機動警察パトレイバー:魔法少女、特車二課に着任す   作:ゆきざかな

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第6話:二つの勉強会

 朝の陽が、窓のブラインド越しに幾筋もの光を伸ばしていた。

それはまるで、まだ醒めきらない夢の名残を撫でるように、柔らかくオフィスの床や机に淡い影を落としている。

 

 特車二課第二小隊のオフィス。

いつもなら太田の大声や、遊馬の冗談が飛び交い、どこか落ち着きのない喧噪が支配している空間だった。

だが、今朝ばかりは――妙に静かだった。

どこか張り詰めたような、けれど否応なく胸をざわつかせる何かが、空気の中に満ちていた。

 

 テーブルの上には、一冊ずつ綴じられた新しい資料――『術式運用マニュアル(暫定正式版)』。

表紙は無機質な白地に黒文字。だが、その中には、異世界から来た一人の少女を受け入れるために編まれた軌跡が綴られていた。

それは、紙の束以上の意味を持っていた。小隊全員にとっても、そしてとりわけ、彼女自身にとっても。

 

後藤隊長が、パイプ椅子の背にもたれながら腕を組み、淡々と言った。

 

「――全員、今日の午前中はこのマニュアルに目を通してもらう」

 

 その言葉に、場の空気が一段階だけ引き締まる。

遊馬が、資料をぱらぱらとめくりながら、小声でぼやく。

 

「うわ、なんか新兵教育みたいな雰囲気っすね……」

 

 その隣で、泉がくすりと笑った。

 

「こういうの、ちゃんと読むのも大事だよ。だって、ミーシャちゃんの魔法なんだから」

 

 そう言いながらも、泉の視線は、手元のマニュアルではなく――

今は資料室に資料を取りに行っているミーシャの、ぽつんと空いた椅子を静かに見つめていた。

まるで、その背にかかった空気までも、彼女の輪郭を残しているかのようだった。

 

「術式ですね。正式には」

 

 進士がノートと筆記用具を用意しながら訂正を入れた。

その訂正に誰も反応しないのは、この小隊がすでにその言葉に馴染み始めている証だった。

 

 全員がマニュアルに目を落とし始めるのを確認して、後藤は姿勢を少し崩すように、座りなおした。

 

「読んでくれ。必要だと思ったことがあれば、余白に書いておけ。あとで熊耳がまとめる。

あと今すぐ全部ではないが、アウレリアが展開できる術式のレベル・発動条件・効果はすべて頭に叩き込んでおけ。

術式名を聞いた瞬間にどう支援が来るか、すぐにイメージできるのが目標だ」

 

 その発言を合図に、オフィスの各所から「あー……」「うへぇ……」と、まちまちの音程で呻き声が上がった。

遊馬が頭を抱え、泉は笑いながら資料を開き、太田は「ぬぉぉぉ」と意味不明な唸り声を発する。

 

 しばらくはこのうめき声で、オフィスが埋め尽くされていた。

 

 

 

 

 紙が擦れる音が、ぽつり、ぽつりと部屋に静かに響く。

普段なら気にも留めないような些細な物音が、今は妙に大きく感じられた。

誰もが静かに、真剣にマニュアルに目を通していた。

 

 術式の定義、展開条件、支援要件、運用制限――記述は驚くほど整然としていて、具体的で、冷静だった。

そこに「魔法」という言葉がもたらすような夢想や神秘性はない。

あるのは、任務に資するための力としての「業務」としての整備。

つまりこれは、未知の力を現場の武器へと翻訳する作業の、結晶だった。

 

 そんな資料の中に記された一文――

 

《第3章展開要件と支援条件》

 

「発動には静的支援が必要って、あれか。詠唱のときに横から叫んだりすると、失敗すんのか?」

 

 太田が眉をひそめながらマニュアルに目を落とし、意外そうな声を上げる。

その声に、熊耳がすかさず補足を加えた。

 

「詠唱時間の短い術式ならそこまで気を使わなくていいけど……

中・高レベルの術式だと、外部からの干渉で失敗する可能性は高いわ。

だから、展開中は誰かがそばで環境制御に入る必要がある。

静かにしてもらう、守る、妨害が入らないように立ち位置を調整する……そういう地味な支援ね」

 

「お、おう……なんか、責任重そうだな……」

 

 太田は珍しく真顔になってつぶやいた。

新たな技術のリターンは無条件でない、それなりに執行するにはリスクが存在することを、彼なりに実感していた。

 

《第5章倫理・制限事項》

 

 ページをめくる手を止めた進士が、項目を目で追いながら、感心したように呟く。

 

「『市民への直接行使は禁止』……『精神的な不安や疲労がある場合は中止』……『術者には十分な休息を確保』……」

 

 ――ただ便利な道具ではない、ということが強く書かれている。

彼は思わずつぶやいた。

 

「……なるほど、熊耳さんの意図がわかってきた気がします。

これは単に力を使うためのルールじゃなくて、術者をちゃんと守るための仕組みでもあるんですね。

強力だけど消耗が大きい術式を、どうチームでケアしていくか――

そうやって全体で活かしていく前提が、このマニュアルの軸なんだと思います」

 

 横で聞いていた山崎が、静かに頷いた。

彼の大きな体躯から発される声は、いつもながら穏やかで深い。

 

「当たり前です。アウレリアさんは装備じゃない。仲間なんですから」

 

 その言葉は、静かな余韻を残しながらオフィスに溶け込んだ。

まるでひとしずくの水が広がるように、共感の空気がゆっくりと室内に満ちていく。

誰もが言葉にはしないまま、しかし確かに――その思いに、うなずいていた。

 

「し、失礼します……」

 

 控えめな声とともに、ドアの隙間からミーシャが顔を出した。

制服姿の彼女の腕には、数冊の資料と地図が抱えられている。

今にも資料がこぼれそうに抱えるその姿は、真面目で、ぎこちなくて、どこか愛おしかった。

 

 皆の視線が一斉に彼女へと向く。驚いたようにミーシャの動きが止まる。

だが次の瞬間、泉の明るい声で空気がすっと抜けるのが感じられた。

 

「ほらほら、入って! 入って!」

 

 泉が席を立って、ミーシャに手招きを送る。

ミーシャは、おずおずと一歩、また一歩と室内へ入り、

視線を受け止めながら、控えめに立ち止まった。

 

「……ごめんなさい。こういう、みなさんの時間を取るようなもの、作ってしまって……」

 

 声の芯に染み込んだのは、たっぷりの申し訳なさ。

ミーシャの言葉は、かすかな震えとなって、ただ静かに空気を叩いた。

 

「逆ですよ、アウレリアさん」

 

 進士が、そっとマニュアルを持ち上げ、やわらかく笑う。

 

「これは僕たち第二小隊の新しい可能性なんですよ。そのための準備は当然行いますよ」

「ふ……ふえ……?」

 

 ミーシャが、きょとんと目を丸くし、空気が抜けるような声を上げる。

そのあまりに素直な反応に、空気が緩む押し殺した笑いが僅かに聞こえる。

 

「そうそう、これすっげー参考になる。マジで」

 

 遊馬がページをパタパタとめくりながら、歯を見せる。

 

「どのタイミングで支援が必要か、いつ何を準備してるかって、こういうのブリーフィングと同じなんだよ」

「まるで、レイバーの整備要項みたいですね」

 

 山崎が静かに補足する。彼の声は、たしかな実感を含んでいた。

そのとき、泉がにこっと笑って、そっとミーシャの手を握る。

 

「でもね、私、こういう長い文章読むのちょっと苦手だから、時間かかるけど許してね」

 

 からかうような口調だけど、その目は真剣だった。

軽く握られたミーシャの手に伝わるまっすぐな熱が、それを補強している。

 

「でも絶対、ミーシャちゃんの術式覚えるから。安心して」

 

 その言葉がミーシャの心の奥をそっと撫でる。

ミーシャの口元がわずかに震える。その小さな手は、握られたまま温度を受け止めていた。

 

 そのときだった。

 

「――アウレリア巡査」

 

 突然、太田が立ち上がり厳かに口を開いた。

ふざけるでも叫ぶでもない、真剣な声音だった。

全員が、思わず彼を見た。

 

「このマニュアルに書かれていることは、すべて実現できるのだな?」

 

 思いつめたような顔でずいっとミーシャに詰め寄る太田。

その勢いに、思わずミーシャは肩を引きかけるが、すぐに踏みとどまる。

――この人は、怒っているわけじゃない。

良くも悪くもまっすぐで不器用なだけな人だとミーシャは推察した。

 

 周りは止めようかと逡巡していたが、あまりに太田の顔が神妙だったので、誰の手も途中で止まり、宙に浮いたまま凍りついたようになった。

 

 太田はガシッとミーシャの両肩に手を置く。

ミーシャは、一瞬だけ目を見開くが、次の瞬間には太田の真っ直ぐな視線を、しっかりと受け止めていた。

 

「巡査の術式は、我らが第二小隊に新たな戦術をもたらすものと見なす。認めよう」

 

 太田はそのまま、自分の席にどかっと腰を下ろし、マニュアルを真剣な表情で熟読を始めた。

一拍の沈黙が場に落ちる。

そして。

 

「太田さん、何その謎のノリ!?」

 

 遊馬が盛大に吹き出した。声を上げて笑いながら、椅子の背にもたれかかる。

 

「でも、すっごく太田さんらしいな、それ」

 

 泉も笑いながらミーシャの肩をぽんぽんと軽く叩く。

ミーシャはその振動に心地よく身を任せていると、自然と顔が緩んできた。

 

 

 

 

 午後。

皆がマニュアルを一通り読み込み、感想や意見を熊耳に提出し終えた頃には、オフィスにはほんのりとした満足と小休止の空気が漂っていた。

 

 遊馬がふと視線を巡らせると、ミーシャ・アウレリアは他の誰とも違う資料と格闘していた。

まっすぐな姿勢で黙々と本と向き合っている。

 

 制服の上に重ねた薄手のカーディガン。その袖口から伸びる細い指先が、慎重に地図のページをめくっていく。

机の上には、開かれたままの分厚い資料が数冊――

『東京23区地名図鑑』『港湾地区再開発資料』『警視庁管轄区域一覧』。

 

 魔術書ではない。術式理論でもない。

今、彼女が必死に読み込んでいるのは、この現実の街の姿と、それを守る人間たちの枠組みそのものだった。

その紙資料に、ミーシャは真剣に向き合っていた。

 

「……この豊洲という地は、以前埋立地と呼ばれていて……物流網と……市場……」

 ふむ、と小さく唸る声。傍らには細かい文字で書かれたメモ用紙が数枚、整然と並べられている。

静かな声のトーンで、ミーシャの思考の集中ぶりがうかがえる。

 

 その様子を横目に見ていた遊馬が、ふと思い出したように言う。

 

「……そいや昨日も地図の本抱えてなかったか? 確かに地名と場所を覚えるのは重要だがよ」

 

 何かを思いついた遊馬、持ち歩き用の小型ホワイトボードを手にミーシャの席に楽しげに近づく。

 

「おーい、ミーシャちゃん」

 

 声をかけられたミーシャは、驚いたように本をパタンと閉じ、姿勢を正す。

肩にかかっていた緊張がぴこんと跳ねる。

 

「は、はいっ。なんでしょうか?」

 

 遊馬がにやりと笑いながら、ホワイトボードを持ち上げた。そこに書かれたのは、くせのある漢字。

 

「というわけで、東京地理クイズ 開催! 『荻窪』! 読める?」

 

 ミーシャは一瞬だけ首をかしげ、それから思い出すようにゆっくりと答える。

 

「おぎくぼ、ですか? 環状八号線沿いですから、ここからですとちょっと遠いです……よね?」

 

 その答えに、遊馬の動きが一瞬止まる。

彼女の返答は予想よりもずっと正確で、情報まで付いてきた。

オフィスが、ぴたりと笑いを堪えるように静かになる。

 

 みんなは察する。「遊馬、一寸意固地になっている」と。

 

「お、おう。やるねえ……じゃあこれだ、『舎人』!」

 

それを見てミーシャは首を傾げ、眉を少しだけ寄せながら、自信なさげに答える。

 

「え? と……ねり、でしょうか……場所は、たしか……」

「……すみません。覚えたと思っていたんですけど……全然ですね……」

 

 声の端に、自責の気配が滲み落ち込みはじめたミーシャ。

遊馬は、その真剣な落ち込みぶりに、急速に居心地の悪さを覚える。

なんとなく軽いノリで仕掛けたつもりが、想定以上に律儀な反応を返され、戸惑う。

 

「すまん。なんか俺、大人げないように思えてきた」

 

 とたんに背後から飛んできたのは、いつものごとく容赦ない突っ込みだった。

 

「実際、大人げないぞ、篠原」

 

 振り返れば、ムスッとした太田の顔があった。

その横では、泉が目をぱちくりさせながら、驚いて聞き返していた。

 

「え? 【しゃじん】じゃないの? 私、ずっとそう読んでた……」

 

 道産子で、しかもバイク通勤の泉ならではの反応だった。日暮里方面なんて、まず用がない。

そのひと言で場の空気が一気に和らぎ、ミーシャの落ち込みも回復しつつあった。

 

「ほらな、うちらの世界でも読めなきゃいかん奴がいるんだぜ」

 

 太田が、してやったりとばかりにうれしそうに言う。

 

「あー! 言ったな太田さん!」

 

 泉が元気に返し、笑いながら軽く小突くふりをする。

 

「僕も最初は読めませんでした。でも、間違えるのも勉強のうちですから」

 

 山崎ひろみの言葉に、ミーシャは恐縮するように少し首を沈めた。

 

 そんな中、遊馬がふと視線を机の奥に向けた。ミーシャの地図類のさらに奥――積み重ねられた資料の列。

その表情が、みるみる強張る。

 

「太田さん……これ」

 

 遊馬の指先が指す先には、ミーシャという少女の努力が、目に見える形を持って鎮座していた。

『警視庁警察職員服務規程』『警察官のための刑法入門』『図解でわかる警察法』、

さらに『レイバー運用規定』に『最新版レイバー図鑑』まで――なかなかの重装備が並んでいた。

 

「結構な読み込みですね」

 

 進士が驚きを隠さず、そっと表紙をのぞき込む。

横から覗き込んだ泉が、素直な感嘆の声を上げる。

 

「すごい! ミーシャちゃん勉強家だ」

 

 そんな隊員たちの視線を、ミーシャはきょとんと見返す。

何か変わったことでもしてしまったのだろうか、という顔で。

やがて何かに気づいたように、本の続きを読み始めながら、言葉を紡ぐ。

 

「……その……熊耳さんが運用マニュアルを作ってくださって……

それを、皆さんがちゃんと受け入れてくださっているので……

私も……配属された以上、しっかり小隊の業務を理解しておいた方がよいと……」

 

 その言葉は、ミーシャからしたら飾り気のない事実なのだろう。

けれど、それだけに深くオフィスの空気を静謐にした。

 

隊員の視線がミーシャに集中する。引き出しの片隅に、宝石が転がっていたような――そんな感覚だった。

 

「……今の、すげぇまっとうなこと言われちまったなぁ。

マニュアルちゃんと読んどかないとな。でないと先輩としての示しがつかねえぜ」

 

 バツの悪さをごまかすように、遊馬は小さく笑って言葉を残し、席へと戻っていった。

その背中には、いつもの軽さの奥に、どこかしゃんとした空気がほんの少しだけ漂っていた。

 

 そのとき、湯気の立つ湯呑みを手にしたひろみが、そっとミーシャに近づいてきた。

 

「アウレリアさん。お疲れ様です。……でも、あまり無理はしないでください」

 

 ミーシャは、おずおずと手を伸ばし、そっと湯呑みを受け取った。

その小さな仕草からは、湯呑みの重みさえも静かに楽しんでいるような、そんな気配がにじんでいた。

 

「……ありがとうございます。わかりました、自分のペースでやっていきます」

 

 丁寧な山崎の差し入れに、さらに丁寧に返すミーシャ。

だがその声音は、今までのミーシャとは少し異質な低さを醸し出していた。

 

「でも……こうしていろいろ覚えるの、楽しいです。んふ、んふふふふ……」

 

 その笑いは、ふっと漏れた熱のようで、どこか陶酔じみていた。

まるで知識の海に静かに沈んでいく感覚を、彼女が心の底から楽しんでいる証のように。

 

 そして――その目が、一瞬だけ、かすかに光を帯びたように見えた。

 

 遊馬と太田が、ほとんど同時に一歩後ずさる。

本能的な警戒心のようなものが、体に走ったらしい。

 

「……あれ? 今、一瞬目が光ったような……?」

「こ、これがアウレリア巡査の本性かもしれん……!」

 

 ごく小さな笑い声だったが、彼らの背筋に、何かがひやりと触れる。

 

 ミーシャ自身は、そんな様子をまったく気にするふうもなく、満ち足りた空気の中で、ほわんと恍惚すらにじませた表情を浮かべていた。

 

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