機動警察パトレイバー:魔法少女、特車二課に着任す   作:ゆきざかな

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第11話:これまでのこと、これからのこと

 雨こそ降っていないが、空はどこかすっきりとしない灰色をしていた。

東京湾からの湿った風がときおり窓ガラスを揺らし、午後の静かな空気に微かな振動を与えている。

 

 特車二課第二小隊のオフィスも、今日はやけに静かだった。

壁掛け時計の針が進む音だけが、所在なく室内に満ちている。

 

 泉野明が、手元の書類を読みながら首を傾げた。

そういえば――と、思い返す。

 

 ミーシャがこの小隊に配属されてから、もう二ヶ月になる。

当初は何もかもがぎこちなく、隊員たちもどう距離を取ればいいのか探っていたが、

何度も出動を重ね、最近ではようやく、こうして彼女の不在が少しだけ寂しいと感じられるようになった。

 

「……今日、ミーシャちゃん非番だっけ?」

 

 泉が手元の書類をぱらりとめくりながら、ふと首を傾げた。

その視線の先には、彼女がいつも座っている椅子――今日はぽつんと空いていた。

そこにいないことが不自然に感じられるほどには、あの少女はこの場所に馴染みつつあった。

 

 椅子を揺らしていた遊馬が、長く伸びをしたあと、天井を見上げたまま答える。

 

「そうだな。午前中に術式用資材の補充リスト作って、イングラムの制御がプログラミングって聞いて、『はじめて学ぶ、コンピュータの歴史としくみの本』借りて部屋に持ってったらしい」

 

 一瞬、室内に「ピタ」と静寂が落ちた。

誰も言葉にしなかったが、全員の表情が「……まじか」という共通の温度を持っていた。

視線を浴びた遊馬は、頭をくしゃくしゃとかきながら、呆れたようにぼやく。

 

「ほんと、職域の無差別拡張かよ。……術式系システムエンジニアでも目指してんのか?」

 

 そのまま目を閉じて、頭を掻く指が止まらない。ため息まじりに、誰に聞かせるでもなくつぶやいた。

 

「にしても限度があるって……お前それ休日って概念あるのかよ……」

 

 泉もそれに同意する。言葉の端には、柔らかな憂いが混じっていた。

 

「うん、オフぐらい、もうちょっと力抜いてくれたらいいのに……」

 

 泉のまなざしは、ぽつんと空いた椅子に向けられたままだった。

そのやりとりを聞きながら、進士が手を止めて呟く。

 

「まあ……らしいですよね。あの人、自分の居場所を探してるっていうより、空いてる隙間にそっと身を滑り込ませようとしてる感じです」

 

 熊耳が、椅子の背にもたれながら息をついた。

表情は穏やかだが、その奥には過去の記憶をたぐるような眼差しがあった。

 

「前よりはずっと変わったわよ。よく話すようになったし、控えめだけど、ちゃんと冗談にも笑って返すようになった」

 

 泉が、うんうんと嬉しそうに頷く。

それはただの同意ではなく、誰かの成長を間近で見守ってきた者だけが浮かべられる、少し誇らしげな笑みだった。

 

「そうそう。私、この前お菓子あげたら『甘さが……想定より優しかったです』」

 

 そこまで言って、泉の口の開きが大きくなる、思い出すだけで頬がゆるむような、そんな場面だったのだろう。

 

「あれ、笑ってたと思うな」

 

 その言葉に、遊馬がくっと沈む。

笑いというより、肩の力が抜けたような――そんな反応だった。

 

「なにその評価。文芸評論家かよ……」

 

 呆れとも、驚きともつかない感想、それはたぶん親しみだろう。

 

「……でも」

 

 熊耳が静かに口を開いた。その声に、室内の空気が少し引き締まる。

視線はまっすぐではなく、どこか遠く、曇り空の向こうにあるものを見ているようだった。

 

「その笑いは、まだ心の底まで届いてない気がするの」

 

 熊耳は言葉を選びながら、思い出の断片を手繰るように話を続ける。

 

「マニュアルを一緒に作ったとき、直接的に破壊を及ぼす術式、いわゆる攻撃術式をひとつも入れなかったのよ」

 

 そのときのことを、彼女はありありと思い出していた。

 

「理由は……『言えません』って、それだけ」

 

 言葉の余韻を受けて、誰もが静かになる。

語られなかった理由。触れられたくなかった感情。

説明を拒む、その小さなひと言の奥に――確かに何かあったのだと。

誰もが、それをうすうすと理解した。

 

「そのときの彼女、すごく動揺してた。だから問い詰めるのはやめたけど……

でも、それ以来もずっと、踏み込んでこない。やっぱりどうしても壁があるのよ」

 

 熊耳の声音は、ほんの少し無力感がにじんでいた。

 

「確かに……あまり自分のこと話さないですよね」

 

 進士の声には、いつも以上に丁寧で、より多くの慎重さが混じっていた。

山崎はそれを受けて、いつもの穏やかな表情を、静かな心配の色でそっと塗り替える。

 

「どこで育ったのか、家族のこと……あまり聞いた覚えがありませんからね」

 

 その言葉のあと、場を包む空気がぴたりと止まる。

誰も次の言葉を探しきれずに時間だけが過ぎ、静寂だけがゆっくりと深まっていった。

 

「……信頼、しきれてないのかもな」

 

 沈黙を割ったのは、遊馬の声だった。普段の軽さは影を潜め、代わりにじわりとした苦みが滲んでいた。

 

「俺たちを……っていうより、自分自身のことを、さ」

 

 それはひとごとではなかったのかもしれない。

心を開けと言われても、開けるふりができたとしても――本当に開けるのは、案外むずかしい。

 

 泉が、きゅっと唇を結んで、目を伏せた。

自分が何かを言わなければ、というより――言いたいことが、言葉になって出てきた。

 

「怖いんだと思う。……自分が違うって、きっと過去になにかあるんだよ。

でもね、頑張ってるのは、すごく伝わるよ。あの子、必死に――置いていかれないように、追いつこうとしてる」

 

 そのとき、不意に低く、重たい声が場を割った。

 

「――それでいつまでもいいとは、俺は思わん」

 

 長く黙っていた太田の声だった。

どっしりとしたその言葉に、全員の視線が自然と彼に向く。

彼は腕を組んだまま、動かず、けれど確かな熱をもって、前を見据えていた。

 

「任務中に迷ってたら、命取りになる。背中を預け合うには遠慮なんてしてられねえ。

だからまだアウレリア巡査は……いくら知識を得ても術式を磨いても新人のままだ」

 

 太田の言葉に、泉がほんの一瞬だけ目を見開く、返す言葉が見つからなかった。

その驚きを意にも介さず太田は言葉を続ける。

 

「信頼ってのは、時間だけじゃできねぇ。

自分の中の何かを、こっちに投げてこなきゃ、受け止めようがねえんだ」

 

 その言葉に、山崎は太田の反応をうかがいながら、口を開いた。

 

「でも、時間をかけないと投げられないことも、あると思います」

 

遊馬は普段の軽薄さを奥にしまったまま、神妙な趣で語る。

 

「……彼女は、今は大きな川の手前で立ち止まってるんだと思う。

どう渡ればいいのか、間違えずに進めるのか……ずっと迷っている気がする」

 

 熊耳が、静かに言った。

 

「――だからこそ、最後は自分で選ばなきゃならない。

それは、私たちがどれだけ手を差し伸べても……彼女の足でしか、踏み出せない」

 

 その場にいた全員が、同じ想いを抱えていた。

助けたいと思う気持ちと、それでも本人の意志でなければ意味がないという現実――

そのふたつがせめぎ合う中で、ただそっと待つことしかできない難しさが、そこにあった。

 

 そんな静けさの中、泉がふっと口元をほころばせた。

微笑とともにこぼれた言葉は、空気の張りつめを少し緩めるように、柔らかく届いた。

 

「でも、うちらだって最初からバッチリだったわけじゃないし!

ケンカもしたし、空回りもいっぱいあったし! だから大丈夫、大丈夫、何とかなるって!」

 

 言いながら、泉はくすくすと笑い、片肘を机にのせて遊馬の方へ視線を向ける。

遊馬はその視線を感じ取った瞬間、はっとしたように体を強張らせる。

 

「……やめてくれ、それ蒸し返すの」

 

 その様子を見て、熊耳がゆっくり口元を緩めた。目が笑っている。完全に狩る側の顔だった。

 

「いまなら笑って話せるけど……あの汚職記事のとき*1は、本当に空気が悪かったわね。ねえ、篠原くん?」

 

 わざとらしく語尾を甘く伸ばしながら、視線をまっすぐ彼に向ける。

優しい口調の裏で、容赦なく刺してくるあたりが熊耳らしい。

 

「だから、やめてくださいってば、ほんと……あれはマジで反省してますから!」

 

 泉がくすくす笑う。

 

「でも、それがあって今の篠原遊馬なんでしょ?」

「ありがたいお説教ですね、はいはい」

 

 何とか自分を立て直した遊馬は泉に顔を向けずに、片手をひらひらと振って軽く流す。

進士と山崎は、あの頃の空気を思い返しながら、ふっと語る

 

「本当に当時は大変でしたけどそれでも、ここまでなんとかやってきましたよ」

「ええ、チームっていうのは、いつかは、いずれ同じ風景が見えるものです」

 

 皆が、それぞれの沈黙でその言葉を噛みしめた。

そんな中、遊馬がもしかして糸口になるかと当時のことを振り返り口に出す。

 

「……そういやさ、あの時は親父と話して妙に納得してすっきりしちゃったけど、

その後に隊長と一緒に飲みに行ったっけ。あれも一つの転機だったのかもなあ。

だから今度はミーシャちゃんにもってことで、隊長と一杯――」

 

「やめとけ。絵面がやばすぎるだろ、それ」

 

 太田が即座に遮った。

あまりにもシュールな光景を脳裏に浮かべてしまったらしく、しかめっ面がいつにもまして怖い。

だがそのすぐあと、意外な人物があっさりと口を挟んだ。

 

 熊耳だ。

 

「それもいいかもね」

 

 全員が一斉に「えっ?」という顔で彼女の方を向く。

だが、熊耳は落ち着いた様子でひらりと手を振った

 

「べつにお酒じゃなくていいのよ。ただ……」

 

 そう前置きしながら、彼女はゆっくりと視線を宙に投げる。

 

「彼女の方から一歩、何かを越えるきっかけが、あればねと思って」

 

 その言葉を紡ぎながら、熊耳はふと思い出す。

――そういえば、今日の午後、後藤隊長は本庁で中間報告に出ていたはずだ。

その事実が、何か小さな糸口のように、彼女の胸の中に引っかかった。

 

 

 

 

東京都心、警視庁本庁舎。

 

 高層階に設けられた無機質な会議室は、昼下がりの日差しさえも拒むような冷たい照明に照らされていた。

警察庁の各局から招集された管理官たちが、整然と書類をめくる音だけを響かせている。

 

 本件は、ミーシャ・アウレリア巡査に関する非公式中間報告である。

通常は課長クラスが出席するが、事案の性質を鑑み、現場責任者たる小隊長が出席する形となった。

 

 室内中央の長机の先には、公安局、警備局、法務関係の管理官たちが並ぶ。

その対面、静かに座っているのは特車二課第二小隊の隊長・後藤喜一。

姿勢こそ肩の力が抜けているが、その表情には隙がなかった。

 

各人の机の前には、報告書の束が整然と置かれていた。

どれもミーシャ・アウレリア巡査の実績と評価、法的問題を網羅した資料だ。

後藤による口頭での報告が終わり、部屋には重い沈黙が落ちていた。

 

 だが、それは長くは続かない。

 

「……魔法による支援という概念そのものが、まだ法的に不安定な立場だ」

 

 公安局の管理官が、表情を崩さぬままに切り出す。

声は冷ややかで抑揚がなく、意見というより、処理すべき事案を読み上げるようだった。

 

「武力行使に相当する術式を、小隊員が隊長の直接指揮下ではなく、独自の判断で使用している現状について、将来的に運用上の問題が生じる懸念はないのでしょうか?」

 

 その言葉に、他の出席者たちが書類を再びめくり始めた。

その音が、まるでミーシャの存在を査定するかのように冷たく響く。

 

 警備局の担当官が低く続ける。

 

「彼女の精神状態や思想傾向について、継続的なモニタリング体制は整っているのでしょうか?」

 

 やや間を置いて、法務連絡官がゆっくりと口を開く。

 

「彼女は、警察官なのでしょうか。あるいは、部外者として運用されているのか。

……本人の立ち位置が明確でないままでは、いずれ混乱を招く可能性がある。

その意味で――任用中止という選択肢も、視野に入れておくべきと考えます」

 

 その声に怒気はなかった。ただ答えのない決断を前にした静けさがあった。

 

 会議室の空気が、ゆっくりと重たく沈む。

その静けさを破るように、後藤が椅子に深くもたれ直し、ひとつ長く息を吐いた。

 

視線を伏せたまま、口元にほんのわずかな皮肉の笑みを浮かべる。

 

「……まあ、ご心配はもっともです。異世界から来たエルフの魔術師少女なんて、聞いただけで予算委員会が荒れるって話ですよね」

 

 会議室に、ごくわずかな失笑が走る。だがそれは緊張から逃げるような、つかの間の反応だった。

後藤はすぐに笑みを消し、目を細め、静かに言葉の重みを変えていく。

 

「でもね、彼女が何者かっていう話よりも――何をしてきたかの方が、よっぽど大事だと私は思ってるんですよ」

 

 少しの沈黙のあと、後藤は整えた声で、ミーシャ・アウレリアの小隊員としての結果を語り始める。

 

「初任務で暴走レイバーを非破壊で止めました。

そのあとも何度も出動して現隊員とも連携をしっかりとってきました。

整備班には空中足場を作る道具を自由時間を削って提供してます」

 

 言葉は簡潔だが、ひとつひとつが明確な行動として示される。

弁明ではなく、積み重ねた実績で後藤は答えていく。

 

 会議室の空気が、わずかに変わる。

誰もすぐには口を開かない。静けさの中に、測るような視線が交錯する。

 

「危険な存在だとか、予測不能とか、魔法は管理不能とか――言いたいことは山ほどあるでしょう。

私も、最初はそう思ってましたよ」

 

 そう言って、後藤はほんの一瞬だけ、かつての自分を苦笑するように目を細めた。

だがその顔には、すぐに静かな決意が宿る。

 

「……でも、今ははっきり言えます。彼女は、もううちの仲間です。

警察官としても、特車二課の一員としても――胸を張ってそう言えます」

 

 飾り気のない、けれど確かな手応えに満ちたその言葉が、会議室の空気に深く染み渡っていく。

誰かが小さく息をのむ音が聞こえた。

 

「ミーシャ・アウレリア巡査は、市民生活を守るために、その力を全て振り絞っています。

比喩でなく文字通り全ての力です」

 

 後藤は、手元の報告書に目を落としながら、あるページにそっと指を置いた。

指先が示すのは、ミーシャのこれまでの詳細な活動記録――

マニュアルに定められた最低限の休息時間を除けば、ほとんどすべての時間が、自己鍛錬と術具、スクロールの制作作業に費やされている。

どこにも余白を作らずに過ごしているようだった。

 

「こっちがそれに応えられなきゃ、警察の名が泣きます」

 

 沈黙のあと、法務連絡官が手元の資料を静かに閉じ、落ち着いた口調で言葉を発した。

そして一拍置いて、わずかに声のトーンを落とす。

 

「暫定隊員としての任用は続けます……とはいえ、できれば次回の報告までには結論を出していただきたい。

そろそろ――マスコミの関心も、ちらほらと見え始めていますので」

 

 会議室の空気が、微かにざわつく。

その言葉の裏にある政治的な事情を、誰もが察していた。

魔法という異質な力、異世界出身という特異な経歴、そして現場での功績――

そのどれもが、今や一歩間違えば世論の標的になりかねない。

 

「思ったよりも、結論を急がなければならないかもしれません」

 

 後藤はそのやり取りを聞きながら、眉ひとつ動かさずに黙っていた。

だが、心の中ではすでに何かを決めているような静けさがあった。

 

「まあ、最終的に誰が責任取るかって話になるんでしょうけどね」

 

 後藤はひと呼吸置き、ゆっくりと宣言する。

 

「でしたら――あの子は、すでにうちのですよ」

 

 その最後のひと言が、会議室の冷たい空気に、確かな熱を残した。

その熱を否定するものは、この部屋には誰もいなかった。

 

 

 

 

 夜の特車二課庁舎屋上には、ぴんと張り詰めたような風が吹いていた。

冷えきった空気が頬を刺すようで、吐く息は白く、短く、すぐに消える。

東京湾の夜景が凍えるような光をたたえながら遠くにまたたき、雲の隙間からは、澄んだ冬空に冴え冴えとした月が浮かんでいた。

 

 金属製フェンスにもたれかかり、後藤喜一は片手をポケットに突っ込んだまま、もう一方の手で煙草を口元に運ぶ。

火はついていない。吸うわけでもないそれは、ただ呼吸の代わりのように唇に挟まれていた。

 

 目は細められているが、その視線は遠くに向けられ、何かを見ているようでもあり、何も見ていないようでもあった。

 

 背後から、かすかな足音が雪のように降り積もる。

コートの裾を揺らしながら、私服姿のミーシャ・アウレリアがそっと現れる。

 

 風にさらされてもほとんど乱れない姿勢で、彼女は一歩を踏み出し、小さく一礼をした。

 

「……あの、隊長」

 

 後藤はちらりと横目を向け、煙草を消そうとしかけて――火をつけていなかったことを思い出し、手を止めた。

 

「ん、そろそろ夜風がきつくなってきたな。術式で風とか止めたりしないよな?」

 

 後藤のわざとらしい冗談に、ミーシャは、くすっと笑った。

 

「……止めません。でも、あの……少しだけ、お時間をいただいても?」

 

 後藤は無言でうなずき、フェンスから身体を離さずに、ミーシャのほうへ半身だけ向けた。

しばしの間があってから、ミーシャがゆっくりと口を開いた。

 

「……本庁での報告会議……私のこと、守ってくださったと……熊耳さんから聞きました」

 

 熊耳にしては珍しく、お節介めいた振る舞いに、後藤は何となく意図を察して肩をすくめた。

 

「守ったっていうより、事実を言っただけだよ。俺は嘘つけないタチなんでね」

 

 ミーシャは後藤から視線を外し、屋上から見えるビル群に宿る光の粒に目を向ける。

 

「嬉しいです……私、ちゃんと、仲間として見てもらえてるんだって……それなのに……まだ私は……」

 

 ミーシャの言葉は、最後のほうで音を失っていく。

それでも、その揺れた声は夜風に溶けることなく、確かに後藤の耳に届いた。

 

 彼はしばらく黙ったままだった。

ただ、風が二人の間を抜けていく。鋭くも優しく、冬の空気が肌をかすめる。

 

 やがて、彼は静かに言った。

 

「……あのな、アウレリア。仲間ってのは、必要だから作るもんじゃないんだよ」

 

 ミーシャが顔を戻し、まっすぐに後藤を見つめる。

 その視線を受け止めながら、彼はフェンスにもたれたまま、煙草を口から外す。

 

「気がついたら、そいつがそばにいる。それだけのことさ」

 

 熊耳のお節介に、ほんの少しだけ肩を貸してやる。そんな思いが、かすかに口元をほころばせた。

 

「ただな。そばにいるってのは、向こうがそうしてくれるってことだけじゃない。

自分から、そこにいていいって思うことでもあるんだ」

 

 ミーシャの目と口の動きが止まる。

その一瞬の沈黙のあいだ、ミーシャの胸の奥に小さな灯がともる。

それは誰かに与えられたものではなく、自分自身の手でようやく触れられた「ここを自分の居場所にしたい」という願いだった。

 

 まだ、それは小さくか細い吹けば消えそうな灯、でもそれはたしかに彼女の中に芽吹いた。

 

「……はい。じゃあ、私も……気づいたらそばにいるひとりでいられるように……いつかきっと……」

 

 それは、彼女が自分の言葉で語る、神聖なる誓いだった。

後藤は、そのミーシャの変化に満足したように口の端を少しだけ上げた。

 

「頼むよ『先生』。うちの整備班がすっかりあんたのファンなんだから」

 

 ミーシャの耳が、少し離れた後藤にもわかるぐらい赤くなる。エルフの大きな耳はこういう時ばれやすく不利なようだ。

そして、照れ隠しと感謝がないまぜになった言葉が紡がれる。

 

「……それは、ちょっと……恥ずかしいです……」

 

 ささやかな笑い声が、静かな屋上に、柔らかく響いた。

その向こうでは、東京湾の灯がまばたき、冬の星がひとつ、雲間から姿をのぞかせた。

 

 ……そして、その笑い合う二人を、何かが、じっと見つめていた。

誰にも見えないその目は、だが確かに、夜気の中に浮かんでいた。

*1
サンデーコミックス13巻~15巻 第15話黒いレイバー、第16話とげどげしい三日間

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