東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 霧の扉を抜ける。

 踏みしめた一歩目は、平坦な感触。岩場ではない。

 魔界ではあるようだが、先ほどの渓谷とは違う、別の場所へと繋がったのだ。

 

「……ここって」

 

 見回せば、辺りは極めて平坦な石の広原。

 近くに建造物はなく、植物さえ一本も生えていない。当然、生き物などの影も見られなかった。

 

「ここは、法界(ほっかい)の手前」

 

 私がくぐり抜けた霧の扉からライオネルが現れ、そう言った。

 

「法界?」

「そう。魔法によって強力に隔絶された、魔界最高の大封印施設だ」

 

 魔法。封印。

 どちらの言葉も、しっくりこない。

 

 何故ならば、辺りには何も存在しないのだ。

 それらしい圧迫感や力の気配は感じられないし、施設と呼べる障害物も見当たらない。

 

 

 ……アマノ。

 私は、それを求めている。彼女を求めている。

 確かに私は、直接には一度もあの人を見ていない。でも、この広い空間のどこにも存在しないであろうことは、私にもわかる。

 

 ……からかわれていたのだとしたら、許せない。

 

 私が怪訝そうに見回していると、不意にライオネルは一歩前に出て、虚空に枯れた手を伸ばした。

 

「強力な力を携えた結界は、その存在を誰にも悟らせない。内部と外部を完璧に隔絶してこそ、真の結界だ」

 

 彼は語りながら、夥しい量の力を虚空へと注ぎ込む。

 

「結界を見るためには、魔力によって一部の機能を活性化させるか、敷設者が直接可視化状態に切り替える必要がある」

 

 その凄まじい魔力の奔流は、私の中における彼の評価を、何段階も引き上げざるを得ない、恐ろしいものであった。

 直接身に受けるだけで身体を引きちぎられてしまいかねない、凶暴な魔力の束。

 氣を操る程度の私の力でも、彼のこの単純な“放出”を真似ることさえ難しいだろう。

 

「ほら。私の魔力によって、隠されていた法界の全容が見え始めた」

 

 周囲に風さえ巻き起こすライオネルの魔力放出によって、彼の翳した手の先には、七色に輝く壁面が現れていた。

 

 不規則に流れ続ける、多重構造の虹色の壁。

 それはライオネルが力を注ぐほどにその姿を明らかにし、どんどんサイズを広げてゆく。

 

「すごい……」

 

 無限に続く、魔法の壁。

 姿を消していなければ、きっとこの壁は、遥か向こう側まで続いてゆき、魔界のどこに居ても見えるような、非常に目立つものになってしまうのだろう。

 

 私が呆然と眺めていると、不規則な方向に動き続けていた多重魔法壁の紋様のひとつが、目の前で停止した。

 それは、丁度丸のような形をしているだろうか。

 幾重にも続く多重構造の壁の全てが、“丸”の紋様を私達の目の前で停止させ、重なってゆく。

 

「さあ、限定的な解除は完了した。紅、私と共に法界の中へ」

「……」

 

 何十メートルも続く円形のトンネル。

 私は、その向こう側から吹き付けてくる懐かしい“風”を受け、躊躇する前に足を進めていた。

 

 

 

 埃っぽい香り。

 強すぎる瘴気。

 前進するごとに増してゆく、圧迫感。

 

 けれど、不快ではない。

 引き返したくもない。

 

 私は、この懐かしい風を求めていた。

 この先にあるものを、ずっとずっと待ちわびていた。

 

 

 

「ある偉大な神は世界を救ったが、バラバラに砕け散り、各地へ飛散した」

 

 冷えた溶岩のような黒っぽい足場へ降り立ち、私は結界の内側に広がる世界を見て、呆然と立ち竦んだ。

 

「破片は地上に降り注ぎ、その偉大な力を数多に分かち、様々な存在と交じることで、無数の神々へと変容したが……破片の持つ力が、唯一そのままの形で漂う空間があった」

 

 見渡す限り、黒い薄靄に包まれた死の大地。

 えぐれ、ひび割れ、荒みきった黒い岩石の世界。

 

「それこそが、地上に降り注ぐ彼女のいくつかを受け止めた、この法界なのだ」

 

 黒く険しい大地。過稼働し続ける魔力が及ぼす毒々しい瘴気。

 下からも、上からも発せられる、暴力的なまでの“抑圧”の力。

 隣に立つライオネルは涼しい様子だったが、私はあまりにも危険な空間に思わず片膝をつき、咳き込んでしまった。

 

 ほどなくして、咳に血が混じる。

 喀血。手先が震え、呼吸が乱れ始める。

 

「……や……」

 

 私はかすれた声で、口を開いた。

 

「やっと……あなたの元に、辿り着けたのですね……」

 

 死にかけていた、尽きかけていた力が、わずかに戻る。

 魂の奥底から、存在の力が漲ってくる。

 

 ここは、死の世界だ。しかし同時に、私はこの肌で、確かな“母”の気配を感じ取った。

 ちゃんと、ここにいる。

 姿は見えずとも、生きていなくとも、この過酷な空間の中に、私が求め続けていた“アマノ”の存在を感じる。

 

「大変遅く……なりました」

 

 気がつけば、私は立ち上がり、荷物を背負い、震える脚で斜面を下り始めていた。

 引きずる脚。短い呼吸。鈴のようにカラカラと鳴り響くズタ袋。

 四方から襲い来る封印結界の圧迫感は強かったが、蘇った“使命”によって得た活力は、私のこの身を、どうにか危ないところで支えている。

 

 この結界の中は、私でさえ、耐えるだけで精一杯だ。

 しかし、これっぽっちも苦ではない。

 母と共にある。母とともにいられる。それだけで、私の他の全てが満たされていたのだから。

 

 私は窪地までやってくると、ズタ袋の中身をそこへ広げ、黒い大地に跪いた。

 大きな骨の一本一本を手に取り、骨同士がお互いを支えるように組み上げてゆく。

 

 その行動に、どのような意味があったのかは、私にはわからない。

 だが私は本能で、こうしなければならないのだと確信していた。

 

 また、この行為こそが、全ての目的でもあったのだとも。

 

「ああ……」

 

 やがて、骨で組み上げた焚き火のようなものが出来上がり、思わず笑みが零れた。

 木材でもなければ火もついていない焚き火だったが、私は組み上がったこれこそが、自らの全てなのだと悟った。

 

「……ただいま、戻りました」

 

 焚き火を前に瞑目し、その場に胡座を組んで、座り込む。

 

 吹き付ける瘴気。

 冷たい岩の地面。

 過酷な封印世界。

 

 けど、ここには母がいる。

 私を見守り、私が護るべき、尊き母がここにいる。

 

 なら、私の居場所はここだけだ。

 他の場所に行く必要はないし、行く価値もない。

 

「……ちょっと、だけ……休みます……」

 

 全身は、氣によって外圧を耐えることのみで精一杯。

 そのかわりに、私は不思議な程の充足感と安心感に包まれていた。

 

 ごうごうと鳴り響く強風の中で、私は心地よいまどろみの中へと沈んでゆく。

 薄く開けた視界の中で、黒の中に一際映える白い薪が、私を癒してくれる。

 

 

 

 意識を手放す間際に、誰かの優しい声が聞こえた気がした。

 

 

 ――お疲れ様。ありがとう

 

 

「……」

 

 ……当然のことを、したまでですよ。

 

 

 


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