東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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「毒にまみれて死になさい!」

「!」

 

 両翼がはためき、緑色の風が吹き荒ぶ。

 紅髪の女は向かい来る突風に悪寒を覚え、握った拳を素早く開き、掌を突き出した。

 

 すると、女を中心に暴風が弾けた。

 毒の煙は外側へ向かって爆散し、薄まって消滅してゆく。

 

「……私の風を、毒ごと吹き飛ばすなんて」

「そのような小技で私を殺せると思ったか?」

 

 たった今ゼンが放った毒風は、触れたものを全て破壊する、強力な毒を含んだ風であった。

 直撃すれば生物は即死し、植物は一瞬の内に枯れ、無機物であってもひび割れ、折れ、砕け散る。向かい風や壁を作っただけでは到底防げない、絶対の破壊を込めたものであるはずだった。

 しかし女は、平然とした顔で掌を向け、立っている。

 彼女の周囲は何も破壊の余波を受けてもいない。風の攻撃を全て受け流したとしても、おかしな状況であった。

 

「良い度胸じゃない」

 

 謎は多い。おそらく相性が悪いのだろう。ゼンはそう考える。

 だがゼンにとって、この地下空洞は己の聖域だ。目の前の女の力がどのようなものであれ、負ける要素など存在するわけがない。

 

「だったら、直接毒を送り込んであげましょうか!?」

「っ!」

 

 だからゼンは、女の懐へと飛び込んだ。

 

 ゼンの得意技は、何も翼による毒風だけではない。

 彼女がその手に持つ緑色の爪こそが、一番の武器である。

 長い年月をかけて、毒を持った生物や魔族同士が争い、殺し合い、喰らい合ったが故に生まれた、毒に特化した魔族の一種。

 それこそが鴆であり、ゼンなのだ。

 

「シッ」

「あら?」

 

 自身の内に湛える力を総動員して繰り出した猛毒の貫手が、外れた。

 一撃を与える一瞬の間に、腕の部分を弾かれて、上手く躱されたようだった。

 難を逃れた紅髪の女はゼンの背後におり――。

 

「せいッ」

「ん、ぐぅッ」

 

 ゼンが振り返る暇もなく、脇腹に強烈な蹴りが叩き込まれた。

 

「いったぁ……」

 

 ゼンの軽い身体は吹き飛んだが、たったの数メートルである。

 人にとっては内臓を損傷し、肋を折るような衝撃であっても、地上に生きる魔族にとって、それは必ずしも致命傷とはならない。

 ここにいるのが強力な魔族で、その身に多大なる毒の力を宿しているともなれば、尚更だ。

 

 だからゼンは、心底余裕そうな表情を浮かべる。蹴り跡のついた服を軽く払い、ゆったりと体勢を立て直す。

 今の一撃で、彼女は悟ったのだろう。

 紅髪の女の持つ力の限界を。

 

「それだけ?」

 

 腕を広げ、わざとらしく爪を輝かせ、ゼンが小首を傾げて訊ねる。

 しかし女は、それに答えない。無言で先ほどの構えを再現し、睨むような目を向けたままゼンの動きに注意を払うだけだった。

 

「いつまで逃げていられるか、見ものねッ!」

 

 ゼンが再び踏み込んで、今度は紅髪の女の正面から、爪を真横になぎ払う。

 顔を消し飛ばすほどの勢いで振るわれた、毒手の一撃だ。

 目にも留まらぬ速度で放たれたそれを、防御はおろか、回避することもできないだろうと彼女は内心ほくそ笑んでいたが……。

 

「――」

 

 攻撃は、再び躱されていた。

 今度のそれは、ゼンの目にもよく見えていた。

 

 紅髪の女は上体だけを後ろへ反らし、ギリギリのところで、大振りな爪攻撃を避けたのである。

 

 回避は、偶然ではない。狙ったものだ。

 死の恐怖に表情を歪めず、目も瞑らない女を見て、ゼンはようやく、目の前のそいつが“強者”であることを認識した。

 

 だが、今から本気を出すには、彼女はあまりにも余裕ぶり過ぎた。

 敵になり得ない相手だからと、大きな隙を見せてしまった。

 命のやりとりをする真剣勝負の場において、彼女は全てが遅すぎたのだ。

 

 

 

「――“破山脚”!」

 

 鋭く繰り出された脚が、ゼンの腹部に突き刺さる。

 

「は」

 

 肺の空気は一瞬の内に抜け、内臓は押し潰され、骨は無数にひび割れ、粉々に折れた。

 破壊力を凝縮した蹴りは、ゼンの身体が宙に浮かぬ間に、致命的な傷を負わせたのである。

 

「へ――」

 

 気がつけば、ゼンは地下空洞の天蓋に叩きつけられていた。

 自分が、荒く削られた天蓋に押しつけられるように張り付いているのが直感としてわかり、下には敵である紅髪の魔族がいるのが見えた。

 

 そして、その女が脚を真上に蹴りあげているような姿を確認すると……。

 

「ご、ふッ」

 

 凄まじいまでの激痛が、ゼンの飛びかけた意識に襲いかかってきた。

 口から溢れだすような吐血。折れた骨が無数に体内に突き刺さる痛み。無防備にそのまま落下し、地面と激突する身体。

 だがそのどれもが、今のゼンにとっては些細なものであった。

 

「ぐあ、あああ……!?」

 

 全身に、耐え難いほどの強烈な痛みが走っているのだ。

 

 いわゆる重症や致命傷といった程度の怪我は、ゼンも幾度と無く経験したことがある。

 過酷な地上で生きていれば、外敵と戦うことなど日常茶飯事だ。その度に浅くはない傷を負ってきたし、死を覚悟するほどの闘いを繰り広げたこともあった。

 

 だが今、ゼンが感じている痛みは、過去の経験を遥かに上回るもの。

 腕が千切れるでも、翼をもがれるでもない。胴体全てがすり潰されようとも感じられないであろう激痛が、連続的に彼女の意識を蝕んでいるのだ。

 

「な、ぁ、何をぉおおッ……!」

「貴女の体内に私の“氣”を撃ち込んだ。……今、現時点で自由に使えるだけの、ありったけを、ね」

 

 血を吐き出しながら叫んだゼンに、紅髪の女は素っ気なく答える。

 そのまま女は倒れ伏すゼンの正面に移動し、荷物を脇において座り込んだ。

 

「貴女が感じている痛みは、私の“氣”によるもの。貴女の身体が持つ毒や力は、私の氣による強い反発を受けて破壊された」

「氣ィ……? 反発ぅ……!? よ、よくもそのようなこと……低級魔族如きが、私の力を上回る力を出せるわけがぁあッ……!」

「例え力の総量が劣っていても、一点に集中させて相手の中枢を貫けば、それは一撃必殺となる。私の攻撃など全く脅威ではないと、最初から侮ってかかったのが貴女の失策だ」

 

 女は淡々と言い放ち、凄まじい形相を浮かべるゼンを見下した。

 

「それに、貴女は自分の力の方が上回っていると思っているようだけど……そもそも、それが間違っている」

「はぁ……え、な……!?」

 

 紅髪の女を睨んでいたゼンが、驚きに目を見開いた。

 同時に、今更になって彼女に死の恐怖が沸き上がってくる。

 

「私の力は、貴女よりもずっと強い」

「な、え、なん……なんでっ……」

 

 ゼンが見たのは、つい先程よりも遥かに強い気配を発する紅髪の女。

 彼女が自身に何かをしたか、あるいは解いたのだろう。彼女の内側からは、それまででは信じられない程の量の“力”が湧き出しているのがわかった。

 

「あ……いやだ、そんな……」

 

 そして強く発せられる女の気配と共に、急激に窄まってゆく自身の生命力も、ゼンは知覚できた。

 薄れゆく魔力。霞んでゆく視界。

 初めて感じる、しかし別の立場ではせせら笑って眺め続けていた、“死”の感覚。

 

「何で、か……何故なのでしょうね」

「なんで……こんな所で……私、まだ……こんな……」

 

 目を大きく開いたまま、うわ言のように呟くゼンの言葉を反芻し、女は内側から発していた“余剰の氣”を、いつものように、傍らのズタ袋を保護するように移動させた。

 彼女の氣は袋の中身へと流れ込み、その中に収められた荷物を包む。

 

「何故、私がこの荷物と共に旅をするのか……それは、私にも」

「……」

 

 荷物を過保護に覆い包む氣は、経年劣化やあらゆる衝撃から、その中身を完璧に守ってみせるだろう。

 対して紅髪の女そのものには、極々僅かな量の力しか残されていない。

 だが、それも女にとってはどうでもいいことである。荷物が守られ、自分が旅を続けてゆけるのであれば、何も。

 

 

 

「……死んだ、か」

 

 女は目の前でゼンが息絶えたのを確認すると、静かに立ち上がった。

 

「っと……」

 

 力の使い過ぎか、女の身体が大きくよろめく。

 ゼンに撃ち込んだ強烈な蹴りは、確実に仕留めるだけの威力を込めていた分、それ相応の強い反動を持っていた。

 再び何者かと戦うためには、彼女はまた何百年も休む必要があるだろう。その手に掴んだ、力を大量に浪費する荷物を手放さない限りには。

 

 

 

「ふーん。魔族も、魔族を殺すのね」

 

 女がこの場を離れようと廊下に向き直り、そしてすぐに硬直した。

 廊下の真ん中に、銀髪の女が立っていたのである。

 

 赤いローブ。長い銀髪。

 そして、刃物のように鋭い六枚翅。

 

「……魔神」

 

 最初に出会った時より何百年もの時が流れていたが、目の前の圧倒的な存在感を前にして、女は克明に思い出した。

 

 目の前にいる彼女が、この世界における絶対の者であることを。

 

 


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