機動警察パトレイバー:魔法少女、特車二課に着任す   作:ゆきざかな

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第15話:語られる罪――誰がために術は在る

 特車二課の会議室には、夕方特有の沈んだ橙光が斜めに差し込んでいた。

西日が窓ガラスを赤く染め、その淡い色が床と壁に長く影を引いている。

室内の空調は控えめに調整され、資料棚の奥では静かな機械音がわずかに響いていた。

 

 今日は特別な議題があったわけではない。ホワイトボードには何も書かれておらず、会議机の上にも資料のたぐいは一枚もない。今日の議題に、紙の資料は要らない。

 

 語られるべきは、一人の警察官が自らの過去と向き合い、未来へ踏み出そうとするその言葉。

ミーシャ・アウレリアが紡ぐ、その一語一語こそが、この場における唯一の資料であり、真実だった。

 

 この場は、彼女自身が後藤隊長に願い出て、特別に設けてもらった時間と空間だった。

何かの命令や命題があったわけではない。ただ、自らの意志で話すと決めた――そのために、第二小隊の面々はここに集まっていた。

 

 その静けさを破ったのは、後藤の低い声だった。

 

「……その前に、一つだけ報告がある」

 

 会議室の壁によりかかっていた後藤隊長が、腕を組み直す。そして、珍しく厳かに口を開いた。

 

「先日の金庫破り事件の現場において、アウレリア以外による術式の使用が、ほぼ確実と判断された。

おそらくは、別の術者……彼女と同じ世界由来の可能性が高い」

 

 一瞬、室内の空気がわずかに揺れる。

泉が小さく眉を寄せ、山崎が何か言いかけて飲み込む。

遊馬は腕を組んだまま無言で、太田は真面目な顔をしていた。

進士の視線は不安げにミーシャの方へ向けられている。

 

「――詳細はまだ伏せられているが、捜査一課も動いてる。おそらく近いうちに、第二小隊として何らかの関わりを持つことになるだろう」

 

 そう言って、後藤は視線をミーシャへと向ける。「口火としてはこれくらいでいいか?」とでも言いたげな眼差しだった。

 

 水を向けられた今日の主役は、椅子に身を預けていた。

その背筋はきちんと伸びていたが、肩にはまだ抜けきらない力が残っている。

膝の上に揃えられた手の指先が、かすかに強張っていた。

 

 一瞬、目を伏せたミーシャは、やがて顔を上げて周囲を見渡す。

そして、ごく小さなうなずきをひとつ。

そのまま、滑るように――微かに震えながらも、もはや後戻りはしないと決めた意志を宿した声で、彼女は口を開いた。

 

「……なぜ、わたしが直接的な攻撃の術式を使わないのか……その理由を、話さなければならないと思いました」

 

 ミーシャは一度、言葉を切った。深く息を吸い、正面を見据える。

 

「それは――今、隊長から話のあったもう一人の術者と、深く関係しています」

 

 その第一声に、会議室がほんのわずかに引き締まった。

重苦しくはないが、静謐な空気が流れていた。

まるで、皆が彼女の言葉を受け取るために、自らの呼吸をも整えているかのようだった。

 

「……わたしは、偉大な英雄と純粋な悪が集い神秘と危険が渦巻く、トリルと呼ばれる、異世界の出身です。

その世界のフェイルーン大陸西側のソードコースト地域の奥地、グレイクローク丘陵の一画――

わたしは、そこにあるエヴァレスカ(要塞の家)という、エルフの大規模な定住地で生まれました」

 

 自らの出自を語り終えたミーシャは、一度だけ深く息をついた。

相手が話の半ばを受け止めてくれたことを見届けると、再び静かに口を開く。

 

「私が物心ついた頃には、すでに父も母も、兄弟もいませんでした。

親戚の家を何十年かごとに転々としながら、静かに過ごしていたんです。

けれど……どうしても、馴染めませんでした。

皆、自分たちこそがコアロン――エルフを守護する神に選ばれた民、アル=テル=クェシア(サン・エルフ)だと誇っていて……他の種族――同じエルフ族(ウッド・エルフ)ですら見下すような言動も、少なくありませんでした。

私は、ずっとそれが当たり前だとは思えなくて……心のどこかで、疑問を感じていました」

 

 そこに怒りも悲しみもなかった。ただ、自分がそこに居場所がなかった、という確かな事実だけがあった。

 

「成人の儀を迎える年齢まで、ようやく半分とその半分を越えたころ――

バルダーズゲートという、大きな港町で暮らす一人の魔術師が、私を見つけてくれたんです。

そのとき私は……肩身の狭い日々に、ただ静かに耐えているだけで。

でも、その人の言葉に、初めて……外に出てもいいんだって、思えたんです。

だから、迷わず飛び込みました。

魔術の世界へ。自分の力で、何かを変えられるかもしれないって……そう確信しましたから」

 

 ミーシャの瞳の奥には、決して淡いとは言えない記憶が揺れていた。

長い年月をひとつひとつ拾い上げるように、彼女は言葉を選びながら続ける。

 

「――それからわたしは、三十年……三十年と少し、師匠のもとで魔法を学び、研究をし、魔術品の作成をしていました。

それは静かで、規則正しい日々で……でも同時に、何かを逸している気もしていて。

やがて、私は――師匠の反対を振り切って、旅に出ました。冒険者として……この世界で言えば、自由な依頼請負人のような立場です」

 

 語り口は穏やかだったが、彼女の声には、深い苦しみが混じっていた。

それは隠そうとしても、言葉の端々からこぼれ落ちる――押し殺された感情の余韻。

 

 ほんのわずかに閉じたまぶたの裏には、今も消えぬ光景がよみがえる。

それは風景というにはあまりにも断片的で、記憶というにはあまりにも鮮明な映像――

あの、痛みにまみれた日。遠く、遠く、もう戻れない場所。

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 ――深い地底の奥。空気は重たく湿り、まるで肺の内側まで苔むしていくようだった。

無数の苔と暗黒の胞子が這う岩壁を、揺れ動く微光がかろうじて照らしている。

その先に広がるのは、吸音材のように音を呑む、無音の広大な空洞。

 

 そこを、二つ、遅れて一つ、別れた足音が、あちこちに跳ね返りながら響いていた。

ミーシャ・アウレリアは、ローブ姿で駆けていた。息は荒く、額に汗が滲む。

革のポーチは走るたびに腰で揺れ、手にはランタンが淡く揺れていた。

石畳は湿気で滑り、足元は不安定。探索というより、これはもうほとんど逃走だった。

 

 だが、ミーシャの目は前だけを見ていた。

――追いかけなければならない。

ばらばらになった仲間たちを。あの二人を、取り戻すために。

 

「カリーン……ダリオ……!」

 

 呼びかける声は虚しく反響するばかりで、返事はなかった。

代わりに、奥の方から聞こえてくるのは、何かが重たいものを引きずる音。

そして時折、鉄同士がぶつかるような不規則な硬質音が混じっていた。

 

 彼女の背後には、ただ漆黒の通路が続いているだけだった。

何も――いるはずはない。

それでも、確かに何かの気配があった。気のせいではない。確実に、後ろから追ってきている。

見えない敵。名もない悪意。その存在が、肌の感覚で伝わってくる。

 

 この迷宮に入って、もう三日は経っていた。

序盤こそ順調だった。罠も少なく、地図も更新され、仲間たちの表情には余裕があった。

だが、深層に入るとともに空気が変わった。

 

 誰かが口火を切れば、それが火種になる。

 

「このルートはカリーンが選んだんだろ?」

「ダリオ、だからってそんな言い方はないわ」

「ミーシャ、脱出する魔法はないのかよ!」

 

 罵声と苛立ちが飛び交い、仲間の心がばらばらになりかけたそのとき――野獣のような姿の何かが、ミーシャの背後から襲いかかってきた。

敵の正体を確かめる余裕もないまま、カリーンとダリオはミーシャのことなど顧みず、我先にと迷宮の奥へと駆け出していった。

 

 ミーシャは、焦っていた。

 

 師の強い反対を押し切り、初めて挑んだこの迷宮――その決断には、並々ならぬ覚悟があった。

ここには、未発掘の遺跡が眠っているという噂がある。未知の文献、失われた魔術、そして何より高価な魔道具。

それらを誰よりも先に手に入れ、無事に持ち帰ることができれば、自分の実力を証明できる。

自分の選択が、間違いでなかったと示せる――そう思っていた。

 

 そのためには、目に見える結果が必要だった。

評価されるべき成果を、誰の目にも明らかな形で――。

その一心で、彼女は自らを急き立てるように、足を前へと進めていた。

 

 目の前がふっと開け、視界が広がる。

そこは、巨大な柱が二本立ち、中央に祈りの場のような台座が設けられた空間だった。

神殿か、儀式場か。おそらく何かを祀る場所だったのだろう。

だがその神秘は、中央にいたそれらによって、すべて塗り潰された。

 

 ヒョウに似た、異形の巨大な六足獣が一体。

黒々とした毛並みが鈍く光り、背中からは鞭のようにしなる2本の触手が伸びており、

その先端にはギザギザの歯のような肉趾が伸びている。

 

 ――挟み撃ちにされる。

 

 恐怖に突き動かされたミーシャは、ついに最大の武器を行使する覚悟を決めた。

迷いなく指先をポーチの中へ滑らせ、目当ての触媒を素早く探り当てる。

取り出されたのは、乾いた蝙蝠の糞と硫黄を混ぜて固めた、小さな玉――火球の触媒だ。

それを素早く投げつけながら、唇が迷いなく詠唱を刻む。

 

灰となれ(カラン=イルミス)猛る焔(ヴァルグ=エクスティリス)!」――《ファイアーボール(火球)

 

 轟――。

 

地の底を揺るがすような爆音が、空洞全体に反響する。

術式によって放たれた火の奔流は、咆哮のように獣を包み込んだ。

赤と橙の光が空間を満たし、焼き焦がされた肉の匂いが一気に広がる。

呻き声。爆ぜる音。熱気と衝撃で、ミーシャの身体が後ろへとたわんだ。

足場の石が割れ、服の端が焦げ、炎の残滓が視界を満たしていた。

 

 ――けれど、すぐに、その光の向こうに何かが見えた。

 

 そこにあったのは、仲間の顔だった。

 

「……え?」

 

 ミーシャの時間が止まる。

 

 

 焦げついた皮膚はひび割れ、髪は焼け落ち、顔の形すら一部は崩れていた。だが、それでもミーシャにはわかった。

半ば開いたままの瞳。焼け焦げた唇からこぼれた名残のような言葉。

それは、つい数刻前まで、彼女と笑い合っていた――カリーンの顔だった。

その傍らには、盾を構えたまま崩れ落ちたダリオの姿。鎧の継ぎ目からは黒く焼けた皮膚が見えていた。

二人とも、声を発することはない。ただ静かに、二度と戻らぬ形でそこに横たわっていた。

 

 獣の姿は、どこにもなかった。

 

 幻――

頭の片隅で、その言葉がちらつく。

彼女が見たあの獣たちは、最初から、そこに存在していなかったのだ。

 

「……やだ……ちが……うそ……そんな……」

 

 ミーシャは、よろめき、膝をつきそうになった。

手に持ったランタンが、ガシャンと地面に転がり、仄かな灯火が岩肌に揺れる。

 

 そして、そのとき――背後の闇の空気が揺れた。

 

 ミーシャは反射的に振り返る先に「それ」は、いた。

 

 灰色のローブを纏った、影のような男。

顔は見えない。フードの奥には、まるで光すら届かない深淵があった。

だが、見えないはずのその瞳が、痛いほど彼女に突き刺さってくる。

 

 最も異様だったのは、その右手。

煤け、ざらつき、まるで生きた闇が形を成したかのような、黒い手。

輪郭は曖昧で、常に揺らいでいるのに、そこには不気味な実在感があった。

その手が、ゆっくりと――音もなく、空気を裂くように、彼女へと伸びてきていた。

 

 恐怖が、悲鳴よりも先に、全身を貫いた。

 

 彼女は逃げようとした。足に力を入れた。

だが、動かない。

声も出ない。喉が焼けつくように乾いていた。

 

 それは、音もなく、光も拒み、ただそこに、在り続けていた。

 

 そして――その手が触れた瞬間。

ミーシャの意識は、黒い水の中に沈むように、ぷつりと、途切れた。

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「……そして、目を覚ました時……私はこの世界にいました。

あのとき、最後に現れたあの男――あれが、間違いなく……第二の術者です」

 

 ミーシャは、そっと両手を胸の前で組み、指を静かに絡めた。

そのまま、深く、静かに息を整える。

その姿は――まるで、自らの手で絶ってしまった二人の仲間の魂に、ひそやかな祈りを捧げているようにも見えた。

 

「……それ以来、わたしは攻撃術式を準備していません」

 

 ミーシャの言葉は、静寂の中に凛と響いた。

それは、自分のすべて――心の奥底から掬い上げたものを、そのまま差し出すような声だった。

 

「どれほど訓練されていても、どれほど効果的でも……また、誰かを傷つけてしまうかもしれない。

そして――自分が、人を……仲間の命を奪ってしまった。そのことが知られたら、きっと、皆さんに拒まれる。

そう思って……理由を言うことも、できませんでした」

 

 ミーシャは組んでいた指を離し両手を広げる。それは第二小隊の皆を包むようであった。

 

「……でも、もう逃げません」

 

 その一言に、言い知れぬ強さが宿っていた。

柔らかく、けれど芯のある声音。迷いは消えていた。

 

「この場所で、信じてくれる人たちに出会って……

戦い方を選んでいいって、教えてくれた人たちがいて……

だから、私のすべてを知ってもらいました。

それでも……このような私でも受け入れてくれるなら――ただ、それだけで十分です」

 

 言い終えて、ミーシャはゆっくりと一礼した。

その動作は震えず、真っ直ぐで、ただ静かだった。

 

 沈黙が訪れた。

しかしそれは重苦しいものではない。

誰もが、彼女の語った言葉を心に受け止め、今まさにその意味を確かめている――そんな、思慮深い沈黙だった。

 

 ミーシャ・アウレリアの過去は、この場で明かされ、第二小隊の今へと引き継がれた。

 やがて、泉野明が口を開いた。

その声は、普段の張りのあるものではなく、どこか柔らかく、少しだけ震えていた。

 

「ミーシャちゃん。……ありがとう。話してくれて」

 

 その言葉は、会議室に満ちていた張り詰めた空気を、ほんの少し、和らげた。

誰かが椅子を静かに引く音がした。それは、拒絶でも同情でもない、確かな受け入れの動作だった。

 

 続くように、太田が、重たく腕を組んだまま、ゆっくりと前を見据える。

普段の豪快な口ぶりとは違い、低く、真剣な声だった。

 

「……巡査。お前が人の命を絶ったというのは事実だ。それは決して忘れるな。

だが――その命を背負って、それでも人を守る警官を続けるというなら。

俺はお前を、俺たちの戦力として見る。……それだけだ」

 

 誰も冗談を言わなかった。

けれど、その静けさの中に、新たなつながりが生まれつつあることが、空気に溶け込むように伝わってきた。

 

 だが、進士だけは何かを言いかけたまま、わずかに口を開いては閉じ、思考をめぐらせている様子だった。

周囲の沈黙を壊さないよう、言葉を選びながら、それでも伝えるべきことがあると感じているのが、その表情から滲んでいた。

 

 やがて彼は、控えめに、けれどはっきりと口を開いた。

 

「……バックアップとしての意見ですけど……やはり、何かの対策は必要だと思います」

 

 その声に、周囲の視線が自然と集まる。

だが進士は視線を泳がせることなく、まっすぐに前を見据えていた。

ミーシャから目をそらすことも、気まずさを見せることもなかった。

 

「アウレリアさんが攻撃術式を使わなくなった理由は、今の話で十分伝わりました。

でも……現場では、何が起きるかわかりません。判断を誤る余地がなくても、危機は訪れます。

なにせ、もう一人犯罪行為に手を染めている術師が確認されたばかりです。

もしもの時に備えるのは、誰にとっても責任だと思います」

 

 静かだが芯のある進士の言葉に、ミーシャはしばらく沈黙し、そしてゆっくりと唇を引き結んだ。

その瞳には迷いも戸惑いもなく、ただ、受け止める覚悟だけがあった。

 

 少しだけうつむいて、それでもはっきりとした声で答える。

 

「……その時は、思いきり殴ってください。あるいは、抑え込んで。口をふさいでください

私なら、物理的に無力化するのが一番です。術式は……動作と詠唱がなければ発動しませんから」

 

 一瞬、会議室内に微かなざわめきが走る。

けれど、すぐにその空気を和らげたのは、山崎のふっと漏らしたような苦笑だった。

 

「了解です。じゃあ、その役目……僕が引き受けますよ。

まあ、さすがに本気で殴るわけにはいきませんから――ちゃんと動きを封じる方法、考えておきます。

暴れる人を抑えるのは太田さんで慣れていますし、ミーシャさんくらいなら、たぶん何とか」

 

 言葉には冗談めいた軽やかさがあったが、その表情には曇りのない真剣さが宿っていた。

さすがの太田もこの場の空気を察して大人しくしている中、彼は「任せてください」とでも言いたげに、そっとミーシャを見つめた。

その眼差しには、やさしさと同時に、確かな責任感が滲んでいた。

 

 重い話の末に生まれたそのやりとりは、硬直した空気を少しほぐし、

会議室にほんの少しだけ、穏やかな温度を取り戻させていた。

 

 そして――

 

「……なあ、ミーシャちゃん。今まで誰も聞いてこなかったことがあるんだ」

 

 不意に、遊馬が手を後ろに回し、少し困ったように頭をかいた。

ふだんの軽口よりも、どこか遠慮がちで、それでいてどうしても気になってしまったという表情だ。

 

「さっき、三十年って言ってたけど……その……いや、あの、聞き方が悪いかもだけど、つまり……ええと、何歳なの?」

 

 その問いに、泉が「ちょっ、それ今聞く!?」と反射的に声を上げかけた。

常識的にアウトだと言いたげな目を遊馬に向けるが、ミーシャはまったく気にした様子もなく、素直に首を傾げた。

 

「え? わたし、ですか? ……ええと、今は、百の節目を超えて十二巡りです」

 

 一瞬、空気が凍った。全員が、何かの冗談かと思って目を丸くする……沈黙。

 

 次の瞬間――

 

「……百しっ!? ええっ!? ちょ、え!? おばあ……あ、いや、あの、なんていうか……」

 

 泉が盛大にうろたえた。両手がわたわたと宙を泳ぎ、言葉が空転する。

遊馬も口をぱくぱくさせるが、音にならない。脳が追いつかないのか、ただ目を見開いて固まっている。

 

 一方で、太田はまるで一人だけ納得したように腕を組み直し、うんうんと深く頷いた。

 

「……なるほどな。意外な術式の深みはそこから来ていたのか。百十二歳、貫禄が違うな」

「お、太田さん、そんなふうに納得されても……!」

 

 進士も思わず眼鏡を押し上げながら、珍しく冗談めかした口調を返す。

 

「それでは、年下ながらバックアップをこれからも務めさせていただきます」

「ちょ、進士さんまで。そういうこと言う人じゃないのでは?」

 

 慌てるミーシャを尻目に、泉が呆れ半分で進士を振り返るが、どこか笑いがにじんでいた。

山崎だけは変わらぬ穏やかな笑顔のまま、小さくひとこと添えた。

 

「じゃあ……ミーシャさん、うちで一番の年長者ですね。敬意を込めて、大切にします」

 

 その一言に、ミーシャはぽかんとした表情を浮かべたが、すぐに口元を手で隠すようにして、ふっと笑みをこぼした。

 

「……もう、好きにしてください……」

 

 その笑顔を受けて、静かに聞いていた熊耳が、纏めるように発言する。

 

「……いいわよもう。アウレリア巡査は年上の新人ってことで、納得しておきましょうか」

 

 その一言に、場が和やかに笑いで満たされる。

 

 ミーシャはほんの少し照れたように目を伏せながら、それでも真っすぐに言った。

 

「……ありがとうございます。えっと……これからも、新人として、がんばります」

 

 そして、今まで一言も発していなかった後藤隊長が、ようやく口を開いた。

 

「巡査、前に言っただろ。気がついたら、そいつがそばにいる。それだけのことさ」

 

 後藤はそれだけ言うとポケットからタバコを取り出し、会議室の外へと歩いていった。

 

 

 後日、術式運用マニュアルには以下の項目が追加されることとなった。

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【第3章 展開要件と支援条件】

第5条の2(戦術連携 術者暴走時の対応)

 

1.術者が精神的動揺または術式干渉等により味方識別能力を喪失し、敵対的行動を取る恐れがある場合、以下の通り物理的抑止を行う。

 

2.現場における術者の無力化は、術者の事前同意に基づく措置として以下の方法を許可する:

 ① 物理的拘束(複数名による後方制圧/制圧用ネット/束縛具)

 ② 催涙ガス等の抑止剤(術者の呼吸制御を一時的に妨害)

 ③ 術式詠唱阻止のための口部遮断(口元を覆う、手で押さえる等の非致傷的措置)

 

3.上記の抑止措置は、支援担当者または指定補助者により実施されること。

 支援体制は作戦前の術式構成申告時に併せて登録する。

 

4.無力化措置実施後は、術者の身体的・精神的状態を確認し、必要に応じて医療・休養措置を直ちに講じること。

 

備考欄(草案脚注)

※アウレリア巡査本人の了承に基づく

「いざとなったら、ガスでもなんでも使ってください。止まれなくなった時、一番怖いのは自分自身です」

 

 

 

 夜の湾岸には、海からの風がゆるやかに吹いていた。

昼間の騒がしさがすっかり影を潜めた特車二課の庁舎は、今や静寂の帳に包まれている。

建物の隅々までが眠りについたようなその空間で、ひときわ静かな明かりがひとつ、宿直棟の一室に灯っていた。

その部屋の主は、ミーシャ・アウレリアだった。

 

 貸与された簡素な机には、彼女が読みかけのまま閉じた日本語参考書と、丁寧に開かれたノートが置かれている。

ページの隅には彼女の手による流麗な漢字の練習跡が並び、繊細な筆圧が文字のひとつひとつに気配を残していた。

その横に添えられているのは、整備班の誰かが「楽しみながら文化に触れられるぞ」と笑って貸してくれた一冊の漫画――アンドロイドが写真部に入部する、少し不思議で賑やかな学園コメディだった。

 

 蛍光灯は点けられていなかった。机を照らしているのは、小型スタンドが落とす橙色の静かな光。

しかし、エルフであるミーシャにとっては、それで十分だった。

人間よりも夜目が利くその視力は、小さな灯りさえあれば周囲をはっきりと捉えることができる。

 

 その柔らかな光は、まるで星明かりのように穏やかで、室内の空気までも優しく染め上げていた。

何ページかノートを消費した時、控えめなノックの音が部屋に響いた。乾いた音が二回、小さく。

 

「ミーシャちゃん、起きてる? ……あ、ミーシャちゃんの場合は“瞑想中”だったね」

 

 少しだけ驚いたようにノートに向けられていた顔を離し、身を起こしたミーシャは、そっと体を整えると、小さく頷いて返事をした。

扉が静かに開き、そこから泉野明が顔をのぞかせる。手には缶が二つ、そのうちの一つをすっと差し出した。

 

「いる? 自販機でやっと売り切れだった温かいココア入ってきたからさ」

 

 手渡されたその温もりに、ミーシャは一瞬戸惑ったような表情を浮かべたが、すぐに柔らかな笑みを浮かべて小さく頭を下げた。

 

「……ありがとうございます」

 

 泉は勝手知ったる様子で部屋に入ると、壁際の折り畳み椅子を組み上げ、軽やかに腰を下ろした。

スタンドの灯りが、ふたりの表情をそっと照らす。外では風の音が遠く流れ、室内にはやさしい沈黙がしばらく漂った。

 

 やがて、ミーシャの声がその静寂に浮かんだ。

 

「今日の話、驚きました?」

 

 問いかけるようでも、独り言のようでもあった。

目を伏せたままのその声に、泉はココアをひと口啜ると、手を膝の上に置き直し、ゆっくりと口を開いた。

 

「私はさ、警察官だから……もしかしたら、いつか人に銃を向ける日が来るかもしれない。

どれだけ訓練されてても、正当な理由があっても、後味が悪いことになると思う」

 

 その声音は、夜の静けさと同じくらい穏やかだった。熱を持たず、しかし確かな重みを伴った声。

 

「でもね、ミーシャちゃん。

命を奪ったかどうかじゃなくて――そのあと、どうやってそれと向き合って生きていくか、なんだと思うよ」

 

 ミーシャは小さく、目を見開いた。けれど、泉の目は変わらないまま、彼女の瞳をまっすぐに見つめていた。

 

「それでも一緒にいたいって思える相手なら、私は横にいてあげる。ミーシャちゃんがどんな過去を持っててもさ」

 

 泉はそっと目を伏せ、膝の上に両手を重ねた。そして、ひと息置いて言葉を続ける。

 

「あっちの世界でそういうことがあったのは、わかる。

でも、ミーシャちゃんは……その後、ずっと考えてきたんだよね?」

 

「……はい。忘れようとしても、忘れられません。二人の顔も、言葉も……いつも心の片隅にいます」

 

 その言葉に、泉はふっと小さく、けれど嬉しそうに微笑んだ。

 

「なら、大丈夫だよ」

 

 ミーシャが顔を上げる。泉の眼差しは、揺るぎないまま、あたたかくそこにあった。

 

「それでも自分の中で『誰かのために何ができるか』を考えてるんでしょ? だったら、ミーシャちゃんはちゃんと前に進んでるってことだよ」

 

 まるで迷いを包むようなその言葉は、飾り気も理屈もなく、ただまっすぐに胸に届いた。

 

「……でも、それでも、わたしが罪を背負っていることに、変わりはないんです」

 

 ミーシャの声は、今にも消え入りそうなほど細かった。

けれど、その瞬間。泉はその言葉を遮るように、力強く語りかけた。

 

「だったら、背負ったままでいいんだよ。無理に軽くしようとしなくていい。みんなで、分け合おうよ」

 

 そして、ミーシャの心に言い聞かせるように丁寧に続けた。

 

「前に、私も後藤さんに言われたことがあるんだ。『一人で背負わなくていい、みんなで背負っちまえばいいのさ』って*1

 

 泉は、かつて自分が受け取った言葉を、今度はミーシャに手渡すように、そっと語る。

 

「……みんなで……」

 

 ミーシャは、胸の奥でゆっくりとその言葉を反芻した。

――まるで、受け取った想いを決して手放さないように。

 

「そう。私たちはそういう過去を抱えたまま、誰かと笑っていけるようにするのが、生きるってことなんじゃないかなって思う」

 

 部屋の中が、ふたたび静まり返った。

その静けさに抗議するように、どこか遠くの船が、夜の闇を切り開く様に音をひとつ鳴らした。

ミーシャの瞳の奥の光はじんわり滲んでいた。

 

「野明さん……」

 

 心の奥底に長く沈んでいた想いが、ようやく形を成し、浮かび上がってきた――その実感とともに、ミーシャは泉に問いかけた。

 

「ん?」

 

 泉がやわらかく返す。そして、急かさず、続きを待つように見守っていた。

 

「わたし……あなたと、友達でいても、いいでしょうか?」

 

 その問いは、まるで深い湖の底からすくい上げられた宝石のようだった。

静かで、小さくて――けれど、真に重みを持つ言葉。

泉は、これ以上ないほどの朗らかな笑みを浮かべた。

 

「もちろん。もう友達でしょ?」

 

 そう言って、軽くミーシャの手をぎゅっと握る。

ミーシャは、泉のそのやさしさに目を閉じ、小さく頷く。

 

「野明さん……いつも明るくて元気な人ですけど……やっぱり、時々お姉さんです」

「もぅ……百歳超えた後輩に言われちゃ、かなわないなぁ」

 

 結ばれた手の中には、遠い世界から来た者と、この地に生きる者が、そっと心を寄せ合った――その温もりが、確かに宿っていた。

*1
サンデーコミックス18巻 第18話 崩壊




サンエルフ
特徴
肌は金色または銅色を帯びる傾向が強く、髪色は金、銅、黒などが一般的。瞳の色は金や緑が多く、外見全体に他のエルフ以上の気品を備える。

文化・性格
魔法、芸術、学問を重んじる伝統的な文化を持ち、エルフ社会において最も「高貴な血統」とされる存在。純血主義的傾向があり、他種族や他のエルフに対して優越意識を抱くこともある。保守的で格式を重視し、古き価値観を保持し続ける姿勢が顕著。

居住地
フェイルーンでは、強力な魔法障壁に守られたエルフの都市国家に定住。外界との接触は限定的で、閉鎖的な傾向が強い。

能力・傾向
魔法適性が高く、特にウィザードとしての資質に秀でる。芸術家や学者としても高い評価を受ける。非常に長命で、平均寿命は数百年から千年を超える例もある。

他のエルフとの比較
ムーンエルフが冒険や変化を好む性質を持つのに対し、サンエルフは伝統と秩序を重視する傾向が強い。
ウッドエルフ、シーエルフなど自然に根ざした種族と比較すると、都市文化および魔法文明への適応度が高く、洗練された社会構造を築く。

総括
サンエルフは、フェイルーンにおける高貴かつ格式あるエルフ種族。
魔法・芸術・学問に卓越し、エルフ社会の上層を構成する存在として知られる。
その誇り高さと伝統への執着は、尊敬と反感の両面を引き起こす要因ともなっている。

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《ファイアーボール》 ―― 火球
呪文レベル:3レベル
キャスト時間:1アクション
射程:150フィート
範囲:指定した地点を中心とした半径20フィートの球体
コンポーネント:詠唱(V)、身振り(S)、材料(M:物質:硫黄と蝙蝠の糞を混ぜて丸めた物)
持続時間:瞬間
効果
火の光の点を目標の地点で発生させ、それが腹に響く轟音と共に火炎が爆裂して半径20フィート(約6メートル)の球形の炎を生じる。
範囲内のすべてのクリーチャーは8d6の火ダメージを与える。
敏捷度セーヴに成功でダメージは半減する。
この炎は角を回り込んで広がる。
範囲内の可燃物(着用・所持されていないもの)は着火する。
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