私は魔界の住人に敗れた。
サリエル。そしてシンキ。地獄の遣いとして魔界へやってきた私は、両者の手によって、いとも簡単に打ちのめされてしまった。
迷える魂を救済し、輪廻に還す。全ての悪しき穢れを浄化し、再びの生として転生させる。それが地獄の目的だ。
私の名は、コンガラ。私の役目は、強大なる穢れが堕ちるという魔界へ、その膨大な量の魂を地獄へ輸送することにあった。
だが、私は負けた。
魔界に住まう、強大なる者達に、敗北した。
主より与えられた命を果たすこと無く、地獄へと突き返されたのだ。
シンキによって、大いなる災いと共に……。
先の大災害によって、地獄の広大な空間には、そこら中に亀裂が走っている。
壁は崩れ、岩盤は崩落し、地は燃える。
燃え盛る炎に包まれているのは地獄の日常ではあったが、そこに棲まう鬼たちでさえも、大災害による強大な熱は耐え難いものであった。
地獄の火炎を自在に操る私でさえも、深い傷を負ったのだ。至近距離にいた鬼たちにとっては、さぞ辛いものだったに違いない。
幸運にも死者は出なかった。だが、地獄全体の修繕には、果てしない時間がかかることだろう。
魔界からの圧倒的な抵抗力には、地獄も畏れを抱いた。
私は任務に失敗したが、地獄全体から責められることはなく、また主からの咎も無かった。
魔界からの報復によって萎縮した地獄のほとんどは、魔界に対して不可侵の立場を取ろうと決め込んだのである。
もちろん、我々の理念として、魂の救済を諦めることなどはできない。
だが現時点で魔界に楯突いた所で、更なる反撃を受けることは決まりきっている。
現状の脆くなった地獄に対して、再び同じような報復がやってくれば……その時は、地獄そのものが文字通り瓦解してしまうだろう。
今は、地獄の修繕が最優先だ。
そして輪廻を回すため、地上からより多くの穢れた霊魂を集め、渦の足しとしなくてはならない。
急進派の獄卒鬼達は、地獄を荒らされたことに非常に憤っているが……感情だけでは解決できない問題もあるのだ。
彼らもまた、私と目的を同じとする同志である。
ここは地獄元来の働きを実現させるために、怒りを収めて欲しいところだ。
……私は自らの未熟を知った。
私もまた、地獄の改善に向け、自らを高め、来るべき時のために備えておかねばならないだろう……。
そう、しばらくは平穏な時が流れるのだろうと、思っていたのだ。
魔界の報復は終わったのだと。
我々は弱者で、魔界が強者であるのだと。
敗北し、苦い結末に至ったのだと。
「コンガラ殿! 魔界が! 魔界の者が、地獄へっ……!」
全てが解決したのだと、思っていたのに……。
「土よ逆巻け。火よ滾れ。魔力よ私に跪け。“平定の魔像”よ、地獄を安息の地に変えるのだ」
獄卒の鬼の報告を受けて私が現場へと急行すると、そこは、もはや私の見慣れた景色ではなくなっていた。
「うわっ、うわあああっ」
「呑まれるッ、呑まれ……!」
「ギャッ」
かつては瓦礫が山積していたはずの、地獄の僻地。
だが今目の前では、瓦礫の地面が、まるで竜巻に巻き上げられる海面のように吸い上げられ、一つの巨大な石像の形に、押し固められている。
『オオオオオオッ……』
地獄の天蓋まで届くのではないかと思われるほどに巨大な石像が、地面を砕くほどの咆哮をあげた。
見上げれば、そこにはあまりにも巨大すぎる、石造りの魔像が立っていた。
巨大な顔面は大口を開けて破壊の叫びをあげ、空洞の単眼は怪しく輝き、長い六本腕は高熱によって赤く輝き、地についた脚は、周囲の瓦礫や砂利などを無尽蔵に吸い込み続けている。
為す術無く土石流に巻き込まれ、足元から像へと吸収される獄卒達。
その巨体を前にしては、もはやいかなる抵抗も無意味であった。
「なんだ……あれは……」
それは、この私でさえも一瞬、敵意を失ってしまうほどの威容であった。
地と鬼を飲み込み、腕で地を溶かし撫で付け、叫びによって更に地を砕く。
破壊神。
それはまさに、破壊の神の姿そのものである。
魔界が、このような怪物を送り込んできたというのか。
地獄は、どうなってしまうのだ。
「や、やめろ……」
私の中の闘志に、火が灯る。
絶望的な光景を目の前にして、敵意が湧いてくる。
倒さねば。
命にかえても、あればかりは、絶対に止めなくては。
そう決意した時、私は再び駆け出していた。
至宝の刀に神力を込め、魂の炉からありったけの炎を引き出し、引きずられてゆく瓦礫の群れを足場にしながら、巨像への接近を試みる。
「……!」
そうしていく間に、巨像は私の方へと顔を向けた。
まだ奴の腕の間合いにも入っていないが、いとも容易く感付かれた。
いや、気づかれることがなんだというのか。私は奴と戦わねばならない。
もとより命を燃やす覚悟だ。来るというのであれば、相手になってやる。
「――おお、貴方がコンガラか」
私が渦巻く土砂の上を、大きな岩を足場に近づいていると、魔像の上から声が聞こえてきた。
目をやれば、そこには一体の珍妙な遺骸。魔像の肩の上に立ち、杖を掲げ、この私を見下ろしている。
その時私は直感した。
あの魔像を操作しているのは、奴なのだと。
同時に私はひとつの直感的な希望を見出した。
奴を倒せば、おそらく魔像も止まるのだと。
私の目標は定まった。
魔像本体の破壊よりも先に、あの遺骸を討ち滅ぼす!
「多分、貴方には話が通じるんだろうけど……こんな私にも、感情というものがあるのだ」
私は火炎を推進力として爆発させ、一気に遺骸の元へと飛びかかった。
「一発だけでいいから、殴らせて」
次の瞬間。
奴は、瞬きすら、刀を構えることすらもできぬ間に、私のすぐ眼前までやってきて……。
私の頬に、鋼のように硬い拳を打ち放った。