東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 ローマ共和国。

 それは、ちょっと前の横暴な王政が終わり、それなりに市民の理解が得られている共和国である。

 

 多民族を受け入れ、都市国家を制圧し、人と土地を飲み込みながら膨らみ続ける、今ヨーロッパで最も熱い国のひとつであり、私でも知っているような有名な国である。

 おそらくはこのローマとやらは、これからもどんどん大きくなってゆくのだろう。

 

 “全ての道はローマに通ず”。

 “ローマは一日にして成らず”。

 

 様々な格言が表す通り、ローマとは非常に大きな国だ。

 紀元前数百年。今はまだ発展途上といったところだが、これからこのローマがどれほどの規模にまで拡大してゆくのか。

 魔界都市の成長を眺めていた時のようで、実に楽しみである。

 

 見事な石工技術による美しい建築が立ち並び、通りには緩やかなギリシャ神話に出てきそうな服(トーガとかいうやつ)を着た端正な顔立ちの人々で埋め尽くされている。

 ロマンチックな建築群に、ギリシャ神話の世界からやってきたような人々の姿。

 実際ローマなんてギリシャみたいなものなので大して間違ってはいないのだが、こうして直に眺めてみると、なかなか壮観である。

 

 なんというか、とても“人間の歴史”らしい。

 この気持ちは、他の誰にも伝わらないだろうか。

 

 

 

「木板はいらんかねぇー」

 

 さて。今私は、大荷物を背負ってローマを歩いている最中だ。

 背負った籠には滑らかにカットされた木板が満載され、歩く度にカラカラと音がする。

 

 私が声を掛ける度に人々の視線がこちらに向き、中には興味深く見つめるものもいれば、笑う者だっているし、怪訝そうな顔をする者もいる。

 ちょっとでもリアクションを取った人には“板いりますかね”と声をかけるが、わざわざ買ってくれるような人はなかなか現れない。

 しかしそれでも、時々は私の仕上げた美しい面の木板に何かを見出したか、一枚だけ買っていくような気前のいい人とも巡り会える。

 そんな時には適当に手を挙げて“3”を示し、3枚の硬貨を頂戴するわけだ。レートは謎であるが、小金が手に入れば特に問題はない。

 

「まいどあり、お兄さん」

「暑そうな格好だな。ま、頑張れよ」

「……ふむ」

 

 今もまた、ちょっと裕福そうな人が気前よく二枚ほどの板をお買い上げしてくれた。

 彼に言われた“暑そうな格好”というのは、少しの隙間もなく全身を覆い隠した私を見てのことであろう。

 

 かつてペスト大流行時に専門の医師が装着していたという、鳥の頭部を模したかのような、大きなクチバシ付きの仮面。

 ゴワゴワの生地であつらえた、ダークグレーのつば広帽子。

 そして全身を包む同じくゴワゴワのロングコートに、指先まで巻きつけた古めかしい包帯。

 

 なるほど、確かに人間だったら蒸れるし熱いしで大変な格好であろう。

 しかし私は、暑さによる苦しさというものを全く感じない。その上最初からカラカラに干からびているので、蒸れるなんていうこともない。

 少々厚着をやらかしすぎている自覚はあるが、このくらいまで身体のラインを隠し、やせ細った身体を嵩増ししないことには、普通の人間のふりをすることもできないのだ。

 だが、この格好はある意味で私の身分を偽るための言い訳にもなる。

 “病から身体を守っている”だの“身体に悪霊を封印している”とでも言えば、この時代の人々には十分に通用するだろう。魔法を使って変装しているわけではないので、勘の良い神族に気取られることもないはずだ。

 

 “半界歩行”を使えば神族を含め誰にも気取られずさまようことはできるだろうが、それではこの国の生の空気を感じることができないし、それでは楽しみが半減する。

 今回はマーカスの頼みでやってきたようなものであるが、どうせローマで生活するのであれば、当事者として楽しみたいというのが人の気持ちというものだ。

 

「さて……大体言葉は覚えたかな」

 

 金のやり取りで数字と通貨の価値を知り、周りの人々の話し声からある程度の言葉の仕組みは理解した。

 魔界や地上で幾度と無く新言語の習得は繰り返してきたので、直接誰かに訊ねる機会さえあれば、覚えるのはさほど難しいことではない。

 あとは、そのまま目的に従って応用するだけである。

 

「すみません。そこのご婦人」

「え、私? って……すごい格好ねあなた。暑くないの?」

 

 私はすれ違いそうになったギリシャの女神っぽい女性を呼び止めた。

 

「失礼。人を探しているのですが」

「人? どなたかしら。有名な人ならわかるけど」

「エレン……オーレウスという女性をご存知ではありませんか」

「オーレウス?」

 

 変装。行商。言語習得。

 何故私がこんなことをしているのかというと、それはずばり、ローマで人探しをする必要があったからである。

 

 探し人はエレン・ふわふわ頭・オーレウス。

 マーカスの姪にあたる魔法使いだ。

 

「魔法屋のオーレウスさんでしょ? もちろん知ってるわよ」

 

 マーカスからの頼まれごとは、ごく簡単なものであった。

 曰く、そのエレンさんとやらに、魔法を教えてやってほしいとのこと。

 

「是非、お願いできますか」

「ええ、ちょっと外れにあるけどわかりやすいわよ。この道をね……」

 

 魔法を教える。

 そんなの、タダでだってやってやるに決まってるじゃないか。

 

 


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