機動警察パトレイバー:魔法少女、特車二課に着任す 作:ゆきざかな
午前十一時、新宿西口ビジネス街交差点。
その日、空は薄曇りだった。高層ビルの谷間をすり抜ける乾いた風が、地上に滞留する排気ガスと交じり合い、足元をかすめてゆく。
昨日までは、横断歩道の手前にはスーツ姿の会社員たちが横一列に並び、歩道にはせわしなく交錯する足取りが続いていた。
外回り中の営業マン、本社へ戻る秘書、資料袋を抱えた若手社員――
そうした無数の足音が折り重なり、都市の心臓に脈動のリズムを刻んでいたはずだ。
だが――その日だけは、そのリズムが唐突に途絶えていた。
オフィスビル群の中央、交差点のど真ん中。
身の丈8メートルを超える巨影が、地響きを伴ってのそのそと歩いていた。
老朽化した重機型作業レイバー、タイラント2000。
古びた油圧関節はきしみを上げ、装甲のあちこちには剥がれたペイントと、過去の無理な作業の傷跡が露骨に刻まれている。
その巨体が、明らかに制御を失った様子で歩道に突っ込み、ガードレールをへし折り、信号柱を倒しながら、周囲に緩慢な破壊を撒き散らしていた。
ただし、その動きには不気味な間があった。
破壊の勢いが中途半端なのだ。
全力で暴れるならばとっくに、複数人数の負傷者が出ていてもおかしくない。
だがそれは、明らかにやる気の無い軌道で、まるで暴れてみせているだけ――そう、演技のような挙動だった。
「見てくれ。早く止めてくれ」そう言っているようにすら見える。
それが何よりも奇妙だった。
新宿署からの第一報を受け、出動要請を受けたのは特車二課・第二小隊だった。
第一小隊は別件の任務で不在。ならば対応するのは、この面々ということになる。
状況は奇怪だが、動作が緩慢である以上、対処は容易と判断された。
現場では、イングラム二機がすでにタイラントの包囲に入っていた。
「こちら1号機、制圧入ります! タイラントの動き止めるのが先。太田さん、反対側お願い!」
無線越しに響く泉野明の声は、いつものように明るく、そして自信に満ちていた。
その言葉どおり、イングラムはタイラント2000を抑え込み、交差点中央の舗装された道路の上で片膝をついて、その巨体をしっかりと固定している。
後方で軌道変更に備えていた太田機の出番すらないほど、勝負はあっけなく決着した。
術式支援も不要。今回はいつもどおりの事件だ――誰もがそう思いかけた。
イングラム1号機はそのまま左腕を上げ、タイラントハッチ付近へと器用に手を伸ばす。
ハッチの開閉ノブに指をかけ、手首を回す。
金属製の蓋がガコン開き、内部の操縦席が姿を現す。
だが――操縦席の中、搭乗者はうなだれたまま微動だにしなかった。
異変を察した泉は、すぐさまイングラムのハッチを開ける。身を乗り出すようにして、コクピットを覗き込む。
「おーい……警察です。大丈夫ですか?」
泉は機体の外から声をかけたが、返事はなかった。
操縦者はシートに座ったまま、相変わらず頭を下げて微動だにしない。
まるで意識を失っているのか、それとも――何か取り返しのつかないことが起きてしまったのか。
嫌な想像が泉の頭をよぎる。
背筋に冷たいものが走り、泉はわずかに息を呑んだ。
ほんのかすかな胸騒ぎが、静かな現場に広がる。
「もしもーし……? 聞こえますか?」
搭乗者の身体的危機を心配し、再度呼びかける声が、薄曇りの空へ吸い込まれていった。
その様子を、交差点脇のビル屋上真ん中から静かに見下ろすのは、ミーシャだった。
彼女の位置は、封鎖ラインの内側――白いレイバーが眼下に映る高所。
見晴らしの良さ優先で選んだため、その場所には、安全柵すらない。
何とも言えぬよどんだ空気が、肌にじわりとまとわりついていた。
「アウレリアさん。搭乗者は……普通の状態とは思えません。念のため確認した方が良いと思います」
背後から進士の声が届いた。
淡々とした口調の中に、慎重さがにじむ。
現場経験が育んだ違和感。彼はすでにその匂いを嗅ぎ取っていたのだ。
「……はい」
ミーシャは短く答え、両手を胸の前に組む。
ビルの屋上、風を感じるその場所で、彼女は術式の構えをとった。
「
呪文詠唱と共に、周囲の世界がわずかに沈黙する。
最初に感じたのは、ごく淡い波だった。
現場一帯の空気の中に、見えない何かが静かに漂っている。
それは魔力の残滓。ディテクト・マジックの術式が、自らの周囲に発動された痕跡の存在を静かに告げている。
睫毛がかすかに震える。
ミーシャはさらに意識を集中させる。
すると、術式をオーラとして感知できるようになる。
視界の中、作業レイバーの操縦席に――ひときわ強い光が浮かび上がった。
人の輪郭を模した光の塊。そこからは濃密な魔力の染みが、じわりと滲み出している。
術式の系統は――心術。
それは心に対する魔術的な干渉、洗脳、あるいは――誘導を意味していた。
ミーシャの胸が、どくんと跳ねた。
血が逆流するような感覚が駆け抜け、思わず視線が隣へ向く。
そこには、すでに泉野明の姿があった。
イングラムの腕を伝って、タイラントの開いたハッチに片足をかけている。
身を乗り出し、反応のない操縦者を心配そうに覗き込もうとしていた。
考えるよりも早くミーシャは、体が動いていた。
彼女は走り出す。
足音が硬い石床に鳴り響き、制服の裾が風をはらむ。
操縦席の中――うなだれていた男の顔が、がくんと不自然に跳ね上がった。
「――ッ!」
泉が思わずのけぞる。
その眼前、操縦席の中で開かれた男の目は、正気を欠いたように焦点が定まらず、しかし一点だけをまっすぐに見つめていた。
それはまるで、「命令を待つ人形」のような眼だった。
そして――男の胸元が、不自然に揺れた。
服の下から覗いたのは、一本の黒い紐。そこには、光沢を帯びた赤い小珠が一つぶら下がっていた。
ミーシャがそれを見た瞬間、理解が追いついた。
「皆さん! その人から離れてください!」
走りながらミーシャは叫ぶ、進士はそのただならぬ迫力に押され屋上の反対側に移動する。
だが、泉は容易に動くことができない。
男の手が、それを掴む。
次の瞬間――
ガリッ、と乾いた音を立てて、赤いビーズを一本引きちぎった。
その動きは恐ろしいほど機械的で、一切のためらいがなかった。
男の腕がゆっくりと振りかぶられ――叩きつけられる。
――間に合ってくれ。
その想いだけが、ミーシャの胸にあった。
思考が追いつくより早く、彼女の目の前に影が迫っていた。
ミーシャはすでに、縁に足をかけ――そのまま躊躇なく、泉へと跳躍していた。
重力を裂くようにして飛翔するその姿は、まるで空に舞う矢のごとく――。
「野明さん! 私の術式に同意してください!」
泉が振り返る。その視線がミーシャを捉える。だが、言葉を交わす時間はなかった。
ミーシャはそのまま彼女に飛びつくように着地し、抱きしめる。全身で。衝撃を受け止めるように、守るように。
ミーシャの手には術式を刻んだ巻物――スクロールがあった。
腰に備え付けていたスクロールケースから引き抜いたそれは、すでに魔力の熱を帯び、淡く光を脈打っている。
それはただの道具ではない。備えであり、祈りであり――切実な願いを託した、最後の切り札。
その切り札を迷いなく――読み上げた。
「
泉は驚きと混乱のままに、ただミーシャに抱きしめられたまま――その術式に身を預けると同意していた。
詠唱の響きがスクロールを解放し、神秘の理が現実を侵食する。
羊皮紙が青白い光を放ち、空間が軋みを上げて裂けた。
――パキィィィンッ!!
まるで割れた硝子の音のような、乾いた音が現場全体に響き渡る。
二人の身体がまるで画面から切り取られるようにして、光の中へ吸い込まれた。
その直後。
タイラントの操縦席内部で、突如として爆発が起こった。
耳をつんざくような轟音が走る。
内側から吹き出した火球がタイラントの装甲板の隙間を突き破って噴き出す。
炸裂する衝撃波がイングラムの胴体を大きく揺さぶり、赤い閃光が瞬間的に交差点を照らし、炎が空へと伸びる。
爆風が周囲に吹き荒れ、駐車中の車両の窓ガラスが次々に割れ、鋭い破片が雨のように散った。
「なっ――!」
遊馬は反射的に身を伏せ、衝撃に備える。
周囲では警官たちの怒声と悲鳴が入り混じり、ただならぬ空気が一気に現場を包み込む。
「泉! ミーシャ!!」
2号機の太田が叫んだ。怒りと動揺を押し殺した声だった。
だが、そこに二人の姿はなかった。
爆発の炎と煙から離れた先、歩道橋の下――
粉塵で視界が掻き消えている中、波紋のように空気がゆらめいた。
そして、かすかに軋む音と共に、歪んだ空間が弾けるように割れ、半透明の裂け目の中から、ミーシャと泉の二人が吐き出されるように現れた。
《ディメンション・ドア》の転移痕がゆっくりと閉じていく中、
ミーシャは崩れるように地面に膝をつき、その腕の中で泉をしっかりと抱きとめていた。
その細い腕は震えていた。
だが、しっかりと、確かに彼女を守りきっていた。
泉は、ただ呆然と瞳を瞬かせていた。
何が起きたのか、何をされたのか、言葉にできない。
理解は追いつかない。ただ、耳の奥で、自分の鼓動だけが跳ねていた。
生きている。
そう思ったとき、ようやく肺が動き、呼吸が戻ってきた。
「……いま……あたし……」
途切れがちな声。
泉野明は、自分の喉から漏れたその言葉が、誰に向けてでもなく、
ただ目の前の現実を確かめるための問いかけだったことに気づいていた。
その隣で、ミーシャ・アウレリアは肩で呼吸をしながら、ゆっくりと顔を上げた。
瞳の奥に微かに揺れる光――それは魔力の残滓か、それとも恐怖と使命をかき混ぜた混濁の色か。
薄く開いた唇が、力なく、それでもはっきりと震えた。
「……仕掛けて……ありました……最初から……罠だった……」
かすれた声だった。息の切れ間から漏れ出すような音量。
それでも、そこに宿る確信は揺るぎなかった。
耳を劈くような通行人たちの悲鳴が、交差点の彼方でまだ続いている。
警察の指示と、緊急車両のサイレン。
そして遠くには、炎を吹き上げながら崩れかけたタイラントの残骸。
それらすべての音が、まるで別の世界の出来事のように、ぼんやりと遠ざかっていた。
泉の視線が、ふとミーシャに向けられる。
ミーシャは、彼女の無事を確かめるように静かに見つめ返していた。
その表情はまだ硬い。だが、揺れていない。
「……ありがとう、ミーシャちゃん……でも、どうしてわかったの?」
それは、震え混じりの問いだった。
ミーシャはその言葉に対して、ほんの一瞬、沈黙した。
ためらいではない。言葉を選ぶための、慎重な間だった。
そして何より――泉を不安にさせないようにという、彼女なりの配慮だった。
「……術式の痕跡がありました。
……あの人は、術式で……強制的に、レイバーで暴れさせられていました」
言葉とともに、ミーシャの表情がわずかに曇る。
視線が、ゆっくりと現場の空間を横切る。
微かな息遣いの変化。
肌に触れる空気を探るように、立ち位置をほんのわずかに調整する。
目がわずかに細められ、瞬きの間隔が変わる。
本来なら、術式の痕跡はすでに消えているはずだった。
だが、今もこの場に漂っている。
意識を集中しても色も形もない、だが確かに魔法の感触はこの場にとどまっていた。
ミーシャの頭の中で、あらゆる術式の知識が回りだす。
感知はできるが視認はできないその答えは――
唇が一度だけ小さく開き、すぐに閉じられる。
言葉が出る寸前で止まった。
そして、表情を整え、何もなかったかのように言葉を継いだ。
「……狙いは、取り押さえに来た警察。つまり……特車二課の隊員」
泉は、息を呑んだ。
その意味が、すぐに理解できた。
――自分たちを狙った、明確な殺意。
それは偶然の事故でも、制圧に対する抵抗でもない。
最初から、自分たちを葬り去るために仕掛けられた意志ある攻撃。
その理解が、内側からじわじわと体温を奪っていく。
足元の感覚が遠のいていき、靴の中のつま先がうまく動かなくなる。
喉の奥がカラカラに乾き、声を出す気力すら削られていく。
鼓動は激しいのに、体は冷え切っていた。
――死ぬところだった。
その現実を、皮膚の裏側から突きつけられた。
ミーシャは、その泉の表情の変化にすぐ気づいた。
彼女の右手がそっと伸び、泉の手の甲の上に優しく重ねられる。
その手は、細くて柔らかく、だが確かに生きている手だった。
「……緊急とはいえ、自己判断で術式を使用しました……報告書、書かないといけません」
少し硬い声。それはいつもどおりのミーシャの真面目さだった。
だが、それが泉にとっては救いだった。
「ふふ……」
泉の唇の端が、わずかに持ち上がった。
それは笑いとも、安堵にも程遠い。
だが、緊張をほんの少しだけ解きほぐすには十分だった。
◆
午後三時。特車二課・会議室。
大きな窓から差し込む光はやや傾き始めていたが、その温度とは裏腹に、部屋の空気は張り詰めていた。
事故現場から帰還したばかりの第二小隊全員が顔を揃えている。
窓の外、キャリアに載せられたイングラム1号機が、ゆっくりと整備棟へと運び込まれている。
その白い機体は爆発の余波を受け、装甲の一部が黒く焼け焦げ、コックピットの内部機器のいくつかが損傷。
ペイントも剥がれ、無傷とは言いがたい様相を呈していた――それでも、致命傷には至らなかった。
幸いパーツの余剰もあり、一日で元に戻る見込みだ。
それが、唯一の救いだった。
「――じゃ、始めようか」
静けさを切り裂いたのは、後藤喜一の低い声だった。
コーヒー入りマグカップを机に置いた音が、乾いた合図のように響く。
「今回の件。まずは、泉の命が無事だったこと――
それから、現場での民間被害が最小限に抑えられたこと。
これは最大の成果だ。……全員、よくやった」
彼の声に、いつもの軽口や皮肉交じりの口調はなかった。
その事実が、どれほど事態が深刻だったかを雄弁に物語っていた。
隊員たちは一様に姿勢を正し、緊張と疲労の入り混じった顔つきで静かに耳を傾ける。
最初に口を開いたのは、山崎だった。
大柄な体を小さく畳むようにしながら、沈痛な面持ちで言葉を吐き出す。
「……でも、犯人は……亡くなってしまったんですよね」
重く、ぬかるむような声だった。
隣で進士が続く。顔色はまだ優れず、どこか胃のあたりを庇うような仕草で言葉を繋ぐ。
「爆発の中心地ですから……。死体見分すら、困難だそうですよ……」
その場の空気が、また少しだけ冷え込んだ。
死人に口なし――その意味が、全員の頭に自然と浮かぶ。
泉野明は、テーブルの中央に座っていた。
彼女は缶ジュースを両手で握りしめ、その銀色の表面に視線を落としていた。
その肩は普段よりわずかに狭まり、胸の奥にまだ残る緊張が、指先にまで伝わっている。
「……あのままあそこにいたら、間違いなく私……爆発に巻き込まれてたよね」
彼女の口から出た言葉は、予想であり――そして事実だった。
「間違いなく、な」
隣で腕を組んだ遊馬が、静かに答えた。
いつもの皮肉っぽさも、軽口もない。
その声には、仲間を失わなかった安堵が滲んでいた。
「……あの距離で炸裂したからな。よくて重症、悪けりゃ……あの世行きだったさ」
その現実を、隊員たちは皆、理解していた。
泉がその重い空気を僅かでも軽くしようと、あくまで明るく告げる。
「ミーシャちゃんのおかげだね。あの《ディメンション・ドア》って、すごいよ。一瞬にして、飛んじゃったもんね」
続いて進士が、手元の資料を見ながら口を開いた。
彼はミーシャの術式リストをめくりながら、やんわりとした調子で尋ねる。
「でも、その術式は最新のリストにないようです。新しく取得されたものですか?」
視線を向けられたミーシャは、一度まぶたを閉じ、ほんの少し懐かしむように口を開いた。
「あの巻物は、こっちに来る前……。
師匠のところから飛び出すときに、餞別としてもらった四レベル術式のスクロールです。
私は、まだ行使できない術式だったのでリストには記載していませんでした。
本来なら、ブリューフィリングで皆さんに説明をしてから、使用確認を取る予定でしたが……」
言葉は穏やかだが、説明には一切の迷いがなかった。
泉は、少し申し訳なさそうに口を尖らせる。
「……そんなもの、使っちゃってよかったの?」
それは、感謝と気遣いの入り混じった問いだった。
しかし、その不安をよそに、ミーシャは穏やかに、首を横に振った。
「いえ。報告文書には問題ありません。
……大事な野明さんを、失いたくなかったから、術式を使用しました――と、書きますので」
その一言に、泉の顔がみるみるうちに赤くなった。
「え? えっ……? ……もぅ、大事だなんて……。ミーシャちゃん、嬉しいなぁ……」
気恥ずかしそうに頭をかく泉。
あまりに率直な感謝と照れ隠しが混ざったその反応は、見ている方がむずがゆくなるような甘酸っぱさを含んでいた。
だが、それ以上に周囲の空気をざわつかせたのは――
「アウレリアさん、結構、言うようになりましたね」
山崎の一言だった。
それにすかさず、太田がむくりと身を起こし、さらに豪快な声をぶつける。
「良いことだ。いつまでも縮こまってる新人なんて、情けないからな!」
そのやり取りに、室内にかすかな笑いが生まれかけた――が。
「んんっ!」
それを打ち消すような軽い咳払いが走った。熊耳巡査部長だ。
それは明らかに「そろそろ脱線やめてね」という合図で、全員がわずかに背筋を伸ばす。
そのまま彼女は真っ直ぐミーシャに視線を向けると、話の本題に戻すように問いかけた。
「……いいかしら、アウレリア巡査。術者として、今回の仕掛け――どう見るの?」
視線を促され、ミーシャは一拍だけ呼吸を整える。
その目がすっと伏せられ、ほんの少し長く瞬きをする。
ずっと頭の中で反芻してきた断片の知識と観察を、今ここで一つにまとめる。
そして静かに、答えが紡がれた。
「【被害者】は……精神操作系の術式で操られていたと思います」
ミーシャはあえて犯人ではなく被害者と言った。
それは、操られていた者の無力さと、背後にいる本当の悪意への強い認識ゆえだった。
ミーシャの声は低く落ち着いていたが、その奥には彼女には珍しく微かな怒りが滲んでいた。
静まり返った室内に、彼女の言葉がゆっくりと染み込んでいく。
「おそらく、《
かなり高度なもので、精神操作の術式でも上位に分類されます」
一言ごとに、ミーシャの声には冷たさと鋭さが増していった。
まるで事実を確かめるたび、内心で膨れ上がる感情を必死に押し殺しているかのようだった。
「……その術式で、レイバーを暴走させた。暴れること自体が目的だったのだと思います。
そして爆発は……おそらく《
《
聞き慣れぬ言葉に、隊員たちが思わず眉をひそめる。
「《ギアス》は、本来自殺行動を強制しようとすると効果が解除されます。
でも……この世界の住民にとって、首飾りの宝石を投げるという行為が死に直結するとは、思い至らないでしょう」
そこまで語り終えたとき、ミーシャはかすかに歯ぎしりを鳴らした。
あまりに静かな室内では、その小さな音すら耳に残る。
「ファイアーボール……ね」
ぽつり、と後藤が呟いた。
マグカップを手にしたまま、その言葉を何度も反芻するような口ぶりだった。
「はい……私が、仲間を殺した術式です」
ミーシャが答えた瞬間、部屋の空気が一変した。
全員の意識が、まるで一斉に糸を引かれるようにミーシャへと向かう。
彼女は何も表情を変えなかった。だが、その瞳の奥には拭いきれない痛みが揺れていた。
――バンッ!
突如として、机を叩く音が会議室に響いた。
「ゆっっっるせない!」
声の主は泉野明だった。
彼女は怒りに震え、拳を握りしめたまま立ち上がっている。
普段は陽気で明るい彼女が、今は顔を紅潮させ、
その目には涙と憤りがにじんでいた。
「何の罪もない人を、道具みたいにして……使い捨てるなんて!
人の命を、なんだと思ってるのさ!」
その叫びが、重く静まり返った会議室の空気を鋭く切り裂く。
全員が、その叫びの鋭さに息を呑み、数秒間、沈黙が降りる。
「《ギアス》……そんな術式、使える奴がこの世界にいるのかよ……」
遊馬が低い声で吐き捨てた。
苛立ちと、どうしようもない現実への戸惑いが混ざっていた。
彼の拳は膝の上でじっと握られている。
それに対してミーシャは、小さくかぶりを振った。
「……あの男が、動いているのだと思います。
……わたしの……あの時の記憶にあった、あの人が」
会議室の空気は、いつになく冷たく、重い。
見えない糸が、この世界と異界とを密かに結びつけ、
何か不穏なものが足元から忍び寄ってくるような、そんな予感が漂っていた。
「……いいかしら?」
熊耳が、静かに声を上げた。
立ち上がりかけていた隊員たちの動きが、ぴたりと止まる。
彼女は手元の一枚の紙を机の上の中央に置いた。表題は――確保対象に対する術者対応マニュアル(草稿)
「――私とアウレリアで急いでまとめた簡易案よ。
会議前に一応、隊長にも目を通してもらってる。
まだ未完成で、課長の承認も下りていない。
でも――こういう事件が起きてしまった以上、一刻の猶予もないから、先に通達するわ」
その声音には、これから語られる内容の重みが滲んでいた。
「これからは、術者――つまり術式を使う犯人が、いつ現場に現れてもおかしくないってこと。
もう『万が一』じゃない。現実に起きた以上、私たちも準備しなきゃいけない。
だから、現場でどう動くか、このマニュアルに明記しておくわ」
熊耳の一言に、みんなの視線が自然と手元の資料へと集まる。
熊耳は配られた資料を一瞥し、静かな声で要点を示した。
「今回まとめたマニュアルのポイントは三つ」
会議室にいる全員の視線が彼女に集中する。
「まず第一に、現場で術者と対峙した場合は、術式の発動を何よりも先に阻止すること。
物理的な拘束だけでは不十分だから、詠唱・動作・視線のいずれも封じるのが大事よ」
熊耳は隊員たちの目を順番に見やる。
誰もが、ただの拘束では済まない現実の厳しさを感じていた。
「第二に、制圧のためには麻酔銃やスタンガンの使用を優先し、どうしても危険が迫った場合だけ拳銃の使用も認める。
これは本当に命に関わる時だけに限るわ」
その言葉に、一瞬、場の空気が引き締まる。
銃の使用が「現実的な選択肢」となった重みを、全員が理解していた。
「そして最後。敵対する術者が現場にいる時は、アウレリア巡査が最優先で対応する。
他のみんなは巡査の判断で動いて――これが大原則よ」
その場にいた全員の視線が、自然とミーシャの方へと向かう。
机の向こうでミーシャはわずかに背筋を伸ばし、静かにうなずいた。
配布されたマニュアルには、
「術者が現れた場合は術式の発動阻止が最優先」
「麻酔銃や拘束具、どうしても無理なら拳銃も可」
「すでに敵対している術者には隊所属の術者が優先的対処者」
など、運用ルールが並んでいた。
マニュアル読了後、会議室はしんと静まっていた。
文章自体は緊縮しており、一切の不備も残さぬよう書かれている。
だからこそに、実際にその通りに動けるのかという重みがのしかかっていた。
やがて、山崎がぽつりと呟く。
「……これって、対応しきれる話なんでしょうか……?」
誰もすぐには答えられなかった。
その代わりに、進士が静かに声を出す。
「通常の犯罪という枠組みでは、既に処理不能です。
でも、我々は――もう、矢面に立っているんです」
その事実は否応なしにのしかかってくる。
対応するしかないという責任と覚悟が、隊員たちの胸にひたひたと広がっていく。
「やれやれ、面倒な仕事だなあ……」
遊馬が天井を見上げ、わざとらしく嘆息する。
だが、その口ぶりにいつもの冗談っぽさはなく、むしろそれは一種の決意の吐露だった。
そして、後藤が最後に口を開いた。
「よし。今日はこれで解散。
各自、報告書をまとめたら休め。……次がいつ来るかわからん。
頭と身体は軽くしとけよ」
静かに椅子が引かれ、重たい足取りがいくつも立ち上がる。
隊員たちは言葉少なに散っていくが、その背中にはそれぞれの思考と決意がにじんでいた。
そのなかで、ただ一人、ミーシャ・アウレリアだけは席に残っていた。
指先を組み、膝の上でそっと重ねたまま、彼女は黙って何かを思案していた。
やがて、その閉ざされていた唇の端がほんの少し持ち上がる。
その目の光には、少しずつ燃え上がる反撃の炎を孕んでいた。
《ネックレス・オブ・ファイアーボール》 ―― ファイアーボールの首飾り
分類:魔法のアイテム(レア)
装備部位:首(ネックレス)
このネックレスは、いくつかの赤く光るビーズ(珠)でできており、それぞれが爆発的な魔力を秘めている。
使用者はこのビーズをアクションを使って取り外し、最大60フィート先に投げることができ、その地点に《ファイアーボール》呪文が発動する。
投げられたビーズ1個につき、ファイアーボール呪文1発分を発動。
複数のビーズを一度に取り外して投げることもでき、その場合は呪文レベルが上昇する(例えば3つ投げれば5レベル扱い)。
ネックレスには作成時にランダムで1d6+3個(合計4~9個)のビーズが付いている。
《ギアス》 ―― 制約
呪文レベル:5レベル
キャスト時間:1分
射程:自身
コンポーネント:詠唱(V)
持続時間:30日
あなたは、射程内にいて視認できる1体のクリーチャーに、魔法の命令を与える。
そのクリーチャーは【判断力】セーヴィング・スローを行う。
失敗したなら、あなたの命令に従うよう魔法的に縛られる。成功すれば、この呪文の効果は及ばない。
この呪文で命令できる内容は、そのクリーチャーが理解可能な範囲でなければならず、また、直接的にそのクリーチャーの死を招くような命令(「剣を飲み込め」など)は無効である。
命令に反した場合、そのクリーチャーは毎日10d10の精神ダメージを受ける(1回/日)。
命令に従っている限り、そのクリーチャーはダメージを受けず、普通に行動できる。
この呪文は、グレーター・レストレーションやリムーヴ・カースなどの特定の魔法で解除可能。
《ディティクト・マジック》 ―― 魔法感知
呪文レベル:1レベル
キャスト時間:1アクション
射程:自身
コンポーネント:詠唱(V)、身振り(S)
持続時間:10分(要・集中)
この呪文の持続時間の間、あなたは自分を中心とした半径30フィート以内に存在する魔法の存在を感知できる。
感知した場合、アクションを使用することで、その領域内にある視認できる魔法を帯びたクリーチャーや物体の周囲にかすかなオーラが見えるようになり、可能ならその魔法の系統も知ることができる。
呪文はほとんどの障壁を通して効果を発揮するが、1フィートの石、1インチの通常の金属、鉛の薄板、3フィートの木材や土壌などによって遮られる。
《ディメンション・ドア》 ―― 次元扉
呪文レベル:4レベル
キャスト時間:1アクション
射程:500フィート
コンポーネント:詠唱(V)
君は現在地から範囲内の任意の地点へ瞬間移動する。君はまさに望んだ地点に到着する。
到着地点は、君が実際に見ることができる場所、視覚的に想像できる場所、あるいは「真下200フィート」や「北西45度上方、300フィート」といった距離と方向を示すことで説明できる場所である。
自分が接触している同意した1体のクリーチャー(または自分が運べる範囲の物体)も一緒に転移できる。
君が既に物体またはクリーチャーが存在している場所に到着した場合、君と君と共に移動しているクリーチャーはそれぞれ4d6のフォース・ダメージを受け、呪文は君をテレポートさせることができない。
----------------------------------------------
確保対象に対する術者対応マニュアル(草稿)
起案者:熊耳武緒巡査部長
協力:ミーシャ・アウレリア巡査
【第1章 総則】
第1条(目的)
術者が確保対象として発見された場合の実務対応について、その危険性を前提とし、無力化の手段と優先順位を明示することで、隊員の安全を確保する。
第2条(基本原則)
術師は、現行の身体的拘束では完全に無力化できない可能性がある(音声詠唱・視線・ジェスチャーによる発動の恐れ)。
最優先目標は「術式の封殺」であり、物理拘束は二次的措置とする。
術者が発動に入った場合、または生命・隊員の安全に著しい危険が認められる場合には、制圧のために麻酔銃・スタンガン・拳銃等の武器使用も認められる。
拳銃の使用は、現行警察法および拳銃使用基準に従い、「現場隊員自身または他者の生命・身体に重大な危険」が明白な場合のみ、最小限度にて行うこと。
【第2章 対応方法】
第3条(初動対応:発見・接近)
対象に術者の疑いがある場合は、術式発動可能条件(発声・身振り・視線)のいずれかが成立する前に接近・無力化を行う。
可能な限り背後からの接近を推奨。
対象が明らかに危険な術式発動の構えを見せた場合、警告なく制圧手段の使用が認められる。
第4条(無力化手段の優先順位)
術者の無力化にあたっては、対象の術式発動を阻止することを最優先とし、以下の手順に従って制圧を行うものとする。
① 術式隊員による妨害術式(例:《ホールド・パーソン》《スリープ》等)
② 遠距離からの術式妨害手段の使用(催涙ガス・麻酔銃・スタンガン等)
③ 複数名による身体拘束、およびネット・鎖等による物理的制圧
④ 拘束具の装着(猿轡・目隠し・手錠等による詠唱・動作阻止)
⑤ 致死性武器(拳銃等)の使用。
他の全手段(妨害術式、催涙ガス、物理制圧等)が著しく困難であり、術式発動=即致命的損害が予見される場合、警察官職務執行法第7条等に基づき拳銃等の使用を最終手段とする。
使用は、隊員自身または周囲の生命が脅かされる緊急時に限る。
使用前警告は、術式発動が即時被害に直結する場合は不要とする。
※上記の手順は指針であり、現場状況・対象の危険度に応じて順序を前後させる判断を妨げない。
第5条(制圧中の注意事項)
術式の準備動作(詠唱、ジェスチャー、視線の集中など)を即座に妨害する。 可能であれば口元を押さえる/手首を固定する/目隠しを行う。
無力化確認後も、術式反応の兆候がないか監視を継続すること。
呪文効果や呪縛術式によって、制圧者が逆に支配される危険がある。交代対応体制を敷くこと。
第6条(術者対処の優先対応者)
確保対象または現場において、すでに敵対状態にある術者が確認された場合、本隊に所属する術者が優先的対処者となるものとする。
対応術者は、以下の目的において判断および行動を行う。
対応時には、術者が独自判断で術式を展開することを許容する。ただし、実行後24時間以内に術式展開の理由を明記した報告書を提出すること。
① 敵術式の解析および遮断
② 術式による味方への損害の最小化
③ 必要に応じた術式行使による対抗措置
他の隊員は、対応術者の指示がある場合を除き、術式領域への不用意な接近を避けること。
【第3章 報告義務】
第7条(武器使用時の報告)
拳銃等の武器を使用した場合は、現場隊員および指揮官、対応術者による現場状況・発砲理由・経緯の詳細な書面報告を24時間以内に提出すること。
死亡または重傷例では必ず警察庁・監察官が臨場し、術者の術式使用有無の調査を追加で行うこと。
備考:
・確保対象が術者であると判明している場合、事前ブリーフィングで必ず対抗手段を明示すること。
・ミスリードによる無関係術者への暴行は重大な規律違反となる。