機動警察パトレイバー:魔法少女、特車二課に着任す   作:ゆきざかな

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第14話:割れたランプ、灯る決意

 午後の空は厚く曇り、灰色が街を鈍く覆っていた。

高層ビルの谷間を吹き抜ける風は冷たく、地上の空気をざらつかせるようだった。

 

 現場は、工事中の高架下交差点――

昼前、複数台の作業用レイバーが操縦ミスとシステムトラブルで連鎖的に衝突事故を引き起こした現場だ。

倒壊した機体の一部が歩道へなだれ込み、民間人2名が軽傷を負う事態となった。

 

 幸い、人的被害は最小限で収まったものの、破損レイバーが3機、周辺インフラも複数個所で損傷。

周囲は完全封鎖され、復旧作業が本格化する中で、特車二課第二小隊が現場の安全確保と監視を担当していた。

 

 交通整理はすでに一段落しており、警視庁から派遣された作業班と民間整備業者によって、レイバーの回収が進んでいる。

しかし、現場にはまだ予断を許さない緊張が残っていた。

 

 路面には油が浮き、砕けたパーツがブルーシートに包まれたまま並んでいる。

作業音と警告灯の明滅が交錯する中、特車二課のイングラムが周囲を監視しながら静かに歩を進めていた。

 

「こちら1号機、前方警戒に入りました。作業員以外の現場残留者なし、重機移動中!」

 

 泉野明の声が、無線越しに響く。その口調には、現場経験に裏打ちされた落ち着きと、いつもどおりの確かさが滲んでいた。

 

 本来なら、ただの安全確認と警戒支援――誰にとってもルーチンワークで終わるはずの任務だった。

しかしその日、ミーシャ・アウレリアの頭の中は、別の何かで満たされていた。

 

 ――黒い手の男。

 

 午前の聴取で見た似顔絵より呼び覚まされた記憶が、まるで焼き付けられたかのように視界の端にちらつく。

あの濃く塗りつぶされた右手の黒。輪郭の曖昧な顔。

何より、意識を失う直前に彼女に向けて伸ばされた手の感触。

指先がひやりとする。もう今では感じていないのに、なぜか皮膚がわずかにざわつく。

 

 いつもなら、準備済みの術式は頭の中で整然と構文が組み上がり、指も自然と動くように仕込まれている。

だが今日は――どこかで、歯車が微かにずれていた。

組み上がるはずの祝詞は、途中でぽろぽろと崩れ落ち、言葉になる前に霧のように消えていく。

じわじわと染み込むような震えが、全身の感覚を鈍らせていた。

 

「……アウレリアさん!」

 

 背後から、進士の声が届いた。

いつもの穏やかな調子は影を潜め、張りつめた空気を帯びている。

すでに何かが起きている――そう確信している者の声だった。

言葉には気安さも余裕もなく、ただ、これ以上の異常を許さぬための緊張が滲んでいた。

 

「……あっ、はい!」

 

 はっと我に返った彼女は、一瞬だけ進士に目を向け、それから慌てて前方を見やる。

すでに事態は、急変していた。

 

 事故機として放置されていたはずの作業レイバーが、独りでに動き始めていた。

黒ずんだ機体が鈍く起き上がり、歩きながら片腕をゆっくりと前へ差し出す。

本来ならば完全沈黙状態で、運搬待ちのまま固定されているはずだった。

だが、おそらく電源系統の停止方法に手違いがあったのだろう。制御系の不具合かなにかしらが、再起動を引き起こしていた。

 

 そのアームの先――狙われているのは、現場の隅に設置された大型の建材ラックだった。

その台の上に、十数メートル級の鋼材支柱が何本も、無造作に積まれている。

絶妙なバランスの上に成り立った、それはまさに――レイバーの腕によって崩れるのを待つ山だった。

 

 ミーシャの目に、その光景がはっきりと映った。

だが、脳が状況を整理しきるよりも先に、時間は動いていた。

すぐに詠唱を――構文を――何かをしなければならないのに、指先がほんのわずか躊躇した。

 

 たったそれだけの、ほんの一瞬の間だった。

 

 だがその一秒未満のためらいが、術式展開のタイミングを決定的に遅らせた。

 

 レイバーの無骨なアームが、ガシャンと音を立ててラックにぶつかる。

慣性のままにラックは大きく斜めに傾きだす。

その上に積載されていた鋼材支柱が、一気にバランスを崩した。

 

 「――っ!」

 

 甲高く金属がぶつかり合う音が、空気を引き裂くように響く。

鋼材が、ぐらりと揺れながら、地面に向かってゆっくりと倒れ始めた――

 

「おっとっとっと……!」

 

 瞬間、白い影が視界を横切った。

 

 イングラム一号機が、唸るような駆動音と共に前方へ走り込んでいた。

その巨体は地面を野球のスライディングのように滑り、落下軌道の下へと一気に割り込む。

操縦席の中、泉野明は瞬時に判断を下すと、機体の片膝を沈めるようにして低姿勢に構える。

 

 その直後――

 

 鋼材がイングラムの右肩に、「ガンッ」と硬質な音を立てて衝突した。

その衝撃で、肩のパトランプが砕け、透明な破片が宙に散る。

振動は肩装甲を通じて機体全体に伝わり、鈍い唸りが駆動部から漏れた。

 

 だが、泉野明の心は揺るがなかった。

 一瞬の判断で左右のマニピュレーターを操作し、迫りくる鋼材を左右から挟み込む。

 鋼鉄の束は、イングラムの両腕に抱きとめられるような格好で止まり、地面への落下を免れた。

 鋼材同士がきしみ合う鈍い音が、イングラムのコクピットまで重たく響く。

 

 その一連の所作は、もはやレイバーとは思えぬほど滑らかで正確だった。

あの巨体を、まるで己の身体の一部のように操る――それは、泉だからこそ可能な職人芸にほかならなかった。

 

 沈黙が訪れた数秒後――

 

「しっかりしてよ、ミーシャちゃん!」

 

 無線越しに響いた泉の声は、怒鳴るでもなく、ただ真っ直ぐだった。

だが、そのまっすぐさが、自責に侵食されつつあるミーシャの胸に鋭く突き刺さる。

 

 ――わたしは……。

 

  術者であり、配属された警察官であり――何より、この現場で市民を守る者。

 その自覚が、今さらになって鋭く突き刺さる。まるで刃を胸に抱いたまま歩いていたように、遅れてやってきた痛みが、じわじわとミーシャを内側から抉っていた。

いつも通りレイバーを《グリース()》で止めるべきだった。

 

 そうしていれば、イングラムが無茶をする必要もなかった。

もっと冷静に、確実に、収拾できたはずだったのだ。

 

 それなのに――あの瞬間、自分は何もできなかった。

ただ立ち尽くしていたという事実が、今になって、喉の奥に鉛のように重くのしかかってくる。

 

 

 

 

 事故の収束は、奇跡的と言っていいほどに軽微で済んだ。

現場にいた誰一人として負傷者はなく、ただ一体、泉のイングラムだけがわずかに損傷を受けた。

 

 だが、それは結果論にすぎない。

 

 もし泉の判断が数瞬遅れていたら。

もしイングラムの制御がわずかに狂っていたら――その場にいた誰かが、鋼材の餌食になっていたかもしれない。

そう思うたびに、ミーシャの心臓がぎゅっと締めつけられるような感覚に襲われた。

 

 だがその時、ミーシャの耳に届いたのは、責める声ではなかった。

 

「ミーシャちゃん」

 

 凛とした、けれどどこか柔らかさを含んだ泉野明の声だった。

イングラムから降りると、彼女はヘルメットを脱ぎ、手に抱えたままの足取りでゆっくりとミーシャに近づいてくる。

 

 その途中、ふと立ち止まった泉は、一号機の右肩に残る傷跡――砕けたパトランプを見つめた。

パトランプは、ひび割れた赤いレンズのかけらをわずかに残し、無惨に沈黙している。

本来なら警告の光を発するはずのそれは、今やただの壊れた部品に成り果てていた。

 

 泉の目には一瞬、言葉にはならない寂しさが滲んでいた。

だがすぐに彼女は顔を戻し、その表情を切り替える。

 

 きびきびとした足取りでミーシャの前に立ち、まっすぐな眼差しを向けて、重くなりかけていた空気に明るさを差し込むように言った。

 

「次は、大丈夫。ちゃんとやれるよ」

 

 ミーシャは申し訳なさと感謝が同時にせりあがり、言葉が喉で詰まる。

そこへ、やや後方から少し控えめな声が割り込んできた。

 

「誰だって失敗はありますよ。太田さんなんてしょっちゅ……」

 

 その言葉の続きを待たずして、進士の身体がぐいと引き寄せられた。

 

「誰がしょっちゅうだコラァ!」

 

 怒号を飛ばす太田は、進士の首を片腕でがっちりと締め上げ、そのままぐるぐると振り回す勢いだ。

必死で抗議する進士の声は、太田の腕の中で徐々にくぐもっていく。

 

「太田さん! 落ち着いて!」

「進士さんが折れてしまいます!」

 

 泉と山崎が慌てて駆け寄り、それぞれ片腕と背中を押さえて太田を制止にかかるが、力任せに振り払われてバランスを崩しそうになる。

 

「……やれやれ。変わんねーな、うちの連中は」

 

 数メートル離れた場所で、遊馬が腕を組みながらじっと一同を眺めていた。

その顔には明らかに呆れの色が浮かび、目線は容赦のない冷ややかさを帯びていた。

 

「……もう、何やってるんだか」

 

 熊耳は額に手を当て、やや首を傾げる仕草で溜め息をつく。

 

 その少し後ろでは、後藤隊長が煙草をくわえたまま、騒動の方へ首を向けていた。

特に驚くでもなく、ただ「またか」という顔で、煙をふっと空に流す。

 

いつもと変わらない第二小隊。

その変わらない空気が、かえって彼女の心を重くする。

 

 

 

 

 その日の夕方、庁舎裏の非常階段に、ミーシャ・アウレリアの姿があった。

空は昼間よりもさらに濃く滲んだ鉛色で、低く垂れこめた雲が風に乗ってゆっくりと流れていた。

 

 鉄製の手すりに囲まれた中段で、ミーシャは静かに腰を下ろしていた。

制服の袖口から覗く小さな拳が、膝の上で固く握られている。もう一方の手には、開きかけの『レイバー操縦教本』。

だがページは途中で止まり、風にかすかにあおられながらも、めくられることはなかった。

 

 唇を噛み、視線を教本に落とす――が、そこに書かれた文字はもはや意味をなさなかった。

読み進めようと目を滑らせても、内容は頭の中を素通りしていくばかりで、何も残らない。

紙の上の文言が、自分の不甲斐なさを嘲る声にさえ思えて、ミーシャは本から目を背ける。

 

 重たい感情が、胸の奥底からじわりと湧き上がっては、波のように引いていく。

悔しさ、羞恥、自己嫌悪。

それらが溶け合って濁流となり、冷たい風の音さえ心に突き刺さるように感じられた。

 

 やがて、とうとう諦めと共に教本を閉じ、膝の上にそっと置いた。

ミーシャはそのまま足元のコンクリートに視線を落とし、うつむいたまま動かなくなる。

冷たい階段の感触が、余計に感情を沈ませていく。

 

 感情の濁流が胸の内でうねり、風の音すら神経に刺さる。

ミーシャは――ひとり、沈んでいた。

 

「アウレリア巡査。今日はらしくなかったわね」

 

 不意に、聞き慣れた声が背後から届いた。

振り向くと、熊耳武緒が立っていた。

 

 ミーシャは、うつむきながら静かに言う。

 

「……す、すみません。その……はい、完全に私の不手際です」

 

 熊耳はミーシャの吐露を黙って見つめ、静かにうなずいた。次の話を促すように、その表情には焦りも詮索もない。

 

「……今日、刑事さんから、ある男の話を聞かされて……」

 

 言い淀むように口をつぐみ、ミーシャは熊耳の様子をそっとうかがう。熊耳は、やはりと言わんばかりの顔で、軽く頷いた。

 

「金庫破りの件でしょう? 捜査一課の人が来てたって、聞いてるわ」

 

「……ですよね。じゃあ、あの話も……」

 

「少しは。詳しくは知らないけど、あなたの顔色を見れば、ただの通りすがりの話じゃなかったんだろうなって」

 

 ミーシャは小さく息をのんだ。見透かされたことへの驚きと、ようやく胸の内を言葉にできたことへの安堵が、入り混じるように胸を満たしていく。

 

「……はい。たぶん、それが……今回の判断に影響したんだと思います」

 

 その言葉に、熊耳は視線を空に向け、静かに言った。

 

「なるほど。なら、余計に話してくれてよかったわね」

 

 だが、熊耳の慰めは届かなかった。ミーシャの声は、地の底へ向かうように、ゆっくりと沈んでいく。

 

「……はい。私って未熟者ですね……」

 

 消え入りそうなほど小さくなっているミーシャの背を、熊耳は見つめていた。

その様子に少し思いを巡らせたのち、やがて大きく、澄んだ声で呼びかけた。

 

「アウレリア巡査!」

 

びくり、とミーシャの肩が跳ねた。

 

「シャキッとしなさい!」

「ひゃう!! は、はいっ!」

 

 ミーシャがその声に押されたように軽く飛び上がり直立不動の体制になる。

その様子に熊耳は少しだけ口元を和らげた。

 

「人間一度も失敗しないで済んだ人なんて一人もいない。

私だって全く同じことを一度やったことがあるから」

 

 熊耳は顔を遠くに向ける。記憶の奥にある、痛みと共にある情景を思い出すように。

 

「え? 熊耳さんがですか?」

 

 意外な一言にミーシャの眼が大きく広がる。

 

「昔ね、ある事件があったの。その黒幕が、かつての恋人だったのよ」

 

 熊耳の過去に触れた言葉があまりにも静かだったせいで、逆にその重さがミーシャの心を打った。

思わず彼女の目が動きを止める。目の前にいるこの人が、想像もしなかった深い痛みを語ってくれた――その事実が、胸を大きく揺らした。

 

「意識が仕事に集中できなくて……一回、泉巡査に重要な平面図のデータを渡しそびれたの。今回のあなたと同じような、ミス*1

 

 さらりと語られた熊耳の言葉に、ミーシャの目がぱちりと瞬く。

 

「その事件がらみで、その後いろいろあって。少し、仕事を離れてた時期があったの。

で、復帰して最初の勤務日が――あなたと会った日よ」

 

 ミーシャが目を丸くするより少し早く、熊耳はわざとらしく溜息をついた。

そして、唇の端を緩めると、少々大げさに両腕を左右に広げた。

 

「復帰早々、異世界魔術師のお守りだなんてね……内心では、正直ちょっとため息ついたわ」

 

 その言葉に、ミーシャは思わず熊耳の顔を見つめ直す。

 

「最初って……そんな感じだったのですか?」

 

 戸惑いと、ほんの少しの寂しさがにじむ声。

だが熊耳は、その空気をすぐに読み取り笑みを浮かべると、ミーシャの言葉を遮るように、手のひらを軽く上げた。

 

「あくまで最初よ。今ではずいぶん見方も変わったつもり。

頼りにしてるわよ――術師さん」

 

 その軽やかな言葉に、ミーシャの表情が少しだけほぐれた。

その小さなほぐれを逃さず、熊耳はすかさず本題に入るように静かに言葉を重ねた。

 

「ねえ、アウレリア巡査――。

人は、失敗から学べるの。成功は運にも左右されるけど、失敗は確実に自分の血になる。

だから、どんなに苦くても、ちゃんと飲み込んで、次に活かすの。

あなたなら、きっとできるわ」

 

 その言葉には、過去に同じ苦味を味わった者だからこその、実感がにじんでいた。

 

 熊耳の言葉が、ミーシャの胸にゆっくりと沈んでいく。

彼女はしばらく黙ったまま、冷たい階段の感触だけを頼りに、自分の中の迷いを見つめていた。

そして泣き顔とも笑い顔ともつかない顔で、ぽつりと言葉を漏らした。

 

「熊耳さん……ありがとうございます。少し落ち着きました……」

 

 礼を受け止めた熊耳は立ち上がりながらミーシャの肩を軽くたたく。

小さな警官は、その手の柔らかさに安堵を覚えた。

 

「落ち着いた? じゃあ、今回の件、後藤隊長にちゃんと報告しましょう」

 

 だが、ミーシャの視線は、ある一点に釘付けになったまま動かない。

何度か立ち上がろうとしては、すぐに腰を下ろす――そんな動作を繰り返していた。

重大な決断をすべきか否かを、自問し続けているのは明らかであった。

 

 その様子から、それが単なる「隊長への報告」といった事務的な行為ではないことは、明らかだった。

ミーシャは拳をそっと握りしめ、小さく息を吐く。

何度も揺れて、ためらって――ようやく腹をくくったのだ。

 

「……はい。私はこの失敗を、忘れません。

熊耳さんの言葉で、はっきりしました。――結局、私は自分の心から逃げていたんです。

でももう、逃げません。ここで終わらせます。……私の中の、曖昧なままの気持ちに」

 

 その言葉とともに、ミーシャの瞳がわずかに光を宿し、色を変えた。

それは、内からゆっくりと立ち上る――迷いを超えた決意の色だった。

 

 顔を上げる。

 

 そこには、こちらを見ている熊耳がいた。

その目には、焦りも詮索もない、待つ者の眼だった。

背中を押すでもなく、引き戻すでもなく――ただ、そこに立ち、受け止める者のまなざし。

 

「……隊長に、相談したいことができました」

 

 声は小さくても、その響きには、微かだが熱があった。

 

 熊耳は、言葉ではなくそのまなざしで応えた。

口にせずとも、彼女にはわかっていた。

この少女が、ようやく自分の意思で、本当の一歩を踏み出そうとしていることを。

*1
サンデーコミックス16巻 第17話 黒いレイバー

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