午前講義が終わった帰り道、マチュは携帯端末の画面を閉じ、空を見上げた。
──この空の先に、何があるんだろう。
退屈なゼミ、繰り返されるレポート、母親の小言。
何かが違う。
きっと私は──「こんなもんじゃない」。
ふと、胸の奥に疼くような気配が走った。
……誰かが、泣いてる。
視線を落とす。
通りの向こう、警備車のサイレンが鳴り、制服の男たちが一人の少女を追っていた。
逃げているのは、どこかで見た顔。
薄汚れたフード、細い体。
必死に何かを抱えて走っている。
──あの子、名前は知らない。
でも、感じる。
あれが、私の“日常の外側”から来た何かだって。
マチュは反射的に走り出していた。
思考よりも早く、心が動いていた。
「こっち!」
駆け出しながら、自分でも驚くほど自然に手を伸ばした。
手を取ったその少女──ニャアンの瞳に、警戒と戸惑いと、どこか遠い戦場の色が混じっていた。
◇◇◇◇◇
狭く、無機質な通路を二人の少女が駆け抜けていた。
先頭を走るのはアマテ・ユズリハ。
肩で息をしながらも、なおもニャアンの手を強く引く。
「こっち! ……多分、あのシャッター、開くっ!」
乱れた赤髪。
制服の上に羽織ったジャケットの裾が跳ねるたび、胸の奥にざわめく感覚が脈打つ。
──“何かが、呼んでる”。
後方では、軍警の荒々しい声が無機質な構内スピーカーに木霊し、赤色灯の回転する光が壁を赤く染めていた。
マチュは、まるで磁力に吸い寄せられるように、最後尾の格納区画──「12」と刻まれたシャッターに両手を突いた。
「お願い、開いて……!」
キーを通す暇もなく、次の瞬間、シャッターは唸りを上げてゆっくりと上がっていく。
自動認証──誰かのアクセス権限が、彼女を“許した”。
「……え?」
ニャアンの目が見開かれる。
そこに“それ”は、いた。
巨大な、灰と紺の金属塊が、格納床に横たわっていた。
頭部はと胴体はジオングと同じだが、脚部が──ある。
脚部装備を備えた、完全な姿のジオング。パーフェクトジオング。
それは機械であるにもかかわらず、そこに「眠っている」ような静けさと、圧倒的な存在感を放っていた。
「これ……なに?」
「わかんない。でも……」
マチュは近づく。息を呑む。まるで夢の中のようだった。
そして──彼女の瞳が、機体のモノアイと交差した瞬間。
ザァア……ァァァアア……
頭の奥に、銀の音が流れ込む。
目の前の世界が、光の粒に解けていくような錯覚。
言葉ではない、“なにか”が直接、心の奥へ届いてくる。
「……キラキラ、してる……」
パーフェクトジオングのサイコミュが、マチュの脳波に自動接続を始めていた。
マチュの足元に、蒼白い光の粒子が舞い始める。
ニャアンが後ずさりかけた時、マチュが振り返って手を差し出す。
「ニャアン……行こう。ここしかない」
「え……マチュ……でも、コレって……!」
「わたし、わかる気がするの。これ、動く。わたしたちなら……動かせる!」
刹那、格納庫の天井が軋む。
軍警が追い付いたのだろう、遠くでドアを蹴破る音。
ニャアンの目が揺れる。だが、その手を取った。
「いくよっ!」
二人は、リフトに飛び乗り、胸部装甲のハッチへと滑り込む。
ハッチが自動開閉し、静かに収束したとき、
格納庫の光が、緑に染まった。
内部システムが目を覚ます。
《ニュータイプ反応波検出:同調率 72.9%……上昇中》
《起動プロトコル認証:条件下における特別解除手続き発動》
《電源供給開始……全系統チェック、クリア》
モノアイが光り、機体が低く唸りを上げ始めた。
静かだった格納庫に、雷のような低音が響きわたる。
二人は、コックピットに座っていた。
マチュは座席に体を沈めながら、深く息を吐く。
汗とともに、どこか高揚感が胸を満たしていた。
「……わたし、知ってる。これ、すごく懐かしい……初めてなのに」
ニャアンが震える手でレバーを掴みかけて、マチュを見た。
「ほんとに……できるの?」
マチュは静かに頷く。
「……ううん、やるしかないよ。行こう、ニャアン」
その瞬間、パーフェクトジオングは唸りを上げ、ゆっくりとその巨体を起こした。
◇◇◇◇◇
宇宙の静寂に沈む資源衛星の陰。
そこに、かつての亡霊がいた。
──パーフェクトジオング。
鈍い光沢の機体は、軍籍もマーキングも消され、ただ“そこにある”だけ。
だが、圧倒的な存在感はなお消えず、周囲の宙域すら凍りつかせるような威圧感を放っていた。
その姿を、遠距離からひとり見つめる者がいる。
──ギャン・クリーガー。
古式ゆかしき騎士の意匠を纏う一機。
コクピットに座るのは、エグザべ・オリベ。
彼はジオンの影に生きる者。
ニュータイプと呼ばれながらも、その力は“感応”ではなく“戦闘”に現れるタイプ──アムロ・レイに似た直感と運動能力の突出。
ゆえに、彼はサイコミュによる共鳴にはあまり強くなかった。
だが──。
「……これは……?」
眼前のパーフェクトジオングから放たれる、うねるような感応波。
本来なら彼のような“戦闘型”には届かぬはずの“声”が、脳裏を撫でた。
いや、厳密には“声”ではない。“輪郭”だ。
──2人いる。
──片方は……熱を帯びた、奔放で、まっすぐな“焦点”。
「女……? 少なくとも、訓練された軍人じゃない」
そう直感した瞬間、全身の皮膚が粟立つ。
この共鳴波は、パーフェクトジオングの旧式サイコミュの出力を超えていた。
だがそれは単に“強化”されたのではない。適合者の存在が、機体の神経回路を拡張していたのだ。
「……動かしているのか、まさか、素人が? いや──“繋がっている”……」
ギャン・クリーガーがゆっくりと推進を始める。
戦うつもりはない。
ただ、確かめたい。
この未知の共鳴の出所が──自分が追い求めてきた“何か”と繋がっているかどうかを。
やがて、距離2キロ圏内でパーフェクトジオングのモノアイが稼働する。
ゆるやかに、こちらを向いた。
その瞬間、再び脳を撫でるような“気配”。
「君か……。君が“触れた”のか。俺に──」
その輪郭は、名前も顔も知らぬ少女。
だが、紛れもなく確かに“いた”。
名もなき感応。
気づけば、エグザべの唇がひとりでに動いていた。
「……私は、敵じゃない。パーフェクトジオングのパイロット……いや、“少女”たちよ」
言葉は届かない。
だが、想いは揺らいだ。
パーフェクトジオングのモノアイが、ほんのわずかに角度を変える。
まるで、“見返した”かのように。
「……マチュ。君がその名かどうかは、まだ分からない。だが、君の中の“問い”は、俺と同じだ。──世界を見たい。未来を知りたい。ニュータイプとは、何なのか……と」
ギャン・クリーガーが後方に旋回し、ゆるやかに並走する。
エグザべはそれ以上の交信も、接近も求めなかった。
この“沈黙の会話”で、充分だった。
(君たちが、進む気なら……その道を邪魔する者には、俺が立ちはだかる)
そう心中で呟きながら、彼はギャン・クリーガーをその影の如く滑らせた。
亡霊の護衛騎士。
その名も知らぬ少女たちのために、青年は再び、己の剣を研ぐ覚悟を固めていた。
◇◇◇◇◇
薄暗い宇宙に浮かぶ、巨大な鉄塊。
それはもはや“機体”というより、“意志を持った箱舟”のようだった。
サイド6を離れて数時間、コロニー警備網も抜け、哨戒艦の索敵もかいくぐった。
それもこれも、目の前のモニターに映るこの異形の機体──パーフェクトジオングのおかげだ。
だが、到達した宙域の果てで、少女たちは迷っていた。
「……でさ、マチュ。これから、どうするわけ?」
肩に汗が冷えて重たく張りつく。
緊張の糸が切れた反動で、ニャアンの声は震えていた。
「軍警は多分、サイド6中に指名手配回してるし、あたし……もう戻れないよ」
マチュは無言だった。
操作パネルに添えた手のひらが、まだ少し震えている。
けれど──その目だけは、確かな光を湛えていた。
「……でも、ワクワクする」
ぽつりと、マチュが呟いた。
「ねえ、ニャアン。わたしたち、ほんとに“ここ”まで来ちゃったんだよ。空を越えて、宇宙へ出て……自分の意志で、ジオングを動かして」
その声音は、かすかに震えているはずなのに、底が見えないほど昂揚していた。
「非日常なんて、テレビの中の話だと思ってた。けど……わたし、今、ちゃんと生きてるって感じがするんだ」
ニャアンは言葉を返せなかった。
その横顔には、何かが“覚醒してしまった”人間特有の、危うい輝きが宿っていた。
と、そのとき。
警告灯が一つだけ、静かに点灯した。
背後宙域。
単独機、接近中。
「……!」
即座に防御モードに移行しようとするニャアン。
だが、マチュがそれを制した。
「待って。来るけど、敵じゃない……気がする」
「気がするって、気がするってなに!? あたしらMS奪ってんだよ!? 普通撃たれるでしょ!?」
そのとき、モニターに機影が映った。
青と灰色の流線的ながら鋭角なフォルム。
頭部のシールドには、あの――古の騎士の紋様。
ギャン・クリーガー。
近い。
だが、武器は構えていない。
淡々と、まるで「寄り添うように」航行してくるだけ。
「ほら、やっぱり……敵意はない」
マチュが囁いた瞬間、パーフェクトジオングのモノアイが僅かに動いた。
まるで、意思を持つように、ギャン・クリーガーへと“目線を返した”ように。
「……繋がってる」
マチュは小さく呟き、操縦桿を握り直す。
「マチュ……ついてくの? こいつ、何者かもわかんないのに?」
ニャアンの問いに、マチュはふっと笑った。
「でも、わたしには分かる。“この人は、わたしたちを撃たない”って。ジオングも、そう言ってる」
その確信は、根拠などない。
けれど、ニュータイプの片鱗が、“心”ではなく“感覚”に訴えていた。
パーフェクトジオングがゆっくりと軌道を変える。
静かに、ギャン・クリーガーの側へ──。
少し後ろ、少し下。
まるで、大人の後ろを歩く子どものように。
「いいの……?」
ニャアンの問いに、マチュは静かに頷いた。
「きっと、この人も、わたしたちと同じ。迷ってて、探してる。だから、今は“ついていこう”。……それでいいと思う」
ギャン・クリーガーのスラスターが、わずかに噴いた。
そのあとを、パーフェクトジオングもまた、ついていった。
不思議な編隊飛行。
少女たちと、騎士のような青年と、亡霊のような機体。
この銀河のどこにも属さぬ“仮初めの隊”が、確かに宇宙に存在していた。
そして、それはほんの始まりだった。
宇宙の果てに、名もなき“新たなジオンの火種”が、小さく灯り始めたのだ。
◇◇◇◇◇
灰色の月面に、陽の光は届かない。
それでも、宙に浮かぶ地球の青さは──この冷たく乾いた土地でも、なお温かく、美しかった。
マチュはひとり、展望窓の縁に腰を掛けていた。
赤髪を揺らし、左手には湯気の立つマグカップ、右手は膝に添えたまま。
視線の先には、格納庫に鎮座する一機のMS。
あの春に奪った“パーフェクトジオング”は、今や──《グレートジオング》と呼ばれていた。
月の裏側にあるキシリア派の秘密基地。
ここに身を寄せるようになって、もう九ヶ月。
彼女の名前は、“アマテ・ユズリハ”。
ジオングのパイロットとして、ニュータイプとして、キシリア派に“利用される”ことも、当然分かっている。
でも。
それでも――。
「マチュー、ここにいたの?」
声がして、背後の扉が開いた。
現れたのは、相棒であり、かつて助けた少女。
ニャアン。
軍服を着慣れぬまま、スリッパのまま廊下を駆けてきたその姿には、どこかあどけなさが残っている。
「お腹、空かない? 食堂でシチュー出てたよ。今日はアタリっぽい!」
「うん、あとで行く。ありがとう」
マチュは静かに微笑みながら応じた。
けれど、ニャアンの胸の奥には別の感情がある。
そう──“マチュだけが、頼りなのだ”。
この九ヶ月間。
軍警、サイド6、追われる者、保護される者、そして今やキシリア派の道具のような存在。
でもそれでもいい。
マチュとなら、どこにでも行ける。
マチュが隣にいてくれさえすれば──。
「……ねえ、マチュ。あたしたち、さ……」
ニャアンが、ふと口を開く。
「これから、どうなるんだろうね。地球も、宇宙も、変わっちゃった。アクシズの連中、まだ残ってるって話だし……」
マチュは少しだけ黙って、青い地球を見つめた。
「…わたしにも、まだ分からない。世界がどこへ行くのか。でも……見たいの、ずっと。“この目で、ちゃんと”」
彼女の視線は、格納庫の中に降ろされる。
そこには、パーフェクトジオングを改装した機体──《グレートジオング》が、静かに待機していた。
複座式のコクピット。
主操縦席にはマチュ。
そして、副座には火器管制を担当するニャアン。
二人の意志と、機体のサイコミュが共鳴し合い、今や完全な戦闘ユニットとして完成していた。
「わたしは、戦うことが目的じゃない。でも、“見る”ためなら、どこにでも行ける。だから……一緒に、いてね。ニャアン」
その言葉に、ニャアンは目を見開いた。
「っ……うん。いるよ、ずっと。……あたし、マチュの“マヴ”なんだから」
依存とも、友情とも、まだ言葉にできない感情。
けれど、それでも。
二人は、確かにこの宇宙で──同じコクピットを生きる“パイロット”だった。
グレートジオングのモノアイが、ゆっくりと灯る。
この機体と共に、いつか“自分たちの場所”を見つけるその日まで。
マチュとニャアンの旅は、まだ終わらない。