機動警察パトレイバー:魔法少女、特車二課に着任す 作:ゆきざかな
警視庁本庁舎の一角――捜査一課の第二会議室には、今はふたりの気配だけがあった。
曜日の感覚すら薄れるほど日々がせわしなく過ぎるなかで、ようやく確保できたわずかな空白時間。
昼下がりの光が窓から差し込み、蛍光灯の白い光と混ざり合いながら、会議室の空気をややぼんやりと包んでいる。
テーブルの上には、コンビニのビニール袋から取り出された弁当とお湯の入ったカップ麺、二つのペットボトルの緑茶。
向こうでは誰かが慌ただしく電話対応をしているらしく、低く抑えた声が壁越しに微かに響いてくる。
時折、外から軽い足音も混じり、完全な静寂には程遠いが、それでもこの室内は休息の名をかろうじて保っていた。
丸テーブルを挟んで向かい合って座るのは、松井警部補と風杜刑事。
二人とも、午前中に外回りを終えて戻ってきたばかりだ。
書類の束をいったん机の端に寄せ、弁当のパッケージを無言で開いたあと、ようやく一息ついたところだった。
松井は背もたれに体を預け、黙って視線を泳がせている。
風杜は弁当の蓋を開けたものの、箸をつける気配はない。
代わりに、目だけが所在なげに天井を見つめ、額にはかすかな疲労の影が浮かんでいた。
静かに回る空調の風が、現実とその受け止め方の温度差を、そっとなだめるように流れていた。
「……で、どう思った?」
沈黙を破ったのは、松井だった。
割り箸を指先でくるくると回しながら、カップ麺に目を向けたまま、投げかけられた問いだった。
その声には、ごくわずかに警戒がにじんでいる。
「……正直、信じたくないですよ。言葉と動作だけで金庫を壊す? それに、人の思考を誘導するなんて……下手な脅しよりよっぽど質が悪い」
いつもの軽口めいた調子がなかった。
見たもの、聞いたこと、それに対する感情が整理しきれずに滲み出ていた。
「だよなぁ」
松井がそれが当然といった感想を漏らす。
やや乾きかけた喉を、ペットボトルの緑茶で潤す。
背後のホワイトボードには、昨日の別事件の捜査会議で書かれた走り書きが、まだそのまま残っていた。
赤や青のマーカーが引いた矢印とキーワードの群れ。その一つひとつが、現実の事件であり、誰かの行動記録だった。
だが、今日話している対象は、それとはまるで質の違う何かだった。
「でもさ、俺は――あの娘が嘘をついてるとは思わなかったな」
「ミーシャ・アウレリア巡査……ですか」
松井の問いに風杜が小さく問い返す。
その名前を口にしたとき、声にはどこかで引っかかりを感じるようなブレが混じっていた。
疑っているわけではない。ただ、納得できない気持ちが、彼の中に残っていた。
「丁寧だっただろ。受け答えも、言葉選びも。完全に現場の人間の喋り方だった。
あれだけ異常なことを話してるのに、こちらが判断しやすいように整理されてた。
……仕事として話している」
それは賞賛というより、確認に近い言い回しだった。
ミーシャは、嘘を並べている人間のものではなかったことは、二人とも理解していた。
「なるほど……任用で、正規の訓練も行われていない、配属間もない新人と聞いたけど、
ちゃんと規律と秩序に従う『警察官』だったってことですか」
松井は黙ってうなずき、一拍の間を置く。
その沈黙が、言葉より雄弁に、彼の感想を物語っていた
「そうだ今回の話は事実だ、だから怖いんだよ」
風杜は返す言葉に詰まり、しばらく黙ったまま、目の前の弁当にようやく手を伸ばした。
箸を取ってもすぐには動かさず、白いご飯の端を無意識に突くようにして呟く。
「……今回の黒い手の男、ですよね」
「そうだ。あれは、巡査の反転形みたいなもんだ。力を持って、規律の外に出た人間だ」
その言葉には、嫌悪よりも冷静な分析がこもっていた。
ただの怪異としてではなく、現実の脅威として見ている刑事の声だった。
「……術式犯罪に対処できるのは、術式持ちの警官……」
「それが皮肉な話さ。あの子みたいな爆弾を、こっちがちゃんと管理してなきゃ、街の中で別の爆弾と出会ったとき、誰も止められねぇ」
そう口にした松井の表情は、手にしていた緑茶よりもずっと苦かった。
どれほど正義を掲げたところで、力とは常に管理すべき対象に過ぎない――
その言葉には、警察という組織の本質が、皮肉にも濃縮されていた。
風杜は、短く息をついた。言葉というより、肺の底から零れた熱のない呼気だった。
「黒い手の男の目的……見えてきませんね」
「……ああ。でも、巡査に手を伸ばしてたってことだけは、確かだ。彼女を起点に動きがあるかもな」
沈黙のあと、松井がようやくカップ麺の蓋をめくり、冷めた湯気を顔に受けた。
「まったく……特車二課ってのは、ほんとに魔窟だよ。正義の鉄の巨人に、魔法少女かよ」
嘆息まじりに吐いた言葉だったが、そこには呆れと同時に、愛着めいたものも感じられた。
風杜は、静かに箸を持ち直し、焼き鯖の一切れにそっと手をつけながら言う。
「……でも俺、あの子って多分、すごく普通の女の子なんじゃないかって思うんですよ。
真面目で、不器用で、それでも誰かの役に立ちたいって――そういう、ただの普通の人」
そこには、刑事としての観察から得た理解と、一人の人間としての共感が入り混じっていた。
松井は、麺をすする箸の動きを止め、うなずいた。
「……そうだな。それには異論はないな」
そう言ってからは、二人とも黙って食事に向き直った。
向かい合う前に松井が残した一言は、現場の人間ならではの誠実さがにじむ、一滴の雫だった。
食事を食べ終え、残った汁もすっかり冷めてきたころ、松井がぽつりと口を開いた。
「……で、例の子、泉巡査だっけ? 彼女にはもう声かけてないのか?」
その問いに、風杜は弁当のふたを閉じる動きを止めた。
少し視線を逸らしながら、口元だけで苦笑をつくる。
「諦めましたよ。全然、脈ありませんでした」
「俺の言ったとおりだろ? 仕事が面白くて仕方がない時期だってさ」
松井はそれ見たことかという表情で、緑茶のキャップを回す。
「そうです。完全にイングラムと同期してる感じですよ。恋より警報ランプの方が優先順位高いですから」
風杜の口ぶりには、諦めというよりも、むしろ感心に近い何かがあった。
松井は、ふと間を置いて、少し声を落とす。
「じゃあ……アウレリア巡査は?」
問いは軽く投げたつもりだったが、空気が一瞬だけ変わる。
「……やめときますよ」
風杜は即答した。
「確かに見た目は……まあ、文字通り人間離れしてる美しさで、ちょっと惹かれますが、目立ちすぎますよ、あの人。
それにあの力と出自、興味本位の軽い気持で個人的に関わっちゃいけないですよ」
風杜は少し間を置いて、口調を改める。
「書類、見ましたよね、松井さん。
『経歴、非公開』『生年、非公開』『本籍、非公開』――ページの半分が黒塗りです」
松井が口元をほぐすように小さく笑った。
「まあ、仰々しいほどの機密扱いだ」
風杜は、まるで蜃気楼でも見るかのような、どこか現実味の薄い口調で続けた。
「機密っていうか、存在の定義からして曖昧なんですよ。
書面上は警察官って書いてありますけど、実態は――存在証明済みの現象、みたいなもんです」
松井は、どこか呆れと感心が混ざったような笑みを浮かべた。
「……そんな人物を、後藤さんはいつもどおりの顔で使ってるんだ」
「さすが特車二課。異常者の楽園って言われるだけありますよ」
冗談めいた口ぶりの中にも、どこか投げやりな響きが滲んでいた。
投げやりな思いをそのまま引きずりながら、風杜はひとつの推測を口にした。
「……いまいち彼女に壁があるのは、そういうところかもしれませんね」
あまりに多くを隠さなければならない存在。
何もかもを明かすことができない立場。
そんな彼女が、他人と自然に距離を取るのも当然のことだ――風杜の言葉には、どこか理解と諦めの入り混じった響きがあった。
「でも――その壁が取り払われたら、多分……進化するぞ、第二小隊は」
それは、刑事としての勘に過ぎない――だが、根拠はないが妙に確信めいた予言だった。
風杜が弁当箱のごみを片手に立ち上がり、軽く背伸びをした。
「……じゃ、行きますか。聞き込みの続き」
「おう。どこに潜んでるか見当もつかねぇが……足で探るしかないな」
松井も立ち上がり、空の容器とペットボトルを風杜に投げてよこすと、手早く資料をかき集めてファイルに収めた。
ふたりは軽くうなずき合い、手帳を懐に戻すと、無言のままドアへと向かった。
会議室の扉が音もなく開く。
――そして、まだ終わらない異常の捜査へと、ふたりは再び歩き出す。
◆
ここは、都心から少し外れた廃病院の一室。
外壁は崩れかけ、ガラスはひび割れ、風が吹けば錆びた鉄扉が軋んで鳴る。
フェンスで囲われてはいるものの、警備の気配は皆無。
夕方手前とはいえ、まだ明るい時間帯にもかかわらず、そこに近づこうとする者は誰ひとりいなかった。
肝試しですら避けられるほど、不穏さと死の気配が沈殿した場所だった。
そしてその病室。
本来であれば、傾きかけた日の光が割れた窓から差し込んでいるはずの時間帯にもかかわらず、外からの一切の光が存在しなかった。
この部屋のすべての窓は内側から板で打ち付けられ、内側から黒布のような何かが張り付いている。
まるでこの一室だけが、世界から切り離されたかのように、すべての光を拒絶していた。
部屋の片隅にひと筋の光が灯っている。
それは燭台の炎でも、蛍光灯の明かりでもなかった。
青白いその光は、まるで湖底から立ち昇る亡霊の残滓のようだった。
そして、汚れた木製の机にぽつんと置かれた水晶球には、光の揺らぎとともに、映像が浮かび上がっていた。
水晶の中に映っているのは、一人の少女だった。
制服に身を包み、茶の髪を丁寧に束る鋭い耳を持つ少女、オフィスの机に向かって何かの本に向かって真剣な眼差しを注いでいる。
――誰かと笑い合いながら、少女はそこに在った。
それを、放置されてすっかり薄汚れた椅子に座りじっと見下ろしている男がいた。
フードに包まれたその顔は影に沈み、その輪郭すら判然としない。
灰色の外套の裾は椅子の下に流れ落ち、その太ももには重々しい皮装丁の魔導書が鎮座している。
そして、椅子の肘掛けに置かれた右手――それはまるで、闇そのものをかたどったかのように、漆黒に染まっていた。
「――ふぅん」
男は、低く、まるで呟くように言った。
その声は空気を震わせるでもなく、ただ部屋の中を這うように響く。
「エルフの魔術師が、今は警官か……」
彼が〈ミーシャ・アウレリア〉という存在を初めて知ったのは、ソードコーストの、とある小さな街だった。
その日、《
日用品を求めて街へ出ていたものの、心の内では仕える神への教義を思い描いていた。
だが、その信仰心もどこか曖昧で、理想と現実のあいだでぼんやりと輪郭が揺れている。
彼は、偉大なるクレリックの助教として仕えていたものの、その役目も、いまひとつ身につかなかった――信じきることも、教えを形にすることもできない、半端な男だった。
だが、通りの角を曲がった瞬間、男の足がふと止まった。
小さな広場の片隅、一人の若いエルフの少女が立ち止まっていた。
買ったばかりの装備を両手でそっと持ち上げ、陽の光にかざしては、その重みや質感を確かめる。
慣れない手つきでベルトを締め直しながら、少女の顔には少しだけ誇らしげな、そしてほんの少し不安そうな表情が浮かんでいた。
茶色い髪が陽光に揺れ、魔術師のローブに身を包んだその姿は、エルフ特有の繊細さに加えて、ひときわ目を引く整った造形をしていた。
だが、男の視線を引きつけたのは、その外見以上のものだった。
少女の瞳には、曇りのない光が宿っていた。何の疑いもなく世界を信じているような、まっすぐで危うい輝き。
それは、傲慢で知られるサン・エルフの成人としては、およそ考えられないほど無防備で、そして無垢な眼差しだった。
男は、しばし言葉もなく、その様子を見つめていた。
無邪気な口元や、どこか仰々しいほど真剣な身振り――
そこには、まだ世界の傷を知らない者だけが持つ、幼さと稚拙さが漂っていた。
――壊してみたくなる。
無知と無垢と無謀が織りなす、未熟で完璧な美しさ。
それが崩れる瞬間、どんな音がするのか。どんな表情を浮かべるのか。
確かめたくなってしまうような、底知れない魅力が、そこにはあった。
男の中に、何かが芽生えた。興味。執着。歪んだ愉悦。
それはまるで、はじめから彼女が自分のために用意された存在であったかのように、ごく自然に――けれど狂気的に――彼の中へ染み込んでいった。
それから彼は、決して彼女に直接干渉せず、ただ影の中から観察を続けた。
彼女がどの宿に泊まり、どんな食事を行い、どんな人と出会ったか。彼女の紡ぐ言葉の端々までを、丹念に拾い集めていった。
まるで調律前の楽器を手にした奏者のように、彼女という存在を貪るまで瞬間を、時間をかけて調べていたのだ。
やがて、ミーシャが初めて本格的な迷宮探索に挑むと知ったとき――
男は、迷うことなくそのあとをつけた。
直接姿を見せることはない。音も、気配も、霧のように隠す。
ただ、確実に、すぐそばにいた。彼女がどこに足を置き、何に反応し、仲間とどう言葉を交わすか――すべてを把握していた。
そして、彼は――待っていた。
少女が足を滑らせるその瞬間を。
信頼にわずかな綻びが生まれ、判断が鈍り、心の中の光が陰に染まる一秒を。
それは偶然ではなく、仕組まれた破綻だった。
不和がちょうど熟した頃合いを見計らい、男は召喚した魔物を迷宮の奥へとけしかけた。
ただし、それは正面からではない。彼はあえて、隊列の最後尾――ミーシャの背後から魔物を差し向けたのだ。
その意図は明白だった。
不信感でいっぱいの連携ままならぬパーティーの背後から襲撃させれば、仲間たちはミーシャを見捨てて逃げ出すだろう。
つまり、ミーシャを一度パーティーから孤立させることが狙いだ。
そして実際、彼女が遅れて隊から、はぐれた時など――うまくいきすぎて笑いを堪えるのに必死だった。
そして、合流しようとしたその刹那――男は呪文《
その瞬間、二人の姿を包み隠すように、ディスプレイサー・ビーストを模した巨大なモンスターの幻影が覆いかぶさった。
ミーシャの眼には、それは襲い来る敵として、はっきりと映し出される。
その影の内側に、仲間がいるとは知らぬままに。
彼女が魔法を使えば、誰かが死ぬ――それが避けられぬ状況として整えられていた。
そして、仲間が状況を理解する間もなく、彼女は応えた。訓練された動作で、詠唱し、放ち、焼き払った。
かくして、哀れなエルフの少女は自らの手で味方を殺すこととなったのだ。
それが、彼にとって――最も甘美な瞬間だった。
後悔が、恐怖が、罪が。ミーシャ・アウレリアという存在の奥深くに、決して消えない傷として焼きつけられたのだ。
そして今もなお、あの時の彼女の顔が、男の脳裏から離れない。
涙と混乱、理解と否認、その狭間で崩れ落ちたときの音――あれこそが、最高の悦楽だった。
だが、水晶の中のミーシャは、微笑んでいた。
隣には同僚の女性。寄り添いながら談笑するその姿は、まるで長い時をともに過ごした姉妹のように穏やかで、無防備だった。
男はその光景に鼻を鳴らし、冷笑を浮かべる。
市民を守る――水晶越しに届いたその言葉が、男の胸の奥を静かに、しかし確実に苛立たせた。
徹底的に行ったはずだった。
執念深く機会を待ち、状況を作り、自らの手で仲間を殺させ、その記憶を刻み付けた。
絶望と後悔に沈め、二度と心が浮かばれないように封じたはずだった。
それなのに――なぜ、まだ笑っていられる? なぜ、そんな目で前を向くことができる?
男の喉の奥に、苦々しさが込み上げた。
まっすぐすぎる。だからこそ折れやすいと思っていた。砕けた破片の輝きを楽しむはずだった。
だが、それは見誤りだったのか? それとも――まだ足りなかったということか。
男の視線が鋭さを増す。水晶の向こうのミーシャを見据える瞳に、再び歪んだ熱が宿っていく。
折れたと信じた魂が、再び立ち上がるというのなら――
ならば、もう一度。今度こそ、二度と立ち上がれぬように、徹底的に、砕き尽くすまで。
その思いが胸の奥から湧き上がった瞬間、男の唇がわずかに吊り上がる。
「……ふっ」
それがすぐに、こみ上げるような笑いに変わっていく。
喉の奥で熱を帯びた声が震え、抑えきれず、にじみ出る。
「く……ふ、ふふ……ははっ……」
そして、爆発する。
「ふははははっはははは! あーっはっはっはっはっはっは!!」
狂気にも似た笑いに、部屋の空気が一瞬震えた。
笑いに興じるだけ興じたあと、男は大きく息を吐き、頭を左右に振った。
そして、熱くなった頭を冷やすように息を整え、自嘲気味に肩をすくめた。
「……我ながら、前が見えなくなる癖だけは、どうにもならんな」
思えば、ミーシャのあの顔に夢中になりすぎた――それが唯一の誤算だった。
本来なら、もう少し観察を続けるつもりだった。
壊れかけた少女の精神がどう軋み、どう捩れてゆくのか。
その過程を余すところなく味わうはずだった。
男は、距離を取っていたはずだった。
だが、ミーシャの表情に見入って近づいて直接触れようとしてしまった。
まさかあれほどまでに、魅力的な苦悶の顔を見せるとは。
その一瞬の油断が命取りとなった。
彼女が放った一撃――あの《ファイアーボール》は、誤って仲間の命を奪うだけでなく、迷宮の最奥部に封じられていた古代の転移術式を、同時に発動させてしまった。
あれは、一度きりの魔法だった。
男の記憶にある限り、構成は非常に古い。
おそらく、最後の手段として残されていた、誰にも追跡されることのない未知の次元への避難装置――その発動条件が、偶然にも満たされてしまったのだ。
そして、その条件とは、生け贄。
カリーンとダリオ。
若く、未熟で、それでも未来を信じていた冒険者たち。
彼らの命が、ミーシャの手によって唐突に断たれたその瞬間――遺跡の中心に埋め込まれていた巨大な魔導円が、その封を解いたのだ。
石の壁が震え、床の魔法陣が青白く輝きを放った。
逃げ出そうとした足は、次の瞬間には宙を浮いていた。空間がねじれ、音もなくすべてが吸い込まれてゆく。
瓦礫が落ちる。壁が崩れ、天井が割れた。
だが、男にはもはやそれを視る目すらなかった。
全身を貫いた光が意識を白く塗り潰し――気づけば、この世界にいた。
不可思議な理が支配する異界。
技術も、信仰の体系も、まるで根本から異なる場所。
戻る手段は未だに見えていない。だが、男は気にも留めなかった。
むしろ、運命に感謝すらしていた。
この世界には神という概念が希薄だからだ。
信仰は、ただの建前にすぎず、その力も統制も存在しない。
誰もが自由という幻想を当然のように享受し、疑うことさえしない。
――それこそが、侵略の余地だった。
この地に恐怖による支配をもたらすことができれば、自らの主たる〈ベイン〉――恐怖と専制の神――もきっとこの異界の存在に気づき、救いの手を差し伸べてくれるだろう。
彼はそれを疑わなかった。
自分こそが、この世界に従属の礎を築くために選ばれし先遣なのだと――この新たなる地を、神意で焼きはらう、その最初の穢れ火なのだと。
だが、そのためにはまず――ミーシャ・アウレリア。
彼女を今度こそ壊わさねばならない。
傷は確かに癒えているように見える。だがその周りはどうだ? 仲間はどうだ?
そこに刃を差し込むだけで、心は軋み、魂は歪む。
その裂け目から流れ出る感情――罪、後悔、恐怖――それらすべてが、貴い贄となる。
彼女の慟哭が極限に達するそのとき、心の嘆き一滴一滴こそが、彼の信仰へと捧げられる――聖なる供物となるのだ。
「だから奇麗なままでいてくれよ……愛しい僕の恋人……可憐なエルフさん」
そして次の瞬間、水晶球の光がふっと消えた。まるで、闇がすべてを飲み込んだかのように。
もはや彼の眼差しには、迷いも、余韻も残っていない。ただ確かな意思のみが、冷たく宿っていた。
部屋の隅の青白い光もやがて消え、部屋には深淵のごとき静寂が訪れる。
そして、闇の中にぼんやりと黒く染みるように、浮かぶものだけが残る――《黒手》の印章。
それは、闇の王・ベイン神を表す聖印。そして、この世界に忍び寄る、静かなる侵略の象徴だった。
《ディスガイズ・セルフ》 ―― 変装
呪文レベル:1レベル
キャスト時間:1アクション
射程:自身
コンポーネント:詠唱(V)、身振り(S)
持続時間:1時間
効果:
自分の姿を変える幻術をかける。
呪文の持続時間の間、あなたは自分の衣服・鎧・武器・その他の所持品の見た目を含めて、自分の姿を別のものに視覚的に変えることができる。
自分の身長を最大で1フィート(約30cm)まで大きくしたり小さくしたりすることができ、体型を細くしたり太くしたりもできる。
形状の変化はあなたの体格と同じおおよその構造を保たなければならない。
したがって、例えばあなたが2本腕の人間であれば、4本腕のトログロダイトに変装することはできない。
また、幻影は触れられるとわかる。誰かが幻影の部分を通して何かを触ったり、それを通して何かにぶつかったりした場合、その部位を見た者は幻影であることを感知できる。
クリーチャーがこの幻術を見破ろうとする場合、あなたの呪文セーヴ難易度に対して【知力】〈捜査〉判定を行わせることができる。
成功すれば、そのクリーチャーは幻影を見破り、本当の姿を見ることができる。
《メジャー・イメージ》 ―― 上級幻術
呪文レベル:3レベル
キャスト時間:1アクション
射程:120フィート
範囲:指定した地点を中心とした半径20フィートの球体
コンポーネント:詠唱(V)、身振り(S)、材料(M:物質:羊毛)
持続時間:集中、最長10分
効果:
最大で20フィート立方の物体やクリーチャーや他の視覚的な現象の映像を作り出す。
この映像は持続時間中距離内の術者から見える場所に局所的に現れる。
それは音や臭いや温度が完璧に現実的で描くものに適切である。
術者がその幻の距離内に居る限り、術者はその映像を自身のアクションを使って距離内の別の地点に移動できる。
映像が場所を変えるとして、術者はその外見を自然に移動しているように変化させられる。
その映像への物理的な干渉は、すり抜けてしまうためそれが幻影だとばれてしまう。
アクションを使用してその映像を見抜こうとするクリーチャーは術者の呪文セーヴ難易度に対する【知力】〈探索〉判定に成功することでそれが幻影だと特定できる。
---------
ベイン
「フォーゴトン・レルム」における、「専制」「恐怖」「圧政」を司る強大な悪の神。
属性:ローフル・イービル(秩序にして悪)
主な領域:支配、恐怖、暴政、野心
信者:野心家、権力志向の者、秩序を重んじつつも他者を支配したい者、荒野に法をもたらそうとする者など。
性格・信仰の特徴
・支配と恐怖を重視
ベインの信仰は、力による支配と恐怖による統治を是とする。
彼の名の下に行われた凶行は数知れず、信者たちはしばしば圧政や暴力をもって地域を支配します。
・野心と規律
信者は野心的で、組織的かつ規律を重んじる傾向が強い。
単なる混沌や破壊ではなく、体系的な支配と秩序の維持を追求する。
・堕落の一掃
ベインの名の下で、堕落や無秩序を一掃するという名目で過激な行動を取ることもある。
--------