ムラサメさん家のイチバン=サン   作:星乃 望夢

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第74話 逃げるな! ──生きる方が、戦いだ!!

 

 ティターンズ監察軍政官庁・旗艦《アルビオン》。

 

 かつてデンドロビウムを収容した曰く付きの伝説のペガサス級強襲揚陸艦は、いま再び宇宙の戦いの最前線へと赴く。

 

 その艦橋。

 

 不変のように静かに、しかしその双眸は燃えるように──青年大将、アイン・ムラサメは、前方スクリーンに広がる蒼い地球と暗黒の宇宙の狭間を見つめていた。

 

 やがて隣に立った男が、短く息をつく。

 

「やはり、宇宙は良いな。地上にいると、あまりに人の匂いが濃すぎる」

 

 ブライト・ノア。

 

 かつてホワイトベース艦長として一年戦争を生き抜き、いまはティターンズ監察軍政官庁の旗艦を預かる艦長としてアインを支える立場にある。

 

「……大将、これでいよいよ“最後”だと思ってよろしいのか?」

 

 その問いは、重い確認だった。

 

 グリプス、ゼダンの門、そしてコロニーレーザー。

 

 それらを掌握したバスク・オムという災厄との決戦が、ついに迫っている。

 

 アインは静かに頷く。

 

「はい。ですが“最後”ではありません……これは“始まり”です。地球を守り、宇宙を束ねる、真の“人の軍”として──この地球圏を整える戦いになります」

 

「……それでも、戦いには変わりない」

 

「ええ。ですが、もう誰も“自分のために”殺させたくはないんです。僕らは……市民のために生きる軍人でなければならない」

 

 しばしの沈黙。

 

 その横顔は、齢19とは思えぬ深い覚悟に満ちていた。

 

「お前は、変わったな。グリーンノアで出会ったときは、まだまだ生まれたてのヒヨッコだった。それが半年でこうまでなるとはな。いや、周囲がお前に責任をおっ被せてきた、その果てに変わるしかなかったからか」

 

「……ブライト艦長のおかげです。あなたが“軍人としての尊厳”を教えてくれました。僕は今、やっと一人の人間として、誰かの前に立てる気がします」

 

 ブライトは目を伏せ、口元を引き結ぶと、背筋を伸ばして敬礼した。

 

「……ならば、その旗を掲げろ。お前の意志を、連邦の全艦隊に示せ」

 

 アインもまた、敬礼を返す。

 

 その瞬間、スクリーンに映し出されたのは、続々と浮かび上がってくる宇宙艦艇群だった。

 

 アレキサンドリア級巡洋艦、サラミス改、マゼラン改、補給艦、シャトル、HLV……。

 

 すべてが今、アインの名のもとに集結している。

 

 その中心に、《アルビオン》はあった。

 

 艦内通信スピーカーが開く。

 

《こちら月都市フォン・ブラウン防衛艦隊第2中隊、指示通り進路修正完了。グリプス宙域への合流予定時刻を送信します》

 

《こちらサイド2第3守備輸送隊。補給艦4隻、現地到着まで12時間。医療技師と予備パーツ積載済み》

 

《監察軍政官庁全軍へ。艦隊整列、逐次完了。旗艦アルビオンより進路座標を要求中……》

 

 アインはマントを払って振り返ると、艦橋後部のオペレーターに一言、告げた。

 

「……旗艦アルビオンより告げる。全艦隊、グリプス宙域へ進路を統一。航行開始」

 

 その命令に、次々と「了解」の声が重なる。

 

 静かなる艦隊運動。

 

 だが、それは地球圏史に刻まれる最大の決戦の始動だった。

 

 地球の蒼が遠ざかる。

 

 アインの瞳は、遥かな宙の果てを見据えていた。

 

 ──その先にあるのは、勝利か、あるいは……。

 

 それでも彼は迷わなかった。

 

 軍人として、ひとりの人として。

 

 理想を掲げ、希望を背負って──。

 

 《アルビオン、全推力にて前進開始》

 

 静かに、最後の戦場へ向けて、艦が動き出した。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 ──静寂の宇宙に、まず光が走った。

 

 ティターンズ監察軍政官庁旗艦《アルビオン》を先頭に、アレキサンドリア級巡洋艦数隻、サラミス改、マゼラン改、エゥーゴからもアーガマを旗艦にラーディッシュや他アイリッシュ級にサラミス改を交えた混成艦隊。

 

 地球から、月から、各サイドから一日で集結可能な主力艦艇が、十数隻規模、輸送艦等の支援艦を含めれば数十隻規模でグリプス宙域へと航行していた。

 

 そのすべてが、たった一人の演説に応じた者たちだった。

 

「……宙域前方、反応多数!おそらくゼダンの門艦隊、迎撃に出ています!」

 

 アルビオン艦橋に緊張が走る。

 

 「敵、こちらに砲を向けていません。通信は遮断、ミノフスキー粒子を散布し始めました」

 

「対話の余地はある。アイン大将──」

 

 そのとき、艦の中央格納デッキが開かれ、漆黒の機体がせり上がった。

 

 サイコデウスガンダム。

 

 その胸部、通常なら格納されたままのコックピットハッチが開き、気密シールドの内側、アイン・ムラサメの姿が浮かび上がる。

 

 彼の声が、国際救難チャンネルを通じ、ゼダンの門艦隊全体へと届いた。

 

 

「こちら、地球連邦軍大将、アイン・ムラサメである。

 

 貴艦隊に告げる。いかなる理由があろうとも、今この宙域で地球圏の軍が互いに血を流すことは、我らが護るべき市民に対する裏切りである。

 

 全艦、砲を引け。進路を維持したまま、通信を開け。

 

 投降兵の受け入れ態勢は整っている。武装解除の後、待遇は保障する。

 

 これは宣告ではない。最後の勧告である」

 

 

 バスク派艦隊の各艦橋に、アインの声音が響く。

 

 最前列に並ぶ艦艇――元ティターンズ正規部隊所属のアレキサンドリア級《ガイウス》の艦橋では、艦長が唇を噛んでいた。

 

「アイン・ムラサメ……何様のつもりだ……!」

 

 だが、その背後で、副長が小声で囁いた。

 

「艦内の士官たち、動揺しています。どうやら……本気で、あの男に心を揺さぶられた者もいるようです」

 

「ばかな……!」

 

 同様の空気は他の艦艇でも拡がっていた。

 

 MSデッキでは、パイロットたちがモニター越しにサイコデウスを見上げ、その胸部から聞こえる声に、言葉を失っていた。

 

 砲塔が、ひとつ、またひとつと、降ろされた。

 

 最前列の艦隊は、無言のまま進路を変え、側面へと退いた。

 

「艦隊分断──これは、投降の前触れか!?」

 

 アルビオン艦橋のブライトが息をのむ。

 

「……違う。これは、判断を部隊ごとに委ねる構えか。全艦一斉投降ではない。だが──信じるに足る」

 

 アインは胸の中で、誰にも聞こえぬ声で呟いた。

 

「ありがとう。……貴官らは、今も地球連邦軍の軍人です」

 

 静かに敬礼するアインの姿に、周囲の艦の一部でも、MSのコックピット内で兵士たちがそれに応じていた。

 

 こうして、第一波集結艦隊とバスク派迎撃艦隊は、撃ち合うことなく“すれ違い”を果たした。

 

 それはまるで、宇宙に漂う一つの願い──。

 

 「血を流さない勝利」という、異端にして崇高な思想の証明だった。

 

 そして、ゼダンの門司令部では、バスク・オムの怒声が轟いていた。

 

「貴様ら……どこまで俺を侮辱すれば気が済むッ!!」

 

 しかし、彼の背後に並ぶ幕僚たちの表情には、もはや怒りも忠誠もなく──ただ、沈黙と困惑だけが残されていた。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 漆黒の宇宙に浮かぶ、黒鉄の巨影。

 

 サイコデウスガンダムは、己が意思を示すように両腕を静かに構えていた。

 

 その胸部装甲、コックピット上に立つ一人の男。

 

 ノーマルスーツに身を包んだ青年は、冷たい虚空に立ち、ただその目で目前の艦隊を見据えていた。

 

 アイン・ムラサメ。

 

 ティターンズ監察軍政官庁長官。

 

 そしてこの宙域における全軍の指揮権を握る、地球連邦軍大将である。

 

 彼は今、宇宙の只中で、沈黙の中に立っていた。

 

 彼は全回線を開放し、全艦艇・全機体に向けて無言の意思表示を続けていた。

 

 ──その時。

 

 まず、一機のハイザックが、姿勢を正す。

 

 動きは緩やかだった。だが、確かな意志を持っていた。

 

 右腕が、ゆっくりと上がる。

 

 軍礼に則った、敬礼。

 

 続けて、バーザム、マラサイ、ジムⅡ、ジム・クゥエル──。

 

 本来は敵対し得たそれぞれのモビルスーツが、次々に、その腕を掲げた。

 

 投降艦艇の兵たちが甲板に整列する。

 

 階級も、部隊も、出自も関係ない。

 

 それらは全て、ただ一人の青年に向けた“軍人としての礼”だった。

 

 彼らは、かつてのように命令を待っているわけではない。

 

 ここにいるのは、新たに選び直そうとしている者たちだけだった。

 

 彼らは、この静止の場に身を晒し、自らの意志で敬礼を選んだのだった。

 

 それを受けて──サイコデウスの上。

 

 アイン・ムラサメは、ゆっくりと右手を額に添えた。

 

 そしてそれに則る様にサイコデウスも右腕を上げ、敬礼した。

 

 全回線が開かれ、彼の姿は全艦艇のメインモニターに投影されていた。

 

 言葉はない。だが、それ以上の意思が、無音の宇宙に響いていた。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 

「な……何をしている……何をしている貴様らッッ!!」

 

 割れんばかりの怒号が、司令室を震わせた。

 

 バスク・オム。

 

 グリプス宙域におけるティターンズ実戦司令部の長。

 

 だが今、彼の怒声に答える者はなかった。

 

 モニターに映るそれは、明らかにキリマンジャロの“再現”だった。

 

 かつてアイン・ムラサメに向けて、兵たちが無言の礼を示し、無血で開城したあの光景。

 

 副官が、血の気を失った顔で呟く。

 

「まさか……また、あれをやるつもりなのか……。この宙域で……このゼダンの門で……」

 

「“敬礼”だと……!? あんなもの、まるで……我々が間違っていたとでも言うように……っ」

 

 別の士官が声を震わせた。

 

 彼らも知っていた。

 

 つまりこれは“模倣”ではなく、“連鎖”だった。

 

 それが最も恐ろしい。

 

 バスクは手元の卓を叩き割るように拳を振るい、怒声を上げる。

 

「貴様らッ……!! 地球連邦軍の誇りを忘れたかッ!! あの男に、膝を屈するつもりかッ!!」

 

 だが、その怒号に誰も応じなかった。

 

 誰もが、ただ画面を見ていた。

 

 そして気づいていた。

 

 これは、“戦術”ではない。

 

 これは、“秩序”だった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 アインは、敬礼の波を見つめていた。

 

 それは兵士たちの投降でも、恭順でもなかった。

 

 ただ、“理性”だった。

 

 秩序ある撤退。

 

 無言の誓約。

 

 それに答えるかのように、彼は右手を額に添え続ける。

 

 誰に向けてでもない。

 

 すべての者に対して。

 

 敬意に対し、礼を返す。

 

 その静止は、戦乱を終わらせるための“祈り”だった。

 

 ──この青年の姿に、モニターを通じて無数の者たちが見た。

 

 指揮ではない。命令でもない。

 

 命を賭けて秩序を示す男の、真の“覚悟”。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 静止した宇宙に、再び振動が走った。

 

 彼らは、やって来た。

 

 第二波艦隊。

 

 構成はコロンブス級輸送艦3隻、マゼラン改級戦艦2隻、サラミス改級6隻。

 

 その艦橋には、未だにティターンズの紋章が残されていたが、ブリッジに立つ者たちの表情に、もはやかつての“制圧者”の面影はない。

 

 指揮官もいない。

 

 命令もない。

 

 ただ、一つの意思を受けて自ら集った者たちだった。

 

 「俺たちは、もう間違えたくない」

 

 第二波艦隊は、サイコデウスを守るように配置を取ると、自主的にモビルスーツ部隊を展開させた。

 

 だが、いずれの機体も武装を解除していた。

 

 ビームライフルを艦内に納め、ライフルラックを空にしたまま、宇宙に漂うハイザックとガルバルディβ。

 

 中にはティターンズエンブレムを塗り潰さずに飛来する者たちもいた。

 

 だがその腕は、確かにアインに向けて、敬礼の姿勢を取った。

 

 その敬礼は、静かに連鎖する。

 

 ひとり、またひとり。

 

 MSの片腕がゆっくりと上がるたびに、その場の緊張は、逆に凍りつくような厳粛さを増していった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

「……また、増えている……!」

 

 無線封鎖中であったにも関わらず、どのような手段か、第二波の情報は広がっていた。

 

「な、何をしている! 迎撃部隊は! なぜ攻撃命令が出せん!」

 

 バスク・オムの怒声に、幕僚の一人が叫ぶ。

 

「目標は全艦、武装解除状態! 戦闘意思なし! MSも非武装! このままでは……!」

 

「黙れッ!! これは武装解除を装った欺瞞だッッ! 撃てッ、撃たせろ!!」

 

 だが、誰も命令を実行しなかった。

 

 バスクの眼前で、かつてティターンズに身を置いた者たちが、自ら武器を置き、“敬礼”だけで降伏と尊敬を示しているという現実──。

 

 それは、彼の統制が失われつつあることの証左だった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 沈黙の宇宙が、再びざわめいた。

 

 ──来たのだ。

 

 ゼダンの門から、複数のMS部隊が宇宙へ姿を現した。

 

 先発のハイザック小隊に続き、バーザム、マラサイ、ジムⅡ、ジム・クゥエル。

 

 それは、投降を決意し、なおも“足”を失った仲間たちを救おうとする者たち──“先発投降兵”の姿だった。

 

 無言で飛び続けるMSの一機が、サイコデウスへと通信を開く。

 

『閣下……! ゼダンの門の中には、まだ投降したくても“足”がない兵が大勢いるんです!』

 

 苦しげな声だった。

 

『艦は動かせない。MSに乗れる数も限られてる、あいつらはもう……自力じゃ出てこれません!』

 

 アインはサイコデウスの中、ノーマルスーツ姿でその通信を受け止めた。

 

 静かに、だが確かに頷くと、開かれた回線のまま、背後に控える随伴艦隊へと命じた。

 

「コロンブスから荷を降ろせ。投降兵受け入れ艦として、即時転用する」

 

 その言葉に、通信回線の向こう側──すべての艦艇に、張り詰めていた空気が震えた。

 

 直後、随伴艦のコロンブス級3隻がゆっくりと姿勢を変え、船体両舷ハッチをすべて開放してゆく。

 

 中には、元々運搬任務用に積まれていたMSの補給コンテナや工具群、医療支援物資、弾薬ラックが並んでいた。

 

 だが、すぐさまそれらを船外へと排出する動きが始まる。

 

 周囲のMSが、続々とハッチ前へ集まった。

 

 誰に命じられたわけでもない。

 

 先に投降したMS部隊のパイロットたちが、自発的に作業を開始していた。

 

 通信回線を開き、部隊長同士が簡潔に指示を飛ばす。

 

「サウスエリアの荷は俺たちが捌く。北側ハッチは補給隊に任せる。最短10分で空にしろ!」

 

「了解。MS回収ポート、片側使用に制限して、受け入れスペースを確保する!」

 

 ハイザックが肩でコンテナを押し、バーザムがそれをガイドして外へ排出。

 

 ネモとジム・クゥエルが懸架アームを引き出してスペースを広げ、マラサイやガルバルディβ、ジムⅡが貨物リフターを牽引しつつ投下位置を調整する。

 

 ──静かな、だが高度に連携された動作だった。

 

 彼らは知っている。

 

 これは“救出作戦”であり、自らの贖罪と誓いの始まりでもあるのだと。

 

 コロンブス級内部では、急ぎ衛生士官たちが簡易ベッドと医療ブースの設営を開始し、酸素調整と暖房を作動させていく。

 

 脱出者の冷え切った身体と精神を受け入れるために、最善の準備が整えられていた。

 

 空となった3隻のコロンブス級輸送艦。

 

 皆の手でその積み荷は宙域に降ろされ、代わりに“希望”を乗せるための準備が整えられた。

 

 艦内は暖かく、酸素と灯が行き渡り、誰でも迎え入れるようにハッチが開かれていた。

 

 その目的地はただ一つ──《ゼダンの門》。

 

 その巨艦に向けて、三隻のコロンブスはゆるやかに進路を取った。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 通信モニターに映る、近づいてくるコロンブスの艦影。

 

 それを見たバスク・オムの顔に、怒気が奔った。

 

「撃てッ!……撃ち落とせ! 投降兵どもを甘やかすなッッ!!」

 

 怒声が司令室の空気を裂く。

 

 だが、その命令は宙に溶けた。

 

 返答はなかった。

 

 オペレーターも、レーダー手も、副官も、全員が沈黙していた。

 

 そしてモニターには、既にバスクの命令を無効化する現実が映し出されていた。

 

 投降兵後発組のMS群が、コロンブスの前後左右を守るように随伴していた。

 

 バーザム、マラサイ、ハイザック、ガルバルディβ、ジムⅡ、ジム・クゥエル。

 

 機種の違いも、陣営の壁もなかった。

 

 それらのMSたちは、コロンブスの進行経路を開き、通信回線で門内への接近ルートを確認していた。

 

 中にはゼダンの門側のMSが、ハッチを開けて着艦管制に加わる様子も見られた。

 

 ハッチ越しに見え始めたゼダンの門の構造体。

 

 その途方もなく巨大な艦体の影の中に、希望を見た者たちは──沈黙した。

 

 やがて、誰かが小さく呟いた。

 

「……帰ってきた……」

 

 別の兵士が、深く礼をした。

 

「アイン閣下……俺たち……助けてもらっちまったな……」

 

 仲間が肩を支えながら、泣いていた。

 

「……死ぬって、思ってた。ここで、みんなで……でも……」

 

 その顔には、戦争で汚れた汗と、涙の筋が並んでいた。

 

 アイン・ムラサメは、サイコデウスの胸に立ち、全回線を開いていた。

 

 彼は、届いた感謝に一つひとつ答えるように、右腕を静かに上げて敬礼を送った。

 

 コロンブスの艦橋、ハッチ、甲板、通信越し。

 

 無数の兵たちが、それぞれの場所で返礼を送った。

 

 それは、命令ではない。

 

 生き延びてくれた者たちへの、誓いと祝福だった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 バスクはまだ吠えていた。

 

「貴様らァァ……! なぜ撃たん!! この俺の命令が聞こえんのかッッ!!」

 

 だが、誰も返答しない。

 

 モニターには、敬礼するMSと、着艦、離陸していくコロンブスの姿が映るだけだった。

 

 副官のひとりが、ポツリと呟いた。

 

「もう……戦争は、終わったんだ。閣下……」

 

 “死を回避した者たち”が、“生を選んだ者たち”へと変わり始めていた。

 

 そして、それを導く男が、サイコデウスの上に立ち続けていた。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 敬礼の静寂が宇宙を包んでいた。

 

 サイコデウスの胸上に立つ青年。アイン・ムラサメ。

 

 その姿に向けて、あらゆる艦艇・MSが祈るように右腕を掲げ、無言の信義を交わしていた。

 

 だが──その均衡を破る者がいた。

 

 一機のハイザック。

 

 他の投降兵と同じように紛れていたが、その手にはビームライフルが握られていた。

 

「あれ、武装してないか……?」

 

「どこのバカだ? ライフルを置き忘れるなんて、士官学校のヒヨッコでもちゃんとやるぞ」

 

 投降兵のバーザムのパイロットが、不自然な装備に小さく警戒の声を漏らす。

 

 だが、その声が届くよりも先に──。

 

 閃光が走った。

 

 ビームライフルが閃き、サイコデウスの胸部へと向けて放たれた閃光。

 

 だが、それを遮ったのは──一機のマラサイだった。

 

 右肩のシールドを展開し、間一髪でその光弾を防ぎ切る。

 

「……こいつ、殺る気か!!」

 

「取り押さえろ!!」

 

「バスクの差し金か!?」

 

「閣下を守れぇ!!」

 

 直後、近隣のバーザムが数機、反射的にそのハイザックへと飛びかかった。

 

 武装解除も命令もなかった。

 

 ただ、守るべきものを守るための動きだった。 

 

「隊長ォッ、シールドでいく!」

 

 ジム・クゥエルの一機が、左手のシールドを構えたまま突進。

 

 ビームライフルを構え直そうとしたハイザックの胴体に、シールドバッシュが突き刺さるように炸裂した。

 

「グウッ……!」

 

 機体ごと押し出され、バランスを崩したハイザック。

 

 さらに、別方向から迫ったガルバルディβともう一機のマラサイがその機体を押さえ込むように組み伏せた。

 

「止めろ!お前、何の命令で動いてる!?答えろッ!」

 

 だが、ハイザックは応じない。

 

「ティターンズ万ァァァ歳ィ!!」

 

 ノイズ混じりの通信が走る中、反応炉を過熱させようとしたのか、一瞬だけ熱量が上がる。

 

「自爆──!? させるなッ!」

 

「ランドセルだ! 引っこ抜けッ!!」 

 

 叫びと共に、バーザムがとマラサイが、力尽くでハイザックのランドセルを引き剥がす。

 

 動力切断、コクピットブロックの過熱も即時停止。

 

 暴走は、止まった。

 

 MS群の間に再び静寂が戻る。

 

 誰一人言葉を発しなかった。 

 

 だが、誰もが理解していた──いま起きたのは、“侵害”だった。

 

「閣下の命を……守ったぞ……!」

 

 誰かがそう呟いた。

 

 それは、命令された行動ではなかった。

 

 忠義でもなければ、恐怖でもない。

 

 理性による決断と、正義の自発だった。

 

 アイン・ムラサメは、動かなかった。

 

 だが、彼のモニターには、すべてが映っていた。

 

 護った者の勇気。

 

 守ろうとした者の動機。

 

 そして、迷わずに“敵”を止めた投降兵たちの覚悟。

 

 彼は、サイコデウスの右腕を上げた。

 

 それは“ありがとう”という言葉の代わりだった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 バスク・オムは、拳を握り締め、震えていた。

 

「なぜ……なぜ奴に従う……!」

 

 その目はもはや怒りというよりも、怯えの色に染まっていた。

 

「なぜ私の命令ではなく、あの小僧の言葉に従うッ……!!」

 

 副官たちは沈黙を貫いた。

 

 誰もが分かっていた。

 

 彼らはアインに“従った”のではない。

 

 理性と正義に“応えた”のだと。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 静止した艦隊の中を、ひときわ異彩を放つ巨影が滑るように進んでいた。

 

 サイコデウスガンダム。

 

 アルビオン艦上から離脱したそれは、緩やかに旋回しながら、ゼダンの門外縁に設置されたドック──投降兵受け入れコロンブス艦群の中央へと降り立つ。

 

 甲板にその脚を下ろすと同時に、外装スピーカーと全周波数帯を開き、アイン・ムラサメの声音が響いた。

 

「……こちら、地球連邦軍監察軍政官庁、アイン・ムラサメである」

 

その声は、コロンブスを誘導していた投降兵ジムⅡの通信からも、中継中のコロニー通信局からも流され、ゼダンの門内の空気を一変させた。

 

「キリマンジャロでも、私は見た。自決を図ろうとした兵が、仲間に必死で止められてた姿を」

 

 艦内モニターの前で立ち尽くす整備兵。

 

 通路で片膝をつき泣き崩れる士官。

 

 制帽を握りしめたまま動けずにいた者──そのすべての耳に、アインの声が届いていく。

 

「諸君らのそれは、良心の叱咤であり、自責の念から来る決断なのだと私は理解している」

 

 ゆっくりと、サイコデウスの腕が上がる。

 

 静かな敬意の象徴として、右手を額の位置へ──軍人の礼を、誠意を込めて示した。

 

「だが、私は言う。正当な指揮系統によって下された命令を実行した者を、私は責めはしない」

 

 ブリッジで息を呑むオペレーター。

 

 司令部通路の片隅で立ち止まる整備兵が、肩を震わせた。

 

「己で判断出来ぬ者は、その声を私が聞こう。なおもバスクに殉じるのならば……それもまた、貴官の自由意思として尊重しよう」

 

 ──だが。

 

 アインは、一段階声を強めた。

 

「だが、あえて言わせてもらおう。死ぬくらいならば──生きろ。逃げるな! ──生きる方が、戦いだ!!」

 

 それは絶叫ではなかった。

 

 凛とした響きだった。静かな命令だった。

 

 だが、あまりにも真っ直ぐで、否応なく魂に届く“命の命令”だった。

 

「……アイン閣下……!」

 

「すまない、俺は……俺はもう、許されないと思って……!」

 

「まだ、終わってないんだな……生きて、償えばいいんだな……!」

 

 崩れ落ちた膝のまま泣く者。

 

 手を握り合って立ち上がる者。

 

 通信回線が各所で繋がれ、サイコデウスに向けて「乗せてくれ」と語りかける者たちの声が、やがて群れとなって溢れ始める。

 

 仲間に支えられながら歩く兵士たちが、次々とコロンブスへ乗り込んでいく。

 

 誰も強制しない。誰も命じない。

 

 だが、選んだのだ。

 

 生きるという、もっとも困難な“戦い”を。

 

 アインは、サイコデウスの胸部に立ち続けながら、小さく応じた。

 

 敬礼──。

 

 それは、命を選んだ兵士たちへの、静かな返礼だった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 重苦しい空気が支配する司令室に、アイン・ムラサメの声が流れていた。

 

 『……生きる方が、戦いだ!!』

 

 その最後の一言が、まるで叩きつけられるように響き渡ったとき、誰もが動けなくなった。

 

 沈黙、硬直。

 

 バスク・オムは、指揮卓の前で両拳を握りしめ、血管が浮かび上がっていた。

 

 怒りに全身が震えている。

 

「……ふざけるな」

 

 絞り出すように吐き捨てた声には、もはや軍人としての威厳も、誇りも、何もなかった。

 

「ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなァァッ!!」

 

 端末を叩きつけ、椅子を蹴り飛ばし、怒号と共にデータパネルを粉砕する。

 

 その背後で、幕僚たちは凍りついたままだった。

 

「何故、撃たん!? なぜあのサイコデウスを撃ち落とさない!?」

 

 咆哮に応じる者はいなかった。

 

 一人の通信士官が、低く、震える声で呟いた。

 

「……投降兵たちが……自ら、コロンブスを護衛して……」

 

 別の幕僚が呻くように続けた。

 

「……誰も、撃てないんです……あれを……撃てる者など、もう……」

 

 モニターに映るのは、次々とコロンブスへ乗り込む兵士たちの列。

 

 その脇に整列したMS部隊が、自主的に航路を守っている。

 

 どの機体も、武装を外し、敬礼の姿勢を取ったままだ。

 

 誰も、バスクの命令に従わない。

 

「貴様らッ!! 私は地球連邦軍の大佐だぞッ!! 命令違反は軍法会議モノだ!! 貴様ら全員──ッ!!」

 

 だが、振り返った彼の前にあったのは、誰もいない背中だった。

 

 幕僚たちは、音もなくその場を離れていた。

 

 部屋に残されたのは、バスクと、数人の側近だけ。

 

 かつて、命令一つで艦隊を動かした男の声が、今や空しく反響するだけだった。

 

「……連邦の誇りを、秩序を……守れるのは私だけだった……なのに……」

 

 崩れかけた椅子に座り込み、バスクは呻いた。

 

「……アイン・ムラサメ……この化け物め……!」

 

 壁面モニターには、サイコデウスの胸に立ち、静かに敬礼を返し続ける青年の姿があった。

 

 それを睨みつけながら、バスク・オムの瞳は血走り、だがもう、それ以上の言葉を持たなかった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 無言の行軍だった。

 

 ティターンズ監察軍政官庁直属の再任陸戦隊──かつてバスク・オムの命令で戦い、今はアイン・ムラサメの命に応じて再び立った者たち。

 

 その先頭には、静かに歩を進める黒衣の青年。

 

 アイン・ムラサメ。

 

 その手には、何の武器もない。

 

 ただ、理性の灯だけを掲げて、ゼダンの門中枢へと進む。

 

 彼らの足音は、やがて司令室前の静寂を破るものとなった。

 

「……来たか」

 

 バスク・オムは端末の前からゆっくりと立ち上がった。

 

 その顔にあったのは怒りではなかった。

 

 憤怒を通り越した、戦慄。

 

 そして、諦念。

 

 モニターには、かつての部下たちが映っていた。

 

 銃を持たず、アインの背に従って歩む姿。

 

「貴様ら……その手を汚さず、勝ったつもりか……!」

 

 バスクは一歩、アインたちの方向に歩を進める。

 

「この俺が……この俺の血が……無かったことにされてたまるか!」

 

 バスクの手には、すでに拳銃があった。

 

 扉が開く。

 

 アイン・ムラサメと再任陸戦隊が、無音で入室する。

 

「貴様の無血開城など、成らん!!」

 

 バスクは吼え、銃口を上げる。

 

 その瞬間、アインが小脇に抱えていたヘルメットを強化人間の反射速度で投げ付け、銃を叩き落とす。

 

 床に転がる銃。

 

 動けず呆然とする士官たち。

 

 誰も撃たなかった。

 

「貴様ァアアア!!」

 

 再び拾い上げた銃を構えたバスクの耳に、一発の銃声が響いた。

 

 撃ったのは、バスクのすぐ側に立っていた老練の副官だった。

 

 その弾丸はバスクの頭部を貫いていた。

 

「……反逆者は……射殺した。これで、アイン閣下に対する……非礼を……お詫びしたい」

 

 副官は震える手で敬礼を送る。

 

 アインは目を伏せ、一度だけ、バスクへと静かに敬礼を送る。

 

 その行為に呼応するように、再任陸戦隊が一斉に姿勢を正し、司令部内の幕僚たちも次々に敬礼を送る。

 

 血の代償に、戦いは終わった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

「ゼダンの門・全域制圧完了。反抗なし。バスク・オム、大佐戦死。詳細報告は後ほど」

 

 報告を上げたアインは、サイコデウスの中で短く頷いた。

 

 その敬礼には、勝利の誇りはなかった。

 

 あったのは、一つの時代を終わらせた者の責任と、哀悼。

 

 ──そして、その哀悼は、静かに宇宙に広がっていった。

 

 

 

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