お前は、俺たちと一緒に怒って、悲しんで、戦ったじゃないかッ!」
──続いて立ち上がったのは、ハマーン・カーン。
彼女は静かに歩み寄り、冷たい声で言い放った。
「……貴様の傲慢は、許しがたい」
アインはその声に、わずかに身を竦ませた。
だが、次の瞬間。
「……だが、それを“自覚している”者が、他にどれほどいる?」
その声は、温かかった。
「だからこそ、貴様は“まだ”必要だ。責任を知り、痛みを知る者が、生き残らなければ、未来など築けはしない」
その横で、ミネバ・ラオ・ザビが口を開いた。
「……あなたがエゴであろうと、知っていようと、どうでもいいのです」
その声はもはや、かつての少女のものではなかった。
彼女は、すでに“未来を生きる者”の目をしていた。
「私たちは……“あなたが何をしたか”を、見たんです。そして、何も知らなかった私に、“信じる道”を見せてくれた。それだけで……私は、もう十分なんです」
次に、アムロ・レイが静かに歩み寄った。
「俺は、お前を“許す”とか、そんなことを言うつもりはない。でも──一緒に背負うことは、できる」
続けて、キャスバルも肩を竦めた。
「お前の背中が見えなかったのは、私の眼が曇っていたからだ。……今なら、ようやく“同志”として歩けそうだ」
最後に、シロッコがゆっくりと立ち上がる。
「悍ましいのは、私もだ。だがそれを認めた上で、なお“構築”しようとする君を……私は、最も美しいと認めよう」
アインは、土下座のまま、顔を伏せ続けていた。
だが──その背に、誰かがそっと、手を置いた。
ミネバだった。
「……おかえりなさい、アイン」
──その瞬間だった。
アインの全身から、力が抜けた。
ぎり、と歯を食いしばったかと思えば、次の瞬間には──
「うっ、くっ、っっ、うああああああああああああああッッッ──!!!!」
抑えていたものが、決壊した。
自分の体より遥かに大きな“宇宙世紀という歴史”を背負った青年が、誰にも見せたことのない、あまりにもか細い人間の声で、泣き叫んだ。
それは軍人でも、戦略家でも、政治家でもない。
ただの一人の青年。
何千年分もの未来を知り、何万人もの死を見て、それでも理性で全てを整理してきた──その“限界”をようやく迎えた、十九歳の少年の、涙だった。
誰も、止めなかった。
誰も、慰めなかった。
ただ、傍にいて──その叫びを、共鳴するように受け止めていた。
アムロは、無言でその背を支えた。
キャスバルは、目を伏せながら頷いた。
カミーユは、歯を食いしばって涙を堪えた。
ハマーンは、静かにミネバの肩を抱き。
シロッコは、言葉なく目を閉じた。
ミネバ・ラオ・ザビは、彼の背に手を置いたまま、小さく微笑んだ。
──この夜、歴史は“赦された”。
その赦しは、未来に向かう者たちの、最初の祈りだった。
そしてその中心にあったのは、泣き叫ぶアイン・ムラサメと、彼を迎えた“未来を見た者たち”の共鳴だった。
◇◇◇◇◇
宇宙世紀という歴史を背負った者の涙は、しばしの沈黙をもって、静かにその役割を終えた。
アイン・ムラサメは、ひとしきり泣いたのち、目元の涙の痕を拭おうともせず、顔を上げた。
赤く泣き腫らしたその目は、それでも真っ直ぐだった。
まるで“憑き物が落ちた”ような透明さと、戦士の気迫が同居していた。
「──では」
彼が発したその言葉で、会議室に再び緊張が戻る。
「バスク・オムが逃げた先を突き止めましょう。最悪の場合、グリプスをコロニーレーザーとして転用してくる可能性も視野に入れて動くべきです」
その言葉に、アムロが苦笑する。
「さっそく飛ばすな」
アインは少し口元を緩めた。
「ええ。皆さんから“赦し”をいただけたので、これからは全力で行きますよ」
その軽口に、わずかに空気が和らいだ。
だが、アインはすぐに端末を操作して宇宙の戦略図を会議テーブルに投影し、再び厳しい表情に戻る。
「バスクが逃げ込めると考えられる地点は現時点で四箇所。
第一に“ルナツー”──地球連邦軍宇宙拠点で、現在も一定の軍政機構が維持されています。グリプスのあるサイド7に近かった関係上、バスク派寄りです。
第二に“ゼダンの門”──旧ア・バオア・クーで、現在はティターンズ残党が要塞化している可能性が高い。
第三に“グリプス”──バスク派が事実上設計指揮を執っていた軍事衛星で、エネルギー収束炉が稼働中であれば、照射装置の再稼働も可能です」
一拍置いて──。
「そして第四が“小惑星ペズン”」
その名に、ハマーンがわずかに眉を動かす。
アインは続ける。
「ペズンは連邦軍教導隊の拠点であり、地球至上主義に同調する青年将校がペズンを掌握。《ニューディサイズ》を名乗り地球連邦への徹底抗戦を唱える場所であり、試作モビルスーツ《ゼク・シリーズ》の開発拠点です。バスクが逃げ込む場所として候補に挙げました」
会議室に低いざわめきが走る。
「さらに、ニューディサイズはアクシズと通じる可能性もあります。アクシズから試作大型MA《ゾディ・アック》の提供を受けるまで視野に入れて置かなければなりません」
「……そんな情報がぽんぽん出てくるなんて……」
呆れたようにカミーユが呟いた。
「これじゃあ、諜報部の仕事がなくなりそうですね」
アインは微笑を返したが、その目には真剣さが宿っていた。
「シロッコ大佐、ルナツーの艦艇運用について分析をお願いしたい。バスクが入れば動きが変わるはずです」
シロッコは無言で頷いた。
「……承知した。ルナツーならば、艦隊規模の推定から港湾施設の数、物流も含めて掌握可能だ。こちらで報告をまとめよう」
「ありがとうございます。では、ハマーン様には──アクシズの動向を中心に情報収集をお願いしたい」
ハマーンは、わずかに目を細めた。
「ペズンにアクシズの影が落ちるというのなら、見過ごすわけにはいかない。私も、あの裏切り者どもがどう動いているのか、確かめる必要があると考えていたところだ」
「心強いご返答、感謝します」
アインは深く頭を下げ、再び全体に向き直る。
「──この四拠点に関する調査と分析を並行して進めつつ、我々は次なる局面に備えます。グリプスが再点火されれば、またコロニーごと焼かれるような未来が訪れかねない。そしてサイド2に対するコロニーレーザー試射や毒ガス攻撃も、あり得る未来があります。だからこそ、先手を打ちます」
アムロが頷いた。
「偵察任務なら、俺とカミーユで動ける。ティターンズ残党との交戦が想定される場合は、速やかに戦闘指揮権を移行して対応する」
「ありがとうございます。キャスバル殿──ゼダンの門に対する旧ジオン系技術者との橋渡しは、可能でしょうか。おそらく施設運用顧問として招かれているはずです」
キャスバルは腕を組み、静かに言った。
「“赤い彗星”としての遺影を振りかざせば、まだ効力はある。……だがそれは、もう二度と使いたくない。必要最低限で収めよう」
「ご配慮に感謝します。最後に……作戦名を仮定します」
アインは投影された戦略図を見上げながら、穏やかな口調で語った。
「──“ユリシーズの帆”作戦」
「……ユリシーズ?」
カミーユが小さく口にする。
「これは、“帰るための航海”ではありません」
アインは微笑む。
「進まなければならない。宇宙世紀という“業”を背負って、それでもなお、“前に進む”ために──」
七人の“未来を見た者たち”が、今、始動する。
銀河へ至る道を守るために。
宇宙世紀を終わらせないために。
そして──もう誰も、泣かせないために。
◇◇◇◇◇
会議が終わり、各担当区域への割り振りも済んだあと。
モニターが落ち、室内の照明もやや落ち着いた色調に切り替わる。
皆がそれぞれの端末を閉じ、重くも奇妙に充実した空気を残して立ち上がっていく中──。
アインは、最後に立ち上がりかけたシロッコに声をかけた。
「……シロッコ大佐」
「……ん?」
「正直に聞いてもいいですか?」
「構わん。君の“正直”は、概ね爆撃並みの直球だがね」
「はは……それでも、あえて訊きます」
アインはひと息置いて、やや声を落とした。
「やっぱり、MSで出たい──とか、思います?」
沈黙が落ちた。
シロッコは小さく眉を動かし、端末のケーブルを抜いた手を止めたまま、やや首を傾けた。
「……思うことはある」
「…!」
「ただ、“私”が出ることの意味とコストを、今の私は十分に理解している」
彼はゆっくりと腰を起こすと、窓の外に視線を向けながら言葉を継いだ。
「もし私が出れば、敵はそれを“象徴”として認識し、真っ先に狙いにくる。だが私は既に、“この時代を設計する者”に切り替わった。今はそれが役割だ」
「……」
「君のサイコデウスと、ドゥーのクインリィがいる以上、私は出るまでもない。……それが、今の私の正解だと思っているよ」
言葉に虚勢も誇張もなかった。
淡々と──だが、確かな納得を帯びていた。
だが、アインは少し肩を竦め、気まずそうに微笑んだ。
「……いや、あの、そう言ってくれると助かるんですけどね。実は正直……」
「?」
「ぶっちゃけて言うとですね……今のあなたって、“知ってるシロッコ”と違いすぎて、こっちも全部アドリブなんですよ、接し方」
一瞬、シロッコの眉がわずかに吊り上がった。
だがそれは怒りではなく──やがて、彼は吹き出した。
「ふっ…ふははははははは…はは…そうかそうか、アドリブ、か」
アインは手のひらを見せて、降参の仕草。
「いやもう、元のあなたって、女帝を支配するとか、野望とカリスマの権化ってイメージだったんです。僕、正直……最初はかなりビビってました」
「その“元の私”は、今の君をどう評価するだろうな」
「“お前は危険だ”って即刻殺しにくると思いますよ?」
「否定できんな」
再び小さく笑い合う。
そして、シロッコは静かに言った。
「だが──“元の私”には、今の私が理解できまい……設計図は、時代によって変わるものだ。君という“未知の材料”が加わった以上、私もまた変化し続ける。その変化を、私は今、面白いと感じているよ」
「それ、褒めてくれてます?」
「解釈は任せる。ただ、君と接している限り、私は退屈しない」
──それは、パプテマス・シロッコなりの、最大級の“信頼”の言葉だった。
アインは軽く笑みを浮かべた。
「……ありがとうございます。“監督”」
「“建築者”の言葉だ、忘れるなよ。私はまだ、現場から目を離してはいない」
その言葉を受けて一つ笑うアイン。
そのまま、瞳が鋭く細められる。
「──クラックス・ドゥガチ、知っていますか?」
「…聞いたことがある」
「彼はいずれ、“木星帝国”──ジュピター・エンパイアを築きます。そして、地球圏へ侵攻します。核ミサイルを搭載した巨大MA《ディビニダド》を用いて、地球を焼き払おうとする。……その引き金となったのが、“木星開発予算の縮小”でした」
アインは静かに言葉を重ねていく。
「もし、あの帝国が生まれなければ、いや、“木星に希望が残っていれば”──彼はそこまで至らなかったかもしれない」
「……だから、ヱクセリヲン構想か」
シロッコは息をついた。
「地球を休ませ、宇宙へ旅立つ。そのための艦。そのための希望」
「はい。そして、木星を“前線基地”に変える。人類の銀河進出の象徴として機能させる。それが達成できれば、クラックス・ドゥガチが《ディビニダド》に乗る未来は、潰える可能性がある」
沈黙。
だが次の瞬間、シロッコが端末を操作し、青白いホログラムを展開した。
「──船体設計図、完成した。ヱクセリヲン初期型。動力ブロック、環境制御区画、前哨基地機能を持たせた第3層ブロックまでの基本構造を、概略設計済みだ」
「……本当に、ありがとうございます。これで“道”が一歩、現実になります」
アインの声には感嘆と感謝が滲んでいた。
しかし、次に続いた言葉は、また一歩先の話だった。
「そして、これは“もうひとつの話”なんですが……ヱクセリヲンやヱルトリウムの次に位置付けられる“構想”として、“フィジカルリアクター”という概念を持っています」
シロッコが目を細める。
アインは、ゆっくりと説明を続けた。
「これは、空間そのものの物理法則を書き換える機関です。思考主推進機関の発展形であり、戦闘時には必要な武装や装置を周囲の構造物から“作り出す”ことができる。エネルギー、重力子、空間定数の操作すら理論上は可能です」
「もはや神の領域だな」
「ええ。だからこそ危険でもあります」
アインの目が真剣さを増す。
「この研究を、本格的に始めるのは──ヱクセリヲンとヱルトリウムが完成してからにしましょう。もしよろしければ、シロッコ大佐……いえ、“パプテマス・シロッコ”、あなたと、一緒に研究したいのです」
その名をフルで呼ばれて、シロッコの目がわずかに揺れた。
──“一緒に研究しよう”
それは、二度目だった。
最初にアインがその言葉をくれたとき、シロッコはただの監督だった。
だが今、その言葉は“共に宇宙を開拓する者”への呼びかけとなっていた。
シロッコはしばし無言のまま立ち尽くしたあと、口を開いた。
「……もし君が“神”の領域に挑もうというのなら、私の手も貸そう。“創る者”として、責任を果たすために」
その言葉には、これまでになく明確な“覚悟”があった。
「未来を“構築”するとは、こういうことか。ならば私は、その柱の一本として立とう」
「……ありがとうございます、シロッコ大佐」
アインは心からの敬意を込めて、微笑んだ。
この夜、スードリの一角で、歴史のさらにその先──“人類の銀河的生存戦略”が、静かに動き始めていた。
◇◇◇◇◇
U.C.0087年10月3日・早朝
港の空は、鈍い朝の光を受けて、ゆっくりと白み始めていた。
地上に残る薄い霧と、海風が運ぶ金属と塩の匂い。
それが、静かにこの地に新しい一日が始まることを告げていた。
その中を、ひときわ異質な船影がゆっくりと浮上していく。
エンドラ──かつてはジオン残党の象徴として恐れられた巡洋艦は、今やアクシズを離れ、この地球圏に一時の拠点を求めた亡命艦となっていた。
その艦に──ミネバ・ラオ・ザビの姿はなかった。
「私は、ここに残ります」
そう言ったのは、他でもないミネバ自身だった。
エンドラの発艦準備が整い、ハマーンが最後の確認に赴いたとき。
ミネバは静かに、しかし迷いのない瞳でハマーンを見上げ、告げた。
「私は、アインと共にいたいのです。彼の隣で、もっと……この宇宙のことを、知りたいのです」
ハマーン・カーンはしばし黙していた。
その瞳に去来したのは、母のような慈しみと、同志への信頼、そしてわずかな寂しさだった。
「……あの男は、時に自分を“人間”だと信じ切れていない。だが、あなたが傍にいることで、あの男はようやく、人間として地に足をつけられる。……頼んだわ、ミネバ」
「はい」
そう答えたミネバに背を向けると、ハマーンはアインへと視線を向けた。
「この子は、私が命を懸けて守ってきた。だが今、その役目は、あなたに託す。……アイン・ムラサメ」
アインは静かに頭を下げた。
その声音は、責任という言葉を遥かに超えていた。
「……必ず。命に代えても、お守りします」
ハマーンは何も言わず、振り返った。
そして、艦へと乗り込む。
やがて、港に微かな振動が走る。
「エンドラ、発進」
艦橋の通信士が呟き、巨大な艦体が港湾からゆっくりと上昇し始める。
その姿を、アインとミネバは並んで見つめていた。
港の風が、白いワンピースをふわりと揺らした。
ミネバは、黙ってアインの袖を掴んでいた。
しばしの沈黙の後、アインは小さく呟いた。
「……ごめんなさい」
「?」
ミネバが振り返ると、アインは目を伏せていた。
「君には、もっと……普通の8歳の女の子でいてほしかったんだ。僕に甘えてくれた君が、本当の君であってほしかった。君に、こんな重荷を背負わせたくなんて……なかったのに」
その声には、彼の本音が滲んでいた。
世界を導こうとする指揮官の仮面を脱いだ、一人の青年としての慟哭だった。
「それでも、君は僕の隣に立ってしまった。僕の所為で──」
アインの言葉が途切れる。
次の瞬間、ミネバがその胸に顔をうずめてきた。
小さな腕で、必死に彼を抱きしめる。
「私は、ミネバです」
ミネバの声は震えていたが、芯があった。
「私はあなたを見ているのに……。あなたは、どうして、私を見てくれないのですか」
その言葉に、アインははっとして目を開いた。
ミネバの目は、確かに“いま”の彼女自身だった。
決して誰かの影ではなく、歴史に操られた偶像でもない。
たしかに、ここに在る「ミネバ・ラオ・ザビ」という一人の少女だった。
「……バカですね、僕は」
アインはそっと彼女を抱き上げた。
その胸の中には、もはや指導者の孤独も、戦略家の冷徹もなかった。
あるのはただ、小さな手を離さぬようにと、祈るような静かな温もりだけだった。
「……朝ごはん、食べましょうか」
囁くように言うアインの声に、ミネバは微笑んだ。
「うん!」
それは、誰のものでもない。
ザビ家の王女でもなく、政治の象徴でもない、ただの──8歳の女の子の笑顔だった。
朝の光が、静かに港湾を包んでいく。
そして、新しい一日が、始まった。