ムラサメさん家のイチバン=サン   作:星乃 望夢

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第90話 ボクたち、自由になれたのかな

 

U.C.0088年3月10日 ダカール上空

 

 ──空が、割れた。

 

 いや、実際には何も割れてはいない。

 

 ただ、あまりにも巨大な質量が、人知の理解を超えた存在感でもって、空を覆ったのだった。

 

 ダカールの碧空に、全長七キロメートル。

 

 連邦史上、いや、人類史上最大級の航宙艦。

 

 銀河移民船団壱番艦──その名も、ヱクセリヲン

 

 その巨体が、大気圏内航行モードにて悠然と空に浮かんでいる。

 

 推進器からは微細な粒子がたなびき、反重力調整装置と姿勢制御バーニアが静かに唸る。

 

 まるでそれは、人類の理想と技術が昇華した“空飛ぶ都市”そのものだった。

 

 式典会場は、ダカール連邦総会議事堂前広場──そしてその頭上。

 

 祝砲は静かに、しかし確かに鳴り響き、空に放たれた信号弾が淡い金の花を描いた。

 

 観衆は何十万人にもおよび、全世界のメディアがこの瞬間を中継している。

 

 ヱクセリヲンは、スペースノイドとアースノイドが協同して出資し、建造された“希望の器”だった。

 

 その最前列、壇上には軍政大将アイン・ムラサメの姿があった。

 

 黒金の軍服。

 

 背筋を伸ばし、顔を上げ、彼ははっきりと群衆に語った。

 

> 「本艦は、地球圏の民が、自らの意思で未来へ踏み出すために建造されたものです。破壊の歴史を終わらせ、再生の旗を掲げる“人類の第一歩”。今日より──人類は、“銀河へ向けて歩き出す”のです」

 

 その言葉に、喝采が湧く。

 

 拍手、歓声、涙、そして希望。

 

 中継映像が切り替わる。

 

 そこには、地球上空で静止軌道を保つもう一つの艦影──

 

 銀河移民船団弐番艦──ヱグゼリオ

 この艦もまた、ヱクセリヲンと同一系統で仕上げられた船だ。

 

 建造段階ではエグゼリオとされていたが、民間署名によりヱクセリヲンと同じくヱグゼリオと、ヱクセリヲンの流れを名前からも感じられる銘に改められた。

 

 建造宙域は、月と地球のラグランジュ間に形成された中立開発宙域。

 

 中継映像では、既に数千人の技術者・テスト市民がヱグゼリオに搭乗し、艦内環境試験に入っている様子も報告されていた。

 

 アインの背後では、ドゥー、ゼロ、マチュ、ニャアン──SRXチームの面々が静かに控えていた。

 

 彼らはこの船団の防衛を担う戦力であり、そして、未来を守るための象徴でもあった。

 

 マチュがぼそりと呟く。

 

「……あんなのが空に浮かんでるとか、嘘みたい」

 

 ドゥーが、胸の前で両手を組みながら、ほわほわと微笑む。

 

「ううん、本当だよ。アインが……みんなが作ったんだ」

 

 ゼロは無言で前を見つめる。

 

 ニャアンは手のひらを日差しからかざし、光の中に溶け込む艦影を見上げていた。

 

 七キロメートルの船体は、まるで神話の巨竜のように空を泳いでいた。

 

 ヱクセリヲンの艦首にあしらわれた連邦の双頭鷲紋章と、「人類再建」のスローガンが陽光に照らされ、黄金に輝く。

 

 それは一つの問いかけでもあった。

 

 ──人類は、破壊ではなく、建設を選べるのか。

 

 そしてその問いに、今日、地球圏は答えたのだ。

 

「我らは未来へ向かう」と。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 その日、ダカールの空は一良の音もなく静まり込んでいた。

 

 人類が初めて、未来をその目にした日。

 

  その空に漂かぶは、縦長7キロ。 銀河移民船団標隊船《ヱクセリヲン》。

 

 その現れる姿は、もはや小型の都市でもあった。

 

 それがただ「飛んでいる」のだ。

 

 この船を節切にして、すべてが変わる。

 

 世界が、正しく動き出す。

 

 そして、宇宙。

 

 《ヱクセリオン建造宇域》には、既に弐番船《ヱグゼリオ》が突入潮措えの調整を進めており、更に3番船の建造も決定していた。

 

 「義約金」により貯えられた資金を使う3番艦。

 

 それは歴代のいかなる主権も軍主もない。

 

 人気。

 

 宇宙に生きる全人類の、「ありったけの想い」だった。

 

 そして、また別の「行動」が始まる。

 

 南米旧連邦軍本部ジャブロー。

 

 地下根持つ地球圏再編計画の要にして軍政核格設備。

 

 そこの最奥部格空間に集められたのは、

 

 アイン・ムラサメ、ゼロ・ムラサメ、ドゥー・ムラサメ、アマテ・ユズリハ、ニャアン。

 

 そして目の前に裏閉される大型製造ブロック。

 

 そこに、五機のMSが集められていた。

 

 ウイングガンダム

 

 ガンダムデスサイズ

 

 ガンダムヘビーアームズ

 

 ガンダムサンドロック

 

 シェンロンガンダム

 

 

 敗者たちの栄光を司るそれぞれが、既存のガンダムを執持しながらも、まるで新しい体系のような尺度と魅力を放っている。

 

 その中、アインは静かにくるりと一合を見回し、口を開いた。

 

「本日より、軍政局の指示により、 新造MS新設部隊《ガンダムチーム》を発起する。 配置は以下のとおり。ウイングガンダム、ゼロ。 ヘビーアームズ、ドゥー。 デスサイズ、マチュ。 シェンロン、ニャアン。 さらに、私が、サンドロックに乗る」

 

「でも、なんで……サンドロックに、アインが」

 

 とニャアンが渋れ声を残すと、マチュが歩み出して背中をちょんと叩いた。

 

「いいじゃん。『それだけ未来を負ってる』ってことでしょ」

 

 ほくり笑ったゼロがウィングを見上げ、 ドゥーはそっとヘビーアームズの足許に走り寄った。

 

「よし、やってやろうじゃないの、未来のおおごえ」

 

 戦場の死神になる者として、マチュは気合を入れた。

 

 こうして、《ガンダムチーム》は立ち上がった。

 

 従い、《SRX計画》の未来に向けて、五つの心が一つに繋がれようとしていた。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

U.C.0088年3月18日

 

地球連邦議会・第7本会議場

 

 静まり返った議場に、ひとりの青年が歩み出る。

 

 黒の礼服に似た軍装。ティターンズの意匠を排した軍政官章のみを胸に輝かせるその青年。

 

 アイン・ムラサメ軍政大将である。

 

 銀河移民艦《ヱクセリヲン》《ヱグゼリオ》の式典から戻った彼は、開会前の委員長通達を受けて、今日の議題──ヒリュウ改建造予算の義援金代替案について、正式な答弁に立っていた。

 

 アインは議場中央、演壇に立ち、軽く一礼した。

 

「本日は、議会各位の貴重なお時間を賜り、誠にありがとうございます。私は、先に本議会にて承認された《ヒリュウ改》建造予算について、一部補正提案を申し上げるために登壇いたしました」

 

 手元の資料には、既に決定されたヒリュウ改の建造概要と、その予算額。

 

 総額840億円──艦政本部の設計案に基づいた、実用型長距離支援戦艦の最新鋭仕様である。

 

「結論より先に述べます。本艦の建造に必要な予算全額は、義援金にて代替が可能と判断しております。従いまして、現行の国庫支出は凍結を提案し、代替予算は《銀河圏再建民間支援財団》からの直接拠出といたします」

 

 議場がざわついた。

 

「おいおい、義援金って……」

「軍艦を善意で建てる時代か?」

「いや、国費を使わないのは悪い話ではないが……」

 

 そんな声の中で、アインは一歩、静かに前へ出た。

 

「……この数ヶ月、市民より寄せられた義援金は、単なる金銭支援を超えた“意志”であると私は受け止めています。それは、再建・前進・未来を諦めないという、民意そのものです。我々がそれを信頼することなく、どうして彼らに未来を託せるでしょうか」

 

 一瞬、議場が息を呑んだ。

 

「また、この切り替えにより、国庫の余剰財源は防衛以外の民政用途──教育・医療・宇宙産業育成へと再分配が可能となります。これが《民の支援に応える》という、行政のあるべき姿であると、私は信じます」

 

 ややあって、ゴップ議長が席を叩く。

 

「……つまり、軍政官庁の権限下において、義援金財団の運用にて建造可能であると?」

 

「はい。財団理事会の承認も得ております。予算流用ではなく、完全なる寄付財源での建造です。

従いまして、議会におかれましては予算の“用途保留”のみをご判断いただければ十分かと存じます」

 

 再びさざめきが走るが、それをゴップが静かに手で制す。

 

「……軍政大将の申し出は了とする。建造そのものの延期・中止ではなく、民間支援財源による代替建造案である。よってこれは予算執行凍結・補正として扱う。異議はあるか?」

 

 議場の挙手は──ゼロだった。

 

 ゴップが微かに目を細め、頷く。

 

「……ならば、本件は暫定予算の凍結および民間義援金への切り替えとし、正式報告を以て可決とする。異議なし。議事、通過」

 

 その瞬間、アインの背後、数人の議員が自然と小さく拍手を送っていた。

 

 ──それは賞賛というより、「よくやる」といった、呆れ混じりの微笑みだった。

 

 若き軍政大将は、再び一礼し、静かにその場を去っていった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

U.C.0088年3月20日

 

 地球連邦軍監察軍政官庁 新旗艦「ハガネ」艦内・艦橋

 

 鋼鉄の城──その名の通り、スペースノア級万能戦闘母艦《ハガネ》は、ダカール上空を静かに巡航していた。

 

 まだ稼働から数時間と経たぬ艦内には、新品の機器の匂いと、電装系の安定化を知らせる微かな電子音が満ちている。

 

 ブリッジには、制服の前をわずかに緩めた青年将校と、歴戦の軍人が並んで立っていた。

 

「……ずいぶん静かだな、アイン軍政大将。完成式典はどうするつもりなんだ?」

 

 ハガネ艦長、ブライト・ノアが言葉をかける。

 

 旧旗艦アルビオンからそのまま艦長を引き継ぎ、この新たな旗艦の指揮を任された熟練の軍人だ。

 

「式典はありませんよ、ブライト艦長。今回は“任務”として進水した艦です。……観客も演説も必要ありません」

 

 アイン・ムラサメ──二十歳にして連邦軍再編を牽引する軍政大将は、外を見つめたまま答えた。

 

 視線の先には、蒼天の果てに消えてゆく《ヱクセリヲン》の残像がある。

 

「たしかに……今のお前の立場なら、艦を政治の舞台に使う必要はないか。だが、それでも艦は生き物だ。人と想いで動く」

 

「わかっています。だからこそ、ハガネには“始まりの儀式”より“積み重ね”が必要なんです」

 

 アインは微笑を浮かべ、袖口から小さなケースを取り出す。

 

 中には、わずか数行の辞令書が収められていた。

 

 

『連邦軍監察軍政官庁・新旗艦《ハガネ》艦長として、ブライト・ノア艦長を任命する』

U.C.0088年3月1日付。署名:アイン・ムラサメ(軍政大将)

 

 

「改めて、よろしくお願いします、ブライト艦長。これからが本当の“現場”です」

 

 ブライトはそれを受け取りながら、どこか懐かしげに微笑む。

 

「……あの時、グリーンノアで少年のような顔をしていた君が、いまや地球圏を動かす軍政大将か。時代とは……面白いものだな」

 

「変わらないものもありますよ。例えば、信頼すべき艦長と、その背に乗る“信念”は」

 

 艦内通信が一度、甲高い音を立てて切り替わる。艦の全機能が起動状態へと移行した合図だ。

 

 その刹那、ブリッジの奥にあるメインスクリーンがゆっくりと開き、大気圏外への光が差し込む。

 

 そこには、次なる星の道を睨む者たちの、最初の砦となるべき艦影──ハガネが、凛然と浮かんでいた。

 

 ブライトが小さく息をつく。

 

「……始めよう。俺たちの新しい戦場を」

 

 アインは頷いた。

 

「ええ。これは、戦争のための艦ではない。“築く”ための砦です」

 

 新たな旗艦は、祝砲も紙吹雪もなく、その日から黙々と動き始めた。

 

 それは式典ではなく、使命の始動だった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 ダカール港湾に悠然と聳える巨大なスードリ。

 

 その中枢部、軍政大将アイン・ムラサメの執務室には、今日も変わらぬ重厚な静けさが漂っていた。

 

 ドアが静かに開き、ティターンズ正規派出身の士官、ガディ・キンゼー少佐が入室する。

 

 かつてバスク派との確執を越え、今は監察軍政官庁において再任された彼は、整った軍服姿で敬礼を取った。

 

「ガディ・キンゼー、参上いたしました」

 

 アインは立ったまま、振り返る。

 

 20歳とは思えぬ厳格な視線が、静かにガディを見据えた。

 

「少佐……。君を呼んだのは、次の任を告げるためです」

 

 アインの声は端正で、凛とした緊張を纏っていた。

 

 机の端に置かれた端末には、ジャブロー地下で進行中の建造計画──《ヒリュウ級汎用戦闘母艦ヒリュウ改》の設計図と工期が表示されている。

 

「先立って連邦議会で承認された副旗艦案だが……予算は義援金へ切り替えられ、建造は正式に進んでいる」

 

 一拍置き、アインは歩み寄り、真正面からガディを見つめた。

 

「君を、その艦の副長に任命する」

 

 空気が凍るような一瞬の沈黙のあと、ガディが小さく目を見 開いた。

 

「はっ、光栄に存じます。しかし……私などが副長に?」

 

「君の経歴は十分だ。正規派に属しながらも冷静さを保ち、旧ティターンズ体制の歪みにも染まらなかった。再編された今の我々に必要なのは、誠実さと責任感を備えた指揮官だ。君がその適任だと、私は判断した」

 

 アインは背筋を伸ばしたまま、さらに続けた。

 

「《ヒリュウ改》は、単なる軍艦ではない。これは“行動する本部”──軍政大将である私が、スードリに代わって用いることになる多目的艦だ。地球圏の全域を掌握し、必要があれば現地で即座に指揮を執る。そのために、私自身が艦長を務める」

 

「……大将が、艦長を……!」

 

 ガディの声に驚愕と敬意が滲む。彼が知る限り、歴代の高位将官が現場の艦長職に自ら就くなど前代未聞だった。

 

「だからこそ、艦内の秩序を預けられる副長が必要だ。君には……私が動くとき、背中を預ける」

 

 アインの言葉は重く、まっすぐだった。

 

 それを正面から受け止め、ガディ・キンゼー少佐は再び直立し、敬礼を取る。

 

「……その任、身命を賭してお受けいたします。軍政大将殿」

 

 アインは、静かに頷いた。

 

「ありがとう、ガディ副長。君の選択は、正義に報いるものだと、私は信じている」

 

 その瞬間、監察軍政官庁の新たな歯車が、音もなく静かに回り始めていた。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 ダカール上空に停泊する万能戦闘母艦《ハガネ》の艦内。

 

 主機であるテスラ・ドライブが静かに起動音を響かせていた。

 

 艦橋中枢。

 

 緊張に包まれた空気の中、アイン・ムラサメ軍政大将は、無言で一枚の文書を電子署名する。

 

 それは、査察命令書。

 

 宛先は、地球連邦軍内務省技術管理局付属──ムラサメ研究所。

 

 ゼロ、ドゥー、そして自らを生み出した「地球連邦の負の遺産」。

 

 その真相を掘り返す命令である。

 

 

【査察命令・概要抄録】

 

> 宇宙世紀0088年3月22日付

地球連邦軍監察軍政官庁 第8873号査察命令

 

被査察機関:地球連邦軍内務省技術管理局付属「ムラサメ研究所」

 

理由:

当庁は、旧ティターンズおよび連邦内政技術局に関する透明化推進に基づき、

同研究所における強化人体実験及び関連機材に関する情報の現地確認を必要と判断。

 

通知事項:

本命令発出と同時に査察部隊が発進。

情報または記録の恣意的廃棄が確認された場合、即時強制臨検に移行する。

 

地球連邦軍軍政大将 アイン・ムラサメ

 

 

ハガネ艦内・艦橋

 

 文書送信と同時に、ブリッジにいるクルーたちが一斉に動き出す。

 

 宙域航行制御、座標入力、航路回避指令──すべてが数分以内に完了する。

 

「ダカール空域離脱、弾道軌道ルートへ移行完了」

 

「高度圏突破まであと、6分──」

 

 報告にアインは静かに頷き、胸元の階級章を一つ指で押し下げた。

 

 制服の裏地には、小さなロゴ"MURASAME"と記された布片が縫われている。

 

 かつての自分を記号として番号で管理した施設。

 

 ゼロやドゥーと共に、その“番号”を背負ったまま戦場に放たれた過去。

 

 その全てが、今ようやく“査察”の対象として法の上に置かれる。

 

「僕たちはようやく、向き合う準備が整った。……遅すぎたけれど」

 

 隣に立つのはゼロ大尉。無言で視線を交わす。

 

「──行くぞ。これは、“誰か”のためでも、“正義”のためでもない。僕たち自身が、立ち止まるために必要な一歩だ」

 

 査察命令が届いた瞬間、施設中枢の空気が変わった。

 

「……やはり来たか。軍政官庁の手が、ついに我々にも」

 

 機密文書室では、数人の研究員が動揺を隠せずにいた。

 

「どうします? 廃棄命令を出しますか? まだ間に合う」

 

「馬鹿な。査察命令書には“処分の兆候があれば即時臨検”とある。もう動いている……奴は、本気だ」

 

 刻一刻と、空からの光が迫っていた。

 

 テスラ・ドライブが起こす磁場渦流が、大気圏を押し広げる。

 

 アインは艦橋のガラス越しに、遥か東の彼方を見据えていた。

 

 かつての自分を生んだ場所へ。

 

 もう、目を逸らすことはしない。

 

「すべてを終わらせるのは、裁きではなく、記録することだ。僕たちが“生きてきた”ことを、事実としてこの時代に刻むために」

 

 ハガネは音もなく夜を裂き、地球の背面を周回しながら、静かに日本列島へと降下していった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 ──静かに、幕が開く

 

 白く曇った山間の空に、一筋の光が裂けた。

 

 大気の擦過を抑えたハガネは音もなく降下し、上空500メートルで静止する。

 

 空間が“圧”を孕む。視認できないが確実に存在するそれは、テスラ・ドライブによって空間そのものが制御されていることを示していた。

 

 伊豆の深山に静かに佇む「ムラサメ研究所」。

 

 その上空を、連邦政府が定めた「正義」が見下ろしていた。

 

 大型トレーラー型の地上車両が、轟音と共に施設前に停止する。

 

 監察軍政官庁所属の武装査察官たちが、灰銀の戦闘服に身を包み、一糸乱れぬ動きで降り立った。

 

 先頭に立つのは、軍政大将アイン・ムラサメ。

 

 続いて、ゼロ・ムラサメ大尉とドゥー・ムラサメ少尉が肩を並べる。

 

 無言のまま、施設ゲートに歩み寄るアインの足取りは一分の迷いもなかった。

 

 その背に続く査察官たちの歩調は、まるで機械のように精密で静かだった。

 

 入口に立ちはだかる研究所警備員が、額に汗を浮かべる。

 

「当研究所は防衛機密区画に指定されており、査察には上層部からの承認が──」

 

 その言葉を遮るように、アインは一枚のタブレットを掲げる。

 

「当庁は、本施設に対する法的査察権限を正式に取得している。本命令は既に地球連邦政府法務局および内務省に通達済みであり、これを拒む理由はない」

 

 表示されたのは、連邦監察権限に基づいた正式な強制臨検通達書。

 

 そこには明確に、「抵抗が確認された場合は国家反逆罪に準ずる罰則」と記されていた。

 

 警備員は震える手で通信機を握るが、背後の研究所から出てきた所長らしき男が首を振った。

 

「……入っていただいて構いません。必要な記録は全てございます」

 

 苦い表情だった。

 

 監察部隊が内部に突入し、次々と記録媒体・資料・映像データを確保していく。

 

 ゼロは無言のまま、冷却保存装置の前で立ち止まる。

 

 ガラスの向こうに並ぶ、試験体とラベリングされた培養ポッドの残骸。

 

 その傍らに、彼自身の記録があった。

 

> 試験体 No.07《ゼロ》──電気脳刺激反応:正常

> 同系統《ドゥー》に対する補完学習機構を統合。感情制御補助を持たず。

 

 「……まだ、ここにあったのか。俺たちの“檻”が」

 

 ゼロの呟きに、ドゥーは複雑な目をしたまま、記録に手を触れようとした。

 

 しかし、アインがその手を静かに押さえる。

 

「触れないで。記録は、“今の君たち”のために保存されるべきなんだ」

 

 ドゥーは黙って頷いた。

 

 アインはひとり、所長席に腰掛けていた研究主任と対峙していた。

 

「私は命じられただけです。上からの命令に従って、あなたたちを“生産”した。それだけだ」

 

 その言葉に、アインは一瞬だけ瞳を伏せ、やがて静かに答えた。

 

「そうかもしれません。でも今、あなたは“命じられず”にここに座っている。ならば、今度は自分の意思で答えてください。あなたが、僕たちを作った理由を」

 

 主任は長く沈黙し──最後には、記録ディスクを差し出した。

 

「……これは、プロジェクトの中核に関わる全記録です。そこにはあなたの出生時記録もある。見るも地獄、見ぬも地獄だが……受け取る資格があるのは、もう君しかいない」

 

 査察を終え、記録資料・記録媒体・遺留構造物の一部が封印される。

 

 ドゥーは空を見上げながらぽつりと呟いた。

 

「これで……ボクたち、自由になれたのかな」

 

 ゼロは無言で空を見上げ、肩に手を置いたアインが答える。

 

「自由というのは、“選べること”です。今日、僕たちはここに来ることを“自分で選んだ”。それだけで……きっと、意味はある」

 

 査察記録は連邦政府に正式に報告され、ムラサメ研究所は軍政監理下の資料保管施設へと移行。

 

 強化人間計画の一切の継続は禁止され、設計技術は厳重保管に付された。

 

 アインたちは過去を清算し、「未来を創る力」として、また新たな戦場へ歩き出す。

 

「この記録は、憎しみのために残すんじゃない。誰かが、僕たちと同じ過ちを繰り返さないために、残しておくんだ」

 

 アイン・ムラサメ、監察軍政官庁査察報告より

 

 

 

 

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