東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 月魔術、“望遠”。

 そして、水魔術“均衡”。

 

 遥か彼方の目視を可能とする魔術と、水中で手足を振らずとも頭だけを静かに水面に出していられるという地味な擬似浮遊魔術の併用により、私は今、広大な海の一点より、遠方の神の様子を観察している。

 

 この広大な地球である。

 特定の一人の神を探すことは、数年、数十年以上はかかるであろうと予測を立てていたのだが、意外なことに数年で見つかった。

 

 一度相手の姿が見えてしまえばあとはこちらのもの。

 地上の遮蔽物の少なさは悩みどころだが、数十キロメートル以上にも及ぶ遠視の魔術と、豊富な海を利用した隠形さえ可能であれば、一方的な観察は何日にも渡って行うことができた。

 

 

 

 見た目天女に近いその女神は、常に一人だった。

 ふよふよと宙に浮かび、非常にゆるやかな速度で空を航行しては、時々思い出したように笏を振るい、地上を変成する。

 他の神々を探しているのかと思えばそうでもないようで、彼女の周りには誰もいない。

 

 ただ淡々と、ゆっくりと、地上を引き剥がしてはどこかへと流し、偽物の脆い地上を築いて、陸地につなげる。私の目から見て、あれは、ただそれだけの神であった。

 

 ……あれが、俗にいう天地開闢?

 巨大な大地を割って群島を創ろうというのか?

 

 だとすればあれは、あまりにもお粗末だ。

 

 悪戯に大地を消して、土を貼り付けるだけ。あれではただ、陸を崩しているだけに過ぎない。

 彼女は一体、何をしたいというのだろうか。

 

 それにあの女神、最初に見た頃よりも随分と顔にシワが増え、なんというか……老いたように見える。

 神が老いるというのは実感が沸かないが、私の優秀な記憶をたどってみれば、変化が顕れていることは間違いない。

 

 ゆっくりと老いる、無気力な女神。

 

 ……いくら考えても、謎まみれである。

 

 

 

 私は難問に悩むはげ頭を細腕で掻き、あ、と小さな声を漏らした。

 

「……しまった」

 

 望遠の魔術越し見える宙に浮かんだ女神が、いつのまにやらこちらを向いていた。

 こちらを向いている……だけではない。彼女は目線すらも私に合わせ、浴衣のような衣の裾をはたはたと風になびかせ……こちらに進んでいるらしい。

 

 見つかった。隠形がバレた。発見された。

 

「まずい」

 

 何がまずいのかは、私にもわからない。

 だが、あの老いた女神は私を目指し、一直線にこちらに向かってきている。

 

 観察していた最中の、心ここにあらずといった雰囲気は微塵も見られない。

 顔はどこか、切迫したような、鬼気迫るような気配を漂わせ、もう少し望遠の精度を上げれば、充血や血走り具合が観察できるほどに、目は大きく開かれている。

 

 何とかしなければなるまい。

 何をとは言わないが、あの女神は私を一時的とはいえ海底に封じ込めた張本人だ。

 

 自由に動く準備を整えても、不都合や不自然はないだろう。

 

「“浮遊”」

 

 月魔術により体を宙へと浮かび上がらせ、水を滴らせながら海面に降り立つ。

 その様子を見て女神は驚いたらしく、なんとも都合の悪いことに、宙を駆ける速度を上げてきた。

 

 これは、いよいよ穏やかではないか。

 波乱を悟った私は、女神から目を離さないまま、後ろ向きに海面を滑り、距離を取る。

 

 幸い、今は夜。月は上弦、十日余。汎用的な月魔術を扱う日として、最悪という程ではない。

 

「あ、ああ――あああッ!」

 

 私が全身に月の魔力を蓄えていると、こちらに接近する女神が声を上げながら、短い笏を振るってきた。

 叫んだ言葉は判然としなかったが、高速でこちらに向かい来る白く輝く“それ”には、明確な危機感を覚える。

 

「“月の盾”」

 

 私は咄嗟に防御魔術を選択し、危機迫る正面へと展開する。

 そして一秒後には、私の選択が正しい事が証明された。

 

「なかなかの衝撃じゃないか」

 

 防御魔術、“月の盾”。月の魔力によって壁を作り、接近する害から身を守る魔術である。

 その防御魔術が相手の放った光と衝突し、辺りに強い風を生んだらしい。

 海面は波立ち、しぶき、風はごうごうと鳴る。

 

 なんとなく作った防御魔術を咄嗟に使ってみて上手く成功したことには安堵したが、だが同時に、私の中で静かな戦慄も生まれる。

 

「やるということだな、名も知らぬ女神よ」

 

 奴は、私に攻撃を放ってきた。それも、なかなかの威力を持つ攻撃だ。

 おそらく私と同じで、月の魔力を利用した月魔法……の、かなり原型に近い、エネルギーを飛ばすだけの操舵であろう。

 術と呼べない程原始的なものではあるが、それだけにわかりやすい。

 あれは、れっきとした“攻撃”である。

 

「まさか、魔法を戦いのために使うなんてね」

 

 私は後ろ向きに宙を移動しながら、自分が陸地の上まで退避できたことを確認すると、すぐさま月の魔力の中に、他の属性の気配も取り込み始める。

 

 

 

 私にとっての魔術は、生活の補助であったり、研究の補助であることがほとんどだ。

 それでも時には暇に任せて、かつてよく楽しんでいたファンタジーへの憧れもあり、全くもって必要のない攻撃魔術も習得した。

 

 しかしまさか、こんな場所で使うことになろうとは。

 いいや、こうなると、全く予想していなかったわけではない。心のどこかでは、もしかしたらこうなるかもしれないと、危惧は抱いていた。

 できれば、手荒なことをしたくはなかったのだが……。

 

「……手を出したら、もう終わりだものな」

 

 ……相手は、攻撃の意志を示した。

 ならば、こちらは迎撃の意志を示すのみ。

 

 貴女が私を害するならば、私は貴女を、力づくでも捻り潰してやろう。

 

 貴女が神か、天女か……そんなことはどうでもいいし、どっちでも構わないよ。

 

 私の遠い未来にあるであろう平穏を邪魔するならば……例えこの世の創造神であったとしても、決して許さん。

 

「くらえ――“樵の呪い”」

 

 私は痩せ細った邪悪な腕を振るい、鈍く輝く光の紐を、女神に向けて無数に放った。

 

「あ、あ――!?」

 

 女神は、避けようとしたのだろう。

 だが広範囲に散りばめられた紐の全てを避けることは叶わず、そのうちの一本が笏を持つ右腕と、胴体に接触した。

 

 瞬間、ひも状の“樵の呪い”のひとつは女神の腕にぐるりと巻き付いて、もうひとつは胴をぐるりと囲むように、しっかりと固着した。

 そして、呪いの輪の鈍い輝きは、白い純粋なものへと変化する。

 

「あ、ぎゃッ!?」

 

 老いた女神の悲鳴があがる。

 “樵の呪い”が発動し、巻き付いていた女神の右腕と、胴体を切断したのである。

 

 複合魔術“樵の呪い”。

 月魔術の呪いをベースとしたこの魔法は、ひも状の魔術を任意のものに放つことによって接触部に巻きつき、呪いとして固着するものである。

 固着後呪いとなったこれは、定期的に“月魔術”や“金星魔術”、“火星魔術”、“属性魔術”などをそれぞれ最も効率的な時間で発動させ、呪いの輪が閉じるまで……対象が完全に切断させるまで“永続”する。

 

 本来は、大きな石材などを、使用魔力を限りなく抑えて採集するための魔術なのだが、神相手にもうまく効いてくれたようだ。

 威力もなかなか。比較的強い月の環境下にあるおかげだろう。まったくもって、運がいい。

 

 

 

 胴と腕を切断された女神は地に墜ちて、静寂が訪れた。

 私はしばらくの沈黙に勝利の確信を深めてから、女神が落下した方へとゆっくり近づいてゆく。

 

 


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