ヨウェン様からミトラ様の支配下に替わり、数百年が経過した頃のことである。
ミトラ様の圧倒的な力によって俺達の縄張りは、常に押さえつけられた平穏の上に落ち着いていたのだが、突如としてそれに綻びが生じ始めた。
耳聡く素早き有翼魔族の一人が、真っ青な顔でミトラ様に報告したのである。
なんでも、“銀色の首なし巨人が仲間を消し去り続けている”のだと。
聞けば、その銀色の巨人は世界のあちこちで同時に出現したらしく、我々魔族を見つけ出して追い回しては、不可思議な力によって文字通り“消して”いるのだという。
動きは鈍く、ゆっくりと二足歩行によって移動しているので、それだけならば逃げ果せるのは容易いだろう。
しかし巨人たちが一度軽く“挙手”すると、それを目にしていた者達は途端に体を硬直させ、動けなくなってしまう。このようにされると脱出は困難を極めるようで、巨人たちの接近を許してしまい、結果としてそいつらに触れられることで、消されてしまうのだ。
どのような攻撃も、首なし巨人には通用しない。
遠くから魔法を放とうとも、手投げ槍を思いっきり投擲しようと、奴らを仕留めるどころか、傷ひとつでさえ負わせることはできない。
報告を伝えたその有翼魔族も、ある程度の応戦はしたらしいのだが……結果は惨敗。数十はいたはずの斥候部隊は“消され”、残ったのは報告者一名だけであった。
……神族。の手先ではないか。そういった憶測もなされた。
だが既に俺達は、大抵の神族であれば皆殺しにした上で、土地を根こそぎ奪うことも難しくはないほどに膨れ上がっている。
神族が本腰を挙げて地上の制圧に乗り出したのだとしても、今更に戦況をひっくり返すほどの切り札を出してくるとは思えなかったし、何よりも巨人たちのもつ雰囲気や行動には、制圧を目的だとするには無意味にも思える奇妙なものが目立っていた。
実際に巨人たちを目撃した有翼の魔族は、震えながら語る。
“奴らは、何らかの怪奇な魔法を広めているようだった”
“遠目だったので、その魔法について詳しくはわからなかったが”
“本能的な恐怖を感じさせる何かがあった”
首なしの巨人による不可解な魔族消滅は、それより十年から百年のうちは他人ごとであった。
だが時を経るにつれ、首なし巨人の影響はミトラ様の領土内にまで拡大し、ついには自陣営にも多大なる被害を及ぼすようになってきてしまった。
信じがたいことに、連中はミトラ様配下の強力な魔族を相手にしても、決して倒れることはなかったのである。
本当に信じがたいことに、巨人を一体すら倒すこともできないまま。
「これより我々は戦力確保のため、未知なる異界……魔界を制圧する」
それはある日、ミトラ様が唐突に掲げた宣言であった。
銀色の首なし巨人による不気味な侵攻。
矮小な天界からの刺客。
時折出くわすようになった、反旗を翻し襲いかかる魔族の軍勢。
俺たちが敵とする者はひっきりなしに現れてはいたが、大陸争奪規模の戦闘や侵攻はご無沙汰で、この宣言によって熱狂する配下の者は非常に多かった。
日頃の鬱憤を晴らし、殺しあいができる。野蛮極まる穢れ多き魔族にとって、未知の世界であったとしても、そこで大暴れができるというのは、実に耳に心地の良い提案だったのだ。
しかし、俺は知っている。俺と、ヨウェン様に仕えていた他の多くの魔族たちは、知っているのだ。
魔界はただの異界ではないことを。
天界でも夢幻世界でもない、もっと恐ろしい、根本的に敵わない存在が鎮座している場所なのだと。
もちろん、俺を含め、実際に魔界へ攻め入ったことのある者達は侵攻に反対した。
ミトラ様は強大だ。その配下に属する魔族たちも強く、俺などでは指一本触れることさえできないほどの魔族も多い。
それでも、魔界の者達に勝てる気は、これっぽっちもしなかったし、ミトラ様が敗北する未来しか見えなかった。
「お前たちは魔界の話をする度にいつもそうやって怯えているが、そいつはお前らが弱いからだろうさ」
違う。
「仮にお前らが話していた魔神が実際にいたとして、俺ならば二秒もしないうちに首を跳ねてやる自信があるぜ」
不可能だ。
「しかもそいつは女なんだろ? ヒヒッ……楽しみじゃねえか。なあ?」
何が楽しみだというんだ。
お前たちは何もわかっていない。
お前たちは知らないんだ。
空に浮かんだ狂気そのものの月を。
決して抗うことの出来ない巨大な岩石の災禍を。
そして、あまりにも美しく、あまりにも……常識を超えた……破壊の、流星群を。
あの時に感じた濃密な“死”を再びに体験するくらいなら、まだこの地上に取り残され、天界の勢力や未知の巨人共と死に物狂いの小競り合いを演じていた方がマシというものだ。
「魔界は制圧する。この決定に変更はない」
だが、俺達弱者の意見など、ミトラ様が聞き入れてくれるはずもない。
俺達の魔界への進軍は、無慈悲にも確定したのであった。