クベーラとの大量取引が功を奏したのか、ちらほらと魔界を訪れる神族達を見かけるようになった。
やはり、魔界都市の品々を流したのは大正解だったのだろう。上手く外界の興味を惹けたようである。
しかし彼らの出現場所は様々で、クベーラと同じ場所へ……というわけにもいかないようだ。
クベーラはいつも辺境のエソテリア(あの空き地にも魔人が住み始めた)に降り立っていたが、どうやら扱う器具や体質によって、出現場所はかなり限定されるようである。
おそらくクベーラの出現位置が常に偏っていたのは、彼が扱っていたランタンに原因があるのだろう。特定の魔力や光を収束させるあのランタンの力が精密であるために、常に出現位置をエソテリアに固定できていたのかもしれない。
神族たちのほとんどは魔界の観光というか、クベーラと同じ取引を中心に考えている者たちで、私の取引先の選択肢は増え、豊かになった。
おかげさまでログハウスで雇っていた悪魔たちを増員し、交易専門の施設をいくつも増設しなければならなくなってしまったほどである。むしろ私の手から離れてさっさと独立させてしまいたい。私に商才は無かったのだ。
それに加え、魔界内での悪魔の重要性が日に日に増してゆくため、魔都パンデモニウムの不便な立地が段々と煩わしくなってきてしまった。これは悪魔達にとっては当然そうであるし、魔都に用のある人々にとっても同感であるらしい。
距離などは私や神綺であれば何も問題はなかったが、他の人々が直接魔都を訪れるには、結構な時間をかけて移動しなくてはならない。私は観光もまた魔界のひとつの産業であると考えているので、これはちょっと痛いことである。
なので、もうちょっとしたら神綺と一緒に魔都を魔界の中央付近に移設しようと考えている。
これはそう難しいことでもない。原初の力と時計塔地下にある余剰魔力をほんの少しだけ使えば、案外簡単にそっくりそのまま移動させることは可能だからだ。
というか時計塔だけは、ゆくゆくは魔界の中央付近に移設させる計画があったので、それが魔都ごとになったというだけで、あまり大きな変更というわけでもなかったりする。
まぁ、もちろん現地の悪魔や魔人にとっては、ものっそいでかい都市が唐突にご近所に現れるわけだから、大変なことなんだろうけどね。
……しかし、この魔都の移設計画を前もって立て看板で宣言してはいるんだけど、どうしてかなかなか信じてもらえない。
前と同じで神綺の名前も書いてあるのだが、魔都に棲まう悪魔たちにとっては“そんなことできるわけないだろう”と冷ややかな目で見られるばかりである。
小悪魔ちゃんもなかなか皆が信じてくれないことを悩んでいるようだった。
……まあ、当日に実際に移転してもらえば、嫌でも理解できるだろう。
こちらはちゃんと事前に通告したのだから、信じてもらわなくては困る。
魔都の移設。神族との取引。
魔人達の文明の拡大。
魔界は、数億年前からは信じられないほどに賑わっていた。
ここまで人材が豊富だと色々な役割を他人任せにできるので、もはや私は必要ないんじゃないかという気がしてくる。
が、それでも私にしかできないような規模のこともちらほらとあって、どうにも長い間魔界を留守にすることができない。
今回魔界にやってきた神族の応対もまた、そのひとつである。
「……」
「いらっしゃーい」
その赤髪の神族は、運の悪いことに浮遊大氷土の上に転移してきた。
サリエルが目ざとくすぐに発見したから良かったが、そのまま彼女が気付かなければ酷い放置になっていたことだろう。
幸い神綺と私がすぐにそちらへ急行したので、応対に問題はないと言える。場所はアレだが。
しかし今応対したのは神綺さんである。
私は神綺の隣でぼけーっと突っ立っているだけ。私はサリエルに“早く行け”と言われるがまま、とりあえずやってきただけなのだ。ちょっとした研究を進めていたので、内心すごく面倒くさい。
「……魔界。初めて来たけど……やっぱりここって、ただの異界じゃないのね。私の支配下に置かれている気配がこれっぽっちも感じられ無い」
「当然よ。外では貴女も神様なのかもしれないけど、ここではただのお客様なんだから」
氷土の上に浮いていた神族は、真っ黒なキトンを身につけた美しい女神であった。
頭に帽子のようなものを被り、周囲にはどこか見覚えのある3つの球体が浮かんでいる。
多分あの球体は、地球と月と……あとなんかである。天界か何かだろうか。球体なので、魔界でないことだけは確かだろう。
司る範囲の広そうな神族ではあるが、魔界が管轄外なのは納得である。
女はしばらくその赤っぽい球体を睨み、力んでいるようだったが……しばらくして、弛緩。
大きなため息を吐くと、そこでようやく私と神綺に向き直った。
「……はじめまして。私はヘカーティアという……貴方達が言う所の、外界の神よ。地上、月、異界を司っているわ」
「私は神綺。魔界の創造神よ」
「私はライオネル・ブラックモア。偉大なる魔法使いだ」
あれっ、おかしい。
ちゃんと自己紹介したのに私だけなんか場違い感あるな。
「そうなの、貴女が神綺……わざわざお出迎えしてくれるなんて嬉しいわ」
「ううん、これも仕事だもの。気にしないで」
あっ、もうヘカーティアさん神綺しか見てない。
私完全にアウトオブ眼中だ。
「それで、魔界へはどんな用件で? 商品の取引だったら別の場所に案内するわよ?」
「あ、そうじゃないの。ちょっとした報告を伝えておきたくて、それだけなの」
「報告?」
神綺が首を傾げる。
私も同じ方向に傾げておいた。けど私の頭だとこれ、あんまり似合わないんだろうな。
「そう、報告。クベーラさんは知ってるわよね?」
「知ってるわよ。よく取引するし」
「彼に頼んだ言伝で、“見つけ次第羿を抹殺して欲しい”っていうお願いを出したと思うんだけど……」
「……」
神綺、“ありましたっけ”みたいな顔で私を見ないでおくれ。
そりゃまぁ私は物覚えは良いけどさ。君はもうちょっと外界の事情について、関心をもって耳を傾けておくべきだと思うんだ。
「ああ、それは聞いているよ。確か、地獄が追っている神族なんだったか。何をしたのかは知らないけど」
「そうそう! ああ、ちゃんと伝わってたんだ。だったら良かったわー」
しかし“抹殺したい”だなんて直接的な表現をするほどだったとは。
羿さんとやら、一体何をやらかしたんだ。
「その問題にはもう片がついたから、何か特別な対応を取ってもらってたならもう大丈夫ってことを伝えたかったの」
「ああ、そういうことね。けど……魔界では何か対策していましたっけ? ライオネル」
「いや別に。普段から侵入者には敏感だし、特別な方策は必要無いからね」
「ですよねー」
片がついたってことは、羿さん殺されたのかな?
まぁ地獄の憂いが消えたなら何よりである。
「けど、覚えてもらえてたっていうだけでも十分嬉しいわ。ありがとうございますー」
「いえいえ、こちらこそー」
最初の緊迫感はどこへいったか、今ではすっかり朗らかなムードのご両神。
やはりこうして綺麗な女の子が並んでいると、画になるなぁ。
もちろんサリエルが綺麗じゃないというわけではない。彼女はちょっと真面目過ぎて、笑顔が少なすぎるだけ。
「私からの用事はそれだけよ。もちろん、一度だけ魔界を見ておきたかったっていうのもあるけど……」
「せっかくだし、魔界を見て回ったらどうかしら?」
「うーん……いえ、やめておくわ。ここにいると、他の世界との接続が切れてしまうようだから……あまり長居はできないみたい」
「そうなの……それじゃあ、仕方ないね」
神綺としてはもう少しお話なり何なりしたかったのだろうが、相手の性質上の都合というものがある。
やはり神様にはそれぞれ領分があり、そこから大きく離れることはできないようだ。
「それでは、ありがとうございました。地獄に何か御用があれば、私をお尋ねくださいねー」
「はーい」
地上、天界、地獄、魔界。
やはり色々な場所が絡んでくると、まだまだ私達の出番は多い。