14時09分、高山が乗った内房線のローカル線に乗って五井までやってきた。小湊鉄道に乗り換え約70分、上総中野駅下車、いすみ鉄道に乗り換え大多喜へ約20分で行けれるのだ。
「わっ、凄い城下町だな。」
と、高山は言った。
高山は、昔からの通りには文化財にもなる古い建物が並んでいます。ゆっくりと散策してみる事にした。
渡邉家住宅
渡辺家は大多喜城の御用商人を務め、この建物は嘉永2年(1848)4月に建てられたものです。格子戸、上げ障子、土ひさし付きの店構えが特徴で、2階は使われていた人に部屋、店の奥は茶の間、仏間、勝手間、座敷、奥座敷という間取りになっていて、奥座敷は書院造です。間口6.5間、奥行9間で、当時の大商人の様子がうかがえます。建物の中は公開しておりません。
「へぇー、結構古くからあるんだね。」
伊勢幸
明治6年(1873)に、大手門の材料の一部を使用して建築された商家で、屋根瓦に城主の紋所がありました。以前は酒店を営んでいましたが、現在は和風小物を販売しています。
「わっ、これは札沼も喜ぶだろう。」
大多喜町商家保存資料館(旧釜屋)
明治初期に建てられた土蔵造りの建物です。当時は質屋で、その後金物店などを営んでいました。土蔵造りではありますが、店舗として使われていました。2階は8畳間が二つあります。庭には立派なお稲荷さんがあり、当時の繁栄がうかがえます。
開館時間:9:00から17:00(11月から2月は16:00まで)
休館日:12月29日から1月3日
見学無料
「へぇー、結構明治時代からあるんだ。」
と、高山は城下町巡りをした。
大多喜城
大多喜城(おおたきじょう)は、千葉県夷隅郡大多喜町にあった戦国時代から江戸時代にかけての日本の城(平山城)。初めは小田喜城(おだきじょう)と呼ばれていた。江戸時代には大多喜藩が置かれていた。
「ん、何だ。」
と、高山は早速様子を見に行くことにした。
「えっ。」
何と、50代の男がバタフライナイフに刺されて死んでいたのだ。
「えーと、亡くなったのは資産家の青山 一さん51歳と分かりました。」
「ほう、それで死因は?。」
と、寺林は基刑事に言った。
「死因は、ナイフによる出血死だそうです。」
「主任。」
「おう。」
「死体の発見者を連れてきました。」
と、慶徳刑事は寺林と基に言った。
「おう。」
「で、あなたが死体の発見者ですね。」
「ええ。」
「失礼ですが、名前を教えてください。」
「僕は、東京中央鉄道公安室の高山直人です。」
「ほう、鉄道公安か。」
と、寺林は言った。
「それで、怪しい人物は見ましたか。」
「いやー、そこまでは。」
「そうですか。」
そこへ、1人の巡査が寺林刑事たちの方へやってきた。
「その近くの人が、怪しい人物を目撃したという人がいるんです。」
「えっ。」
慶徳は1人の男に話をした。
「確か、城内で怪しい男が走り去っていくところを目撃しまして。」
「それで、何歳ぐらいの男かわかりますか?。」
「おう、さぁな20台前後か30代ぐらいのね。」
「わかりました、どうもありがとうございました。」
千葉県警では、その男を重要人物として捜査を始めた。
そして、犯人は誰なのか?