重苦しい空気の中、ブリッジの扉が開いた。
ゼロ・ムラサメは無言で歩を進め、かちりとブーツの音を響かせながら指揮卓の前まで進んだ。
「ゼロ・ムラサメ中尉、出頭致しました」
その顔に表情はない。
だが、目元には明らかな苛立ちと緊張が浮かんでいた。
アレキサンドリアブリッジ──。
その艦橋中央、統制卓の椅子に座るジャマイカン・ダニンガンの眉間には深く皺が刻まれていた。
「……お前たちが追撃しなかったのは、どういう判断だ?」
静かに、だが明確に怒気を孕んだ声だった。
周囲のクルーたちは一斉に手を止め、モニターから目を逸らした。
皆が聞き耳を立てているのを、ゼロも分かっていた。
彼は直立したまま、淡々と告げる。
「ガンダムMk-Ⅱを敵に奪われる危険性を考慮し、敵を撃退。主目標を達成したと判断しました」
「問うているのは“戦果”ではない。“追撃しなかった”という判断だ!」
ジャマイカンが立ち上がり、苛立ちに満ちた声を上げる。
「敵がガンダムMk-Ⅱを奪った賊のエゥーゴであることは分かっていたはずだ!何故討ち取らなかった!?」
「撃墜可能な状況ではなかった。こちらは本来、テスト部隊。守備隊の増援も得られず、戦線維持が限界だった。あのまま交戦を続ければ、被害が出るのは我々です」
「……言い訳をするな!」
拳を叩きつけた音が響いた。
ブリッジの空気が凍りつく。
ゼロは動じはしなかった、むしろ、声色は一段冷たくなる。
「戦局を見極めての判断です。ガンダムMk-Ⅱが鹵獲された上に、更に我々まで撃墜されていたらどれほどの損害になっていたか。戦果を過小に評価されるのは構いませんが、命令なき突撃で隊を壊滅させる気はありません」
「貴様……!」
ジャマイカンの怒声が、今にも飛びかからんばかりに荒ぶったが、それを制したのはアレキサンドリア艦長ガディ・キンゼーの一言だった。
「ジャマイカン少佐、現在グリーンノア1内にて被害報告と収容作業が続いております。追撃を行えば、巻き添えの可能性もありましょう」
「フン、言われずともわかっている」
不承不承ながらジャマイカンは椅子に腰を戻す。
しかしその目は、ゼロを射抜くように鋭い。
「この件については報告書を上げろ。テスト部隊の指揮官としての“正当性”があるかどうか、本部にて検討させてもらう」
ゼロは黙って一礼し、そのまま踵を返す。
扉の向こうに消える寸前、背後から吐き捨てるように投げられたジャマイカンの言葉が追いすがる。
「……戦果だけでは、貴様の存在価値は証明されんぞ。テストパイロット風情が」
応えず、ゼロは無言で扉の向こうへと消えた。
◇◇◇◇◇
アレキサンドリアのブリッジを退いたゼロは、制服の襟元を緩めながら艦内通路を進む。
通話端末をタップし、リンクが確立されると、整備区画の一角がモニターに映し出された。
画面に映ったのは、整備用のタラップに腰をかけたアインだった。油のついた整備手袋を外しながら、緩やかな微笑を浮かべている。
『お疲れさまです、ゼロ隊長。ジャマイカン少佐のお相手、大変でしたね』
穏やかな声音には皮肉も怒りもなく、ただ状況を把握し、それを受け止めている大人の余裕があった。
「……相変わらず、表情に出さねぇな。まあ、こっちはブリッジでクソ真面目に説教だったが」
『ふふ……。お察しします。ですが、こちらもなかなか。ドゥーの整備に付き合うのは、戦闘より神経を使うかもしれません』
その直後、通信の向こうで何かが派手に転がる音。
金属音に混じって、少女の叫び声が跳ねる。
『ちょっ、ダメですってばドゥー、それは補機の動力ケーブルで──ああ!今の本体に繋がって──』
ガンッ!
『……うっ……ちょ、ちょっと目が……』
モニター越しに、額を押さえて蹲るアインの姿が映った。
『……申し訳ありません、少し取り乱しました。ドゥー、そこは触らないでくださいね。僕がやりますから──』
その律儀な口調のまま、周囲に目を配りつつ整備を再開するアイン。
ゼロは静かに溜息を吐いた。
「……だから、お前に任せた」
『ええ。ご期待に添えるよう、努めてはおりますが……』
アインが何かを言いかけた時、再び背景からドゥーの声が響く。
『ねえアイン!ビームライフルの出力ケーブルって、これだっけ?──あ、なんか煙出てるー!』
『──っ、すぐ戻ります。申し訳ありません、ゼロ隊長。また後ほど』
通話が途切れる。
ゼロは端末を閉じた後、頭を軽く掻いた。
「……あの丁寧さでよくやるよ。ほんと、戦場より消耗するかもな」
言葉とは裏腹に、その表情にはどこか安堵の色が滲んでいた。
◇◇◇◇◇
アレキサンドリア艦内第4整備ベイ──。
赤と青の整備灯が明滅し、空気はオゾンと潤滑剤のにおいで満ちていた。
その中心。
無数のケーブルとユニットがむき出しのままの《ヘイズル改》が、まだ温もりを残したままラックに繋がれていた。
そしてその足元──。
「お〜い、アイン! このビットみたいな羽根、背中から外れないんだけど!」
ドゥー・ムラサメが、両腕を機体のバインダーに突っ込みながら叫ぶ。
「それと、これ外したらなんかピーピー鳴ってんだけど! これ、時限爆弾じゃないよね!? ねっ!?」
「……ドゥー。まず、それはビットではなく“シールドブースター”です。そしてピーピー鳴っているのは冷却系統の警告音で、つまり、それを今あなたが外したせいです。戻してください」
「へっ!? なんで!? なんで外しちゃダメなの!? 綺麗に取れたよ!? 見て、ポロッて!」
「それ、繋いだまま冷却液を循環させる設計なので、ポロッたらいけないんです。いいから、すぐに元に戻してください。でないと燃えます」
「ひぇっ、やばやばやばやばやば!!」
ドゥーは手元のパーツを抱えて、艦内用階段をガタガタと音を立てて滑り降りていった。
アインは、静かに額を押さえる。
(このままだと、彼女が機体を爆破しかねない……。お願いですから、せめてパネルの“開ける”“外す”“引っこ抜く”の違いくらい覚えてください……)
苦悶するアインの背後で、悲劇はさらに進行する。
「アインー! このへんのケーブル、色が綺麗だったから結んでおいたよ!」
「結ばないでください!!!!」
「あと、ビームライフルにシールドブースターをガチャってくっつけてみたの! どう? 重そうじゃない?」
「それ、物理的に銃が持てなくなります!!!!」
まるで破壊工作員のような整備姿勢に、ついにアインの表情が苦笑を超えた。
だがそれでも怒鳴らない。アインは丁寧に、穏やかに言葉を紡ぐ。
「……ドゥー。あなたは、戦場では見違えるような集中力と洞察力を発揮されますのに……なぜ、ここではまるで野生動物のような……」
「えっ、アインって野生動物好きなんだ?」
「そういう話ではないです……っ」
アインの小さなため息が、艦内の循環音に溶けて消える。
その直後、通話端末が振動した。
「……はい。ゼロ隊長?」
『お前、まだ無事か?』
「なんとか。でもこのままだと、僕の精神が崩壊するかもしれません」
『あー……悪いけど、もう少し頼む。ジャマイカンに正座させられてて離れられん』
「……わかりました」
それが“覚悟”の瞬間だった。
アインは軍手を締め直し、ヘイズル改のコクピットハッチを見上げる。
その上でスパナ片手に仁王立ちするドゥーが、満面の笑みで叫んだ。
「アインー! 銃口とスラスターって組み合わせたらどうなるかなっ!」
「火事になります!!!!!!!!」
早くゼロが戻って来てくれないものかと、アインは額に手を当てながら天を仰ぐのだった。
◇◇◇◇◇
アレキサンドリアブ内ブリーフィングルーム。
スチールと木製が混ざった会議机に、ゼロ・ムラサメの報告書が平然と広げられていた。
「……貴様! これはどういう了見だ!!」
怒声を上げたのはジャマイカン・ダニンガン少佐。
アレキサンドリア級巡洋艦のブリーフィングルーム、その一角に設けられた簡易作戦会議室は、今や彼の怒号で振動していた。
「貴様らが到着してから、ティターンズは敵にガンダムMk-Ⅱを鹵獲されるだけでは済まず、敵の戦力を強化するだけの存在と化しているではないか!」
怒気を孕んだ声、乱暴に机を叩く手。
しかし、ゼロは涼しい顔だった。
「お言葉ですが少佐殿、鹵獲されたMk-Ⅱ2号機の管轄は私ではなく、グリーンノア1の守備隊──貴官の直属では?」
「なっ……!」
「自分たちは“あくまで”ガンダムMk-Ⅱ4号機による実働データの収集と、グリーンノアの周辺警備のために出向しており、守備隊のオペレーションに関して直接的な指揮権限は与えられておりませんでした」
「ぐっ……っ、た、たかが外様の実験部隊風情が!! 貴様、誰に口を利いていると──!」
「加えて、守備隊が増援を寄越さなかった件についても……それには明確な理由が存在します」
ゼロは、卓上端末を操作し、戦闘ログとともに衛星映像の静止フレームを提示した。
そこには、グリーンノア1内部の地図と、破損した建造物の識別データ。
「ガンダムMk-Ⅱ3号機が、訓練飛行中に制御を喪失し、本部ビルへ墜落。これによって指揮系統が一時的に断絶し、艦艇・基地施設の運用に混乱が発生していたことが確認されています」
その一言で、会議室の空気が僅かに変わった。
「ビル全体が損壊したわけではないにせよ、被害を受けた以上、増援指示が遅延したのは当然のことです。ましてや、私の部隊が戦闘に巻き込まれていたのは、その“混乱のさなか”であると報告書にも記載しております」
「……!」
ジャマイカンの眉間が引き攣る。
そこへゼロは畳み掛けた。
「それに、この報告書にはまだ目を通されていないようですが……強化人間実験個体に関する情報も含まれています」
ぴくりと、ジャマイカンの眉が動く。
「グリーンノア1の戦闘区域に、偶然“敵のニュータイプ反応と相互共鳴した存在”が存在していた。これは当初の想定外の収穫です。既に個人データは解析中で、後ほど本部に送信される予定です」
「────待て。それはお前の独断だろう」
「いいえ?」
ゼロは、薄く笑った。
「強化人間計画は──ジャミトフ・ハイマン閣下直轄の特命によって進められていると、私は認識しております。そしてこの実験部隊は、閣下の示達によって動いている。……よって私は、“閣下に直接報告を上げる義務”を負っております」
「────!」
その名を出された瞬間、ジャマイカンの口が固まった。
筋肉が強張り、返す言葉が詰まる。
ティターンズ内でも、ジャミトフの名は絶対。
強化人間という極秘計画のキーパーソンである彼に報告を直接上げるなどというのは──。
ありえない、と言い切ることもできない“灰色の領域”だった。
「仮に、ご異論があるようでしたら……閣下への報告内容を添削していただいても結構ですよ?」
ゼロは静かに言った。
涼しい顔のまま、淡々と、完璧な理論と皮肉をもって。
ジャマイカンは、椅子を軋ませて無言で立ち上がる。
「…………勝手にしろ。どうせ、お前たちが潰れるのも時間の問題だ」
そう吐き捨てるように言い残し、会議室を出ていった。
残されたゼロは、ただ報告書を閉じる。
その瞳の奥に、一切の驕りも達成感もない。
ただ、淡々と戦場の理を知る者としての冷静さだけがあった。
(本部ビルへの墜落……。情報戦も含めて、敵の手際は悪くなかった。だが、それでこちらを見誤られては困る)
金属製のドアが閉じる音だけが、静寂の中に残響を刻んだ。
そこに残されたのは、ブリーフィングルームの端に設えられた簡易作戦会議室と、ゼロただ一人。
無人の空間に、電子機器の駆動音だけが微かに響く。
無意味な叱責の言葉と、理性を欠いた怒声は、すでに過去のノイズとして頭から排除されていた。
ゼロは椅子の背にもたれ、わずかに天井を仰ぐ。
「……正直、噂以上だったな」
問いかけに答える者はない。
吐息まじりに洩らしたその声に、冷ややかな倦怠と、言いようのない苛立ちが混じる。
ジャマイカンの叱責など、最早聞き飽きた。
ガンダムタイプとの交戦を報告書通りに記録し、被害を最小限に抑えた作戦行動だったにもかかわらず、彼は“追撃しなかった”一点だけを殊更に責め立ててきたのだ。
(上層部があの調子では、現場は干上がるな)
ゼロは自嘲気味に笑う。
誰もが戦場で命を削っている。
なのに、上に立つ者ほど戦場を知らず、兵たちの努力も成果も、ただの数字でしか見ていない。
否──数字すら見ていない。
奴らが見ているのは、功績と保身と責任の押し付け合いだけだ。
ゼロは静かに端末を起動した。
そこには先ほど提出したばかりの報告書が表示されている。
作戦開始から終了までの時系列、交戦相手の機体データ、強化人間運用記録、戦術分析と予備予想──全て記述済み。
だが、それを読む者がいなければ、紙屑にも劣る。
モニターを見据えるゼロの瞳が細まる。
カーソルが静かに動き、「追加提出先:ティターンズ総司令部/ジャミトフ・ハイマン准将」の文字が表示された。
「……やってみる価値はある」
ぽつりと呟いたその声は、思考の確認ではなく、覚悟の発露だった。
ジャマイカンのような無能に潰されるには、俺たちはまだ惜しい。
アインとドゥー──あの二人を背負っている以上、何かを変える術を探す必要がある。
(……とはいえ、向こうが見向きもしなければ、それまでの話だが)
それでも、何もせずに飲まれるよりはマシだ。
ゼロは報告書に追加で一行を書き加える。
――※追記:本作戦中、敵機体1機(推定ガンダムMk-Ⅱ)によるグリーンノア1本部ビルへの墜落が確認され、これにより増援部隊の出撃が著しく遅延した事実を確認。状況の特異性を鑑み、総司令部への参考資料として本報告書を提出する次第。
書き終えた文面を見つめること数秒。
ゼロは深く一息を吐き、そして迷いなく「送信」のボタンを押した。
ブリッという通信完了音と共に、データは宇宙を超えて上層部へと送られていく。
ゼロは椅子に深く腰を下ろし、僅かに天井を見上げた。
「さて……釣れるか、どうか」
それは、皮肉と期待が入り混じった呟き。
この一通の報告書が、どんな波紋を呼ぶか。
この宇宙に、ただ一人の兵士が投じた、静かな一石だった。
◇◇◇◇◇
ジャミトフ・ハイマンは、グリーンノア1宙域の空間監視情報に目を通していた。
エゥーゴ──反地球連邦運動体。
その正体は今なお不明瞭で、複数の派閥が入り乱れる集合体。
だが、その中核に「シャア・アズナブル」の存在が噂されている以上、見過ごせる存在ではなかった。
「……例のガンダムMk-Ⅱのテスト、か」
開発担当者が何度も頭を下げて進めてきた高性能機。
あくまで試験機として三機──それがいずれ主力の象徴になるやも知れぬ期待は、上層部の中でも賛否が分かれていた。
その機体に、エゥーゴの介入があった。
監視衛星からの断片的な画像と、現場からの断続的な報告。
(まだ確定ではない……だが、兆候としては濃厚か)
ジャミトフが沈思の中にいると、執務室脇の通信端末が静かに点灯した。
ティターンズ内部からの急送報告である。
分類タグには《重要:現場報告書・現場ID#MRS-02:オペレーターコード“ゼロ”》と記されている。
「……“ゼロ”?」
聞き覚えのないコードネームだった。
だが、分類タグの下には更に赤字でこう添えられていた。
《※注意:報告文中に、ガンダムMk-Ⅱを含む交戦記録および強化人間運用関連情報アリ。上位精査対象として提出勧告》
事務官が一瞥しただけで済ませる報告が山積する中で、この報告は違った。
分類タグの整理中に目に留まり、稟議処理レベルの精査対象として自動優先に振り分けられた。
(強化人間……Mk-Ⅱ……)
ジャミトフは一瞬、手を止めた。
ティターンズの中でも特殊部隊に相当する試験運用部隊が数組あるとは聞いていた。
だが、実戦に投入され、且つガンダムタイプと交戦した者となれば、その名を知らずにいたのは自分にとって不覚とも言える。
《データベース照合──“ゼロ”、本名不詳。所属:ティターンズ技術試験小隊MRSチーム。所属MS:ガンダムMk-Ⅱ試作4号機》
端末から読み上げられる人工音声に、ジャミトフは眉を潜める。
“試作4号機”? 聞いていたのは3機のはずだ。
ページをめくるように、ジャミトフは報告書の全文を閲覧する。
戦闘の経緯、交戦相手の戦術分析、そしてグリーンノア本部ビルへの“ガンダムMk-Ⅱによる墜落”──。
これらが真実ならば、今しがた受け取ったエゥーゴの動向に関する情報と矛盾しない。
いや、それどころか、この報告が無ければ、自分は間違った判断を下していたかもしれない。
「フフ……随分と回り道をして、だが確かに届いたな」
自嘲気味に笑ったその声は、決して他者へ向けたものではない。
これまで“バスク”や“ジャマイカン”といった武闘派に任せてきた現場の流れ。
だが──その間隙を縫うように、この“ゼロ”なる者が正確に戦況を観察し、的確な判断を下している。
(そして、その背後にあるのは……)
ジャミトフは、報告文の末尾に記された数行の文面に視線を留める。
──本報告書は、現場状況の迅速な把握を目的とし、可能な限り早期に共有されることを希望する。
──強化人間の運用結果およびMk-Ⅱの実戦データは、ティターンズの今後の指針に直結するものと判断する。
(……兵ではないな)
これはただの報告ではない。
提言であり、予測であり、現場の理性だ。
その瞬間、ジャミトフ・ハイマンの脳裏に初めて“ゼロ”という名が強く刻まれた。
そして同時に、ゼロの背後にある──“アイン”と“ドゥー”と記録された、ムラサメ研究所製強化人間の存在へも関心が向けられていくことになる。