機動警察パトレイバー:魔法少女、特車二課に着任す 作:ゆきざかな
書類棚の脇で、空調の吹き出し口が低く唸っていた。
それは、部屋の静けさにすがるような、控えめな吐息のようだった。
隊長室の中央には机がふたつ。置かれている。
その片方――南雲しのぶは、椅子の背にきちんと背筋を預け、報告書のファイルを開いていた。
窓の外には、まだ陽が残っている。西から傾きかけた光が、カーテン越しに柔らかな色を投げかけていた。
蛍光灯の白と混じるその色は、室内にうっすらと温度を加え、南雲の整った横顔に、淡い陰影を落としていた。
南雲の書面を追う瞳が止まった。
「……レイバー制圧任務において特殊技能の行使に関する確認事項、
第二小隊所属ミーシャ・アウレリア巡査による……ね」
言葉は淡々と、しかし読み上げる声には、軽く張りがあった。
聞き流すには少し鋭い――そんな声質だった。
向かいには後藤喜一が、椅子に体を預けたまま、コーヒーの湯気越しに視線を流していた。
カップを手に、どこか気の抜けた仕草でひと口。けれどその目だけは、眠っていない。
「まあ、お役所仕事の分類としては、あの子は特殊行使枠だからな。いちいち書式が違って面倒だ」
しのぶの指先がファイルを軽くたたく。
視線が紙面から外れ、まっすぐに後藤を捉えた。
「面倒で済ませていい問題じゃないわ。どうなの?」
しのぶはファイルを閉じずに顔を上げた。
その目は静かに、けれど鋭く後藤を見ていた。
「異界由来の未登録個体を法的保護下に置いた上で、警察任用する……前例のない判断よ。
そんな人間を現場に入れる以上、きちんと受け入れる体制と責任が要るのよ」
後藤は、それは当然と言わんばかりに肩をすくめた。
「もちろん。だからこっちに来たんだろ。前例のない事を前例にしてきたのが、うちなんだ」
南雲は視線を書類に戻したが、その語調は途切れない。
まるで一度口火を切ったら、考えがにじみ出てくるように。
「……あの子は、怖がってる。
言葉の端々に、態度に、そう見える。必要とされていたいって焦りと、拒絶されるかもしれないって恐れが同居してる」
後藤は「正解」と書かれた札でも掲げるように、満足げに頷いた。
「まあ、そういう子だな。目がよく動く。悪く言えば、周囲の空気を読もうとしすぎる」
しのぶの手が、机の上の報告書を――先ほどより僅かに強く叩いた。
「今日の現場映像を見たわ。的確だった。力を誇示するわけでもなく、無駄なく動いてた。
術式の展開も、隊員の位置と状況を計算してた」
後藤は、南雲がすでに今日の一件を把握していると気づき、「やっぱりか」とでも言いたげな表情を浮かべた。
「見てたか。うちの子たちとちゃんと動いてる。ヘラクレス相手に銃を使わないでイングラム2台かすり傷なしで制圧。
お偉いさんへの実績づくりとしては上々の成果だ」
後藤の口調はただ事実を述べるように、浮かれも驕りもない。
「ええ。だから聞いたのよ、どうなの? って」
さきほどと同じ言葉を、もう一度。それは単なる繰り返しではなかった。
数字や実績だけでなく、その裏にある人としての扱いを、彼女は問うていた。
後藤は、言葉を選ぶように一瞬沈黙し、解答文書を読み上げるように答える。
「戦力としては、申し分ない。でも、それ以上に居場所を作ってやる必要がある子だな。
……あんたもわかるだろ。正しく優秀な人間が、どこにも馴染めないなんて、よくある話だ」
しのぶの眉間に寄っていた緊張が、わずかに解けていく。だがその瞳には、なお消えぬ懸念の光が静かに残っていた。
「――だからってよくある話で済ませることじゃないわよ。あの子がこの組織の一員として、本当にやっていけるのか。
最後に決めるのは制度じゃない。周囲の人間よ」
後藤はわずかに目を細くする。それは冗談を言う前の、間合いを図るようであった。
「……どうせ他の世界の人間とはうまくいくはずがないって空気が、一番怖い。
南雲さんの言う通りあの子自身より、周囲の保身の方が、ずっとタチが悪い
その点うちは安心だ。修羅場の数が違うぜ。孤独に震える異世界の魔法少女ぐらい、ポンとはいっちまえる」
しのぶは、その言葉に目を伏せたまま、ほんの少しだけ口角を上げた。
「言うじゃない。……らしくもなく」
「そりゃあ、うちは理屈どおりにいかない現場ばかりくぐってきた。非常識の受け皿としての自負くらい、もうあっていいだろ」
「現場で判断するのは、いいわ。でもその判断に、情が混ざるのはどうかと思う」
その言葉に、後藤はしてやったりと会心の笑みを浮かべる。
「情じゃなくて、責任感って呼んでくれ」
それは言葉遊びを塗布した後藤の本気だった。
南雲はファイルを閉じた。そして、少しだけ真顔を緩めて言った。
「――じゃあ、私たちも、その責任感にふさわしい結果を出さないとね。
……異物を受け入れて、変化して、それでも動ける現場。それが、私たちの特車二課であるべきだと思うわ」
その声は低く、そして確かだった。
後藤は椅子の背に体を預けながら、冗談めかして言う。
「おう。あんたがいてくれりゃ百人力だよ、南雲警部補」
「皮肉に聞こえるけど、褒め言葉と受け取っておくわ」
二人の視線が一瞬だけ交わる。隊長室には、再び静けさが戻る。
そして沈みだした日により朱に染まった木々を揺らす音が、微かに届いていた。
◆
日没直前の庁舎は、ゆっくりと静寂に抱かれだしていた。
整備班が、イングラムの出動後点検作業に追われているらしく、遠くの車庫ではまだ命令の声が飛び交っていたが、それもオフィスまで届く頃には布でくるまれたように柔らかくなっていた。
出動時の熱気を少しだけ残したオフィスの片隅で、冷えかけたお茶が湯呑の底から微かな湯気を漂わせていた。
特車二課第二小隊のオフィス。その一角――
ほとんど沈みかけた陽が窓の縁を淡く染め、紙の資料を囲む机の上に、薄橙の影が落ちていた。
一日のざわめきが遠ざかりはじめる頃、その一角だけが静けさに包まれて、小さな島のように見えた。
その島にいたのは――
進士幹泰巡査と、ミーシャ・アウレリア巡査。
二人は今日の出動記録を再確認していた。
現場の写真、配置図、タイムライン、術式の映像記録から算出した展開時間。
静かに、しかし集中したまなざしで、淡々と並ぶ紙面を一枚ずつめくっていく。
言葉は少なく、それでいて会話の必要性が自然と伝わる、そんな静かな作業の時間。
「……《ノック》は、計測値で見る限り、術式開始から展開完了まで4.2秒。
予想より0.5秒長いけど、十分許容範囲内です。対象は警戒していなかったし……それでも、油断はできない」
進士の目は紙面を離さないままだが、その声には冷静な手応えがあった。
「問題は……やはりあの大きなノック音ですね。あの音は術式の効果の一つなので……」
隣に座るミーシャが、小さく言葉を重ねた。
進士の分析と感性が合うらしく、その調子にはリズムに乗るようなテンポが感じられた。
「ノック音についてはマニュアルにはありましたが、実際に聞いて実感しました。建物進入時などには完全に不向きと」
会話が止まり、紙をめくる音だけが部屋に残る。
進士がふと、書類の上に置いたペンを転がしながら、ぼそりと呟く。
「しかし、《スリープ》はかなり強力ですね。
ああやって非接触で眠らせられるなら、巻き込みさえ気を付ければ、これからの非武装制圧のパターンに組み込める」
その適格な評価に、ミーシャは頷く。だが顔は上げないまま、書類に視線を落とし続けていた。
肩口にかかった髪がわずかに揺れ、そこに積もった疲労の影が、静かに滲んでいる。
「……術式は、今回みたいに――戦闘の補助に使うのが、一番効果的な使い方なんです。
ほんの少しでもいいから、相手の動きを止めたり、隙を作ったりできれば……
前衛の戦士――泉さんたちが、有利になって、速やかに制圧してくれますから」
その言葉に、進士は答えを見つけたように、ふっと口元を緩めた。
普段は寡黙で実直な彼にしては、珍しく少しだけ茶目っ気のある笑みだった。
冗談と分かったうえで、あえて真面目な空気に風を通すように――
「つまり、術式はいやがらせが真骨頂と」
その表現が何かツボに入ったのか、ミーシャが顔を上げ、思わず声に出して笑う。
頬に浮かんだ表情と唇から漏れる声は、屈託がなく――まるで、長い時間をかけて育てた花が、ようやく咲いたようだった。
「ふふ……言い方が悪いですね。でも……当たってます」
進士は今日の《スリープ》の鮮やかな決まり方――制圧が一気に容易になった瞬間を思い返しながら、議題をまとめる。
「はい、いやがらせは、支援戦術の真骨頂ですから。実際、今日の現場はそれがすごく効いてたと思いますよ」
小さな結論が出たことにより、二人の間にゆるやかな余韻が生まれた。
進士は紙の端に視線を置いたまま、その余韻に身を任せるように、少し個人的な話題をぽつりとこぼした。
「……でも今日は、無傷で終われて本当によかったです。
おかげで、妻に遅いって文句言われずにすみそうです」
言葉の終わりににじんだ照れ笑いは、進士の一見控えめな人柄の奥に、しっかりとした芯のある優しさがあることを物語っていた。
その何気ない言葉に、ミーシャの目が、きょとんと瞬いた。
「……奥様が、待っていらっしゃるのですか?」
「ええ。家で夕飯を温め直すことが、増えすぎたので。
最近は隊で寝泊まりしてるんじゃないのって冗談まじりに言われてます。
……あまり心配はかけたくないので、今日は夕食に間に合うと連絡できそうで助かりました」
静かに紡がれるその一言には、無理をさせまいとする誰かへの思いやりが滲んでいた。
それは怒鳴り声でも指令でもない、日常の中に潜む絆のかたち。
紙の資料を挟んだ机越しに伝わるそれは、ミーシャにとってとても遠い、けれど心に触れる話だった。
彼女のまつ毛が、一瞬だけ伏せられる。
その背中にかかる空気が、ほんのわずかに静まったようだった。
「……心配、してくれる人がいるのですね」
進士は言葉を止める。
ミーシャは、いつもより少し静かな声で続けた。
「任務に出て、無事に戻って……帰ってきてくれてよかったって、誰かが思ってくれる。
それって……とても、すごいことだと思います」
机の上の紙が、風もないのにかすかに揺れたように見えた。
「……家族って、素敵です……」
その呟きには、とても遠く深い憧憬がにじんでいた。
自分にはすでに縁のないものと諦めた景色――いまはもう届かないはずのその光景を、心の中でそっとなぞるように。
進士は、そのミーシャのこぼれる想いをすくい上げ、返す言葉を一拍置いてから選んだ。
「……アウレリアさんも。きっとそう思える日が来ると思いますよ」
短い、けれど確かな言葉だった。
二人の間に、静かな間が落ちる。
それは沈黙というより、祈りに近い――まだうまく言葉にできない温かさを、そっと確かめるような静けさだった。
やがて、ミーシャが湯呑の湯気に目を落とした。
ずいぶん薄くなった茶の層を見つめながら、昼の出来事をふと思い返す。
「今日は……いい日でした。怖くなかったわけではないけれど。
……今日という日が、もう少しだけ長く続いてほしいなって、思っています」
進士は、オフィスの壁に鎮座しているホワイトボードに、手を伸ばす。
――本日:無傷帰還。術式運用、実績2件
――術式使用報告+連携評価⇒済
そこに、赤でひとこと――こう書き足した。
――備考:帰宅可能時間内☆感謝
ミーシャはそれを見て、ふふっと、小さな笑いをもらした。
その空気を壊さないように、そっと扉が開かれる。
「……こんばんは。まだ残ってたんですね」
半分ほど開いたドアの向こうから、山崎ひろみ巡査が顔を覗かせた。
進士とミーシャが顔を上げると、山崎はゆったりと微笑んで部屋に入ってくる。
「勉強、熱心ですね。進士さんとなら、術式の実践運用もかなり進みそうです」
「はい……本当に、いろいろ一緒に考えてくれて……」
ミーシャが小さく微笑む。
だがその表情には、やはり疲れの色が滲んでいた。
山崎はそのミーシャの疲れをゆっくり包むようにいたわる。
「アウレリアさん。今日はよくがんばりましたね。でも、少し無理してませんか?」
その声音には、とがった指摘のようなものは一切なかった。ただ、静かに寄り添うような響きだけがあった。
「……あっ、いえ……ちょっとだけ、つい熱中してしまって……」
「気持ちは分かりますよ。でもね、マニュアルにも書いてありましたよね。術者には、しっかりとした休息が必要だって」
進士が苦笑まじりにうなずく。
「山崎さんに言われると、説得力がありますね」
山崎は恐縮するように肩を縮める。
「僕も、最初の出動のときは……石にかじりついてでも動くなって言われてね。
作戦が終わったあとも、もういいぞって言われるまで、ずっとキャリアの運転席にへばりついてましたよ」
ゆったりとした口調は、湯気のように室内の空気をほぐしていく。
「……それと、泉さんが置いてったプリン。冷蔵庫にあります。『がんばった新人用』って紙も貼ってありましたよ」
それを聞いたミーシャは、少し困ったように眉を寄せた。
けれど、その口元にはどこか緩んだ気配があり、わずかに開いた隙間から、ほんのりと温かい吐息がこぼれていた。
「喜んで受け取ってください。アウレリアさんの初出動のご褒美ですよ。それでは失礼します」
山崎の立ち去ろうとする大きな姿は、不思議と圧迫感はなかった。
むしろ、その大きな背中と穏やかな声音が、ミーシャには一種の庇護のように感じられていた。
その感覚に、自分でも気づかないまま、ミーシャの唇がかすかに動く。
「……あの……山崎さんって」
声はとても小さかった。けれど、はっきりと耳に届く。
言い淀むように、ミーシャは一瞬だけ視線を下げ、それから、愛おしさを隠しきれないように目じりを下げた。
「……おおきいけど、すごくやさしくて。そばにいてくださると……なんだか、とても、安心できます」
その言葉は、押し殺したようでも、どこか澄んでいた。
初出動を終えた少女の、まだ不安定な心の中から、ぽろりとこぼれ落ちた素直な気持ちだった。
オフィスのドアを開けたまま山崎は一瞬だけ目を見開いたが、すぐに、いつもの柔らかい表情に戻る。
「ありがとう。……僕、大きいぶん、そう見えたらうれしいです」
「はい……見えます。すごく」
そのやりとりを、少し離れた席で進士が静かに見守っていた。
「頼りになりますよ、山崎さん。……僕も、何度も助けられてます」
体を縮めながら去り行く山崎の背中を見送りながら、ミーシャはそっと立ち上がり、資料を閉じた。
「そうだね。僕も多美子さんのところに戻りますか」
進士も席を立ち、紙を揃えて、灯りを落とす準備に入る。
すべてが、今日一日を「終わらせる」ための動作だった。
ミーシャ・アウレリアは制服の襟元を整え、そっと小さく息を吐いた。
部屋へ戻る足取りは軽かった。
それが任務を無事に終えたゆえか、はたまた待ち受けるプリンのおかげか――
判別は難しいが、どちらにせよ足元には確かな弾みがあった。