東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 神を斃し、二年が経った。

 たった僅か、二年である。わたしはこの二年という刹那の間で、神という存在の核心に至ることができたわけだ。

 

 結論から言えば、おそらく、女神の持っていた力は、新たな力であった。

 仮にそれを、“神力”と呼称しよう。

 非常に残念なことに、私の内側にはその力がこれっぽっちも存在しておらず、右手から神の光をバーッと出したり、といった芸当を行うことは無理なのだが、似たような手段は手に入れた。

 

「大地よ、隆起せよ!」

 

 私は大きな骨の杖を掲げ、その先端に輝く頭蓋骨を魔力によって輝かせた。

 魔力は杖の柄の大部分を構成する背骨を通ることで、洗練され、変容する。

 私が送った魔力が頭蓋骨内部に埋め込んだ笏を通る頃になれば、魔力は擬似的な神力となり、それ相応の効果を発揮できるようになる。

 

 私の言葉と同時に、大地が動く。

 何らかの式によって、こういった動きを定めたわけではない。ただ私が言葉で命じ、魔力を送っただけのことだ。

 

 言葉を結果に反映させる。馬鹿げているほど単純なその力こそが、神力の正体だったのだ。

 今の私では、こうして女神の遺骸から取り出した骨によって作った杖を介して、かつ多量の魔力を注ぐことによってしかまともな結果を反映させることができないが、使えるのと使えないのとでは雲泥の差がある。

 

 これまではできなかった精密な石の加工ができるようになったというのは大きいし、赤い炎も簡単に生み出せるようになったし、あと、ちょっとした雷も打てるようになって、神の裁きごっこができるようになった。

 うん、最後のは結構どうでも良かったね。

 

 ともかく、私は燃費が酷いものの、女神の骸を利用することで、神の力を僅かながら行使できるようになったのだ。

 

 

 

 

 月魔術や属性魔術の方が、使い勝手がいいのではないか……そんな風に思われたかもしれない。

 けれど、この神力がもつ、“漠然とした言葉だけで効果をもたらす”という性質は、私にとって非常に大きな可能性を示すものであった。

 

 何故か。

 それは、この神力を利用することで、神綺の世界に戻れるかもしれないからだ。

 

 神綺の世界。私が原初の力を自在に振るう事ができる、不思議な空間。

 そこに一旦引き返すことが、遥か昔からの私の目標であった。

 今まで魔術の研究を続けてきたものの、帰還の術が全くと言っていいほど見いだせなかったのだが、こうして僅かな神力を振るえるようになり、状況は一変した。

 

 この杖があれば、私は言葉のままに、現象をねじ曲げることができる。

 それはつまり、あの世界へと続く“扉”を生み出すことも、可能だということだ。

 

 とはいえ、今のままでは杖の燃費がよろしくない。

 背骨と頭骨と笏、それらを魔術によってうまく接合固定し、羽衣などで飾り立ててはいるが、所詮は見てくれ。力の運用が強引であることは、どうしても否めなかった。

 現状、ただ杖に魔力を注ぎ込むだけでは、あの世界の扉が開くほどの出力を得られるとは思えない。

 もうひと工夫して、月からの最大魔力が供給されるであろう次の月食のために、様々な準備をしなければならないだろう。

 

 あらゆる方法で魔力を収集し、異界への扉を開いてやるのだ。

 月の魔力、星の魔力、環境の魔力、私の内にある魔力……全てをかき集め、杖に一点集中させ、こじ開けてやるのだ。

 

 そして、神綺と再会し、彼女と話したい。

 こんなことがあったのだと。私は、こんなことができるようになったのだと。

 

 海にはこんな生物がいて、こんな形をしているのだと。

 ああ、そうだ、土産物を用意してやるのも、いいかもしれないな。アノマロカリスのボイルなんて、喜ぶかもしれない。喜ばないね、うん。

 

 

 

「ふふふ、楽しみだなぁ」

 

 “月時計”の更に高度な術による計算で、次の月食はおよそ八年後に見られるのだそうな。

 八年後には準備も整うだろうし、その時にようやく、神綺と再会する目処が立つのだろうと思う。

 

 たったの八年。私はその事が何よりも嬉しく、思わず骨の杖の頭蓋骨を撫でてしまった。

 

 ミイラがスケルトンを撫でるとは、誰得か。

 

 


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