無抵抗になった男は、私の問いかけに対して素直に答えてくれた。
曰く、彼は猟師をやっているらしく、地上の妖魔を退治して回っている。
曰く、訳あって天界に戻れなくなってしまい、今は妻と共にその方策を探っている。
つまるところ、彼は天界を追放されたのだ。
穢れ多き地上をさまよい、有限の命のままに危険な旅を続けているのだろう。
それでもここまで生き延びてたのは、彼の弓の腕がそれなりに高いためか。
見たところ、霊格もさほど低いわけではない。何者かの意図によって、強引に天界を放逐されたのだろう。
「参ったものです。世のためと戦い続けてきたというのに、まさかこのようになってしまうなんて」
「……そう」
男は、遠方の蓬莱山を眺めながらしみじみと目を細める。
彼は長年、天界の平穏のために様々な悪を討ってきたらしい。
高天原はそういった他所の英雄譚に対して無頓着であったが、その名は他の神域にまで伝わっていたのだとか。
しかしある時、仕えている神からの不興を買ってしまい、地上へ放逐。
それまでの働きを鑑みれば多少は挽回できそうだと思えなくもないけど、彼はよほどのことをやらかしてしまったのだろう。
時の英雄も、無秩序な地上に堕とされては無力な一人の抵抗者に過ぎない。今では妻と共に、少しでも安全な場所を求めて各地を旅しているのだとか。
「島へは、たまに訪れるのです。妻がこの島で取れる石が好きでして……」
この蓬莱山の島にやってきたのは、安住でも略奪でもない。蓬莱の木が実らせる、穢れの魔石に用があるらしかった。
確かに……輝夜もここの石は気に入っていた。私にとっては魔力的な素材にしか見えないけれど、もしかすると一部の神族の目には、非常に魅力的に映るのかもしれない。
「ここに住めばいいのでは? 穢れもなく、不都合は無いでしょう」
輝夜は決して短くはない時を、この島の中で過ごしてきた。そして、それは結果として最善の延命手段でもあった。
魔術的な解法無しでは立ち入れない仕掛け、穢れを払い続ける蓬莱の樹林など、島の全てが神族の味方となっていたからである。仕掛けを施した謎の者も、おそらくは似たような考えの下この島を構築したのであろう。
無理に地上をさまようくらいならば、島の住民として生きたほうが気楽ではないだろうか。
「まあ、それができれば良いのですが……妻が良しとしないといいますか」
「何故?」
「あまり、この島自体を気に入ってはいないようでして」
「……はあ」
男は困ったように笑っているが、彼の置かれている状況にはちっとも笑えない。
使い走りにされ、安全な場所があるというのに、妻のわがままによって腰を据えるわけにもいかず……そんな彼の境遇には、同情を通り越してもはや呆れ返るしかない。黙って従う彼も彼だ。
「はは……いや、それにね。俺も実を言いますと、この生活が嫌いではないのですよ」
「え?」
男は片手で庇を作り、天高く昇った太陽を眩しそうに見上げた。
「時が止まったかのような天界で暮らすよりも、こうして動きのある地上で暮らしていたほうが……俺は、生きているという実感が持てるんです」
「……生きている実感、ね」
「やはり、俺の考え方は可笑しいのでしょうか?」
「さあ、どうでしょう」
可笑しくないと言えば嘘になる。地上で生きることを良しとするなど、それは全くもって合理的ではない。
しかし私は心のどこかで、そのような生き方があり得て欲しい……とも思っている。
天界から放逐され、混沌の地上へと堕とされる。
それは何も、目の前にいる彼だけの話ではない。
かつてのサリエル様も……同じ身の上だったのだから。
「……貴方、名はなんといったかしら」
「は、ええ。俺ですか。俺は
「羿……今度、そうね。次の満月の夜に、またこの場所を訪れなさい」
「満月……」
「その時私に出会えたならば、貴方に2つの薬を差し上げましょう」
個人的に、彼は嫌いではない。気まぐれではあるが、手を差し伸べてあげるのも吝かではないと思える程度には好感が持てる。
しかし、彼の妻に対してはまた別だ。同情する気持ちの一つくらいは持ちあわせているけれど、夫を一人で危険な遠征に赴かせるなど、およそ妻のやることではない。少なくとも私であれば、死ぬまでこの島の中で添い遂げるくらいの意志は持ち合わせるだろう。
かといって、この男は妻を見捨てるような者ではない。彼はきっと、いつまでも妻と共にあり続けようとするはずだ。
だから、私は彼に2つの選択肢を提示するのだ。
妻を捨てて天界へと返り咲き、華やかな永遠を手にするか。
それとも、妻と共に地上で永遠を生きるか。
……彼は一体、どちらを選ぶのだろう。
楽しみだ。